【完結】どうしてこうならなかったストラトス 作:家葉 テイク
そしてそんな感じでトーナメントが終わったその日の夕方――――。
イチカは、今までで最大の問題に直面していた。
「…………どうしよう、鈴」
イチカは当惑しながら、鈴音に縋りつくように言う。
二人は現在、イチカの私室にいる。変態一同は此処にはいない。つまり、
「あー…………はいはい」
対する鈴音は、なんか全体的に力の抜けた感じになっていた。
「なんでそんな適当なんだよ! 俺今めっちゃ困ってるんだぞ!?」
「困ってるっつっても、お風呂に入るのに身体が女の子ってだけでしょーが」
そう言って、鈴音は詰め寄るように顔を近づけていたイチカのおでこを人差し指でピンと突く。思わずのけぞったイチカは、両手で額を抑えながらむっとした。
「
なお、イチカがこんなに焦っているのは、当然ながら今日が女の子の状態で迎えるお風呂初回だからだ。
…………これまでの経過イベント的にもう一日以上経ってない? と思うかもしれないが、朝五時ごろに起きて女体化に気付き、その後会議してそのまま『レゾナント』に直行、戻って来て水着相撲というハードスケジュールなので時間的矛盾は存在しないのだった。
「じゃあお風呂入らなければ?」
「死んじゃう! 色んな意味でダメになっちゃう!」
思い切り汗をかいたので、入らないと匂い的にもお風呂好き的にも致命傷を負ってしまう。
「はぁ…………じゃあ我慢しなさいよ。どうせ入らないといけないんだから」
鈴音はそう言って、ひらひらと手を振る。
実際のところ、鈴音はあまり機嫌がよくない。というのも……原因は今日の水着相撲にあった。トーナメントのイチカ以外のエントリー人数は六人。つまり、二回戦わないと決勝に行けない山が一つあるということになる。
鈴音は運悪く二人と戦わないと決勝に行けない山だった為、消耗した状態でイチカと激突した。その上イチカは暴走しているせいで常に零落白夜が発動しており、ISの補助機能を前提としているハイレベル水着相撲において鈴音は素の怪力だけで戦わねばならず…………。
相撲というルールもあって、イチカに押し出しを喰らって敗北していたのだった。
もっとも、イチカはそんな条件をきちんと把握するだけの頭はあるのでそれを自分の勝利と思っておらず、鈴音の方はそれだけのハンデがあってもイチカに勝てなければ面目が立たないと思っていた為、誰も勝者がいない雰囲気になっているのだが。
…………そんな雰囲気の中でも誰一人腐らず『もっと上を目指さなければ』という流れになっているあたりに、束の殺人的な企画力が潜んでいる気がしないでもない鈴音だったが。
ともあれ、いくら鈴音の機嫌がよろしくなかろうと、イチカには退けない事情というものがある。それが――、
「だから鈴に助けてほしいんだ! 俺に体の洗い方とか教えてくれ!」
「はぁ!?!?!?」
思わず目を剥いた鈴音に、イチカはもじもじと恥ずかしそうに顔を赤らめながら続ける。
「だってさ……女の子の身体をどう洗えばいいのかなんて分かんないし……じっくり見ながらとか多分俺死ぬし…………他に頼めるようなヤツなんていないしさ…………」
「う、でも、だって…………」
イチカに体の洗い方を教える――――それ自体は、いいとしよう。だが、それを実際にするとなると、大きな大きな問題が生まれる。
そう。
電話で教えるとかでない限り、洗い方を教える場合、鈴音もその場に一緒にいて、文字通り手取り足取り教えることになるからだ。そして、風呂場という水気の多い環境で制服だのを着ることはできない。全裸は論外としても、バスタオルか水着…………どちらにせよ、殆ど『裸のふれあい』と言っても良い装備だ。
イチカは少女だが…………内面は男であり、鈴音の想い人である。
そんな人物と一緒に、お風呂? ……ちょっと段階をスッ飛ばし過ぎじゃないか? もうちょっとこう、そこに来るまでに水着を見たり着替えを見たりして露出度のレベルを調整すべきではないか? ……いや、その前に絆創膏を挟んだが、アレは正気じゃなかったのでノーカンだ。
わりと
だが…………。
(ここでイチカの申し出を断ったりすれば、確実にこの話は変態どもに漏れる……!)
ひとまず鈴音の恋路を応援する方向な変態集団だが、それは別に不干渉を掲げたというわけではない。まして鈴音の方から『イチカの身体を洗う』という特等席を放棄したりすれば、その瞬間変態達は与えられたチケットを奪い合って骨肉の争いを繰り広げることに違いない。もちろん、鈴音はそんな展開を許容できない。
となれば、選択肢は一つしかないのだが…………。
(でも、でも、一緒にお風呂なんてそんなこと……! 裸を見られちゃうのよ!? いや、それは水着を着て誤魔化すとして、洗い方を教えるってことは、イチカの裸をじっくり見るってことで…………女の子の身体だけども、女の子の身体だけども!! あたしにはそんな趣味はないけども!!!!)
そこで、鈴音の羞恥心が行く手を阻む。
だが………………。
(……いや。ここで諦めてたら、いつまで経っても前に進めないわよ。お風呂に入るくらい、何よ……! あたしは将来、イチカとの間に一二人の子供を作るのよ…………!!!!)
黄金のごとき気高い決意(?)を目に灯した鈴音は、ついに腹をくくった。……腹のくくり方が色々と飛躍している気がしないでもないが、ある意味鈴音らしい発想なのかもしれない。要求のレベルが既に肝っ玉母ちゃんか王族の領域にあるのだ。
「――――分かったわ!!」
ダン! と、壁に拳を叩きつけて、鈴音は言う。そのあまりの轟音に、イチカはびくんと飛び跳ねるが、鈴音は気にせずにさらに続けた。
「ちょっ、鈴、声……」
「あんたの『はじめてのお風呂』……あたしが責任もって見てやろうじゃない!!」
清々しい程の断言だった。
ちょっと全校に声が聞こえちゃうんじゃない? と思うくらいの叫び声だったが……、
「心配しないの。あたしには『龍砲』があるのを忘れたの? 空間に圧力をかければ防音なんて余裕なんだから」
「お、おう…………」
なんか能力バトルモノみたいなことを言い出した鈴音はさておき、とりあえず盗聴の心配はない……ということだった。
ともあれ、そういうことならイチカとしては安心である。
「えっと、よろしく頼むな、鈴」
安心したのか、肩の力を抜いてにっこりと微笑むイチカ。
男の状態であれば、きっとそれはただの人懐こい笑みで、鈴音のことを悩殺するイケメンスマイルだったのだろうが…………。
「え、ええ。任しときなさい。このくらいお安い御用よ」
残念ながら、今の鈴音にとっては『放っておけない女友達』という印象以外の何物でもなかった。
***
イチカの入浴は、慎重を期して彼女の自室で行われることになった。
学生浴場の利用が解禁となってからは自室での入浴はしていなかったイチカだったが、流石にセキュリティ面で自室以外の使用は憚られたのであった。
「……………………えっと」
「何でこの土壇場で恥ずかしがってるのよ、あんたは」
そして、そのイチカは鈴音を目の前にして仄かに頬を赤らめていた。
鈴音の格好は、いつものような制服ではない。昼間に見せた、オレンジ色のツーピース水着だ。身体を洗うにしても、必ずしも全裸でなくてはならないわけではない。むしろ、洗い方を教えるだけなら水着でも良いわけで、鈴音の選択は当然といえば当然だった。
…………ただ、イチカがそれで全く気にしなくなるかといえば、それはそうでもないのだが。
「だ、だってさ。水着だからって女の子と一緒にお風呂だぜ? 恥ずかしくならない方がおかしいだろ…………」
「………………、……そう、ね。そうよね。恥ずかしくなるものよね」
その言葉に、鈴音は確認するような調子で頷くだけだった。その声に少しだけ、上擦ったような喜色があるのは――朴念仁であるイチカには気付けなかったが。
「一応言っておくけど、あたしだって恥ずかしいのよ。だからちゃっちゃと済ませちゃいましょ。身体を洗うことなんて、ぶっちゃけ些事よ、些事。あんたにはそれ以上に覚えてもらわないといけないことがあるんだから」
そう言って、鈴音は風呂場に続くスモークガラスが張られたドアを開ける。
「覚えてもらわないといけないこと?」
首を傾げるイチカに、鈴音は顔だけ振り向いて答えた。
「お肌と、髪のケアよ」
――――鈴音による、『女の子』の授業。
その第二幕が、今始まろうとしていた。
***
「まず、頭を洗うわよ。あんたは頭を洗う時、いつもどうしてる?」
一人用としては破格の広さ(一〇人入っても窮屈じゃない)の風呂場に、鈴音の声が響く。
清潔そうな白さのバスチェアに腰掛けたイチカの後ろには、水着姿の鈴音が立っていた。ちなみに彼女達の目の前にある大きな姿見には、体の前面をがっちりとバスタオルで防御したイチカの姿が映っている。流石にまだ全裸でお風呂に挑めるほどのレベルは持っていなかったようだ。
「ええと……まずシャワーで全身を流して、そのあとシャンプーつけてわしゃわしゃーっと洗って、ぬめりがとれるまで水でもう一度流して終わり」
「それをその身体でやってみなさい。その髪の毛全部あたしがむしり取ってやるわ」
「ひいっ!?」
突然のハゲ化警告に、イチカの身体が大きく震える。
「…………というのは流石に冗談だけど、女の身体でそれをやるのはNGよ。理由は分かるかしら?」
「……………………………………オシャレじゃないから?」
「あんたがあたしの言ってることをどう受け止めてるのかが良く分かったわ……」
鈴音は頭が痛そうに額に手をやり、
「そうじゃなくて。男の時と今のあんたじゃ、根本的に髪質が違うでしょうが」
「え? …………あ、そういえば」
そう言いながら、イチカは自分の髪を指で
「よく知ってるな、俺でも気付かなかったのに」
「まっ…………まぁ、伊達に近くにいないってことよ。当人よりも近くにいる人の方が、顔を見る機会は多いんだしね」
鏡の中から鈴音の方を見るイチカの視線から逃れるように顔を逸らし、鈴音は少し照れくさそうに言い添えた。
気を取り直して、
「まず、髪を水でぬらす『前』にやることがあるのよ」
「前? ……何もできなくないか? シャンプー二度漬けとかするのか?」
「串カツじゃあるまいししないわよ! あと二度漬けはマナーじゃなくてルール違反だからね!」
カッ! と目を光らせたあと、鈴音はこほんと咳払いをする。
「……ったく。そうじゃなくて、水でぬらす前にブラシで髪を
「おう。分かったけど……」
「あ! それじゃ髪が傷んじゃうわ! もっとゆっくりやさしく梳かすのよ」
徐にブラシを頭にやったイチカの手首をがっちりと掴み、鈴音はその手を動かしていく。後頭部から全体へ流れるように、ゆっくりと絡まった髪をほぐすようにブラッシングしていくのがコツらしい。
「今のあんたの髪質は大分繊細なんだから、そうやって乱暴に扱っていたらすぐボロボロになっちゃうわよ。髪ってのは絡まったまま引っ張るだけでもダメージを受けるもんなんだから、こうやって少しでもダメージを和らげてやるの」
「はー…………なるほどな」
イチカはぼんやりと頷きながら、髪を梳く手を止めて次の鈴音の指示を待つ。鏡越しに目が合った鈴音は、少し照れくさそうに視線を逸らしながらも、
「次は髪を軽くすすぐわよ。…………思いっきり熱いお湯じゃなくて、ぬるめのお湯でね」
「オーケーオーケー」
言いながら、イチカはシャワーの根元にある温度調節用のメモリを三七度くらいに合わせる。そしてそのまま、頭にお湯をかけた。
「よし、これでオーケー」
「ちょっとちょっと待ちなさい」
さっと水をくぐらせたイチカはそのままシャンプーを出そうと手を伸ばすが、その手を鈴音がガッシリ掴む。まるで万力でとらえられたようにピクリとも動かない右手に、イチカは頬をひきつらせながらも鏡の中の鈴音を見た。
鈴音の方も、鏡の中のイチカと視線を合わせて首を振る。
「それじゃダメ。軽くって言ったけど、それはお湯の量を軽くってことじゃないの。髪の根本から毛先までちゃんとすすがないと。『濡らす』んじゃなくて『すすぐ』のよ」
「えぇ~……面倒臭いなあ」
「文句言ってんじゃないわよ! ここですすがなかったらシャンプーの効果は半減どころの話じゃないわよ!」
「はぁい」
言いながら、イチカは渋々シャワー片手に左手で髪を揉むようにやさしく洗っていく。が、慣れていないからかどことなくぎこちない。
「ああもう、そうじゃないわよ。こうやんの」
見かねた鈴音が、シャワーをとって代わりにイチカの髪を洗い出す。流石に女子歴=年齢(当然だが)なだけに、その手つきは実に慣れていた。
イチカの方も、
「どう?」
「ん…………んぅ…………」
と、目をつむりながらも気持ちよさげにしていた。…………たまに漏れる吐息が実に可愛らしいことにツッコミを入れてくれる変態は、この場にはいない。
「こうやって、このくらいの力加減で髪を揉みながらお湯をかけていけば、それだけで髪の汚れは大分落ちるからね。んで、次はシャンプーよ」
シャワーヘッドを戻した鈴音は、そう言って目の前にあるシャンプーを指差す。
「さてここで問題。シャンプーを使う量はどのくらい?」
「え? ワンプッシュ」
「違ァァあああああうッッ!!!!」
「ひっすみません!」
まるで白亜紀の肉食恐竜かと思うほどの咆哮に、イチカは思わず身を縮こまらせる。極めてシンプルな弱肉強食の生態系ピラミッドがここに成立していた。
「いい? 髪を洗うのは押すか押さないか、1か0かなんて大雑把でデジタルな問題じゃないの。シャンプーの量はロングなら五〇〇円玉二枚分、ミディアムなら五〇〇円玉一枚分、ショートなら一〇円玉一枚分よ。覚えておきなさい。あんたはミディアムだから、大体五〇〇円玉一枚分くらいのシャンプーを使えばいいの。伸ばす時は――――いや、あんたに伸ばす時なんか訪れないからこれは別にいいわね」
後半は自分に言い聞かせるようにして、鈴音は早口でそこまで言い切った。
「もちろん製品によっては泡立ち具合とかpH値とかで話が変わってくるから一概には言えないけど、これが基本にして極致よ。覚えておきなさい。ちなみにあたしのおすすめは頭皮と同じ弱酸性ね」
「お、オーケー」
上目遣いで鈴音を見ながら頷いたイチカは、言われた通り五〇〇円玉一枚分のシャンプーを掌に出す。そのまま自分の判断で動かず鈴音の指示を待ち始めるあたり、そろそろイチカも自分の持っている常識が女の子基準では全部おかしいということに気付き始めているのかもしれない。
…………イチカも別に男の中ではガサツな方ではないのだが、そのくらい『可愛い女の子』を維持する為には必要な工程はたくさんあるということなのだ。知りたくなかった美少女の裏側である。
「次は――――どうすると思う?」
「…………とりあえず、最初にシャンプーを泡立たせてみる?」
「……………………」
自信なさげに首をかしげたイチカに、鈴音は胡乱げなまなざしを送っていたが――、
「……正解よ! あんたも分かってきたじゃない!」
「あ、あははは…………」
『適当にオシャレっぽくなりそうな選択肢を選んだだけなんだけどな……』と考えるイチカである。
「考え方はさっきまでと同じ。髪や頭皮へのダメージを抑えるためには、シャンプーを髪につけてわしゃわしゃするのはご法度ってことね。あと、それだとシャンプーの行き届き方にムラが出ちゃうし」
「あー、なるほど」
つまり、女の子のシャンプーというのは『いかに髪にダメージを与えないようにするか』が肝ということなのかもしれない。髪は女の命とはよく言ったものだ、とイチカは思う。
「鈴の髪は、俺のと違って長いから洗うの大変だろうな……」
「ん、まぁ、そりゃ、ね……」
軽くぼやいた程度のつもりだったが、鈴音は目に見えて照れて、
「…………あんたに、綺麗って言ってもらったから」
と、小さく呟いた。
「え……?」
「じっ、自信がついたって話よ! あんたに髪が綺麗って言ってもらったから、それで『なんだあたしって意外とイケるんじゃん』ってね!! だったら少しは自分磨きにも力が入るのが女ってもんよ!」
「そ、そうなのか……」
鈴音のテンションの乱高下に若干ついていけなくなりながらも、イチカは頷く。殆ど語るに落ちていたが、案の定気づけないイチカはやっぱり朴念仁である。
「んで! 次は頭のてっぺんから毛先まで順に、なじませるように軽く洗うのよ。特に毛先は傷みやすいから、とにかくやさしく、こすらないようにね」
「はーい」
切り替えるような鈴音の指示通りに、イチカは髪に泡をなじませていく。
このあたりは、そこまで難しいことではない。イチカとしても『シャンプーは髪の毛を大事に』という女の子の髪の洗い方の極意にたどり着いたため、このへんの指示はなんとなく予想できていた。
「あんた、要領いいわよねぇ」
そんな様子を見ながら、鈴音はぼんやりと呟く。まぁ、ある程度の要領のよさがなければ入学してから三か月で、疲労しているうえにISの補助もろくになく、相撲というルールの上でとはいえ次期代表に土をつけることなどできなかっただろう。
…………ハンデありすぎじゃないか、ということなかれ。ISの補助がなくても、次期代表レベルになると素で熊並みの膂力を誇るのだから。相撲だったとしても下手をすれば死にかねない。イチカはすでに手負いの熊なら素手で倒せるレベルなのだ――といえば、凄さの一端が分かるだろう。
「で、それが終わったら泡を落とすわけだな」
「ノウッ!!!!!!」
「ひっ?」
余裕ぶったイチカに、鈴音の鋭い否定が入る。
「むしろこっからが本番よ。髪についた汚れなんか氷山の一角もいいところ。頭の汚れのラスボスは、頭皮についた皮脂汚れなんだから!」
「あー……あー! シャンプーのCMで見たことある!」
「見たことあるなら察しなさいよ」
なんてことを言いつつ、
「髪全体に泡がなじんだら、今度は頭皮のマッサージをして汚れを落としつつツボを刺激して血行を良くするの。最初はあたしがやるから、体で覚えなさいね」
「おう」
頷いたイチカの耳元に、鈴音のほっそりとした指先が添えられる。そして――
「あだだだだだ!?!?!?」
そのほっそりとした指先からは信じられない膂力で、イチカの頭が万力のように締め付けられる。イチカは一瞬にして金輪で頭を締め付けられる孫悟空の気持ちを理解した。
「あっ、ごめん。力入れすぎたわ」
「まったく、加減してくれよ……」
気を取り直して、
「マッサージの方向は、こうやって耳元から頭のてっぺんまで、グーッと頭皮を引っ張るように持っていくの。これを何度か繰り返して……」
「んぁ、んぅ…………きもちい……」
「………………、……で、こう」
「あいだだだだだだだ!?!?!? なんでだよ! 加減しろよ!」
とろーりと気持ちよさそうにとろけていた眼が、激痛によって一気にシャキッと引き締められる。
「このツボは百会って言って、頭皮の血行がよくなって頭がすっきりするの。快眠にも効果的らしいから」
「うう…………せっかく快眠できそうな気分だったのに、眠気全部吹っ飛んだよ…………」
「当然でしょ、うとうとしてて話聞いてなかったら困るもの」
なぜか若干機嫌が悪くなりつつも、鈴音はイチカの頭から手を離して、
「最後はもう一度髪の中間から毛先を洗って、終わりよ」
「分かった」
言われたイチカは、先ほど鈴音に教えられたように髪を揉むようにしてやさしく洗っていく。
それが大体終わったところで、
「そしたら、あとはさっきと同じようにぬるいお湯で全体をすすぐわよ。洗い残しがないように気を付けてね」
「あーい」
やっと流せる、とばかりにイチカは自分の髪に水を当てて泡を落としていく。ちなみにここまで、普段のイチカなら三回は頭を洗えるくらいの時間がかかっている。女のアレコレに時間がかかるというのは、こういうことがあるからなのだなぁ……とイチカはしみじみ思っていた。
「んでー……この次はリンスだろ? 流石に分かるぜ俺も。いつもはリンスインシャンプーを使ってたけどさー」
「ちょっと待って、待ちなさい。何してんの?」
しっかり髪や頭皮についた泡を流したイチカは、そのままリンスに手を伸ばそうとして――鈴音に手を止められる。
「何って、リンスだけど」
「おバカ! そんな髪が濡れてる状態でリンスつけても、水気が邪魔で殆ど無駄になるわよ! ちゃんと髪を絞って水気をとらないと!」
「でも……大丈夫か? 髪が傷まない?」
「だから傷まないように軽く絞るの。雑巾みたいなのじゃなくて、こう、押す感じで」
「こ、こう……?」
「そうそう。…………やっぱあんた要領いいわね」
言われた通り、イチカは髪全体を軽く絞っていく。絞り出された水分が、イチカの前腕を通って肘のあたりからポツポツと垂れていく。
変態あたりなら、『イチカ汁じゃー』などと言って集めてそうだな……と思い、鈴音は思わず頭を振った。そういう発想をするのは、毒されている証拠だ。
「軽くでいいからね。で、それが終わったらリンスよ。両手に軽く伸ばせるくらい出せばいいから」
「オッケー」
「リンスをなじませるときは、毛先からやるのよ。地肌にはつけないように気を付けてね。フケとかかゆみの原因になるから」
「リンス、意外とヤバいんだな……」
地肌につけたらフケとかゆみ、ということだけ覚えて、イチカは戦々恐々とする。実際にはついたからって確実にフケやらかゆみやらが発生するというわけではないのだが、まぁイチカに対しては大雑把に教えたほうが効果があるだろう――という鈴音の判断だった。
「全部終わった?じゃあ、次はさっさと洗い流しちゃって。頭のてっぺんからじゃーっと、手ぐしとかも使ってね。終わったら水気を切って、毛先を整えて終わり」
「ふぅ…………やっと頭も終わりか…………」
あらかたのリンスを洗い流し、水気を切ったイチカはようやく肩の力を抜く。…………いや、まだ半分しか終わっていないのだが、まぁひとまず終わったといってもいいだろう。
しかし――――終わったのは、まだ『半分』だ。
つまり、もう半分は依然として残っている。
そう、身体だ。
ちなみにイチカはここまで身体の全面をボディタオルで覆い隠しながら洗っていた。そのため水を吸ったボディタオルはイチカの身体に張り付き、非常に艶めかしい感じになっている。
「………………………………………………………………」
「………………………………………………………………」
二人の間に、重い沈黙が横たわる。
ぶんぶんという虫の羽音が、いやに耳障りな音を立てる。
…………虫?
「は? いや待ちなさいよ。ここはIS学園よ? 室内に虫が入り込めるわけないじゃない!」
現実逃避の意味もあるのだろうが、違和感に目ざとく気づいた鈴音はISのハイパーセンサーを用いて羽音の源を注視する。
そこには…………、
『たばねんたばねんたばねんたばねん』
……羽虫ではなく『たばねん』という音を連呼することでその音波により飛行しているという意味不明な飛行方式の人参型ナノマシンがあった。
「あッ、あの女ァァァ~~~~~~~ッッ!!!!」
見たところカメラ設備はないようだが――おそらく、音波系で使う技術を統一しているのだろう。そういう無駄な統一性が好きな変人なのだ――この分だと今までの一連のやりとりを盗聴していたのは間違いないだろう。
そもそも、最初からおかしいといえばおかしかったのだ。
あの水着相撲大会を企画したのは、ほかでもない束である。あの束が、望む望まないに拘らず行動の結果がすべて混沌を生み出し、なおかつ当人自身がその性質を喜んで振るっている混沌の権化が、『イチカがいっぱい汗をかいたのでお風呂イベントが誘発されます』…………程度の混乱で収まるようなイベントを企画するか?
そして、その混乱が『鈴音とイチカの間だけで留まる』などという良心的な展開を許容するか?
否。
答えは断じて否、である。
…………だって既に、脱衣所の方から声が聞こえているし。
『鈴さんとイチカさんが詰まったら私たちが乱入してうやむやのうちに身体の洗い方を教えるってことでいいんですわよね?』
『私たちはすでに盗撮とかでバツがついてるから、流石に尻込みしてしまうんだが……』
『大丈夫じゃない? なんだかんだ言ってイチカのためにもなるわけだし』
『そもそも、あの恥ずかしがり屋が自分の手だけでイチカに洗い方を教えるとか無理に決まっているだろう』
『…………「女の子講座」って形にすることで、恥ずかしさを軽減してたみたいだけどね……』
というわけで、すでにフルメンバーが準備完了なのであった。
「あ、あんたら…………!」
わなわなと震える鈴音の前で、バン! と扉が開く。そこには(一応)バスタオル装備の美少女達が勢ぞろいしていた。
「というわけで、基本に立ち返りましょう鈴さん! イチカさんはわたくし達の共有財産。つまりこういうイベントは一緒に楽しむ。OK?」
「その前に、あたしとの
――――そんな感じで、いつも通りドタバタの騒がしい流れになったものの。
一応、身体の洗い方をマスターすることができたことは、付記しておく。
***
その後。
血みどろの浴場戦が終わったイチカの自室で、イチカ&鈴音+変態たちは待機させられていた。ギャーギャーという騒ぎがうるさかったためお説教…………ではなく(いや、たぶんそれもこの後にあるだろうが)、生徒会長の更識楯無による招集があったためだ。
「やぁやぁ、よく集まってくれたわねみんな」
「……ここ、俺の部屋なんですけどね。一応」
全員を集めた楯無は、満足そうにうなずきながら全員を一瞥する。
その口元は、『満員御礼』と書かれた扇で覆われていた。気分はすでに自分が
「で、あたし達を集めた理由は? あたし達このあと千冬さんに絞られないといけないから忙しいんだけど」
「まぁそう言わないで。………………実は、イチカちゃんの女性化について、分かったことがあるのよ」
「それ本当!?」
「マジですか会長!」
ちょっとご機嫌斜めだった鈴音だったが、予想外のセリフにイチカともども前のめりになる。
「……ああ、特効薬を見つけたってわけじゃないわ。むしろ、これは悪いニュースよ。……期待させたようで悪かったわ」
「いえ……早とちりしてすみません……」
「ううん…………」
目に見えて肩を落とす哀れな二人組であった。
それはともかく、
「分かったことというのはね、女体化解除のタイムリミットなの」
「…………タイムリミット?」
「そう。調べて分かったことなんだけどね…………イチカちゃんの女体化は、まだ今の時点では完成していないの」
「……どういうことだ? イチカの身体は、私の目から見てもすでに完全な女性だが……、…………」
その道のスペシャリストである箒が言いかけるが、すぐに意図を理解したのか口をつぐむ。
「外面的にはそうでしょうね。ただ、内面的なことまでは分からないでしょう? …………そう、今も、イチカちゃんの内臓――特に生殖器官は、女性化を進行させているのよ」
「なん、だって…………?」
「そして、女性化の進行が完了したと同時に、変化した生殖器官も正常に機能するようになる。言い換えれば、月経が訪れるようになるのね。そうなったらもう手遅れ。今回分かったのは、それよ」
「………………えっと、つまりどういうことですか?」
楯無のセリフの意味が分からなかったのか――――はたまた分かりたくなかったのか、イチカは首をかしげる。
そんな彼女に対し、楯無はあくまで無情な宣言を突きつける。
「つまりね、イチカちゃん。……キミは、生理が来たらもう男には戻れないの。…………ちなみに、基礎体温から見てイチカちゃんの生理がやってくるのは…………再来週の日曜。つまり、臨海学校の二日目、ということになるわ」
***
「会長」
それから。
イチカの部屋を辞した楯無達は、一旦廊下に集まっていた。
というより、箒に楯無が呼び止められ、それを見ていたほかの面子も足を止めた、というべきだろうか。
「…………何かしら?」
「先ほどの話は、あれは嘘だな?」
「………………、」
無言のままに、楯無は自分の口元を扇子で覆い隠す。普段は本音が書かれている扇子の表面には、今は何も書かれていない。
「篠ノ之をあまり舐めるな。次期代表ではないが、これでも私は篠ノ之束の妹だ。人体の構造くらいなら熟知している。それが、TSっ娘のものならなおさらな」
「…………なるほど、お見通しというわけ」
「お前の意図は分からないがな。なぜ嘘のタイムリミットを教えたりした? しかも二週間後の日曜などと……何の意図がある?」
「私がしたのは、延命作業」
殆ど詰問する勢いの箒に、楯無は肩をすくめて応じた。
「この間の水着相撲。手の空いている虚にイチカちゃんの精神状態を確認させていたの。……結果は想像以上に悪かったわ。今はキミ達の尽力で『気を紛らわせている』けど、無意識に例の少年……弾君の影を追ってる節がある」
「…………!」
「……ああ、勘違いしないでね。イチカちゃんの心が弾君に傾いてるって言っているわけじゃないから。今のイチカちゃんは気づいていないだけでキミにも弾君にも特別な想いを抱えているように見えるもの。ただ、直近にいろいろあったから……意識しやすくなってるってこと。外堀を埋められたのはマズかったわね。弾君の妹さん、なかなかの策士じゃない」
「あんのマセガキ…………!」
鈴音が憎々しく呟くが、それで状況が変わるわけでもない。実際にイチカの心が惹かれているというのであれば、それは蘭のやり方がよかったということだ。
「だから、ちょっと荒療治だけどイチカちゃんには軽めに絶望してもらおうと思ってね」
「…………どういうこと? なんでそこであの宣告に繋がるのよ?」
「だって、男に戻れるか戻れないかって瀬戸際に立たされたら、弾君への思いとかどうとかっていうのは一旦棚上げになって、必死に『戻るための方法』を探すようになるでしょう?」
「…………、」
「イチカちゃんの性格なら、早々に諦めて絶望して弾君に靡く~……なんて展開にはならなそうだし。こうすれば少なくとも臨海学校までは持つでしょ?」
そこまで言って、楯無は一度扇子を振るう。もう一度広げた扇子には、『それに!』という文字がでかでかと書かれていた。
「…………たぶん、このままいけばイチカちゃんは臨海学校の前に『気づく』。鈴ちゃん、キミへの想いに気づく前にね」
もちろん――――ISは想いの力で動くものだ。イチカの中に無意識であるにせよ『女性でいたい』と思う気持ちがあるせいで女性化が解除されてくれないのなら、タイムリミットの思い込みが本当のタイムリミットになるリスクは存在する。
だが、だとしても恋愛感情を意識することによるタイムリミットは、おそらく仮のタイムリミットよりもずっと早い。
「設定したタイムリミットは、臨海学校二日目」
口元を隠していた扇子をぴっと閉じた楯無は、閉じた扇子をそのまま鈴音に突きつける。
「それまでに、キミが決着をつけなさい。これが、生徒会長である私にできる、最大限の協力よ」