ホシノに殺された俺。どうやら先生の弟だったようなので、とりあえず黒服とお茶会してみた 作:ラトソル
ダァン! と小さな爆発が起きたかのような甲高い音と揺れが目の前の机から生じる。
梔子さんから貰ったパンを食べきり、満腹では無いとはいえ十分過ぎるほどに回復した身体。
ただ食事をした以上の満足感。じんわりと身体の隅々が満たされていくような感覚。
夕焼けの光が俺の後ろにある窓から差し込んで、長机に俺の影が長く浮かび上がる。
じんわりとした熱を背中で受け、残り僅かな水をちびちびと飲んでいるところに、生徒会室でなるとは思えない音と振動。机を叩くような、そんな音にギョッと目を剥くと俺の前にはいつの間にか紙とペンが置かれていた。
「はい!」
「はい???」
いつの間に隣まで来ていたのか、梔子さんが満面の笑みを浮かべて紙を手で指してそう言った。理解不能すぎて全く同じ言葉を異なるイントネーションで言ったために別の意味合いになったが。
「……えっと」
「ん〜? どうしたの?」
「いや……なんですかこれ」
ぐいぐい来る距離感バグっている梔子さんにたじろぎながら、そんな当然の疑問を投げ掛ける。そうだ。何だこの紙は。内容を詳しく読んでないがそこまで文字が書かれている訳じゃない。下の方には空欄……署名か?
改めて、一番上から内容を読もうと目を向けた瞬間、梔子さんからの答え合わせが行われた。
「アビドス高等学校入学手続きの書類だよ」
「アビ……は?」
ニッコニコで答えた梔子さん。靡く髪からふわりと香る花の香り。なんの種類かは分からないけれど、俺の好きな香り。
『アビドス』、というのはやはり聞いた事のない学校名。恐らく、この地域の名前も『アビドス』なのだろうか。
そしてその高校が今まさに俺が座っているこの場所を指しているであろうことは想像に難くなかった。
キラキラと星が浮かんでいるエフェクトが幻視されるほどの笑顔。いや、この人にとってはこの顔はデフォなんじゃないだろうか。人当たりの良さはこの短時間で十分すぎるほどに理解できたから。
「誰が?」
「キミが」
「どこに?」
「ここだよ〜!」
何回も言うけど、本当にニコニコだなこの人。なんでこんなあざとい感じなのに不快感皆無なんだよ。逆に怖いよ。
梔子さんと関わってから一時間と経っていない。だから俺はこの人を深くは知らない。ただ、良い人……そんな言葉では収まらないほどの人格者なのは確か。
頭上に浮かぶ謎の光輪に目を瞑れば。
「……確認したいことがひとつあります」
なんかキラキラしてる光輪はこの際置いておこう。気になり始めたらツッコミどころは無限大だ。今は目の前に置かれた書類から処理しなければ。
確認したいこと、とは言ったものの特別なことを聞く訳じゃない。ここはどこで、とかも最初に聞くべきだろうけどもう後回しにすると決めた。どうせ俺が元いた場所とはかけ離れたところなんだろう。常識が通用しないだろうことは、ここにたどり着くまでに歩いてきた道で見てきたものが語ってくる。
俺の言葉に、なんでも聞いていいよと軽い口調で言う梔子さん。なら、と俺は遠慮なく聞かせてもらう。
「俺を保護する余裕があるんですか?」
この書類。書かれている内容自体は、恐らくただの入学手続きなのだろう。ここに名前を書けば、俺は晴れてこの高校の一員となる。まだ中3だから次年度から、になるが。
問題はそこではない。この手続きに込められた意図、と言えばいいのか。こんないきなり入学手続きなんてものを押し付けてきた梔子さんの考え。なんとなくだが理解できてしまう。
身寄りのないガキ……正確に把握できているわけが無いだろうが、俺の境遇についてはなんとなく分かっているのだろう。どう解釈しているのかは分からないが、頼れる人も住む場所もないということは、向こうは知っているはず。
梔子さんは良い人だ。底無しの人格者だ。この短い時間の中でそう断定せざるを得ない程の行いを、仕草を、この人は見せつけてきた。
だから分かってしまう。そして申し訳ないと引いてしまう。この人がやろうとしているのは計画性の無いものだ。
生徒会室に辿り着くまでの道を思い返す。
砂が至る所に散布していて、碌な掃除も行き届いていない。大きな校舎に生徒は梔子さん一人……これはついさっき聞いてドン引きした……で、備蓄なんて言っている時点で余裕なんて無いのだ。
この人は、ついさっき拾った見知らぬ男の身柄を預かろうとしている。保護しようとしている。衣食住をある程度与えて、共に生きていこうと考えている……馬鹿だ。
「……ん〜……うへっ」
短くも的を射た俺の言葉を受けて、困ったように引き攣った笑みで斜め上を見る梔子さんは、またもや人懐っこい笑顔を武器に誤魔化そうと企んでいた。そうはいかないですよ。
「は? 可愛い」
「うぇ? ありがとうっ」
ダメでした。普通に声に出ましたよ本音。
違うな。俺も俺で頭が回ってない。当たり前か、普通にぶっ倒れる寸前まで水分を取れてなくて、空腹で、そんな状態で何も無い何も知らない道をひたすらに歩くストレスに襲われていたんだから。ある程度腹が満たされたと言っても、それがすぐに回復する訳じゃない。
照れたように頬をかく梔子さん。けれどその奥には俺の状態を的確に見通してまだ万全じゃないのだという分析結果から俺の頭を撫でて落ち着かせるという行動を取るこの人は本当に善意の塊だ。この人の行動に理由を求めてしまう自分に嫌気が差すが、それは全部意味をなさない。
ダメだ、本当に何を考えてるんだ俺。落ち着いたと思ってたのにまじで頭回らんな。冷静に分析しようとしてるあたり冷静じゃない証拠だろう。
深呼吸を挟もうと深く息を吸い込んだ俺の頭を撫で続ける梔子さんが上から声をかけてくる。
「私、後輩君に憧れてたんだ」
「……はい?」
「だから〜……渡りに船って感じだよ♪」
あくまでも楽観的に。決して暗い部分は見せずに。
相手に罪悪感を与えない立ち回り。不快感なんて縁のない立ち振る舞い。
挙げればキリが無い梔子さんの言動に込められた狙いや工夫。いや、こと立ち振る舞いに関しては天性のものでは無いだろうか。それでも、この人は考えて行動している。理解している。
だから、信用出来る。
キラキラとした瞳を向けてくる梔子さん。気が付いた時にはペンを握っていて、そして置いていた。書類には俺の名前。住所云々は空白。ただ、俺の名前だけが記された書類が目の前に置かれていた。
未成年なんだから親の署名も、とか。いや住所とか戸籍無いやつ入学出来ないだろ、とか。そんな理屈はこの世界では通用しないのだろうか。
『帰る』という選択肢は頭から抜けていた。当たり前のようにペンを走らせていたんだ。
諦めた訳じゃない。けれど、ここならいいと思えたから。この人なら良いと、思えたから。
だから俺は、こう口にした。
これから何度も呼ぶであろう敬称で。
俺の書いた書類を手に取って嬉しそうに微笑む彼女へと。
「お世話になります、梔子先輩」
梔子さんは、それを受けてむふー、と得意げに胸を張って人差し指を立てると振り時計のように指を動かして「ノンノン!」と言う。
書類を封筒に入れながら、彼女は顔を近付けて俺の顔に人差し指を突き付けた。
「ユメ先輩────だよっ」
◇◇◇◇
「お邪魔しまーす!」
はいはい■■廻だよ。
今日も今日とて……じゃないか。いつものように黒服さんが居るビルの最上階では無く、今日は自室で過ごしている。学生なのに昼間っから家で引きこもってるのはなんとも背徳的でならないね。ズル休みした時って快感よりも暇な時間長すぎて後悔凄くない?
それは置いといて。
今日ここにいる理由としては、来客があったから。まあ説明不要でヒフミなんですが。
この部屋はオートロックだが事前に鍵は開けているため俺から解錠の操作をする必要は無い。ソファに身を預けてぐで〜っとしている状態から軽く顔を起こしてドアが閉まる音と足音がする方向、つまりは玄関側へと視線を向けた。
「やっと予定が合えて良かったです。お久しぶりで」
す、と。
いつ見ても同じ服を着て同じカバンを背負って同じ目がイってるぬいぐるみキーホルダーをつけて来たヒフミ。こうして面と向かって話すのは随分久しぶり……でも無いな。ただ、あの一件以来は会ってなかった。まあ久しぶりに入るのか。
そんなヒフミは続くはずだった言葉を中断し、空いた口を塞ぐことなくリビングに繋がるドアを開けたまま立ち止まった。
理由? まあ俺の横ですね。
「……ヒフミ」
俺のダル着を着た砂狼ですね、はい。
俺が持ってるオーバーサイズの服。身長は明らかに俺の方が高いのに、砂狼がそれを着た途端パッツパツなのはなんでだろうな。まあ局所的要因だろう。見るに明らかであるが、あえて言うまい。ぺぇでかっ。
いつもは下ろしている髪は、日常生活では邪魔なのかゴムでまとめてポニーテールに。正直好きです。ポニーテールが好きです。サイコーだね。
ソファで寝転ぶ俺の頭側にちょこんと座ってコーヒーを飲む砂狼。ヒフミの名前を小さく呟いた砂狼を見て、ヒフミはワナワナと震えながら俺と砂狼を交互に見る。
「……メ」
「「め?」」
「────メグルさんが女の子を連れ込んでる〜ッッッ!!?」
「お前も女の子だろうが」
完全防音だから響くねぇ。
衝撃波とかは当たり前に発生してないけど、ヒフミの叫び声に砂狼が僅かに仰け反る。ふっ、若いな。あいつは狂人だから叫び出すのなんて日常茶飯事だぜ。
コーヒー飲みたいなぁと思った時には砂狼が飲みかけのコーヒーを差し出してきたために俺はそれを受け取って一口飲む。んー、甘めだね。完全に飲み込む前に砂狼にコップを返せば、そのままの流れで砂狼はコーヒーを口に含んだ。
「なんですかっ、当てつけですか!! 私は今からイチャイチャを見せつけられて糖分不足で死ぬんですか!?」
「あいつ何言ってんの?」
「なんだろう……メグル先輩、寝癖」
「さんきゅ」
「やっってられませんよ!! コーヒーください!!」
こいつこんなキャラだっけ? とボケーッとする俺の横で、砂狼がヒフミへと歩み寄り「ん、これ飲んで落ち着いて」と残り僅かなコーヒーをヒフミに渡した。
「いただきます!」と律儀に言ってから受け取り飲み干すヒフミ。酒を飲んだことはないけれど、大人が酒を飲む時はあんな感じなんだろうなぁという飲みっぷり。ぷはぁ、って言ったぞ、今。
息も絶え絶えに。ペロロと三回ほど唱えだしたアイツはもうお終いかもしれない。
「って……シロコさんじゃないですか!?」
「こいつ忙しいな」
情緒バグってんのか。
と、何故当たり前のように隣に砂狼がいるのか。
答えは簡単。住む所無いらしいから鍵渡して半同棲中である。黒服さんの所で寝たりするから俺がこの家を使うのは2日に1回ぐらいだが、砂狼はここに住んでる。黒服さんのところには行きたくないらしい。だから半同棲。まあ同棲と言ってもいいのかもな。
「その説明今します?」
「俺の思考を読み取るな」
超能力者かな? この子。
フラフラと近づいてくるヒフミ。起き上がり、ソファの背もたれに身を預ける俺の横に自然と座って来た。砂狼は何も言わずにキッチンへ。多分コーヒーを人数分用意しに行ったのだろう。ありがたやありがたや。
「ふぇー……どうしてシロコさんがここに……あれ、あの人って本当にシロコさん……?」
シロコって誰だっけ?
あー……アイツか、ホシノの後輩だ。確か、『スナオオカミシロコ』。どんな苗字だよと思ったのは記憶に新しい。忘れかけてたけど思い出した。顔も浮かんだね。あのマフラーつけた犬耳か猫耳か分からんのつけたヤツ。
「居ねぇわそんなやつ」
「あ、そうなんですね。すみません勘違いしちゃいました」
「アイツは砂狼シロコっていう俺の後輩」
「シロコさんじゃないですか!?」
本当に忙しいなこいつは。久しぶりに直接話したけど変わらないようでなにより。
私がおかしいんですかっ、と慌てふためき、俺の肩に顔を埋めて来る。顔をぐりぐりするな。
「はい」
「あ、ありがとうございます……ふわぁ、良い香り……」
「メグル先輩も飲む?」
「後で貰うわ」
「ん」
湯気が目に見えて立っている。ホットコーヒー、それも淹れたてだ。ヒフミは香りに感嘆しながら、息を吐いて湯気を払う。それを5回ほど繰り返してから、ゆっくりと口にコップの縁を当てて、僅かに傾けてコーヒーをちびちびと飲んでいた。砂狼はまだフーフーしてる。
ほっと息を吐き、落ち着いたヒフミは狂人モードを解いた。
「あの……シロコさん……ですよね?」
「うん、そうだよ……ヒフミの知ってる『シロコ』じゃないけど」
「それは……?」
難しい話してる。ソファに置かれたヒフミのカバンに着いてるペロロの眼球をグリグリして時間を潰す。
「────だから、私はヒフミの知ってる『シロコ』じゃない、砂狼シロコなんだ」
「なる、ほど……あんまり理解は出来ませんでしたけど……分かりました」
デコピンを繰り返していると、砂狼からコーヒーを渡されて少し飲む。ほとんど減ってない。結局一口も飲んでないなあいつ。相変わらずの猫舌だな。オオカミの癖に猫舌て。
「……メグルさん、メグルさん」
「あ、話し終わった?」
「今結構大事な話してませんでした……?」
「ん、流石はメグル先輩」
「流石とは?」
とりあえずコーヒーを砂狼に渡した。
どうやら砂狼とヒフミの相性は良かったようだ。
友達の家に来たらそいつの後輩がそこにいて強制的に話さなければならないという、人が人なら罰ゲーム級の状況だったが何とかなった。気まずそうな空気には一切ならず、今は仲良さそうに話してる。
砂狼も、最初に拾った時は何に対しても噛み付くようなやつだったが、俺とホシノ、あとは十六夜で教育したからな。ほぼ二人に任せてたけど。人懐っこいとまではいかないだろうが、物怖じしない性格は残ったままいい方向へと行ってくれた。楽しそうに話してる。
俺? 蚊帳の外です。
「あ! そうだ、メグルさんっ」
蚊帳の内でした。
「なんじゃい」
「良かったです!」
その一言。
一見して何に対する感想かは分からないもの。
それでも、ヒフミが俺に対して、久しぶりに会った今これを言うという状況で察せられるものは出てくる。
ヒフミは他人の感情に敏感だ。
黒服さん曰く、あの時の俺はキヴォトス全域にその存在感が伝播したらしい。全域は言い過ぎだと思うけど。
きっと、ヒフミは心配していたのだろう。
俺が本気で殺したいと思った唯一の相手に出会えて。
昂る感情は留まるところを知らず、傍から見れば狂人の部類に含まれるような。
「ヒフミ」
「はい?」
「心配かけた。大丈夫だよ」
あの時のアツコと同じだ。
八つ当たりをしてしまったあの時とは違い、もう完全に落ち着いている。
俺は女の子に支えられすぎでは? と思わんでもないが、あれは例外と考えよう。
俺の言葉を受けて、ニカッと頬を上げて。
そうして、ヒフミは純粋に笑って喜ぶ。
本当に嬉しそうに。心からの喜びを隠さずに。裏表の無いこの子だから。
「はいっ」
ペロロ様のキーホルダー持ってきたんですよ〜。要らん。
そんなやり取りを挟んで、またいつもみたいに二人の会話を始める。
そういえば、今日まともに話したのはこれが初めてか。
別に気まずいとかはなくて、砂狼とヒフミが話してただけだが。
ソファに前に置かれた小さな机にマグカップが三つ。僅かな湯気が揺らめきながら天井へ向けて消えていく。
話の流れでヒフミにデコピンしたり、頬を抓ったり髪をわしゃわしゃしたりして、ぎゃー!! 、とヒフミが叫ぶいつも通りの光景。
それが数分ほど続いてから、砂狼がヒフミの逆側、俺の隣に腰掛ける。
重心が変わって体が揺れて、俺中心になったことで座りやすくなった。そこまで変わらんけど。
「メグル先輩、ヒフミのこと名前呼びなんだ」
「そうだな」
こてんと首を傾げてくる。なんぞや。
「珍しい。メグル先輩が名前で呼ぶのはホシノ先輩だけ」
「そうなんですか?」
「ん。ホシノ先輩以外はみんな苗字で呼んでた」
「まあ」
呼び方。
慣れたからもう意識してなかったけど、そこに突っ込まれるとは。
「俺は基本
「「なんて?」」
滑舌いいほうだと思うんですけどね。声を重ねて突っ込んでこられるとなんか悲しいぜ。
示し合わせたようにこっちを見てくる二人に挟まれて、なんか居た堪れない感じになったからソファに寄りかかって天井を見上げて口を閉じる。もう一回噛んだら恥ずいからもう言いませーん。
「……それはそうと、メグル先輩が家に招いてる時点でヒフミの立ち位置が窺える」
「は、はい?」
「ん、やはり時代はヒフミ」
「何を言ってるんですか……?」
意味の分からんことを言って混乱させられているヒフミを見ながら、残りのコーヒーを飲み干した。
(人口密度高ぁ〜)
そんな意味のわからんことを考えながら、ヒフミが帰るまで三人で話し続けた。