【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第二八話「ドキッ☆女だらけの――」

「――――忌々(ゆゆ)しき事態だ」

 

 ラウラ=ボーデヴィッヒは、重々しい口調でそう言った。

 IS学園のものとも、ドイツの軍服とも違う、似合わない黒の背広に身を包んだ少女は、目線を隠すサングラスの下で、疲れたように目を瞑る。

 

「結局、今回の水着選びは逆効果に終わってしまいましたわ」

 

 同じように黒の背広を身に纏う金髪碧眼の令嬢、セシリア=オルコットが肩を竦めながら言う。

 

「ラウラさんの人海戦術が失敗に終わったことで、イチカさんのガードはこれからさらに上がることでしょう。目的達成の難易度はさらに上昇したものと思われます」

「…………すまない」

「気にしなくていいよ。ラウラは最善を尽くした。多分僕達の誰かが動いていても、結果は同じだっただろうしね」

 

 ラウラの隣に座る少女――シャルロット=デュノアが、沈痛な面持ちで頭を下げた彼女の肩を優しく叩く。彼女もまた、黒い背広を纏っている。その豊満なバストが、背広を無理やり内部から押し広げていた。

 

「…………問題は……今回の一件でイチカちゃんの態度が若干ながらも硬化してしまったこと。…………違う……?」

「だが、その問題を洗い出したところで私達に打つ手があるか? こればかりはイチカ自身の機嫌が直らないことには始まらないと思うが」

 

 続く更識簪の言葉に、篠ノ之箒は手を振りながら言う。

 二人も、黒い背広を身に纏っている。暗い色の服装も手伝い、彼女達の表情はいつもより深刻そうに見えた。

 そんな彼女達に、『それ、簡単でしょ』と書かれた扇子を持った手が向けられる。

 

「機嫌、直してもらえばいいんじゃない?」

「しかしお嬢様、見たところイチカさんも別段怒っているわけではありません。怒っているわけではないけど機嫌が悪いというのは厄介ですよ。下手に干渉すれば悪化しかねませんし、かといって何もしなければ一定以上の反応を引き出すことも難しくなります」

 

 今回は彼女達に加え、生徒会長の更識楯無と会計の布仏虚も参加していた。彼女達も他の面々と同じように、黒い背広を身に纏っている。

 以上、七名。

 IS学園にある会議室の一室を貸し切った彼女達は、難航しているイチカの女性化解除の方策を考える為、こうして長机を七人で囲って会議を行っているのであった。

 そして虚にあっさりと自説を否定された楯無だったが、それでも彼女は楽観的な構えは崩さない。

 

「えー、そうは言っても、イチカちゃんってけっこう……『素直』な子じゃない。ちょっと騙くらかせばころっと誘導されてくれるんじゃない?」

「いえ、それがそうもいかないのですわ。本格的に女性化してからというもの、少しずつではありますがイチカさんが我々の『手口』を学習してきている節がありますので」

「それは女性化の影響という話?」

「いいや、それは違う」

 

 首を傾げる楯無に、今度はラウラが答える。

 

「普通に、マンネリなんだ。イチカも馬鹿ではない。流石に入学からこっち三か月も我々(ヘンタイ)と接し続けていれば手口の一つや二つくらい学習するだろう」

「『我々』と言うと私も含まれているような響きなので訂正してくださいね」

 

 さらりと変態疑惑から逃れる虚。

 

「そろそろ、手口を変える必要がある、ね…………」

 

 重々しい口振りで、シャルロットが言う。

 気にすべき点はそこではないのだが、他の面々からも異論は上がらない。いや、正確には虚はしっかり顔で異論を表明しているのだが、全員が黙殺していた。

 そんな中で、箒はサングラスの向こうで困ったように眉根を寄せながら言う。

 

「具体的に何をすればいい? 水着選びでは結局セクハラ前の目的でもあった『欲情させることで内面の雄を意識させる』ことも達成できなかったぞ。これ以上はマジでR指定にいかなきゃいけない気がするんだが」

「やめなって。セクハラにしろ男を意識させるにしろ、これ以上のインフレは致命的だよ」

「……正直なところ、シャルのセクハラは絵面も相まって最初からボーダーラインを振り切ってる気がする…………」

「簪ちゃんがそう言ってるんだから、デュノアさんは少し控えて頂戴ね」

「話がこじれるので黙っていてくださいシスコン」

 

 ぐりんっ!! と会議のメンバーが一人脱落したところで、

 

「じゃあ、水着とは別のアプローチで攻めてみるのはどうだ?」

 

 と、箒が提案する。

 一斉に会議のメンバーから視線を集めた箒は、さらに続けていく。

 

「私達の目的はイチカに内面の雄を意識してもらうことだが――別に性的な要素でなくてもいいわけだ。要するに、イチカを男としてキュンとさせればいいわけで」

「それこそヤバくありませんの? 主に鈴さんからの妨害が」

「イチカちゃんに色目を使う訳だし、鈴ちゃん多分相当機嫌悪くなるよね…………」

 

 確かにイチカの男心をくすぐる方向性なら道筋は簡単かもしれないが、そもそも彼女達がイチカを男に戻そうとしているのは半分くらいは鈴音の恋路を応援する為である。そこに抵触しそうな雰囲気の作戦は本末転倒であった。

 それに、

 

「そもそもそういう系のアプローチって、イチカに効果あるかな? ただでさえ朴念仁なのに女性化してるからなかなかハードだと思うんだけど」

「どうだろうな。案外、色気を絡めないさりげなさを兼ね備えたボディタッチならば効果がありそうな気がしないでもないが」

「まぁ……その場合、やるのは鈴ちゃんってことになるだろうけど……」

 

 そこまで言って、変態達はしばし沈黙した。

 まるで、互いに互いの認識を確認し合っているかのように。

 

「………………無理だな」

 

 そう結論したのは、言いだしっぺの箒だった。

 

「鈴がイチカとスキンシップをとれるんだったら、そもそもここまで私達が悩む必要はなかったんだし」

「絶対途中で照れ隠しが入って、最終的に友情を深めるオチがつきますわね」

「いっそそれでもいいんじゃない? 恋愛系からは離れられるでしょ」

「…………女の友情の良さに目覚めて、さらに状況が悪化するかも…………」

「それ、いいですわね。それでいきましょう」

 

 趣味に逸れだしたGL派である。

 

「とすると……恋愛系やセクハラ系を感じさせない方法のアプローチ、か……」

 

 うーん、とラウラが唸る。アイデアに詰まったときは誰かに聞こう、とばかりに黒兎部隊(シュヴァルツェハーゼ)に電話しようとISの通話機能を呼び出そうとした、ちょうどそのとき。

 

「見つけたわよっ!!」

 

 ばだん!! と、彼女達のいた会議室の扉が、勢いよく開け放たれた。

 開け放たれた勢いで会議室の扉(ちなみに、防音の為に一部金属製である)が引き千切れて、吹っ飛んできた扉をセシリアが必死の形相で回避するという一幕があったがそれはそれだ。

 

「ちょっ、気を付けてくださいまし!! この世の全てが貴方の蛮族具合を考慮して作られていると思ったら大間違いですわよっ!?」

「うるさい! 戻って来たら誰もいなくなってるし何か企んでると思ったら、会長まで抱き込んで何してたのあんたら!!」

「濡れ衣だ! わ、私達はイチカのことを元に戻す方策をだな……」

「あたしを呼ばずにあんた達だけで話してるって時点で嘘バレバレなのよっ!!」

 

 あと、弁解しようとする箒の目が泳いでいたのもポイントなのだった。実際彼女たちのことなので、ほどほどのところで私欲が混じって大なり小なりやましい意図が計画に混じってしまっていただろうことは否定できない。変態のサガなのだ。

 

「いや~ごめんね~。束さんも止めたんだけど、抑えきれなくって~」

 

 と、鈴音の後ろからぬっと軟体生物めいた動きで束が入室する。相変わらず全体的に人体の限界を超越した女であった。どう考えても止める気はなかったといって差し支えない。

 

「しかし、やはりイチカに男を意識してもらうには色仕掛けが最適だと思うのだ。セクハラ系は駄目だったから、今度は恋愛系で」

「へぇ、なんか()()()()()()()()みたいなお話だね~」

「さっきも言ったけど、それが通用するとは……」

「通用するしない以前に、とりあえずやれることはやってみるべきではなくて?」

「ううん……、まぁどっちにしろ僕は宗教上の理由でNG、かな。どう転んでもGL系が強くなりそうだし」

「私もシャルに同じだ。宗教上の理由で恋愛系の色仕掛けはできない」

「アンタ達のそれ、宗教だったの……?」

 

 実際宗教みたいなものだが。

 

「いや、待ちなさいよ! 恋愛系の色仕掛けって、それアンタ達がイチカにモーションかけるってことでしょ!? それってどうなの!? ダメじゃないの!?」

「別に鈴ちゃんがやってもいいのよ……?」

「あたしに!! それが!! できると思うの!?!?!?」

「う~ん、チャイナガールAは全体的に恥ずかしがりやさんだね~……」

 

 束は、彼女にしては珍しく呆れたように苦笑した。そのくらい、彼女もここにいる面子には心を開いているということなのかもしれない。少なくとも、人種くらいは認識できる程度に。

 

「まぁまぁ、ご安心なさいませ鈴さん。わたくしこういうときの為に、普段からきちんと深爪していましてよ!」

「セシリア、先走っている上に知識が生々しすぎて鈴の理解が追いついていないぞ」

「なんだか良く分かんないけど、放っておいたらダメっぽいから殴る!」

 

 もはや何が悪いのかも分かっていないのに雰囲気だけで拳を振るい始めた変態スレイヤー鈴音はさておき、

 

「…………? お姉ちゃん、色仕掛けと深爪って、いったい何の関係があるの?」

「それはね簪ちゃん、普段から深爪しとかないと本番のとき女の子の大事げるヴぁるば!?!?!?」

「簪お嬢様には永遠に必要のない知識ですので、知らなくても問題ありませんよ」

 

 …………さておき。

 

「あ、そうだ!」

 

 完全に煮詰まってしまった会議に、『天災』が一石を投じる。

 

「恋愛系でも、セクハラ系でもない…………イチカちゃんが絶対食いつく『男らしさを得る方法』。私、思いついちゃった」

 

 ――――ただし、その表情は、やはり悪魔的な彩りを見せていたが。

 

***

 

 と、いうわけで!!

 『ドキッ☆ 女だらけの相撲大会! ポロリもあるよ!』、堂々開催!!!!

 

「…………いや、あのさ」

 

 そんな感じの垂れ幕が飾られた会場(高台の上に土俵が設置されている)を目の前にして、イチカは耐えられないとばかりに思わず首を横に振った。

 

「あのさ!! 話が違うんだけど! 『ここから臨海学校まで特にイベントもないから身体がなまっちゃいそうだし、心の緩みからくる技術の低下を防止する為と、あと戦闘を介して男らしさを磨くことで女性化に歯止めを利かせる為に一つ生身でトーナメントをやろう』って話だったじゃないか! それがやって来てみたら『ポロリもあるよ』って!! いったいどういうことなんだよ!!」

「いやはや、企画段階では格闘技大会だったんだけどな」

 

 それに対して、箒は苦笑しながら応対する、

 これには海より高く山より深い理由があるのであった。

 

「殴ったり蹴ったりだと、戦闘スタイルの問題もあって不公平ですし、何よりわたくし達が本気(ガチ)でぶつかったらけが人が出ますし」

「うんうん……」

 

 ここまではまだいい。

 

「ついでに、昨日買った水着も一足先にお披露目したい…………」

「…………ん?」

 

 これも、まだいいとしよう。ここでそれやっちゃったら来たるべき臨海学校のときの水着披露イベントどうすんの? というメタ的問題が表出するが、それはひとまず置いておく。

 

「となったら、なんか水着相撲大会になっちゃってね」

「それダメなヤツだー!!」

 

 このへんで完全にダメなやつになってしまった。まぁ、殴る蹴るがアウトとなった時点で投げたり極めたりするしかなかったので、ほとんどこの路線は避けられなかったのだが。

 

「…………私は、トルコ相撲がいいと言ったんだがな……」

「こ、これでも最悪は回避した方だったのか……」

 

 ラウラがぶすっとしながらそう呟いたが、その隣にいる鈴音はさらにぶすっとしていた。もちろん常識人の鈴音がこの決定に反対しないはずがなく、なんだかんだでセクハラ系や恋愛系よりはまだマシだということでこの結果に甘んじているのであった。

 

「いっちゃん納得した?」

 

 と、そこにふわふわという擬音を(文字通り)背負いながら、束がやって来る。相変わらず無意味に世界のルールを捻じ曲げる女であった。

 

「納得したも何も、もうどうにもならないじゃないですか……」

「あっはっはーまぁそう言わないでよ。一応、いっちゃんばかりがひどい目に遭う仕組みにはしてないから」

 

 束はそう言って快活そうに笑い、どこからともなくフリップを取り出してイチカに提示する。

 そこには、なぜかトーナメント表が書かれていた。

 

「……トーナメント?」

「そ。一応相撲大会だから一対一なんだけど、総当たりでやるのはどうもね…………ということで、今大会はトーナメントになりました!」

 

 しかし、よく見るとトーナメント表には一つだけ異様な点があった。

 ほとんど普通のトーナメントと同じなのだが、一点だけ、右端に一試合もせず直接決勝戦にコマを進めている出場枠があるのだ。

 ちなみに、その決勝直通枠には『織斑イチカ』と書かれていた。

 

「束さん、これは?」

「ああ、それね。……いやいや、そんな不満そうな顔しないで。舐めプとかそういう話じゃないから」

 

 どことなく不満げな表情を見て取った束は呆れたように苦笑する。変態達も、イチカらしい跳ねっ返り感ににっこり笑顔だ。

 

「そういうことじゃなくて、いっちゃんって今、一応暴走状態なんだよねぇ」

 

 束のなんてことないつぶやきのような一言に、イチカはぴくりと震える。

 そう。ここまで穏やかな日常生活を送れているので忘れがちだが、こうしている今もイチカは常に零落白夜を発動しIS関連のエネルギーを常時打ち消し続けているような超弩級の暴走状態なのである。

 零落白夜がIS関連エネルギーにのみ反応するものであるため、日常生活では何の変化もないように見えるが、これが鈴音なら全方向に圧力をブチ撒けているようなものだと言えば、恐ろしさの一端くらいは理解できるだろう。

 

「イチカちゃんの側からすれば平穏なように見えるかもだけど、研究者どころか開発者である束さんとしては見ていてだいぶヒヤヒヤものなのだよねぇ~。だから、ドクターストップ」

 

 そう言いながら、束は会場の端、選手となる変態達が詰めているであろう控室の方を一瞥する。中からは宗教戦争でも勃発しているのか、開始前からギャーギャーと喧騒の音が聞こえていたが。

 

「肉弾戦オンリーとはいえ、次期代表? っていうんだっけ? まぁどうでもいいけど、けっこう強い人達と連戦したら自己学習機能とかがどう働くのか…………まぁ束さんは天才で天災だから予想はつくんだけど、あんまりよさげな予想にはならなかったからやめてほしいかなってね」

 

 わりと真面目な回答に、イチカはこくりと頷く。

 変態としての束は油断ならないが、こういう技術者としては千冬と並んで世界最高の人材である。その世界最高の人材からドクターストップをかけられてしまっては、流石に言うことを聞かざるを得ない。

 あと、イチカが思っていた以上に自分の置かれていた状態が綱渡りであることを改めて自覚させられたというのもあった。

 

「まぁ、闘争によって刺激を与えるというのは束さん的に見ても悪い着眼点じゃないし、お仲間が戦ってるところを見て闘志を燃え上がらせるのも、男らしさ的にはアリなんじゃないって束さんも思うけどね」

 

 ――などと適当そうに付け加えた束の視線の先で。

 

 ようやっと、選手たちの入場が始まった。

 

***

 

『それでは、選手入場で~す! 実況は簪ちゃんの専属メイド、布仏本音がお送りしま~~す』

『そして解説は簪ちゃんのお姉ちゃんにして愛の奴隷、あとついでに学園生徒会長の更識盾無がお送りするわよ!』

 

 同時に、会場に設置された特設スタジオの中から姦しい声が聞こえてくる。

 

『で、会長さん。ずばり今回の優勝候補は誰ですか~? あ、かんちゃん以外で』

『簪ちゃん以外で…………となると、やはり現役軍人のラウラさんかしらね。あれに肉弾戦で対抗できるのは、フェイントの名手である鈴音さんくらいじゃないかしら? 正直肉弾戦に限定したら私でも対抗できるか微妙ね』

『おお、意外とまとも~』

『…………私、これでも学園で一番強い生徒なんだけど』

 

 そんな実況解説漫才に呼応するように、ラウラが会場へと入場してくる。

 ラウラの水着は、意外にも普通の(?)ゴスロリビキニだった。黒地の、布面積の乏しいビキニに、濃紫のフリルがあしらわれている。…………これだけならまだ『普通』の範疇で収まったのだが、ビキニのボトムの両腰部分には、何が入っているのか分からない黒のホルスターのようなものが引っ掛けられていた。

 

(あれ、ホルスターの重みでボトムずり下がるんじゃないか……?)

 

 とイチカは余計な心配をしていたりもしたが、多分ラウラ的にはそれを狙った仕掛けでもあるのだろう。

 さらにそれに加え、右太腿にはコンバットナイフがくくりつけられている。それらの装飾のせいで、全体の色合いが無理やりミリタリー方向に捻じ曲げられていた。

 

『というか、ナイフの持ち込みって反則なんじゃないの~?』

『心配は要らないわ。あれはただの装飾品で武器としては使用できないから』

『伊達ナイフとかキャラづけ必死すぎ~』

 

 ド辛辣な本音(ダブルミーニング)の解説をBGMに、新たな参戦者が入場していく。

 

『続いて現れたのは――――あら、鈴ちゃんね』

 

 現れたのは、鈴音だった。

 こちらはラウラと違い、普通のツーピース水着である。オレンジの布地に、要所に黒の縁取りが映える。ボトムは超ミニのスカートのような形状になっており、全体的に色気よりも活動的な雰囲気の方が強い。

 

『こっちの勝ち目はいかほど~?』

『正直、分からないわ。互角と言って良いんじゃないかしら? 単純なルール無用の殴り合いなら鈴ちゃんに分があるし、武器OKならラウラちゃんが圧倒的。ただ、ルールのある水着相撲だと…………難しいわね』

『でも、裸になっても戦えるボーちゃんと比べたらりんりんの方が不利じゃないかな~』

『…………ボーちゃん?』

()()デヴィッヒだから、ボーちゃん』

『キミはまた変なあだ名を…………』

 

 楯無は呆れたように笑いながら、

 

『まぁ、脱がし合いだったらラウラちゃんの方が圧倒的に有利だけど…………むしろそっち方向に持って行ったら、その瞬間ツッコミ負けするんじゃない?』

『私的には、そっちの方が面白いで~す』

『一応、建前的には自主トレーニングで、決してエンタメじゃないんだけどね、このトーナメント…………』

 

 そんな感じで、試合が始まった。

 

***

 

 二人の拳が衝突する度に、まるで花火が打ち上げられるときのような爆音が響き渡り、会場の大気がびりびりと震える。

 もはや、その激突は人間同士の戦闘の領域を遥かに超越していた。

 まさしく、兵器。

 これが、次期代表。

 次代の『人類最強』、その一角を担う化け物の片鱗だった。

 (※水着相撲です)

 

「………………」

 

 そんな二人の激突を、イチカは真剣な表情で見ていた。

 なにせ、セクハラする余地のないガチの戦闘である。普段は鈴音はもちろん、普段はおちゃらけているラウラも今日ばかりは本来持っている力をフルに使っているようだった。

 

「――いつもあのくらい真剣にやっていれば良いんですけどね」

 

 そんなイチカの横に、いつの間にか一人の女性が佇んでいた。

 

「………………虚さん?」

 

 目だけで横を見ると、そこには虚が主人に侍るように楚々としていた。もちろん、イチカは誰かが横に立つような気配は微塵も感じていなかったが…………そもそも、セクハラにご執心とはいえいつものように楯無のもとへ現れてはコキャるような怪物である。イチカが接近を察知できないのもある意味当然だった。

 

「失礼。貴方にとっては、貴重な学友の『本気』でしたね。……貴方と相対している時は常に『本気()()』、という意味ですが」

「はは…………」

 

 イチカは困ったように苦笑するだけだった。

 正直なところ、イチカにとって虚はあまり近い関係性の人間ではない。というか、殆ど『楯無にツッコミをする人』程度の認識しか持ち合わせていないのだ。これが変態だったならイチカは(遺憾ながら)『被捕食者』というポジションを得られるので、そういう前提で動けるが…………虚の場合はイチカに対して非常にニュートラルな立ち位置なので、どう接すればいいのか分からないのだった。

 と思ったところで、イチカは気付く。

 

「……そういえば、虚先輩って他のヤツらみたいにTSがどうこうって言いませんよね」

 

 それはひょっとして、イチカ自身と同じようにTSF趣味を持たない一般人枠なのではないか。イチカはそう思った。そして、そうだとすれば()()()()()()()()()()()()()()を聞いてみたかった。

 

「もし、先輩がTSFに興味のない一般人だったら、その先輩から見て、俺って――――」

「残念ですが」

 

 イチカの言葉を遮るように、虚は静かに言う。

 

「私は、TSFに興味がないわけではありません。……()()()()()ですよ。ラウラさんはTSの中でもNL……つまり『TS娘の精神性が女性化し、男性と結ばれる物語』を好みますが、シャルロットさんはBL……つまり『TS娘が男性の精神性を保ったまま男性と結ばれる物語』を好みます」

 

 虚は解説席で元気に解説している生徒会長を一瞥し、

 

「そして、彼女達は異なる方向性の趣味にも理解は示しますが、だからといってことさら興奮したりはしない。……お嬢様なども、『男女が入れ替わることで始まる物語』を好んでいる為に、イチカさん自身には大した執着は見せていないでしょう? ……簪お嬢様に対する起爆剤としては注視しているようですが」

「ええ、まぁ…………」

「私は、『男性だった人間が死を介して女性に転生する物語』を好んでいるのです」

 

 虚は小さく微笑んで、地面に視線を落とす。

 何か、後ろめたいことを告白しているような声色だ、とイチカは思う。

 戦場では、ラウラが鈴音の左ひじ関節を外そうと組みつき、鈴音の重心移動に気を取られた隙に殴り飛ばされていた。鈴音の挑発的な笑い声が、青空狭しと響き渡る。…………全体的に水着相撲感はなくなっていた。

 

「その反面、私は転生ではないTSFについては、大した関心を持たないのです。嫌いではないしむしろ好きですが、我を失うほどではない。…………『業界』では、そんな私は『にわか』だとか『異端』だとかの誹りを受けますが」

「……い、異端、かぁ…………」

 

 意外だ、とイチカは思う。TS変態紳士淑女は、何だかんだ言って互いの性癖を認め合っているものだとばかり思っていた。いやまぁ代表級の変態達はみんなして自分の性癖にこだわりぬいているので、衝突は絶えないものと思っていたが……何かしらの性癖を異端呼ばわりまでするとは思っていなかった。

 

「仕方のないことです。そもそも転生系は前世の話をしないのが常。TSというのは男女の違いを表現することによって『らしさ』が生じますが、その違いを表現する為の人間関係を捨て去ってしまっている以上、『TSFらしさ』の表現は肉体的な変化の描写に終始しがちです。さらに転生後の物語も描かなければならないとなれば、必然的に比重は少なくなります。時には『女の振りをする』体で話が進むために、最初から女であったような描かれ方をすることもあります。そうした作品に、『TSFらしさ』を求めてやって来た読者が不満を抱くのも仕方がないというもの」

 

 理解を示している虚の言葉だったが、それはとても悲しそうな声色のように聞こえた。

 何か…………イチカはそれが嫌だった。確かに変態達はイチカにとっては迷惑だし、できればそういう性癖は大っぴらにしないでほしいと思う(反応に困るから)。でも、それでも彼女達は気持ちの良い馬鹿だった。主張を認めずにぶつかり合ったり否定することはあっても、誰かの信条を見下すようなことはしていなかったはずだ。

 こうして見下されることを『仕方ない』と諦めるような考えは、どう考えても間違っている。

 

「それでも、私はそんな中にある『TSFの匂い』が好きなんです。……他のものも嫌いなわけではないですが、そのくらいが一番楽しめるんです。他の愛好者から見れば『にわか』で『中途半端』でも………………私は、TSFが好きです。ですので、貴方の問いに純粋な気持ちで答えられはしません」

「そう…………です、か」

 

 毅然とした虚の言葉に、イチカはただ頷くだけだった。

 

「…………自分が『普通の人』から見た時どう見えるか、ですか」

 

 無言になったイチカの横に立ったまま、虚は舌の上で転がすようにその言葉を呟いた。

 先程、イチカが言いかけていた言葉だった。

 

「それはまたどうして、()()()()そんなことが気になったので?」

「…………いや、まぁ、なんていうか……なんとなく?」

「なんとなく…………ですか。まぁ、この世界において『TSFに興味がない』人間というのは、なかなか珍しいものですからね」

 

 頷くように虚が言った途端、イチカの横から虚の『存在感』が薄れていく。

 

「…………お邪魔しました。私は向こうで暴走しだしたお嬢様を始末しなければいけませんので」

 

 言われて、解説席の方に視線を移すと、どこから引っ張り込んできたのか、楯無が簪のことを掴んで解説席の中に引きずり込もうとしており、隣で実況していた本音はその様を絶賛実況中であった。

 …………簪も、あれだけ変態被害に遭っているのに懲りずにイチカにちょっかいをかけているのだから筋金入りだ。

 

「…………というか、え? 始末?」

「では、失礼します」

 

 その言葉を最後に、溶けてなくなるみたいに虚の姿が掻き消える。多分、普通に移動していったのだろうが…………相変わらず、IS学園は素で化け物の巣窟だった。

 

***

 

「まったく……自分から買って出たのですから、せめて自分の役割くらいは果たしてください」

 

 それからややあって。

 虚と楯無は会場の隅の方に二人で移動していた。実況解説の方は一回戦で箒に負けたセシリアの方に移っている。流石に遠距離射撃戦が専門のセシリアに水着相撲は分が悪かったようだ。

 

「それで、接触してみた感想は?」

 

 コキャられた首の調子を確認しながら、楯無は虚に問いかける。虚は頷いて、

 

「少々、危険なのではないかと」

 

 そう、あっさりと答えた。

 

「軽く世間話をしてみたところ、私を『TSF愛好者(クラスタ)』ではないと誤解して、TSした少女についてどう思うか、と問いかけて来ました」

「ああ……なるほど」

「はい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 虚の言葉を受けて、楯無は先程と同じように首に手を当てる。しかしそれは、首の調子を確認する為のものではない。思案する時の彼女の癖のようなものだった。

 ややあって、楯無は手に持った扇子を広げて口元を抑える。その扇子には、『弾君ね?』と書いてあった。

 

「無意識ではあるんでしょうけど、TSした自分に対しておかしな反応を示さない男性――つまり五反田弾君から見て、自分がどう思われているか気にしている、と」

「しかし彼がTSっ()に忌避感を抱いていないことは既に分かっているのでは?」

「それでも、長く付き合っていくにつれて潜在的な嫌悪感が表出するリスクがある。……確証を得ないことには安心できないものよ、乙女心って」

「…………それは、つまり」

「ええ、虚の言う通り、少々――――いえ、大分マズイ兆候かもしれないわね」

 

 はぁ、と嘆息し、楯無は口元を覆っていた扇子を閉じる。

 

「もちろん、今のイチカちゃんは弾君に恋愛感情を持っているわけじゃない。彼の性自認は男だからね。でも、着々と惹かれつつはある。だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()。無意識だけど、ね。…………でも、このまま状況が進めば」

「何かの拍子に自身の『兆候』を理解してしまう」

「そうなればあとは文字通り、大岩が坂を転がるようなものよ。イチカちゃんは自分が弾君に惹かれていることに葛藤するでしょうけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あとは自分がそれを認めるか認めないかの問題になるんだから」

 

 たとえば――――誰それのことが好きかも、という感情があるとして、好き()()と思った時には、既に感情のバイアスは『好き』と思う方向に向かうものだ。あとはその感情を補強する為の材料を、自分の方で勝手に用意してしまう。

 つまり、恋愛感情というのは、よほど冷静にあらゆる材料を整理できる人間でない限り、考えれば考えるだけ深まってしまう性質を持つのだ。

 

「タイムリミットは?」

「分からないわ。でも、長くはないわね」

 

 そう言って、しかし楯無は口元に浮かんだ不敵な笑みを隠すように、もう一度扇子を広げる。そこには、『ただし』という言葉が浮かび上がっていた。

 そこから言葉を続けて、

 

「延ばすことは、できる」


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