「む……腹が、減ったのじゃ……」
開口一番、情報災害ちゃん──もといシロが、切実な顔でそう言った。
「……そっか、もう“情報だけの存在”じゃないもんね。体あるもんね」
「そなたがそうしたのじゃろが! むう、何か食わせよ!」
「よくぞそこまで威張れるな……。まあいいや、ちょうど街っぽいし、なんか店探そっか」
僕たちが立っているのは、高層ビルが立ち並ぶ都会の一角だった。
一応僕が訪れる世界は普通のものとは違うことが多いが、この世界においては、道路も空も人の流れも、少なくとも表面上は“普通”に見えた。
ただ、何となく空気に違和感がある。
ざわざわと、情報の層が揺れているような、そんな感覚。
……まあ、今のところは問題なさそうだ。
あ、ちなみに情報災害ちゃんはさっきまで裸だったので服を生成して着せている。
「この辺、飲食店くらいあるでしょ。匂いするし」
「むう、あの看板……『グリル喫茶・ムーンライト』? なんか美味そうじゃ!」
「うん、入ってみよっか」
─────
案内された窓際の席。
僕たちは、メニューを睨んでいた。
「む……どれもこれも、美味そうなのじゃ……!」
シロの目が、キラキラと輝いている。物理的な意味で。瞳の奥で光子が跳ねてる。
期待と好奇心と──あと、たぶん食欲による生体信号の高まり。
「“ハンバーグ定食”に、“ふわとろオムライス”、“漆黒のスパイシーカレー”……なんじゃこの名は! 厨二病じゃろ!」
「いや、普通だと思うよ? ていうかカレーが一番人気って書いてある」
シロはなおもメニューにかじりつきながら、「ぬぬ……これも捨てがたい……」とか「オムライスというもの、名は可愛いが本当に美味なのか……?」とか、謎の葛藤を続けていたが──
「ではそれを寄越せ!」
最終的には、なぜか両手をバンとテーブルに置いて、決意表明のように言い放った。
カレーに決まったらしい。
「へいへい。……すみませーん、注文いいですかー」
店員に手を挙げつつ、僕は心の中でふと思う。
ぶっちゃけ、飲食店でこんなことをしなくても、食べ物なんていつでも生成できるんだけどね。
注文を終えた後、僕は窓の外に視線を向けた。
ビル群の谷間を人々が行き交い、どこかの交差点ではストリートパフォーマンスの音が響いている。
非常に平和な光景ではあるが、何かが起こりそうな気はしていた。
というか、あそこの情報の層が変なことになってるからね。
嫌な予感しかしない。
「ふふん、我は今日初めて飯を食うのじゃ。これは大いなる一歩!」
「赤ちゃんか君は」
「ち、違うわ! これは文明との邂逅じゃ!」
シロのテンションが上がってきている。
何と言うか、平和な日常だ。
まるで何事も起こらないかのような──
──ドカン!!
突如、店の窓ガラスが砕け散った。
「な、なんじゃあああああああああああ!?」
空から巨大な影が降ってきた。街の向こう、ビルの谷間から現れたのは、五階建てほどもある怪獣。皮膚は紫色、全身から黒い煙を吹き出し、咆哮と共に車を蹴り飛ばしていた。
「でけー」
僕からはそんな適当な感想が出ていた。
っていうか注文しようと思ってたのに……
などと思っていた次の瞬間、空に魔法陣が展開された。
なんかめっちゃ派手なヤツ。
「現れし混沌に、希望の光を──マジカル・イノセント・シールド、展開!」
キラキラの声と共に、ビームのような光が怪獣を吹き飛ばす。
空に浮かぶのは、リボンとステッキに彩られた、王道ど真ん中の魔法少女だった。
「おる! 何かがおるぞ! ほんとうにおる! わあああ!」
シロが奇声を上げながら席の下に潜り込む。
窓の外では、魔法少女の放った光の奔流が怪獣の肩口をかすめ、ビルの壁にぶち当たっていた。
瓦礫と火花が舞い、あちこちのクラクションが鳴り響く。
「えーっと……これは、普通に危ないやつだな」
僕はため息をつきながら、椅子の下から這い出てきたシロを引っ張りあげた。
「ぬう……あの娘、なんじゃ? リボン……星のステッキ……ふわふわの髪……完全に魔法少女じゃ!」
「そうだね、テンプレに忠実だ。良いことだよ。わかりやすい」
その間にも、魔法少女は空中でくるくる回転しながら、何かの詠唱を続けていた。
「星々よ集いて、聖なる輝きに変われ──イノセント・シューティングスター!!」
ぶわっと光が収束し、連続する星型のエネルギー弾が怪獣を襲う。
だが──
「効いてないな」
怪獣は肩を揺らした程度で、次の瞬間には雄叫びとともにビルの一つを殴り飛ばしていた。マジで五階建てが丸ごと揺れる勢いだ。
「わああ! 来る来る! こっち来る!」
「はいはい、シロ、頭下げて。とりあえず──」
僕は手をかざして、簡易的な防御フィールドを展開した。
情報層を三枚重ねて衝撃吸収処理をかける。
見た目は青白い膜みたいなやつ。
「──これでちょっとはマシ。逃げよう」
「でもでも、魔法少女おるし! あんなの見たことないし!」
「今見たでしょ。逃げながら観測すればいいよ」
僕たちは席を飛び出し、半壊した店の入口をくぐり抜けて表通りへ出る。
そこはもう、軽く地獄だった。
黒煙。叫び声。逃げ惑う人々。
空では、魔法少女と怪獣がビームと爪で激しく撃ち合っていた。
そして──
怪獣の目が、こっちを向いた。
「……あ、バレた」
「うぉぉい!? なんでこっち来る!? そなた、変なオーラ出しとったじゃろ!」
「いや、今は弱まってるとはいえ君の情報波相当ヤバいからね。世界を滅ぼした情報災害なだけはあるよ」
怪獣がこちらに向かって突進してくる。地面が揺れ、アスファルトが砕ける。
「お主! どうするのじゃ!?」
「仕方ない……ちょっとだけ反撃するか」
僕は右手を軽く振る。
その動作だけで、空気の層にざわりと波紋が走った。
見た目には何も起きていない。
ただ、情報の流れがわずかに書き換わる。
怪獣の足元、路面の摩擦係数をほんの少しだけ下げてやると──
ドンッ!
ちょうど走り出した怪獣が盛大にバランスを崩し、車の列に突っ込んだ。
「おおお!? な、なんか転けたのじゃ!」
「うん。運が悪かったんじゃない?」
「絶対そなたが何かやったじゃろ! 我にはわかるのじゃぞ!」
「……さあ、なんのことやら」
しれっととぼけながら、僕は怪獣と魔法少女の動きを目で追う。
その時だった。
空中で魔法少女がこちらに顔を向け、手をかざす。
「──そこの人たち! 危ないよ、早く避難して!」
僕とシロ、明らかに狙われてる位置にいたからか、魔法少女がこっちに向けて叫んだ。
──あ、完全に一般人扱いだ。
「おおお!? 今、我に話しかけたぞ! 魔法少女が我に! 我、選ばれし民なのでは!?」
「いや、君、ただの被災者だからね今。爆心地にいるだけ」
「む、無礼な! 我はそなたのパートナーにして情報災害じゃぞ!?」
「うん、情報災害が道端で騒いでたら普通に迷惑だからね」
そんなふうに言い合っている間にも、魔法少女は飛行魔法か何かでスッとこちらに降りてきた。
キラキラのエフェクトが眩しい。
いいなこれ、今度僕も身体からこういうエフェクト出してみようかな。
「二人とも、無事? 早く避難を──」
「我は無事! むしろ元気! あの怪獣、倒しに行ってもよいか?」
「えっ?」
魔法少女が一瞬だけフリーズした。完全に予想外って顔。
……うん、これは予想外だよね。こっちが言うのもなんだけど。
「ちょ、ちょっと……それ、冗談言ってる場合じゃないよ? 今すぐこの場から避難して……!」
「冗談ではないのじゃが!」
胸を張ってそう宣言したシロに、魔法少女は一瞬だけ絶句したあと──ぎこちなく微笑んだ。
「そ、そうだね……でも、君たちはまず安全な場所に……! 私が何とかするから!」
そう言って、再び空へと舞い上がっていく。
──眩しい光。
魔法少女の放った最後の一撃が、怪獣の心臓部を貫いた。
黒煙が爆ぜ、咆哮が止む。
そして、大きな影が崩れ落ちると同時に、街にようやく静寂が戻ってきた。
「……終わった、のか?」
シロがそっと頭を出して、目を瞬かせる。
瓦礫、焦げた匂い、ひび割れたアスファルト。
けれど、空は晴れていた。
今しがた希望が駆け抜けた場所のように、澄んでいた。
そして。
「君たち……さっきのことだけど」
魔法少女が、歩いてこちらへと戻ってきた。
さっきまでの凛々しい顔つきではなく、どこか力の抜けた、年相応の少女の表情だった。
「ただの一般人じゃ、ないんだよね?」
「なんでそう思ったの?」
「なんだか……特にその子から変な力を感じる」
僕は肩をすくめた。
「まあ……僕たちはただの観測者だよ」
「それは……戦えないって意味?」
「戦わないって意味。必要がなければね」
魔法少女は僕をまっすぐに見つめた。 彼女の目には、光があった。だが、どこかに陰もあった。
「そっか……ごめんね、巻き込んじゃって」
「大丈夫。おかげで助かったし。結構疲れたんじゃない?」
「ふふ、そうだね……」
魔法少女は小さく笑った。
でもその笑いは、どこか揺れていた。
「……本当に、戦えてたのかな。私」
ポツリと、そう漏らした声は、風に溶けていきそうなほど小さかった。
「怪獣を倒しても、街は壊れて、皆は逃げて。何を守れたのか、時々わからなくなる」
シロが彼女の前に立ち、腕を組んで言う。
「そなた、ちゃんと“希望の光”を放っておったぞ!」
「え……?」
「どこかで聞いたような呪文も、星もリボンも、全部キラキラしておった! 我、見ていた! 派手すぎて目をそらせなかったのじゃ!」
「……ありがと。変な言い方だけど、君たちが見てくれたなら、ちょっとは意味があったのかな」
彼女の目が、ようやく少し柔らかくなる。
僕は、情報の層をひとつ開いて、そこに記録された光の軌跡を眺めた。
「意味なんて、最初からあるわけじゃない。ただ、誰かが見ていれば、それが“あった”ことになる」
「……“観測”って、そういうことなの?」
「うん。少なくとも僕にとってはね」
魔法少女は、ほんの少しの間、黙っていた。
そして──空を見上げた。
「……そっか。じゃあ、今日は“あった”ことになるんだね、ちゃんと」
「もちろん。ばっちり記録済みだよ」
「ふふ。ありがと、観測者さん」
風が通り抜ける。
焼けた街の隙間を縫って、少しだけ、新しい空気が流れ込んできた。
「じゃ、そろそろ行こっか、シロ」
「む。さらばなのじゃ、魔法少女よ!」
「うん。またどこかで──なんて言わないよ。観測って、そういうものでしょ?」
「正解」
そう答えて、僕たちは踵を返す。
──去り際、僕はふと振り返る。
瓦礫の中、魔法少女がひとり、空を見ていた。
手にはあのステッキ。リボンが風に揺れていた。
──その姿を、観測という形で、しっかりと残しておいた。