【完結】どうしてこうならなかったストラトス 作:家葉 テイク
「次、服買いに行くわよ、服」
「あれ? 買った下着は着ないで良いの?」
結局、あれからパステルカラーの、色っぽくない(子供っぽいともいう)下着を何着か、そして鈴音からの強い勧めで白い大人っぽいのを一着買った(料金は鈴音持ちだが)イチカは、そのままの格好でランジェリーショップを後にしていた。
劇的な変化も覚悟していたイチカだけに、少々肩透かしの格好である。
そんなイチカに鈴音は呆れたように溜息を吐き、
「はぁ……アンタ、自分の格好忘れてるわよね。その格好じゃブラ紐が出ちゃうでしょ?」
再三になるが、イチカの格好はだぼだぼの男物のTシャツに迷彩柄のカーゴパンツ。そこに女物の下着でも身に着けようものなら、大きく出た肩からブラジャーの紐がはみ出て女子としての死は免れないのであった。
イチカはそんな事情など分からないので、とりあえずブラ紐がはみ出る=NGという図式だけ覚えておくことにした。こういうときの女に歯向かっても良いことは何一つない。
「分かった」
「分かってなさそうだけど……まあ良いわ。まだお昼まで若干時間あるし、ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと買うわよ」
「なんかもう既に数日くらい見てる気がする……」
「アンタは疲れすぎ。このくらいで音を上げてたら、学園の女子どもと遊びに行くとき持たないわよ」
「う~、多分俺の服を買ってるから疲れてるんだと思うけどな~……」
ぶつくさ言うイチカを半ば引きずるようにして、鈴音は進んでいく。
「そういえば、アンタは好きな人とかいる?」
その道すがら、鈴音は唐突にイチカに問いかけた。突然の恋バナに、イチカは一瞬言葉を詰まらせる。
「……いないけど、どうしてだ?」
女の園であるIS学園に編入したのだからよりどりみどり、恋の一つや二つ――ともいえるのだが、イチカの精神は生憎じじむさいと親友に言われる程であり、尚且つ朴念仁である。しかもIS学園の女子と来たら、メスとしてイチカを狙うオスの変態淑女どもである。もはや恋とかそういう次元の話ではなくなっていた。
「いや。アンタも好きな人の一人や二人くらいできれば、自分のことに気を配るようになるのかなーってね」
一方、そんな事情を知らない鈴音はへっ、と影のある笑いを浮かべていた。しかし、好みの人の前で自分をよく見せたがるのは男女共通の概念だ。イチカは今の自分がなんとなくずぼらだと(散々鈴音にツッコまれて)自覚はしているので、なるほどと頷いた。
「じゃあ、鈴は?」
好きな人ができれば自分のことに気を配るようになる、という鈴音の言葉に従えば、帰国前とファッションが違っている鈴音は中国にいる間に自分を見直すきっかけがあった――つまり好きな人ができたのではないか? とイチカは思う。大切な親友に好きな人ができたのであれば、それは勿論応援してやらねば嘘というものだろう。
「……まあ、あたしにだって好きな人の一人くらいはいるわよ」
鈴音は少し照れくさそうにしながら、そっぽを向いた。
「今は遠い所にいるけど……とっても、大切な人がいるの。その人の為に、あたしは『次期代表』にまでなったんだから」
「へえ……」
やはり、と思う一方で、イチカはそこまで鈴音が想う人物に思いを馳せてみた。鈴音がそこまで入れ込むような男なのだから、きっと魅力的な男なんだろう。親友としては、どこか娘が嫁に行くような気持ちに近いものを感じるイチカであった。
……まさかそれが自分のことだとは、夢にも思っていないのが罪深い。
「でもね! 今は
鈴音は憎らしそうに、どこか安心しているように最後にそう付け加えてから一旦間を置いて、
「それに、アンタだって今のあたしにとっては同じくらい大事な……友達なんだから」
自分の人生を賭けるくらいに好きな男と天秤にかけて『同じくらい』とはずいぶんだ――とイチカは思うが、同時にそれが鈴音という人間なんだということも何となく分かっていた。
昔風に言えば、『義に
そしてそれは、IS学園に入学していなければ気付けなかった側面だ。
「ああ……俺も、同じだよ」
鈴音に手を引かれながら、思う。
人は成長するもので、現にこうしてイチカの横を歩く鈴音の姿は、中国に行ってしまう前の鈴音からは想像もできないものだった。こういう一面を、成長を知ることが出来たのは、IS学園に入学したからだ。
鈴音だけではない。箒も、セシリアも、変態ではあるがその他のクラスメイトも、何だかんだ言って悪いヤツではない。彼女達との出会いも、イチカにとっては大切な財産で――それを得ることが出来たのは、イチカが男でありながらISに乗る才能を持っていたからだ。
「色々あったけど、俺、IS学園に入学してよかったって、今は思う」
「……そ」
鈴音はそっぽ向いたままイチカの先を歩いて行く。
そっけない態度だったが、その耳が真っ赤に染まっていたのを、イチカは見逃さずにいた。
素直じゃないヤツ、と内心で笑いながら、イチカは照れ隠しで足の速くなったエスコートを甘んじて受け入れた。
***
「キーマーシーターワー‼‼」
「セシリア⁉ 生きていたか!」
「塔を、塔を建てるのですわ‼」
***
一方、イチカと鈴音の二人は無事に服屋に到着していた。
「こ、此処が……」
「服屋よ。何そんな緊張してんの?」
そう言って、鈴音はさくさくと店に入って行く。(中身は)男のイチカとしてはランジェリーショップと同等レベルの居辛さなのだが、いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。見えない力に後押しされるように、イチカも中に入って行った。
内部は様々なジャンルの服が置かれており、それぞれ服の『系統』ごとに売り場が分かれているようだった。ブランドの関係なのか、あるいは店員が独断で分けているのか、ファッションに疎いイチカにはいまいち判別がつかないが、欲しいものが一つの場所に固まっているのは有難いな――と思った。
鈴音はどこから攻めて行こうか悩んでいるようだったので、イチカはそんな鈴音から主導権を奪うように迷彩柄なミリタリーっぽい服が並んでいるゲテモノゾーンへと踏み込もうとする。イチカは困ったら迷彩柄に頼ろうとする中学生男子でも早々ないようなファッションセンスの持ち主なのだった。
「イチカ、アンタ一人でそっち行っちゃダメ」
……が、あっさりと鈴音に首根っこを掴まれてしまった。
「……一応聞くけど、何で?」
「どーせアンタ、そっちで似たような感じの趣味の服を選ぶつもりでしょ? アンタのセンスに任せてたら変な物しか買わないから、駄目」
「お前は俺の保護者か⁉ 良いだろ好きなモン買ったって!」
「アンタの為を思って言ってんのよ! 変な服着て恥をかくのはアンタなんだからね!」
「そもそも制服着るから滅多に私服で外なんて出ねえし……」
「ファッション音痴のアンタの為の勉強も兼ねてるの。今日お金出してるのあたしなんだから、このくらい言うこと聞きなさい」
そう言われてしまうと、イチカとしては何も言えなくなってしまうのであった。
イチカが矛を収めたのを見て取ると、鈴音は満足そうな笑みを浮かべて、
「じゃあ、こっち行くわよ。まあ、アンタはガーリッシュ系とかきれい系とか似合う感じじゃないし、カジュアル系か、いいとこキレカジ系ってとこかしらね」
「キレカジ?」
「きれい系とカジュアル系の間ってこと」
「それ別に略さなくて良いんじゃないかな……」
ぶつくさぼやくイチカだったが、それが女子のサガというものである。郷に入っては郷に倣えと言うことでイチカは渋々キレカジ系の売り場へと足を運ぶ。
「……大変だ鈴」
「どうしたのイチカ」
「俺、そもそもきれい系とカジュアル系がどんなものかすら分からない」
「…………。言葉の感じから察しなさいよ、それくらい」
売り場へ一歩足を踏み入れるなり、衝撃の事実(拾い忘れ)に気付いたイチカだったが、それはあっさりと流されてしまった。しかし、数か月前までバイトに明け暮れる男子中学生で、困ったら迷彩に手を出してしまうという壊滅的なセンスを持ったイチカにとって、ファッション用語など異国語とほぼ同じである。英語を全く分からないものに『Literature』の意味をスペルの雰囲気から察しろと言われたって、大体の人は無理だろう。
「どのみち、アンタはきれい系もカジュアル系も似合わないわよ。きれい系はもっとお淑やかな子向きで、カジュアル系はもう少し大きくてキリっとしてる子向きだから」
「なんだそれ。俺がチビでガサツってことか?」
「意外と自分のことよく分かってるじゃないの」
「……お前だって人のこと言えないだろ、貧乳」
「ど、の、く、ち、が、そんなこと言うのかしらぁああ~~~~ッ⁉」
「ひぃ、いふぁい、いふぁい、ぼうひょくはんふぁい‼」
口論の末に暴行をはたらくというどっかの見出しみたいな行動に出た鈴音は、力でイチカを黙らせると手を放して本題に戻る。
「きれい系っていうのは、無難な感じ。トレンドに乗っかりつつ、清潔感を重視してるの。言ってみれば『オシャレで清楚』ってことね。一番万人受けするタイプ」
「ふむふむ。……じゃあそれで良いんじゃないか?」
「そういうのはある程度『中身』も無難にこなせるタイプじゃないとダメなの。アンタの周りだと……イギリス次期代表とかね。アンタは無理」
「それ、前から思ってたんだけど肩書で呼ばないとダメな決まりでもあるの?」
「カジュアル系は、元気な感じ。要するにラフなファッションって感じで、仕事には着ていけない感じね。ジーンズとか、ボーイッシュなファッションとも若干被るわね」
さらっとおそらくは読者も思っていたであろう疑問を流した鈴音は、次の説明に入ってしまった。RPGで味方キャラが同じことしか言わないときに似た悲しみを背負うイチカだったが、それでも思うことはあった。
「俺、それが良いなあ……」
「駄目。アンタがそれやると、悪ぶって背伸びしてる子供にしか見えないから」
「上げ底でなんとか……」
「そういう問題じゃないのよ。顔、顔の問題」
顔の問題、という男の時は言われたことすらなかった大問題に直面したイチカは、思わずがっくりと凹んでしまう。そんなイチカに、鈴音は微笑みながら肩に手を置く。
「そう心配しなくても良いわよ。多分、オシャレに疎いアンタからしたらそもそもキレカジ系ときれい系とカジュアル系の違い分かんないから」
「…………」
……悲しいことに、一理あった。
***
「あかんて、これはあきまへんでぇ……! エロさはない、ないですが、この着実に友情を育む感じ、妄想がはかどりますわァ……!」
「フッ……流石だと言いたいところだが、甘いぞセシリア! 凰にほっぺをぐにぐにされるあのイチカの姿に、エロスがないとは言わせない‼」
「ハッ⁉ まさかあの頬の歪み方が【ピ――】で【ピ――――】とでも言うのですか⁉ 流石箒さん、やりおる……‼」
***
(参ったなあ)
服選びの最中。
イチカは、ぼんやりとそんなことを考えていた。
(さっきから、何となくそうじゃないかとは思ってたけど――)
ある意味、それは必然だった。イチカ自身、ここまでのことは初めてだったから思い至っていなかったが、普通であれば『そう』なるのは当たり前というものだった。
(ションベンいきたい)
その名は――尿意。
(あれ? でもこの身体でトイレって――)
当然、男子トイレに入ろうものなら今のイチカは少女の姿をしているので変態の誹りを受けることは免れない。なのでこの選択はナシになる。女子になったのだから女子トイレに入るのは――まあ仕方がない。イチカにとっては死ぬほど恥ずかしいが、女になって女子に揉みくちゃにされたり女子更衣室に拉致されかけたりしている日常を送っているイチカにとっては今更だ。
だが――女子トイレに入る以上、女子として用を足さない訳にはいかない。
女の子の身体だから女子トイレに入っても許されるのだ。女子トイレの中で変身を解いたら、それはもう女子トイレの中で用を足す変態でしかない。
そして――用を足す以上、イチカは自分の手で、色々と……『デリケートな行為』をしなくてはいけなくなる。
それは、果たして、良いのか? 許されるのか?
イチカは思い悩んだ。そして――ふと気付いた。
(あっ、途中で男に戻れば別に良いじゃん)
流石に人混みの中で変身するわけにはいかないが、適当に人がいないところで変身を解除してしまえば、男子トイレに入っても変態扱いされなくなるので何ら問題はなくなるのである。イチカは今日一番の冴えを見せる自分の頭に感心した。
「ごめん鈴、ちょっとトイレ行ってくる」
「あ、そう? じゃあ此処で待ってるからさっさと戻って来てね。トイレの場所分かる?」
「馬鹿にすんなよ。そのくらい分かるって」
鈴音、これをあっさり了承。
イチカは手を振りながら、『女として過ごすのもそんなに難しいことじゃないな』などと直前までの悪戦苦闘を棚に上げて調子に乗っていたのだった。
***
「――これは、よろしくないですわね」
「ああ――せっかくのトイレイベントを機転で無効化しようとしているな」
「仕方がありませんわ。此処は――――わたくしたちがテコ入れをする必要があるようです」
「そう言うと思って、既に用意はできているぞ。――さあ、パーティの始まりだ」
***
「なん、だと」
男子トイレの前で、イチカは愕然としていた。
周囲に人はいない。此処でなら変身を解いて、可及的速やかに男子トイレに入り込んで用を足すことができる、はずだったのだが……。
トイレ清掃中。
その看板が、彼女の前に堂々と立ちはだかっていたのだ。ちなみに女子トイレの方にはない。無視して入ろうかとも思ったのだが、中にいた黒髪ポニーテールで巨乳なのに声だけは妙にしわがれた掃除のおばちゃん(マスク装備)が『ごめんねぇ、あと一時間くらいは清掃中だからねぇ。あれ? よく見たら女の子だったねぇ』とか言って掃除していた為に望みは潰えたのであった。
ちらり、と女子トイレを見るイチカだったが、すぐさま首を振って脳内によぎったその選択肢を振り払う。
「いっ、いや! まだ他の階がある。望みが潰えたわけじゃない」
段々と膀胱の存在感が増していくが、イチカはそれを無視して歩き始める。幸い、トイレの近くには階段があり、他の階との行き来は容易だった。イチカは上の階を目指そうとしてみて――上るのはやっぱり膀胱への刺激がアレなので、半分くらいまでのぼった後に思い直し、下って二階へと向かう。お蔭で膀胱はさらにピンチに近づいたが、気にしてはいられない。
(しっかし、なんでこんな時間にトイレの清掃なんか……。昼時なんて一番利用者が多い時間帯だろうに……)
それでも内心では納得がいっていないのか、ぶつくさ呟きつつ階段を下りて行く。既に膀胱は我慢限界の六〇%ほどまでキていたが、二階のトイレを使うことが出来れば何ら問題はない。イチカの表情にはまだ若干の焦りしかなかった。
が。
「オー、スミマセンネー。こっちのトイレは清掃中なんですネー。……オーゥ、と思ったら女の子でしたネー! じゃあ普通に女子トイレを使えば問題ないですネー!」
ゆるくカールさせた金髪が印象的な、メガネマスクの掃除のおばちゃんが、イチカの前に立ち塞がる。
イチカは、思わず泣きそうになった。
「うっ、うっ……いつになったら終わりますか……?」
涙をこらえきれないイチカの問いに、いつの間に取り換えたのか真っ赤なマスクをした掃除のおばちゃんは、
「ブッゴフ……あと一時間ほど待てば空くと思いますが――お嬢ちゃんには関係ない話ネー」
そして――イチカは思う。
(もう……別によくないかな?)
と。
(っていうか、よくよく考えたらこれ自分の身体だからマズイことなんて何もないし、いくら身体が違うって言ってもそうそうおかしなことにはならないだろうし、目を瞑ってぱぱっと済ませれば案外いけるんじゃないか?)
イチカの目が急速に据わったのを確認した掃除のおばちゃんは、内心でほくそ笑む。
(
何を隠そう――この掃除のおばちゃんこそ、イギリス次期代表筆頭候補セシリア=オルコットその人である。
こうやってイチカの思考を誘導し、女子トイレに誘き寄せた上で――その模様を監視カメラで録画するのが、彼女の目的の一つだった。そして今、その目的を邪魔する障害は全て取り払われた。もはやイチカは女子トイレに向かい、そして目を瞑って用を足してしまう。目を瞑っているからISの高精度センサーは仕掛けられた監視カメラの存在に気付けないし、ゆえにベストヴューで完璧な映像が保証される。
全て、この変態淑女の手のひらの上だったのだ……!
と。
「あれ? イチカこんなとこで何してんの?」
女子トイレから、鈴音が現れるまでは。
ささっと男子トイレの中に引っ込んだ掃除のおばちゃん――もとい変態淑女セシリアをよそに、目の据わった少女イチカはそこでやっと鈴音の存在を認める。
「え、いや、何ていうか……」
「あ、
おそらく、イチカが上の階へ行こうとした時にすれ違いで三階のトイレに向かったのだろう。ただでさえトイレを我慢していたイチカの移動速度は遅くなっていたから、四階から二階へ移動するまでの間に鈴音の方が早く二階のトイレを使用できたのだ。
「(箒さん……⁉ まさか意外と機械音痴な方だったんですの……⁉ 不覚ですわ……まさかこんなことで中国次期代表がやってくるとは!)」
男子トイレの陰に隠れたセシリアは、思わず歯噛みする。考えられる可能性は、箒が掃除のおばちゃんへの擬態の為に使っていた掃除の為の機械の操作をミスって騒ぎを起こしてしまった、とかだが……おそらくそのセシリアの予測は正しい。だから鈴音は此処にいるのだ。
しかし、既に鈴音はトイレを済ませた後。此処からイチカの盗撮を妨害できる要因はない。セシリアは勝利を確信し――、
「あ、そうそう。アンタ気を付けなさいよ」
そこで、鈴音の右手に握られている何かの残骸に気付いた。
「ほらこれ。ここのトイレ、なんか分からないけどめちゃくちゃ隠しカメラが設置されてたのよ。多分盗撮目的ね。一応見つけた奴は全部取っ払ってブッ壊したけど……まだ残ってるかもしれないから、一応ね」
「あ、ああ」
生身で隠しカメラを粉々に握り潰している鈴音の膂力に若干引き気味のイチカだったが、それ以上にセシリアは戦慄していた。
「(ば、馬鹿な……ッ⁉⁉ あの隠しカメラを見破った、ですって……⁉ 箒さんが調べ抜いた最高の設置ポジションを! いや、待つのですセシリア、まだ望みはありますわ。まだ残っている可能性はある。ISの機能を使ってカメラにハッキングを――‼)」
しかし。
帰って来るのは――ノイズばかり。それは、全てのカメラが破壊された、という何よりの証だった。
「犯人は捜しておくから、アンタは心配しなくて良いわよ。それじゃ、あたしは先に戻ってるから」
「……分かった」
犯人は捜しておく、という鈴音の言葉に、素直にうなずいたイチカだったが――何となく、分かりかけていた。
あの妙に都合のいいトイレのおばちゃんに、図ったように仕掛けられた隠しカメラ。そんな回りくどい変態行為に手を染めるような馬鹿を、イチカは何人か知っている。
「………………はあ。ちょっと見直してたのに」
どこか残念そうに呟き、トイレの中に入って行くイチカ。
セシリアと箒の手並みは完璧で、彼女達が法的な裁きを受けることは――このSSがギャグというのもあって――ないだろう。
だが。
彼女達にとって、その一言は…………下手な制裁よりも、ダメージを負うものであった。
***
結局、それ以上の変態的な嫌がらせはなかった。
服の購入にあたって、下着ごと着替える場面もあったにはあったが――あの一言によって賢者モードに入った箒とセシリアは、早々に更衣室に仕掛けておいた隠しカメラを撤去していたので、イチカは盗撮されることなく着替えを完遂できた。
「……な、なんか変な感じなんだけど」
イチカの現在の格好は、白いオフショルダーのTシャツに、黒いタンクトップ、紺色のフレアスカート――という出で立ちだ。足元はパンプスで、イチカは先程から普段よりも不安定な足元に不安がいっぱいだった。
「大丈夫よ。すっごく似合ってる。可愛いわ」
「そういうの恥ずかしいからやめろって……。それに、この黒いの見えてて良いの? ブラジャーはその下にしてるけど」
「それは見せる為のインナーだから良いの! そういうものなんだから」
インナーはインナーであってどんなものでも平等に見せてはいけないのでは? と疑問に思うイチカだったが、『そういうもの』と言われてしまうともう何も言い返せなくなるのがオシャレ弱者の悲しいところだった。
ともあれ、これでイチカのファッション更生は何とか終了したということになる。そう思った途端、どっと疲れが出て来るのであった。
「言っとくけど、学園に戻ったら服の組み合わせとかもう一度おさらいするからね。アンタ、今ほっと安心して今日教えたこと半分くらい忘れちゃったでしょ」
完全に図星である。
「もう今日は服の話はやめにしようぜー……」
イチカは完全に心が折れて、今にも倒れそうな感じで鈴音の肩に手を置いて懇願する。今までの――鈴音が中国に行くまでの――イチカでは考えられないスキンシップだったが、今日一日の経験でイチカは鈴音に対しての印象が随分と変化していた。何と言うか、男友達である五反田弾にも似た――本当の意味で『気の置けない』関係性に。
「はあ……仕方ないわね」
そんなイチカだからか、鈴音は呆れたような表情を浮かべつつも、その口元にしっかりと笑みを作って、今日一日慣れないことを覚え通しだったイチカの頭に手を置く。
「ま、よく頑張った方でしょ。まだまだだけど、今日は及第点ってことにしといたげるわ」
「うう……ISの勉強もまだまだなのに」
「そっちも疎かにすんじゃないわよ。アンタ、このままだとあたしにボロ負けだからね」
「分かってるよ……」
別の意味で気が滅入りそうになったイチカの手を引きつつ、
「ほらしゃきっとしなさいしゃきっと。もうすぐレストランだから」
「お? お、おう……。さっきからどこに向かってるんだろうと思ったらレストランだったか」
そういえば、まだお昼を食べていないな――とイチカは思い返す。服選びと変態の妨害工作に時間を取ったせいで、もう時間は一時過ぎだ。そう考えると急速にお腹が減って来た気がする。そして、人間と言うのは現金なもので、その空腹が満たせるとなると急にやる気が湧いてくる。
「よし、早く行こう! 服の代わりにメシ代は俺が奢るよ!」
「別にいいわよ。アンタどうせお小遣いも大したことないでしょ。あたしは次期代表だから一〇万程度じゃ全然懐が痛んだりしないし」
「え? じゅうまん? 何語?」
「……あたしが中国人だから発音が変っていうイジリなら、面白くないわよ」
「いや、そうでなくて……服で一〇万って今言った?」
「?? 何がおかしいの? あんだけ服をまとめ買いしたらそのくらいして当然でしょ」
「でも、上下四着くらいずつだぞ⁉ 下着のことを考えても、一着一万くらいしてることになるぞ⁉」
「だから、それの何がおかしいの? いや、ほんとにこれくらい普通よ?」
「…………」
オシャレというのは、恐ろしいものだ。
中学時代のイチカが半月働いた給料分に匹敵する金額が、ほんの二時間で吹っ飛ぶ世界というのは、イチカにとっては魔境以外の何物でもなかった。流石に、一回の買い物で一〇万円を飛ばすような女子はそうそういないだろうが…………一着一万円というのが、出来の悪いギャグではなくいくら高価な部類であるとはいえ『常識の範疇』として語られる世界なのだ。
今まで一番高かった買い物がゲームのハード(中古で八九五〇円)というイチカにとっては、まさしく別世界だった。
「分からん……何でそこまで金かけるんだ……」
「イチカも恋をすれば分かるわよ」
恋愛の先輩っぽい顔をする鈴音に、イチカは何も言い返せなくなる。少なくとも彼の自覚のある範囲において誰かに恋愛感情を持ったことは一度としてないので、鈴音の言葉は事実かもしれないのだ。
そう、納得がいかないながらも考えると同時、いつの間にか自分よりも先に行ってしまった鈴音のことが眩しく感じた。
「そういうもんかな」
「そういうもんよ。……って、なにあれ? ……なんか変じゃない?」
そう言って鈴音が指差した先には、おそらく彼女が連れて行こうとしていたであろうレストランがあった。
が、異常だ。
何が異常かと言うと――雰囲気が。店内から溢れ出る、黒い色がついたかのようなどんよりとしたオーラが周囲の客を押し出すように店から追い払っていた。
「な、何だあれ」
「イチカ。やめましょう。なんか嫌な予感がするわ。っつか絶対ヤバいからアレ」
「そ……そうだな」
と、普通に通り過ぎようとしたその時、イチカは見てしまった。
テーブル席でお通夜ムードになっている、金髪碧眼と黒髪ポニテの二人組を。
――セシリアと箒は、イチカに残念宣言されてしまった直後から、自分達の悪ノリのせいでイチカに幻滅されたことを死ぬほど後悔し、賢者モードになってここで反省会をしていたのであった。自らの変態行為でイチカが困惑し、そしてツッコミを入れるのは大いに歓迎だが……ツッコミなしで、マジトーンで悲しまれると、それはもうご褒美ではなくなってしまうのであった。
ちょっとくらい大人しくなれば良いな――と思っていたイチカではあったが、流石にあそこまでヘコむとは思っていなかったため、思わず足を止めて二人の事を心配してしまう。流石にトイレに隠しカメラとかは冗談にならないレベルなのであの仕打ちもある意味当然というかむしろ甘いくらいなのだが、それでも心配してしまえるあたりイチカは優しい子なのだった。
そして、その逡巡がイチカの命運を分けた。
足を止めたその刹那、セシリアと箒の嗅覚が鋭敏にイチカの匂いを嗅ぎ分け、その方向へ振り返る。
その姿を認めたセシリアと箒は、音よりも素早くイチカの足元に取りすがる。
「待ってくださいましイチカさん‼ 行かないでくださいまし‼」
「私達が悪かったのだ‼ イチカのあんなところやこんなところを永遠に形に残したいからと小細工に走ってしまって……反省している! だから嫌いにならないでくれ‼」
「今度からは正々堂々ちゃんとセクハラしますわ‼ 申し訳ありませんでした‼」
二人の謝罪は微妙にピントがズレていたが、隠しカメラを仕込んだりといった悪行を反省しているのは間違いなかった。
それにイチカとしても、『せっかく見直したのにこれだからなー……』というニュアンス以上の含みは、あの発言には込められていない。むしろ今回の鈴音とのやり取りの中で、セシリアと箒にはとても感謝していたのだ。
だから、横で何となく事態と三人の関係性について察し始めた鈴音には気付かずに、
「良いよ、そんなに悪いと思ってるなら、もう……。それに、二人にはむしろ感謝してるんだ。二人のお蔭で、鈴ともこんなに仲良くなれたんだし……ありがとう」
「ヴバファッ⁉ い、イチカさん、それは……GOサインですの⁉ そうなんですのね⁉ わたくし達ついに許されましたのね⁉」
「そ、そういうことならもう一片たりとも遠慮しないぞ……ハネムーンは世界一周旅行とかどうかなあ⁉」
許されたのをいいことにけだものと化した二人は、良いこと言った直後でぽかんとしていたイチカに飛び上がって襲い掛かる。そして――――、
次の瞬間に、美少女にあるまじき形に顔面を変形して吹っ飛んだ。
「り、鈴……?」
イチカの前には、拳を構えた鈴音の姿があった。
「なるほど。イチカ、アンタが置かれてる状況はよぉおおお―――――く理解できたわ。今日あった隠しカメラの一件も、アンタが妙にすんなり学園に受け入れられている理由も」
鈴音はビシィッ‼‼ と変態淑女二匹に指を突きつけ、
「この変態どもが‼ 毎日のようにイチカにセクハラを働いているってわけね⁉ どうりでイチカが女の子らしい格好をしたがらないと思ったわけだわ……そんな格好したらアンタ達変態どもの格好の餌食だものねえ‼」
「いや、それは普通に俺の趣味なんだけど……」
イチカは一応注釈を入れるが、ヒートアップした鈴音はそんなこと聞いていない。
「もう決めたわ‼ あたしの目の黒いうちは、イチカにセクハラなんてさせるもんですか! 見つけ次第変態豚は出荷してやるわ!」
「そんなー‼」
非情な(『非常に常識的な』の略)宣言にしょんぼり顔で言う二人だったが、鈴音は当然聞き入れない。それだけでなく、その矛先はイチカにも向いた。
「アンタもアンタよ! 何でこんな変態どもに心を許しちゃうわけ⁉」
「いやでも、俺のトレーニングメニューとかも考えてくれてるのこいつらだし、確かにちょっと変態だけど普段は良い奴で……」
「そこは別に良いのよ‼ でもトレーニングとセクハラでは話が別でしょ⁉ 面倒見てくれてるから少しくらいセクハラされても許してあげるって、それ完全にDV夫から逃げられないダメンズウォーカーの思考よ‼ アンタ、そんなんじゃ将来幸せな結婚とか絶対無理よ‼」
イチカは男なのでDV夫から逃げられないダメンズウォーカー的な思考でも問題ないのではないのかと思うのだが、逆もまた真なりかなぁと思うところがあったので言い返すに言い返せない。
「まあ良いわ……。中国時代もこの手の馬鹿は何人か湧いてたし。良い機会だから、あたしがアンタにこの手の変態のいなし方を教えてあげる」
「いや、多分鈴の言ってる人達と箒達では人間的なダメさ加減の方向性が違、」
「い・い・わ・ね⁉」
「はい……」
脂ぎったセクハラ親父と同類にされてしまった箒とセシリアなのであった。しかし、そこまで言われて黙っていられるほど二人はツッコミに対して受け身ではない。
「くっ……言わせておけば、私達の愛はもっとプラトニックでクリスタルな純愛なのに」
「もう貴女の役目は終了していましてよ。さっさと本国に失せなさい」
「……あんた達、どこ見て言ってんのよ」
「はっ⁉ これは床でしたわ⁉」
「馬鹿な……いつの間に壁とすり替わって……」
直後、馬鹿二人の悲鳴が響き渡る。
イチカの日常に、新たな風景が加わった瞬間だった。
そんな感じで――――イチカの初めての外出は、色んな意味でいつも通りの結果に終わったのだった。