星に思いを馳せる
僕たちは今、恒星の上にいた。
そう、恒星だ。
太陽とか、ああいうやつ。
ガスと光と狂った重力が渦巻く、惑星の母にして死神のような巨大球体。
地面はない。
というか、立っている時点でおかしい。
周囲は真っ赤なプラズマ。
視界の端ではフレアが噴き上がってる。
温度の概念も、重力の概念も、ここではうまく働いてない。
けど、僕たちはわりと普通に立っていた。
なんなら、エルは上機嫌で太陽風を浴びている。
「ふふん、良いじゃない恒星。スケールの大きさって大事よ、大事!」
と、エルが腕を組んで満足げにうなずく。
目の前には直径数万キロの火柱がそびえ、まるで海の波のように――いや、海以上に――ゆらめいていた。
「……ああもう、我もうツッコむのやめるわ……」
シロが限界を迎えていた。
手で顔を覆いながら、半ば本気で座り込んでいる。
燃え尽きたというより、焼け尽きた表情で。
「いや、まあ……あれだ。確かにデカいし、迫力あるけどさ」
僕も一応言ってみるが、どうにも気圧される。
「ね? この“宇宙そのものの心音”って感じ、最高じゃない? いい観光ポイントでしょ?」
「観光地じゃなくて天体じゃよここは! 物理法則の敗北現場なんじゃが!」
「まあまあ、そんなに怒らない。服も焼けてないし、呼吸もできてるし、問題はないでしょ?」
「それ全部おかしいんじゃが!」
シロの悲鳴が、熱圧で揺れる空間に溶けていった。
まあ、こういうのを平然とやるのが、僕たちというか――高次元に棲んでる連中の、性ってやつだ。
僕も昔、ブラックホールにダイブしようとしてたし、あんまり人のことは言えない。
宇宙の常識を片手でひっくり返しながら、「見て見てー!」とドヤ顔する生き物。
まあ、そういうものだ。
とはいえ、前に僕たちがバグみたいな空間に落ちたとき、彼女が盛大に叫んでいたのを僕は覚えている。
あれはたぶん、自分の理解が一ミリも及ばないタイプの異常だったからだ。
逆に言えば、今ここにいる恒星の上は――まあ、エル的には“理解可能な異常”ってことらしい。
「やっぱりねー、デカいものにはロマンがあるのよ!」
エルは変わらずハイテンションでフレアを眺めてる。
「理屈はどうあれ、見た目が良ければ大体オッケー。ね?」
そう言ってくるのはやめてほしい。
あんまり否定できないのが悔しいので。
それにしても、近くで見る恒星って、やっぱりすごい。
何がすごいって、圧がすごい。
なんかもう、存在そのものが「どうだ」って押し付けてくる感じ。
別に敵意があるわけでもないし、なんか襲ってくるでもないんだけど――立ってるだけで脳がバグる。
でかすぎて。
火の柱ひとつがビル街丸ごと飲み込めそうなサイズで、それがそこらじゅうで噴き上がってる。
こっちは何もしてないのに、「見てろよ」みたいなプレッシャーを勝手に出してくるの、ちょっとやめてほしい。
上下の感覚も狂ってるし、スケールが大きすぎて逆によく分からない。
見てるだけで疲れる天体ってどうなんだろう。
「うーん、やっぱりいいわね、この“見渡す限り灼熱”って感じ」
そんな中で、エルだけは超ご機嫌だった。
恒星と気が合うタイプなのかもしれない。
「“ここからあの辺まで全部火”って、なかなか言えないわよ。希少性高いでしょ?」
「珍しさのベクトルが狂っとるんじゃが……」
シロはまだ座り込んだまま、呆れと困惑の中間みたいな顔をしていた。
「……そういえばエル、ブラックホールにダイブしたことある?」
ふと思いついて聞いてみる。
火に囲まれてると、そういう話題になるらしい。
「あるわよー。好奇心でちょっと近づいたら、うっかり引き込まれてね。やばかったわーあれ」
と、エルは笑いながら言った。
笑うような内容ではない気がする。
「わかる。なんか気抜くと、吸い込まれるんだよね……存在ごと」
「そうそう。ついでに時間の感覚も崩れるから、“あれ、わたし今、未来?過去?どこ?”ってなるのよねー」
「あるあるだねそれ」
なんか、会話の内容はおかしいんだけど、妙に親しみやすいのが困る。
このへんの感覚、普通の人類とはたぶん共有できない。
でも僕たち的には、温泉で「やっぱり露天がいいよねー」って言うくらいのノリだ。
宇宙の熱圧に押し潰されそうなこの場所で、何をしているのかというと、ブラックホール体験談で盛り上がっている。
我ながら意味が分からない。
いや、楽しいっちゃ楽しいんだけど。
どう見ても灼熱の地獄で、背景はずっとメラメラしてるのに、会話だけがやけに平和だ。
この温度で雑談してる生き物、宇宙的にもだいぶレアだと思う。
「じゃ、次はアレ行こっか。中性子星」
そんなテンションでエルが言い出した。
カフェ巡りみたいなノリで言う単語ではない。
「え、中性子星って、あれじゃろ? 恒星が潰れて、ものすごい密度になったやつ……?」
「そうそう。質量が太陽並みにあるのに、サイズは街ひとつ分くらい。いいでしょ、ちょっと行ってみよ?」
いいでしょ、じゃない。
そう思う間もなく、次の瞬間、景色が切り替わった。
視界の全部が、重かった。
いや、見た目としては案外シンプルだ。
どこまでも灰色で、地面は固く、空は暗い。
だけど、そこに立った瞬間に、世界が自分の存在に文句をつけてくる。
圧倒的に、重い。
――しかも、広いようで、狭い。
ふと足元から目を上げると、地平線がやけに近くて、視界がゆるやかに曲がっているのがわかる。
まるで小さな球体の上に立ってるような、そんな歪んだパースが、目の奥をじわじわ圧迫してくる。
まっすぐに空を見上げても、重力が空間ごと引きずってるせいで、光がほんの少し、曲がって見えた。
この星全体が「お前の存在、まだ必要か?」って問いかけてくるみたいな、無言の暴力。
「……うーわ、来たなコレ。情報密度がすごすぎて、脳がチリチリするわ」
思わず頭を押さえた。
「なんで!? なんで普通に立てるんじゃ!? 我らの靴、どんな素材でできておるんじゃ!?」
隣でシロが、既にいつものテンションだった。
むしろ安心する。
「いいじゃない、重みがあって。わたしこういうの好きよ。“存在してる”って感じがするじゃない?」
エルが微笑みながら足を下ろすと、その先が星の“表面”に触れた。
金属のような硬さ――けれど、安心感のない硬さだった。
振動は空間にねじれて消え、音も出ない。重力が、すべてを押し潰している。
どう見ても、ここに生命体が立ってるのはおかしい。
でも、だからこそ――僕は今、ちょっとだけ楽しかった。
「……おや?」
そんなことを思っていた矢先、横から妙な音がした。
ふと視線を向けると、シロが片足を地面から浮かせた状態で固まっている。
「……な、なんか、足が、勝手に」
「え、ちょっと待って、何してんの?」
僕が駆け寄ると、シロの体がふわりと浮いた。
ほんの十数センチ。
でもそれは、重力バグ世界では十分に異常だった。
「ジャンプしてないぞ!? ただ、足で地面を軽く蹴っただけなんじゃが!?」
焦るシロが空中で手をばたつかせた瞬間、重力が急に“下から襲ってきた”。
次の瞬間、シロの身体は音もなく、ものすごい速度で地表に叩きつけられる――かと思いきや、寸前で減速し、そのままふわりと元の位置に戻ってきた。
「……な、なに!? 今の、なに!?」
「おお、跳ねたね。ほらほら、“重力反射”ってやつ」
エルが拍手しながら近づいてくる。
ちょっと楽しそう。
「跳ねたんじゃなくて反射!? なんじゃその概念……!」
「中性子星の重力ってすごすぎて、空間そのものが弾力持っちゃうのよねー。感覚としては、バランスボールに乗ってる感じ?」
「どこの世界のバランスボールじゃ!!」
いや、まあ……うん。そう見えなくもないのが怖い。
「ていうか、今のって普通死ぬよね?」
「安心してー。シロの体、今は“慣性除去モード”になってるから」
「そんなモード知らん! 勝手にオンにするな!」
叫びながらも、シロはなんとなくもう一度足を浮かせてみる。
重力がねじれて、ぐにゃりと空間が曲がる。
まるで、自分の足元だけがラバーマットになったみたいな感覚だった。
「……気持ち悪いのう……楽しくはあるが……気持ち悪いのう……!」
「でしょ? クセになるでしょ?」
エルは満面の笑みで、今度は自分からぴょんと跳ねた。
そして天高く、意味の分からない浮き方で宙を舞い――真下にぐいっと引き戻されて、まるでゴム球みたいに再び跳ね返った。
何回かリズムよく“バウンド”してから、彼女はふわりと元の位置に着地した。
「……バケモンじゃな」
「おもしろ物理は体験してなんぼよ?」
おもしろ物理だとか、バケモンだとか、跳ねるとか跳ねないとか、わいわいやってる中で。
ふと思いついたことが一つ。
なんとなく、試してみたくなった。
右手だけ、そっと“補正”を切る。
この身体を保ってるいろいろな保護機能――重力耐性、慣性除去、存在安定化――まあそういう感じのやつを、ピンポイントで右腕だけオフにしてみる。
ぱちん、と空気が弾けたような感覚が走った。
ぴしりと音がしたような、しなかったような。
でも確かに、“ひび割れた”感じがした。
その直後だった。
僕の右手が、根本から、もぎ取られるように消えた。
爆発でも破裂でもない。
ただ、“一点”に向かって引きずり込まれるように――物理的な整合性ごと、抉り取られた。
重力だ。
いや、これはもはや、重力という名前を騙った災厄だった。
空間そのものが、牙を剥いたような感覚。
何もしてないのに、そこにあるだけで喰われる。
圧縮でも引力でもない、もっと本質的な“拒絶”のような力だった。
あの場所に肉体の一部を差し出した時点で、存在としての前提が否定される。
そんな感じだ。
……うん。知ってた。
右手は、あっという間に消し飛んで、何も残らなかった。
熱も音も光もなく、ただ、そこになかった。
だいぶ後になって、視神経が「今のっておかしくない?」と問いかけてきたけど、もう遅い。
物理法則の問答無用っぷりには、ある種の清々しさすらある。
数秒後、僕の右手は元通りに再生された。
パチンと鳴ったような感覚とともに、しれっと戻ってきた。
おかえり。
まあ、だいたい予想通りだった。
やっぱり中性子星ってやつは、いろいろ桁が違う。
そんなわけで――
僕たちは、中性子星の上で軽く跳ねたり、恒星の上で太陽風を浴びたり、まあ、いろいろやってきた。
たぶん普通の観光旅行の十倍くらい過激で、百倍くらい物理法則を破ってた気がするけど……まあいいか。
誰も死んでないし。
むしろ、これくらい振り切れてるほうが、“旅”って感じがする。
「じゃ、次はどこ行く? 銀河の果て? それとも超ひも理論の交差点?」
エルがきらきらした目でこっちを見てくる。 まだまだ終わる気配がない。
「……さすがに帰りたいんじゃが」
シロがぽつりとつぶやいた。
それにはちょっとだけ、僕も同意する。
でもまあ、まだ行けそうなら、もう少し付き合ってもいいかもしれない。
次に何が待ってるかは分からないけど――どうせなら、とんでもない景色を見たいじゃないか。
……ね、せっかくだし。