光の軌跡   作:社畜A

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第17話 まなざしの向こう

「三上さん、こちらです!」

競馬場の喧騒の中、菅原優華の声が響いた。彼女はBS11の取材クルーと共に、パドック近くの特設インタビュースペースで待機していた。カメラマンが機材の最終調整をする中、菅原は自分の姿を小さな手鏡で確認した。前髪がおかしくなっていないか、急に自分の顔が気になっていた。

「大丈夫ですか?」ディレクターの佐藤が尋ねた。

「えっ?あ、はい、大丈夫です」菅原は慌てて鏡をバッグに戻した。「いつも通りで」

「いつも通り、ね」佐藤はニヤリと笑った。「三上さんへのインタビューだけは特別に念入りな準備をしてますね」

「そんなことないですよ」菅原は軽く否定したが、自分の頬が熱くなるのを感じた。確かに三上のインタビューだけは特別だった。馬術経験者として、彼の騎乗に対する理解や洞察を伝えたいという専門家としての情熱。でも、それだけではないことを、彼女自身も感じ始めていた。

三上と桐谷が近づいてくるのが見えた。いつものように無表情な三上と、くたびれたジャケット姿の桐谷。対照的な二人だが、今や競馬界で最も注目されるコンビだった。

「菅原ちゃん、今日もかわいいねぇ」桐谷が声をかけると、菅原は礼儀正しく会釈した。

「桐谷さん、お久しぶりです。今日もよろしくお願いします」

彼女の視線は自然と三上に向いた。レース直後でまだ砂埃の付いたシルク姿の三上は、普段の無表情な顔つきの中にも、どこか異なる輝きを湛えていた。レース後の高揚感だろうか。その目には、通常では見られない鋭さと深みがあった。

「三上さん、かしわ記念優勝おめでとうございます」

「ありがとうございます」

簡潔な返事。しかし菅原の目は、三上の表情の微妙な変化を捉えていた。

「それでは、インタビュー始めさせていただきます」佐藤がカメラを向け、ディレクターがキューを出す。

「『Winning Horses』菅原優華です。本日はかしわ記念を制した三上光輝騎手にお話を伺います」カメラに向かって語りかけた後、菅原は三上に視線を戻した。「三上さん、大阪杯、天皇賞・春に続き、今度はダートG1でも勝利されました。芝とダート、両方のG1を制した感想をお聞かせください」

三上は一瞬考え、静かに口を開いた。

「結果を出せて嬉しいです。やっぱりダートは特別な場所です」

その言葉に菅原は思わず微笑んだ。彼女の頭の中では、短期間でG1三勝という驚異的な記録よりも、三上のその言葉の裏にある本心に興味が湧いていた。

「三上さんはアメリカのクレーミングレースでキャリアを積まれましたが、そこでの経験がダートレースに活きたと感じますか?」

この質問に、三上の目が少し輝いた。菅原はそれを見逃さなかった。

「はい。あの時の経験がすべてです。クレーミングでは様々な馬に乗るため、短時間で馬の性格や特徴を掴まなければなりません。マツリダゴールドのような気性の難しい馬でも、過去に似たタイプを扱った経験があったので...」

三上が馬について語るとき、その表情は柔らかくなる。菅原はそれが好きだった。普段の「氷の男」とは違う、生き生きとした三上の姿。それは馬を愛する者同士の共感として、彼女の心に響いた。

「レース中の判断についてお聞きします」菅原は次の質問に移った。「特に最後の直線、三上さんはマツリダゴールドの首を押し下げるような独特の騎乗をされていました。あれは意識されたものですか?」

三上の目がわずかに見開かれた。純粋な驚きの表情。菅原が騎乗の細部まで観察していたことへの反応だった。

「…よく分かりましたね」

その言葉だけで、菅原の胸が高鳴った。専門家として認められた喜びだけではない。何かもっと個人的な感情だった。

「はい。あの瞬間、馬の後ろ脚の踏み込みに合わせて、首を押し下げる動きが見えました。渾身の追い込みで、まるで一つの生き物のようでした」

三上の瞳が菅原をじっと見つめた。それは単なる視線ではなかった。まるで初めて本当の意味で彼女を「見た」かのような、深い眼差し。

「菅原さんは...馬をよく理解されていますね」

シンプルな言葉だったが、菅原にとってはこれ以上ない褒め言葉だった。頬が熱くなるのを感じたが、プロフェッショナルとして会話を続けた。

「最後に一つ。マツリダゴールドという馬について、どのような印象をお持ちですか?」

この質問に、三上の表情が一層柔らかくなった。

「彼は...本当は繊細な馬です。力が有り余っていて、それをどう使えばいいか自分でもわからない。でも、信頼してくれれば応えてくれる。そういう馬です」

菅原は三上の言葉を聞きながら、ふと気づいた。これは馬の話なのか、それとも三上自身の話なのか。力強さの中にある繊細さ。そして信頼されれば応える誠実さ。それは彼女が三上の中に見出していた特質そのものだった。

「ありがとうございました。これからの活躍も期待しています」

カメラが止まる。オフレコとなった瞬間、桐谷が三上の肩を叩いた。

「いいぞ、三上。菅原ちゃんとの対談は表情が違うな」

三上は何も言わず、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。菅原も照れ隠しに資料を整理し始める。

インタビューが終わり、スタッフが機材を片付け始める中、菅原は勇気を出して三上に近づいた。

「あの、三上さん」彼女の声は少し緊張していた。「失礼かもしれないのですが…馬についての質問をもっとさせていただきたくて…」

三上が静かに視線を向ける。

「公式のインタビューとは別に、個人的に…」菅原はスマートフォンを取り出した。「もしよろしければ、インスタグラムを交換していただけませんか?一般公開はしていない個人アカウントなのですが…」

予想外の申し出に、三上の目が少し見開かれた。

「私、引退馬の支援活動もしていて、その様子をアップしているんです。三上さんにも見ていただけたら…」

説明しながら、自分が何をしているのか、菅原自身も驚いていた。これは純粋に馬の話がしたいという理由だけなのだろうか。

桐谷が意味ありげな眉を上げるのを、菅原は見なかったふりをした。しかし、自分の心の内を完全に無視することはできなかった。

やや戸惑いながらも、三上はスマートフォンを取り出し、QRコードをスキャンした。

「ありがとうございます」菅原の声には自分でも驚くほどの喜びが滲んでいた。

インタビューチームと別れ、三上と桐谷が去っていく後ろ姿を見送りながら、菅原は自分の鼓動が少し速くなっていることに気づいた。それは単なる仕事の高揚感ではなかった。

「佐藤さん、編集はよろしくお願いします」カメラマンに声をかけながら、菅原はスマートフォンを確認した。そこには三上のアカウントが新たに追加されていた。初めての直接的なつながり。

小さな文字に込められた感情の大きさを、彼女はまだ自分自身にも認めていなかった。ただ一つ確かなのは、レース前やレース後の三上の目に宿る力強さに、彼女が単なる「騎手」以上のものを見始めていたということ。その認識が、菅原の心に小さな波紋を広げていた。

 

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