黄昏の抱擁の中で、彼らは抱いた渇望のままに疾走する。

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深夜テンションの産物


とある彼らの英雄譚《ヒロイック》

 此処に一人の赤子が居る。

 アジア人らしい黄色の肌に、艶のある黒髪。

 求道の極地にて、この赤子は一人、自らの内を見つめ続ける唯我の極地へと嘗て至っていた。。

 この者が今世を治め、慈悲深き抱擁にて世界を包み込んでいる黄昏の女神の嘗て以上に内へと閉じていた者であった事など、今世の一つ前、既知に満ち満ちた世界にて、独り枯れ果てていた水銀色の男、既知を超越した黄昏の愛しき刹那、独り枯れてた男の、唯一無二の友たる黄金くらいしか知らぬ事である。

 そして、今、この赤子は祝福を受けている。嘗てのこの者にとっては不要で無用で下らないもので糞以下の価値しかしないものに過ぎないだろうが赤子の両親にとっては初の子であり、この者から流れ出す法則の下にある者らではないのだ。なんせ此処は黄昏の統治下なのだから、これは当たり前の行動だろう。

 何時かのこの者は、静寂を唯一人の平穏を求めていた。気づいた時には誰かが自分に触っている。誰かが自分を見ている。不快だ、何処かへ行け、消えてなくなれ、消え失せろ、滅尽滅相。狂おしく唯ひたすらに、そう願っていた。その願いの原因はその躰に寄生した彼の唯一の肉親である。それが、彼の唯我へと干渉していたのだ。その肉親は今にも消えそうで、薄っぺらな存在であった。唯一人の肉親が怖くてしょうがなくて、いつ、自分が握り潰されてしまうか怯えていていた。そんな彼が抱いた祈りは一つ。生きたい。自らの肉体をもって、人の世を謳歌したい。唯それだけを祈っていた。

 そんな彼は、願いを叶えていた。

 嘗ての兄、今生の()の隣で、姉と共に両親の祝福を存分に受け取っていた。不機嫌そうで不満気な姉とは正反対に、嬉しげに楽しげにきゃっきゃと笑って、彼は両親へとその小さな手を伸ばしていた。此処で生きて行ける事が嬉しくて堪らないから。生きていられるから。

 姉と同じ黒髪で、姉とは真逆の重力に逆らうツンツンヘアが特徴的な彼だった。

 そんな彼はこの彼女に唯一立ち向かえる存在であった。唯一、同じ土俵に、同じ目線に立てる存在。この唯我の極地へと何時か必ず辿り着くであろう彼女の対極。絆と想いを糧に、何時か必ず巡り合う仲間達と彼は彼女の前に立ち塞がる事が出来る唯一無二。

 だが、今世の彼女は少しばかり違った。

 幾度の永劫回帰により押し流された彼女は、元々抱いていた唯我の祈りを欠損させていた。つまるところ、完全なる求道に至れていないのだ。その為に、彼女は今、不機嫌そうで済んでいる。本来の彼女なら、無反応のはずだ。何も示さない。外界から閉ざされた精神は外からの刺激を肉体から沸き上がる欲求の干渉すらも弾いてしまうのだから。

 彼女はこれからの人生の間、極度の人嫌いで通る事になるだろう。そうでなければ、彼女は終わって始まるだけだ。極まり、閉じて、嘗て、には劣るだろうが、かの覇道神三柱、黄昏の守護者達に迫る存在へと成り、致命的な亀裂を刻むだろう。 

 そうなれば、また全ては逆行する既知塗れの地獄へと逆戻りし、また、女神の法が世界を満たすことが出来たとしても、いずれ、また、彼女らに彼が立ち塞がる事となるだろう。

 だから、全ては、彼女の隣で笑う、生を心の底から喜ぶ彼次第。

 彼以外、彼女と向き合うことは出来ないから。

 女神は祈る。それしか出来ない自分の無力を嫌悪しながら。

 祝福あれと。幸福あれと。

 今は、小さな彼らに。

 精一杯の抱擁()を。

 

 

 ***

 

 

 では、物語を加速させよう。

 幼少期をえて、様々な出来事を乗り越え、彼と彼女はとある場所へと向かうことになる。

 学園都市。

 科学の最先端。都市を覆う壁の外と内では十年以上の科学力の差があるといい、超能力という非現実(フェイクション)現実(ノンフィクション)にした場所。

 そこで、彼らの物語(未知)は始まる。

 

 

 ***

 

 

 生身の拳と拳が激突する際に起こりえる現象は大体、相打ちである。そも手という部位は中々に複雑な機構をしている。人を構成する骨と骨の組み合わせの中ではトップクラスの複雑さと言えるだろう。まあ、何せ他は割りと大雑把な作りで、それに比べるのは酷でもあるけれど、事実なのだからしょうがない。しかしそんな精密な手であっても拳というのはその掌から派生した指の関節を折り曲げ作るもので、強度面ではそこそこにあるとつい、思ってしまうだろう。残念。そんな事は無い。寧ろ、強度に変化など無い。精密動作に優れた手は非情に複雑であり、構成するものらは高い強度など無い。何故か。それはその精密を実現する為にそれらを犠牲にしているのだ。故に、拳というものは酷く脆い。自らの衝撃で自壊しかねない程に、だ。

 少し話がズレてしまったが、兎も角、何が言いたいかというと――――、

 

 「この糞弟がああああああああ!!!!」

 

 「うっせえ駄姉貴ぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいい!!」

 

 咆哮は互いに怒りを湛えている。そして、力強い。言葉の内容から察するに前者が女、後者が男であろう。

 ――――この二人、この姉弟の間ではその常識は無意味だという事だ。

 咆哮と共に握られ、放たれた拳は、音速を超えていた。そこに異能、この学園都市に満ちるAIM拡散力場を発する異能は含まれておらず、此の世の裏側に存在する魔術と呼ばれるそれの片鱗すら存在しない。

 なら、何か。

 思いを、想いを、渇望を、祈りを、其れ等全ての結晶体だ。つまるところ、何かを決めた、何かを捨てた、何かを求めた。それらを成し遂げた者のみがその手に収めることの出来る奇跡である。

 つまるところ。

 此の世界においての頂、それに限りなく近い場所に彼らは居る。

 拳が、触れ、激突した。

 生まれる衝撃の凄まじさは言うまででもない。

 衝撃波が世界を揺らす。溢れ、渦巻く神威に大気が砕け、大地が悲鳴を上げる。彼と彼女は渦巻くそれの名を識らない。識らぬ力を都合が良いと彼と彼女は振るうのだ。

 想いを伝えるのに、彼女は人を識らぬし、想いを言葉にするのに彼は言葉が足りぬ。

 姉弟は互いを識っているのに、識らぬふりをする。

 だから、何時もこんな風に下らない事で殴り合う。

 姉は内に渦巻く神威を扱いかね、源泉たる渇望を認められない。内に潜む【■■】が今も眠り続けている故だ。それが原型であり雛形になっているとはいえ、あれの人格そのものが彼女の主人格だとしたら彼女はもう、人として在るなどありえない。即座にその身を捨て、自分に触れ続けている者、そう、黄昏の女神向けて、座への道を開くだろう。今のそれは刹那や水銀、黄金に遥かに劣る。しかし、それが起こった瞬間に、数多の人々が滅殺されるだろう。それこそ魂ごとに。それが優しき女神には許容できず、その悲しみを許容できない刹那と水銀、友らの想いを買った

 弟は姉を理解しきっているから、接し方を、距離を測れない。今何を考えているのか思っているのか手に取る様に解ってしまうからどうにも接しづらかった

 そして。

 拳は、疾走る。

 男女間の差は存在しない。この二人は常に互角。ステータスの振り方が違うだけで、彼らの総合値は完全に同一だ。

 威力も同一。膂力に重きを置く姉とカウンターが得意な為に耐久面に重きを置く弟。

 姉のデタラメ殺法と弟の喧嘩殺法が衝突を繰り返す。肘と膝と拳と足と。常人の知覚を遥かに通り越した連撃が彼と彼女の間で繰り広げられる。

 舞台たるグラウンドはもう、原型を留めていなかった。そこらにクレーターが出来上がり、吹き乱れる豪風が備品を巻き上げ、叩き落とされた結果、全て例外なく粉砕されていた。

 これも何時もの事だ。既に校舎の中に人は居ないし、彼らを監視しているのは数キロ先の警備員(アンチスキル)と上空高くに浮かぶヘリ、そして、荒ぶる神威に晒され、殆どが粉砕されつつある滞空回線(アンダーライン)くらいだ。誰も手が出せず、間へと割ってはいろうというものならば撒き散らされる神威に精神と肉体両方を蹂躙され尽くすのは、目に見えていた。彼らの暴威に晒された者等の治療にはかの冥土返し(ヘブンズキャンセラー)ですら匙を投げるという。

 誰であろうと、此処へ介入すれば必ずそうなるだろう。

 魔術も、科学も。

 彼と彼女の前では無意味で、彼と彼女は人の叡智をいとも容易く、真正面から打ち砕いてしまうのだ。

 しかし、まあ。

 彼も彼女も確かに人間なのだ。

 故に、彼らにも感情がある。

 

 「この糞弟!!!! 私の弁当に梅干し入れやがったなぁッ!!」

 

 「ざっけんなよ!! それくらい我慢して食えやバカ姉貴ィ!!」

 

 こんな非常に下らない原因から派生した喧嘩である辺り、この二人の人格が識れるだろう。

 いつになったら終わるのやら。

 それが学園都市全てに住まう者達の共通意識であった。

 

 

 ***

 

 自らを焦がす業火を振り払い、彼は思った。

 男の子として生まれたのだ。

 女の子が、助けてと言ってるんだ。

 助けてと言った少女、銀色のシスターをその躰で庇うようにして、少年は立った。彼は彼女と相対している間のみ、彼女の領域に立つことの出来る存在だ。対極にして太極。極地にありながら不完全。極まり切れていないのだ。

 だが、それがどうした。

 彼は笑い飛ばす。そんなもの枷にもならぬし、壁になどならぬし、ましてや、障害など以ての外。

 手がある、脚がある、頭がある、立ち向かう、折れぬ心がある。十二分以上だ。

 そうだ。

 戦えるんだ。

 少年は不敵に尊大に挑戦的に笑う。

 両の拳を握り、力を込める。

 

 「ああ、いいぜ来いよ!! 俺も男の子なんでなぁッ!! 負けてらんないのよッ!」

 

 尊大不遜に笑って、高らかに宣言する。護るんだ。地獄の底から引き上げてやると誓ったのだから。

 

 「■■■■ッ!! 誓いの下に推して参るッッ!!!!」

 

 神威を纏し少年は、焔纏し悪滅の魔術師と祈りの下に刃を振るう聖人へと全霊の敵意を向ける。その敵意は常人が受けたなら即座に卒倒するだろうものだった。

 が、しかし彼らにはそこまでの効果はなく、敵意表明にしかなかった。

 彼ら、この魔術師と聖人の強度は本来の状態の数倍以上に高まっている。本来ならありえない状態。何故此の様な事がありえたのか。その原因はたった一人の男、草臥れた水銀色の男による仕業だ。彼の紡いだ術は、魔術師へ、魔術師自身が断ち切れぬ強力なパスを繋ぎ、水銀の男にとっては微々たる不可を肩代わりし、微々たる魔力を供給していた。その上、水銀の男は魔術師自身の強度を底上げ、否、根本から強化していた。今の彼は何時か自らの無力に嘆いた彼ではない。聖人はその身に宿る聖性を更に高められていた。比例して高まるのは聖人らが持ち合わせてある幸運に、身体能力、魔術に対する感応性。その腰にある大太刀は何時も以上に精密かつ強力に振るわれ、さらに紡がれる魔術も相応に強化されているだろう。

 まさに、今の少年にとって彼らは強敵だろう。正史では相手にもならなかった筈だ。けれども、今の彼らは違う。少年と五分以上の実力へと引き上げられている彼らは正に難敵。

 だがしかしだ。

 彼らはそれを認められていない。寧ろ、この悪意に満ちた采配、行為に激熱の赫怒を抱いていた。

 彼らは無理矢理自分達の位階が引き上げられている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)ということに此の都市に来てから気づいていた。それに気づいた彼らは、こう心の中で叫んでいた。怒りの炎を燃え上がらせ、強く念じる如く。

 否である。認めぬ、認めて堪るか。巫山戯るな。勘違いも甚だしい。此れは私/僕のものだ。貴様の力など要らない。私/僕は彼女を自分の力で護りたいのだ、と。

 だが今は。

 振るえる力を以って。

 あの少女を取り戻すのだ。

 悔しいが、元々の自分達ではアレに勝てないから。

 まず、少年と聖人が衝突した。助けを求めた少女より離れ、彼らは空を跳ぶ。大気を蹴り、高く、空へと舞う様に上昇していく。煌めく人の気配の無い摩天楼を見下ろしながら、銀光と拳撃は幾度と交錯し、神威が荒び叫ぶ。

 魔術師はそれを見上げ、一枚のカードを空に投げると、彼を中心にカードが一枚、二枚、三枚、四枚――――と無数に、鼠算式に増えていく。そこへ突如、豪風が在るもの全てを薙ぐように顕現した。意味ある文字、ルーンを魔術師が刻んだのだ。刻まれたルーンは、一文字であるというのに、猛烈な極風となり吹き荒れ、そのカードを空高く、舞い上がらせて、広範囲へと展開させてゆく。下準備だ。力が上昇したという認識をしていたとしても魔術師は油断しない。なんせ、あの少年は自らの炎剣を受けて、ほぼ無傷だったのだ。なら、其れ相応の火力(・・)が必要だろう?

 Fortis931――――そう彼が呟いた直後、彼の切り札たる魔女狩りの王(イノケンティウス)が極熱を放射しながら此処に顕現した。

 

 直後。

 

 鮮烈な火威を纏し魔女狩りの王はまるでジェット機か何かの如く、大地から飛び出した。猛烈な速度で爆音を撒き散らしながらそれは飛翔し、刃の側面を拳で弾いた少年へと突撃する。

 即座に少年も気づく。彼のステータスは姉と対面している時に比べれば劣化の一言だが、通常の存在ではないのは決定的に明らかであり、普通という言葉は当てはまらない。その為、察知から、聖人を振り払い、魔女狩りの王を迎撃する事くらいは可能であった。

 がしかしだ。

 それを許す聖人ではない。

 少年の顔面が驚愕に染る。躰が動かないのだ。目を凝らせば微かに光を反射する糸、魔術で何重にも隠蔽され尽くし、同時に魔的な頑強性と切断力を付与された鋼糸が彼に絡め付き、捉えていた。力づくで振りほどこうとする、が間に合わない。

 その数瞬の間に、魔女狩りの王の放つ灼熱が少年を抱き締めていた――――。

 

 

 ***

 

 

 跳ねるように、大きく、心臓が鼓動した。

 焔の向こうに、何かが見えた気がした。そう、それは赤い。焔の色ではない。これはもっと強烈で鮮烈で。何処か懐かしくて。

 誰かの手が見えた。嗚呼、あれは誰だろう。黒髪の誰か。その誰かが何かを差し出している。

 手を伸ばしていた。届かないと思った。だけど、届かせなければならないと思った。

 そして、その手は届いた。距離という概念を乗り越えて、手が届いた。

 それの何処かを握り締める。しっくり来る。何時か何処かで愛用していた様な、在るべき場所に在るべき姿で戻ってきた、そんな感覚だった。

 

 「俺はあの野郎のやり方が気に食わない。だけど、まあ、間違っては無いと思うんだ。

 ……酷く陰湿だけどな」

 

 黒髪の誰かがそう言う。そんな誰かはどこかかったるそうに、苦々しい口調でそう言葉を作っていた。しかし、口調が一変する。何かしらの意思の篭った声。そう希望が篭っていた。もしかすればという一つの淡い希望を胸に抱いていた。

 

 「だから、俺はちょっとお前を応援してみることにした。

 ほら、受け取れ。これはお前のもんだ」

 

 「――――ああ」

 

 少年は頷き、それを全力で引き抜いた。こうするのが、正しいと分かっていたから。

 引き抜かれたそれは、火炎を、断ち切った。

 

 

 ***

 

 

 少年に助けてくれと頼った少女、銀色のシスターの前に、一人の少女が居た。黒き髪に、金色の瞳を湛えた少女。射抜くような眼光は、空を見上げていた。視線の先には燃え上がる小太陽。それの熱は離れていたとしても強烈無比。無差別に在るもの全てを溶かし、燃やしていた。放出する熱線も半端ではない。此処に居るだけで汗も止まらない上に、干からびてしまいそうだ。

 それの持ち主たる魔術師は、怪訝に眉を潜めていた。なんだこの少女は、此処は人払いの結界の中だぞ。ムカつくけれど、認めたくはないけれど、普段の倍以上に高められた魔力と術式効率を以ってして編み上げた結界だ。入ってこれる筈がない。そう、筈がないのだ。それこそ、今、小太陽の中心で燃え溶けている少年と同類でもなければ――――。

 そこで魔術師は気づくが、もう遅い。

 全ては、既に動き出しているのだから。

 極熱を纏い、放つ魔女狩りの王が内側から何かが飛び出してきた。それは、刃だ。紅い、赤い、朱い刃。巨大な刃は無残に魔女狩りの王を斬り裂く。尋常ではない再生力で魔女狩りの王は躰を修復していこうとするも、全て無意味であった。刃は悲痛な悲鳴ごと魔女狩りの王を斬滅した。

 あの少年が、魔女狩りの王の居たそこから現れ、落下、着地した。衝撃を受け止める為に曲げた膝を直し、魔術師と降りてきた聖人を睨めつけた。傷はある。服も所々焼けている。しかし、致命傷はない。そして、先とは決定的に違うこと。この盤面をひっくり返すに値する変化が彼にはあった。彼の手には一振りの大剣が握られていた。彼の身の丈程もあろうかという巨剣。それを道へ突き立てて、隣に立っている姉に笑い掛けた。

 

 「おいおい、なんでいんだよ駄姉貴」

 

 その笑みに対して送られたのは強烈な殺意。肉親に向けるそれではないのは一目瞭然、いや、彼らの間ではよくあることで、日常だった。

 

 「……お前、今日の飯当番だったの忘れているな?」

 

 あっ……小さくそんな声を上げた少年の顔が真っ青に染まり、直後、小さな声で謝罪の言葉を作っていた。殺意に満ち満ち、呆れた表情の金眼の少女は大きく溜息を吐いて、言った。

 

 「一週間。お前が飯当番だ。今度、こんなことになったらお前のお宝を燃やすからな」

 

 「ウィッス……」

 

 全面的に自分が悪いという事を自覚していた少年は、俯いてそんな返事をした。

 肩を並べた少年と少女は、魔術師と聖人と向かい合う。両者の間にあるのは敵意。方や取り戻す為、魔女狩りの王を再構成し、抜刀の、居合の構えを取る。方や誓いを護る為、朱い刃を手にして、躰が動くままに見覚えのない構えをとった。方や敵とすら認識していなかった。つまらなそうに魔術師を、聖人を見下していた。ただ、腹が空いたと呟き、眼を細めた。

 向かい合う彼らに、張り詰めた静寂が満ちる。

 刹那。

 殺意が炸裂し、凍りついた静寂を破壊した。

 魔術師と少年が互いの得物を振るった。大剣と炎剣が激突。衝撃は周囲を無残に焼き、斬り刻む。

 少年は笑って、縦横無尽に大剣を振るい、魔術師は苛立ちを浮かべて、憎々しげに口元を歪めて、魔女狩りの王に援護させた。

 そんな二人を金眼の少女は横目で見、目の前で剣呑な空気を漂わせる聖人に嘲笑を浴びせ、

 

 「来いよ」

 

 分かりやすく挑発した。

 

 「では、行かせてもらいましょう――ッ!」

 

 聖人は言葉と共に高速で鯉口を切る。直後、金眼の少女へと多数の何かが迫っていく。其れ等全て鋼糸。疾走るそれはあらゆるものを両断して少女へと向かい、既に眼前にあった。

 だが。

 鎧袖一触。

 少女が視線を向けるだけで、鋼糸は微塵に粉砕された。それに、聖人は眼を見開き、思わず後退していた。

 それも遅い。

 聖人の眼前には、既に拳があった。

 起こる現象は一つだけ。

 轟音と共に、何かが軋み、砕け、潰れる感触が少女の手に伝わってきた。彼女の手が潰れたのだ。同時に、聖人の躰も軽くはない損傷を負わせているが。

 骨に脂肪が肉が剥き出しになった右手に痛がる様子も庇う動作も見せず、笑みのままで少女は雑居ビルへと聖人へと向かう。止めが必要だ。まだ立つかもしれないが、なあに、また殴り潰せばいいのだ。それで良い。

 うちの愚弟に触れたのだ。粉微塵にしても釣りがあるだろう?

 醜悪に嗤い、痛みに生を感じ、奇妙な執着心を抱く少女がそこに居た。

 方や拮抗。方や蹂躙。

 終始、一度足りともその構図が崩れる事はなかった。

 しかし、その構図で終わることはなかった。

 何故か。

 それ等全てを引き裂く極光が彼らを呑み込んだからだ。

 

 

 ***

  

 

 「『――――竜王の殺息(ドラゴンブレス)、照射中断。発動術式では対象の排除が不可能と判断、次術式へと移行します』」

 

 滅びの極光が止んだ。極光は雑居ビルを、通りを、何もかもを薙ぎ払っていた。辺り一面火の海。既に人払いの結界など意味を成しておらぬ筈なのに、人の声も、サイレンも、何もしない。まるで、此処が現実ではない様に思えた。

 魔術師に聖人、そして、少年も皆が皆眼を見開き、極光の源へと視線をやっていた。

 

 「あン?」

 

 少年の姉は、その声、理解不能の、ノイズ塗れの掠れ切って壊れ切った様な声を使う者を視界に収めて、眉を顰めた。理解不能というよりも解せなかった。

 解せない、それは、彼女はそんな物識らぬからとかそういうものじゃない。彼女は人の感情をあまり識らぬし、この少女の事などもっと識らない。だが、この少女は。

 こんな顔をするような人間には見えなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 銀色だ。銀色の天使が居た。背にその髪色と同じ、それ以上の銀色の流体の様な翼を生やし、それはそれの眼に複雑に絡み合った蛇の様な魔法陣、そう、それは、無限の蛇(ウロボロス)。無限を司る水銀色の蛇が描く魔法陣の中心で、双頭の蛇(カドゥケウス)は、紅く怪しく輝いていた。彼女が身に纏う修道服、【歩く教会】と名付けられた礼装は、全く別のものに造り替えられていた。服としての機能は機している。只、その内容物は完全に別物だった。あらゆる攻撃を無効化する【歩く教会】、その術式は解体され、とある形、そう、それは彼の生み出した術式の中で最も特異な術。

 愚者を凡人へ、凡人を逸人へ、逸人を魔人へ、魔人を神の子へ、神の子を神へ。

 それの名を、ある者は忌々しく、ある者は羨望を込め、ある者は憎々しげに。

 【永劫破壊(エイヴィヒカイト)

 と、呼んだ。

 

 「『目録(インデックス)を参照、執行対象者等への有効術式を検索、参照――――発見しました』」

 

 光が、溢れる。銀色のシスターを中心に、幾多の魔術が、彼女の中に内包された十万三千冊の魔導書に記されし魔術が唸りを上げる様に魔法陣を展開する。その身に掛かった埃を振り払い、身に秘めた暴虐を、神秘を主の為へと捧げる為に。

 数多の魔光が、彼女を見つめる彼らへと放たれた。光が世界を覆い尽くす。

 

 「『展開(アッシャー)展開(イェツィラー)展開(ブリアー)展開(アディルト)―――――第一術式、第二術式、第三術式、全術式装填(オールセット)術式読込(ロード)全工程完了(クリア)――――擬似再現開始(エミュレートスタート)』」

 

 空間が揺らぎ、瞬き、彼女を中心に置いて光として溢れ出る異界法則が侵食していく。

 

 「『神々しき光の満ちる世界(אלים ממלא את העולם של אור)私は神に祈り捧げる(להקדיש תפילה לאלוהיםפול)敬謙なる子羊(חןאני שה להפכתי)』」

 

 清らかで正常なる光が空間を塗り替えていく。その光は、穏やかで幸福で愛に満ち満ちていたのを少年は感じていた。例えるなら、幼き日、母の腕の中で母の子守歌を聴きながら眠りにつくかのような安心感。

 

 「『なのに、なのに何故(עם זאת ובכל זאת למה)

 

 が、それも束の間の事だった。幸福も愛も平穏も。戦火の下に全てが血の惨劇に塗り替えられる様に。されど光には変化はない。只、その病的な白さの光で照らし続けるだけ。しかし、溢れてくるのは悲しみと怒りと憎しみ。そう、人の持ちうるあらゆる負の感情だった。

 

 「『おお神よ、何故私をお見捨てになったのですか(אלי אלי למה עזבתני)』」

 

 正常なる白き光が全てを塩にする。魔的なそれも、非魔的なものも。それは平等な光であった。誰であろうと罪を抱いた者等全てを塩に変える原罪浄化の輝き。

 

 「『然れど私は貴方を信じよう(אבל למרות שאנחנו רוצים להאמין לך)祈ろう、捧げよう、奉ろう(נקווה אני אקדיש פולחן)』」

 

 そう、此の世に罪を抱かぬ人など存在し得ないのだから。居るとすればそれは人に非ず、感情を持ち得る存在では非ず。

 

 「『私は今も、貴方の愛を信じているから(אפילו עכשיוכי אני מאמין באהבהשלך)

 

 完成する。彼女を通して紡がれる最悪が今、此処に流れ出る。

 

 「『アクセス、マスター』」

 

 無機質な声で、ノイズも何もかも払拭された言葉が紡がれた。

 

 「「『モード・自動書記(ヨハネのペン)より、模倣偽典術式・塩の柱(ネツィヴ・メラー・デッドコピー)発動』」」

 

 その場に居た皆が彼女の声に誰かの言葉が重なったのを聞いた。そう、あれは何処かで聞いた声。しかし、皆思い出すには至らなかった。それに、思い出す等という作業をしている暇はない。

 触れたもの、皆須らく塩へと還す極光に満たされた地獄が、今、此処に顕現したのだから。

 光が、原罪浄化の塩の光が少年等すらも覆い、呑み干そうと迫る。しかし、大人しく呑まれる彼らではない。少年は大人しく背を向け走り出していて、魔術師と聖人も同じ様に敗走を開始している。あれは駄目だ。幾ら少年が逸脱者で、魔術師と聖人の位階が押し上げられていたとしても、アレに呑まれれば他と同じ運命を辿ってしまう。なんせ、あの銀色のシスターは魔術師や聖人などとは比べ物にならない程に力を供給されているのだ。そう今の彼女の状態は擬似的な最上位階。

 【永劫破壊(エイヴィヒカイト)】においての、最上位階とは、存在として完成すると言う事。抱いた祈りを以って、此の世を蹂躙すると言う事。

 そして、自分の色で全てを塗り替える事。

 さて、前記にて逃走し行く者の中に、一人程欠けている人物が存在するのを諸君は気づいていただろうか?

 そう、少年の姉、金眼の少女。全てを嘲笑う唯我の頂点。

 彼女は笑みと共に、全てを塩へと還す原罪浄化の輝きを迎え撃っていた。その躰は不動。二足一対の足は大地を踏み締め、微動だにしない。

 そして、彼女は酷薄に嗤って、こんなもの、拳一つで十分であるとばかりに、その右手を握り締めて振るった。

 光と拳が激突し――――世界が、崩れ堕ちた。

 

 

 ***

 

 

 姉は、自分以外を見ていない。

 そう感じ、それが事実だと識ったのはそう、物心が付き、自分の意見が言えるようになった頃だったか。遅い様な、速い様な。まあ、その辺りは兎も角だ。

 姉は自分自身と弟である己以外は知覚領域に入れていなかった。誰が話し掛けようが、領域に入っていない者にはなんの反応も示さなかった。一種の障害だろう。両親の声も届かず、医者も教師もそれらの人達は匙を投げた。まあ、その領域に入っている自分も中々に邪険にされ、よく苛立ちを解消する為に拳が振るわれていた辺り、領域に入っている事を喜ぶというのは間違っている気がする。此処で相手が女だからと言ってその状況に甘んじる程、自分は我慢強くは無く、呼応する様に拳を振り上げていたのが記憶にある。というか、今でもそうである。

 更に、姉はもう一つ、一般的には忌避すべき側面を持っていた。

 それは自己愛。自分が素晴らしい。誰よりも、此の世の何者よりも。

 なんというか痛々しい言葉の羅列だが、姉は本気でそう思っていた。確かに姉の容姿に頭脳だとかは誰よりも優れていたのは認めざるを得ないだろう。それが自閉にも拍車を掛けていたのは言うまででもない。

 こんな社会的に見れば不適合者そのものの姉も成長するにつれて、そう言った側面、強烈なまでの自己愛も、極度の自閉も幼い頃に比べれば大人しくなっていた。大人しくなるという表現は些か間違っている気がしないことも無いが、これ以外適切な言葉が思い当たらない自分の浅学が疎ましい。

 でだ。少しは他の存在に意識を向けるようになっていた。それは、学園都市に来てからの話で、偶に様子見に訪れていた両親に担任の先生、後は自分の悪友やクラスの委員長。この面々には何かしらの反応を見せる様になっていた。それが暴言であり、暴力であり、小さな返事だったりするが。少なくともこの姉にも善悪だとかの一般常識は存在している為、ある程度済んでいるのは僥倖だろう。無ければ既に此の学園都市には居られない、いいや、何処にも居場所は無かった筈だ。こういった部分は自分としてもほっとしている。なんせ、両親よりも濃い血の繋がりがある双子の姉弟だ。姉に消えて欲しい弟なんて居ていい筈がない。

 だからさ。

 姉をこんな所に、一人で置いていける馬鹿にだけは、自分はなりたくない。

 一人にだけはしない。

 そうすればきっと、あの馬鹿姉貴は何処かへと行ってしまうから。

 自分の手が届かない、遥か最果てに。

 故に。

 今は。

 護ると決めた少女へと剣を向ける。いや、違うか。

 このよく解らない何かに縛り付けられ、望まぬ事を強要させられている彼女を救う為に彼女の背後に立つ誰かへ(・・・)と剣を向ける。

 そうして、その足は光へと駆け出していた。

 

 

 ***

 

 

 「僕はッ、なんで此処に居るッ!!」

 

 魔術師は怒りに顔面を歪めて、端正に丹念に造り上げたルーンのカードに魔力を注ぎ込む。それこそ、ルーンのカードが受け止められない程に大きな魔力を、何時もの様な繊細な動作で流し込んでいた。無意識での行動だった。カードは無残にも焔を上げて、崩れ去る。残ったのは灰、そして、決して低くはない熱。その熱は魔術師の指を容赦なく熱っし、焼くけれど、彼はそんなもの気にも止めなかった。

 立つんだ。ああ、そうだ。この身は既に半壊、殆どが塩に還っている。これは裁きの光。嘗てソドムとゴモラに降り注いだかの光だろう。罪在る者等へ平等なる裁きを下す塩の柱。

 だが、だから、それがどうしたというのだ。

 神が、たかが神の裁きがどうしたというのだ。

 自分は確かに、神に比較的近い位置に居る職業をしている。そうだ、確かにだ。

 

 「けど」

 

 魔術師は吊り下げた十字架を引き千切り、其処らへ投げた。十字架は瞬時に塩へと還っていく。同時に、引き千切るのに使った手も、塩となって砕けた。

 構うものかと、彼は塩に還りつつある、どうにか自ら組んだ術式によって押し留めている足を使う。力を込め、粉々になっても砕け散っても良いと膝を曲げ、唯一使い物になる手を地につき、その躰を立ち上がらせた

 崩れ行く躰。内蔵に骨、肉。殆どもう塩に成り果て、崩れ落ちる。

 前へ、前へ。彼女の下へ向かおうとする度に、魔術師の躰は崩れ落ちていく。その一歩一歩は彼の命を対価に生み出されていた。

 

 「構うものか」

 崩れて落ちる視界の中で、魔術師は手を伸ばした。彼女へと届かせる為に。

 

 「僕はッ!!」

 

 歯を食い縛ると、それすらも砕け散ってしまう。僅かばかりに残った味覚が塩っぱさを伝えてきた。そこで、自分はまだ生きている、前に進めると彼は歓喜した。

 だが、タイムリミットは目の前。一寸先。その指はどっぷりと死という闇に浸かっていて、もう、彼の命の焔は燃え尽く寸前であった。 

 そして、それは直ぐにやってきて。

 顎を大きく開いて、魔術師を呑み込んだ。

 

 「――――――」

 

 否。

 否、否。

 否、否、否。

 否である。

 そう、否だ。

 彼はまだ終わっていない。

 悪魔は嗤う。悪魔が嗤う。地獄(ゲヘナ)で嗤う。

 彼に繋がれた(パス)が腐り落ち、新たな(パス)が彼に繋がった。二度と途切れず離れぬ呪いが彼の中心に鎖の如く絡み付いていく。

 そして、彼は喚ぶ。自らに眠る(シン)を。

 

 「アクセス――――我がシン」

 

 昏き焔が魔術師だったそれらから吹き上がり、吹き乱れ、吹き荒れて、そして、彼を、魔術師を形成した。

 闇色の中から、彼はその闇より深き黒を纏て、戻れぬ道を突き進む為に新生したのだ。

 塩を腐らせ払い、溢れ続ける光を燃え腐らせながら、彼は始まりの一歩を踏み出した。

 

 

 ***

 

 

 相棒たる魔術師が、覚悟、その身を深き魔導の深淵、その最果てへと堕ちる、人を捨てる事すら厭わない覚悟を見せたのと同じ様に、聖人たる彼女は。

 

 「――――ええ、」

 

 彼女の、覚悟を示そうとしていた。

 

 「私も見せましょう。そうですね、私達が彼女を護るんですから」

 

 その両手は、その躰は抜刀の、居合の構えをとっていた。彼女の最速で全力で刃を解き放ち、撃ち放ち、斬り断つ為の前準備だ。

 眼を瞑り、細く、小さく、彼女は肺から全ての酸素を吐き出すように息を吐く。

 意識を鋭利に細く薄く尖らせていく。

 そう、それはまるで刃の如く。

 最速で最高を、今、最善の()を放つ為に。

 意識を、収束させ、自分に繋がっていた何かを不純、不必要だと断じ、断ち切っていく。

 必ず来る、この刃が覆す盤面が来ると確信して。

 彼女は、待ち続ける。

 私は救われぬ、報われぬ者等の刃でありたい。

 唯、今という一瞬に最高の自分を、最善の自分が創れる一閃を此処に。

 そんな想いを胸に抱いて。

 そして、彼女は刃を疾走らせたのだった。空を描く、銀光は絶命を抱いて、極地へと無数となって飛翔する。

 時は満ちたのだ。

 雌伏の時は、此処で御仕舞い。

 一迅は刃を以って、奔る。

 刃は無残に光を裁き、彼女の道を開いた。

 

 「愛する者等に、救いの手を(Salvare000)

 

 その瞳を黄金に染めて(・・・・・・・・・・)、自ら斬り開いた道を彼女は駆け始めた。

 疾走は開始されたのだ。

 もう、止まらない。止まれない

 止まるはずがない。

 

 

 ***

 

 

 「ああ、解っているさ」

 

 独り、青年は彼らの煌めきを、荒ぶり、内に秘めし渇望を溢れさせる彼らの輝きに眼を細め、呟く。

 

 「これが必要なことってくらい」

 

 片足を曲げて、それを両腕で抱き抱える様に空に座り込んだ彼は憂鬱そうに言葉を続ける。

 

 「いずれ、此処に来る最悪。俺達では立ち向かえない災厄。それに打ち勝つには」

 

 眼下、空にその身を浮かばせる彼の下。正常なる光が法則として溢れ出るそこへ彼は視線を向ける。

 

 「あいつらが、必要だってことくらい」

 

 闇夜に包まれ、彼は彼らを眺めていた。その神威が、その光が彼の愛する彼女の世界を傷つけぬ様、壊さぬ様に自らの法則を扱いながら、彼らの可能性を、渇望を信じて。

 

 

 ***

 

 

 「さあ、始めよう」

 

 世界の裏側で、此の世の最先端たる機械群に囲まれた窓の無いビルで、荘厳であり美麗なる神性に満ち満ちた聖堂で二人の何かは嗤う。 

 

 「これは未地の果て、私の識らぬ物語。何とも眩しき奇形の物語」

 

 逆さまの男はビーカーの中で誰に言うでもなく、独白する。眼と鼻の先で、超越者による凌ぎ合いが行われているのに、動じる事無く、冷淡に冷静に静謐に。

 

 「役者は確かに凡庸であろう。その魂は何とも貧弱で、憐れみすら覚え、その煌めきは等しく弱々しい」

 

 しかし。かの神を崇めるそこの祭壇で、彼女は微笑む。愉しげに、優しく愛おしい気に薄く積もった埃を指で撫でた。

 

 「しかし、」

 

 そう、前置きをして、

 

 「この筋書きは、嗚呼、読めぬ、読めぬよ。二流、三流の代物、いいや、子供の落書きの様に先が見えないそんなもの。導く者も何も居らぬから誰もが可能性を秘めている。屑星であろうと煌めく太陽に成り得る極大の渇望を」

 

 故に。言葉が重なる。酷く似通った二人の男女は同じような笑みを深めた。

 

 「嗚呼、そう、これこそが未知だ」

 

 世界の裏側でそう、枯れ果てた薄っぺらな影は笑みを湛えて、零れ落ちそうな哄笑を押さえ込み自分以外誰も居ない、青色の闇の中で、彼は独り佇む。求め続けたものの名を口にした彼は、愉悦に満ちていた。

 

 「では、」

 

 勿体ぶったように大げさで芝居がかった動作を、仕草を交えながら、彼は愉しげに宣言する。彼にとっては久方ぶりだとかいう感慨はない。なんせ彼にとって、人の一生も文明の始まりから終わりまでも全て変わりなく刹那の瞬きに過ぎないのだから。これも、それと同じだ。

 

 「今宵の英雄譚(オペラ)を始めよう」

 

 そうして、幕は、上がった。

 

 

 ***

 

 

 これは終わり無き既知を破壊()刹那()を以って超越した果て、黄昏の女神の抱擁()に包まれた世界の物語。

 彼女を壊す筈だった者はなんの因果か人の身と堕ちて彼女に成っていた。彼を絶対者へと至らせていた者は彼女の隣に在った。

 新世界。

 彼女の抱擁の中で。

 神の試練が、そんな彼と彼女に訪れる。

 さあ、少年よ、剣を持て。

 さあ、少女よ、己の存在を見つめよ。

 終焉(ナラカ)はすぐそこに。

 たった一人の男が望み、実現の時を待っている。

 

 

 

 


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