高次元存在の端末僕と情報災害ちゃん   作:ソクラティス

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聖女の始まり

 深い霧のような夢の中で、少女はひとり、ぽつんと立っていた。

 

 白い靄が漂い、足元も空もない、どこまでも曖昧な世界。

 その中心に、正体のわからない“何か”が佇んでいた。

 

「やあ、こんばんは。君が“それっぽい”って聞いたんだけど」

 

 声は軽やかで、どこか間の抜けた調子。

 だがその主は、ヒトの姿をしていなかった。

 白く揺れるもや――光でも影でもない、なにか。

 ただそこに“いる”だけの不思議な存在だった。

 

 エレナは戸惑いながらも、相手をじっと見つめる。

 

「……な、何ですか、あなた。夢ですよね?これ」

 

「うん、夢。君のこと見てて“まあ悪くないか”ってなって、ちょっと来てみた」

 

「はあ……?」

 

「いやあ、今のままだと人類側、ちょっと盛り上がりに欠けててね。魔王は信仰で強くなるけど、こっちは“信じる対象”がいないわけよ。そこで君だよ。君、村では結構信じられてるし、なんか神聖っぽいし、あと……処女だし」

 

「~~~~っ!?!?!?」

 

 夢の中だというのに、顔が真っ赤になるのがわかる。

 エレナは思わず後ずさり、もやの存在を睨みつける。

 

「失礼すぎますっ!そんなの……そんなの関係ないでしょう!」

 

「関係あるんだよなあ、これが。まあ、細かいことはいいじゃん。とにかく君には素質がある。ちょっとだけ、“聖女”やってみてよ。ね?」

 

「ふ、ふざけないでくださいっ!」

 

 少女の叫びが、霧の中に溶けていった。

 だが、不思議とその言葉には――ほんのわずかな、揺らぎがあった。

 

 

─────

 

 

 朝、旧聖堂の鐘の音が村の空気を揺らした。

 

 エレナは目を覚まし、寝台の上でぼんやりと天井を見つめる。

 昨夜の夢のことを思い出し、わずかに顔をしかめた。

 

(……なんだったんだろう、あれ)

 

 あまりに妙な夢だった。

 もやのような存在に「聖女をやってみて」と持ちかけられたこと、それに――最後の失礼な一言。

 

「し、処女って……!」

 

 誰に聞かせるでもなく呟き、ぶんぶんと首を振る。

 思い出すたびに頬が熱くなる。

 

「お姉ちゃん、朝ごはんは?」

 

 扉の向こうから、小さな声がした。

 気を取り直して立ち上がる。

 夢は夢だ。

 目の前の現実に戻らなければ。

 

 エレナが暮らしているのは、村の外れにある古びた旧聖堂だった。

 かつて神を祀っていた荘厳な建物は、いまや壁のあちこちが崩れ、屋根の隙間から陽が差し込む状態だが、それでも孤児たちの住まいとしては十分だった。

 

 崩れかけた石段を降りて食堂へ向かうと、小さな子どもたちが眠そうな顔で椅子に座っていた。

 エレナは朝の祈りを短く唱え、パンとスープを配る。

 料理は得意ではないが、慣れた手つきだった。

 

 子どもたちに囲まれていると、自然と笑顔になれる。

 エレナはおっとりしているようでいて、その実、誰よりも真面目で芯が強い少女だった。

 

 ――掃除、洗濯、子どもたちの世話、そして聖堂の維持。

 誰に頼まれたわけでもない。ただ、それが“やるべきこと”だと信じているだけだった。

 

(聖女、かぁ……。)

 

 ふと、昨夜の言葉が頭をよぎる。そんな大層な存在になれるとは、到底思えない。

 

 けれど――ほんの少しだけ、胸の奥がざわめいていた。

 

 朝食を終えた子どもたちが外で遊び始め、エレナは台所で鍋を洗っていた。

 ぬるま湯に指を沈めながら、どこか上の空だった。

 

 ――何かが、変わった気がする

 

 気のせいかもしれない。

 けれど、旧聖堂の空気が、今朝は妙に澄んでいる気がした。

 ひび割れたステンドグラス越しに差し込む陽光が、いつもよりやわらかく感じられる。

 

「……ううん、気のせい」

 

 そう呟いた瞬間だった。

 

 背後で――ぱりん、という音が響いた。

 

「きゃっ……!」

 

 慌てて振り向くと、ミナが棚にぶつかって転んでいた。

 床には割れた皿の破片。

 彼女の腕には、うっすらと擦り傷ができていた。

 

「ミナ、大丈夫っ? 動かないで、今――」

 

 エレナは急いで駆け寄り、膝をついて手を伸ばす。

 ミナの小さな手を包み込み、傷にそっと触れる。

 

「痛かったね……でも、もう大丈夫」

 

 そう言ったときだった。

 

 ふ、と風が止んだ。

 

 外のざわめきが遠のき、世界が静かに沈む。

 その中で、エレナの手のひらから、ほのかな金の光がにじみ出た。

 

 淡く、温かく、やさしい光。

 それはミナの傷を撫でるように包み、血を止め、擦り傷を癒していった。

 

「え……?」

 

 ミナが目を丸くし、エレナも呆然と自分の手を見つめる。

 光は一瞬のことだったが、確かにそこに“力”が宿っていた。

 

 それは、よく知られる治癒魔法とは明らかに異なる“何か”だった。

 魔力の収束も詠唱もなく、ただ静かに、祝福のように世界に染み渡っていた。

 

「お姉ちゃん、今の……すごい……!」

 

 子どもたちの視線が集まる。誰もが驚きと憧れを込めて、彼女を見上げていた。

 

 エレナは、何かを言いかけて口を閉じた。

 その代わり、胸の内で呟く。

 

(……うそ。今の、私が……?)

 

 旧聖堂に残っていたかすかな神性。

 祈り続けた日々の積み重ねと、子どもたちの純粋な信頼。

 そして――昨夜、夢に現れた“何か”のひと押し。

 

 そのすべてが交わったとき、芽吹いたのだ。

 

 静かに、確かに。

 彼女の中に、“奇跡”という名の芽が息づき始めていた

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