新しい世界に降り立った僕たちは、とりあえず近くのコンビニでポテチとコーラを調達し、どこかの公園のベンチに腰掛けていた。
朝の霧がうっすらと立ち込める中、シロはポテチを口に運びながら、ぽつりと呟いた。
「……超今更なんじゃが、主って、いったい何者なんじゃ?」
僕はだらしなくベンチに寝そべったまま、片目だけを開ける。
「んー? なに、急に?」
「いや、ふと思っただけなんじゃ。そなた、いろいろおかしいじゃろ。空間を破って移動するし、世界を消すし、観測とか言って変なもんと戦うし……我、最近ようやく気づいたのじゃ」
遅くない? って言いかけたけど、そこは飲み込んでおいた。
「じゃあ……簡単に言うなら、“すべてを超越した存在”ってとこかな」
「ええ……意味がわからぬ……」
「うん、まあそうだよね。でもさ、これはあくまで“端末としての僕”の話で、本体はちょっと──いや、かなり別モノなんだよね」
「……ん? というと?」
「要するに、僕は僕だけど、“本体の僕”とは微妙に別。こっちはいわば、観測用の出張端末ってやつだね」
そう言って、僕はコーラの缶をぷしゅっと開ける。
「端末……? じゃあ、本物は別の場所におるということか?」
「うん、まあそんな感じ。本体の僕はもっといろいろ自由で、ね。たぶん君が思ってる以上に、“存在”の定義とかぶっ飛んでる」
言いながら、ちょっとだけ笑う。
「……な、なんかすごいことをさらっと言いおったのう……」
「んー……まあ、見る? 本体のほう」
「えっ、そ、そんな軽いノリで見せていいものなのか!? ほ、ほんとに見せてくれるのか!?」
「うん、まあちょっとだけね。たぶん一瞬で終わるけど。ていうか、覚えていられるならね」
僕は指を鳴らす。
空間がぐにゃりと歪み、あらゆる認識の壁が取り払われて──
その一瞬、シロの視界に“それ”が映った。
形容不能。構造不定。次元の概念を拒絶する情報塊。
認識しただけで、言語、時間、感情、存在、意味、あらゆるものが圧縮され、解体され、呑み込まれていく。
シロの目から光が消えた。
「……………………」
口元は半開きで涎を垂らし、虚空を見つめたまま微動だにしない。
廃人、というより、概念が一度“無”に還ったような状態。
僕はため息をひとつ吐いて、指先を軽く弾く。
「はい、リセット。いつも通りね」
ぱちん。
音とともに、シロの瞳に再び光が宿った。
「──はっ!? な、なんじゃ!? 我、今なにか……何か大変な……?」
「ううん、なんでもないよ。ちょっと本気出しただけ。ていうか、あれ見て何も残らなかったの、ある意味才能かもね」
「えっ? 何を見せられたのじゃ!? 我、何も──うぐぅ、頭がぐるぐるするぅ……」
ぐらぐらと体を揺らしてうずくまるシロを、僕は苦笑しながら見下ろす。
「まあ、そんなわけで“何者か”って聞かれると困るんだよねー。僕自身が観測を超えた存在だからさ」
「も、もう二度と見たくないのじゃ……! しばらく我、夢でうなされそうじゃ……」
「夢の内容がシロ自身理解できなさそうだけどね」
「ぬぅ……ぬぐぅ……」
シロはまだ頭を抱えてぐるぐるしている。ちょっと可愛い。
でも、それでいい。
この子はまだ“この程度”のほうが、きっと楽だ。
だって、僕の本質なんて──この宇宙の理すら書き換える、“存在”という枠組みの外側にあるんだから。
─────
【異常存在監視機構/都市監視課】
—第112区・反応記録抜粋報—
記録番号: 112-RF-29-TD
記録日付: 20██年4月15日
報告者: 都市監視課 第七分室オペレーター/識別コード[IB-92]
〔記録要約〕
午前6時13分、東央市第七観測帯において、多重反応装置が同時に異常反応を記録。反応値は計測限界を一時的に突破したものの、およそ3秒後には沈静。対象エリアの映像記録、空間情報、波形分析の全てにおいて歪みが発生した。
その後、反応中心地点(市立公園ベンチ)にて、未登録個体二体の存在を確認。うち一体(以下“対象S”)は、明確な姿形を持ちながらも、その存在情報そのものに異常な揺らぎがあり、記録媒体・観測者の双方に認識負荷を及ぼす。現場映像は対象Sの姿を複数の形態として記録しており、外見が観測者によって異なる可能性が指摘されている。
初動分析の結果、対象Sは高度な情報災害的特性を有しており、接触・認識そのものが記憶や言語、感情に対して破壊的影響を与える可能性が高い。これまで記録されたいずれの既知異常存在とも一致せず、“新規カテゴリー災害級”個体として暫定分類。
もう一体の存在(以下“対象A”)は、外見・行動ともに目立った異常なし。黒髪の青年風。着衣は量販品、所持品に特異物なし。コンビニで購入したポテトチップスと炭酸飲料を所持し、ベンチで談笑していた記録が残っている。
ただし、周囲の観測機器は対象Aを中心とした非干渉領域を一時的に記録。“測定できない”わけではなく、“測定しようとする行為自体が定義できなくなる”という特異現象が確認された。
〔映像抜粋コメント〕
・映像の中で対象Aが指を鳴らす瞬間、フレームが飛ぶ。
・周囲の空間構造に“捻れ”を示す波形あり。
・K-079(旧情報災害体D3-Kal-Σ79と思われる存在が一時的に沈黙、その後嘔吐反応(確認中)。
・現場に居合わせた一般人の記憶に一部齟齬。複数人が「その人、いたっけ?」と証言。
〔備考〕
対象Aは一見して人間的特徴を持ち、社会的存在として違和感はない。だが、現時点で接近/観察の双方が情報的干渉によって妨害されるため、暫定識別コードを割り当て、通常の異常事象とは別枠での調査を進める。
暫定識別コード: TD-Null/“観測不能の仮面”
今後の対応については、特異情報部および第零解析室の協議を待つこと。
……といった報告書が、今ごろ機構のどこかで作成されていることだろう。
もちろん、降り立った瞬間から気づいていた。
この世界には、“異常”を監視する仕組みがある。
異常存在監視機構──そう名乗っていたはずだ。
街中に張り巡らされた観測網、数値化される常識の閾値、そしてしっかりと管理された分類コード。
中々よくできたシステムだと思う。
観測機をすり抜けた存在すら、ちゃんと「記録されなかった」という記録として残す。
凡百の組織がやらかすような「例外は除外する」ような真似はしていない。
……まあ、根本的に観測できない僕には無力だけど。
シロの方も、まんまと引っかかったようだね。
“旧情報災害体D3-Kal-Σ79”──略してK-079、だったっけ?
過去に似た反応があったらしく、今回もそれと同系統と見られている。
もっとも、今回のこれは“たまたま似ていた”だけの別モノだ。
分類するには少しばかり規格外すぎる。
そして僕は、知っていながら何もしなかった。
別に見られて困るわけじゃない。
むしろ、この世界の防衛機構がどれほど機能しているか、ちょっとした“試験”みたいなものだった。
ただ──もしもこのレベルの情報に素手で触れていたら、現場の数名が人格破綻を起こしていたかもしれない。
だから軽くノイズで包んでおいた。
カメラが揺れる程度の、ささやかな防御。
優しさってやつだよ。うん。
……さて、と。
「シロ、コーラのおかわり買ってきてくれる? 僕の財布の小銭、適当に使っていいよ」
「うぅぅ……まだ頭ぐるぐるするんじゃが……ぬぅ……ポテチの味がしない……」
彼女が完全に復帰するには、もう少しかかりそうだ。
でも、まあ、すぐ慣れるよ。
たぶんね。