光の軌跡   作:社畜A

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第16話 陰の立役者

船橋競馬場のウイナーズサークルには、まだ興奮冷めやらぬファンの歓声が響いていた。マツリダゴールドとの勝利写真撮影を終えた三上光輝が、インタビューエリアから離れようとしたとき、取材陣の後方に一人の中年男性が立っていた。ツイードのくたびれたジャケットに皺だらけのシャツ。片手には小さなメモ帳、もう片方の手には携帯電話を持ち、何やら早口で話している。

「ああ、もちろん。三上は契約通り来週の東京も騎乗するよ。そうさ、こちらも約束は守る」

三上が近づくと、その男性は電話を切り、にやりと笑った。

「やるじゃないか。『ダート専用機』の面目躍如だな」

桐谷修平——大阪杯の直後、吉野が三上に紹介したフリーランスの競馬ジャーナリストであり、現在は三上の騎乗依頼を仲介する役割を担っていた。元・大手競馬新聞のトラックマンで、業界では知らぬ者のいない存在だった。

「桐谷さん」三上は静かに会釈した。

「松原社長大喜びだぞ。あんな気難しい馬を手なずけるとはね」桐谷は三上の肩を軽く叩き、「さっきのインタビュー、よかったぞ。『ダート専用機って言われてたから』っていう切り返し、うまく決まってた」

三上はわずかに微笑んだ。普段は無表情な彼だが、桐谷の前では時折、素の表情を見せることがあった。

「あれは…冗談のつもりでした」

「冗談でも何でも、あれで視聴者はキュンとくるんだよ。氷の男が自虐ネタを言うんだからな」桐谷は口元を緩めた。「大阪杯から1ヶ月しか経ってないが、俺の読みは当たったな。お前は化け物だよ、三上」

ポケットからタバコを取り出しかけた桐谷だったが、競馬場内であることを思い出して手を止める。代わりに取り出したのは、またもメモ帳だった。

「さて、そろそろスケジュールの話をしよう。次の重賞の宝塚記念までに土日は目一杯の騎乗依頼を詰め込むぞ。今日の勝利でまた10件以上の依頼が来てるが、開催地別に調整しておく」

三上は静かに頷いた。大阪杯での勝利後、吉野が桐谷を紹介してくれたことは、彼にとって大きな転機だった。吉野の言葉が今でも耳に残っている。

「三上くん、これからは桐谷に任せた方がいい。彼は業界の裏も表も知り尽くした男だ。騎手の仲介も長くやっていて、信頼できる。何より、君の才能を本当に評価している」

最初は疑問に思った。なぜ元トラックマンが自分の騎乗を仲介するのか。しかし、桐谷の存在は徐々に大きくなっていった。彼のおかげで、三上は日本競馬界の付き合い方や、メディア対応の基本も学んだ。そして何より、「馬の声を聞く」という彼の能力を真剣に受け止めてくれた数少ない人間の一人だった。

「『Winning Horses』の菅原ちゃんからインタビューの依頼が来てるぞ」桐谷がメモ帳を見ながら言った。「あのお嬢様、最近お前の話題ばかりだな。なんでも◎つけるから『三上推し』って言われてるくらいだ」

三上は前回のインタビューを思い出した。菅原優華—馬術経験者で、馬についての深い知識を持つ元アイドルの女性。彼女との会話は不思議と楽だった。

「まあ、そのインタビューは受けるとして」桐谷は続けた。「問題は次のG1だ。ブルーダイヤモンドで宝塚記念に向かうことは決まってるが、その前にどうするか。松原社長は『マツリダゴールドでもう一戦』と言ってるが、短期免許期間が終わるので今回は無理だな。」

三上が答える前に、桐谷のスマホが鳴った。

「失礼」彼は電話に出た。「ああ、もちろん…わかってる…そうだな…」

彼は三上から少し離れ、何やら熱心に話し続けた。その間、三上は周囲を見回した。かしわ記念を制したばかりなのに、彼の頭の中はすでに次のレースに向かっていた。そして、彼が見つめていたのは厩舎エリア——そこには馬たちがいた。

桐谷が電話を終え、戻ってきた。

「すまない。またオファーだ。どうやら『乗る馬すべてを勝たせる騎手』として評判になってるらしい」桐谷は笑った。

「ところで」桐谷は声のトーンを変えた。「BS11の菅原ちゃんのインタビュー、後でスケジュール調整するけど、お前、あの子と話すとき表情が違うよな」

三上は困惑したように首を傾げた。

「いつもの『氷の男』じゃなくて、ちゃんと受け答えしてるじゃないか。前回のインタビュー、見たぞ」桐谷は意味ありげに笑った。「まあ、いいことだ。菅原ちゃんは馬術の経験もあるし、変なインタビューはしない。それに、お前のことを本当に評価してる。『推しの三上騎手』って言われて赤面してたらしいぞ」

三上はわずかに目を見開いた。

「そんな噂もあるよ」桐谷はどこか楽しそうだった。「それとは別に、新たな話もある。乃花坂46を卒業したばかりの山野みづきって知ってるか?朝ドラに出てた女優だ。彼女が専属モデルを務める『Ray』が「競馬と若い女性」をテーマにした特集を組み、若手騎手として注目を集める三上へのインタビューと撮影がしたいんだとよ。付き合いのある編集長からのお願いだ。」

三上は困ったように眉をひそめた。

「まあ、求められる内が華だよ、頑張んな」桐谷は三上の肩を叩いた。「とりあえず今日は祝杯だ。あんな凶暴なマツリダゴールドを操るなんて、まさにお前にしかできない芸当だった」

三上は静かに頷いた。大阪杯から1ヶ月、彼の周りの環境は激変していた。以前はダートレースで名もなき騎手だった男が、今や日本中の注目を集める存在になっていた。そしてその変化の一端を担ったのが、目の前のくたびれたジャケットの男——桐谷修平だった。

「さて、あっちに戻るか」桐谷がメモ帳をポケットに戻しながら言った。「松原社長が待ってるぞ。それに…」

彼はにやりと笑った。

「どうやら菅原ちゃんも取材に来てるらしい。『推しの騎手』に会いに来たんじゃないか?」

桐谷は陽気に肩を竦めた。「まあ、三上が騎乗依頼に悩むのも、女性に注目されるのも、すべて実力のおかげだ。『ダート専用機』から真の一流騎手になったってことだよ」

桐谷の言葉に、三上はわずかに照れたような表情を見せた。その表情は、かつての「氷の男」からは想像もつかないものだった。

彼らがパドックへ向かって歩き始めると、遠くから女性の声が聞こえてきた。それは菅原優華だった。

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