ジュウゥ……と、肉が焼ける音が店内の空気を支配する。
煙を吸い込むダクトの唸り声。
金属製のトング。
炭火の熱でゆらめく脂の景色。
あの後世界を移動した僕たちは、焼肉屋のボックス席にいた。
シロはいつの間にか最上級のシャトーブリアンを注文していて、真顔で「これじゃなきゃだめ」と言い張っていた。
さっきから高い部位ばかり食べている気がする。
そしてその隣の席では、高次元存在がタン塩を華麗にひっくり返している。
「そういえば、名前を聞いてなかったね」
と、僕は言った。
ロースを眺めながら、彼女は首をかしげる。
「あら、言ってなかったかしら?」
鉄板の上でジュウ、と脂が弾けた。
「“エルセリカ・ヴァリアント”。一応、そういう名前で名乗ってるわ」
「じゃあエルでいいか。長いし、舌噛みそうだし」
「略しすぎじゃない? せめてセリカにしてほしいわね」
タン塩を器用にひっくり返しながら、彼女は不満げに唇を尖らせた。
「……それにしても、こんなに簡単に世界を移動できるとはねえ」
鉄板の上で肉が弾ける音の向こうで、彼女の声がぽつりと落ちた。
その目は、どこか遠くを見ているようで。
少しだけ、畏怖が滲んでいた。
「まあ、慣れてるから」
僕は手元のトングで、ロースを裏返しながら軽く答えた。
「慣れてるからって、できるものじゃないでしょ。それ」
エルは真顔で言った。タン塩をひっくり返す手が止まっている。
「それが当たり前みたいに言える時点で、あんた、やっぱりまともじゃないわよ」
タン塩をじっと見つめながら、エルがそう言ったそのとき。
「……うむ。前々からやってることがめちゃくちゃだとは思っておったが……やっぱりめちゃくちゃだったのじゃ」
向かいから、シロが神妙な顔でうなずいた。
シャトーブリアンをひと切れ、箸でつまみながら。
「もっと早く気づいても良かったのでは」
と、僕が言うと、
「だって、あまりにも普通に世界を移動するからの。逆にわからなかったのじゃ」
シロはしれっとした顔で答え、肉を口に運んだ。
――なんというか、こうして焼肉をつついてる姿だけ見れば、ただの仲良しロリ二人組だ。
タン塩を真剣な顔でひっくり返す金髪のちびっこ。
シャトーブリアンを真顔でもぐもぐする白髪のちびっこ。
緊張感もへったくれもない。
だがその実態はというと、一人は僕と似た高次元存在で、もう一人は情報災害そのもの。
エルは無言のままレモンを絞っていた。
この絵面とギャップが激しすぎる。
「……学校に行ってみたいのよね」
唐突に、エルが言った。
レモンの雫がタン塩に落ちるタイミングで、さらっと。
「え?」
僕の手が止まる。
シロも箸を止めて、じっとエルを見た。
「制服とか、机とか、委員会活動とか……ああいうの、ちょっと憧れてたのよね。昔から」
「……小学校?」
「失礼ね!? せめて中等部って言いなさいよ!」
タン塩を小さなフォークで突き刺しながら、エルがムキになった。
「ていうか、君のいた世界に学校ってなかったの?」
「一応あったわよ。ちゃんとした教育機関も、生徒も先生もね」
エルはふうと息を吐いて、タン塩をひっくり返す。
「でも、ほら。私、世界を支配してる企業のCEOだったじゃない?」
「……あー」
なんかもう、納得しかない。
「身分的にも立場的にも、“学校に通う”なんて選択肢、そもそもなかったのよ。下手に出たら逆に神格化されるだけだし」
「確かに。登校初日で教室が神殿になるやつじゃな」
シロが真顔で言いながら、シャトーブリアンを口に運んだ。
「だからこそ、普通の学生生活ってやつ、ちょっとやってみたいのよね」
エルは少し遠くを見る目で、タン塩をじっと見つめた。
どう見ても、焼肉屋でしんみりしてるロリっ子の図だった。
――でもその正体は、前の世界において世界を牛耳っていた高次元の存在である。
「……まあ、別にいいんじゃない?」
僕は軽く息をついて、ロースをひっくり返した。
「えっ?」
「いや、ダメな理由も特に思いつかないし。むしろここまで来たら一周回ってアリな気がしてきた」
「ノリがいいじゃない! 気に入ったわ!」
エルがぱっと顔を輝かせた。
タン塩がレモンの湖に沈んでいた。
「ちなみに戸籍はもう習得済みよ。前提条件はクリア済みってやつ」
「割と根本的な倫理観がゆるいのじゃ」
向かいのシロが冷静にツッコミを入れた。
「だって、やりたかったんだもん。制服とか、机とか、掃除当番とか、文化祭とか、購買のパン争奪戦とか――」
「やたら具体的だね。どこで仕入れた情報なのそれ」
「地球文化マニアなのよ。わたし」
自慢げに胸を張るエル。
小さすぎて、全然説得力がなかった。
学校に憧れる高次元存在と、焼肉をつつく情報災害。
トングを握りながら、僕は思う。
……シュールすぎるだろ、この光景。
でもまあ、面白いしいいか。
ロースは美味しいし。
「ちなみに、二人の戸籍ももう用意してあるわよ?」
エルがさらっととんでもないことを言った。
「え?」
「ほら、制服が着たいなら、ちゃんと入学しなきゃダメでしょ? 高校生らしく。だからついでに、あなたたちの分も手配しておいたの」
ついでの感覚で戸籍を生やすな。
「名前もね、それっぽくしておいたわ。いかにもいそうな感じの」
「それっぽい、っていうか……逆にありふれすぎて溶け込めそうではあるけど」
「でしょ? 現地に馴染むには、そういう地味さが大事なのよ」
異様な説得力と共に、タン塩がひっくり返される。
「というわけで――明日から、一緒に通いましょ?」
エルがにこりと笑った。
隣を見ると、シロが箸を止めて、じっとエルを見ている。
「……うーん、またいきなりじゃな……」
シロがちょっとだけ眉をひそめる。けれど、それ以上は特に何も言わない。
「まあ、別に行ってやってもよいのじゃ」
箸を進めながら、そんなことを口にした。
反対する気はなさそうだ。
最近の彼女は適応力が高い。
僕はロースをひっくり返しながら、ふうと息を吐いた。
「高校生ねえ……」
まあ、僕はどこにでもいそうな見た目だし、地味にしていれば溶け込めるだろう。
でも、シロとエルは――
……どう見ても、小学生サイズのちびっこだ。
こんなのが制服着て高校の教室にいたら、まず浮く。
確実に浮く。
生徒指導が飛んでくる。
制服のサイズ感とか以前の問題である。
……でもまあ、面白いしいいか。
僕は心の中でそうもう一度つぶやいて、焼けたロースを口に運んだ。