【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第三〇話「織斑イチカの日常」

 織斑イチカの朝は、やはり早い。

 

 朝、日が上る前に目を覚ましたイチカは、まずISの機能を使って体温を測る。

 楯無も言っていたが、朝目を覚ました後、身体を動かす前の体温というのを『基礎体温』と言い、女性の基礎体温は排卵前と後で〇・三~〇・五度ほどの体温差が生じる。この体温差の周期によって生理がいつ来るかといったことが分かるのだ。

 …………本来は一度一周してみないと周期は分からないのだが、そこはIS。操縦者保護機能などによるデータも勘案して周期の『予測』ができてしまうのである。

 なお、これらのデータは束の手によって改竄され、臨海学校の二日目に排卵日が来るように調整されている。実は生理はもうちょっと後なのだが、イベントに合わせることで鈴音やイチカ達を焦らせる意味合いもあったりする。

 

 そうして基礎体温を記録した後は、お風呂に入る。男だった頃はランニングの前と後にシャワーを軽く浴びるくらいの習慣だったが、今は身嗜みと併せて一緒にしっかり済ませるようになっていた。女の子として生活するようになってから――というのもあるが、夏が近づいてきているのもあり、寝ている間にかいた汗の匂いが気になるようになったせいだ。

 

(俺が入学してから、もう三か月かぁ……)

 

 思えば四月から五月まで一か月間ほどは殆ど女として過ごしていたし、イチカが女体化してから戻れなくなってそろそろ二週間が経過する。そう考えると、入学してから殆ど半分の時間を女として過ごして来たということになる。

 入学当初は女体化を回避する為に『在学中絶対ISに乗らない』とまで宣言し、なおかつIS学園から逃げようとさえしたにも拘わらず、今はわりと女の子として過ごすことに抵抗感をおぼえていなかった。

 

(慣れか……慣れって怖いなぁ…………)

 

 そんなことを内心で言いながら、イチカはシャワーの蛇口をひねる。ひんやりと冷たい水が、雨のようにイチカの身体に降り注ぐ。寝ている間にかいていた汗が洗い流される感覚に、イチカは目を細めた。

 シャワーの水を止めると、イチカはスポンジを泡立たせて全身を撫でるようにして洗っていく。一糸纏わぬ――いや、薄く泡のみを纏った裸体が姿見に映し出されるが、そこにイチカの動揺は存在しない。…………もちろん目は完璧に姿見から逸らされているし、絶対にそちらの方を見ようとはしないが、少なくとも身体を洗うにも四苦八苦、というほどの動揺はなかった。

 慣れ。

 そう、これも慣れと言えば慣れだ。だが、そこにはもちろん『慣れる前』があり、一騒動あったことは言うまでもないだろう。

 イチカとしては、あまり思い出したくないカテゴリに入る記憶だが。

 

 思い出したくない記憶と言えば、その後の楯無による絶望の宣告もそうだったか。

 あれは、イチカにとっては余命宣告にも等しい衝撃を与えた。何せ、修学旅行の二日目までいったら男に戻れなくなる、とまで言われてしまったのだ。流石のイチカもビビった。

 なんだかんだ言ってイチカも今までの騒動のように、ちょっと気が抜けてきていたのは否めない。そこにきての宣告だから、イチカの緩んできた気持ちを引き締めるには十分な出来事だった。

 …………そう、イチカの方だが、実は特に堪えていたりはしていなかった。

 焦ってはいるが、絶望はしていない。『男らしさを磨く』という目標は定まっているのだから、それをしっかりとこなすだけだ、と思っているのである。良くも悪くも一度こうと決めたら曲げない性格が幸いしていた。

 

 一通り教えられたとおりに身体を洗い終えると、しっかりとタオルで水気をとってドライヤーで髪を乾かした後、化粧に入る。最低限のスキンケアだのしか教えてもらっていないが、やらないと鈴音が怒るのでしっかりとやらなくてはならないところだ。

 そうして一通りの身嗜みが終わった後、イチカはジャージに着替える。女性化解除ができなくなったせいで前のものはサイズが合わなくなったので、女性用のかわいらしいデザインのジャージだ。

 近頃のイチカは、トレーニングの内容も大幅に変化した。

 女の姿だが、ISによるサポートが機能している以上身体能力は数倍以上に跳ね上がっている。なので単にランニングだけでなく校舎の上を飛び跳ねるように動き回っていた。立体的な移動の方がISの慣れを養うことができる為だ。

 既に軽く人間を超えているが、突然できるようになったわけではなく、イチカ的には今までの訓練の延長線上なので自分がどこまで人間離れしているかについては自覚がない――が、一般人の弾あたりならなんとなく遠い目になるだろう。

 だが、一般人の範疇を超えたことで初めて見えるものもある。

 たとえば――――級友の努力の跡とか。

 

「よ、セシリアか」

 

 校舎の上を飛び跳ねていると、その一角にセシリアが佇んでいるのを発見した。

 セシリアは扇情的なネグリジェ姿のまま手で指鉄砲を作っている。

 

「あら、イチカさんおはようございます。精が出ますわ――――」

 

 その、指の先から、

 

「――――ねッ!!」

 

 ゴォ! と、レーザーが放たれる。BTレーザーであるためか、白熱の光条はセシリアの指先の向きに応じてその流れを変え、それから急加速して雲に風穴を空ける。

 

「…………千冬姉みたいなことしてるな」

 

 呆れたようにつぶやくイチカ。

 この間の鈴音の圧力防音もそうだが、級友たちの成長速度がさりげなく速すぎる。

 

「そのミス千冬からやり方を教わりましたの。…………もっとも、ISなしで行っているミス千冬と違い、わたくしはISを起動だけしてサポートシステムのみ利用する形ですが」

 

 恥じ入るように肩を竦めるセシリアだが、イチカ的にはどこに恥ずかしがる要素があるのかさっぱりである。

 そんなイチカに、セシリアはにっこりと笑って、

 

「他の次期代表もISなしで能力を使うメカニズムは模索しておりますのよ。それが貴方を戻す方策に繋がるかもしれませんから」

「…………ありがとう」

 

 そう、イチカは照れ臭そうに言った。

 彼女がそこまで絶望していないのには、こういった部分があるのも大きい。頑張っているのは、自分だけではない。そう思えるからこそ、イチカもひた向きに頑張れるのだ。

 

「…………と・は・い・え、流石に慣れない方式でBT制御を行うのは、少々生身の演算機能に負荷がかかりすぎますわね……」

 

 そう言って、セシリアはわざとらしく頭に手を当ててよろめく。どう考えても演技だったが、直前のやりとりでちょっといい雰囲気になっていたイチカは気づかないままよろめいたセシリアを抱き留める。

 

「大丈夫か、セシリア。あんまり無理しないでくれよ、助けてくれるのはうれしいけど、お前がそれで身体を壊してたら何の意味もないんだから」

「ああ…………イチカさん…………もったいないお言葉ですわぁ……」

 

 完全に目がハートになっているセシリア@今回は誘い受けで頑張りますわは、そのままイチカの胸に顔をうずめる。近くに蛮族はいない為、セシリアは今こそとばかりにぐりぐりと顔をイチカの胸元にこすりつける。

 

「ちょっ……セシリア、くすぐったいって、もう良いだろ離れ……ハッ!? いつの間にか腕ごと抱きしめられてて身動きが取れなくなってる!」

 

 見ると、セシリアはイチカの腕ごと抱きしめるように腕を回した上で胸に顔を埋めていたのだった。イチカもこの体勢からブレイクするほどの膂力は持ち合わせていない。そのままセシリアは自らの独壇場となった空間でにんまりと邪悪な笑みを浮かべる。

 

「ぐふふふ……甘いですわ、甘いですわよ、甘いですわねイチカさん! 直接的なセクハラには慣れたようですが、まだまだ誘い受けには慣れていないご様子! こうやって弱い一面を見せることで逆にイチカさんの隙を生み出していたのですわ!」

「(いや、そのわりにはわりと本気で疲れている気がするんだけど……照れ隠し?)」

「おおっと手が滑ってジャージの中にーッ!?」

「わー馬鹿馬鹿やめろ!!」

 

「あんたは朝っぱらから何してんのよ―――――ッ!!」

 

 照れ隠し(なのか?)にセシリアが直接ぱいタッチを敢行しようとした瞬間、イチカの身体が不自然に歪み、直後にセシリアがブッ飛ばされる。

 …………言うまでもない。鈴音の龍砲だ。

 どうやらイチカの身体の薄皮一枚を覆うようにして防護膜を展開し、それに接触したセシリアにのみ衝撃をぶつけるという意味の分からない境地に到達した応用を発揮したようだ。

 

「ば、馬鹿な鈴さん、貴女は普段ここでトレーニングをしている人物では……」

「嫌な予感がしたから来てみたのよ! 案の定来てみて正解だったわ!」

「なんかもうこの人別種のチートと化してますわ!?」

 

 吹っ飛んだセシリアは、そのまま空中でなんか良く分からない体操の技みたいな回転をキメて、隣の校舎の屋上に着地する。

 

「いきなり何をしますの! 危ないではありませんの! わたくしの身体が、ではなく、絵面的に!」

 

 セシリアはネグリジェなのでちょっとした拍子にポロってしまいそうなのだった。

 

「知らないわよ! っていうかあんたがそんな格好のままで歩いてるからいけないのよ! ジャージを着てるあたしやイチカを見習いなさい!」

「お黙りなさい抉れ胸!! 背に胸が代えられる貴女と違って、英国ではこれがスタンダードなのですわ!」

「背に腹は代えられないって言葉の意味、体感させてあげましょうか?」

 

 そんなこんなで、今日もIS学園名物セシリアのお手玉が開始される。

 ちなみにセシリアのお手玉とは、全部が終了すると、セシリアがほんとにお手玉みたいに丸く収まっているのが特徴の名物である。

 

***

 

 そんな賑やかなIS学園であるが、いつもいがみ合いが勃発しているわけではない。

 特に、変態達のTS議論はともすれば銃火が飛び交う血なまぐさい様相を呈しかねないが、時にはそうではないこともある。

 その日の朝は、まさにそんな『平和な一幕』を象徴する出来事だった。

 

「このアニメ」

 

 食事をさっさと(五秒で)終わらせたラウラは、懐からタブレット端末を取り出す。

 画面の中には、こけしみたいなデフォルメされた少女と白髪の女顔狐耳青年、背広の黒髪青年、和服の飄々としたおっさんが不敵な笑みを浮かべて佇んでいる。

 

「…………この白髪の狐耳青年が女体化する回があると、風の噂で聞いたのだが…………『該当』か?」

 

『該当』。

 それはすなわち、TSF要素を主として構成されているということである。

 そんなラウラの問いかけに答えたのは、ラウラの横で食事をとっているシャルロットだった。

 

「ああ、それね。僕はリアタイで見てたよ。それなら狐耳の子がTSする回は単体だから該当ってほどじゃないけど、こっちの黒犬の子は可逆で、けっこう女性体の出番も多いよ。あと、何と言ってもやっぱり問題の回だね……あそこの為だけに全話見る価値があると言っても過言ではないね」

「あ、そのアニメはわたくしもちょっと見てましたわ。黒犬の子がTSした後、こけしみたいな子に絡む時のアレが実にすばらっ! でしたわ!」

 

 シャルロットの紹介に、先程お手玉状態から復帰したばかりのセシリアが応じる。変態達からは『流石に箱化は業が深すぎるよなぁ……』なんて若干引かれているのは秘密だ。

 ちなみに、初心者の方向けに翻訳すると、『狐耳の子がTSするのは一回だけだからTSメインの作品ではないが、黒犬の子は男女の性別が入れ替わる設定で、女性の姿での出番もそこそこある』とシャルは言っていたりする。

 

「ふむ…………サブキャラTSか…………一応買っておこう。問題の回とやらも気になるしな……」

 

 言いながら、ラウラは画面を操作する。画面いっぱいに表示されていた画像は通販サイトの画像を拡大表示していたものだったらしく、ラウラはそのままそのアニメのBDをポチった。流石に軍人だけあって、BD全巻一気買いくらいは出費の内にも入らないらしい。

 そんなラウラを横目に、箒は微妙そうな顔をしながら呟く。

 

「…………ラウラ、お前の場合はシャルが紹介している時点で護身発動しておくべきだと思うが…………」

 

 主にBL系TS的な意味で。

 実際、問題の回のオチにはとんでもない爆弾が仕込まれていたりいなかったりなのだが……それについてはのちほどの展開で読者諸氏の目で確かめてもらおう。ちなみに今の話題全部、グーグル推奨な実在のアニメについての話です。

 

 とまぁそんな感じで、彼女達TSFクラスタの間では、話題の作品がTSF『該当』かどうかの情共有が毎日行われている。

 

「ジャンプの保健室マンガの作者が書いたTSFが面白くってさー……」

「それを言ったら子連れオーガマンガの作者が書いたTSFもなかなか……」

「サンデーでそれっぽいマンガが始まったって聞いたけどあれ該当?」

「あー、該当該当。TSFって言ってたし。宣伝RTしたら作者さんにフォローされたよ(実話)」

 

 よく見ると、そこかしこで似たようなやりとりが繰り広げられていた。該当の漫画が出てこようものなら一瞬でクラスタ全体に広がるレベルだ。毎度思うけどあの情報拡散力はなんなんだろうか。本当に。

 

「んで、イチカ、トレーニングの調子はどうなの? 臨海学校はもう今週末だけどさ」

 

 肉まんを頬張りながら、鈴音はイチカの方に水を向ける。

 

「あんまり実感湧かないな……。トレーニングしてるけど、身体が変わってるって感じはないんだよ。まぁでも、女から戻れなくなった時も唐突だったし、戻るときも突然なんじゃないか」

「………………随分落ち着いてるみたいね?」

 

 鈴音としてはイチカの精神状態の悪化を危惧していた節もあるが、意外にもイチカは冷静そのものだった。逆に、鈴音の方に焦りがあると言った方がいいかもしれない。

 

「まぁ、俺はお前らのことを信頼してるからな」

 

 もっとも、そんな鈴音の焦りも、イチカの笑顔によって吹っ飛んだが。

 

「俺だけだったら不安に押し潰されてたと思う。でも、鈴が、鈴達が俺のことを支えてくれてるからさ。…………だから不思議と、なんとかなる気がするんだ。根拠もないのに、おかしいかもしれないけど…………」

「おかしくなんか、ないわよ」

 

 苦笑するイチカに、鈴音ははっきりと断言した。一緒にいる他の面子も、この時ばかりは穏やかな笑みを浮かべてこくりと頷く。さらに食堂中の生徒も何故かこくりと頷いていた。生徒会長の情報統制&情報歪曲によってイチカの恒常女性化については誤解させられているはずなのに、無駄にノリがいいモブ達であった。

 

 そんなツッコミどころがあったから、だろうか。

 

 直後にイチカの脳裏に去来した()()()()は、呆れと嬉しさに塗り潰されてしまう。

 その思考は、こんなものだった。

 

 ――――――――それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

***

 

「貴様シャルロットォォォおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」

 

 その夜。

 ここ最近始めた夜の筋トレに精を出していたイチカの部屋に、ラウラの怒号が響き渡る。

 なお、この筋トレは『男らしさ』を磨く為の試みの一環である。実際に筋トレすると男性ホルモンが増加するという話はよく聞くし、『男らしさを増すことで男性化を目指す』という目的の為には理に適っていると言えるだろう。

 で、ラウラの怒号だが。

 

「どうしたのラウラ? あ、例のアニメどうだった?」

「それだッッ!!」

 

 ベッドから身体を起こしかけたシャルロットに、ラウラはズビシィ! と指を突きつける。ちなみに、彼女が寝転がっている来客用のキングサイズベッドには、他の変態達も既に転がっている。なんかもうイチカの部屋に屯するのが当然という感じになっている変態一同であった。

 その横で黙々と筋トレしているイチカもイチカだが。

 

 ともあれ、鼻息荒くしていたラウラは、そのまままくしたてていく。

 ラウラはこの日、珍しくイチカの部屋ではなく自室でアニメを鑑賞していたのだった。見ていたのは朝にポチったアニメのBDである。視聴完了するの早くね? と思うかもしれないが、ISの超高性能モニターと早送りを駆使して倍速視聴でもしていたのだろう。便利である。

 

「見始めたらなんか全体的にうっすらホモホモしい感じだったのは百歩譲って呑み込むとして…………肝心の回になったら、途中まで良い感じだったのにキスした瞬間TS解除ってなんだお前!! ふざけんな! あんなのただのBLじゃねーか! BLのネタにTSを使うんじゃねーよ!!!!」

 

 これはラウラ個人の感想であり、実在する人物の思想とは一切関係ありません。念の為。

 

「また始まりましたわ……。ラウラさんはTSについて狭量すぎではなくて?」

「ラウラの心のおちんぽは、すこし繊細すぎるな」

「え? 男に戻るの? 何それあたしも興味ある」

「……鈴ちゃん、現実とアニメを一緒にしては駄目よ…………」

「あたしが!! いつ!! 現実とアニメを一緒にしたってのよ!!!! いつ!!!!」

「ひえっ…………命だけはぁ…………お助け~~……」

 

 ガックンガックンと揺さぶられて命乞いを始めた簪の横で、やはり微妙な顔をした箒が注釈する。

 

「確かに戻るが……その後男同士でキスするぞ」

「ふざっけんなシャルあんたブチ殺すわよ!?!?!?」

「うわっ、鈴それは流石に八つ当たりすぎるうおうおうおうおう!?」

 

 完全に地雷を踏んだ鈴音にぐるんぐるんと振り回されるシャルロット。確かに八つ当たりだったが、タイミングがタイミングなのである意味仕方ない面もある。

 男に戻った後男とキスなんて鈴音的には万難を乗り越えた先に絶望が待っていた的な話だし。

 

「でも、犬の子の可逆TSはよかったでしょう?」

「あれは…………まぁ良かったが、あの回のショックがでかすぎて……。なんか全部吹っ飛んだんだ……。……はぁ…………TSした狐の子が狸の人とイチャコラするエロ同人探す…………なんか渋で調べた時、よさげな絵柄のがあったんだよ…………」

 

 めそめそと泣きながら、ラウラはベッドに倒れ込みスマートフォンを操作する。そんな彼女に、筋トレしながらのイチカが目を細めた。

 

「おいラウラ、エロ漫画は一八歳未満は読んじゃいけないんだぞ」

「え??? イチカまさかその歳になるまでエロ漫画読んだことないの???」

「ブフォッ!!!!」

「おい! セシリアが萌えすぎて血を噴いたぞ! 雑巾!」

「ちょっと! ベッドにかけてないでしょうね!?」

「いや~…………僕的にはエロ本読んでないのは純粋過ぎて逆に萎え……でもまぁイチカの鈍感さなら分からなくもない、かな?」

「……多分、千冬さんが統制してたんだと思うけど…………あの人ならやりかねないわ……」

 

 イチカの爆弾純情発言に、変態達は各々リビドーを盛り上げ始める。

 実際イチカの朴念仁っぷりが醸成された背景には、過剰なまでに一八禁要素を排除されたとしか思えない節があるのも事実だが。

 

「そういえば、イチカに下ネタ振られたことはなかったかも。弾の馬鹿は事あるごとに言ってたけど」

「たとえばどんな風にですか?」

「いつものあんたみたいなことよ」

「それはまた…………弾とやら、よく今日まで生きて来られたな」

「あの頃のあたしはまだ未熟だったからね………………」

「アイツはちょっと下品なところがあるからなぁ」

「イチカさんが純粋すぎるだけではなくて?」

「いやいや、そんなことないって!」

 

 イチカは顔の前で手を振って、真顔で言う。

 

「中学生の懐事情なんて限られてるんだって。まして俺はバイト代を家に入れてたからさ、無駄遣いなんてできなかったんだよ。クラスで回し読みされてたグラビア雑誌は流石に見てたし」

「何それ、あたし初耳なんだけど。そんなの見てたの?」

「女子にそんなこと言うわけないだろ! だから下ネタをぶっこむ弾が下品すぎるだけなんだって!」

「落ち着け鈴。私もイチカ――一夏がそういうのを見ていた事実に興味がなくもないが、男子たるもの劣情の一つもなかったら逆に不安になるだろう」

「うっ、まぁ、そうね……」

 

 鈴音が矛を収めたのを見計らって、イチカは話を逸らす意味も兼ねて話題を切り替える。

 

「そういえば、さっきBL系TSがどうのって言ってたけど……」

「……ん? ああ、あれのことなら、仲の良い我々の間だからまかり通っているが、知らない人――特にネット上の掲示板とかで同じことをしたらIP開示からの住所晒しまであるから気を付けろよ」

「やらねーよ! っていうかそこまでヤバいことなのかよ!?」

「冗談だ、冗談」

 

 悪戯っぽく笑ったラウラに、イチカは呆れながらも、

 

「…………でも、やっぱ冗談なんだな。よかった。この間虚さんと話してさ……」

「ああ、虚さんはTS転生好きでしたわね」

「なんで知ってるの…………」

 

 変態達的には、仲間の属性は知っていて当然の情報なのだろうか。

 

「なるほどな。イチカが不安に思った気持ちも分かる。……TS転生にはTSの意味がない――――正しくは『TSFフェチ要素が少ない』作品が多いのは事実だが、それで叩かれる作品も少なからずある」

「ただ、誤解はするなよ、イチカ。別にTS転生モノ全体が無条件に叩かれたり、不当に差別されていたりするわけではない。TS転生したにも拘わらず、序盤で『いや、今は女だから「私」か』なんて思考で片付けられて以降内心の一人称も私、恋愛要素も殆どない、前世の話も全くしない――――そういった作品になって初めて『TSFフェチ要素がない』といった批判が生まれるのだ。少なくとも、我々を含めた大多数の良識あるTSFクラスタはそうだ」

 

 真剣に言う箒に、ラウラも真面目な表情で言い添える。

 イチカはTSFのきまりごとなんて良く分からないが、スポ根モノなのに練習の描写とか熱血要素もない作品……みたいなものだろうか? などともやもや考えてみる。

 

「あと、物語開始時点で完璧に精神の女性化が完了していたり…………男だった頃の要素が見られないと、そういう風に言われることがあるわ…………」

「まぁ、TSしたという事実がある時点で『TS属性が付加される』という点で意味は生まれているから、『TSした意味がない』というのは否定の為に強い言葉を使った、乱暴な批判であることは否定できないがな。……だから私は身内以外には『TSFフェチ要素がない・足りない』と言うようにしている」

「それに、この手の批判が生まれるのはTS転生作品が多いけど、たま~に普通のTSFでも起こるからねぇ。別に差別、というわけでもないんだよね」

「確かに、TSFクラスタからすれば物足りないかもしれませんわね――――ただ、そもそもTS転生モノが純粋なTSFに分類されるか、というところからして、わたくしは疑問ですけど」

 

 そこに、セシリアは落ち着いた声で割り込む。

 実のところ、TS転生モノはTS百合が結構な割合で混じっているのでセシリアとしては植民地的な感じでもあるのだった。

 

「どういうことだよ?」

「言うなれば、TFとTSFの関係――のようなものでしょうか。TFとTSFが『肉体変化』というフェチを共有しているもののその楽しみ方は全く異なるように、TSFとTS転生は『女体変化』というフェチを共有しているものの、その楽しみ方は大きく変わるのですわ」

「…………似て非なるモノ、ってことか?」

「然り、ですわ」

 

 セシリアは我が意を得たりとばかりに笑い、

 

「そもそもTS転生モノはかなりの割合で一般受けしています。まぁ、フェチ要素が女体確認程度で、恋愛まで発展しているものは稀ですので当然といえば当然ですが。そもそも向いている層が違うのです。当然楽しみ方も変わってくるわけで、そんなものに自分達の価値基準を押し付けるのは馬鹿らしくなくって?」

「いや…………それは違うんじゃない? TS転生の中でもきっちりフェチ要素を満たしている作品はあるし、恋愛で揺れ動く作品もある……。完全にジャンルが別れているとは言い難いわ……」

「うーん、僕としてはセシリアに同意かな。確かにフェチ要素があるのもあるけど、結局少数派であるのは変わりないんだし。ジャンル全体の傾向としてはやっぱり一般向けだよね」

「だったらタグで分かるようにしろと言うのだ! なんだあのガールズラブとボーイズタグを両方つけてるくせに恋愛のれの字もない作品群は!」

「それはわかる」

「わかる」

「わかる」

「わかる」

「いったい皆誰と戦ってるんだ…………」

 

 この手の話で特定の作品を挙げずに各々自分の頭の中で思い描いた作品相手に殴りかかるエア乱闘が勃発するのはよくあることである。

 

「そうだ。イチカも我々と同じようにネット小説を読んでTSFへの理解を深めてみてはどうだ? そうすれば私達の話していることも分かるんじゃないか?」

「あんた達ほどまでになるまでにはかなり時間がかかりそうな気がするけど…………」

「あら、それならわたくしの珠玉のブックマークリストをお送りしますわ」

「それならドイツ軍の総力を挙げたpixivTSF作品群をだな…………」

「個人サイトも忘れないで……TSFは投稿サイトだけの文化ではないわ…………」

「それなら僕は商業の名作TSFを紹介することにするよ」

「え、別にいいんだけど…………」

 

 イチカの呟きなど無視して、彼女の端末に無数のURL群がタイトルと一言レビューを添えて送られてくる。

 要らないと言っておきながら、一流レビュアーさながらの紹介文に、活字が苦手なイチカもちょっと読みたくなってくるのであった。

 

***

 

 同時刻――――どこでもない場所にて。

 暗がりの中に複数の人間の気配があった。よく目を凝らせば――あるいは人外の、たとえば()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()ならば、そこが闘技場のような円形の『議会』であったことが分かるだろう。

 そして、その中心には何人かの男女が佇んでいた。ここでは、『実働部隊』――などと呼ばれている人員の一人である。

 人の群れの中の一人が、そんな『実働部隊』の一人に向けて、端的に問いかける。

 

「――首尾は?」

「上々だ」

 

 問われた男もまた、それに対して端的に答えた。

 男は脇にガラガラを携え、何かのスーパーのエプロンを身に纏った風体をしている。簡単に彼の外見を表するならば――――『商店街でガラガラを回させてくれるおじさん』、だろうか。

 

「セキュリティの方も完全にクリアーしている。流石に試験区域への侵入は、学園側のガードが固すぎて不可能だったが…………生徒の宿泊する宿、『花月荘』については防備が手薄だったのが幸いしたな」

「向こうの油断か」

「そう言うな。織斑千冬に始末されたデコイの同志の犠牲が此処に来て活きた、ともいえるだろう。それにしても、そこまでしなくては我々に尻尾すら掴ませない学園側のセキュリティも大したものだがな」

「ああ。向こうにも大したハッカーがいるらしい」

「大したヤツだ……」

 

 おそらくそれは一年一組副担任の報われないロリ巨乳眼鏡の仕事である。あの人もあの人で、昔は代表候補生として頑張っていた程度には凄い人材なのだ。

 

「払った犠牲は大きかったが……それだけに、ここ一番で最大の油断を誘うことができた」

 

 そう言い切ったスーパーの店員風の男の言葉を最後に、『議会』側の人員達はその場にいるもう一人――黒髪の、鋭く荒々しい印象の少女に目を向ける。

 

「『トリガー』は?」

「誘導完了だ。既に()()()()()()()()

「…………上々だな」

 

 直後、『議会』側からざわめきが聞こえてくる。…………いや、これは正確にはざわめきではない。無数の人間が一斉にほくそ笑む――その音である。

 その喜色を総括するように、一人の男が決意を込めた声色で言う。

 

「では――――始めるぞ、()()

「ああ、分かっている」

 

 少女は――――エムと呼ばれた『そいつ』は、確殺の意志を込め、呟くように、嘲るように、あるいは――叫ぶようにこう宣言した。

 

「『次姉誕生(ミドルシスター)計画』――――執行だ」


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