独唱曲を歌う 作:お茶
アリアが報われません。それだけです。
シトシトと雨が降っている。窓から見上げた空は心が沈んでしまいそうな曇天で、当分降り止みそうになかった。
何気なく付けていたテレビは梅雨前線の移り変わりを図で表示しており、天気予報士や司会が眉間に皺を寄せて今後の天気について見解を述べていた。
⋯⋯そうだ。今は梅雨の季節なのだと気づく。
梅雨は嫌いだ。何もかも。
普段から手入れを欠かさない自慢の長髪は湿気て毛先がくにゃりと曲がるし、洗濯物だって気を使って干さないと生乾きの匂いが染み付いてしまう。
偏頭痛も絶え間なく続くし、食欲だって湧かない。昨日も口にしたのは乾パン三枚と少しの水だった。
時計に目をやれば既に長針が10の数字を指していた。そういえば、起きてから何も口にしていない。
椅子に深く座り込んで、力無く机にうなだれていた姿勢から上体を起こす。頭がフラフラする。身体も鉛のように重いし、手足に上手く力が入らない。少なくとも、何かを食す気分ではなかった。
テレビは既に天気予報のコーナーが終わって、雑談タイムに差し掛かっていた。話題は食生活について。
最近ブレイクしたのであろう若く小生意気な顔をした芸人は、コンビニ弁当について語っていた。芸能界の大御所として名を馳せている芸人は、老舗の店舗の料理について語っていた。
上っ面だけの気持ちの籠ってない相槌と共に、どちらの話にも料理のイメージ図が差し込まれる。カラフルな色彩がチカチカと映って吐き気を催した為、横にあるリモコンに手を伸ばし電源ボタンを押した。
やはり、食欲が湧かない。
立ち上がりかけていたものの、もう一度椅子に深く座り込んで机に突っ伏した。
とにかく、今は活動する気分ではない。外の天気は私の気持ちを反映するかのように、薄暗く光が見えなかった。
ピロリンと軽快な音がなり、ハッと目が覚める。寝すぎた⋯⋯という分には先程からあまり時間が経っていない。
あいも変わらず激しい偏頭痛を刺激しないよう、ゆっくりと上体を起こしてガラケーを開くと一件のメールが入っていた。
「っ!」
一瞬、アイツからのメールだと思い心が踊る。顔がついついニヤけて、これまでの体の不調なんか吹っ飛んでしまった。
「⋯⋯⋯⋯」
眉尻が下がってため息が漏れる。
そんなことはあるはずがなかった。メールの送信主は、私の友達⋯⋯と言えるかは微妙だが、それでも一定の関係を築いている者だった。
名前をレキ。薄緑でくせ毛のショートカットに、覇気のない目、常に一文字で結ばれている口。そして、捉えようがなく、どことなく不思議な雰囲気を纏っている少女。
彼女から来たメールはとても簡潔で、『今夜そちらの家にお邪魔します』だった。私の許可を取るわけでも無い、何やら確定事項のような意味が含まれたメール。
返信をするのも億劫だったので、それだけ確認するとパタンと画面を閉じた。
「⋯⋯レキが来るのなら、こんな惨めな格好でいちゃいけないわね」
現在私の体を包んでいるものはネグリジェ一枚のみ。同性と言えど、このような格好で出迎えるのも失礼な気がしてならない。
それに彼女が来るということは、彼女一人だけでは手に負えない緊急の案件なのかもしれない。正味、現在の私はFランク武偵と同等の戦力だと思うのだが、まあ悲観論で備えておこう。
雨音以外響かなかった部屋にもようやく生活音が鳴り始めた。
「お久しぶりですアリアさん」
「久しぶりねレキ。もう少し遅い時間に来ると思ってたわ」
時刻は午後六時。未だに雨は止まないが、一日中降っているのだ。既に慣れた。
久しぶり⋯⋯と言っても彼女に会ってない期間は一ヶ月弱ほど。武偵は長期任務、依頼によっては海外出張もあったりするため割と普通のことだ。
「さ、上がって上がって。口に合うかは分からないけど、ビーフシチュー作ったから」
「はい。有難くいただきます。お邪魔いたします」
自分で言うのもなんだが、私は料理が下手だ。バレンタインのチョコになぜか銀紙が混入してしまうくらい。
でも、アイツの為に頑張って練習して、何とか並程度の味になった一品。それがビーフシチューだったが、ついぞアイツがそれを口に運ぶことは無かった。
⋯⋯思い出すのは止めにしよう。
「⋯⋯アリアさん、やつれましたね」
レキと二人きりの食事中、不意にこんなことを言われた。
驚きのあまり、口に運ぶ途中だったスプーンが急に止まってビーフシチューが少しこぼれた。
「そ、そうかしら?たぶん気のせいよ」
左手で髪をときながら適当に取り繕う。バレたくなかった。自己管理すら出来ない武偵に任務が務まるわけがない。しかし、相手は全てを見通しているかのようだった。
「最近、食べていないんですか」
いつも通りの感情の籠っていない、無機質な声。それとは裏腹に彼女の視線は明らかに私を批判していた。冷や汗が垂れる。喉が渇いて上手く言葉が出てこなかった。
「ま、まあ。そうね。たべている、といえば嘘になるわ」
なにせ食欲が湧かないのだから。と心の中の言い訳も添えておく。
彼女に下手な誤魔化しは通用しないし、好きじゃない。今もビーフシチューを皿に盛り付けているが、正直お腹一杯でスプーンを動かす手はとっくに止まっている。
「⋯⋯お身体には気をつけて」
「そんなの言われなくても分かってるわよ」
彼女としても、私のいつにない狼狽ぶりを見て思うところがあったのだろう。何か言いたげな顔をしているが、ビーフシチューと共に身体の中に流し込んでいるように見えた。
「⋯⋯キンジさんのことですが」
「ッッ!!」
これまで無理やり胃袋に詰めていたものが胸に込み上げた。
思わず口に手を当てて、必死に逆流するものをもう一度流し込む。酸っぱくて悲惨な匂いが口内に漂った。
「ッ、ケホッケホッ」
「キンジさんのことですが」
「⋯⋯な、何よ」
思わず向かいに座っているレキを睨みつける。もうその話題に触れるな。と暗に意思表示をするが、彼女はそれを意に介さない様子だった。
「アリアさんが気を負うことじゃないと思います。武偵にはよくある事故なのですから」
あくまでも他人事のように、平然としている態度。
カッと頭に血が昇る音がした。
「何も知らないアンタがっ!!言えることじゃないでしょッッッ!!!!」
私は感情の制御が得意ではない。人にどす黒い憎悪を向けたのは初めてかもしれなかった。
内から漏れ出る負の感情にどう対処すればいいかわからず、目の前に座っている少女の頬を張り叩こうとして⋯⋯寸前で思いとどまった。
「逆鱗に触れたのなら謝罪します。ですが、このままズルズルと引き摺るのもいかがなものかと」
私は寸前で思いとどまった手を再度突き動かした。
華奢で色白の手の平がレキの左頬を捉える。パァンとうるさく甲高い音が響いた。右手がヒリヒリとして、人の肌を叩いた感覚がハッキリしている。
普段なら醜悪な感覚それすらも、今の私には充実感として置きかわっていた。
「⋯⋯」
「shut up!! ふざけんじゃないわよッッッ!!!」
肌を叩いただけなんて、生ぬるい。本当はこめかみに銃弾をぶちこんでやりたかった。
顔を真っ赤にして激昂する私を、レキは相変わらず虚ろな目で見つめている。彼女の左頬は赤く腫れており、裂傷で血が滲んでいる。
私は取り返しのつかないことをしたのだろう。想像したのだろう。しかし、そんなことはどうでもよかった。彼のことを『よくある事故』として済ませたこと、私の抱えている思いを『引き摺る』と表現したこと。
怒りが沸点を超えて限界に達し、脳が灼けるように興奮している。
頭の中は彼女に対する罵詈雑言で埋め尽くされ、暗い感情が渦巻いていたが出てきた言葉はとても簡潔だった。
「出ていって」
「⋯⋯⋯」
雨の音は聞こえず、ただ私の荒い鼻息のみが部屋中に響いていた。