代星-我らが母国はいかにして勝利したか、あるいは我らの祖国はいかにして滅びたか- 作:ライト鯖
基之は咄嗟に、姉を抱き締め、庇うような体勢を取った。
「はあ。面倒を」
部屋に押し入ってきた軍人は、浅菜に覆い被さるようにしている基之に掴みかかる。
「離れろ」
「.....」
「チッ」
舌打ちと共に、基之の背に衝撃と痛みが走る。
背中を思い切り蹴られたようだ。
「かっ...」
痛みに呼吸を阻害されながら、なおも彼は身体を動かしはしない。
「面倒をかけるな!」
今度は頭部に足が飛んでくる。
鈍い音がし、基之は一瞬目の前が白くなるのを感じた。
「何をしている!」
基之を蹴り付けた軍人を引き連れて来た責任者らしき男が、業を煮やしたのか怒鳴りながら入ってきた。
「申し訳ありません。少尉殿。こいつが抵抗を」
男は基之に目を向けると、小さく溜め息を付いた。
「これ以上抵抗するなら貴様を逮捕する。早く退け」
基之は、それでも動くつもりなど無かった。
しかし、「逮捕」と聞こえた瞬間、基之の身体は押し退けられていた。
「姉ちゃん?!」
浅菜が彼を押し退け、立ち上がったのだ。
「すぐに行きます。だから、基之は、弟のことは..」
「賢明な選択だ」
男に顎で指示された部下の軍人は、浅菜の手を拘束し、浅菜に歩くよう促す。
「待って。姉ちゃん。待って」
事態を呑み込めないまま、浅菜を引き留めようと立ち上がった基之だったが、突き飛ばされ、尻餅をつかされてしまう。
「しつこい。姉に感謝することだな」
「...何で..」
軍人の言葉など基之の耳には入っておらず、ただただ呆然としていた。
「駄目だよ。待って。浅菜姉ちゃん」
基之や優菜が必死なのには理由がある。
確かに、今の浅菜は普通の訓練所に送るだけでも不安な精神状態であるが、それだけではない。
職業訓練所などと銘打たれているが、実態は刑務所とほぼ変わらないのだ。
勿論、起源国の名誉起源民に対する刑務所とほぼ同等という意味である。
職業訓練という名の強制労働は勿論、暴力も蔓延っている。
収容所よりはマシという程度のモノである。
何故、そんなことを基之が知っているのか。
それは、出所した者らが流した情報が、噂となって出回っているからだ。
皆、それを知っている。
起源国も、恐怖を与えるため、あえてその噂を流れるままにしてある。
今の浅菜を、そんな場所に送るなど、絶対に許すわけにはいかなかった。
だが、それも叶わず、浅菜は軍人らに連行され、玄関扉へと向かわされていく。
「待って。お願いします。どうか..」
優菜も、頭を抑えながら軍人らに請い願う。
「早く歩け」
軍人らは一切表情を動かさず、浅菜を連れて出ていく。
「待って下さい!」
「姉ちゃん!」
二人の声に、浅菜はチラリと振り向き、小さく口を動かした。
「ごめんね。ありがとう」
掠れ、震える声で、今にも崩れそうな、脆い笑顔を向ける。
「浅菜...」
優菜は、浅菜のそれで、止まることはなかった。
むしろ、何か決意を固めたようにして、駆け出していた。
「待って!連れていかないで!」
浅菜の感じている恐怖を、絶望を、そして、それらを押し殺した諦めを感じ取った優菜は、ただ娘を死なせたくない一心で、動いてしまったのだ。
「しつこい」
起源国軍人の残酷さは、彼女らの想像を簡単に上回る。
ホルスターから抜かれた銃が音を挙げ、浅菜の腕を掴んでいた優菜の胸から鮮血が吹き出し、そのまま彼女は崩れ落ちた。
「お母さん..?」
「母さん!」
基之は叫び、駆け寄る。
「浅菜...私...守るから..」
その場に血溜まりが広がっていく。
「全く面倒をかけるな。ほら歩け」
目の前の光景を受け入れられないといった様相で茫然自失の浅菜は、軍人らに引きずられるようにして廊下を進まされていく。
また、何も出来ないのか。俺は。
また、見ていることしか。
基之は、自分の無力さにうちひしがれる。
しかし、ただ絶望し、座り込むだけではなかった。
「浅菜...基之.....」
もう、意識が朦朧としているのであろう優菜の呟き。
そして、ただただ、恐怖と絶望を押し殺しながら、軍人に連行されていく浅菜の顔。
それらが、いつの間にか、基之の身体を動かしていたのだ。
もう浅菜に追い付いたところで何一つ意味などない。
だが、今の基之の頭には、そんな理性はなかった。
ただ、自分の無力を痛感しながらも、手を伸ばさなければと、浅菜を助けねばという衝動に包まれていた。
「来ちゃダメ!」
駆ける基之に気付いた浅菜が、咄嗟にだろう。
ついぞ、一週間前の件から出せなくなっていた大声を張り上げた。
「!...」
その声に押し止められるようにして、基之の足は迷い、乱れ、縺れてしまう。
それが、彼を救った。
よろめき、崩れた体勢は前のめりになり、バランスを取るために片手が反射的に地面の方へと向けられる。
瞬間、頭上を何かが掠める感触と、轟音が彼を襲った。
「あっ...!」
基之は、どうやら撃たれた銃弾を間一髪躱したようだったが、そのまま完全に体勢を崩し、その場に転んでしまう。
「くそっ..」
立ち上がろうと身体を身動ぎさせる。
だが。
「おい、そのバカ黙らせろ」
責任者の男が命じ、部下が彼の頭に銃床を振り下ろした。
ゴッと、頭に衝撃が走り、彼の視界は白く染まる。
更にもう一度、同じ衝撃に襲われる。
「待って!止めて!大人しく付いてきますから!だから!」
「お前がどうこうではない。奴が止まらん以上、こうするしかあるまい?」
「っ...基之、私は大丈夫だから..もう、止めて」
姉の言葉に、咄嗟に顔を上げた。
「姉ちゃん..」
彼女の心中を考えると、どれだけ無理をしているかなど想像も付かない。
今にも崩れそうな笑顔を作り、基之に浅菜は笑かけたのだ。
「私のことは大丈夫。ありがとうね。基之」
「待って」
「お母さんを診てあげて」
俺はまた。
基之は、しかし、立ち上がること叶わない内に、浅菜は、マンションの外へと連れ出され、彼女を連行する軍人が乗ってきていた車に押し込められて、走り去ってしまうのだった。
「また...守れなかった..」
額に生暖かいモノを感じながら、基之は拳を、爪が手の甲を突き破るのではという程に深く握り締め、歯を食い縛る。
だが、即座に思い出す。
「母さん..」
彼女の身体には胸の辺りからどんどんと赤黒い染みが広がっていっていた。
「くそっ!くそっ!」
まだ殴られた衝撃で朦朧とする意識の中、彼は自身の服を脱ぎ、母の胸に押し当てた。
力をどれだけ込めても、赤い池が、染みが、拡大を止めることはない。
「何で..何で..」
「..ごめんねえ。基之。浅菜..」
最早、耳をそばだてても聞き取りにくい程の掠れた、小さな声で漏れる母の声。
だが、基之は、どんどんと酷くなる頭の痛みと、歪む視界の中で、確かに声を捉えていた。
「ごめんなさい...守れなくて...
「母さん?」
倒れる母の姿は、一見、数秒前と変わらない。
だが、基之には、彼女に触れていた彼には分かった。
彼女から、一切の力の抜けたことに。
「ダメだ。母さん。待って..ダメだ!」
傷口を抑えながら、混乱と、困惑と、迫りくる絶望の中、どうにか働く理性でもって、呼吸を確認しようと、耳を近付ける。
だが、彼自身も限界だった。
いつの間にか片目を瞑っており、視界が遮られていた。
瞼の上には大量の生暖かい何か。
そして、ユラユラと動く世界。
白んでいく意識。
銃床で思い切り殴られたのだ、気絶していてもおかしくはなかったし、打ち所によっては死んでいただろう。
むしろ、ここまで動けたことが、奇跡と言える。
フラフラと身体を揺らし、数秒後、彼の視界は、意識と共に完全にシャットアウトされるのだった。
同刻。
第三星系総督府 第5指定居住区保安隊本部
「マーカス警部」
「どうした?」
マーカス警部と呼ばれた、まだ青年の残滓を感じさせるものの、年齢も感じさせる初老と呼ぶにはまだ早い男、アーノルド・マーカス大尉は短く刈り上げた黒髪を撫でるような仕草、彼の癖、をしながら振り返った。
マーカス警部に声をかけたのは、まだ入って一年程度の新人、此方は少年らしさを残している、グエン・バン・ライン兵長である。
「先日の路地裏で我が軍二名の遺体が発見された件ですが」
「ああ、あれか。どうした?」
「例の映像、何故捜査資料にお加えにならないのですか」
グエンの言う例の映像とは、先日保安隊本部に、差出人不明で送られてきた、遺体となった軍人二名が、女性をレイプしていたことが確認された映像のことである。
「扉を閉めろ」
マーカスはグエンに、個別オフィスの扉を閉めるよう命じ、自身はデスクの引き出しの一つを開けて中に設置されている録音機のスイッチを捻った。
警部以上は、一日に15分、申請すれば1時間までスイッチをオフにすることが認められているのだ。
そうしてから扉の閉まっているのを確認し、マーカスは口を開いた。
「必要ない。女性があの二人にレイプされていたことは、付近の表通りのカメラや証言による、二人が女性を連れて路地裏に行ったことなどの状況証拠や、遺留物からも明らかだからだ」
「ですが、あの映像には映像の主が彼らに暴行を加える瞬間も写っております!」
「軍人だとは気付かなかったと言っていたじゃあないか」
「彼らは死んでいるんですよ!あの映像の主に殺されたと考えるのが妥当です!」
グエンが語気を強めるが、マーカスは対照的に一切表情に変化を見せない。
「殺したという証拠はない。それに現状、襲われていた女性が正当防衛で抵抗し、結果二人は足を滑らせたか何かで打ち所悪く死んだ、と捉えるのが一番良い」
「二人がコンクリートブロックに仲良く頭を打ち付けたと?!そんなことあり得ません!不自然じゃないですか!」
「誰が一番自然だと言った?一番、"良い"と言ったんだ」
マーカスの言葉に、グエンは訝しげに首を曲げた。
その部下の様子に、マーカスは溜め息を付き、まだまだ青い部下へと向き直った。
「いいか?あの映像は確かに、犯人の手がかりになるだろう。あんな現場が事故死等と本気で信じる奴はいない」
「では!」
「あの映像を証拠とした場合、何が起きると思う?」
「は?」
話が全く呑み込めない、とグエンは素面で声を発した。
「あれを証拠とした場合、広く軍内に映像が共有されることになる。一応、起源国軍人が殺害されたということになるからな。
だが、それはつまり"平等派"にもこの映像を知られるということだ」
平等派の存在はグエンも知っていた。
軍や政府内部で名誉起源民と起源民の扱いを平等にすべきと主張する勢力のことである。
「それが何か..」
「奴等はこれを格好の材料とするだろう。この悲劇の根本の原因は差別的な政策にあるのだ、と」
実際、その通りだしな。とマーカスは苦笑する。
「もし平等に扱っていれば、映像の主も殺害なんて凶行に走らず、通報すればすんだ話だ。
そも、まずもってレイプなど起きなかったかもしれん」
確かにそうだ。とグエンは頷いた。
だが、だからといって証拠の無視に納得出来たわけではない。
「ですが、それならば強姦事件だって平等派の主張材料足り得る筈です!そうであるならば、我々は真相を明らかにするべきではありませんか?!」
「もし、平等派の主張通りなら強姦事件は起きなかったなも知れないとは言った。が、しかし、それだけでは彼らの主張材料としては足りない」
グエンはマーカスの言葉に首をかしげる。
「歴史を紐解けば、人権だの平等だの主張していた軍隊でもレイプ事件は多く発生している。つまり、どんな軍隊でも起こり得ることなんだ。
だから、レイプそれ単体では主張材料としては弱くなるのだ」
「だからといって、証拠を見逃す理由には..」
なおもグエンは首肯できないといった様子であり、マーカスはそれを認めると小さく溜め息を付いた。
「保安隊、いや起源軍全体か、は警察権力も有しているが、地球本星にある通常警察とは異なり極めて政治的な存在だ」
言いながらマーカスは、チラリと天井の方を見上げた。
「上階におられる我等がボス殿は、"平等派"がお嫌いでね。
奴等に餌を与えるような真似をすれば、キラウエア火山のごとき噴火をなさるだろう。
当然、我等には太陽の動きを眺める役職が保障されることになる」
「なっ...だから、この映像を見逃すと?」
「そういうことだ。...グエン君。何故、この映像が送られてきたと思う?」
「...分かりません」
グエンは質問の意図を含め、分からないと表情に出しながら首を振る。
そしてマーカスは、仕方ない、と肩をすくめて、推測も含むが、と前置きしてから口を開いた。
「もし、この映像が平等派に渡れば、犯人捜しよりも、彼らの主張を正当化するために用いられただろう。
犯人はこの不当な状況で出来得ることをしただけなのだから、とか何とか言うだろうし、そうこうしている間に、この件は有耶無耶になったに違いない。
少なくとも、捜査に尽力出来る程、静かな環境は得られなかっただろう」
そして、と自嘲気味にマーカスは笑った。
「平等派でない者にこうして渡っても、奴等に知られんように揉み消す。
実に我等の政治状況をよく理解している。
映像の主の政治センスも、名誉起源民にしては素晴らしいものだ」
「しかし..」
やはり、納得はいかない、という顔のグエン。
「納得いかんか。もしや君は平等派なのかね?」
「いえ、私はただ..」
「まあ部下の政治信条も、職務に対する理念でも否定はしない。だがな」
マーカスは、机に肘を置き、手を組んだ。
「肩書きもない一般兵の一人や二人が消えた位、直ぐに忘れることが出来なければ出世はおろか、この先やっていくのも厳しいぞ」
マーカスのその言葉には、先程までのどれよりも実感が籠っており、心からの言葉とグエンも感じることが出来た。
「警部も、昔は..」
「さっ。話は終わりだ。職務に戻りたまえ」
誤魔化すようにマーカスは手を振り、出ていくようグエンに促す。
「はっ...お時間取らせてしまい、申し訳ありませんでした。失礼致します」
「まあ、余り考えすぎないことだ」
そう言い終えると、マーカスは開けっ放しにしてあった引き出しの中に鎮座する録音機を再びオンにし、そのまま引き出しを閉めるのだった。
翌日、浅菜が連行されてから10時間程経過した頃。
某所。
「ん..」
基之は、気付くと見知らぬ天井をぼやける視界で捉えていた。
Tips
指定居住区の形式上におけるトップは名誉起源民によって構成される指定居住区住民評議会という組織だが、実際上は治安組織である保安隊、その責任者が事実上、指定居住区の首魁である。