代星-我らが母国はいかにして勝利したか、あるいは我らの祖国はいかにして滅びたか- 作:ライト鯖
「ここは..」
見知らぬ天井を目にし、ぼんやりと呟いた基之は、数秒経って、自分がベッドに寝ていることに気が付いた。
「一体...」
ズキンと痛む頭を抑えながら上体を起こし、辺りを見渡すが、場所を掴む手がかりになりそうなモノは全くなかった。
設備は少なく、壁も打ち放しのコンクリートであるため、病院ではなさそうだが、それが余計にこの場所の不明瞭さを増させていた。
「起きたわね」
そんな不安に包まれている基之をまるで見ていたかのようなタイミングで、丁度、基之には見覚えのある顔がトレーにコップを載せて部屋へと入ってきた。
「..
「お久しぶり..って程でもないけど。頭、痛んでない?」
「まだ、ちょっと頭痛が..」
「そ。まあ無理しないで大人しくしときな。水、置いとくわよ」
ベッドの傍らにあるラックにコップを置き、明子はその側にある椅子に腰かける。
「あの、俺は一体..」
「頭殴られて記憶が混濁してるのかな。覚えてない?何があったか。何をされたか」
「殴られ..?」
「貴方が倒れてるとこを見つけたの。それと..貴方のお母様と..」
瞬間、基之の脳に電撃のような痛みが走り、それが幾つかの記憶を引き連れてきた。
「母さん...そうだ..俺は..!」
頭を抑え、踞るようにして呻き苦しむ。
思い出したのだ。何が起きたのかを、全て。
「姉ちゃん...母さん..」
呼吸の荒くなる基之を落ち着けるように、明子はそっと手を添える。
「また、俺は何も出来なかった...また...!」
慟哭する基之に、明子は追い討ちかけることになるだろう事実を伝えねばならないため、苦渋を浮かべていた。
「基之さん...言いにくいのだけど..お母様は私達が見つけた時..」
「母さんはここにいるんですか?!」
明子の言葉を遮り、基之は彼女の肩を掴み、叫ぶように尋ねた。
「え、ええ..隣の部屋に、でも..」
基之は部屋を飛び出し、左側は突き当たりであったため、右隣の扉を開け放ち、中へと滑り込んだ。、
「母さ...」
そこには、確かに優菜がいた。
白い布をが顔にかけられていたが、基之には直ぐに分かった。
しかし、同時に悟ることになってもいた。
「母さん...」
「私達が見つけたとき、既に手遅れだったの..」
背後から追い付いてきた明子の声が基之の耳に響く。
「あ...ああ..」
基之は、否応なく突き付けられる眼前の現実によって、記憶を次々と取り戻していた。
どんどんと広がっていく血の海。
力の抜けた、優奈の手。
全てが、詳細に。
「なんで...」
現実を受け入れたくないとばかりに、彼は優奈だったモノの手を取る。
「母さん...やだよ...俺、何も返せてないのに...」
顔にかけられた布を取り、基之は、母の顔を目に焼き付ける。
安らかな、寝ているような、顔だった。
「.....」
暫く、基之はただ静かに優奈の顔を見つめていた。
そうして、数十分は経過した頃、最後に優菜に小さく囁くように、彼は誓った。
「必ず、姉ちゃんを見つけ出してみせるから、待っててね」、と。
それから基之はくるりと彼を静かに見守っていた明子に振り返り、頭を下げた。
「助けてくれてありがとうございます」
「...お礼は要らないわ。間に合わなかったもの」
「それでも、母さんを綺麗にしてくれたのは...」
ぐっと堪えるように俯く基之を、明子は、申し訳なさそうな、悔しそうな顔で見つめていた。
「貴方がいなければ、俺も死んでた」
「...無理しないで。こんな時に我慢するのは良くないわよ」
泣きもせず、ただ静かに礼を伝えてくる基之を、明子はそう気遣う。
「良いんです。泣くのは、まだ、先です」
そして、基之はもう一度頭を下げた。
「姉が連れていかれました。助けたいんです。どうか、協力して頂けませんか」
基之は、母が命を賭して守ろうとした、自身に取っても大切な、姉、浅菜を助けなくては、と優菜の死を受け止めながら、その想いを固めていたのだ。
泣くのは、浅菜を取り戻してからだ。
基之は、心に楔を打ち込み、自らを奮い立たせていた。
「..私が、いえ、私達が何者か分かっているのでしょう?」
「はい。だから、お願いしています」
「そ。...でも、その話は、隊長にして貰う必要があるわ」
言いながら明子は、仕草で着いてくるよう促し、部屋を出でた。
そして、廊下の突き当たりを曲がり、暫く進んでいき、他より一際重厚な扉の前に立つと、ノックをした。
「どうぞ」
中から許可の声が聞こえると、明子は扉を開け、後ろに着いてきていた基之も招き入れた。
「
どうやら、基之のことは把握しているらしい。
「お母様のことは、残念だったな」
「はい。...助けて頂き、ありがとうございます」
「君らのことに関しては、明子が担当してる。礼ならそっちに言ってくれ」
基之は、少し驚き明子の顔を見た。
何せ以前あった時はしきりに義務だから、成すべきことだからと言っていたのだから。
明子本人が主導していたことは、小さな驚きだったのだ。
当の明子は、表情をピクリとも動かさず、何でもないことのように基之と一瞬視線を合わせるのみだった。
「それで、何か用があるのかね?君のお母様の遺体なら心配ない。此方で埋葬までするさ」
「それは、大変ありがたいのですが、そうではないのです」
「ほう?」
「姉ちゃ..私は、姉を助けたいんです」
「聞いている。職業訓練所に連れていかれたそうだな」
「はい。でも、私には力も、情報もありません。だから、何か情報があればそれだけでも教えて頂きたいのです」
深く頭を下げる基之に、明子が隊長と紹介した、まだ青年の気配が残りつつも、どこかくたびれた様子の男は小さく尋ねる。
「情報だけで良いのかね?」
「っ...可能なら、ご助力頂きたいです」
浅菜を軍人から助け出し、処理したと言いながら捕まっていない浅菜。
監視の目が至る所にあるはずのゲットーでこれだけの、先ほどまでに歩いてきた廊下からだけでも下手な中小企業の社屋よりも広いと分かる拠点を有する起源国に反抗する組織。
かなりの力を有していると察するに充分過ぎるほどである。
そしてそれは何も持たない基之に取っては、助力がどうしても欲しい力だった。
「確かに、起源国に辱しめられ、あまつさえ連れ去られた女性は、我々としても助けたいという感情はある。だが、しかし、我々とてそう気軽にリスクを負うことは出来んのだ。
人がゲットーから一人二人消える位ならともかく、起源国の施設に侵入するとなると、レベルが違う」
「はい..」
それは、基之も重々承知していた。
「私達に、ノーリターンで力を貸せ、というのは虫が良すぎると思わんかね?」
「...」
尤もだと基之は拳を握る。
だが、今の彼に差し出せるモノなど何もない。
たった一つを除いて。
基之は、覚悟を決め、そして、この差し出すモノで納得してくれるようにと希望を託し、顔を上げた。
「俺の身体を、命を差し上げます。仲間、いや、部下に、手駒にして貰って構いません」
「我々の組織に入るのかね?」
「はい。それしか、私には差し出せるものがありません」
ふむ。と隊長は値踏みするように基之を眺めだす。
すると、基之の隣にいた明子が、溜め息を付き、呆れたように口を開いた。
「傷心の人に意地悪は止めてあげてください。隊長。どうせ助けに行く予定なんですから」
明子の言葉に、基之は驚き、目を見張った。
そんな様子を気に止めることなく、隊長は笑った。
「すまんすまん。だが、重要なことさ。彼の覚悟を見るためにね」
「えっと...」
困惑する基之に、明子が向き直り、説明を始める。
「元々ね、貴方のお姉さんを保護するために、今日は伺ったの。ウチは優秀なカウンセラーもいるし、精神科医もセラピストも紹介出来るから。...一足遅かったけれど」
何故、丁度彼女が助けてくれたのか、基之は合点がいった。
「準備に時間がかかっちゃってね。まさかあそこまでスピーディーに人を蹂躙するとは思わなかったわ」
苦々しげに言う明子の口調からは、強い怒りと憤りが感じられた。
「じゃあ...」
「ええ。お姉さんの居場所に関しては今調べて貰ってるわ。まあ多分ゲットー北部の訓練所だろうけど」
「でも、どうして..」
基之が頼む間でもなく、浅菜を救出しようとしてくれていた、その事実は嬉しいものだったが、理由は思い当たらなかった。
「起源国に虐げられていた者を救い出した、と噂が流れてくれれば、我々への支持が増す。勢力拡大には、こういう活動も必要だからさ。普段、多くに自警団の真似事をさせてるのも、同じ理由だ」
これは隊長が説明をした。
そして、ついでに彼は、だが、と付け足す。
「吐いた唾は飲み込むなよ?人手は欲しいからな。協力して貰う」
先程の、自身の命を差し出すといった基之の言葉を指して言うのだった。
「はい。姉ちゃんを助けてくれるというのであれば、喜んで」
「よし!ならばよろしく頼むよ。日野基之くん。ようこそ、"
「コードネーム、ですか..?」
「ああ。本名だと都合が悪いからな。大概皆コードネームを名乗っている。コードネームといっても、簡単なモノだけどね」
「なるほど。よろしくお願い致します」
「君の姉の居場所に関する情報を集めてる奴が奥の部屋にいるはずだから、聞いてくると良い」
基之の礼に頷き返し、勝敏はそう案内をする。
「分かりました。色々とありがとうございます」
「案内するわ」
明子が再び先導し、廊下を進む。
「あの..
道中、基之は明子にそう尋ねた。
「ん?ああ。そうだよ。私の本名は
でも、服装とメガネの有無とか髪型が違えば、名前はその程度の誤魔化しでも案外バレないものなのよ」
「俺もコードネーム、使った方が?」
「そうね。ま、状況次第かしら。ああ、それと、敬語はいらないわ。何だかやりにくいし」
「いや、でも...年上、ですよね」
「その私が良いって言ってるんだから気にしないで」
「いや...でも恩人でもありますし」
基之とすれば、一度姉を救ってくれたばかりか、自身の命をも救ってくれた恩人なのだ。
そう、気安く接するのも難しい。
「気にしなくて良いって前も言ったでしょ」
私にとって、と明子は基之を真っ直ぐに見る。
「あれは、復讐でもあったから」
その燃えるような怒りの内包された目に、基之は一瞬たじろいでしまう。
「隊長の言っていた理由だけじゃないのよ。貴方やお姉さんを助けるの。
...ただただ、怒っているの。私達は。
憎んでいるの。私達から全てを奪う、奪った、起源国を」
だから、感謝の必要はない、と彼女は話を締めくくった。
「...さ、着いたわ」
「ありがとうござ...ありがとう」
「そ。それで良いの。同じ新入りなんだから」
そう言って明子は、基之に笑みを向け、部屋の奥にいる人物へと駆け寄った。
「彼は、
「よろしく。基之くんだね。話は聞いてるよ」
情報管理者という肩書きから想像される見た目とは真反対の、筋骨隆々といったゴツく、若い男が立ち上がり、基之に握手を求めてきた。
「日野基之です。よろしくお願い致します」
「ああ。しかし、早速ですまないがね。悪いニュースを伝えねばならない」
「....何でしょう」
一瞬にして、悪い想像が頭を駆け巡り、基之の精神を圧迫する。
「君のお姉さんね。この"雅緂ゲットー"の訓練所には来ていないらしいんだ」
基之は、その言葉の意味を掴みかねた。
だが、嫌な予感だけはしていた。
「えっと..」
「こっちのゲットーの訓練所には充分な労働力があるって場合、新規の人間は他ゲットーの空きがあるところに連れてかれるんだよ。
ゲットーはただでさえ失業率が高いからね」
「じゃあ、姉ちゃんはこのゲットーにはいないってことですか?!」
「そうなる。他ゲットーの支部連中にも連絡して調べて貰うが、こうなると一月位は最悪かかるかもしれないんだ。何せ何処に運ばれたなんて知りようがないからね..」
「そんな...一月なんて...」
基之は、何か、希望が崩れるような感覚を感じていた。
今の浅菜に、収容所に近い環境を一月も耐えられるとは思えなかったのだ。
ただ生活しているだけでも苦しそうだったのに、その上だ。
「姉ちゃん...」
「基之さん。貴方が諦めてしまったらどうにもならないわよ。お母さんに、約束してたでしょう」
「...っ...」
基之は、唇を噛みしめ、拳を震わせていた。
そして、何かを呑み込むように目を瞑ると、パッと顔を上げた。
「そうですね。秋久さん。どうか、よろしくお願いします」
「ああ。二週間で見つけれるよう、全力を尽くす」
秋久はそう言って基之の頭をポンポンと二度叩き、職務へと戻っていった。
その後、彼は寝泊まりする部屋へと案内された。
「貴方の家、戻らない方が良いからね。私らが運ぶとこはバッチリ撮られてるだろうし。
だけど安心して、撮られたついでに色々荷物は回収してきたから。お姉さんの分も」
部屋に入るなり明子はそう言い、クローゼットのような場所を開け放った。
そこには、彼女の言葉通り、服や、幾冊かの本、貴重品だったりが袋や段ボールに詰められて置かれていた。
「どうして、ここまで...」
「言ったでしょ。起源国が嫌いだからね。少しでも煩わせてやりたいの」
その言葉に嘘はないように思えた。
しかし、基之はその中にある優しさも、確かに感じていた。
「優しいですね」
思わず口を付いて出る。
「ハハッ。まさか。目的のために使えるからってだけだよ」
明子はそう少し照れたのかわざとらしく笑い飛ばすのだった。
「ま、明日からビシバシ働いて貰うからね」
「はい。頑張ります!」
基之は、先程から脳裏を掠める最悪の想像を振り払う為に、空元気でそう、応えるのだった。
Tips
名前とコードネームについて
惑星ハヤブサにおいては名前の読み方が複数種類ある。
朝鮮系と日本系の違いだ。
移住に際して、韓国の側は廃れていたものの、一応共通文字として存在した漢字が言語表記に用いられることが決まった。
この際、名前に関しては他の単語と異なり、両者の読みが残されたため、韓国語読みをする場合と日本語読みをする場合がある。
鷹鸇におけるコードネームは自分で勝手に決めて報告して良い為、全く本名と異なる場合も多いが、拘りのない者達はどうせ追われる身になることは変わりないのだから、と読みだけ変えている。
文字さえ見られなければ同じ名前とは殆どの起源軍は気付かないし、気付いたとて読みを変えているだけの者と同じ名前の市民は大勢いる為、事足りるのだ。