代星-我らが母国はいかにして勝利したか、あるいは我らの祖国はいかにして滅びたか- 作:ライト鯖
「もう大丈夫よ。今日からここが、貴方のお家」
鮮明に残る記憶。
それ以前の、曖昧な世界を塗り潰した、白い、世界。
「家…」
「ええ。貴方を立派な大人に育てるためのね」
優しい声。優しい笑顔。
そして──。
「君は素晴らしい結果を残した。申し分がない」
立派に育った先に待っていたのは、虚無だった。
統一暦244年(西暦2694年)3月28日
第十星系総督府 (旧ルーシ・ミール)
首府 ネオ・モスコー 第三名誉居住区
「聞いたか?」
薄暗く、埃っぽい半地下の室内で、幾人かの男女が声を潜めながら囁きあう。
「ああ。奴がまた勲章を受けるんだってね」
「そうだ。我々の同志が奴に殺され、そして奴は表彰される」
「忌々しいことだ」
「だが、我々とて、彼等の死を無駄にはしない。そうだろ?」
「うん。これを見て欲しい」
リーダー格の男に促され、別な男が机上に資料を広げる。
「これは?」
「奴が叙勲される会場の見取り図だ。
狙撃ポイントも幾つか見繕っている」
「よくこんなの手に入れられたね」
「エフセイグラードの同志達がやってくれたんだよ」
「ヴラドレン達か。さすがだな」
彼等は標的の写るニュース写真を睨みつける。
「今や奴は起源国の下級将校。良きプロパガンダの材料でもある。
狙うには十分な相手だ」
皆が頷くのを見て、リーダー格の男、レオニートも頷き、口を開くのだった。
「我々は青木祐輔を殺す」
"青木祐輔"は、自由合衆国解放、起源国にとっては第十二星系総督府の失陥のゴタゴタの中で平等派に連れ去られるような形で、第十星系総督府へと着任していたのだ。
そして、下級将校という身分。
名誉起源民として最も出世した男でもある彼は、絶好の起源国の宣伝材料だ。
更に、ルーシ・ミールのみならず、であるが、青木祐輔は今や、名誉起源民出身者でありながら、最も多くの名誉起源民を殺害した裏切り者として恨まれてもいるのである。
─ネオ・モスコー起源国軍駐屯司令部─
"青木祐輔"は殺風景な司令部のガランとした食堂でコーヒーの注がれた紙コップを手に、殺風景な窓外を何をするでもなく眺めていた。
灰色の街。
この街、いや、この総督府は、起源国がそうしたのではない。起源国によって塗り潰され、色を失った世界などではなく、元から、色がなかったのだ。
ルーシ・ミール。
かつてロシアと呼ばれた大国の成れの果て。
宇宙に出て、この星に辿り着いてすぐは、彼等にも自由闊達な世界があった。
しかし、やがて宇宙に逃れたオリガルヒによって惑星の富は軍事力と共に握られていく。
ルーシ・ミールは2度、政府を変えている。
最初は、オリガルヒの連合が惑星を握った時。
企業国家とでも呼ぶべき、しかし、テクノクラートとはほど遠い、幼稚な資本主義と貴族主義のアマルガム。
民間軍事会社が市民を弾圧し、財閥運営の私塾が人々に教育を施し、人材派遣会社という名の実際的な官僚機構が人々の職を決定していた。
しかし、それに対する反旗が翻され、ルーシ・ミールのオリガルヒ打倒を掲げた勢力が武装蜂起し、泥沼の果てに惑星を制した。
その結果現出したのは、民主政府ではなかった。
富裕層による寡頭政治に対する反動。
それに伴うコミュニズムもどきの集産主義。
富の平等は掲げられないままに国家があらゆる財を所有し、市民に"分配"する世界。
彼等はオリガルヒの宮殿を破壊し、そこに"分配"する為の、殺風景な、灰色の、コンクリートそのままなビルディングを林立させた。
それが今の、第十星系総督府の景色の所以なのである。
総督府の中枢は、集産主義体制の頭目達が自らの為に残したオリガルヒの宮殿に設置されている。
皮肉な事に、自らだけは特別な地位にあると言わんばかりに私欲を貪った特権階級によって残されたそれだけが、ネオ・モスコーに色をもたらしていたのだ。
つまりは、青木祐輔の視点からは単なる灰色。
しかし、彼にとっては、焼き付いた"家"の記憶よりも、余程安心を齎してくれるものであった。
彼の人生に近しい故に。
彼は、"青木祐輔"以外の名を、今は持たない。
前の名は確か、"グエン・ズン"某かであった。
その前はもう覚えてもいない。
彼には、彼自身を定義付ける名前が何処にもないのだ。
十数年前に、孤児として政府に拾われた時から、ずっと。
「成績良好。素行も申し分なし。素晴らしいわね。"■■■■"」
"起源国政府管轄児No.44369-A"
唯一彼の存在を証明する番号。
当然、孤児院という体裁をとる施設において、この名で呼ばれることはなく、別途、ニックネームが与えられる。
だが、かつての名前は名乗ることを許されない。
起源国が拾う以前の記憶など、邪魔にしかならないのだ。
辛い記憶を思い起こさせないように、という美辞麗句でもって、過去を塗り潰す。
そして、"使える"子供の場合、更に"未来"が塗りつぶされる。
「忠誠度スコアも高得点。決まりだな。君、我々と共に来たまえ。起源国に恩義を返すチャンスだぞ」
彼は、撤退的な教育を受けた。
愛国心を醸成する教育は無論のこと。話術。格闘術。潜入術。物理学、化学、軍事学、その他種種の学問。相手の所作を真似し、トレースする技術。
あらゆる局面に対応し、あらゆるパーソナリティを演じられるようにチューニングされていった。
そして、最後に彼は、"顔"と"声"を奪われた。
目覚めた時、彼の顔はその前日まで情報を与えられ、その人生を記憶していた、とある軍人となっていたのだ。
声は声帯を弄るのではなく、変声機が埋め込まれる形ではあったが、オリジナルの声は出せないようにされていた。
彼、■■■・■■■、若しくは"■■■■"という個はその瞬間に消え去ったのだ。
残ったのは"起源国政府管轄児No.44369-A"というナンバリングのみ。
そして、それすらも基本的に意味のない記号となる。
彼は、それから2年間にわたって"スペンサー・ハワード"という顔に合った軍人の名で呼称されることになったからである。
その後、何度名前と顔を変えたか分からない。
今、起源国軍人として振る舞っているが、軍人が何回めなのかすらも定かではない。
彼にとっては、最早考えるだけ無駄なこと。
明日を生きるために、言われた通りのパーソナリティを演じる。
必要のあらば、何年でも。
それ以上でも、以下でもない。
日々の仕事であり、日常の動作。
空になった紙コップをくしゃりと握り潰し、彼は、"青木祐輔"は、ゆっくりと立ち上がり、紙コップを捨てる。
そうしてデバイスを起動し、ホロスクリーンに写し出した原稿に目を通す。
"平等派"の用意してくれた原稿。
"青木祐輔"が勲章を受け取るにあたって、与えられる発言の機会。
彼は"平等派"が、そして、純朴なるプロパガンダの徒達が望むような発言をせねばならない。
"彼"自身は生涯受け取ることのないであろう、金箔の虚飾の為に。
"青木祐輔"は随分と苦労していたのだろうな。
心中で彼は、かつての青木祐輔に同情の籠ったシニカルな笑みを浮かべていた。
「私は、逃亡者のような恥ずべき利己主義に染まった人間ではなく、人類の為に、あまねく社会の成員達の為になるべく、尽力する次第であります。
私は、私達名誉起源民からの出身者達は、名誉起源民の良き手本となれるよう、絶えず努力を続けなくてはなりません」
下らない。
毒づきながらも、自らの明日、未来という名の定まったルートを手に入れる為には忠実であらねばならない。
だから、彼は明日も、平等派に都合の良い"青木祐輔"であり続けるのだ。
統一暦244年(西暦2694年)4月2日
第十星系総督府 (旧ルーシ・ミール)
首府 ネオ・モスコー 総督府執政宮
「で?つまるところ、レジスタンスが青木祐輔狙ってるっちゅー話やろ?」
「はい。…現状の警備ではいささか、不安が残ります」
「そりゃ増員は道理やね。せやけど、まず考えるべきはレジスタンスの殲滅やない?まだ式典までは数日の時間があるわけやし。
敵さんのボロを探して壊滅、それが理想。
何もダラダラ敵さん待ったる必要もないんやから」
第十星系総督府の総督、アンドリュー・ジャクソンは、非地球出身者から出た唯一の局長級以上への就任者である。
プロキシマ・ケンタウリ弁務官区のような実質的な植民地出身でもない。
海王星の衛星に設置されたコロニー出身者なのだ。
起源国にとっては地球以外の太陽系惑星も、所詮は資源収集の為の土地に過ぎず、あからさまな差別は存在しないが、地方蔑視のような意識がある。
無論、出世が阻まれるわけではない。
だが、金銭的に余裕のない世帯が多く、平均所得が低い。
それが故にエリートが生まれにくい。
そうした放置されている構造的な歪。
長らく放置されているせいで、言葉も方言が生まれるほどになっていた。
しかし、そんな中でもジャクソンはここまで登りついたのである。
「現在、保安隊を動員しての調査を行なっております」
「…期待しとるわ。青木祐輔は大事なゲストやからね。万一のないようにせんと」
言葉遣い故に、小馬鹿にされていた時期もあったが、彼はその能力で信頼を獲得し、総督府における彼の地盤は確固たるものであった。
報告に来ていた保安隊の首府司令もジャクソンへ敬意を抱いており、彼の言葉の正しさを認めると、丁寧に敬礼を行い、諒解を示すのであった。
首府 ネオ・モスコー 第三名誉居住区
「無論、同時に登壇する総督も狙うべきだろう。二兎を追うものは、という格言もあるが、我々は二兎を捕らえねばならない立場だ。
弱者は時に、賭けに出ねば、何もなせないことがある」
レジスタンス達は青木祐輔襲撃に合わせて、同時に総督府の機能を停止させるべく、総督を殺害する。
主従。何方に比率を置いているか、どちらのターゲットを重視しているかは、個々の思考と思想によって異なるが、何れにせよ、ルーシ独立の為には総督の排除も必須。
両者が一堂に会する機会を、無駄にする理由もない。
「計画は頭に入っているな?」
最後の確認。
メンバー達は神妙に肯定し、彼等はアジトを去る。
そして、決行の日までの数日を、其々の準備と、潜伏に費やしていた。
3日後。
統一暦244年(西暦2694年)4月5日
ネオ・ルーシの総督府から少し離れた場所にある演説会場は元々古代建築が趣味なオリガルヒによって建てられた、古代ギリシャを意識しているのだろう作りの、巨大建造物。
元は後ろ暗い者達によるオークション会場であったものを、起源国は改修して、演説会場としたのだ。
その、古代を模した会場に、現代科学の一つ、ホロスクリーンが映し出され、"叙勲式"の文字が会場に躍る。
続いて、マイクを通して司会の明瞭な声が響きたわたるのであった。
『"青木祐輔"大尉を始め、三名の勇猛なる起源国軍人たちに、最大限の賛辞を送ることこそが今集会の意義であります』
『さあ、皆々様、お待たせしました。
彼こそが、青木祐輔!我々起源民と共に不逞の輩と戦う、我々の友であり、頼りになる軍人であります!』
紹介と共に照明に照らされて、青木祐輔は壇上においてわざとらしい拍手に包まれる。
その拍手の雨の中、総督、ジョンソンも壇上の中央へと立ち、人々に笑顔を振りまく。
それと同時に、まるで測っていたかのようなタイミングで、聴衆の自然発生的、に見えるシュプレヒコールへ「総督万歳!」が加わるのだった。
『さて…んんっ。青木祐輔大尉殿』
壇上で青木祐輔と向かい合ったジョンソンは小さく咳払いをしてから、勲章と賞状を手に持つ。
『…逃亡主義に毒された敵対者の多くを確保し、拠点の一つを制圧するに、貢献大なるを認め、貴官、青木祐輔大尉殿へ、"統一守護章勲二等"を授けるものである』
青木祐輔はぴっしりと整えられた、非の打ち所がない敬礼でもって礼を伝え、賞状を受け取る。
そして、総督によって彼の右胸に新たな勲章が並ぶ。
勲章の数だけで言えば、自らの権力に僅かでも権威を与えようと自分で自分に叙勲をしている下手な独裁者のように右胸をジャラジャラとさせていた。
彼は、聴衆に向けても敬礼をし、チラリとジョンソン総督を伺う。
ジョンソンが頷いたのを見、"青木祐輔"は、平等派に用意してもらった既定路線を読み上げようと口を開いたその瞬間だった──。
乾いた金属音が辺りに連続して響き渡る。
それと同時に、青木祐輔が聴衆に向き合う演壇の縁が破片を飛ばしながら欠け落ちていた。
「そ、狙撃だ──!」
誰が叫んだのか。
その次の瞬間には、聴衆はパニックへ陥り、総督、或いは総督府はパニックの抑制を呼びかけようとするが、そこに再び銃声が飛ぶ。
次なる着弾位置を、青木祐輔以外の人々は始め、全く見当を付けることが出来ていなかったのだ。
しかし、彼は、二発目の銃声の後、彼は気づいてしまったのだ。
じわり、じわりと広がる血液の赤黒い染みの存在に。
「はっ…?」
"青木祐輔"はそのまま、ぐらり、と、身体から力が抜けるのを感じていた。
「…………」
時を少し遡り、青木祐輔の腹から血液が染み出す前──。
レジスタンスは既に皆が位置についていた。
総督と青木祐輔殺害を必ず成功させるべく。
「出発前に最後のブリーフィングを行うとしよう」
不敵に、しかし、何処か切羽詰まった様相で。
レジスタンスのリーダーは鼓舞するように、笑ってみせるのだった。