あれから、いくつかの依頼をこなした。
といっても、基本は荷運びやら道案内やら、近所の草むしりにいたるまで、どれも穏やかな“日常系”ばかり。
まあ、シロが「研修生」扱いだから仕方ない。
「……なんか、思ってたのと違うのじゃ」
と、ある日の帰り道。
シロはぶすっと頬をふくらませ、パン屋の紙袋を抱えたままそう言った。
うん、その顔は完全に“おつかい帰りの小学生”だね。
「そもそも、冒険者とはもっとこう……魔物と戦ったり、秘宝を求めたり、異世界の運命に巻き込まれたりするものじゃろう? 今のこれは……下っ端の使い走りなのじゃ」
「いやまあ、実際そうなんだけど。初日は倉庫整理だったしね」
「うむ、あれはまあ、ちょっと楽しかったが……」
シロは少しだけ遠い目をした。
多分、吸血鬼のことを思い出してる。
「それでじゃが。そろそろ我も、魔法を使ってみたいのじゃ」
「唐突だね。魔法?」
「うむ。どばーん、がしゃーん、ずぎゃーんなやつ」
「いや、擬音で言われても……ていうかこの世界のは“魔術”かな、厳密には。習得には時間もお金もかかると思うよ」
「ふむ。お金……ならば依頼を受けるしかないのじゃな。結局はそのループなのじゃ。所詮この世界も、資本主義なのじゃ……」
と、シロは紙袋をぎゅっと抱きしめ、やけに深い顔でつぶやいた。
その日の宿は、いつもの二階の部屋だった。
シロはベッドの上でパンを頬張りながら、まだ何かぶつぶつと文句を言っていたが、僕は窓辺に座って、ふと思い出したように指を鳴らす。
――ぱちん、と軽い音。
次の瞬間、空中に、ぽっ、と小さな火の玉が浮かんだ。
手のひらサイズのそれは、照明というには頼りなく、暖房には向かず、攻撃力は皆無。
ただ、ゆらゆらと揺れているだけの、ただの魔術の初歩だ。
「……え?」
シロの咀嚼が止まる。
口にパンを詰めたまま、ぽかんと僕を見る。
「うん、こんな感じかなって」
「待つのじゃ。お主、それ、魔術ではないか? いつの間に……!」
「うん、昼間ちょっとこの世界の構造を覗いてみたら、なんとなく仕組みがわかった」
「……は?」
シロの咀嚼が止まる。パンを片手に、じっと僕を見つめる。
「いや、ほら。魔術って概念の流れをこう……うまいこと誘導すれば発動するっていうか。構造そのものはシンプルだったよ。ちょっと覗いて確認しただけ」
「……」
シロはしばらく沈黙したあと、ため息まじりにぽつりとつぶやいた。
「……相変わらずじゃの」
その声には、驚きと呆れと、ほんの少しだけ感心が混じっていた。
「普通は……なんかこう、数年かけて学ぶものなんじゃろ? 魔術は……。お主、もうちょっとこう、段階というものを踏むべきなのではないか?」
「いや、だって使えるなら試してみたくなるじゃん。火の玉くらいなら、害もないし」
「そういう問題ではないのじゃ……」
パンをもぐもぐしながら、シロはしばらく僕と火の玉を交互に見つめていたが、やがてひとこと。
「……ずるいのじゃ」
「ん?」
「……我もやってみたいのじゃ、魔術」
言いながら、シロはちょこんと僕の隣に座る。
パンの食べかけを手にしたまま、火の玉をじーっと見つめていた。
「いいけど、コツいるよ? 理論も少し複雑だし」
「教えるのじゃ!」
「うーん……じゃあ、頭の中に直接送るね。ちょっと変な感じすると思うけど」
「変な感じ……?」
「まあ、気にしないで」
そう言って、僕はシロの額に指を軽く当て――“接続”する。
次の瞬間。
「……う、わ、なにこれ、気持ち悪っ!」
シロが飛び退いた。後頭部を抱えてベッドの上を転げ回る。
「うえええ……なんか頭の中で変な理屈がどんどん組み上がっていくのじゃ……。えっ、なに? 記憶の中に線が勝手に引かれて……え、今の、我が考えたんじゃないのに……!」
「あ、それ正常だよ。だいたいの仕組みは入ったと思う。火の玉くらいなら、イメージと概念のルートを一つ通せば――」
「わ、わかったのじゃ! もういい、やる、やってやるのじゃ!」
ぴょん、とベッドから飛び降りたシロが、勢いよく腕を突き出す。
どう見ても力みすぎである。
「いっけええええええ!!」
その瞬間――。
部屋の窓から見える夜空に、巨大な光の魔法陣が、ばあん、と浮かび上がった。
それは街全体を包むほどの大きさで、幾何学的な文様がぐるぐると回転しながら、時折きらきらと火花を散らしている。
「……やらかしてるなあ」
思わずつぶやく僕の隣で、シロは固まっていた。
それは、純粋な魔術じゃなかったのかもしれない。
……まあ、シロは世界を滅ぼした情報災害だし。
情報というか、魔力というか、そういうリソースは山ほどある。
あの規模の魔術が出たのも、そりゃそうか、という話だった。
問題は、それが街中で発動されたことだ。
街の空を覆う巨大な魔法陣は、数秒の間を置いてから、ふわりと光を放ちながら消えていった。
被害も、爆発も、異変も、今のところはない。
ただ、空に映ったその現象だけが、静かに人々の目に焼きついた。
「お、おい……今の、見たか……?」
「な、なに? 空……空に、でかいのが……!」
「魔術か? いや、あんな規模、王都の大結界でも使わんぞ……!」
「やばいやばいやばい、なんか来るのか!? 空襲!? 竜の襲撃!?」
「子どもを中に入れろッ! 戸を閉めろッ!」
静まり返った夜の街に、パニック寸前のざわめきが広がっていく。
遠くの鐘が、警戒の音を鳴らし始めた。
冒険者の詰所からも、人影が駆け出してくる。
完全に、やらかした。
隣を見ると、シロはベッドの端でぺたんと座り込んだまま、腕を下ろして震えていた。
顔を上げて、僕を見る。
「……な、なんか……すごいやつ、出ちゃったのじゃ……?」
「うん。なんかすごいやつ、出ちゃったね」
わかってるなら、次からはちょっと落ち着いてやってほしい。
─────
結論から言えば――あの魔術騒動は、有耶無耶にされた。
突如として空に出現した巨大魔法陣。
街は一時パニックになり、調査隊が派遣されもしたが……。
結局、「発生源不明」という結論のまま、数日が過ぎた。
あれだけの規模にもかかわらず、被害らしい被害もなかったのが、逆に混乱を招いたのかもしれない。
ギルドから僕たちに話が来ることもなかったし、誰かが疑ってくることもなかった。
そして、ある日の昼下がり。
いつもの宿の部屋で、クッキーをもぐもぐしながら、シロがぽつりとつぶやいた。
「……なあ」
「ん?」
「しばらくは……普通の世界でいいのじゃ」
その言い方は、なんだか少しだけしょんぼりしていた。
「我、結構楽しみにしておったのじゃ。冒険者の世界」
「うん。知ってる」
「でも……思ってたのとは違ったのじゃ。もっとこう、派手に戦ったり、運命に巻き込まれたり……するかと」
「うん。知ってる」
「あと、ギルドの書類が多すぎるのじゃ。あとパンが高い」
「それは僕も思ってた」
しばらくの沈黙のあと、シロはふっと息をついた。
「じゃから、次は……なんというか、普通の場所がいいのじゃ。人がいて、暮らしがあって……そういう、静かなところ」
「冒険とかいいの?」
「飽きたのじゃ」
満面の笑みで即答した。潔いなあ。
というわけで――僕たちはこの世界を去ることにした。
ごく短い滞在だったが、倉庫整理に始まり、吸血鬼と出会い、謎の巨大魔法陣を空に描いて、最後はクッキーを食べて終わった。
……わりと盛りだくさんだったな。
「我って、やっぱり凄かったんじゃな……」
と、言い残し、シロはぴょんと窓辺に跳ね上がる。
次の舞台は――もっと、静かで穏やかな世界になる予定だ。
たぶん。