【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第三六話「本編(終)」

「ハッ!?」

 

 目を覚ましたイチカは、ばっと自分の頭に手をやる。さらりとした指通り――は変わらないが、その髪の長さは肩にかかる程度まで短くなっていた。

 

「………………夢、か…………」

 

 ぽつりと呟くと、途端にそれまで見ていたはずの夢の記憶がうすぼんやりとした霧で覆われるように不確かになっていく。まるで、そんなものは()()()()の記憶ではないとでも言うかのように。

 だが、それでいい、とイチカは思う。それが、()()()()の自分の選択なのだから――――、

 

「…………ん?」

 

 そこまで考え、イチカの思考はピタリと止まった。

 ちょっと待て? 今なんて考えた?

『自分の選択』? それってつまり――――『男としての未来』を選んだってことだよな?

 

 では、

 

「……なんで」

 

 ()()()は、

 

「男に戻ってないんだ…………!?」

 

 ………………………………。

 エンディングまで、もう少しだけ続くんじゃ。

 

***

 

 前略、『銀の福音(シルバリオゴスペル)』はそもそも束さんが暴走させなかったので今日も元気に軍事訓練に勤しんでいます。

 当然といえば当然の結果ですね。

 

「……で?」

 

 女性のままのイチカを前に、鈴音がイチカに先を促す。

 イチカが目覚めたという報を受けた専用機持ち及び弾とか楯無とか虚とかは、こうして一堂に会していた。

 ちなみに、マドカは別室で待機中ということになっている。拘束されているわけではないので逃げ出そうと思えば逃げ出せるのだが、祈ることしかできない彼女にもはや危険は存在しない、という判断である。まぁ、また暴れたところでコンマ数秒で千冬が退治できるというのもあるだろうが。

 

「いや違うんだよ」

 

 イチカは当惑しつつも、結論を急ぎそうな感じの面々に弁解を始める。

 

「なんかもう精神世界的なので結論は出てるから。俺、男に戻るって決めたから」

「でもあんた、男に戻れてないじゃない」

「やっぱり、弾とやらとイチャイチャしたかったのか……?」

「おいポニテのあんた!! ふざけたこと言ってんじゃ……」

「だから違うって言ってるだろー!!」

 

 なんだか二秒で切り返しそうな弾を遮り、ごおっ!! とイチカは叫ぶ。

 イチカ的には、もう自分は男としての人生を歩んでいくと決めたのだ。拒絶するのではなく、どちらも素晴らしい未来が待っていると認めた上で、それでも男のままがいいと決めたのだ。もう意識・無意識にかかわらずイチカの中で意思統一は済ませている。

 というか、エンタメ的にああいう演出をやっておいて実は心の中が定まってませんでしたというのでは筋が通らないのである。

 

「普通なら、男に戻れるはずなんだよ。白式の二人だって最後は納得してる感じだったし。よく読んだら違う風にとれます的な描写はもうないはずなんだよ…………。なのにいったいなんで…………」

 

 なまじイチカ自身がそんな感じだったので疑心暗鬼になっているが、やっぱりそういうこともない。

 そんなイチカに、『やっぱり』という文字が浮かび上がった扇子で口元を覆った楯無が言う。

 

「もう一回同じことをやってみたらどう? 織斑先生に頼めばできると思うけど」

「ですがお嬢様、前回は成功しましたが、今回も同じ結果が齎されるとは限りませんよ」

 

 楯無の提案に、虚がもっともらしい懸念を言う。確かに、今回はイチカが男を選んだが、今の状態でもう一度同じことをすれば、今度は女を選びましたというような可能性だって考えられる。

 ……………………実際にはそんなことはないと思われるが、それでも懸念を表明しなくてはならないのが虚の役どころである。

 とはいえ、このままでは埒が明かないのも事実。

 わけがわからないよ的なムーブのまま、イチカは藁にも縋るような思いでISの運転状況モニタを表示する。

 

「…………ん? なんだこれ?」

 

 そこには、管制人格(サポートAI)からの通知、というタブが新しくできていた。今までサポートAIなんてなかったよな……? と思いつつ、昨日のこともあるのでイチカはそのタブをタップし、内容を表示させる。

 そこには、こんなことが書いてあった。

 

『いちかの気持ちは分かったけど、なんか対話で問題解決っていうのは展開が地味だから、ついでに自分の限界とか色々越えてみてね☆ by白式の二人より』

 

 要するに。

 

「……………………………………」

 

 戻るなら、一発男を見せてみろや、というわけである。

 

「うがァァあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 イチカが怒りの雄叫びをあげるのも、無理はなかった。

 

***

 

「どんまい、イチカ…………」

「まあ、こんなこともあるよな……」

 

 ぽん、と打ちひしがれるイチカの肩に鈴音と弾の手が置かれる。

 なんというか、全体的に理不尽すぎるのであった。やはりISコア――束の被造物、ということであろうか。創造主の理不尽さまで引き継がなくても、と思わないでもないイチカである。

 

「はっはっは、だが、いつも通りの感じになってきたではないか」

 

 そんなイチカに、箒は気楽そうに笑う。

 他の面々も、昨夜のように緊張しきった色はない。イチカは男を選んだ。……それなら、この状況は、イチカが必死に男たらんとして、でも結局周りに引っ掻き回され振り回される――そんな今までの流れと、何ら変わらない。

 それなら彼女達も、同じように動くだけだ。

 

「どうせ戻れるのでしたら、別に急がなくてもよくありませんか? ちゃっちゃとISの合同演習を終わらせて海で遊びましょう」

「いいね。僕スイカ割りやりたかったんだよ」

「スイカ割りとは何だ?」

「……目隠しをして…………みんなの野次を聞きながらスイカを棒で叩いて割る遊び…………」

「め、目隠しをした人間に周りの人間が野次を飛ばすプレイだと……!?」

「その曲解…………さてはラウラ、スイカ割り本当は知っているな?」

 

 まぁ、いつも通りということはこういうことなのだが。

 すぐに話が脱線する変態である。

 

「そんなことより、今はイチカをどう元に戻すでしょ! っていうか何よ、男を見せるって! 無茶振りにもほどがあるわよ!」

「っていうか、今の時代、男を見せるって言ったら女の子に優しくするってことだからなぁ……。イチカはもう達成してないっすか?」

「イチカのそれは、優しいというよりは消極的というだけの気がしないでもないが」

 

 ぽつりと漏らした箒の呟きに反応したのは、セシリアだった。

 

「え??? 『そういう』話なんですの??? ならわたくし協力するのはちょっと……」

 

 そこまで言いかけたところで、セシリアの手首を鈴音ががっしりと掴む。

 

「は? 何セシリア、いきなり掌返して。あたしがもう一度半回転させてあげよっか?」

「くっ、屈しませんわ! 蛮族の恫喝には屈しませ…………あぎゃあー!!」

 

 度重なる掌返し(物理)に、セシリアの手首はボロボロ(物理)であった。

 

「いや、そうではなくて。女性関係に『消極的』だからダメ……という話でしたら、逆はどうなんだという話ではありませんか。わたくし流石にそこまで面倒見きれねーぞ、と言いますか……恋愛沙汰はよそでやれと言いますか…………」

「あっ………………」

 

 そこまで言われて、やっと鈴音も思い至った。

 確かに、『男を見せる』のがイチカが女性との恋愛に積極的でないから――とすれば、イチカの女体化解除は鈴音との恋愛成就が一番の近道になる。

 もっとも、それが正しければ、の話だが。

 

「いや、そうとも限らないんじゃないかな?」

 

 セシリアの見解に疑義を出したのはシャルロットだ。

 

「結局、イチカの女体化原因も恋愛感情かと思ったらそうじゃなかったっぽいしね。……っていうか、僕達は多分恋愛関係に物事を考え過ぎてたんじゃないかな……。女体化って結局イチカの精神に起因するんでしょ? なら、あの朴念仁が恋愛事で心を揺らすとは…………」

「………………それもそうだな」

 

 シャルロットの見解に、ラウラも頷いた。というか、今回の暴挙に関してはサポートAIの独断専行なので、イチカの心とか関係なくイベントを起こしたくてやっている感がある。

 

「じゃあ、とりあえず今日の演習はイチカ放置して、俺と一緒に遊んで回るってのはどうっすか? 男同士で馬鹿やってたらそのサポートAIっていうののイベント的にも十分じゃないか?」

「は? 弾あんたふざけてんなら去勢するわよ?」

「それでイチカさんがまた女の未来に靡いたらどう責任とってくれますの?」

「僕的には、完全に精神が男性な状態で男友達と……っていうのは最高のシチュではある」

「………………や、やめときます…………」

 

 ボロクソに言われた弾は、すごすごと引き下がった。ちなみに決めてはシャルロットの腐った視線である。

 なお、イチカはセシリアが話し始めてからここまで何の話かさっぱり分からずポカーンとしていた。

 そのタイミングで、簪が提案する。

 

「…………じゃあ、イチカちゃんを元に戻すのは棚に上げて、ひとまず演習に集中するっていうのは……どう…………?」

「いいんじゃないかしら? 何すればいいのかも分かんないし」

「俺も、良く分かんねーけどそれで良いんじゃないっすかね。特に問題があるわけでもなし」

「制限時間も特にありませんしね」

「私も異議なしだ。姉さんたちの意見を聞く時間も必要だろうしな」

「それに、そろそろ演習まで時間ないしねー」

「じゃー、私達は一旦戻っておくわー。また後でね、簪ちゃん」

「失礼します」

「というか、タイムリミットがないなら戻る前に色々研究しておいた方が今後の為ではないか?」

「待って!! ちょっと待って!! よくない!!!! 全然よくないぞ!!!! っていうかこのまま男に戻れないなら演習ボイコットまであるぞ!!」

「ほう? それは聞き捨てならないが」

 

 と、ギャーギャー騒いでいると、いつの間にかイチカの背後に千冬が佇んでいた。

 

「ちっ、千冬姉!?」

「織斑先生、だ」

 

 ごん、とイチカの脳天に出席簿を落とした(何気に女状態では初である)千冬は、そうして肩を竦めた。その横には、束も一緒にいる。

 

「タイムリミットの問題が解決したのなら、お前の問題は二の次だ。まずは学生の本分に集中しろ」

「ぷくくー、ちーちゃんってばいっちゃんが起きるまで滅茶苦茶不安そうにしてたくせにちびゃっ!?」

「織斑先生、だ」

 

 余計なことを言った束を始末した千冬は、少々顔を赤らめながらも気を取り直す。

 

「お前も聞き分けろ。どのみちISを起動すれば女のままだ。それに『男を見せる』という条件も、何のイベントもなければ達成できないだろう」

「それはそうだけどさ…………」

「ようはお前のISの管制人格(サポートAI)を満足させればいいのだ。やはり何かしらのイベントは必要じゃないか」

「う、うん…………。……っていうか、千冬ね、織斑先生はISの管制人格(サポートAI)のこと聞いても驚かないんだな」

「ん? ……ああ…………。まぁ、それは、な」

 

 何か含みのある千冬だったが、イチカとしてもこれ以上の抗弁は無意味だと悟りつつあった。それに、合同演習の中で『男を見せる』ことが一番の近道、という千冬の意見ももっともである。

 

「分かった。じゃあ、準備するよ。合同演習は確か三〇分後だったよな?」

 

 頷いたイチカに、千冬は満足げに笑い、

 

「よろしい。…………貴様らも急げよ。遅れはしないだろうが、専用機持ちとして模範的な行動がとれていなければ他の学生に示しがつかないからな」

「……………………模範的?」

 

 イチカは首を傾げたが、それについては全員に黙殺された。

 案外、『模範的な変態』という意味では間違っていないのかもしれない。

 

***

 

 というわけで、合同演習である。

 

 この演習の目的は簡単で、ISの各種装備の試験運用とデータ取り――そして、数十台にも及ぶISコアの並列通信の実験だ。例年は試験運用とデータ取りに留められるのだが、今年の一年生は第三世代や第四世代といった次世代装備を備えたISである。コアネットワークの在り方にも変容が生まれている可能性があるので、一応の確認をしておくのだ。

 

 とはいえ、それは学園側の目的であり、生徒達が特別な挙動をするというわけではない。精々、ISの動かし方を勉強する、という感じだろうか。

 というわけで、専用機持ちは全員バラバラに散らばり、ISの操縦に不慣れな生徒達に教導を行っていた。楯無や虚もその中に加わっている。

 イチカのグループでは――――、

 

「えぇ!? ってことはイチカちゃん、男に戻れなくなってたの!?」

「いっちーも隅に置けないよね~。私も生徒会にいなかったら気付けなかったし~」

「っていうかのほほんさんは何しれっと俺の秘密をリークしてくれちゃってるんだよ!」

 

 こんな感じで、イチカの問題があらかた解決したのを受けて、楯無が隠匿していたイチカ女体化問題を本音がリークしてくれていた。

 おかげで、一応授業のプログラムは(怒られないために)進められているものの、その内実はちょっとした騒ぎになっていた。

 笑いごとで済むようになったタイミングになった瞬間に全バラしするところといい、なんとなく本音のしたたかさを感じずにはいられないイチカである。

 

「え~だって~。もう終わったことなのに、いつまでも蚊帳の外って悲しいし~」

「一応、まだ終わってないんだけどさ………………」

「イチカちゃん、元に戻れないならちょっと私試したいことがあるんだけどさ…………」

「ちょっと待ちなよ! そうやって思う存分いちゃつこうってハラでしょ! モブのくせに生意気よ!」

「あぁ!? テメェもモブだろうが! やんのかコラ!」

「まぁまぁ待ちたまえよここはモブ同士仲良くイチカちゃんをいぢめ……、」

「うるせぇ!」

「あの~………………」

 

 そんな感じでギャーギャー騒ぎ始めてしまった変態達に、たじたじとなってしまうイチカ。

 早く訓練の方に戻ってくれないと、千冬姉に俺までまとめて怒られるんだけどな――――と苦笑しながら思っていると、

 

「さてイチカさん、『イベント』を始めましょうか」

 

 そんな感じで、変態達がぞろぞろ集まって来た。

 

「…………あん? 他のヤツらの演習を手伝わなくていいのか?」

「既に指示は出し終えているさ」

「というか、今回はコアネットワークの並立稼働実験でもあるのだから、我々が教導に終始していては無意味も良いところだろう」

「確かに…………」

 

 ラウラの真っ当な弁に頷くイチカ。しかし、セシリアの『イベント』という言葉が気になる。

 

「イチカが自分の限界を超えればいいわけなんだからね」

 

 そう言って、シャルロットはどんっ! と装備を展開して、その場に置く。

 それは、巨大な風呂桶――――のようなものだった。中からは、湯気が立ち上っている。

 

「…………これは?」

「チキチキ☆熱湯地獄で何秒耐えられるかゲーム…………」

「いや、待て待て待て」

 

 ダウナー気味にタイトルコールをした簪に、イチカは首を振りながら制止に入る。

 

「なんでいきなりバラエティ色が強くなったんだよ!? しかも相当昔のお笑い番組みたいな!」

「限界までお風呂に浸かって、限界を超えるという寸法だ」

「…………鈴っ!」

 

 あまりの話の通じなさに、思わず鈴音の方にヘルプを求めるイチカだが――鈴音の方は、特に何もしそうな感じではなかった。

 

「別にいいんじゃない? 変態系でもなければ色仕掛け系でもないし……。確かに限界を超えているわけではあるし、可能性は十分でしょ」

「そうじゃなくて!! これ!! コアネットワークの並立稼働実験!!!!」

「もちろんそれはやるわよ。やりながらこれもやるの。別にコア動かすだけなら熱湯風呂地獄でもできるでしょ?」

「やだー!! 熱いのやだー!!」

 

 鈴音まで敵に回ってしまったイチカは、その場でじたばたして駄々をこね始める。その微笑ましさに、変態達もにっこりアルカイックスマイルだ。

 とはいえ、皆忘れているかもしれないが、現在は教導の真っ最中である。専用機持ちが指示をしておいたとはいえ、その肝心の専用機持ちが教導もせずただ揉めているとあれば見とがめられるのも当然で――、

 

「お前達!!」

 

 案の定、千冬からの檄が飛んだ。

 これで少しはマシな方向にまとまるか――という期待を込めて千冬の方を見たイチカは、その瞬間自分の予想が全く間違っていたことに気付いた。

 千冬の表情は、怒りというものを感じさせない厳然とした――『警戒』の色に染まっていたのだから。

 

「専用機持ち以外は下がれ――――()()()()だ、」

 

 直後。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………………は?」

 

 イチカの脳裏に、奇妙な既視感が呼び覚まされる。

 忘れていたハズの、異なる未来の記憶。そこにおいて織斑千冬は、なすすべもなく地平線の彼方まで吹き飛ばされている。

 誰に? 怒り狂った鈴音に。

 

「――――」

 

 咄嗟に鈴音の方を見遣ったイチカだが、その鈴音は現在進行形で吹っ飛ばされた千冬に動揺しているようだった。それでも既に龍砲を展開して周囲を警戒しているあたり、流石にプロと言わざるを得ないが。

 では、たった今、千冬を地平線の彼方まで吹っ飛ばすという離れ業を炸裂させた者は、一体だれか。

 

 上空から、ぽつりと、呟きが聞こえる。

 

「……………………………………………………認めない」

 

 それは、一人の少女だった。

 

 黒い装甲に包まれたISを展開した、真っ黒な少女。

 マドカ。

 しかし――彼女の装いは、既にサイレントゼフィルスのそれとはまったく異なっていた。

 

「こんな展開(TSF)、認めてなるものか!! こんな世界(TSF)、認めてなるものか!!」

 

 黒の装甲は(ゼフィルス)のように優美な姿ではなく、武骨な騎士甲冑のような構成に。()()()()()()()()に誕生したそれよりも、あるいは忠実に――――()()()()()()()のごとき威容を顕現する。

 即ち――――『黒騎士』。

 

「馬鹿な――――この土壇場で二次移行(セカンドシフト)ですって!?」

 

 セシリアが叫ぶが、事態はそれだけで終わらなかった。

 ミシ、ミシリ、と。

 

 世界に、ヒビが入る音が聞こえる。

 

「まさか――――『世界の外殻』を…………」

「待て箒! ちょっと待て! いきなり話を進めるな! 世界の外殻だのセカンドシフトだの、どういうことだよ!? っつーか何で千冬姉が飛ばされてんだ!」

 

 その既視感(デジャヴ)を誤魔化す為に、イチカは思わず首を振る。彼女は、これを知っている。一つの恋の終わりの激情の結果、世界を滅ぼしかけた少女を知っている。

 つまり、これは。

 

「いやー…………どうやら、ちょっと軽めに世界が終わりそうだね」

 

 あの世界の鈴音と、同じ状態。

 

「あのマドカって子、どうやら世界の外殻を破壊して、ISが用いているエネルギー――世界の外側にある力を引っ張り出そうとしてるっぽいね。紅椿と同じ仕組みで」

「だから箒が何か分かったような感じだったのか…………」

 

 束の状況説明に、イチカは呻くように言った。

 イチカは話を聞いていなかったのでちんぷんかんぷんだったが、説明を聞いていた箒からすれば既知の技術ということなのだろう。

 

「って、それヤバいんじゃないか!? そんな力が流れてきたら、世界が滅んじゃうだろ!?」

「いや、そうでもないっぽいよ?」

 

 そう言って、束は空を指差す。

 碧い空の中心には禍々しい亀裂が入り、力場の関係か空間そのものが歪んでいるような有様だったが――しかし、そこまでだ。どういうわけか、世界が壊滅するような被害はもたらされていない。

 時間がかかるのか、あるいは向こうが思いとどまっているのか――どちらかは分からないが、まだ猶予はあるということらしい。

 

「…………でも、龍砲とかいう空間操作能力を持っているチャイナガールAならともかく、そうじゃないあの子が力技で世界の外殻を砕くことは……、ってことは、まさか」

「なんだよ束さん! こちとらいつもと違うおかしな展開になってるから頭がパンクしそうなんだけど!?」

「あの子多分、()()()()()()()使()()()()()

「!!」

 

 弾かれるように、イチカは上空のマドカを見る。

 その挙動。引き裂いた世界の狭間から引っ張り出した力を振るう姿には――――確かに、千冬の面影があった。

 千冬の力――それさえあれば、世界を滅ぼすことくらいは容易だろう。

 …………千冬だけの、千冬の努力の結晶、千冬の名誉の全てを悪用していれば。

 

「あ、の、や、ろっ…………!」

 

 瞬間的に頭に血が上ったイチカは、即座にISを展開し、上空へと飛び立つ。

 

「ちょっとイチカ!?」

「あの馬鹿野郎、千冬姉の猿真似なんぞしやがって、ふざけんな!」

 

 イチカは、鈴音の制止も聞かず、雪片弐型を手に生まれた亀裂目掛けて突っ込む。

 とはいえ、彼女に勝算がなかったというわけではない。束はマドカが引っ張り出している力を『ISが用いているエネルギー』と説明していた。つまり、零落白夜ならば相殺できるということでもある。

 そして、現在のイチカは男に戻れなくなった副作用で常に零落白夜が暴走している状態。つまり――零落白夜の一対一エネルギー相殺という燃費の悪さを無視できる状態にある。

 その条件を勘案して、まだ完全にあの力を引き出しきれていない状態でなら、マドカを抑えることができると判断したのだ。

 

 果たして、そのイチカの即断は――功を奏した。

 

「っらァァァああああああああああああああああッッ!!!!」

 

 ズバン! と。

 イチカの一閃が、びきびきと音を立てて広がっていた亀裂を一刀両断し、霧散させてしまう。そのまま、イチカは目の前のマドカを睨みつけ――――、

 

「馬鹿イチカ!!」

 

 鈴音のタックルを喰らい、即座にそこから強制移動させられる。

 エネルギーの損耗を回避する為か、蹴っ飛ばしてイチカから離れた鈴音に、イチカは思わず目を剥く。

 

「何しやがる鈴! あともう少しでトドメを刺せたのに!」

「冷静になりなさい馬鹿! あれ見て!」

 

 そう言って、鈴音は上空を指差す。

 マドカよりも、更に上。

 先程の亀裂の、さらに上空――――成層圏にあたると思われるところに見える、それを。

 

 ………………先程一夏が斬り飛ばした亀裂などとは比較にならないほど巨大な、世界の亀裂を。

 

 おそらく、あのまま深追いしていれば亀裂から放たれた力に、イチカはあっけなく墜とされていただろう。

 

「……………………なんだ、あれ……………………?」

「先程の亀裂は、単なるデモンストレーションだ」

 

 呆然とするイチカに、マドカはさらりと言ってのけた。

 亀裂からは、得体のしれない歪みの塊が千々に散って、そして新たな形を生み出しているところだった。

 

「この世には、様々な可能性が存在する。――いや、あるいはこの世界の外側にも」

「………………、」

「イチカちゃん、貴様も考え方くらいは聞いたことがあるだろう。世界は、選択肢によって幾重にも分岐する、と。そしてその数だけ、()()()()が存在する、と。…………たとえば、イチカちゃんがISに乗ってもTSせず、そこにいる変態ども全員に好意を寄せられている世界、とかな」

「…………それって選択肢どうのこうので変わるような変化じゃない気がするんだけど…………」

 

 それは気にしてはいけない。

 

「そして――ISというのは、そんな世界の可能性を力にしていると言っても過言ではない。新たな選択によって生まれた世界の余波……それがISの力の正体だ。だから、世界の外側に力が溜まっているのだがな」

 

 というのは、余談だが――とマドカは嘯き、

 

「そして! 私はVTシステムと自身の激情を応用し、世界の外側からISエネルギーを引き出す力を手に入れた! その総数は――――無数の並行世界と同じく、無量大数!! 分かるかイチカちゃん! このパワーが! 世界の一切合財を改変し、法則を捻じ曲げ、イチカちゃんを男に戻すという法則そのものを消し飛ばすのに十分なパワーだ!!」

「ここまでやって、やることがそれかよ…………」

「それが、私にとっては大事なことなのだッ!!」

 

 そう叫ぶマドカの背後に、イチカは無数の人々の姿を見た気がした。

 いや、幻覚ではない。

 成層圏に浮かぶ亀裂から、無数の歪みが、人の形をとって生まれ出ているのだ。

 つまり――――ISの形を。

 

「鶏が先か、卵が先か――というところか。コアとISエネルギーが不可分なものであるならば、エネルギーがあればコアを形作り、そしてISを形作るというのも道理! そして残数は『無量大数』。分かるか? 私が単騎で此処に来た意味が! 貴様らがどれほどの成長を遂げようと! どれほどの数で挑もうと! この私一人で事足りると、そう判断したからだッ!!」

 

 軋む世界の中で、マドカの哄笑が響き渡る。

 彼女の背後には、文字通り無数のIS。おそらくその一つ一つが一線級の戦力を誇っているのだろう。そんなものが群れを成して襲い掛かって来たら――――勝敗など、一目瞭然だ。いくら零落白夜を無制限で使えるとしても、すぐに物量に押し流されるに決まっている。

 しかも、そんな圧倒的な戦力でさえ、マドカにとっては時間稼ぎ以外の何物でもない。そうやって時間を稼ぎ、さらなる力を引き出し、イチカの女体化を固定する。それが、彼女の目的なのだから。

 

「さあイチカちゃん、男の未来なんて捨てろ! 男の未来を捨て、過去を捨て、そうしてこそイチカちゃんは女の子として完成、」

「――――戯け者が」

 

 ――――直後。

 彼女が従えていたISの残像の半分が、一瞬にして消し飛ばされた。

 

「……………………TSに貴賤はないと、何度言わせれば分かるのだ」

 

 そして、そんな偉業を成し遂げたのは、織斑千冬その人だった。

 

「ば、馬鹿な……姉さん、貴様は確かに吹っ飛ばしたはずじゃ」

「いくつか教えておいてやる。一つ、VTシステムは単なる私の劣化コピーであり、どんな状況であれ、たとえ一部であろうと私自身を上回ることはない。二つ、そもそも私をISで倒すことはできない」

 

 千冬は肩を竦め、

 

「……さっきのは、私と同じ領域に踏み込んだものには、記念として一発入れさせておくことにしていた、ただそれだけのことだ。………………これが妹分のお茶目だったなら、その後の推移も見守るくらいのことはしていただろうがな」

 

 そんな、化け物じみた余裕を見せていた。

 

「…………だ、だが! 今消し飛ばされたのはほんの数百! まだまだ残弾は残っている! 貴様だって人間だ、スタミナには限りがあるはずだ! このまま消耗戦を続けていれば私は……」

 

 そんな、希望ともいえない希望的観測を叫びながら、マドカは亀裂から更なるISの残像を引き出そうとして――気付く。

 亀裂の周辺の空間が、動かないことに。

 

唯一仕様能力(ワンオフアビリティ)――――『沈む床(セックヴァベック)』」

 

 パッ! と、扇子を開く音が聞こえた。

 気が付くと、上空には左手だけISを展開した、IS学園生徒会長更識楯無が佇んでいた。

 

「まぁ、効果は空間全体に波及するAIC、ってところかしら。巨大なトリモチみたいなものだから、技術的な伸びしろはないんだけど…………まぁこの程度には十分よね。それと」

 

 そして、さらなる異変は、今度は地上――――いや、海上からもたらされる。

 

「本来、霧纒の淑女(ミステリアスレイディ)は海上戦特化型ISなのよね。…………知らなかった?」

 

 ミステリアスレイディの専用武装、ナノマシン入りの水。

 それを海中に拡散することで、全地表の七割にもなる『海』を支配する――――それこそが、ミステリアスレイディの真価である。

 

「手駒は動かせず、補充してもすぐに削り殺される。………………これって客観的になんて言うか知ってる?」

「…………詰み、だな。やれやれ、教師に任せろと言い含めておいたはずだが?」

「姉として、妹の前でいいところを見せたかったんですよ。()()()()()()

「…………ククク、なかなか言うじゃないか」

 

 それに何より。

 手駒の無量大数にも及ぶISの残像を指揮できないとなれば、後に残るのはマドカ一人のみ。

 そして目の前には、完全にフリーとなった七人の少女達がいる。

 

「う、うう、ううううううううううううう!!!!!!!! 認めるか…………認めるものか……!! そんな、ただのラブコメみたいな顛末を認めるものか!」

 

 目に涙すら浮かべながら、マドカはさらなる力を行使する。虚空から半透明の刃が無数に展開されていく――――が、それらはイチカを除く六人の専用機持ちの少女によって相殺されていく。

 耐えきれないとばかりに、マドカは首を振りながら叫ぶ。

 

「だって、だってだってだって! せっかく女の子になれたのに、男に戻っちゃったら()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

「――それは違うぜ、マドカ」

 

 それに対し、イチカははっきりと断言してみせる。

 そう言っている間にも、マドカは相殺されている刃とは別に、さらなる槍を形成していくが――それでも、イチカは物怖じしたりしない。

 ただ純粋に、前だけを見据えている。

 仲間達にその先を譲るように、イチカは小さく呟いた。

 

「…………何故なら、」

「――私が」

「わたくしが」

「僕が」

「私がッ!」

「……私が…………」

「――あたし達が、男に戻ろうと頑張るイチカにこんなにも心を動かされてんだからッ!!!!」

 

 直後、それぞれが無数の刃を受け止めている真っ最中にも拘わらず、全員がマドカに向けて援護射撃を送る。ダメージを受けたマドカの身体が、一瞬だが確かにぶれる。

 

「――――――!!!!」

 

 そしてイチカは、その瞬間を見逃さなかった。

 

「…………俺が女にならなかったら、きっとコイツらとの今の関係はありえない。だから多分、俺が辿った道っていうのは、お前が引っ張り出した並行世界の無数の可能性の中にも存在しない、俺だけの可能性なんだ」

「この…………っ」

「だからさ、教えてやるよ()()()。望まぬまま女になって、勘違いで女の親友と仲良くなって、些細な嘘で男の親友と良い雰囲気になって、男に戻れなくなって…………それでも、男であることを選び取った」

 

 言いながら、イチカは自分の身体から力が湧き上がるのを感じていた。

 体全体が熱い。

 全身が拡張するような感覚を抱きながら、それでもイチカは前進する。

 

 繰り出された半透明の槍を、零落白夜でいなす。直後、あまりの反動に雪片弐型を取り落してしまう――――が、イチカは一瞬も迷わずに拳を握りしめていた。

 

 そしてイチカは――――いや、一夏は、元の姿のまま、マドカに肉薄する。

 

()()が良いんだ。誰が何と言おうと――――」

 

 もちろん、だからといって『それ』が万人の納得する正解であるなんて、イチカにはとても言えない。他に綺麗な結末なんてものはいくらでもあるに決まっている。これは()()イチカが自分で選び取った、()()イチカだけの正解なのだから。

 でも。

 少なくとも、否定させることだけはしない。

 その答えに行き着いた、イチカ達の道筋を、苦悩を、努力を。

 いきなり現れただけの外野に、その正解を否定させることだけは絶対にしない!!

 

「――――それが俺の、『TSF』だ!!!!」

 

 …………そして、一つの物語に決着がついた。

 

***

 

 波の音が聞こえる。

 

 それは、幻想でもなければ空想でもない――現実の波の音だった。

 

「……………………」

 

 マドカは、ISの展開状態を解除して、そんな波打ち際で大の字に倒れていた。

 既に日は傾き、夕暮れ時の砂浜には彼女の他に、誰一人として残っていない。

 そのはずだった。

 

「元気出せよ」

 

 いつしか、彼女の周りには一夏をはじめとした専用機持ちの面々が集まっていた。

 彼は、マドカに手を差し伸べていた。

 

「…………私なんかに、そんな資格があるのか? お前の性を否定した、この私に…………」

「あー、それもまたTSF、なんじゃないのか?」

 

 一夏は困ったようにしながら、そう肩を竦める。

 

「この間さ、こいつらに色んなTSFの作品を紹介されてな……。一応、読めるやつは読んでみたんだ。…………色々あったよ。まぁ俺は特に好きになれそうという感じじゃなかったんだけど、本当に、色んな種類があったんだ」

「…………………………、」

「創作と現実を一緒にするつもりはないけどな。その中で、俺の選択はこうだった。それは間違ってないことだから、否定すんな――――そういう話だったってだけでさ。別に、俺はお前の考えそのものを否定したいわけじゃないんだ」

 

 たとえばTS転生など、『男だった過去』を殆ど省く物語もある。エロ系のTSFでは、『実用性』の観点から男だった頃の描写を省くのが正道とされているという指摘も存在しているほどである。

 TSっ娘の過去を省くことをよしとする価値観というのは、TSFの界隈の中にもしっかりと存在している。

 だからこれは、他者との関わり合いの問題。

 

「なんていうかな、一緒に楽しめればいいじゃないか。無理やりじゃなければ、俺も気にしないし」

「だからテメェはそういうところでよぉぉぉおおおおおおおおお…………」(注・鈴音です)

「織斑はもう無理やりが慣れてしまいましたものね」

「一夏、そういうことなら私も気にせず無理やり女体化させるが構わないか?」

「えっと………………あの………………」

「あっ簪ちゃんが初めてまともに対面する一夏モードにきょどってるよ」

「流石はコミュ障だな。あ、そうだ。織斑一夏、それはそれとして、女に戻れ。私も落ち着かん」

「お前らほんとブレないな…………」

 

 その上、男に戻った分甘えがなくなったせいでどことなく辛辣な面々である。

 一夏は苦笑しながらも、気を取り直してマドカに向き直る。

 

「……な? こんな連中なんだよ。今更一人変態が増えたところで、誰も気にしない」

「…………………………どうやら、その通りのようだな」

 

 マドカも肩の力を抜き、イチカの手を取る。

 

「これからよろしくな、マドカ」

「ああ……()()()()()

 

 

 

「……………………………………………………ゑ?」

 

 そのあとまたひと悶着あったが、それはまた別のお話。




◆隠された真実(三四話あとがき)
次回ウソエンディングです
   ̄ ̄
そして、次回は本当の本当にエピローグです。

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