【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第九話「唐突なバトル回」

 ――クラス対抗戦(リーグマッチ)

 IS学園一年クラスの恒例行事と化しているイベントだが、これは本来粛々と行われるものだ。何故ならIS学園は一般人をIS関係者に育成する、あるいは実験機のテストをする為の機関であって、ISの技量を競い合うセミプロ機関ではないからだ。

 しかし今、まさに対戦が行われる直前のアリーナには大勢の観客(学園関係者のみだが)が詰めかけ、そして何台もの撮影機器が並べられていた。

 さざ波のような弱い歓声が、選手入場口裏にある控室にまで届いてくる。

 IS学園が今回のクラス対抗戦をここまで大がかりにした背景には、当然ながら一夏――正確にはイチカの存在がある。

 二組の中国次期代表、四組の日本次期代表、三組だけはIS関連軍需企業のテストパイロット上がり――つまり『ただの代表候補生レベル』だが、一組の『男性操縦者』である織斑一夏とかち合わせるには十分なラインナップだ。現状唯一ISを操縦できる一夏が、どこまでやれるのか……各国のお歴々はそれが見たい。その期待にIS学園の運営が応えた、というわけだ。

 

「――気に入りませんわね」

 

 セシリアが、普段のダメな感じを封印して、怜悧さを感じさせる眼差しで呟く。

 

「何がだ? イギリス次期代表だけのけ者にされていること、か?」

「箒さん、世にも面白い冗談を言わないでくださいまし。のけ者ではありません、格が違うだけです」

 

 茶々を入れた箒の想像を超えるレベルで驕り高ぶるセシリアは、そう言ってさらに言葉をつづける。

 

「気に入らないのは、IS学園の態度ですわ。全世界のあらゆる政府権力から独立した機関を銘打っているというのに、ニヤニヤ笑いでイチカさんを品定めするお歴々に靡くなど。一体何の為のIS関連条約ですの?」

「そう言うな、オルコット」

 

 不満げに言うセシリアを宥めたのは、五月に入って温かくなったというのにまるで杓子定規で測ったかのようにきっちりと黒スーツを身に纏った千冬だ。

 

「制度の上では権力的に独立しているIS学園とはいえ、別に世界の経済活動からまで独立している訳ではない。出資者(スポンサー)のご機嫌伺いをしないことには、組織として立ちゆかないのさ」

「理屈は分かっていますわ。ですが、それが改善を怠って良い理由にはなりません。違いまして?」

「ご尤もだオルコット。私がちょっと打鉄に乗って世界中の政府を脅せば事足りるだけの話だからな。そうしていない私は酷い怠け者だろう」

「………………、」

 

 当然ながら、そんなことをすればIS学園は経済活動の面でも独立できるだろうが、その代わりに世界は未曽有の混乱に陥るだろう。千冬もそんなことは重々承知している。ただ、純粋な正論を振りかざすセシリアの行きつく先にある歪さを皮肉っているだけだ。

 

「……ふん、そんな顔をするな。貴様の気持ちを否定したいわけではない」

 

 言いくるめられてむすっとしたセシリアを前に、千冬はそこで初めて口元に笑みらしきものを浮かべた。

 セシリアの言葉の根本には、イチカを食い物にしようとしているIS学園の弱腰さへの憤りがある。そしてブラ……もといシスコンの権化でもある千冬にとっても、それは同じことだ。

 

「心配せずとも織斑に対して必要以上の劣情を抱いていると思われる政府要人は既に『粛清』している。私と、篠ノ之、お前の姉の手によってな。それに今回のこれは……半分は織斑の為でもあるんだ」

「イチカさんの為、ですの?」

「ああそうだ。……織斑がIS学園の中で、ある意味『保護』されて確実に生活できる期間は……あと三年しかない。それまでに、織斑の『特性』を世界中に知らしめ、そして浸透させる必要がある。……そのためには、こうしたご機嫌伺いのイベントを利用して広報するのが一番都合が良いんだよ」

 

 イチカの存在は――一はっきり言って異常だ。

 だからといって迫害されるわけではないのはIS学園の淑女諸君が証明してくれているし、まあ全世界がイチカの都合を知ったところで、彼女を排斥しようという『一般人』が現れることは多分ない。TSは正義だからだ。

 ――――だが、正義を盲信する者が現れないとも限らない。

 IS学園の変態淑女でこれなのだから、変態紳士まで現れた日には、なんかこう……イチカが男性不信になってしまうかもしれない。それはヤバい。

 

「なるほど。今のうちに危険そうな連中を炙り出しておく……そういうことですね、千冬さん」

 

 箒の言葉に、千冬は頷いた。

 イチカの存在が世界に広く知られれば――――当然ながら、ファンクラブの一〇〇〇や二〇〇〇は簡単に生まれるだろう。もしくはそれ以上かもしれない。それらのファンクラブの動きや、ファンクラブから外れるファンの動き。それらを補足すれば、イチカに近づく変態の危険性の有無をチェックするのもより簡単になる、というわけだ。

 しかも、一夏の身柄がIS学園預かりであれば変態そのものの危険性はグッと下がる。だから、一夏が卒業するまでに広報する必要があるのである。

 

「…………なあ、それ、これから試合があるっていう俺の前でする話か?」

 

 そして、そんな三人の目の前で、一人の少女がげんなりしていた。

 少女は紺色のISスーツの上に純白のパワードアーマーを纏って、選手入場の合図を待っている真っ最中であった。

 

「イチカさん、貴女は他人事じゃないのですからきちんと聞いておくべきですわよ」

「根本的な常識がめちゃくちゃだから聞いてるだけで疲れるんだよ‼ 何でこんな馬鹿な話を大真面目に語ってるんだお前らは‼」

 

 しれっと言ってのけるセシリアに、少女――イチカが吠える。しかし、残念ながらこの場には彼女の味方である鈴音はいないので、孤軍奮闘、四面楚歌の様相を呈していた。

 それもそのはず。

 何せ、これからイチカはその鈴音とIS戦を行うのだから。

 

「もう……頼むよ。これから鈴と戦うんだから、ただでさえ集中しないといけないのに」

「大丈夫ですわ。わたくしがこの一か月弱、みっちりと技術を仕込んだのですから――――中国次期代表とはいえ、勝てない道理はありませんもの。というか、勝利以外は許しませんわ」

「ええ⁉ そんな……この前セシリアと同等かもしれないみたいなこと言ってたよな……?」

「言いましたが、それとこれとは話が別ですわ。イチカさんなら肝心なところで主人公補正を働かせて勝ってくれると信じていますわ」

「無責任な……」

「負けたらぺろぺろしますわ。……やっぱり負けてくださいまし」

「そんな理不尽なっ⁉」

「ええい、イチカ、戦う前からそんな弱腰でどうする! そんな顔されたらむらむらするじゃないか! ぺろぺろするぞ‼」

「が、頑張りますっっっ‼‼」

 

 イチカが口を挟んだことで変態淑女がその本性を出し始めたので、イチカはびしっと姿勢を正して口を閉ざした。沈黙は金である。

 やがて、アラーム音とともにアナウンスが流れだす。

 

「頑張ってくださいましね、イチカさん」

「私もここから応援しているぞ、イチカ」

 

 二人の友人が、戦場に向かうイチカにエールを送る。いつもこんな感じだったらいいのにな、なんて思いつつ手を挙げて応えたイチカは、最後に師ではなく――姉からの激励を耳にした。

 

「勝って来い、イチカ」

 

 イチカの答えは、決まっていた。

 

「当然だ!」

 

***

 

「……ふふ。仕上げて来るとは思ってたけど、予想以上の出来ね」

 

 戦場に辿り着くなり、鈴音は嬉しそうにそんなことを言った。

 両肩部に一対の浮遊装甲(アンロックユニット)を備えた赤黒の機体は、一見すると鈴音らしからぬ禍々しさを感じさせる。長大な青龍刀を持っているあたり、イチカと同じように接近戦特化タイプのISだと言えるだろう。

 特に目を惹くのは、そのインナー……ISスーツだろうか。紺を基調とし、通常のものと大して違いがなかったセシリアやイチカと違い、鈴音のそれは白とピンクをベースにした明るいスーツだ。しかも首元には襟とネクタイを模した模様が施されており、腰当たりにもチャイナドレスを彷彿とさせる短い前掛けとスリットが備わっている為、それが『ボディスーツ』らしさを軽減させていた。

 

 対するイチカは、両肩に天使の翼を模した浮遊装甲(アンロックユニット)を備えた純白の機体だ。両手両足に籠手を模した分厚い装甲があるが、それだけ。あとは身体に纏わりつく、胸の形を強調するような申し訳程度の装甲くらいしかない。他のIS操縦者に同じく、ワンピース水着のような紺色にところどころ白いラインの入ったISスーツを身に纏っている。

 その手にある淡い光の剣は、さながら大天使ミカエルが持っていたという炎の剣だろうか。ISエネルギーを打ち消し、『絶対防御』を誘発させることで相手のエネルギーを著しく削る、現状唯一の対IS戦特化型・単一仕様能力(ワンオフアビリティ)――『零落白夜』……それを擁する第四世代型武装、『雪片・弐型』。素人丸出しのイチカにとっては、窮鼠が猫を噛み殺す為の唯一の牙だ。

 ……これは余談だが、彼女のISのデザインは当初の予定からかなり変更がなされていた。元々は男だというのでそれを前提にしたデザインで開発されていたのだが、蓋を開けてみれば超可愛い女の子になっていたとかで制作陣が俄然やる気を出してしまったのである。ちなみに、従来のデザインでは股間部の装甲が厚くなり、肩当などいわゆる『男性っぽい』デザインがなされる予定だったらしい。

 

「……へっ、余裕こいてられるのも、時間の問題だぜ、鈴」

 

 イチカはそう言って、ISのアーマーを器用に操って鼻先を軽く掻く。簡単にやっているが、ISの手は人間の一〇倍ほどの大きさなので、これで鼻先を精密に掻くのにはかなりの技量が必要になる。普段から女性として生活する特訓の成果だった。

 合図と同時にすぐさま動けるよう、身をかがめていたイチカは――、

 

「きゃー‼ イチカちゃーん‼」

「こっち向いてー‼」

 

 突如聞こえて来た黄色い歓声で、空中でずっこけるという高等技術を披露するハメになった。これも訓練の賜物だったが、どっちかというと『訓練の最中に間断なくかまされる変態淑女のボケ』の賜物であった。

 

「きゃー‼ イチカちゃんずっこけてるー‼」

「天使じゃね? あの浮遊装甲(アンロックユニット)とか完全に天使の翼じゃね?」

「イチカちゃんマジ天使」

「マジ天使」

「ちなみにイチカちゃんマジ天使な試合の模様は全世界同時配信されております‼」

「そのマジ天使って言うのやめろ‼‼ 恥ずかしいだろ‼」

 

 めいめい好き勝手なことを言っている観客にイチカはたまらず噛みつくが、しかしそんなことを聞いてくれるほど変態淑女たちは良心的ではない。むしろ逆に鈴音は同情交じりに、イチカを宥める。

 

「やめときなさい。騒げば騒ぐだけ喜ぶわよあの変態ども。さっさと試合して、そういう変態が入り込めない雰囲気を作った方が賢明だわ」

「そ、そうだな…………」

 

 鈴音にそう言われて渋々矛を収めたイチカだったが、今度はその様子を見て観客は鈴音に対して野次を飛ばす。

 

「なんだあの邪悪な武将みたいなカラーリング! 悪役かよ!」

「イチカちゃんとの対比完璧すぎでしょ!」

「ひっこめ貧乳武将ー!」

「貧・乳って区切ると三国志の武将っぽくね?」

「テメ――――――らぶっ殺す‼‼‼‼」

「わー待て待て鈴騒げば騒ぐだけ事態が酷くなる‼」

 

 あろうことか、試合前に対戦相手を羽交い絞めにして制止するという前代未聞の事態に発展しかけ、騒然となる会場。鈴音はこの模様が全世界同時配信されているという事実をもう少し真剣に考えるべきである。

 

『そ、そ、それではお二人とも、一旦距離をとってくだひゃいっ……』

 

 ようやっと、と言うべきか、アナウンスの声が二人に届く。ロリ巨乳眼鏡の声だった。矛を収めた鈴音が肩で息をしながら戻って行くのを見届けながら、イチカも所定の位置につく。

 バトルフィールドは半径五〇メートルの半球。イチカと鈴音は、それぞれ中心点から横に二五メートル、上に二五メートル移動した地点で向かい合っていた。つまり、上空二五メートルで五〇メートルの距離をとってにらみ合っている状況だ。

 もっとも、こんな距離はISにとっては拳と拳を突き合わせた状態で構えているのと何ら変わりない。

 

 緊張の一瞬。

 

『そそ、それでは……………………試合開始っ‼‼』

 

 瞬間。

 

 直径一〇〇メートルもある半球の全域に、暴風が吹き荒れた。

 

 それは、二つの機体が勢いよく前進した為に後方の()()がPICによってめちゃくちゃになったことによって発生した乱気流だった。ISエネルギーの噴出が、通常では歪むことがないはずの慣性に直接干渉し、それによって慣性そのものが大幅にねじくれてしまっているのだ。

 しかしISはその乱気流の発生すら精密にコントロールし、互いの機体を加速させる為の追い風に作り替える。『瞬時加速(イグニッションブースト)』と――ISの業界では、そう呼ばれている高等技術だった。

 代表候補生でも早々使えないそれを、序盤の接敵の時点で、さも当然のように使いこなす。

 彼女達の戦いは、その領域に踏み込んでいた。

 その領域に踏み込めるように、イチカは研鑽を積んできた。

 

「やっぱりね――思った通り。技量に乏しいアンタは、短期決戦であたしのことを攻撃してくると思ってた! あたしがアンタの武装を知らないとでも思ったの⁉」

 

 鈴音が、不敵な笑みを貼りつけながら叫ぶ。

 固有武装『零落白夜』が解析されている可能性は、イチカも当然ながら考えていた。模擬戦などを殆どやらない鈴音に対し、イチカは少しでも固有武装の扱いを上手くするためになりふり構わず訓練しなくてはならない。鈴音がその気になれば、訓練データを集めることなど造作もないのであった。

 情報収集なんて仮にもプロが、素人相手に卑怯だと、友人相手に厳しすぎると――思う者もいるかもしれない。だが、それは大きな間違いだ。彼女はプロであり、そしてプロの土俵で戦う以上いかに経験がないとはいえ、いかに技量に乏しいとはいえ、イチカでもプロなのだ。プロがプロとの戦いに際して手加減するなど――『矜持』と『友情』に対する、二重の侮辱に他ならない。

 

瞬時加速(イグニッションブースト)の特訓を重点的に行っていることも、分かってる! 急激な加速を逆方向への瞬時加速(イグニッションブースト)によって相殺して、あたしの虚を突いて一気にシールドエネルギーを削る算段だってことも、最初からお見通し、よッ‼」

 

 そこまで鈴音に言い当てられて、イチカの目が丸くなる。

 だが、仮に全てが読まれていたとしても、この一瞬で全く別の作戦を思いつくことなどできない。下手に方向を修正しようものなら、狙っていた作戦以上に悲惨な結果を生むだけだ。

 そして、次の瞬間。

 鈴音の言い当てた通り、イチカは逆方向への瞬時加速(イグニッションブースト)によって急減速する。イチカの前方に乱れた慣性による乱気流が発生するが、ISはそんなものものともせずに突き進む。衝突のタイミングと同時に青龍刀でイチカを切り伏せる姿勢だった鈴音の攻撃は、当然ながら空ぶる運命だったが――、

 同時に、鈴音の背後に見える風景が微妙に()()()

 

「……っ?」

 

 イチカが怪訝に思った時には、もう遅かった。

 

「まず、一撃」

 

 瞬きする間もない程の刹那に既にイチカに肉薄していた鈴音が、ISエネルギーを帯びた青龍刀を振り下ろす。

 猛烈な火花が飛び散り、咄嗟に自分の身体を庇ったイチカの右手装甲に深い亀裂が走る。

 

「な、んだ……今の……ッ⁉」

 

 イチカは驚愕と緊張で息も絶え絶えになりながら、距離を取って鈴音の様子を観察する。

 あり得ない挙動だった。

 瞬時加速(イグニッションブースト)というのは、何度も連発して発動することは可能だが、それによって際限なく加速できるわけでは――原則的に――ない。イメージとしては、スケートボードに乗っているときに地面を蹴って加速するのと近い。いくら地面を蹴ったとしても、蹴り足の強さ以上の速度には加速できない。無理に速度を出そうとすれば、逆に減速してしまうか、もしくはバランスを崩して転倒してしまう。そういうものなのだ。

 だが、鈴音はその瞬時加速(イグニッションブースト)の加速を『超えた』。それは本来、あり得ないことだ。

 

「…………その、『球二つ』か」

「へえ、やるじゃない。ま、この一か月、瞬時加速(イグニッションブースト)の練習ばかりしていたアンタなら一発目で種は割れると思ってたけど」

「その球……空間を歪ませて、『衝撃の砲弾』を撃っているな」

 

 そう、イチカは人差し指を突きつけて言った。

 それで、正解だった。鈴音の操る『甲龍(シェンロン)』の第三世代兵装『龍砲』の能力は、空間を歪ませること。そして空間を歪める圧力を球状に形成し、意図的に一方向に『穴』を作ることで生み出した『砲身』を使い、余剰圧力全てを特定方向に撃ち出す『衝撃弾』が、派手な青龍刀に隠れた鈴音の真の牙である。

 では、その能力を以て、鈴音はどうやって加速したのか。

 簡単な話だ。

 

 鈴音は、自分を撃った。

 

 それだけなら、おそらく今のイチカでもぶっつけ本番で出来る。鈴音はそこでさらに、瞬時加速(イグニッションブースト)による慣性の乱れをぶつけ合わせ、普通に『衝撃弾』を自分に撃ち込むよりも数倍の加速を手にし、しかも『衝撃弾』が命中すれば当然発生するはずのエネルギーの消耗を殆どゼロに抑えたのだ。

 イチカがこれを見破ることができたのは、加速の時に発生していた鈴音の背後の空間の歪みが、通常よりも僅かに激しかったからだ。鈴音は発生する乱気流の形も通常の瞬時加速(イグニッションブースト)に近くなるよう偽装していたが、練習の為に何度も瞬時加速(イグニッションブースト)のデータを見ていたイチカの目には明らかだった。

 とはいえ、ただでさえ空間を歪ませる()()の『龍砲』は使用に必要なエネルギーが少ない。そこに高速移動まで加えられれば――イチカの勝利はさらに遠のくことになる。

 しかも、今の一撃で一気にエネルギー全体の四〇%が持っていかれた。『零落白夜』の発動にはそれだけでISエネルギー一〇%が必要となる。これ以上は……一撃ももらうわけにはいかない。

 

「逃げ回ってあたしの隙を伺う? それも良いわね」

 

 イチカの思考を先回りするように、鈴音は言う。

 それはまるで、歌を歌うかのような調子だった。

 

「『衝撃弾』の併用による超加速――多段加速(マルチステージブースト)は、システム的な問題からどうしても加速直後のハンドリングが計算よりもよりもズレる。一回や二回は誤差だけど、一〇回もやっていれば加速後の一瞬に隙ができるかもね?」

 

 いとも簡単に自らの弱点を明かす鈴音の口調には、『それで、プロである自分がそんな根本的な部分に対策を練っていないとでも思っているの?』とでも言いたげだった。

 そして、こうした高圧的な口上の数々は、決して優越感に浸る為の『隙』ではない。敵を恐れさせ、精神を鈍らせることは即ち、ISの弱体化にもつながる。もし一瞬でも『勝てない』と思わされれば、ISはそれを如実に反映する。そしてそれがさらなる不利を招くスパイラルを生む。戦闘中の言葉の一つ一つが、IS戦においては立派な戦略になりうるのだ。

 ただし。

 劣勢が、必ずしも人の心を弱くするとは限らないのだが。

 

「なら、逆に‼」

「……ま、アンタならそうするわよね」

「まっすぐ突っ込んで、倒す‼」

 

 鈴音は予測する。

 イチカは、『鈴が多段加速(マルチステージブースト)でこちらのタイミングを乱すのなら、タイミングに囚われない攻撃――つまり「突き」で向かい撃てばいい』と思っている、と。

 事実、イチカの構えは大上段だがあまりに右腕に力が入っていない。寸前で突きに切り替えようとしていることが丸分かりの構えだ。

 それは確かに有効な選択肢だろう。少年漫画の主人公であれば、それで慢心している敵の鼻っ柱を折って勝利できるだろう。しかし、鈴音は違う。相手がどんな手を打って来るか観察し、思考し、そして対策する『人間』だ。

 

(イチカは、片腕の力を抜いて、()()()()()()()()()()突きの姿勢に移行しやすい形にしている。それはつまり…………)

 

 そして。

 

 ほんの〇コンマ〇〇〇〇〇〇数秒後には衝突するか、というその一瞬。

 鈴音は()()瞬時加速(イグニッションブースト)を行った。

 イチカが突きをする為の、その直線状から身体をずらす為に。

 そしてその上で、多段加速(マルチステージブースト)でイチカの左手側から、青龍刀を大上段に振り下ろす。その刹那。

 

「この展開を、狙ってたんだぜ――鈴ッ‼‼」

 

 突きの直前で、しかも目の前から鈴音がいなくなって動揺しているはずの、していなければおかしいはずのイチカは、そう言って身体を捻ることもなく、そのままの姿勢でスライドするように移動し、振り下ろされた青龍刀を躱す。

 ――相手がどんな手を打って来るか観察し、思考し、そして対策する『人間』。

 確かに、それはそうだ。だが、逆もまた真なりでもある。

 横方向への瞬時加速(イグニッションブースト)と、その移動の余波を瞬時に抑える為の逆方向への瞬時加速(イグニッションブースト)。その二つをごく短時間に連続して行うことで体勢に囚われない回避を行う超高等制動技能――『瞬時緩急(イグニッションスイッチ)』。

 この一か月、最高峰のプロに教導をつけてもらったイチカが得た、『隠し玉』だ。

 

「食、らえェェえええええええええええええッッッ‼‼」

 

 そして、イチカは左手で、鈴音に『零落白夜』を発動させたビームサーベル――雪片弐型を掬い上げるように振るう。

 が。

 

「だからアンタは、素直すぎるっつってんのよッ‼」

 

 滑るように。

 イチカが先程やったように、鈴音の身体が強引にスライドし、『零落白夜』を回避する。

 鈴音の肩装甲のエネルギーが削れるが、それが大勢に影響することはない。

 

 鈴音は単なる『代表候補生』の枠組みを超えた『次期代表』だ。セシリアと箒に師事したイチカはもはやいっぱしの代表候補生並の技量を持っていたが、それでも彼女に出来ることは、即ち鈴音に出来ることに他ならない。

 作戦にしても、『分かりやすすぎる』と思われてしまった時点で、その挙動でプロを騙すことはできない。その裏に何かがあると言っているようなものだ。鈴音は、イチカが嘘を吐けない性格だとこの一か月で知りすぎるほど知ってしまっている。だから、逆にブラフの有無も簡単に見抜けてしまうのだ。

 これは情報を得る為に――という建前で――鈴音と親交を深めてしまった弊害だろう。

 

「っ‼」

「これでっ‼」

 

 空振りの隙を突いて、鈴音が振り下ろした青龍刀を振り上げる。イチカはこれをギリギリのところで右手を挟み防御するが――その拍子に右手装甲が完全に砕け散る。そしてまた四〇%のエネルギーが消費される。――残り二〇%。

 

「終わりよっ‼」

 

 そして――鈴音にはまだ武器が残っている。

 移動に使用してきた、第三世代型兵装――その本来の役目は、『衝撃砲』だ。

 当然ながら、この局面で、この至近距離で『衝撃砲』など当てられた日には――イチカの敗北は、確実となる。

 そんな状況で、イチカはそれでも、不敵に微笑んでいた。

 

()()()()()()()()

 

 装甲を失い、細く白い指が露出したイチカの右手が、ゆっくりと、少なくともISセンサーで反応が加速している鈴音にとってはゆっくりと、『龍砲』を――いや、そこから伸びた不可視の砲身を指差す。それは、先程『零落白夜』が通過した方の砲身だった。

 ――? と、鈴音の脳裏を一つの違和感がよぎる。

 圧力で『砲身』とも呼べる威力の抜け穴を形成し、余剰圧力全てを特定の方向に撃ち出す『衝撃砲』。

 ISエネルギーを消し去る能力を持つ『零落白夜』。

 そして見事なまでに空振りしたイチカ。

 先程、イチカは何と言っていた?

 そう――そうだ。

 

()()()()()()()()()、ってなァ‼‼」

「しまっ、『甲龍』攻撃を止め――」

 

 空振りしていたと思われていた『零落白夜』は、元々鈴音のことを狙ったものなんかではなかった。

 そう鈴音に思わせて、慢心しないプロから一%の慢心を引き出して、確実に『砲身』に攻撃を仕掛ける為の物だったのだ。

 イチカは嘘が吐けない。だから、見え見えの(ブラフ)は本気のもので、そこにさらなる裏など隠れていない――イチカの作戦は、最初から鈴音にそう思わせることだった。大きな分かりやすい嘘の中に、本命の嘘を隠して、バレないようにしていたのだ。

 

 瞬間。

 砲身を形作る圧力の一部に切れ目を入れられた『衝撃砲』は、鈴音が止める間もなく一か所の破損からほころび、そして大爆発を起こした。

 当然、そんなことになれば照準などめちゃくちゃになり、無事な方の攻撃もまたイチカに当たることはなかった。

 さらに――イチカの狙いはそれだけではない。

 

「あの時、一か所だけエネルギーを削れていた肩部装甲……そこに衝撃が集中するように『砲身』を傷つけることで、『絶対防御』を誘発させて一気にあたしを倒そうって算段だったのね……。……ええ、認めるわイチカ。怒っても良い。本気で戦っているつもりになっていたけれど、多分あたしは――心のどこかで、アンタを舐めてた」

 

 しかし。

 それだけやって、尚。

 綿密な計画を練って、プロの心に生まれた僅かな慢心に付け込んで、尚。

 

 凰鈴音は墜ちなかった。

 

 ギリギリのところで青龍刀の柄を砲身と装甲の間に挟み、直撃を避けることで撃墜を回避していた。

 

「本当に、危なかった……もうエネルギー残量が二五%しか残ってないし。咄嗟にコイツを盾にしていなければ、負けていたわ」

 

 鈴音は、そうは言いつつも危なげなど欠片も見せずに――この程度のしっぺ返しは想定の範疇とでも言わんばかりに、不敵な笑みを浮かべ、使い物にならなくなった青龍刀を放り捨てて続ける。

 

「で――アンタの手は、これでおしまい?」

 

 それは、勝利宣言のようなものだった。

 だが、実際にはそれは間違いだ。最早、鈴音の心に一片の油断も存在していない。目の前の少女を後輩とも友人とも思わず、ただ強大な『敵』と認識している。その上で、イチカの心の方も全力で折りに行っているのだ。

 

「は、ははっ……流石に、強ええな、鈴は」

 

 イチカの方は、もう満身創痍だった。右手は度重なる衝撃でピリピリし始めているし、『零落白夜』の使用により、エネルギー残量はもうあと一〇%しか残っていない。つまり、イチカに出来るのは『零落白夜』を頼っての引き分けか、『零落白夜』抜きでの勝利のみ。引き分けの後は再試合で、慢心のない鈴音を相手にしなくてはならないとなると――結局、『零落白夜』はもう使えないと考えた方がよさそうだった。

 

(分の悪い賭けだな。しかも、相手はもう欠片の慢心もねえ鈴だ。でも……)

 

 これ以上ない程の劣勢。その局面で、イチカは仲間の顔を思い出していく。箒、セシリア、そして――ほかならぬ鈴音の顔を。

 

(俺は、俺の為にも、俺に力を貸してくれた仲間と、お前の為にも‼ ――負ける訳には、いかないんだ‼)

 

 覚悟を決めたイチカは、瞬時加速(イグニッションブースト)によって一気に下方に加速し、そして地面に踏み込む。爆音と共に、フィールドを含めたアリーナ全体が震動する。それだけでなく、地面が大いにひび割れ、小さな瓦礫片が飛び散り、そして周囲を粉塵が包み込む。瓦礫片などでエネルギーが消耗する程ISの防御はやわではないし、粉塵を撒いた程度で相手の視界が塞げるほどISセンサーは甘くはない。イチカの行動に、鈴音が怪訝な表情を浮かべようとした、ちょうどその時――――、

 

 眼前に、イチカの顔が現れた。

 

『フェイント』。

 相手を認めているからこそ、この行動には何らかの意味があるはずだ――と思考するそのほんの一瞬のスキを突いて、直接攻撃をしかけたのだ。もはや策も何もない直接攻撃。しかし、それもまたプロの世界では駆け引きとして使われる立派な戦術として有効打になりえる。

 

「――とでも、思ったの……⁉」

 

 既に青龍刀は放り投げている。しかし、如何に想定外だとしても、行動が見え見えであれば防御は容易。この程度のフェイントは、鈴音には通用すらしない。――鈴音が咄嗟に『龍砲』を間に差し入れて即席の盾にしようとした、その瞬間。

 

 二人の頭上の天井――正確にはバトルフィールドを区切る為のエネルギーシールド――が破壊された。

 いや、正確には、何者かがエネルギーシールドを無視して、戦場に乱入した。

 

 鈴音は攻撃に夢中で襲撃に対応できていないイチカの攻撃を『龍砲』一機を犠牲に回避し、それから防御されて動きが止まったイチカの一瞬のスキを突いて殆どタックルみたいにしてその場から退避する。

 その直後、彼女達がいた空間をレーザーの豪雨が蹂躙した。

 

「…………おい、鈴」

「何よ、イチカ」

 

 謎の乱入者から五〇メートルほど距離を取ったイチカは、傍らにいる鈴音の横に並び、

 

「アイツ、一体何者だと思う?」

「さあ。アンタのファンの変態じゃない?」

 

 未だ粉塵の中にいる侵入者が、笑みを浮かべたようにイチカは感じた。

 それは、さらに続く激闘の予感でもあった――――。


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