あの時が私の兄─とは言え双子の私たちのどっちが兄なのか姉なのかは興味ないのだが─が変わった瞬間なんだろう。
「ねーちゃんねーちゃん。」
「なに、どしたのけーくん。」
あの日はかなり寒くて、雪の降るほどだった。そんな冬の夕暮れ時を私たちは、姉を挟んで仲良く手を繋いで家に帰る道を歩いていた。そんな平和で、穏やかな日だった。
「ねーちゃん、誰か、呼んでる。」
「呼んでる?誰を?」
「ぼくを。」
てしてしと歩いていた兄─彗はそう言って足を止めた。不思議そうにその様子を見る私たちに目をくれもせず、兄は上を向いた。一番星が輝き始めた空を。
「誰か、呼んでる。
「あっち、かあ…。」
兄につられて姉も、そして私も空を見た。私にはその空はなんの変哲もない、ただの空にしか見えなかった。
「ほんとだよ。嘘ついてないよ。」
私たちにはその声が聞こえなかったのがわかったんだろうか。兄はパタパタと小さな腕を振り回して、必死に主張していた。今の兄からは思いもつかない可愛げがあったのを覚えている。
「うんうん、わかってるわかってる。誰かがけーくんを呼んだんだよね。」
「うん!」
姉はそう言って一度私たちと繋いでいた手を解くと軽々と私たちを抱えてみせた。抱えられて、身長差のあった私たちの頭が横に並んだ。
「誰かがけーくんを呼んだ、か…。誰なんだろうね。」
「わかんない…。」
「わかんないかあ。」
そう言って体を揺らしながら姉は歩き始めた。揺られた私たちのきゃーとかわーとかいう悲鳴に頬を綻ばせながら歩く姉。それが、私たちの最後の平和なひと時だったんだろう。
ひとしきり姉に揺られて悲鳴を上げ終えたあと、息も落ち着かないうちに兄は口を開いた。
「…ねーちゃん。ぼく、決めた。」
「なにを?」
「ぼくさ、」
兄は空を見た。その先が見えているかのように。
「僕を呼んだひとに会いに行く。」
「行くよ、あの星のところまで。」
そう言った兄の目は私とお揃いの青ではなくて。
姉とそっくりの赤色に染まっていた。
僕の1日はぴりりりり、と不快な音を立てる目覚ましよりも早く起きるところから始まる。今日も僕は目覚まし時計が鳴る5分ほど前の、まだ薄暗い時間に目を覚ました。
「…もう、朝か…。」
頭はもっと温かい布団の中にいようよ、と主張するが身体はこの時間に起きるように仕上がっている。それに今日は久しぶりの晴れのはずだからランニングでとしようと体を起こそうとしたところで、隣に暖かい何かがいることに気がついた。正確に言えば何かがいる、というより少女が僕にしがみついている。
「箒はまた布団に入ってきてたのか…。」
そう言って僕は布団に潜り込んでいた双子の妹である箒のほっぺを痛くは無い程度にうにっとつねった。なんかうぐ、とか言う悲鳴みたいな声が聞こえた気がするけど気のせいだろう。
「まったく、いつの間に入り込んでたんだ…。」
少なくとも僕が寝る時にはいなかった。となるとそこからか。以前に箒が布団に潜り込んできた時に暑いから嫌だと苦言を呈したからか、ご丁寧に寝る時につけていたエアコンを切っているあたり確信犯と見える。と言うかエアコンを切られているせいで部屋が超寒い。今は3月だけどもうすぐ春とか嘘だろう。
どうにかひっついていた箒を引っぺがし、ベッドから抜け出した。着ていたスウェットを脱ぎ散らかし、ランニング用の服装に着替える。外の感じからするに気温の割に風は吹いてなさそうだからウインドブレーカーはいらないだろう。
エアコンの電源を入れて部屋を温めながらストレッチして身体をほぐす。ついでにイヤホンを耳にブッ刺して走りながら聴く曲をセレクトしていく。今日は最近流行りの、話題になっているだけで好みでは無い曲でも聴くとしようか。好みでは無くてもこの手の曲は知っているだけで話のタネになるから知っておくと便利だ。
ストレッチを終えた僕が玄関へ向かうと、そこにはスーツ姿の女性が2人立っていた。僕の姿を見てほんの少し嫌そうな顔をしている。
『やっぱ来たよこのクソガキ。』
『また仕事が増えるのか…。私たちのことも考えろよ男の癖に…。』
訂正。めちゃくちゃ嫌がられていた。まあこの人たちは僕たち兄妹のことをあんまり好いていないから今更といえば今更だけども。
「…おはようございます。何をしに行くおつもりで?」
「見てわかんないの?」
挨拶より早く嫌味を口に出す。ポイントは小馬鹿にしている感を全力で出すことだ。そうするとほら、簡単に眉間に深い皺が刻まれる。僕はともかく、箒のことを嫌いな奴にまともな応対なんてしたくないね。
「…勝手な行動は慎んでください。警備に穴が空きます。」
「こんな早朝に動く人攫いとかいる?俺がそんなことするなら夜にやるよ。」
「そう言う問題ではありません。」
あっそう、と言って俺は靴を履く。外へ出ようとしたところで警備の2人が俺の行手を阻んでいた。
「…どいてくれない?」
「その頼みは聞き入れられません。勝手な行動はやめていただかないと─」
「別に今日は大丈夫だよ。周りに敵いないし。」
そう言って俺は肩をすくめた。事実、今この家の周りで起きているのは年寄りと散歩を待ち侘びる犬だけだ。
「そうかもしれませんが、」
「本当にやばい時は言う通りにしてるでしょ。その俺が平気って言うんだから今日は平気な日だよ。」
僕の態度で譲る気がないことを察したのだろう。護衛の片方がため息をついて扉の鍵を開けた。
「…30分だけです。いいですね?」
「わかった。ついてくるの?」
「仕事ですから。」『仕事じゃなきゃこんなクソガキのお守りなんかするかよ。』
うーんごもっとも。うんうんと深く頷きながら俺は外へ出た。やはり気温は低いが、風はない。路面が濡れていること以外は走りやすい日だと言えるだろう。
「てかおねーさん今日原付?それともチャリ?」
「原付です。」
「はいはーい。」
護衛のおねーさんが原付のキーを回したのを見て、俺は勢いよく走り出した。
早朝の町並みを走るのは好きだ。静かで、嫌な声がしないから。
『あそこのゴミ箱今日うまいのあったぞ。』
『マジ?俺も行こうかなー。』
『もう無理だからやめとけよ。あそこさっき行ったらノラいたぜ。』
どんまいカラスくん。きっといいことあるよ。
『ごすずん!ごすずん!さんぽ!さんぽはやくいこ!ごすずん!』
ごすずん好きだねえお前。
『仕事したくねえ…』
世に疲れ切った人間の声は聞きたくないので無視。
『へーいそこのイカした毛並みのお嬢ちゃん。俺といいことしない?』
『…俺はオスだぞ?』
『ふぁっ!?』
現実は非常である。でもついてるからお得って言葉もあるしね?
周りの『声』に耳を傾けながら原付を引き連れて走る。次第に身体があったまってきて、やっぱウインドブレーカーは着なくて正解だったな、なんて思った。
「彗様。」
「な、に?」
「もう15分です。折り返してください。」
「はい、はい!」
護衛のおねーさんの声に従って反対側の歩道に移り、来た道を戻る。さっき通った道なのに、反対側から見たその道は全然違って見えた。
『今年はカエルの出が遅いのお…。久しぶりに食べたいんじゃが…。』
『ジジイ、カエルなら昨日食っただろ。』
もうカエルは冬眠明けたのか。寒いのに偉いことだ。
『ごすずん!ごすずん!おさんぽたのしいね!あ、でる。』
楽しそうだけどやめろ。
『お腹すいたなあ…』
『ふっハニー。さっきゴミ箱から持ってきた魚の頭だよ。お食べ。』
『…だから俺オスだってば。』
『だからいいんだろ?』
『ふぁっ!?』
こいつもうだめだ。性癖歪まされてるじゃないか。
楽しそうな声に思わずふっと笑みが溢れる。世の中こう言う声で溢れてればいいのに。
『…何笑ってんだこのガキ。マゾか?きもっ…』
…近くの人間がこれだからなあ。やっぱ人間は嫌いだよ。
そう思いながら、最後の追い込みをかけるべく俺は一段スピードを上げた。
「たっだいまあ…。」
護衛のおねーさんが開けてくれたドアを疲労困憊で潜り抜けると、キッチンから出汁のいい匂いがしてきた。今日は味噌汁かな、なんて予想をつける。具はなんだろうか、とまで思ってからその思考を切り上げた。その気になれば当てれるんだろうけど、どうせなら直接聞きたい。そう思ってキッチンに顔を出すと、そこではパジャマの上からエプロンをつけた箒が料理をしている最中だった。
「おかえり、彗。」
「ん、ただいま、箒。」
僕の顔を見た箒が火を止めて歩いてくる。けど、僕はそれを手で制した。途端に悲しそうな顔をした箒に罪悪感が生まれて、思わず目を逸らしてしまった。
「…彗?」
「待って、箒。今僕汗くさいから。」
「そんなことか。」
手で制したはずなのに、その手に箒の指が絡められる。まるで恋人みたいだな、なんて思った。そのまま箒は僕との距離を詰めて、
「別に私は気にしない。」
そう言って僕の胸元に顔を埋めた。同じものを食べて、同じシャンプーを使っているはずなのに箒からは甘い女の子の匂いがした。
「臭くない?」
「彗の匂いしかしない。」
「そっか。」
こうなったら箒はなかなか離れない。それを知っているから、僕も箒の背中に片手を回した。もう片方の手はお互いに絡め合いながら。
「「…………。」」
それからどれくらいそのままでいたんだろうか。もうこのくらいでいいかな、と思えたタイミングで箒から身体を離した。箒からあっと小さな声が漏れたのに苦笑しながら、絡めていた指も解く。
「シャワー浴びてくるよ。」
「…そうか。なら私も朝食を作っておく。」
「ありがと、箒。」
「気にするな。私がしたいからやっているんだ。」
それでもありがとうだよ、なんて言ってからあることを思い出して箒に顔を向けた。
「そう言えば来週引っ越しだけど、準備はできてる?」
「ああ。元々荷物は少なかったからな。彗はどうだ?」
「僕もだよ。電子書籍って便利だね。」
諸事情あって引っ越しの多い僕たちは荷物が極端に少ない。幸か不幸か、そのおかげで引っ越し直前だと言うのに慌てずに済んでいるわけだが。
「今度の引っ越しが終わったら3年間は定住だからね。久しぶりに腰を落ち着けられるよ。」
「…そうだといいんだがな。」
「きっとそうだよ。それに悪いことばっかりじゃない。多分寮でも箒と同室だと思うよ。」
「それは難しいんじゃないか?事実上の女子校だぞ。男子で纏められると思うんだが。」
「それは一理あるね。でも箒、忘れた?」
僕は知人曰く姉が悪巧みをしているときによく似た笑い方でニヤリと笑って言った。
「僕の勘はよく当たるんだよ。」
「…そう言えばそうだったな。」
「でしょ?いいじゃないかIS学園。箒と同じ学校だし、一夏も来るらしいし、世間じゃ色々言われてるけど僕は何の文句もない。それに上手くいけば僕の夢にも近づけるはずさ。」
拳を握ってそう力説する僕に小さなため息をついて、箒は鍋に向き直った。再び沸いてきた鍋からまたいい匂いがたちのぼる。
「楽しみなのはわかったから、早くシャワーを浴びてこい。朝食はもうできるぞ。」
「おっけー。すぐ出てくるよ。」
そうとだけ言い残して彗は浴室に消えた。それを見送ってから箒は再び朝食を作り始めた。そして宣言通りにすぐシャワーを終えた彗と箒は2人で食事をして、残り少なくなった中学生活を送る。
これが天災である姉に狂わされた、2人の兄妹の日常だった。
篠ノ之 彗
篠ノ之箒の双子の兄にして篠ノ之束の弟。髪色は箒と同じ黒だが目の色は姉似。昔は目の色も箒と同じだったらしい。
身長174センチ。
剣道はそこそこの腕だが嫌いとのこと。