代星-我らが母国はいかにして勝利したか、あるいは我らの祖国はいかにして滅びたか- 作:ライト鯖
数時間前。
基之の下へ浅菜を連れていくことになる
路地裏では麻薬の取引や売春のみならず、暴力沙汰や性犯罪の温床なのだ。
至るところにカメラやマイクが仕込まれている表通りとは対照的に、十数メートル以上の間隔を空けて設置されている監視カメラ以外は存在しない。
起源国は、あえて路地裏の監視を緩くしているのだ。
それも、名誉起源民を意図的に貧困状態に置く施策の一つとして。
それに加え、反抗勢力がある程度活動出来る余地を残すことで、泳がせ、逮捕に繋げやすくする狙いもある。
表通りは厳重に監視されている。路地裏で何をしようと、必ず尻尾が出るだろう、という目論見なのだ。
故に、路地裏の治安は良くない。
明子は警察等ではないが、"組織"からの指示を受け、こうしてゲットーを見回っている。
起源国の監視に見られようと、非武装自警団の類いは幾つものゲットーに存在するため、特別咎められることもない。
人影はまばらでありつつも、すれ違う人、人、皆が、お世辞にも清潔とは言えない姿の者やら、明らかにその筋の人間であろう者といった、アングラな雰囲気を纏わせている路地を進んでいく。
そうして、すれ違う人も殆どいなくなるほどに、入り組んだ路地の奥へと進んだ明子の耳に妙な音が聞こえてきた。
「ん..?」
不審に思い、音の方へと近付いていく明子。
後少しで音の発生源へ到着するだろう頃合いになると、彼女は胸ポケットから頭を出すボールペンのようなモノの頭頂を捻った。
たどり着いた明子の目にまず飛び込んできたのは不自然に道に屈んでいる二人の男だった。
そして、二人の男によって丁度隠れている辺りから、くぐもった悲鳴のような音が漏れ出してもいた。
「貴方達!何をしているの?!」
まさか、と駆け出した彼女は、男の内、正面にいた一人を蹴り飛ばし、もう一人にそのまま裏拳を繰り出す。
「ぐああっ」
明子はそのまま音の主に目を向けた。
「っ..!」
音の主は、服を脱がされ、破られ、抵抗したのだろう、幾つもの痣や傷がその身体に刻まれており、更に最悪なことに、男らの体液と思しき液体も幾箇所かにあった。
「何て酷い....!」
男達に視線を戻した瞬間、明子は身構えざるを得なかった。
咄嗟のことで気が付いていなかったが、男達は起源国軍人であったからだ。
「いてえなあ。何だ貴様は」
「我等起源国軍人に手を上げるとはどういうつもりか」
起き上がった軍人らは、明子を睨み付け、継いで、彼女の容姿を見ると、舌なめずりをした。
「なあ、俺達への暴力は問答無用で死罪でも可笑しくないんだぞ?」
「申し訳ありません。咄嗟のことで軍人さんとは気が付かず」
明子は表情を動かさぬよう注意しながら、極めて平坦に謝罪してみせた。
「それで許されると思ってんのか?」
「そうだ。これは賠償が必要だなあ?」
「...名誉起源民に対するものであろうと、強姦は犯罪です。ご存知でしょう?」
「ああ、法律上はそうなってるな」
馬鹿馬鹿しいとでも言うように、軍人らは嗤う。
「そうですか。...ですがもし、言い逃れのしようがない証拠があれば、話は別ですよね」
「あればな。だが、ここにはカメラがないことは把握済み」
「例え貴様がここから逃げ出して通報したとしても、大して捜査もされんだろうな。名誉の言葉と俺ら軍人の言葉、どちらが信用されるかって話さ」
二人は愉快そうにそう笑った。
「それは...残念です」
言いながら彼女は、未だ地べたに転がされたままの、軍人らに犯されていた娘に近寄った。
「おいおい、何するつもりだ?」
「まさか、そいつ連れて帰るつもりか?」
「そうですが。何か」
「バカ言っちゃ行けねえ。お前をこのまま帰すとでも思ってんのか?」
「俺達への非礼に対する詫びが要るだろう?」
明子は、軍人らの汚ならしい視線に、内心で唾を吐きかけつつ、胸ポケットのボールペン型カメラのスイッチを切り、微笑を浮かべながら振り返った。
「確かにその通りですね。申し訳ありません」
そして、軍人らの目の前で膝立ちになり、下半身に顔を近付けるのだった。
「ほう?存外素直じゃないか」
二人の軍人は、警戒もすることなくチャックを下ろす。
(クズな上に無警戒。野生動物以下)
内心の凄まじい罵倒をひた隠しにしつつ、男らのまろびでた一つに右手を添えながら口を開け、近付けていく。
そして、男らに悟られぬよう、左手をひっそりと動かし、バックポケットに備えてある"それ"を掴んだ。
瞬間、右手を力強く握り締め、同時に左手を、もう一つのまろびでた性欲の権化にぶつけてみせた。
バチッと薄暗い路地に光が迸り、一瞬遅れて軍人の悲鳴がこだまする。
右手で握り締められた方の軍人の悲鳴であり、"それ"をぶつけられた方は、悲鳴すら上げることが出来なかったようだ。
「ぎざま..!」
慌ててホルスターの銃を取り出そうとした軍人に、彼女は素早く、"それ"、改造し、致死的な電圧にまで高められるスタンガンを顔めがけて振りかざした。
「がっ..!」
軍人はそのまま、倒れ、ビクビクと痙攣をしていたが、数秒程立つと、一切の動きを失うのだった。
「ったく。こんな奴等に支配されてると思うと腸が煮えくり返るどころじゃないわね」
スタンガンをしまい、明子は、犯されていた娘、浅菜の方へと顔を向ける。
「...無理はしないで」
浅菜は既に上体を起こしていた。
「....」
「...歩けそう?病院、行きましょ」
「ありがとう...でも、放っておいて」
自暴自棄といった声色で明子の差し出した手を、浅菜は拒絶した。
「...」
「一人にして..」
浅菜は涙の渇いた跡を残す虚ろな目で、ポツリと口を開いた。
それを見、明子は、しゃがんで、浅菜に目線を合わせた。
「大切な人はいないの?」
「...いる」
「そう。なら、何としてでも帰すわ」
明子は、再度、なおも呆然とただ地面を眺めるだけの浅菜の手を取った。
「貴方の今の気持ちを完全に理解することは出来ない。
でも、私は遺される側の気持ちはよく知ってる。
だから、貴方を置いていくわけにはいかないの」
明子の言葉に、浅菜は僅かに首を動かした。
「さ、病院行きましょ。その後家まで送るわ」
数秒程、浅菜は俯き、その後、フラフラとしながら、立ち上がった。
「お金、ないから..」
病院には行けない、と言外に含めた、浅菜の呟きに、明子は優しい微笑を返した。
「私が持ってるから」
「...でも」
「これが私の仕事なの。気にしないで」
浅菜の手を引き、歩き出そうとした明子だったが、「あっ」と何か思い出したように立ち止まった。
「忘れるとこだった。ごめん。向こう向いててくれる?」
浅菜に視線を進行方向へ固定するよう言い、彼女はそこらに落ちていた手頃なコンクリートブロック二つを手に取る。
そして、倒れた二人の軍人をそれぞれうつ伏せにさせ、その後頭部に落とした。
鈍い音を立て、落ちたコンクリートブロックは赤黒い飛沫に包まれ、軍人らの死体からも、同じ色のモノが流れ出る。
「あとはっと」
そうして、彼女はコンクリートブロックを枕のように頭部の下敷きにし、死体を置き直した。
「さ、お待たせ。行きましょ。後、これ着て」
浅菜に、自身のジャケットを着せて、そのまま明子は彼女の手を取り、小走りで路地裏を走るのだった。
数時間後。
現在。
何処にあったのかカッターナイフを取り出し、自身の首に向けていた浅菜から得物を取り上げた基之は、咄嗟に浅菜を抱き寄せていた。
「姉ちゃん!待ってくれ!お願いだから...」
彼は取り乱しながらも、冷えきった姉の身体に対して、煩い心臓によって体温が上がり続ける自身の身体、そのコントラストに、彼女の絶望を感じ取っていた。
「俺には分かんないよ。姉ちゃんがどんな想いか...でも、やだよ。姉ちゃんがいなくなるのは..」
「ごめん...基之。さっきも言ったけど、私もね、我慢しようと思ったの。...でも、あいつらの顔が...ずっと...ずっと私の目の前にあって、消えないの。
あの時間の、感触が、消えないの。
声が、音が、光景が、何もかもが...」
顔を抑え、いや、ひっかくようにしながら、慟哭した。
「っ...」
基之は何も言うことが出来なかった。
どう、言葉をかけて良いのか、見当も付かなかったのだ。
「基之さん。ここに、他に凶器になりそうなものは?」
明子に、目に入ったロープになりそうなものや、鋭利なモノを抱えながらそう尋ねられ、基之は、部屋を見渡し、記憶を辿った後、「それで全部です」と、小さく応えた。
「今はこれしか方法がありません。とりあえず、これらは向こうに置いときますね」
「...ありがとうございます」
沈黙。
重苦しい沈黙が部屋に流れる。
「基之。ごめんね。...私も..どうすれば良いか分かんないの..」
ひきつった表情、生気を感じさせない瞳は、彼女の受けた傷の深さを悟らせる。
「ごめん。母さん、直ぐに戻るから..待ってて」
同じことを繰り返すことしか出来ず、いたたまれなくなり、彼は居間へと場所を移した。
「...申し訳ありません。後少し、私が早ければ良かったんですが」
居間へ入るなり、明子に謝罪され、基之は頭を振った。
「いえ、そんな..助けてくれたんですよね...。ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことはしていません。私はただ...為すべきことをしたまでです」
そんなやり取りをしていると、玄関扉が激しく開け放たれ、優菜が息せき切って駆け込んできた。
「基之!浅菜は!」
「寝室にいる」
基之の隣にいる謎の女には目もくれずに寝室へと飛び入り、優菜は浅菜を抱き締めた。
「帰ってきてくれて、待っててくれてありがとう」
優菜の言葉に、枯れていたようにも思えていた涙を、その目に溢れさせ、浅菜は、大声で、泣き叫ぶのだった
数十分後。
優菜が居間へと戻ってきた。
「姉ちゃんは?」
「眠っちゃったわ」
「そう..」
「基之、あんたもありがとうね」
「俺は何も..むしろ、姉ちゃんに何も出来なかったし..自分のことばっかで、ありがとうなんて言えなかった」
「それでもよ。よくやってくれたわ」
基之の頭を一つ撫でた後、明子の方へと視線をやった。
「ところで、貴方は?」
「明子と申します。浅菜さんが襲われているところを見つけたので、"対処"し、此方へお連れしました」
「そう、貴方が助けてくれたのね...ありがとう。本当にありがとう!」
優菜は明子の手を取り、深く謝意を示した。
「是非お礼をさせて」
「お気になさらず。私の義務に従ったまでですから」
微笑みながら、明子は優しく優菜の手をほどき、言った。
「時間も時間なので私はそろそろお暇させて頂きますね。お邪魔いたしました」
「ああ、そうね。もうこんな時間だものね。長い時間、ありがとうございました。本当に。
でも、お礼もなしなんて出来ないわ。何か..そうだ連絡先とかよければ教えて下さらない?」
「連絡先ですか...いえ、本当に気になさらないでください。
それに、またお会いすることになるかと思いますし」
「?..どういう」
「それでは、失礼しますね」
気になる言葉を遺し、明子はさっさと玄関扉を開け、出ていってしまうのだった。
「...ふう。さて、本部に戻って"ボス"に」
基之らの部屋近くにある階段を下り、マンションの外へと出て、そう一息を付いたタイミングで、背後に気配を感じ、明子は直ぐ様振り返った。
「..基之さんでしたか。どうかされましたか?」
基之が追いかけてきていたのだ。
「いや、しっかりとお礼を言えてなかったって思って」
「本当に気になさらないで良いのに」
「いえ、言わせてください。
本当にありがとうございました。
姉ちゃんを連れ帰ってくれて」
「...お姉さんのこと、よく見ててあげてくださいね」
「はい....あの」
「何です?」
「貴方は、何者なんですか?」
「...」
基之が疑問を持つのとも尤もであろう。
暴漢に襲われていた女性を助けることだけなら、単なる自警団ですむ。
しかし、起源国軍人に襲われていた人を助けたことを義務と言った。
更に、追いかけてきて聞いてしまった、"ボス"や"本部"という単語。
気にならない者は中々いない。
そしてある程度、推測することも、出来てしまうだろう。
「ご想像に近いと思いますよ。でも、覚悟がないのなら、深くは聞かないで下さい。
そっちの方が、都合良いでしょ?」
真面で静かに言われ、基之も頷くしかなかった。
しかし、今の言葉で推測は確信にもなっていた。
"レジスタンス"
恐らく彼女は、起源国に対する反抗活動を行う組織の人間である可能性が高い、と基之は考えていた。
そうでなければ、起源国軍人に逆らおう等と考える者はいないだろうからだ。
そして、この時の彼は、それを察すると同時に、確かに関わらない方が良いと判断し、それ以上は何も言わず、部屋へと引き揚げるのみであった。
そうして、一週間と二日ほど経過した日の夕方。
優菜の仕事は、かつてのハヤブサ時代の同僚がこの"雅緂ゲットー"に多く集まっていた関係で、同じような人達で小さな事業所を組織することが出来ていたため、名誉起源民では珍しく仕事に都合が付けやすく、ずっと在宅し、浅菜と一緒に居続けていた。
基之も、家にいると優菜に言っていたが、許可されず、可能な限り速く学校から帰る毎日であった。
「今日はお肉が手に入ったの。だから、ご馳走よ」
「..そう」
「貴方の好きなラーメンにでもしましょうか。具材たっぷりのね」
「ありがと」
漸く、少しではあるものの落ち着きを取り戻した浅菜だったが、なおも言葉は少なく、時折、何かに押さえ付けられているように身を固くさせたり、泣き出したりと、安定はしていない。
基之は、在宅している間、何と言葉をかけるべきかと、下手なことを言うわけにもいかない為、基本的にはただ、浅菜の近くにいることにしている。
最初の数日は、離れていた方が良いのかなど色々試行錯誤していたが、どうやら近くにいると多少安心出来ているらしいと分かったためだ。
でも、もどかしい。
俺はこんな時にかける言葉の一つも持ってない。何も知らない。知識がない。
基之はある種の自己嫌悪に陥っていた。
適切な言葉が何かも分からない。
この最低な現実を変える術など何一つ持ち合わせていない。
家族に労苦を背負わせて学校にのうのうと通っておきながら、何一つ。
彼は、学校の図書室にあった本を、浅菜の隣にいる間、読みふけっていた。
せめて、何か意味を、役に立つことをと、そう考えていたのだ。
ドンドン。
基之に取っては一週間ぶりに、扉がノックされる音が響いた。
だが、今度のそれは、明子の時と同じく、激しくはあったが、より強い、何か悪意のようなモノを感じさせられた。
「...」
優菜も基之も警戒し、暫く黙っていると、ノックは止み、続いて声が代わって来た。
「起源国保安隊だ!在宅であるのは分かっているぞ!出てこい!」
優菜と基之は目配せをし、優菜が扉へと向かう間に、基之は寝室の扉を閉め、浅菜の目に起源国軍人の姿が目に入らないようにした。
「申し訳ありません。料理をしていたもので」
「黙れ。聞かれてもないことを話すな。日野浅菜はいるか?」
扉で耳をそばだてていた基之は浅菜の名を聞いた瞬間、心臓が跳び跳ねるのを感じた。
「ど、どういったご用件でしょう..」
「職場に一週間姿を現していないと報告があった」
「休ませると連絡はしております」
「関係ない。一週間以上の欠勤は強制解雇であり、失職は職業訓練所への入所が義務である。知っているだろう?」
「やむを得ない事情があれば免除されるはずです!浅菜は、娘は心に深い傷を負わされたんですよ!?」
「心?つまり身体は動くということではないか。名誉起源民に、そのような甘えは許されない」
「なっ...」
優菜は言葉を失った。
誰のせいでこうなったと。
理不尽。
様々な、口には出来ない想いが渦巻く。
「まあ良い。強制連行を行う。おい、入るぞ」
後ろに控える部下らを促し、男は扉を潜ろうとする。
「待って!失職はともかく、連れていくなんて!」
「職業訓練所への入所が義務だ」
「だから、娘は今!」
バシンという音。
一瞬遅れて、ドタンと何かが倒れたような鈍い震動が、基之に伝わってきた。
「邪魔をするな。おい、お前はそっちの部屋行け」
「はっ」
基之の心臓は、バクバクと、耳から飛び出るのではと感じる程にうるさく高鳴っていたが、近付いてくる軍靴の音は、はっきりと聞こえていた。
心音と軍靴の合唱は、閉じていた扉が勢いよく開け放たれることで、途切れるのだった。
「いました。対象です」
平板で、冷徹な報告と共に。
Tips
起源はかなりマッチョイズムに染まっている。
精神病に対する一般的な知見等も一世紀以上は退化しているも同然。
他にも同性愛に対する考え方であったり、所謂ジェンダーロール、男らしさや女らしさについての観念も20世紀前半と大差がない。