連れていかれたのは、市街地の端にあるビルの一室だった。
外見はごく普通の案内センター。
ガラス張りのエントランスに、受付のホログラム。
やけに親切そうな案内パネル――が、そこから先は違った。
通されたのは、無機質な部屋だった。
灰色の壁に、冷たい椅子。
天井には監視カメラの目。
観光客を歓迎するような雰囲気は、どこにもなかった。
「……これ、絶対案内施設じゃないじゃろ。尋問部屋じゃろ」
「まあ、こういう時は名前の問題じゃなくて“用途”の問題だからね」
僕は落ち着いた様子で椅子に腰を下ろす。
シロは椅子に座らず、僕の背後に立って周囲を警戒していた。
猫みたいな子だ。
やがて、ドアが開いた。
入ってきたのは、スーツ姿の女性と、その後ろに控えた見慣れないタイプの警備兵数名。
女性の方は、無表情で書類をめくりながら、こちらに近づいてくる。
金属質なハイヒールの音が、部屋に響いた。
「未登録の異分子を、いきなり保護対象に切り替えるなんて――ふうん、あなたたち、よっぽど興味深いってことね」
女幹部、という言葉が頭に浮かぶ。
おそらくはこの施設の責任者か、あるいは上位の監視機関の人間だろう。
「……それにしては、ずいぶんご丁寧に案内してくれてありがとう。お茶とか出たりするの?」
「出ないわよ。ここは“形式的には”観光案内所だけど、中身はそうじゃないから」
ほら見ろと言いたげに、シロが僕の服の裾を引っぱる。
「で、何者か聞かれる感じ? 名前とか所属とか、スパイ映画的なやつ?」
「ええ、まさにそう。けど……本当の質問は、もっとシンプル」
女幹部は僕の目の前に立ち、視線を合わせてくる。
その目には知性が宿っていた。
機械でも兵士でもない。
思考する存在の目だ。
「――あなた、どこから来たの?」
部屋の温度が一段階、下がった気がした。
「……観光って言ったんだけどなあ」
「観光なら、観光客らしい履歴が残ってるはずよ。あなたたちには、何もない。“どこからも来てない”ことになってる」
女幹部は小さく笑った。だが、その笑みはどこか張り詰めていた。
「この街のセンサーが、初めて“曖昧なもの”を捉えたの。上もあなたたちに興味津々よ」
その言葉に反応するように、ドアがもう一度開いた。
入ってきたのは、年齢不詳の小柄な存在だった。
金髪の巻き髪に、深紅の瞳。
場違いなほどに華やかな白のフリルスーツに、金のバッジがきらりと光る。
まるでおとぎ話から抜け出してきたような少女――けれど、その佇まいは、場の空気を一瞬で支配した。
警備兵たちが無言で姿勢を正す。
女幹部すら、目を伏せて一歩退いた。
たぶん社長というかCEOとかそういう立場っぽい。
そして彼女が入ってきた瞬間、場の空気が変わった。
まるで、空間のほうがその子に礼をしてるみたいな、そんな感じ。
たぶん、誰も気づいてない。
警備兵も、女幹部も。
でも――僕には分かる。
この子、高次元存在だわ。
説明はつかない。
けど、分かるんだよね、こういうの。
そういうのに何度も会ってきたからか、それとも、僕がちょっとおかしいのか。
どっちでもいいけど、まあ、間違いない。
……にしても、こんなに堂々と“出てきてる”のは珍しい気がする。
高次元存在って、もっとこう、さりげなく世界の背景に溶け込んでたり、うっかり見ると記憶から抜け落ちてたりするタイプが多いのに。
まあでも、僕が観測でいろんな世界を回ってるのと同じで、彼女(たぶん彼女)がこういうスタイルってだけなのかもしれない。
派手なフリルと金バッジで登場っていうのも、ある意味では――ありっちゃありか。
それと見た目がロリっ子なのは……うん、趣味かな。
まあ、僕が口出しすることじゃない。
観測者にも好みはあるし、たぶん高次元にもそういうのはあるんだろう。
うん、きっとそう。
そう思ったところで、時間が止まった。
……いや、正確には、彼女が時間を“止めた”のだろう。
物理的なものも、情報的な流れも、すべてが一瞬で凍結した。
女幹部はページをめくった手を中空で固め、警備兵たちは呼吸の途中で固まっている。
空調の風も、壁の監視カメラも、その作動音さえも消えた。
少女――高次元CEOは、僕の目の前に立ったまま、しばらく黙っていた。
空気は静止しているはずなのに、なぜか、周囲のノイズがゆっくりと蠢きはじめる。
視界の端がちらつき、
音のないささやきが、耳の奥を流れ、
脳に、何かが触れようとして、するりと滑っていった。
これは――情報干渉系だ。
思考の層にアクセスしようとする動き。
いわば、こちらの“中身”を読む試み。
パスポートの提示を求めるようなもので、ありがちな高次元的スキャン。
けれど。
彼女の眉が、ぴくりと動いた。
どうやら、うまく掴めてないようだ。
次の瞬間、少女は――ぽかんとした顔をした。
ほんの一瞬、目を見開き、
それから「あれー?」とでも言いたげに、首を傾げる。
自分のスキャンが通らなかったのが、相当珍しいのだろう。
高次元存在って、基本的に万能気味なとこあるから。
けれど、その顔が妙に素直で、なんだか拍子抜けする。
ふふっと笑ってしまいそうになるのを我慢する。
ここで余計なことを言うのは、得策じゃない。
たとえば僕が、自分の正体をべらべら話してみたとする。
観測者であるとか、高次元の情報構造に多少アクセスできるだとか、わりと世界線の外をウロウロしているだとか、そういう話を。
……うん、間違いなく、ろくなことにならない。
この手の存在は、たいてい「知らないこと」が許せない。
それが好奇心からか、危機管理からかはともかく――いずれにしても、彼女が“こちらを知らない”という状態は、長く保てないだろう。
だから、黙っている。
喋る必要もないし、喋るメリットもない。
むしろ喋ったら損をする。
何も知らない“観光客”のままでいるほうが、遥かに安全なのだ。
まあ意外と平和主義な可能性もあるだろうけどね。
目の前の高次元CEOは、そんな僕の“沈黙”を前に、まるで駄菓子屋で見たことないお菓子を見つけた子供のような顔をしていた。
物理法則と情報律が凍結した部屋の中で、ただ一人、ちょっとだけほっぺを膨らませている。
ちょっと可愛いな。
……そんなことを思ってしまった自分に、軽く引く。
いやいや、見た目に惑わされちゃダメでしょ僕。
この子、見た目こそファンシーなロリっ子だけど、中身は多分、銀河系くらいは平気で折りたためる。
時間は止まり、空気は静止し、でも、僕と彼女だけは、ここにいる。
視線が合う。
彼女の瞳は深紅で、揺らがない。
なのにその奥には、たしかに「困惑」があった。
その感情が、ちょっとだけ面白い。
なんというか、こう、完璧なはずの存在が、たまたま落とし穴にハマっちゃったみたいな、そんな滑稽さ。
でも、言わない。
からかわない。
黙って、ただ目を見ている。
それが、この局面における――最も無難な対応だ。
と、その時。
静止していた世界が、ゆっくりと、動き始めた。
時間の流れが帰ってくる。
空気が震え、物音が戻る。
女幹部がページをめくり終え、警備兵たちが再び呼吸を始める。
ただ一つだけ、変わったものがあるとすれば。
少女――高次元CEOの視線が、今は完全に、僕一人に向いていたことだ。
なんか面倒なことになりそうな。
そんな予感が、背中を這い上がってくる。
けれど僕は、顔に出さない。
空間が再び流れ始めても、僕はまるで何もなかったかのように振る舞う。
気配も意図的に、肩の力が抜けた観光客モード。
シロは警戒を解いていないけれど、別にいい。
むしろ、彼女がピリついてるおかげで、僕の「のほほんぶり」が際立って見えるはずだ。
高次元CEOの反応は――ない。
というか、まだ無言。
じっと、こちらを観察している。
あ、これは試されてるな。
喋るべきか、喋らざるべきか。
演出の“続きをどう拾うか”を、たぶん彼女は見てる。
けれど、僕はあえて――のほほんと続ける。
「てかさ、案内センターってもっと、こう、パンフレットとか……こう、地元名物の飴玉とか、あると思ってたんだけどな」
わざとらしく肩をすくめてみせると、女幹部が微かに眉をひそめた。
そして高次元CEOはやはり反応しない。
ただ、まばたきもせず、こちらを見ている。
視線が、まるでスキャンの続きみたいで、くすぐったい。
……とりあえず、僕の中身を“読めなかった”ってことは分かったらしい。
しばらくの沈黙のあと、高次元CEOが、ふいに口を開いた。
「――この場にいる必要、ないわね」
それは誰に向けたものでもなく、ただの事実の確認のような言い方だった。
けれど、次の瞬間、女幹部と警備兵たちがぴしりと反応する。
「……よろしいのですか? 情報の共有は、上層の」
「必要ないわ」
ぴしゃりと断言する。
けれど怒気はなかった。
むしろ、退屈そうな響きだった。
女幹部は一瞬だけ言葉を探すように視線を泳がせたが、結局、何も言わずに小さく頭を下げた。
そして無言で、手を振る。
警備兵たちはそれに従い、ドアの外へと退出していく。
女幹部もその後に続き――ドアが、音もなく閉まった。
完全に、密室になった。
時間は動いていた。
けれど、その場の“空気”だけが、また別のものに切り替わる。
高次元CEOは、じっとこちらを見たまま動かない。
「……個人的な話、ってことかな?」
僕が言うと、少女はほんのわずかに微笑んだ。
けれど、その笑みは先ほどの困惑とも、社交辞令とも違う。
「“これ”が効かない時点で、あなた――相当異常よ?」
ようやく、それらしい言葉が返ってくる。
“これ”、というのはさっきの情報干渉のことだろう。
たぶん、彼女にとっては日常的な行為なんだと思う。
「まあ、否定はしないけどね。旅慣れてるというか、演出の免疫というか」
肩をすくめて返すと、少女はひとつ、息をついた。
その深紅の瞳には、好奇心と――ほんの少し、恐れが滲んでいた。
たぶん、彼女にとっては久しぶりなんだと思う。
もしくは初めてなのかもしれない。
自分の“手”が届かない存在と向き合うのが。
こういう高次元系って、だいたい万能に近い存在として振る舞ってる。
世界を折りたたんで遊ぶような力を持ち、それを「当たり前のこと」として認識してる。
だからこそ、自分の力が“通じない”ってだけで、違和感のレベルが一気に跳ね上がる。
その違和感は、時に“恐怖”に近いものを呼び起こす。
だって、自分が世界だと思ってた舞台に、突如として“観客”が入り込んできたようなものだから。
僕が、その観客かどうかはさておき――少なくとも、演出に巻き込まれるタイプじゃない。
それといきなり攻撃とかされなくて良かった。
どうやら意外と話せるらしい。
「……で?」
そこで、不意に別の声が入った。
沈黙を守っていたシロが、ついに口を開く。
「……そなたは、何者なんじゃ?」
ぽつり。
シロがその少女に視線を向けたまま、静かに問いかける。
無邪気な声色のまま、しかし、どこか底を探るような響き。
少女――いや、“高次元CEO”は小さく首を傾げた。
「高次元な……うーん、まあ、そんな感じ?」
ふわりと笑って、肩をすくめる。
その軽さが妙に本物っぽいのが、またややこしい。
「……って言われてみれば、説明って難しいよね。次元を跨いで存在してます、って自己紹介されても、こっちとしては“はあ”ってなるし。実体があるのかないのかすら怪しい感じの人たち、いるもんね」
と、僕はいつもの調子でフォローしておく。別に誰から頼まれたわけでもないけど。
あんまり深く掘っても、脳が蒸発しそうだし。
しばしの沈黙ののち、シロがひとつ頷いて言った。
「なるほどの。二人……いや、二柱? とも意味がわからんやつか」
なぜか妙に納得したような顔をしている。
その顔にツッコむかどうか、少し迷って、やめておいた。
そしてこの時、観光案内所のとある一室では、世界を滅ぼせるほどの「情報災害」と、次元の壁を踏み越える「高次元的存在」が二体、仲良くそろって座っていた。
よくよく考えてみると、この組み合わせ、わりと真剣に世界終わるやつでは?
……まあ、気づいたところでどうしようもないけど。