【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第六話「Long and Winding Load(相互理解までが)」

「……だから嫌だったんだよぉ……」

 

 時間を少し巻き戻して、鈴音が去って行った、その次の休み時間。

 イチカは机に突っ伏していた。その脇では、箒とセシリアが気の毒そうにイチカを見下ろしている。

 

「鈴、完全に勘違いしてたじゃないかぁ……。あんな風に怒って……」

 

 何故あそこまで怒っていたのかは分からないが、とにかく怒っていた。多分イチカを影武者と勘違いしていたことが関係しているのだろうが……。

 一方、箒とセシリアは鈴音が怒っていた理由をばっちり理解していた為、そこに気付かない鈍感少女イチカを見てによによしているのだった。

「まあ、凄い剣幕だったからな……。きっと、イチカのことを影武者だと勘違いしたんだろう。セシリアみたいに」

「まさか、中国の『次期代表』と知り合いだとは思いませんでしたわ。……わたくしも誤解の解消をお手伝いいたしますので、そんなに気を落とさないでくださいまし」

 

 腕を組みながら分かり切ったことを言う箒の横で、優し気に言いながら、セシリアはイチカの頬を撫でる。この局面なら撫でるのはせめて頭にしろよ、と思いつつも、今のイチカは一年半ぶりに再会した親友に思いっきり辛辣に当たられてド凹み中だった。というか、鈴音が代表候補生になっていること自体イチカは知らなかったのだ。そんな大ニュースも知らないなんて親友失格だ、という思いもあった。

 

「うぅ……」

「こっちも重症だな」

「ううん、ISというのは操縦者の精神に強い影響を受けますから、中国次期代表との接触でメンタルに受けた影響がパフォーマンスに及んでいるのかもしれませんわね」

 

 左手でイチカの頬を撫でながら右手を口元にやって、セシリアはそんな推測を言った。

 確かに、先程からイチカは単なるメンタル以上の気怠さを感じている。無敵の兵器の意外な弱点を知ったイチカだが、こんな状態でもPICは問題なく使えるし、兵器を持てば一騎当千は確実。多分兵装を一切装備していないイチカだからこその問題であろうことは間違いない。

 

「ですが、クラスマッチまで時間がありません。中国次期代表もあの調子ですからきっと本気で来るでしょう。予想以上の難敵ですが諦める訳にはいきません。当初の予定よりも厳しくいかせてもらいますからね」

「まあ、それは良いけどさ……」

 

 ぐい、と突っ伏した顔をセシリアの方に向ける。そうすることも億劫と言わんばかりの緩慢さだったが、やはり美少女であるイチカがやると華があった。セシリアの口元に当てられていた右手が、我知らず鼻の方へと移っていく。

 

「そういえば、さっきから『次期代表』って言葉が飛び交ってるけど、何それ?」

「肩書ですわよ。非公式なものですけれどね」

 

 セシリアは両手を腰に当てて胸を張って言った。欧米人としては慎ましやかな(しかし日本人基準だと十分豊かな)胸がその存在を主張するが、残念ながらその鼻から一筋赤い液体が垂れていたので、イチカは全く性的な意識を持てなかった。

 

「代表候補生と一口に言っても、ぶっちゃけピンキリなのですわ。普通の生徒より一回り上という程度の輩もいれば、既に前線で活躍できる力量の輩もいます」

「後者は、たとえばどんなのが?」

「そうですわね……たとえば、ドイツのラウラ=ボーデヴィッヒは代表候補生と言いつつバリバリ軍属――つまり第一線ですでに活躍しているプロの人間です。軍属は国家代表には使えないのですが、代表候補生関連では特に取り決めがないという抜け穴を使って、自国の操縦技術の高さをアピールしようというハラでしょうね。近くIS学園に編入してくる可能性もありますが……まったく、あの国は二年前のモンド・グロッソと言い……やることが本当に姑息…………ぶつぶつ」

「要するに、『次期代表』というのは代表候補生の中でも特に技術が秀でていて、国家代表操縦者と比べても遜色ない人材ということだ」

 

 ブツブツと愚痴モードに入って行ったセシリアとバトンタッチする形で、箒が話をまとめた。要するに、代表候補生の上位互換ということらしい。セシリアや鈴音は、既にそういった領域に到達しているということなのだろう。……ISの操縦技術を学ぶ場にプロレベルの操縦者がいるとか、ソイツらに教師をやらせればいいのでは? と思わなくもないイチカだった。実際、イチカはそのプロに操縦技術を教わっているのだが。

 

「閑話休題ですわ。つまり、中国次期代表はプロと遜色ない――いえ、最悪わたくしと同レベルの力を持っていると考えて良いです」

 

 復活したセシリアが説明に戻る。

 何気に自分の力量を『プロより上』に設定しているセシリアだったが、この少女は自惚れや自信過剰こそしても過大な自己評価はしない。鈴音がプロより上の実力を持っている可能性も十分にあるというのは、此処までの話を聞いていたイチカでも頭ごなしに否定できるものではなかった。

 

「セシリアや鈴の他に、『次期代表』って呼ばれるヤツらはいるのか?」

「いるにはいますわ。四組の更識簪。アレは日本の代表候補生ですが、空間把握だとか情報処理だとか、いわゆる『地味な裏方能力』に秀でています。正直、わたくしなどはああいうタイプこそ一番の天敵なのですが……あいにく、イチカさんの専用機に人員が引き抜かれているせいで専用機を持っていない状態ですので、今回の参加は見合わせることになっていたはずです」

「え、マジか……それは悪いことしたな……」

「まあ、本人も大分不服のようで、現在は絶賛ふてくされ中らしいですが……イチカさんが気に病むことではありませんわ。悪いのは無能な日本企業です。本当に、日本というのは優秀な人材をあの手この手でダメにしたり流出したり…………ぶつぶつ」

「他にはさっき言ったドイツのラウラ=ボーデヴィッヒも『次期代表』レベルの能力を持っているが、彼女は軍人だからスポーツとしてのISには参加しないので、『次期代表』という肩書は持っていないな」

 

 再度ブツブツと愚痴モードに入って行ったセシリアとバトンタッチする形で、箒がさらに補足する。

 

「ISの業界も、色々と面倒なことがあるんだなぁ……」

「というか、面倒な事しかない。姉さんは今も全世界指名手配中だし、私の方も保護プログラムのせいで何十回と転校を繰り返してきたからな。大概面倒なことだらけだぞ、IS関連」

「あ……そう、だったな…………。……ごめん、能天気なこと言って」

 

 けろっと言う箒に、逆にイチカは罪悪感を刺激されてしゅんとする。それを見た箒のキツイ目尻がだらしなく垂れ下がるが、イチカはそれには気付いていない。

 

「でも、こうしてイチカに出会えたんだからプラスマイナスで言ったらプラス一億くらいだぞぉ~」

「ひぃ⁉ だから胸を揉むなぁ‼」

 

 胸に伸ばして来た箒の手を必死の思いでパリィしつつ、イチカは身をのけぞらせる。まさかISの試合中ならともかく、日常生活でパリィなんてことをするとは思っていなかったイチカである。そんなことをしていたせいか、鈴音に辛辣な当たり方をされたこともあり、どっと疲労が出て来た気がする。

 

「……はぁ……」

「大丈夫ですかイチカさん? 箒さん、貴女がごり押しでセクハラするからイチカさんが疲れてしまったではありませんの」

「イチカへの精神的負担で言えばお前もどっこいどっこいだと思うぞ、セシリア」

 

 一切悪びれていないが、何だかんだで自分がイチカに精神的負担をかけていることは否定しないあたりが実にあくどかった。

 

「大丈夫だよ……やっぱISを展開し続けるのってキツイのかな?」

「さあ……どうでしょう。一応ISの最大起動時間の記録はミス織斑の七五時間四九分ですが、それにしたって別に記録に挑戦しようと思ってやっていたわけではありませんし、ISをただ起動しつづける為だけに使うなんてもったいないから、正確な記録なんてありませんしねぇ……」

「前に姉さんが言っていたが、本人の根気が尽きなければ大体平気らしいぞ」

「根気かぁ……」

 

 というか、箒は束からそんなこぼれ話を聞けるような関係だったのか、とイチカは思った。ひょっとすると篠ノ之姉妹の仲はもうそこまで悪くないのかもしれない。原因は間違いなくイチカだ。

 

「それより、鈴のことはどうしよう……。どうやったら話を聞いてもらえるかな」

「難しい話ですわね……。まずイチカさんの話は聞いてくれなさそうですし」

「かといって私達の話も聞いてくれるかと言えば、それはなさそうだぞ」

 

 今の鈴音は、怒りに我を忘れている状態だ。そんな状況では何を言ったところで相手の心には響かないような気がするが、かといって何もしないでいつまでも気まずい雰囲気というのは、イチカには耐えられない。

 

「そうだ。この際戦ってみれば良いではないか。実際に剣を交えれば誤解もなくなるだろう」

「いや無理だろ。何で思い出したように脳筋属性を引っ張り出してんだよ……」

 

 さも『良いこと思いつきました』と言わんばかりに言う箒に、イチカは呆れながら言う。たまにこうして変態以外の属性を見せておかないと、ただの変態Aという感じで没個性化してしまうのであった。

 

「では逆に、色仕掛けというのはどうです? イチカさんの水着姿を披露するのです」

「それ、絶対に火に油を注ぐ結果にしかならないから……」

 

 イチカの魅力が通じるのは、変態淑女だけである。

 忘れてはならないが、変態淑女はあくまで世界全体で見ればマイノリティであって、誰も彼もがイチカのあられもない姿を見ただけで涙を流して拝み倒すわけではない。…………とイチカは思っているが、世界は彼女が思っているよりもほんのちょっとだけ愉快である。

 と、バッサリ切り捨てたイチカだったが、セシリアの方も引きはしない。むしろ自信満々に胸を張り、

 

「いいえ。確実に全人類がイチコロですわ。あ、でもその前にテストが必要ですので個室で私と二人っきりで予行練習を……ぐふ、ぐふふ。ぐふふふ」

「……………………………………。どうしよっかなぁ…………」

 

 暗黒面に堕ちた変態から目を逸らしたイチカは、そう言ってぼんやりと廊下を眺めた。

 考えてみるが、やはり答えが見つかるはずもなく。

 

 ただただ、時間ばかりが過ぎて行くのであった。

 

***

 

 放課後。

 すべての授業を終えたイチカだったが、その頃には既に疲労困憊の様相を呈していた。

 まず、授業が分からない。少しでもついて行こうとISの能力強化を用いて処理能力を最大限向上して授業に臨んだのだが、それでも分からない。お蔭で処理能力回りの動かし方はだいぶ慣れたのだが、その代償として知恵熱でも出たみたいに頭がふらふらとしていた。

 それだけではない。ISアーマーを展開していないとはいえ、『普段通りに動く』のは世界最強の兵器の運用としてはけっこう難しく、細かな動作の微調整精度は上がったかもしれないが、それはかなり神経を使うものだった。そこにメンタル的な問題による体調不良、イチカの身体は戦う前に瀕死になっていた。

 

「あ、あとは、アリーナで、訓練……、……無理だな」

 

 そのイチカだったが、それでも自分の状態を省みるくらいはできる。こんな状況で訓練などした日には三日間ほどぶっ続けで昏睡状態になりかねないので、アリーナまで行って訓練中止を申し出るつもりだった。

 

「しっかし、まさかただISを装着し続けるのがこんなに負担のかかるものだ、と、はっ……?」

 

 かくん、と。

 そこで、イチカは自分の足から力が抜けたことに気付いた。どうやら、自分で思っている以上に疲労が溜まっていたらしい。ははは、とイチカは自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「これじゃあ動けないよなあ……。一旦もとに戻ろうか。いや、戻ったらISの補佐でマシになってる疲労のせいで気絶しかねないぞ……」

 

 そもそも、ISを着ている状態というのは通常であれば普通よりも快適なのである。解除したら良くなるどころか、ISの保護が消えることによってよけいに疲労が悪化するだろう。

 こんなバッドステータスじみた状態になっているのは、ひとえにイチカの精神状態とISアーマーのすべてを展開していないという条件によるところが大きい。後者はともかくとして、落ち着いて冷静さを取り戻しさえすれば、すぐにでも元通りに戻れるはずなのだ。

 そう考え、とりあえず変身は解除しないで廊下の隅で蹲ることにしたイチカ。ゆっくりと呼吸を整えていると、段々と気が楽になってくるような感覚が――、

 

「ちょっと……ちょっと、大丈夫⁉」

 

 と、突然背後から少女の声がかけられた。放課後とはいえ、まだ日は傾いてもいない。生徒に出くわす可能性は普通にあったなあ、なんて思い返しつつ、イチカは呼吸を整えながらゆっくりと頷いた。しかし、それでは少女の方は納得できなかったらしい。

 

「強がり言ってんじゃないわよ、良いから、保健室まで運んだげる!」

「ご、ごめん……。ありがと」

 

 ひょい、と軽々抱えられ、イチカは礼を言う。少女の身体は、華奢なイチカの身体よりもさらに華奢だった。思わず驚いて、イチカは少女の顔を見上げ、さらに驚愕した。

 

「礼なんて良いわ、よ……」

 

 そして、相手の方も同じように驚愕していたようだった。

 凰鈴音。

 朝にはあれほどイチカのことを敵視していた少女だった。

 呆然と鈴音が何かを呟いていたが、その言葉は疲労でいっぱいいっぱいなイチカの耳には届かなかった。

 

***

 

 どうやら、鈴音の誤解は既にとけていたらしい。

 

「……今朝は、悪かったわね」

 

 保健室にイチカを運び込んだ鈴音は、開口一番にそう言った。あの時、千冬に『頭を冷やせ』と言われ、冷静になって考えてみたのだろう。そう、冷静になって考えればすぐに分かることだ。学園に一夏の影武者として少女を入学させたって、そんなのすぐに諸外国にバレるのだから隠蔽の意味がない。ましてそんな少女がわざわざクラス代表に抜擢されるわけもなければ、専用機をわざわざ与えられるわけもない。

 それらすべてに筋が通る可能性としてはイチカが何らかの方法で一夏と繋がっており、そのデータをモニタリングしている――というものが考えられるが、そんな大がかりな可能性を想像するくらいなら、一夏が女になってしまった可能性の方が現実的だろう。

 …………と、イチカは普通にそう思っているが、実際にはどちらも同じくらい荒唐無稽である。

 

「良いよ。気にしてない」

「……そ。ありがと」

 

 誤解がとけたのが嬉しくて、イチカは自然に笑みを浮かべていた。鈴音も、それに釣られるようにぎこちなくだが笑みを浮かべた。二人の仲直りのしるしには、それで十分だった。

 イチカはぽつぽつと話し始めた。特に何を伝えたいというわけでもなかった。ただ、自分の思っていたことを、鈴音に話したいと思ったのだ。

 

「……正直言うと、心細かったんだ。ISに乗るつもりなんてまったくなかったのに、関わるつもりもなかったのに、いきなりこんなことになってさ」

 

 女になったときはわりと本気で精神的に参っていただけに、イチカは照れくさそうに笑いながらそう言った。もちろん、今はもう真剣な意味で心細いと思ってはいない。

 ただ、今度はツッコミとボケの比率的な意味で心細かった。変態のセクハラまがいのボケと戦う日々。ツッコミ役であるイチカがセクハラの対象なので、正直ツッコミにも限界があったのである。

 だから、鈴音が転入してきたと知って、イチカはまず『味方ができた!』と喜んだ。その後にあんな勘違いをされたので、精神的に参ってしまったのだが。

 よくよく考えてみれば、あの時点で変身の解除を申し出るべきだったのかもしれない。練習も大事だがそれで倒れてしまっては元も子もない。体調管理も特訓の大事な要素の一つである。

 では、そうしなかった理由は何かと考えると、イチカの中で思い当る節は一つしかない。

 

「でも、皆俺のことを受け入れてくれる良いヤツばっかりだからさ」

 

 何だかんだ言って、イチカは女の子になった自分を見たらドン引きされると思った。しかし実際のところ、クラスどころか学園中の皆が普通に――普通とはいったいなんだろうという疑問は、とうに投げ捨てた――接してくれている。それが嬉しかったからだ。ただ、ちょっと行き過ぎている部分はある、とイチカも流石に思う。

 

「それはそれで有難かったし支えになったけど、やっぱり……なんていうか、こう……」

 

 セクハラとか、セクハラとか、セクハラとか。よくしてくれるのは嬉しいが、一日一〇〇擦り半とか、盗撮とか、そういうのは勘弁してほしい。

 ただ、そんなことを包み隠さず鈴音に言えるほどイチカはオープンじゃないので、自分の体調管理も出来ないようじゃ駄目だな――と誤魔化して笑う。こういうところがあるから、変態を助長させるのかもしれないとイチカは内心で涙しつつ思った。でもそこは絶対崩しちゃいけないラインだとも思う。

 しかし、イチカのメンタルにダメージを与えた張本人である鈴音は深刻な意味にとったのか、今にも泣きそうな顔で言う。

 

「ほんとに、ごめん。あんな風に言ったの……すごく、後悔してる」

「だから、良いって。気にするなよ」

 

 予想以上にイチカを影武者だと勘違いしていたことに罪悪感を抱いているらしい鈴音に、イチカは逆に困ってしまう。確かにパフォーマンスがガタ落ちするほど落ち込みはしたが、解決したのならそれはそれだ。あんまり気にしすぎて、ぎくしゃくする方が嫌だ。

 

「……ただまあ、気が咎めるっていうんなら、普通に接してほしいかな。クラスのヤツらもそうだけど、変に特別扱いされると、疲れる」

 

 この上鈴音まであの変態のようになったら、イチカの味方は地球上からいなくなってしまう。その時はもう、アマゾンの奥地か群馬県にでも逃げるしかないだろう。

 そんなイチカの心境を理解したのか、鈴音はイチカを安心させるような声色で、くすくすと口元を抑えて笑いながら言う。

 

「あはは、分かったわよ。それじゃあ、あたしのことも遠慮なく接してくれていいから」

「分かった。…………鈴?」

 

 そういえば、とイチカは思う。この学園で鈴音と再会してから、こうして名前で呼ぶ機会はこれが初めてなのではなかろうか、と。実に一年半ぶりに呼ぶ名前に、少し自信なさげに首を傾げる感じになってしまった。その所作は実に少女っぽく、多分セシリアがこの場にいたらIS学園の白い制服を真っ赤に染め上げて卒倒していたことだろう。こういうところは男の時の天然ジゴロと何一つ変わらないイチカなのだった。

 

「(……こりゃ、アイツの影武者に抜擢されるのも納得だわ)」

「へ? 抜擢?」

「そういうところもそっくりなのね」

 

 ボソリと呟かれたからか鈴音の言葉を聞き取れなかったイチカだったが、鈴音は同じことを二度言わない。というか、恥ずかしいから聞こえないように小声で呟いているのである。二度同じことを言うわけもなかった。イチカもそれで慣れっこだから、それ以上鈴音の真意を問うことはしない。

 鈴音は呆れつつ、イチカのベッドに腰掛ける。

 

「ねえ、明日って土曜日じゃない。遊びに行きましょ」

 

 突然の申し出に、イチカは驚いた。中学生時代も遊びに誘われることはあったが、大体はもう一人の友人――五反田弾と一緒だったり、二人きりで出かけそうになっても弾の妹の蘭が乱入してきたり、鈴音が何故か突然怒り出したりしてご破算になることが多かったからだ。

 鈴音から二人きりで出かけようと提案された時も、もっとガチガチに緊張して、戦に赴くような感じで言われていたのをよく覚えている。それこそ今の様に『まさしく友達を遊びに誘う』ような感覚で言われたことなど一度としてなかった。

 

(鈴も向こうで一年半も過ごしてたんだし、大人になってるよな……。なんか、置いて行かれた気分だ)

 

 わずかな寂寥感を覚えつつ、イチカは内心で鈴音の成長を喜んだ。しかし、同時に戸惑う思いもあった。

 

「でも俺、練習が……」

 

 セシリアと箒との特訓は毎日ある。そうでもしないとクラスマッチに間に合わないし、まだ訓練が始まったばかりなのに遊びに行くから休ませてくれとは、とうてい言えない。

 しかし、鈴音はそんなイチカの懸念を既に読み取っていたのか、得意そうな表情ですらすらと解決策を言ってくる。

 

「目下最大の敵と遊びに行けるのよ? もしかしたら情報を聞きだせるかもしれない。……そう考えたら、一日練習を潰す価値もあると思わない?」

 

 そう説明されて、イチカは『なるほど』と思った。確かに、鈴音という敵と一日過ごせば、それなりにISの話題だって出て来るだろう。イチカはISに乗り始めてから日が浅いので同じように情報を分析されても特に痛くもかゆくもないが、鈴音はそうではない。色々と話を聞ければそれだけイチカは有利になるというわけだ。

 

「分かった。良いよ、頼んでみる。セシリアだって、そう言えば納得してくれると思うしさ」

「うん!」

 

 ……ころっと鈴音の詭弁に引っかかったイチカに、鈴音はにっこりと笑って頷いた。

 

「……、っと」

 

 それから、話がまとまったので早速セシリア達のところに戻ろうとしたイチカだったが、まだ身体の調子が戻っていなかったのかよろめいてしまう。しかし、それを待ち構えていたかのように鈴音がイチカを支えてくれた。女の子になっているとはいえ、一回りは大きなイチカを支えておいて、鈴音は一歩もよろめかずどっしりと構えていた。

 それを見て、また随分と差がついちまったなぁ、とイチカは心のどこかで思う。しかし、それは寂寥感ではなかった。追いつき、追い越していく目標。それが新たにできただけだ。

 

「……これからよろしくね、イチカ」

「…………ああ。よろしくな、鈴」

 

 鈴音は、友達としてそう言ったのだろうけれど。

 イチカは、新たなライバルに対して、()()()()()()()()()()そう笑いかけた。

 

***

 

 鈴音の力を借りてアリーナに辿り着いたイチカは、これまでのいきさつなどを説明した上で、明日の練習を中止にしてくれるよう頼み込んだ。セシリアと箒の性格を考えると、それなりに交渉は難航するかに思われたが――、

 

「もちろん、構いませんわ」

「ああ。私も、何ら異論はない」

 

 意外にも、セシリアと箒はイチカの休憩を快諾してくれたのだった。

 

「倒れるほど疲労がたまっていらっしゃるのでしたら、無理に訓練を続けても効率が悪いですわ。一日休憩を取るのも良いでしょう」

「それに、対戦相手とはいえ一年半ぶりにあった友人なのだろう? イチカだって、色々と積もる話もあるだろうし、旧交を温めるといい」

 

 あまりにもあっさりすぎる決着に、イチカは不信感を募らせる。基本的に、この二人はシビアだ。何か理由がない限り特訓の休みなど門前払いだろう。だからこそ、事情を説明するための一悶着があると思っていたのだが……こうもあっさりしていると、何か裏があるのでは? と疑ってしまう。主に、変態的な方面で。

 スカートを穿くように仕組んだ上で町中のマンホールに監視カメラを仕込んで四六時中イチカのパンツをモニタリングしようとしていたりだとか、着ぐるみに扮してイチカをなでこすりしたりとか、この二人ならばそんなことくらい簡単にやってのけそうだ。

 

「その代わり、明後日からはビシバシ行くぞ」

「ええ。きちんと敵の情報も聞き出してくださいましね?」

 

 ……そんなイチカの疑心暗鬼に応えるような二人に、イチカは自分の考えすぎを悟った。この二人には、イチカがわざわざ説明するまでもなかったのだ。そんなことしなくとも勝手に今回の提案の有用性を導き出して、それだけではなくイチカの気持ちまで先回りして汲み取ってくれたのだ。

 というか、そもそもすでに誤解はとけているんだし、男のまま遊びに出かければ二人もセクハラしようとは思うまい。あくまでロックオンされているのは一夏ではなく、イチカだけなんだし。

 そして、二人に変態的な疑いを投げかけてしまった自分をイチカは恥じた。確かに普段は変態の限りを尽くしている二人だが、イチカになる前がそうであったように、誇り高かったり、幼馴染思いだったりとした一面は確かにあるのだ。イチカになってからは、それはもう酷い有様だったが、それは言わない約束だ。

 

 ちなみに、そんな感じで株を上げた彼女達変態淑女の本心はというと、

 

(箒さん。この様子、中国次期代表はイチカさんの中身がいったい何者なのか、把握できていないようですわね)

(ああ。おそらく明日は普通に新しく出来た友達と遊びに行くつもりなのだろう)

(友達と遊びに行くとなれば、一番可能性が高いのはショッピングですわよね。特に服)

(……つまり、何とかしてイチカを言いくるめて女の姿で外出させれば)

(イチカさんのことですから、きっと女らしさのカケラもない言動、服装で行きますわ)

(凰はその性格上、それを放ってはおけないだろう。それが意味するところは――)

 

 などとアイコンタクトを交わしている通りだった。

 そう。ISの教導に関して妥協のない二人が妥協するとしたら、それには彼女達のもう一つの側面――変態淑女の一面が関係している。

彼女達がイチカの一日休養を認めたのは他でもない。

 

『イチカに却下された、女の子用洋服購入イベントのフラグ構築』。

 

 変態淑女は、手段を選ばない。

 たとえ、自分が手を下せずとも。手を下す者が無自覚であろうとも。

 ――得られる萌え(リザルト)が同じなら、彼女達は喜んで裏方に徹する。

 今、過去最強の敵が静かにイチカに狙いを定めていた――。


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