【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第七話「本編(前編)」

 案の定というか、翌日もイチカは女の子になった。

 もちろん、イチカも今日は男のままで向かうつもりだったのだが――……、

 

『いかに休暇を認めたと言えど、訓練できる限りはすべきですわ。我々に与えられた時間はそう多くないのですし、中国次期代表もそこは分かってくれるはずです』

 

 というセシリアの有難い詐術(アドバイス)にあっさりと納得したイチカは、その裏にある意図を疑いもせずに変身していたのだった。そろそろ学習するべきである。

 さてそのイチカの格好は、普段着ているIS学園のものではない。街へと繰り出す関係上、制服を着ていると目立つのだ。なので、イチカは適当に自分の持っていた私服から着られそうなものを引っ張り出して身に着けていた。やはりどこか丈余りな感は否めないが、悪くはないな――とイチカは鏡の中に映る自分を見て思う。

 男物の白い半袖Tシャツ。男の自分が着ているときは普通だが、この姿になると太腿の半ばあたりまで覆ってしまっている。これだけでミニスカートか何かのように見えるが、流石にそういう感じで着こなすのはイチカには難易度の高い所業だったので、普通に迷彩柄のズボンを穿くことにした。案の定サイズが大きすぎてずり落ちそうになるが、そこはベルトと裾捲りと気合でカバーした。気合の割合はおよそ一割である。

 イチカ自身は服装のセンスなどまるで気にしておらず、顔だけ見て『何だ俺意外といけてんじゃん』なんて血迷った感想を漏らしているのだが、どう考えてもファッションにルーズな少女すぎて目を覆いたくなる格好だった。

 そんな格好に身を包んでいるものの、客観的に見てイチカはやはり美少女だ。黒檀のような艶を持つ漆黒の髪、大きく丸い瞳は覗き込んでいたら吸い込まれそうなほど奥深い夜空のような黒。それと双璧を成すかのように映える、白磁のような白い肌。儚ささえ感じられるほどに真っ白なのに健康的な赤みの差したその肌は、不思議な色気を感じさせる。

 見れば見るほど、美少女。それは男の時に鈍感だったイチカでも分かる。もしかしたら、今まで自分が見たどの少女よりも可愛いかもしれない――とそこまで考え、鏡の中の少女はイチカを馬鹿にしたように苦笑した。

 それはいくらなんでも、自意識過剰というものだ。

 寝ぐせももうないし、さっさと鈴音との待ち合わせ場所に行こう、とイチカは洗面所から出て、扉の隙間からイチカの姿を盗撮していた箒に微妙な笑みを投げかけてから部屋を出た。今、イチカは何も見なかった。

 

***

 

 鈴音との待ち合わせ場所はIS学園の校門――本校舎入口前だった。

 巨大な敷地を持つIS学園の校門はもはやゲートと呼んで差支えなく、ちょっとしたランドマークのようですらあった。とはいえ、この一ヶ月寮住まいのイチカにとってはまだ新鮮な場所だ。

 鈴音は、そこに一人で立っていた。

 オレンジ色の半袖Tシャツに、オリーブ色のオーバーオール・ミニスカート。活動的な鈴音らしいコーディネートだ。イチカや弾と遊ぶときよりもさらに垢抜けている印象だった。というより、似合っている……ボーイッシュな雰囲気というべきだろうか。一年半くらい前の鈴音の服装は、どことなく女の子らしい『オシャレ』な感じがあってらしくないなぁ、とイチカも思っていたものだ。今の鈴音は、そんなこと気にせず自分に合うファッションをしている。

 

「お、来た来た」

「よ、鈴。おまたせ」

 

 片手をあげて鈴音の前に立ったイチカの口からは、素直な感想が出て来た。

 

「それ似合ってるな」

「ありがと。でも、アンタの方は……」

 

 特に気負った様子もなく礼を言った鈴音は、イチカの頭からつま先までを見て、渋い顔をする。

 イチカの格好は男物の白いTシャツに、迷彩柄のズボン。勿論、ズボンは丈余りで裾の方を捲りまくっている。……とてもではないが、高校生になる女の子のファッションではなかった。何と言うか、お兄ちゃんのおさがりを無理やり着ている小学生のような痛々しさと同居した微笑ましさがある。

 

「ダメダメね」

「ええっ⁉」

 

 ばっさりと自分のコーディネート(と呼んでいいのだろうか……)を切り捨てられたイチカは、驚愕したような声を上げた。鈴音はそんなダメファッション少女イチカの頭に軽くチョップを繰り出す。

 

「いてっ」

「アンタねぇ、流石にコレはないわよ。何これ、全部男物じゃない。全然アンタに似合ってないし。百歩譲って白Tまでは良いとして、下は他に何かなかったの? ホットパンツと黒のサイハイとか。あと、これなら中にタンクトップとか着ないと……襟口広くないから微妙かなぁ」

 

 言いながら、鈴音はTシャツの着方にも納得が言っていないのかイチカの肩に手をかけ、Tシャツの傾きを微調整しようとし、すぐに目を丸くした。Tシャツの下にあるべき『もの』が、影も形もなかったからだ。ついでに言うと、Tシャツの傾きを調節しようとして引っ張った拍子に隙間から『見えて』しまった。

 つまり。

 

「……あ、アンタ、何でブラしてないの⁉ 白Tなのに‼ ば、ば、馬鹿‼ すぐ隠しなさい‼‼」

「え? ⁇ ⁇」

 

 突然血相を変えて慌て出した鈴音に、イチカはわけも分からず頭から疑問符を飛ばすことしかできない。

 対する鈴音はあたりを見渡して一夏に羽織らせるものを探そうとし、そんなものはないと悟って(かぶり)を振った。イチカの胸があまりなかったのが、幸いか……。

 ノーブラ。それは女性にとって防御力ゼロを意味する。そして白のTシャツとは、肌が透けやすい衣類の代名詞である。五月のぽかぽか陽気を二人で外出すれば、当然ながらうっすらと汗をかく。そうしたときに防御力ゼロの衣服がどんな悲劇を齎すかについては――わざわざ説明する必要もないだろう。鈴音は、友人にそんな悲劇を体験させたくはない。

 

「……イチカ、町についたらまず服屋に行くわよ。アンタのその文字通り致命的なファッションセンスをどうにかするから。それと、それまでずっと前かがみでいること。あたしの後ろにぴったりくっついて、なるべく体の前面を見せないようにして」

「……何で?」

「な・ん・で・も・よ‼ このお馬鹿‼ 何でアンタそんなに無防備なのよ⁉ 自分のこと鏡で見たことないの⁉」

「いや、あるけど……。可愛い顔だなぁって自分でも思ったよ」

「自分で言うなそれはそれでなんかむかつくから‼ あと分かってるんならもう少し外見に気を使え無防備すぎてちょっとドキッとするレベルよそれ‼」

 

 ベシイ! と昂ぶった鈴音はイチカの脳天にツッコミを叩き込む。うぎゃあ、と小さく声を上げつつも、イチカは何故自分がツッコまれているのか全然分かっていなかった。

 なお、鈴音の言葉に他意はない。本当に同性でも『この子、大丈夫か?』という意味でドキッとしてしまうのである。変態淑女なら『この子、誘ってるのか?』という意味でドキッとしかねないところだが。

 

「大体、なんで女物の服とか着ないのよ」

「いや、俺、男物の服しか持ってないし……」

「何で男物の服しか持ってないのよ?」

「そりゃ、俺は男だからなぁ」

「……、…………ああ、なるほど。アンタも難儀ねぇ……」

 

 イチカの言葉に、鈴音は何やら納得した風で頷く。分かってくれたか、とイチカが安堵するのもつかの間、鈴音はビシ! と人差し指をイチカに突きつけて言う。

 

「こうなれば仕方ないわ。アンタも色々と大変でしょうし、今日は特別にあたしが面倒見たげる。服代は全部あたしが持ってあげるから、私服買い溜めするわよ」

「は⁉ いや、それは流石に悪いって! 金くらいなら俺出すし、っつかそんなに着る機会もないんだからわざわざ買わなくたって……、」

「い・い・わ・ね⁈」

「……はい」

 

 女は強い。イチカも外面は女の子だが、中身は男なので、鈴音の決定には逆らえないのだった。

 ただ、鈴音は何だかんだ言いつつイチカの服を選ぶのを楽しみにしていたし、イチカの方も多分に女性仕様とはいえ友人と街に繰り出すのは悪くない気分だった。

 

***

 

 そんな二人を、物陰から見守る――いや、覗き見ている影が二つあった。

 篠ノ之箒と、セシリア=オルコットだ。

 イチカのお出かけとあっては、当然黙って見過ごす道理などない。イチカは女の子としては幼稚園児並みの警戒心しか持ち合わせていない。そのくせあんな隙だらけな格好で、隙だらけな雰囲気。そんな状態で街に繰り出せば、それはもうぽろぽろとボロを出してくれることだろう。

 二人は、そうして焦ったイチカを遠目から眺めて萌える為にここにいる。いざってときに助けるとかではなく、焦って半泣きになって鈴音の服の端を摘まみ助けを求めるイチカが見たいが為にここにいるのである。

 

「ついに……始まったな」

「ええ、そうですわね」

 

 二人も(おもに邪な理由で)イチカとお出かけしたかったろうに、そして申し出れば同行もできただろうに、不満は何一つなかった。

 自分達が混じって、直接セクハラに走るのもよいが――、

 

「……あの笑顔は、わたくし達では作れませんわね」

「…………ああ、そうだな」

 

 そう、セシリアは目元を緩めた。

 自分達は、あの場に立てばきっと耐えきれずにイチカにセクハラしてしまう。ぶかぶかの白Tを前に、蛾が灯りに吸い込まれるように服の下の小さな丘に指を滑り込ませてしまうだろう。

 それはそれでいいが(よくないが)、せっかくの初女の子モードでのお出かけなのだ。イチカは自然体のままで楽しんで欲しい。彼女の笑みを困惑とツッコミに染め上げるのも悪くないが(悪いが)、今は友人と屈託のない笑顔で笑い合ってほしい。それが、二人の願いだった。

 

 ……これで望遠レンズつきのカメラを片手に、締まりのない笑みを浮かべて鼻から赤い情熱さえ垂れ流していなければ完璧だったのだが、生憎二人はどこまで行っても変態淑女だ。

 イチカを今日一日()()()()いるのは、十分な撮れ高が見込めるから。鈴音は二人の目論見通り、イチカの服を買うことに決めた。既に町にある全ての服屋の更衣室には監視カメラを仕込んである。

 そして、二人だけが知っている事実がある。

 イチカは、女物の下着を一着も持っていない。白のTシャツなんて着てしまったものだから(あるいはそれしか着るものがなかったのか)ISスーツを着るわけにもいかない。

 そして、更衣室の覗き見により箒はある事実を知っていた。イチカは――男のときのトランクスパンツを、今も穿いている。ズボンだからこそ辛うじて穿ける代物だ。これがスカートやホットパンツになれば、当然脱がなくてはあるまい。そう、監視カメラつきの更衣室の中で、だ。

 つまり、イチカは遠からずその全てをカメラの前に曝け出すことになる。それに比べればお出かけの一回がなんだというのだろうか。一〇〇のお出かけよりも一の濡れ場。それが、変態淑女の基本である。

 

「クク……楽しくなってきたな」

「ええ、全く。時は満ちました。今こそ、イチカさんの全てを我々の手中に収めるとき」

 

 二人の変態淑女は、そう言って笑い合う。

 無垢な少女の身に、汚らわしい魔の手が迫っていた。

 

***

 

「電車、空いてて良かったなぁ」

「あたしはもう気が気じゃなかったわよ……」

 

 IS学園から出ているモノレールに乗って近くの街まで降り立ったイチカと鈴音は、対照的な様相を呈していた。初めて――この一か月殆どIS学園の外に出ておらず、またIS学園の近くは地元ではない――やって来た街に目を輝かせるイチカと、『透け』を気にしすぎて電車の中でも全く気の休まる時間がなかった鈴音。もういっそイチカに全て指摘してしまえばいいのだが、流石にそれをしたらイチカは真っ赤になってしまうだろう。武士、もとい女子の情けとしてそれだけは勘弁してやりたかった。

 

 現在地は駅前にあるショッピングモール『レゾナンス』の二階。

『レゾナンス』は総合ショッピングモールを銘打っており、食事から服飾まで何でもござれな品ぞろえを見せている。二階は服飾コーナーであり、此処では制服から水着まで揃えていないものはないという触れ込みすらあるほどだ。ときたま怪しげな衣装を購入していくカップルもいるが、『楽しみ方』は人それぞれなので見なかったふりをしておいてあげよう。

 閑話休題。

 大手ショッピングモールである此処は電車に地下鉄、バス、タクシーとあらゆる交通網が近くに整備されており、休日であることも手伝って人通りは最高潮に達していた。イチカは新鮮そうにそれらを眺めているが、明らかに観衆の視線はイチカに集まっている。主に男の視線が目立つあたり、イチカの格好の薄氷加減が分かるというものだろう。

 

「まず、下着からね」

「お、おう……」

「イチカ、自分のスリーサイズ分かる?」

「……、」

 

 嘘の吐けない男(今は女の子だが)イチカは黙ることしかできなかった。鈴音は呆れたようにはぁ、と溜息を吐く。溜息を吐かれたイチカは心外だという表情をしたが、乙女の先輩モードとなった鈴音の機先を挫くことはできない。

 

「仕方ないヤツねぇ。測ってもらうわよ」

「ええ! 嫌だよ、知らない人に裸を見せるとか恥ずかしいし……」

「でもアンタどうせ測り方すら知らないんでしょ?」

「…………」

 

 嘘を吐けないイチカは、俯き加減のまま上目づかいで鈴音を見つめる。ちょっと涙目なのが実に可愛らしかったが、変態ではない鈴音にその攻撃は通用しない。

 

「そんな顔してもダメなもんはダメよ。……そんなに嫌なら、代わりにあたしが測ってあげようか」

 

 ……訂正しよう。ちょっと照れくさそうにしているあたり、上目遣いの可愛さでは堕ちていないが、自分を頼って来る健気な一面にはほだされかかっていたようだ。

 対するイチカは、地獄に差しのべられた救いの手に顔をぱあっと明るくさせ、鈴音に抱き付く。

 

「ありがとう、鈴っ!」

「うわっ、ちょ、イチカ! こんなところで抱き付かないでよ!」

 

 とか何とか言っているうちに、件のランジェリーショップにやって来た。店先にある下着姿のマネキンを見て、順調だったイチカの歩みが急に止まった。

 

「……イチカ?」

「いや、あの、えっと……」

 

 イチカは僅かに頬を赤らめ、なるべく下着姿のマネキンを視界に入れないように目を背けていた。女性に免疫のないイチカとしては、たとえマネキンであっても下着姿の女性を象ったものというのは見ているだけで気まずくなるものである。ましてランジェリーショップの中など男にとっては真空地帯に等しい。中に足を踏み入れるだけで窒息しそうになるほどの息苦しさを感じるのだ。

 

「何いまさら尻込みしてるのよ! さっさと行く!」

 

 しかし、鈴音はそんなイチカの心情など一切斟酌せずに無理やり引きずり込む。イチカは嫌がりつつも鈴音に逆らえずに入って行ってしまった。

 そして、下着、下着、下着、下着、下着。

 白いものからピンク色のもの、レースをあしらったものもあればスポーツブラなど布地のものまで、種類はそれこそ数えきれないほどあった。それら全てが、地味にISによって強化されている認識能力によって脳内に拾われていく。そして、扇情的なデザインのものばかりが目についてしまう。

 イチカは、想像した。

 様々な下着を身に着けている自分の姿を。

 レースが施された純白のランジェリー。白式と同じカラーリングだからか、何となく自分に映えるなぁとイチカは思った。想像の中では、比較的幼い体つきのイチカにレースの施された下着が微妙なアンバランス感を醸し出していたが、しかしそれが一見すると子供にしか見えない少女も実は大人なのだという意外性を感じさせていた。そして何より、下着がエロい。自分がそんなものを着て、しかもそれを他人に見せているというシチュエーションはあまりにも倒錯的だった。

 見せている相手は、誰なのだろうか? もしかして、男の人だったりするのだろうか? 自分が、『そうなる』可能性を秘めているのだろうか?

 

 ………………………………………………………………………………………………………………。

 

「ねえねえイチカ、これなんて良いんじゃない? ……ってアンタ、大丈夫?」

 

 そう言って鈴音が差し出して来たのは、ライトグリーンの下着だった。目に優しい、そして幼い体つきのイチカに良く似合う色合いだった。下着は下着だがそこまで色気というものも感じられない。これを着ている自分を想像しても、姉の下着を洗濯していて耐性のあるイチカにしてみれば『ああ、下着姿だな』としか感想を抱けないくらいだ。先程までのイメージがあまりにも刺激的すぎただけでもあるが。

 

「あとこっちのピンクのも可愛いと思わないかしら」

「う、うん……。そ、そうだな……」

 

 イチカは自分の妄想っぷりを恥ずかしく思いながら頷いた。

 この有様では、セシリアや箒達のことを言えないではないか。ランジェリーショップの雰囲気に()てられすぎだ。イチカは我に返って落ち着きを取り戻した。

 なお、その後方ではオペラグラスを片手に赤面したイチカを観察し、(鼻血で)赤面していた変態淑女二人がいたことを追記しておこう。このくらいで変態淑女と同類になってしまった気になっているイチカは、まだまだ救いようがある。

 

「あっ、そっか」

 

 どうにも興が乗っていないイチカを見て怪訝な表情を浮かべていたが、鈴音はふっと何かに納得して頷いた。イチカは『何に気付いたんだろ?』と首をかしげたが、次の瞬間鈴音の言った言葉でさっと顔を青褪めさせることになる。

 

「そういえばまだスリーサイズ測ってなかったわね。店員さんにメジャー借りて来るからちょっと待ってて」

 

 そう。ランジェリーショップに中てられたせいで忘れていたが、スリーサイズを測らなくてはならないのだ。

 ……人前で、それも女の子の前で、服を脱ぐ?

 イチカ的にそれはいけないことだった。いくら外見的には同性でも、精神的には立派な異性である。

 

(ど、どうしよう。逃げ……いや無理だ。絶対すぐ見つかるし、何より鈴に怒られるし)

「お待たせ。……良かった、逃げてなかったわね」

「はぇえ⁉ ななななな何で逃げる必要があるんですか⁉」

「……逃げてたら、そこにあるネグリジェとTバックが融合した黒くてスケスケの破廉恥極まりないランジェリーを着せているところだったわ」

 

 世にも恐ろしい鈴音の告白に嘘の吐けない少女イチカはただひたすらがくがくがくがくがくーっ‼ と震えるしかできなかった。思い止まって良かったと本気で思っていたが、鈴音がくすくす笑っているあたり実はただからかわれているだけなのであった。もちろん、イチカは気付いていないが。

 

「んじゃ、更衣室に行きましょうか。そこで測ったげるから」

「う、うう……」

「恥ずかしがってんじゃないわよ。女同士なんだからさ」

「そ、そりゃそうなんだけどさぁ……」

 

 確かに今は女同士だが、内面は違うのである。男が女の状態で女に裸を見られるというと色々とイレギュラーが多すぎて恥じらうべきか否か悩んでしまいそうになるが、やっぱり異性に裸を見られるのは何か恥ずかしいはずなのである。

 と言いたいところなのだったが、ザ・押しに弱い少女イチカは鈴音に引っ張られるままに更衣室へと吸い込まれていってしまった。

 

***

 

「……ッッッ良し‼ 良ォォおおおしッッ‼‼」

「面白くなってきましたわァああ……! 宴はこれからですわよ‼」

 

 そして、変態淑女はISの情報処理能力をフル稼働させてこのランジェリーショップに設置した盗撮用隠しカメラにハッキングをしかける。

 

***

 

「はい、腕挙げて」

「う、鈴~……」

「分かってる、脱がせたりしないから安心して」

 

 更衣室に入るなりイチカの腕を上げさせる鈴音に、思わずイチカは情けない声を出してしまうが、鈴音はそんなイチカの心もきちんと把握しているらしかった。服を脱がせたりせず、そのままシャツの裾から腕を突っ込む。

 腕でシャツがまくれ上がり、イチカの引き締まったお腹だけでなく鳩尾のあたりまでが露わになるが、肝心の部分については辛うじて隠されている状態だった。どこかで『ヂィィッッ‼‼』と凄絶な舌打ちをする音と『ぶぼっっ‼』と凄絶な出血をする音が響いたが、更衣室の中にいる二人にそれは分からない。

 

「ひぁっ……」

「ちょっと、変な声出さないでよ」

「ご、ごめん。ちょっとひんやりして……」

 

 胸にメジャーを当てられたからか、イチカはどこか落ち着かなさそうに身を捩らせる。

 その様子を隠しカメラにて確認していた変態淑女二人は盗聴機能を取り付けていなかったことを血涙を流す勢いで後悔していたが、そんな中でも話は進んでいく。

 

「トップは……七九・八センチね」

「それ、大きいの? 小さいの?」

「わりと小さい」

「鈴よりは?」

「ブン殴るわよ」

 

 鈴音は額に青筋を浮かべて、

 

「そもそも、胸の大きさってのはトップだけじゃ分かんないのよ。トップ(最大値)とアンダー(最小値)の差で胸の大きさっていうのは決まるわけ。世の間抜けな男どもは勘違いしてるけどね、絶壁だなんだ言われてるけどあたしは一〇センチも胸があるの! 一〇センチもあれば十分じゃない! ほら、挟もうと思えば、挟まるし…………指とか、挟まるし……!」

「で、一〇センチって何カップなの?」

「…………Aカップ……」

 

 苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる鈴音に、イチカは何か申し訳ない気持ちになった。

 

「…………そんなに胸って重要か?」

「うるさいわね! 確かにあんまり重要じゃないけど、なんかムカつくじゃない! 胸が小さいってだけで馬鹿にされるの!」

 

 それは一理あるな、とイチカは思った。別に胸なんか大きくたってえらいわけじゃないんだし、そんなので勝った負けたと考えるのは器が小さい。イチカの周囲には千冬とか箒とか束とかとにかく胸の大きな女性がたくさんいたので、彼女はその有難みを忘れているようだった。

 

「んじゃ、アンダーも測るわよ、見てなさい、どーせアンタだってAカップになるに決まってんだから……」

「あひぁ」

「だから変な声出さないの」

 

 すっと胸のすぐ下にメジャーを巻きつけられたイチカはまたも変な声をあげてしまう。しかし二回目なので鈴音も大して構わずにさっさと測り終えて、アンダーのサイズを確認する。

 

「……六七・三」

 

 ぼそり、と鈴音が呟く。

 その言葉を聞いて、イチカは拍子抜けしたような表情を浮かべた。

 

「ってことは――一二センチか。なんだ、鈴とあんまり変わらなかったな」

 

 女の自分のスタイルというのは、自分事なだけに気になるが、所詮いっとき、かりそめの姿である。なのであんまり関心がないのでそんなことを言ったが、対する鈴音のリアクションは強烈だった。

 

「変わるわよ‼ 一二『・五』センチ‼‼」

「えっそんな小数点以下までカウントしなくても……」

 

 思わず後退りしそうになるイチカだったが、鈴音はさらに詰め寄る様にして言う。

 

「一二・五センチはBカップなのよ‼‼‼」

「あの、声……」

 

 もはや暴走状態に陥った鈴音はイチカの言葉など聞いていない。もうイチカは更衣室のカーテンの防音性にすべての望みを託すしかなくなっていた。

 

「あたしが、あたしがどれだけ……! どれだけこの二・五センチの差を埋める為に頑張って来たと思っているの……⁉ たくさん食べて脂肪をつけようと思っても腹にばっかり肉がいきやがって、そっちじゃねえんだよ聞き分けの悪りい脂肪だなコラ‼」

「鈴、キャラが……」

 

 最後の方は口調が乱れに乱れていた鈴音をなだめるように、イチカは鈴音の肩に両手を置く。ややあって平静を取り戻した鈴音は息を荒げながらも、とりあえず会話は出来る程度には落ち着いたらしかった。

 胸の話題は、地雷。

 本人は気にしてない風を装っているが、明らかにコンプレックスになっている。貴重なツッコミ要員をボケに回さない為にも、この話題は封印しよう――とイチカは思った。

 

「……こほん。アンタはカップサイズがBでアンダーバストが六七センチだから、ブラは『B六五』のものを選ぶのよ。良い、覚えておいてね。アンダーのサイズが近い方で選ぶんだからね。それと、アンタ身長はまだ伸びてる?」

「ん? まだ伸びてるけど」

「それじゃあ、ブラがきつくなってきたと思ったらまた測り直すのよ。測り直さないで目算で新しく買い換えると、サイズの合わないブラをつけるのってけっこう苦痛だから」

 

 それは、ひょっとして実体験からか――? と思ったが、イチカは言わないでおいた。まだまだ命が惜しい。

 

「次! ウエスト!」

「はっはい」

 

 切り替えるような鈴音の号令にビシッとしたイチカはそのまま服をたくし上げる。どこかで変態淑女二人が盛大に出血したが、それは気にしてはいけないのだった。というかセシリアはともかく箒はついこの間までノーマルだったはずなのだが、何が彼女をあそこまで駆り立てるのであろうか。

 

「んひっ」

「変な声上げない……。っつーかアンタホントに細いわね……。えーと、五四・八センチ。……アンタちゃんと食べてる?」

「いや、お昼たくさん食べるぞ?」

「全食ちゃんと食べろっつってんの! これちょっと細すぎよ、あと二センチくらい増やしなさい!」

 

 二センチなんて大したことないんじゃ……とイチカは思ったが、多分そこは女性にしか分からない大事な線引きなのだろうと思うことにした。細すぎてバテてもロクなことにはならないし。

 

「次はヒップを測るわよ。ズボン脱いで」

「お、……おう」

 

 鈴音の指示に従ってイチカはズボンを脱いでいく。カチャカチャとベルト金具が音を立てていくのを聞いて、イチカはひょっとして自分はとんでもなく恥ずかしいことをしているんじゃないかと思い始めて来た。今更である。

 すとん、とズボンが落ちると、イチカは一気に自分の下半身が涼しくなるのを感じた。まるでそこだけ一糸纏わぬ状態になっているかのような――、

 

「――あれ?」

 

 そう、一糸纏わぬ状態になっているかのような感覚を感じてイチカは自分の下半身に視線を向けた。

 パンツを――――穿いてない。

 いや、違う。脱げたのだ。もともと、イチカのパンツは男用で、イチカのヒップのサイズには合っていなかった。そこに緊張しながらズボンを脱いだものだから、勢い余ってパンツまで脱げてしまったのだ。

 幸いだったのは、ちょうどそのときヒップを測る為に鈴音がイチカのヒップ周りに後ろから手を回していたおかげで、大事なところは鈴音の手によって隠されていたところか。流石にモロで見てしまった日には、イチカは恥ずかしくて死んでしまうだろう。

 鈴音自身も、イチカの背中に貼りつくようにして、ちょうど頬を背中にくっつけている状態なのでイチカの惨状にはまだ気付いていないようだ。 咄嗟に鈴音の手を両手で押さえつけて大事なところの防御を完璧にしたいイチカだったが、それをしたら即ち待っているのは『接触』であり、然るのちに友情の終焉が待っていることくらいは鈍感なイチカにも分かった。

 

「あ、あのっちょ!」

「? 何よ、急に慌てだして。すぐ測るからちょっと待ってなさい」

「いやァあああああああああ待ってまだ測らないで‼」

 

 思わず女の子みたいな(女の子だ)悲鳴をあげてしまったイチカだったが、その剣幕が逆に正解だったらしい。鈴音は面食らって手の動きをぴたりと止めた。イチカはその一瞬の隙を突いて一瞬だけ右手の装甲を部分展開、その分伸びたリーチでズボンごとパンツを上げる。そしてすぐさまISの装備を解除したのだった。

 ……この部分展開は代表候補生にしか使えない高等技術であり、イチカは今まで使えたためしがなかったのだが、どうやらこの極限状態でその技術をマスターすることに成功したようだ。

 

「イチカ……あのねえ、あんた」

 

 結果として、鈴音はイチカが恥ずかしがってズボンを上げたという風にしか認識できていないらしかった。イチカは内心と表面上で別々の意味を込めながら鈴音に詫びつつ、今度は慎重にズボンだけを降ろす。

 

「……っつか、アンタ、男物のパンツ……?」

 

 鈴音は改めてイチカの下着を見て呆れているようだった。

 

「…………つかぬことを聞くけど、これって新品よね?」

「ああ。っていうか服とかは大体IS学園に来てから買ってもらったよ。家からは持ち込めないからって」

「何でこんなとこまで徹底してんのよIS学園……私服くらい許してやりなさいよ……」

 

 鈴音はブツブツと呟きながら、とりあえずイチカの非常識さについては目を瞑ることにした。何か致命的な齟齬がありそうだったが、残念なことにそこに気付ける人間は此処には誰もいないのだった。――一〇〇メートルほど離れた場所にはいたが、今その二人は出血の処理に忙しい。

 

「ちょっとパンツ下げるわよ」

「えっ⁉」

「変に驚かないでよ。アンタが穿いてるの、トランクスだからちゃんとしたサイズが分かんないのよ。全部はずらさないから」

「お、おう……」

 

 大分ギリギリのラインを攻めて来る運命の魔手に、イチカは軽く絶望感を抱きながらも言われるがままにする。一瞬間が空いて、ひんやりとした感覚が今度は臀部を覆った。

 

「ひゃっ」

「はいはい動かない」

 

 鈴音の方はもう慣れたもので、あっさりと計測を済ませていく。しゅるり、とメジャーが離れたのを感じたイチカは、電光石火の速度でパンツとズボンを引き上げ、ベルトを締めて重装備を整える。もうこんなことは二度と御免だ――とイチカは思った。

 

「八二・六センチね」

「それってでかいの? 小さいの?」

「小さいわよ。アンタが仲良くしてるあの二人とか、九五くらいはあるんじゃない? 胸でかいし」

「九五かあ……」

 

 イチカはよく分からないが、男の感性で言うとヒップのサイズが九五あります! なんて言われたらおっきいなあと数字のイメージだけで漠然と思う。男はスリーサイズの善し悪しなんて実感を持たないからそんな感じなのだが、女性からしたら身近なもので、男の勝手なイメージもつきまとうから色々と大変なんだろうなぁと思った。

 尤も、九五という鈴音の見立て自体、バストサイズからくる僻みもあるので正確な数値とは言い難いのだが。

 鈴音の方はそんなイチカの呟きをどう捉えたのか、べしべしと半分出たお尻を叩き、

 

「心配しなくても、あたし達はまだ高校生なんだから伸びるヤツは伸びるわよ! それにアンタはグラマーじゃない方が可愛いと思うし」

「やめろよ可愛いとか……それに鈴は中学の時から成長止まってなかったっけ?」

「ばっ……! っに言ってんのよこっからよこっから‼ ……あと昔のことなんて何で知ってるわけ⁉」

「いや、普通に……」

 

 イチカとしては普通に記憶しているだけだが、鈴音からしたら『一夏の影武者をやる以上交友関係は頭に叩き込まれている』という意味合いになったので、なるほど……とまたイチカの境遇に同情するだけで終わるのだった。イチカはまた地雷を踏んだと思って話題を切り替えることばかり考えていたので、鈴音の不審な言動には気付けないのであった。

 なんだかんだ、抜けている二人である。

 

***

 

「てっ手パン……ッ! 手パンですわ……!」(※手でパンツの意)

「おい! 落ち着けセシリア! これ以上血を出し過ぎると死ぬぞ‼」

「ほ、箒さん……」

「セシリア‼」

「わ……我が一生に、一片の悔いなし……ッッッ‼‼‼」

「セシリアああああああ――――――ッッッ‼‼」

 

 倒れる変態! 忍び寄る盗撮の魔の手! 既に法律はブッチギリ……一体二人のお買いものはどうなってしまうのか⁉ 後篇に続く‼


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