【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第五話「唐突なシリアス回」

 両親の離婚によって中国に移住すると聞いたとき、鈴音は勿論徹底的に反抗した。

 彼女はその時、日本に『親友』と『想い人』がいたのだ。その彼女にとって、たった五年足らず過ごしただけでも、もはや日本は生まれ故郷も同然であったし、当然そこで生き、そこで幸せを見つけ、そこで暮らすつもりだった。だが、所詮は子供。『大人の都合』の前では、そんなものは何の役にも立たなかった。結局、『親友』と、『親友』であり『想い人』の二人に見送られ鈴音は中国へと旅立って行った。

 鈴音は泣いた。自分の無力さを悔やみ、幸せな日常全てがどうしようもなく手から離れていく現実に絶望した。

 ――しかしこの少女、物語をそんな切ない終わりで片付けるほどおとなしい性格ではない。

 

「……ふふっ」

 

 上機嫌で廊下を歩きながら、鈴音は思い返す。中国で過ごした一年半の間のことを。

 最初の半年間は、環境の変化、鈴音の気持ちも考えずに移住を決定した家族への反感、離婚によって生まれた家庭の不和などから、鈴音は前を向く余裕すらなかった。『親友』達とはメールでやりとりを続けていたが、そうした状況を赤裸々につづる訳にもいかず、結局気まずさからやりとりの頻度は下がってしまう。そんな孤独の中で、鈴音は過ごしていたのだ。

 時の流れがそうした彼女の心を『一応』癒した時には、彼女は中学三年生と呼ばれる年齢になっていた。そして、将来のことを考え、思ったのだ。

 

 このまま終わるのは、悔しい。

 

 今までのすべてが『鈴音の為』だったなら、彼女は納得できたはずだ。そんなことも分からないほど、彼女は馬鹿ではない。だが、これは違う。『大人の都合』――要するに我儘に、子供である鈴音がなす術もなく振り回されただけだ。なら、その決定に子供が反逆してはならないなんてルールは、この世のどこにも存在しない。

 そして、この世界にはその反逆を可能にするイレギュラーが存在している。

 ――インフィニット・ストラトス。ただの子供が国家に匹敵する力を保有できる手段は、これを置いて他にはない。だから、鈴音は猛勉強し、特訓し……そして、『力』を手に入れた。

 

 おそらく、天才だったのだろう。

 たった一年で鈴音はそれまで何年も訓練に訓練を重ねて来た代表候補生を軒並み打ち倒し、政府肝入りの開発プロジェクトのテストパイロットに抜擢されるまでになった。

 IS操縦者には、莫大な権力が与えられる。

 たった一人で国家戦力に匹敵する能力を得るわけだから、厚遇も当然だ。そして、国家代表操縦者にまで上り詰めれば、知名度も活動範囲も世界レベルに広がる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ISという強大な『力』には、そんな『子供の我儘』を、『大人の都合』が及ばないほど強大にできるだけの影響力があるはずだ。

 ……信じがたいことだが、それが、彼女が並み居る強豪を尽く薙ぎ払い、『大人の都合』で足を引っ張る陰謀やさらなる強豪に土をつけられても這い上がりそれにすら打ち克ち、広い中華の大地の頂点に立った原動力だった。

 あとはこのままテストパイロットとしてプロジェクトを成功させ、国家代表に成り上がるだけ――鈴音はそう思っていた。しかし、幸運と言うのはいつも予測のつかないところから舞い込んでくるものだ。

 

 ――織斑一夏、IS学園に入学。

 

 その一報を聞いた政府は、すぐさま『試作機のテスト運用の為に代表候補生をIS学園に編入させる』という名目で鈴音を送り込む決断をした。勿論、鈴音はその任務に二つ返事で答えた。

 それからの鈴音は、ずっと上機嫌だった。

 いずれ一夏と再会する為だけに磨き続けていたこの技術だったが、こうも早く、そしてこうも的確に実を結ぶとは、少女の慧眼を以てしても見抜けなかった。とはいえ、これは嬉しい誤算だ。前々から思っていたが、どうやら一夏のトラブル体質もここに極まれり、ということなのだろう。

 

 編入した二組のクラス代表は鈴音の編入を知るなりすぐにクラス代表の座を明け渡し、そして鈴音もまたその変更を受け入れた。一夏が一組のクラス代表になったと聞いていたからだ。

 

「(あいつ、クラス代表なんかやらされて、きっと今頃てんやわんやでしょうね。敵に塩を送るみたいだけど、此処は一つ、し、『親友』のあたしが面倒見てやらないと、ね。あたしは、何てったって『次期代表』なんだから)」

 

 そんなことをぶつぶつと呟く鈴音はちょっとした変質者の様相を呈していたが、彼女自身はそのことに気付くべくもない。もとより、外聞を気にするような性格であれば此処まで上り詰めることはできなかっただろう。鈴音のツインテールが、その喜びを表すかのごとくふわふわと揺れる。

 ……美少女と言うのは得だ。明らかにおかしな独り言をつぶやいていても、緩みきった笑みを浮かべていても、それらすべてが『可愛らしい』とか『微笑ましい』といった表現に変換されてしまうのだから。

 ともあれ。

 IS学園にやって来た鈴音は、目的の人物――一夏のいる教室に足を運んだのだった。やって来てみると、教室の前の方の席に集まって三人の少女が談笑しているのが目に入った。一人は黒髪をポニーテールにした少女、一人は金髪碧眼のお嬢様、一人は何故かどこか既視感をおぼえる雰囲気の少女だった。国際色豊かなIS学園らしい光景である。

 そしてこれが一番鈴音にとっては重要だが……三人とも、掛け値なしの美少女だ。鈴音も自分の容姿には自信を持っているが、一夏がこんな美少女の巣窟にいるという事実に少しばかり危機感を覚える。

 

(あれは……イギリス『次期代表』のセシリア=オルコットね。あたしはてっきりアイツが代表をやるモンだと思ってたけど、やっぱり一夏の実力が見たいってところかしら)

 

 政府から得た情報によると、セシリアは代表決定戦において現れた一夏の姿を見て、戦いもせずに代表の座を譲り渡したという。鈴音はそんなことよりさっさとIS学園に行きたくて仕方がなかったので情報は殆ど聞き流していたのでそこしか覚えていないが、多分一夏の動き方を見てセシリアが実力を把握し、クラス代表を任せるに足る『何か』があると判断したのだろう、と思う。

 

「そういえばさ。他のクラス代表ってどんなヤツらなんだ?」

「そうですわね。まず、二組はIS用銃器企業のテストパイロット経験を持つ――」

 

 不思議な既視感をおぼえる少女が、セシリアに問いかけていた。セシリアはさらりと情報を伝えていたが、生憎その情報は鈴音の登場によって古いものへと格下げされてしまっていた。ここぞとばかりに、鈴音は声を張り上げる。

 

「――――その情報、古いわよ‼」

 

 瞬間、突然の乱入者にクラス中の視線が集まった。掴みは完璧か――と鈴音は内心満足し、たった今待ったをかけた会話に混じるように次の言葉を紡いでいく。

 

「私は二組に転入してきた中国代表候補生の凰鈴音。二組の代表の座は、ついさっき私のものとなったわ。――それでこのクラスの代表っていう織斑一夏はどこにいるの?」

 

 そう問いかけながら、鈴音は改めて教室の中を確認する。

 授業前だからか、生徒は殆ど教室に揃っているらしかった。しかし、一夏の姿は見られない。彼の存在はイレギュラーだから、この場にいないこと自体は不思議ではないが……空いている席と生徒数を瞬時にカウントしたところ、一夏が新たに座るスペースはないときた。鈴音は少しばかり不穏なものを感じる。

 

「中国『次期代表』の凰鈴音ですか。もうすぐ授業ですが、何用ですの?」

「そういうアンタはイギリス『次期代表』のセシリア=オルコットね。授業は良いのよ、あたしは一夏に会いに来ただけだから」

「えーっと、織斑一夏は俺だけど」

 

 おずおずと手を挙げたのは、先程からセシリアと会話していた不思議な既視感をおぼえる少女だった。……そう、少女である。黒髪だし、目つきも似ているが、少女である。そして、一夏は少年である。いくら二年ほど会っていないからと言って、性別も違うのに騙される程鈴音はアホではない。

 では、何故男のはずの一夏がいるべきそのポジションに、よく似た少女がいるのか。鈴音は即座に計算を巡らせ……、そしてすぐさま納得のいく答えを得る。

 

「鈴、」

「ふざっけんな‼」

 

 何か言いかけた少女の言葉を遮るように怒鳴った。

 非常に不愉快な気分だった。

 つまり、目の前の少女は『影武者』なのだ。

 考えてみれば当然、あまりにも当然だ。一夏は確かに世界中から注目される初めての男性操縦者で、彼自身の身の安全や調査などの必要性からしてもIS学園が身柄を確保するのは理に適っている。

 しかし、実際にIS学園に通わすとなれば、いきなり一夏を異性の集まる集団に放り込むのは彼自身のメンタルに多大な負担をかけるおそれがあるし、何より周囲の少女たちにも悪影響を及ぼしかねない。問題が決して起こらないと確約できるはずもないし、第一学園とはいえたくさんの人間が集まる場所に彼をいさせては獅子身中の虫に対するリスクが常につきまとう。

 千冬も所属しているというIS学園系の勢力に確保されたことは間違いないだろうが、少なくとも一夏は通常時にIS学園に顔を出すことはないのだろう。

 目の前の少女は、言うなれば『一夏が外界と接する為のデバイス』と言ったところだろうか。

 おそらく、一夏とこの少女はISのコアネットワークを通じてデータのやり取りをしているのだ。そういえば、先程から鈴音のISはこの少女の方からISの反応を訴えていた。とすると、今もその機能が使われているのだろう。

 そして、この少女が経験したことはそのまま一夏への経験となってフィードバックする。後は、一夏から再度データを取り直すことで、『世界初の男性操縦者』の稼働データを入手することができるというわけだ。

 つまり、目の前の少女はいくらでも替えの利くデコイの影武者、ということになる。

 ……流石に幾分か過保護すぎる気もするが、しかし『世界初の男性操縦者』を守る為ならば、そのくらいやっても不自然ではない。

 いや、鈴音にとって重要なのはそこではなかった。

 

「あんたが、一夏? そんな馬鹿な話があるわけないでしょう! 同姓同名の別人とでもいうつもり⁉」

「正真正銘、イチカさんですわよ」

「ああ。この可愛さ、まぎれもなくイチカだな」

「でもコイツ女じゃない!」

「いや、それは、」

「アンタは喋るな!」

 

 弁明しようとした少女をぴしゃりと遮り、鈴音は息を荒くして状況を整理しようとする。

 ……何より腹立たしいのは、彼女と話していた二人が当然の様に影武者の少女を『一夏』として受け入れていることだ。一夏の代役としてその存在を受け入れるのならまだしも、『織斑一夏』の名を冠した存在として受け入れられるなんて、そんなの一夏の居場所を塗り潰していることに変わりないではないか。何よりも一夏を馬鹿にしているではないか。

 きっと、一夏は今ごろ研究や調査でひどく心細い思いをしているだろうに、存在まで塗り潰されるような真似が許されて良いはずがない。

 

「ふざけやがって……! こんなこと……」

「な、なあ、」

「黙れって言ったでしょう⁉」

 

 おずおずと声を掛けようとした少女に、鈴音は怒声を浴びせかける。少女の身体がびくりと震え、その表情が悲しそうに歪むのを見て胸がちくりと痛んだが、しかしそれで感情を抑えられるほど鈴音は大人ではなかった。

 

「覚悟しておきなさい。アンタなんか、アンタなんか、クラスマッチで完膚なきまでに叩き潰して、」

「もうすぐ授業だ。教室に戻れ、凰」

 

 ガゴン、と出席簿が怒り心頭の鈴音の頭に直撃する。突如発生した衝撃に思わず頭を押さえ振り返ると、そこには鈴音も見知った顔があった。凰、という呼び方なんて柄じゃない。そんな女性が、鈴音を見下ろしている。

 鈴音の襟首を掴んで教室の外に放り出した千冬を、鈴音は半ばにらみつけるように見る。本当なら、こんな仕打ちは千冬が一番憤るべきだ。なのに、何故何も言わないのか、という抗議を込めて。

 

「……千冬さん」

「織斑先生、だ。凰」

 

 しかし、千冬はそんな鈴音には取り合わず、教壇の方に歩いて行く。生徒達が蜘蛛の子を散らすように自分の席に戻って行く中、千冬は顔を向けずに一言残した。

 

「それと……少し、頭を冷やせ」

 

***

 

「何が……何が『頭を冷やせ』よ」

 

 その日の放課後。

 鈴音は、一人ぶらぶらと歩いていた。

 授業自体は余裕だった。一年間の詰め込み学習である為、座学が得意な方ではない鈴音だったが、基本的な内容なら感覚と経験則で理解できる。唯一法整備関連が弱いくらいで、むしろ実技から得た経験則は部分的に教科書の内容を上回っていたりするほどだった。

 だが、鈴音は周囲の中で優秀だったくらいで満たされはしない。その程度で満ちる器だったら、此処まではやって来れなかった。

 

「本来なら一夏がいるべき場所に居座ってるヤツなんか見て、落ち着けるわけ、ないじゃない……」

 

 勿論、鈴音も馬鹿ではないので、自分の抱いている感情が見当違いな怒りだということくらいは理解している。彼女だって影武者として、役割を与えられて生活しているのだ。決定を下したのは『上』であって、彼女に怒りをぶつけるのは間違っている。

 しかし、理屈で分かっていても感情がどうにかできるほど、鈴音は大人ではない。一夏と会えると思っていたのに――そんな、どうしようもない落胆の八つ当たりを向けてしまう。

 その子供っぽさが鈴音の原動力であるがゆえに、こればかりはどうしようもなかった。

 

「でも、あんなこと言って目の仇にしたのは謝らないといけないわよね……」

 

 そんなことを呟いてみるが、今あの少女がどこにいるか、鈴音には分からない。……いや、そういえばISの練習を頑張っている、という話だった気がするので、アリーナの方向にいるのかもしれない。鈴音としても、自分の試合があるであろうアリーナの環境がホームである中国のものとどこまで違うのか調べる必要がある為、アリーナの方に向かうことにした。

 そう、あくまでアリーナの状態を確認する為に必要だから向かうのだ。その先であの少女が練習していて、成り行きで会話をすることになったとしても、それは全くの偶然であって何の作為もないのだ。

 ――と、絶賛自分に言い訳中だった鈴音は、そこで異変に気付いた。

 異変と言っても、学園全体がどうこう、と言った規模ではない。廊下の隅だ。廊下の隅に、少女が蹲っている。艶やかな黒髪を肩甲骨のあたりまで伸ばしている、小柄な少女だ。どこか既視感をおぼえる雰囲気だったが、苦しそうに息を荒くしている少女を見て冷静に分析していられるほど鈴音は薄情な人間ではない。

 

「ちょっと……ちょっと、大丈夫⁉」

 

 鈴音はそれまで考えていたことなど放り出して、蹲る少女に駆け寄る。黒髪の少女はよほど疲労しているのか、息も絶え絶えだったがそれでもこくりと頷いた。……どう見ても大丈夫そうには見えない。髪が陰になっていて顔の様子は見えないが、苦しそうに歪められていることは想像に難くなかった。鈴音は思わずこの意地っ張りな少女に呆れ、それから決意する。

 

「強がり言ってんじゃないわよ。良いから、保健室まで運んだげる!」

 

 そう言って、鈴音はひょいと自分よりも一回りは大きな――尤も、小学六年生並の体格である鈴音より一回り大きい程度では、まだ小柄と言わざるを得ない――少女を持ち上げる。

 IS操縦者の中でも代表候補生レベルになると、ISの部分展開という高等技術を身に着けるようになる。しかし、この部分展開になるとPICの稼働率も減少する為、必然的にその分筋力が高くなければならない。生身でISを『制圧』できるともっぱらの噂である織斑千冬は別格としても、『次期代表』とまで言われる鈴音もまた、ISに太刀打ちできる――とは言わないが、熊と喧嘩できる程度の身体能力はある。

 ひょいっと軽々抱え上げられた少女は、恥ずかしそうに礼を言った。

 

「ご、ごめん……。ありがと」

「礼なんて良いわ、よ……」

 

 そして、横抱きにしたことで鈴音は目の前の少女の正体に気付く。

 というか、声を聞いた瞬間に気付くべきだった、と鈴音は思った。おそらく、彼女の容姿に関する印象が大きすぎて、そのハスキーな声に関する印象が抜け落ちてしまっていたのだろう。

 彼女は……、

 

「……織斑、()()()

 

 鈴音が今まさに会いに行こうとしていた少女、その人だった。

 

***

 

 保健室に移動した少女は、単なる過労と診断された。IS学園に入学して一か月程度で何故過労? と疑問に思わなくもない鈴音だったが、それは聞かずにしておいた。

 保健室のベッドに少女を横たわらせた鈴音は、そのまま保健室から出ずにベッドの横の椅子に座る。今がいい機会だと思ったのだ。

 

「……今朝は、悪かったわね」

 

 ぽつり、と鈴音は憮然として言う。まだ、一夏の名を騙るこの少女には複雑な思いがある。ただ、それらは全て勝手な逆恨みだ。その場の感情で怒鳴りつけたことは、謝らなくちゃいけない。

 少女の方は、謝られたことが意外だったのか、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべていたが、すぐにそれを嬉しそうな笑みに変えた。とても儚げな、弱弱しい笑みだったが。

 

「良いよ。気にしてない」

「……そ。ありがと」

 

 言いながら、鈴音はおかしな気持ちになった。何でこの少女は、たったこれだけのことで嬉しそうな顔をするのだろう。いきなり現れて、逆恨みをして、あんな風に怒鳴った相手から歩み寄られたって、普通嬉しくないだろうに。

 

「……正直言うと、心細かったんだ。ISに乗るつもりなんてまったくなかったのに、関わるつもりもなかったのに、いきなりこんなことになってさ」

 

 その答えを促すかのような鈴音の沈黙に、少女は少しずつ語り出した。

 それは、からっぽな影武者の少女の告白だった。

 

「でも、皆俺のことを受け入れてくれる良いヤツばっかりだからさ。それはそれで有難かったし支えになったけど、やっぱり……なんていうか、こう……」

 

 もごもごと、恥ずかしそうにしながら言葉を濁した少女は、自分の体調管理も出来ないようじゃ駄目だな――と自嘲する。無理矢理にごまかしたようだが、彼女の態度は『今も心のどこかでは満たされない思いをしている』と言っているようなものだった。

 だから、練習を手助けしてくれる仲間の期待にこうまで応えようとするのだろうか。過労で倒れるまで頑張っても、なお立ち上がろうとするのだろうか。

 どういう理屈でISに触れたことすらないこの少女が一夏の影武者役に抜擢されたのか、鈴音には分からない。歩んできた人生や遺伝情報が似通っている少女を選んだのかもしれない。それなら、この少女から感じる妙な既視感にも説明がつく。

 だが、何にしてもこの少女は、仲間の期待に応えたいというただそれだけの為に、この一か月必死になって頑張って来たのだ。ISに乗ったこともない状態から、クラス代表という重圧に負けないように頑張って来たのだ。その努力は、『織斑一夏』という全くの他人の功績にしかつながらないというのに。

 なのに、それでもどこかでうしろめたさがあったのだろう。『織斑一夏の居場所を奪っている』という、罪悪感が。自分だって周りに推し進められて無理やり押し込められて、自分の功績を丸々他人のものにされているというのに、それでもうしろめたさがあったから、鈴音に糾弾されて、どこか救われたような気持ちになってしまったのだろう。

 なんという、歪さか。

 どんな生き方をすれば、そんなに自罰的になれるのか。

 

 ……そんな少女に、鈴音はどんなことを思った?

『大人の都合』で理不尽に苦しめられているというのに、鈴音はそんなときにただ塞ぎこむことしかできなかったというのに、あろうことか『誰かの為に』努力できる、そんな少女に……鈴音はどんなことを思った?

 織斑一夏の存在を塗り潰している? 織斑一夏の居場所に居座っている?

 …………それは、彼女だって同じことだ。

 彼女だって、自分の存在を、自分の居場所を、『織斑一夏』に挿げ替えられているのに。この少女は、ただの被害者だったのに。もう十分すぎるほど、いや不当すぎるほどに多大な苦しみを背負わされているというのに。

 

「ほんとに、ごめん」

 

 思い返してみれば――『頭を冷やせ』という千冬の言葉は限りなく適切だった。その通りだ。鈴音は、一時の感情――一夏との再会が叶わなかった落胆――で、この少女にとんでもないことを言ってしまった。心細い気持ちだったのは、この少女も同じだったのだ。それなのに、慰めるどころか自分勝手に糾弾し、この少女を追い詰めるようなことを言ってしまった。その所業は、謝っても謝り切れないだろう。

 謝ったってもう遅いと知りつつ、それでも鈴音は言う。言わなくてはならない。

 

「あんな風に言ったの……すごく、後悔してる」

「だから、良いって。気にするなよ。……ただまあ、気が咎めるっていうんなら、普通に接してほしいかな。クラスのヤツらもそうだけど、変に特別扱いされると、疲れる」

 

 だが、少女は何でもないことのように、照れくさそうに笑って鈴音にそんなことを言った。まるで歯車がかみ合っていないみたいにあっさりとした対応だった。

 きっと、この少女は本当に鈴音の言ったことをもう気にしていないのだろう。簡単に赦せてしまう、そういう性格なのだろう。懐かしさを感じる雰囲気だった。まるで、一夏を相手にしているような――そんな気分。

 もう既に、二人の間に流れる空気は数年来の友人同士のようなものになっていた。鈴音の肩の力も、自然と抜けて行く。

 

「あはは、分かったわよ。それじゃあ、あたしのことも遠慮なく接してくれていいから」

「分かった。…………鈴?」

 

 どこか自信なさげに、鈴音の様子を伺うように……上目づかいで首を傾げるのは、まだそこまで踏み込んで良いのかどうか、不安だったからだろうか。

 その時の、少女の表情が、あまりにも一夏にそっくりだったので、鈴音は思わず息を詰まらせてしまった。

 

「(……こりゃ、アイツの影武者に抜擢されるのも納得だわ)」

「へ? 抜擢?」

「そういうところもそっくりなのね」

 

 狐につままれたような顔をしている少女にそれ以上何も言わず、鈴音は笑った。笑って――それから、吹っ切れた。

 

「ねえ、明日って土曜日じゃない。一緒に遊びに行きましょ」

「え? でも俺、練習が……」

「目下最大の敵と遊びに行けるのよ? もしかしたら情報を聞きだせるかもしれない。……そう考えたら、一日練習を潰す価値もあると思わない?」

 

 あえて『遊びに行きたいから』と感情論を語らず、鈴音はそれらしい理屈を捻り出す。……そう。『それらしい理屈』である。叩けば埃が出て来るくらい、どうしようもない詭弁だ。だが――この、まだ友達と言えるかすら分からない少女を遊びに誘うのに、『ただ遊びたいから』なんて理由を面と向かって言うのは、鈴音にはあまりにも照れくさいことだった。

 少女は少し考えていたようだったが、やがて観念したような笑みを浮かべて、鈴音の提案に頷いた。

 

「分かった。良いよ、頼んでみる。セシリアだって、そう言えば納得してくれると思うしさ」

「うん!」

 

 話がまとまったので、少女はベッドから立ち上がった。思わずよろめきそうになるが、それは鈴音が支えた。……華奢な身体だった。こんな体で、鈴音と違ってIS操縦者として身体が出来上がっていない状態で、倒れるまで頑張っていたのだ。

 ……その努力は尊いが、同時に危ういとも思う。きっと、セシリアとポニーテールの少女はかなりのスパルタなのだろう。それはそれで良い。そのくらいの無茶がなければ、全くの素人がクラスマッチで通用するレベルになんかなれないからだ。

 この少女がそれを望んでいないのであれば、鈴音は持てる力のすべてを振るって彼女を救うが――生憎、この少女は自ら高みに上って行くことを望んでいるように思える。誰かの為でも何でも、やりたい、と思ってこの場に立っている。

 

 ――なら、その代わりのケアは、あたしが受け持つ。

 ――この馬鹿の背中は、あたしが支えてやる。

 罪滅ぼし、という意識も、鈴音の中にあったのは間違いない。だが、それだけなんかではなかった。ほんの数分の会話だったが、鈴音はもう既に少女の事を『大切な友達』だと感じていた。だから――助けるのだ。友達だから。

 

 何故だか他人には思えない少女の手を引いて歩きながら、鈴音はやっと、心からの笑みを浮かべて少女に言った。

 

「……これからよろしくね、イチカ」

「…………ああ」

 

 突然笑いかけられ、少女が浮かべた笑顔は、

 

「よろしくな、鈴」

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


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