僕たちは世界を移動した。
地獄を抜けて、天国へ。
――らしい。
でも、第一印象としては、そこが天国だと言われてもピンとこなかった。
視界はどこまでも白く、空も地面も区別がつかない。
立っているはずなのに、床の感触すら曖昧だ。
まるで白くて淡い夢の中に放り込まれたみたいだった。
音も匂いも、ない。
あるのは、輪郭のぼやけた光だけ。
「……ここが天国、なんじゃろか」
ぽつりと、シロが呟いた。
その声すら、どこか遠くから聞こえるような気がする。
いや、気がするだけで、実際はすぐ隣にいるのだけれど。
「もっとこう、キラキラしとる思ってたんじゃが……金の門とか、羽の生えた天使とか……そういうのは?」
「受付もなければ、BGMもないしね。観光地としては静かすぎる」
「静かすぎて逆に怖いんじゃが……」
「ふふん、ここが“本物の”天国ね!」
エルが、無意味に胸を張る。
けどその誇らしげな表情の背景も、やっぱり真っ白で、どこにも奥行きがない。
あらゆる意味で、曖昧すぎる。
「それにしても……へえー……天国って、こんな感じなんだ」
エルの口から出た感想も、妙に淡泊だった。
こんなにも何もないのに、なぜか全部が揃ってる。
そういう場所なのかもしれない。
わからないけど。
とりあえず、僕らは今、天国にいる。
そして何もない、が、ずっと続くのかと思っていた。
でも。
空間の奥、白と光が混ざり合ったどこかで、“それ”は動いた。
気のせいかとも思ったけれど、すぐに違うとわかった。
視界の中に、歪んだ――いや、正しく整いすぎた何かがいた。
球体だ。
巨大な球体が、ふわりと浮かんでいる。
そこからはみ出すように、無数の翼。目。輪っか。歯車のような構造。
秩序に則って並びすぎているせいで、逆に意味がわからない。
「……な、なんじゃ、あれ」
シロが息を呑む。
それはたぶん、天使だった。
よく見ると、黄金の輪は確かにあるし、翼のようなものも何枚もある。
でも、ヒトガタじゃない。
むしろ、あまりにも“神聖”でありすぎるせいで、生物としての構造が破綻していた。
神の道具。神の思考。神の干渉。
たぶんその全部を兼ね備えた、“天使”。
「うわ、思ったよりグロ……いや、神秘的……?」
僕の感想は途中で方向修正された。
口にするのも失礼な気がしたからだ。
というか、口に出した瞬間に全消しされてもおかしくない気配がある。
「すご……何層構造? あれ、全部個別に回ってない?」
エルは目を輝かせてる。
方向性の違うヤバさだった。
光が強くなる。
“天使”がこちらに気づいたようだった。
僕らに気づいた天使は、ふわりと浮いたまま、ゆっくりこちらに向かってくる。
……あの球体、どうやって動いてるんだろう。
という疑問が浮かぶ前に、“音”が生まれた。
何かが、耳じゃない場所に届いた。
《確認。巡礼者三体。形状……許容範囲内》
……声?
いや、これはもう声とか音とか、そういうカテゴリじゃない気がする。
頭の奥に、直接、誰かの“理解”が流し込まれるような感覚。
「な、なんじゃ、今の……!?」
シロが頭を抱えて小さくしゃがみ込む。
たぶん、刺激が強すぎた。
「ふぅん……思念波? あるいは超次元的共鳴フィードバック……」
エルは当然のように納得してる。
なんで?
天使は、僕たちの目の前で静止した。
ぶわ、と、翼と輪っかが回転し、配置が変わる。
何もしていないのに、空間全体が“整列”させられている感じがした。
《巡礼者へ告ぐ。ここは天の階層、第八構造区画。順路に従い、選別と審問を受けよ》
すごく神聖っぽいことを言ってる気がするけど、こっちの事情とかテンションとか、まるで無視である。
「……ねえ、これってなんか試される流れじゃない?」
僕がこっそり言うと、シロもコクリと頷いた。
「ほ、本音で答えたら魂抜かれるやつじゃ……」
「やだなぁ、観光で来ただけなんですけどね」
まったくもって、予定にはなかった。
天使はふと、まるで空間ごと呼吸するように、静かに回転を止めた。
そして、沈黙のあと、再び“理解”が流れ込む。
《審問開始。第一項目――あなたは、あなたですか》
……開口一番から、めんどくさそうなのが来た。
シロが僕を見る。
僕もシロを見る。
たぶん、彼女の脳内にも同じ「それって何?」が浮かんでる。
「ええと……たぶん?」
曖昧に答えた僕の脳内に、すかさず“ノイズ”が流れ込む。
《回答を確認中……曖昧。継続審問》
うん、やっぱり通じてないっぽい。
《第二項目――あなたの存在は、存在のうちに含まれますか》
哲学の期末テストかなにか?
「む、無理じゃろ! そもそもその“存在”がどの存在なのかも不明じゃ……!」
シロが隣でプチパニックになっている。
可哀想に。
「これは、存在論的パラドックスね。面白い、すごく精密」
エルは何やら嬉しそうに頷いてる。
たぶんこっちも別の意味でヤバい。
《回答なし。沈黙を以て“肯定的無回答”として処理》
便利なルールだな、と感心していたら、また目が回り始めた。
違う、物理的にではなく、視界の奥であの天使の目と輪っかと何かが高速回転していた。
《第三項目――“善”を定義せよ》
出た、ラスボスみたいな質問。
「お、おおおおちつけ……これはアレじゃ、道徳の授業……!」
「答え:その時々による!」
エルの元気な声が響く。相変わらずブレない。
《回答を確認。個別人格の揺らぎを考慮……“参考値”として保留》
参考にしちゃうんだ。
それでいいんだ。
そして天使がそう言った――というか、そう“流し込んできた”直後だった。
「ふぁー……すっごいなあ、これ。見て見て、こっちの輪っか、角度変えると反対側の動きと同期してる……!」
エルが、妙に感心したような声を上げる。
え、何してるの。
「ていっ」
そう言って、彼女は目の前の天使の“構造”に、ぺたりと指を触れた。
それは輪っかのひとつ。
黄金の光を放ちながら、回転し、振動し、空間そのものと連動していた“何か”。
そして。
その瞬間、世界が“止まった”。
音も、光も、空気も、全部が一拍、間を置く。
視界の奥で、天使の無数の目が、全て同時にこちらを向いた。
《――侵触確認》
淡々とした“声”が脳内に走った。
「えっ、ちょ、今のってそんなにダメなやつ!? 見た目的に回しちゃダメなハンドル感なかったけど!?」
「バカかーーっ!? なんで触るんじゃーっ!?」
シロが叫ぶと同時に、天使の構造が“反転”した。
球体の奥から、もう一体。
そしてその背後に、さらに十数体。
真っ白だった空間に、秩序の塊みたいな“何か”が、次々と展開されていく。
目。輪っか。翼。光。
空そのものが、天使の構造で埋まっていく。
数ではない。
ひとつひとつが“機構”として完結していて、それぞれが完璧な天使だった。
「わー……やばー……これ、全部出てくる系のやつだ……」
エルは純粋に感動している。
怖くないのか。
いや、たぶん怖くないんだろうな。
「や、やばいじゃろ!? これ絶対審問じゃなくて処理の流れじゃろ!? 罰則モードじゃろ!?」
「いやまあ、そうっぽいね」
言いながら、僕は手を軽く振った。
指先から展開された半透明の球体が、空間をぐるりと包む。
ぱん、と軽い音。
次の瞬間、空間が圧縮されたような衝撃が、外側から走った。
天使たちの輪が、一斉に僕たちを“測った”のだろう。
でも、バリアは何事もなくそれを受け止める。
無音。無害。無傷。
「おおー、なにこれ! 今の、普通に超次元圧縮波動じゃない? 観測前の可能性を測定してたよね? すごい!」
エルが興奮気味にバリアの内側を叩いている。
うるさい。
「うわ……これ、今のじゃなかったらミンチじゃったぞ……」
シロは震えながら、僕の後ろにぴたっと張り付いている。
可哀想に。
外では、天使たちが静かに浮いていた。
光も音もないまま、ただ、構造だけがこちらを見ている。
まだ“攻撃”は始まっていない。
けれど、そこにあるのは明確な敵意でも悪意でもなく――ただの“是正”。
この空間にとって、僕らは“ノイズ”なのだ。
「んー……これは詫び案件かなあ」
僕はぽつりと呟いた。
その瞬間、天使のひとつが、輪を逆回転させた。
ノイズではない。
これは、明確な“始動”のサインだった。
僕は指を鳴らす。
バリアの内側、僕たち三人の足元に、淡く光る円が走る。
「……え?」
「転移陣。ここでやりあうの、さすがに面倒くさいからね」
さっきまでの冗談じみたテンションはどこへやら、僕の声にはわずかに硬さがあった。
ほんの少しだけ。
「ごめんねエル。ここは観光には向いてなかったみたい」
「えー……まだ上の階層とかあると思ったのに……」
「うぅ……は、早く行こう……! 我、この光、もう二度と見とうない……!」
光が収束し、世界が歪む。
バリアの外で、無数の目がこちらを見ていた。
あれらは、たぶん“善”を守っている。
だからこそ、善くなければ排除する。
善であれ、と命じる。
……恐ろしい話だと思う。
天使の階層が、あっけなく遠ざかっていく。
次に辿り着くのは、果たしてどんな場所だろうか――