僕たちはカラオケに来ていた。
なぜかというと、シロが「娯楽というものを学びたいのじゃ」と言い出したからだ。
そして彼女は、先ほど注文したたこ焼きを大事そうに抱えながら、ソファの上で胡坐をかいている。
カラオケでたこ焼き頼む人、初めて見たかもしれない。
スピーカーが最後のリバーブを吐き出して、部屋に一瞬だけ静けさが戻る。
「……ふう。今の、わりと良かったんじゃない?」
僕がマイクを置くと、シロはたこ焼きの舟皿を抱えたまま、もぐもぐとほっぺたを動かしていた。
「むぅ。音程はまあまあじゃが……全体的にやかましいのじゃ」
「ひどっ。君がリクエストしたんだけど?」
「それはそれ、これはこれじゃ。……しかしのう」
シロがぽつりとつぶやく。たこ焼きの串をくるくる回しながら、真顔で。
「“魔法”って、便利そうじゃな」
「また唐突だね。どうしたの、今度は」
「いや、こういうの、あるじゃろ。酒場の掲示板で依頼を受けて、魔法でスライムを倒したり、ダンジョンに潜ったり――そういうの、ちょっとやってみたいのじゃ」
僕は水を一口飲んで、肩をすくめた。
「君なら、そういう“っぽい”ことはできると思うよ。演出としての魔法なら、いくらでもね」
「ふむ。なるほど、“っぽさ”か……」
シロは考え込むように目を細める。口元にはたこ焼きのソースがついたままだ。
「でも、そういう世界――本当に魔法や冒険があるような場所って、他にはないのかの?」
「……前に一度、行ったじゃない。剣と魔法の、アレな世界」
「あれは物騒すぎたのじゃ。魔族が攻めてきたり、勇者が首飛ばしたり……我の理想とはほど遠い。もっとこう、穏やかで、楽しくて……依頼をこなしながら、気が向いたらパン屋とか始められるような世界がよいのじゃ」
「はいはい、“登録制の冒険者がいる街”ね。ギルドで依頼を受けるやつ」
「それなのじゃ!」
まるで“行けるなら今すぐにでも”と言いたげな目で、シロがこちらを見上げてくる。
僕は笑って、いつも通りの口調で返す。
「あるよ。行ってみる?」
「……な、なんと!? 本当にあるのか!」
「まあ、“それっぽい世界”ならね。君が気に入りそうな場所、いくつか心当たりはある」
「よし、行くのじゃ! 我の冒険者ライフ、今ここに始まるのじゃ!」
「だから、まずたこ焼きのソース拭いてからにしようね」
そう言いながら、僕はちらりと彼女の横顔を見る。
ふだんは、わざわざそういう世界に行くようなことはしないんだけど――
まあ、たまには、僕の方からそういう場所に足を踏み入れてみてもいいだろう。
何しろ今、隣でソースまみれの情報災害が、キラキラした目でこっちを見ているのだから。
カラオケの受付で精算を済ませたあと、僕たちは駅前の裏路地へと移動した。
人通りの少ない、ちょっとした喫煙スペースの奥。
壁に囲まれて視界の抜けた場所は、ちょうどいい“切り替え点”だった。
「ここでいいのか?」
「うん。人に見られるといろいろ面倒だからね」
シロは小さくうなずき、僕の隣に立つ。
僕はポケットに手を入れたまま、ふと空を見上げた。
「……さて、行くか」
何でもなさそうにそう言って、僕は次の世界への一歩を踏み出した。
─────
足元がふわりと浮いたかと思った次の瞬間、僕たちは別の空の下に立っていた。
先ほどまでのコンクリートの町並みは跡形もなく、視界の先には、夕暮れに染まった丘陵と、その先にぽつんと灯る街の明かり。
煙を上げる煙突、石造りの塔、周囲をぐるりと囲う城壁のシルエットが浮かんでいる。
「おお……!」と、シロが感嘆の声をあげた。
「……どうやら、うまく着いたみたいだね」
僕は土の感触を確かめるように足を踏みしめた。
空気は乾いていて、どこか香辛料と灰の混じったようなにおいがする。
街までは小一時間ほどかかりそうだった。とはいえ、石畳に似た舗装のない道が続いていて、時折、荷馬車や旅人とすれ違う。
やがて日が落ちきる頃、僕たちは街の門前にたどり着いた。
門はすでに半分閉じかけていて、脇の詰所には槍を持った衛兵が二人。
旅人風の男たちが列を作って、順番に何かを手渡している。
「……あれ、通行料かな」
「ほほう。つまり、あそこを突破せねば我の冒険者ライフは始まらぬと?」
「“突破”じゃなくて、“支払い”ね。こっちは泥棒じゃないんだから」
衛兵の手に握られているのは、どうやら通行証と銅貨。
旅人たちは銅貨数枚と簡単な身分証を見せ、あとは名前と目的地を口頭で申告しているらしい。
僕は懐から、小さな革袋を取り出してシロに見せる。
「とりあえず、初回分くらいは用意してあるよ。世界を移動するとき、そういうものも一緒に“換算”されるから」
「さすがじゃ! 抜かりないのう!」
列が進み、僕たちの番が来る。
衛兵は年季の入った鎧に身を包み、胡散臭げにこちらを見上げてきた。
「名前と、目的地を。通行料は、ひとり銅貨三枚だ」
「はいはい、どうぞ」
僕はあらかじめ用意していた銅貨を差し出し、名前を適当に名乗る。
シロも、僕に倣って胸を張るようにして答えた。
「我の名はシロ! 目的地は、ギルドじゃ!」
「……ギルド? ああ、なるほど。新入り冒険者か」
衛兵が、ぽかんと一瞬だけ目を丸くしてから、ふっと口元を緩めた
こういう“元気な子供”には慣れているのかもしれない。
銅貨の音が鳴り、通行証の端に印が押される。
門がゆっくりと開いて、街の灯が、僕たちを迎えるように揺れていた。
門をくぐると、そこには街が広がっていた。
石畳の道には油の匂いが漂い、屋台が明かりを灯して人々を呼び込んでいる。
串焼きや甘い菓子、香辛料の効いたスープの鍋。
異国風の音楽を奏でる楽師たちの姿もある。
行き交うのは、旅人、商人、兵士、そして……いかにも“冒険者”といった風情の者たち。
「ほほう、これはなかなか。よい……とてもよいぞ……」
シロは目を輝かせながら、くるくるとその場で一回転した。
街路の両脇には石造りの建物が並び、木製の看板が風に揺れている。
宿屋、道具屋、鍛冶屋――どれも“それっぽさ”に満ちていた。
「見ろ、あそこ! あのパン屋、まるで絵本の挿絵のようじゃ!」
「うんうん、気に入ってくれたなら何より。……で、パン屋じゃなくて、今日はギルドに行くんだよね?」
「もちろんじゃ!」
シロはすぐにパン屋の前で立ち止まり、いい匂いに鼻をひくひくさせながらも、ちゃんと方向転換する。
大通りから一本外れた道に入ると、通りはやや落ち着いた雰囲気になる。石畳の隙間には草が生え、建物の壁には古びた布の旗が掛けられていた。
そして、その先に見えてきたのは、大きな木製の看板。
そこには、剣と羽根の意匠を組み合わせた紋章と、誰でも読めるような簡易文字でこう記されていた。
《冒険者ギルド・リステア支部》
その瞬間、シロの目が、がばっと見開かれた。
「ここか……! ここが、噂に聞く“冒険者ギルド”というやつか!」
まるで聖地巡礼でもしているかのように、シロはその場で小刻みに震えていた。
「いや、君は噂どころかさっきまでパン屋に行きたがってたでしょ」
「ふふ……よい、実によいぞ……! 看板のこの感じ! 木製! 剣と羽根の謎ロゴ! どう見てもそれっぽい雰囲気じゃ!」
「雰囲気でテンション爆上がりしてる……」
感極まった様子で看板に両手を広げたそのとき、シロがぴたりと動きを止めた。
「……ん?」
看板を見上げたシロが、眉をひそめて小声でつぶやいた。
「なんか知らんが、読めるのじゃ……?」
「うん、そりゃそうでしょ」
「えっ、我この世界の言葉とか習った覚えないのじゃが……?」
「大丈夫、君の脳には便利な“字幕機能”が搭載されています」
「我いつの間にかDVD仕様になっておったのか!?」
「うん。再生も早送りも対応してるよ。たまにバグるけど」
「バグるなよ!」
僕は苦笑して、シロの頭をぽんと軽く叩く。
「世界をまたぐとき、言語とか文字とか、面倒くさいじゃん? だから、そういうのは僕が“処理”してるの。まあ要するに、“仕様”ってやつだね」
「仕様……仕様とは……便利じゃのう……」
シロは看板をもう一度見上げて、何やら感慨深げに頷いていた。
「しかし……字幕が見えるなら、ナレーションとかも付けられんかの?」
「そのうち頭の中で“戦闘BGM”も流れるようになるかもね」
「神か!」
その一言が終わると、シロはふと足を止め、静かに息を飲んだ。
冒険者ギルドの扉が、彼女の前でゆっくりと開かれようとしている。
彼女の新たな一歩が始まる。