山野みづきは、ノートパソコンのスクリーンを食い入るように見つめていた。表示されていたのは、船橋競馬場でのかしわ記念。特に、ゴール後の無表情な三上光輝の姿にフォーカスされたクローズアップ映像だった。彼女は何度も同じシーンを再生し、その表情を観察していた。
「本当に笑わないんだ…」
マンションのリビングに散らばった資料の山。Ray誌の次号特集「競馬と若い女性」のために、彼女が集めた三上光輝についての記事やインタビュー映像、レース結果、様々なメディアの報道が広がっていた。彼女はスマホで次の映像を再生した。それは大阪杯のレース後インタビューだった。
「今日のレースを振り返っていかがでしたか?」というアナウンサーの質問に、三上は「馬が教えてくれました」と短く答え、それ以上の説明はなかった。どこか遠くを見つめるような鋭い眼光と、感情を感じさせない声のトーン。
「怖い…」山野は思わずつぶやいた。「この人と二人きりで撮影なんてできるのかな…」
芸能界デビュー以来、様々な人と共演してきた山野だったが、三上のような人は初めてだった。アイドル時代、そして女優として活動する中で、彼女は人当たりの良さとコミュニケーション能力で周囲からの信頼を勝ち取ってきた。しかし、この「氷の男」と呼ばれる騎手に対しては、どう接すればいいのかわからなかった。
スマホの画面に戻ると、「クレーミング上がりのダート専用機」というフレーズが目に入る。アメリカの最下層レースから始まり、日本のG1三連勝までの急激な上昇。その経歴の荒々しさが、彼女の不安をさらに強めた。
「こんな人と、どうやって会話するの…」
山野は迷った末、スマホを手に取り、連絡先リストをスクロールした。そこで「菅原優華」の名前を見つけ、少し躊躇したものの、思い切って電話をすることにした。
「もしもし、菅原さん?山野です」
「あら、みづきちゃん!久しぶり。元気にしてる?」
電話の向こうから聞こえる菅原優華の声は、相変わらず落ち着いていて優しかった。山野は小さく息を吐きながら、遠慮がちに切り出した。
「突然ごめんなさい。実は少し相談があって…」
「どうしたの?」
「明後日、ファッション誌Rayの撮影で三上光輝さんと共演することになって…菅原さんは『Winning Horses』で三上さんをよく取材されてますよね?どんな人なのか教えてほしくて」
電話の向こうで、菅原の呼吸が少し止まったように感じた。
「三上さん…と撮影?」菅原の声に、わずかな違和感があった。「どんな企画なの?」
「『競馬と若い女性』という特集で、三上さんが今注目の若手騎手として選ばれたみたいで…」山野は少し恥ずかしそうに言葉を続けた。「正直、YouTubeでインタビュー見たら、怖くて…どう接していいかわからなくて…」
「三上さんは怖くないわよ」菅原の声が少し柔らかくなった。「確かに無口だし、表情も乏しいけど、それは人見知りなだけ。実は馬にはとても優しいの」
「本当ですか?」
「ええ。私も最初は緊張したけど、馬の話をすると表情が変わるの。特に、馬のことを理解しようとする姿勢を見せると、少しずつ心を開いてくれるわ」
山野は菅原の言葉を熱心にメモし始めた。
「ただし」菅原が付け加えた。「最初は無理に話しかけないほうがいいかも。自分のペースを乱されるのが苦手みたいだから」
「なるほど…」山野は納得しながらメモを続けた。「それと、『ダート専用機』っていう呼ばれ方をネットで見たんですけど、これって何なんですか?」
菅原の声がわずかに熱を帯びた。「それは…彼がアメリカでのキャリアを蔑む言葉だったの。でも今は違う。大阪杯、天皇賞、かしわ記念を制して、芝もダートも乗りこなす実力を証明した。彼の原点を表す言葉になったのよ」
菅原の三上への敬意が伝わってきて、山野は少し驚いた。Twitterでの「三上推し」という噂は本当かもしれない、と思った。
「菅原さん、『Winning Horses』での取材、私も拝見しました。とても自然な感じで三上さんから言葉を引き出していて、すごいなと思って…」
「ありがとう」菅原の声に少しの誇らしさが混じる。「馬術をやっていたから、共通の話題があるのよ」
そこで山野は、会話の流れから思わず質問した。「菅原さん、三上さんのこと、どう思ってるんですか?」
電話の向こうで、一瞬の沈黙があった。
「えっ?」菅原の声が少し高くなった。「どういう意味?」
「あ、ごめんなさい」山野は慌てて言い直した。「取材相手としてはどうかなって…」
「そうね…」菅原はゆっくりと答えた。「プロフェッショナルで、誠実で…興味深い人よ」
その言葉の裏に何かを感じ取りながらも、山野は会話を続けた。「明後日の撮影、とても緊張します。ファッション誌での三上さんって初めてですよね?」
「そうね、私は競馬番組でしか取材したことないわ」菅原の声にわずかな変化があった。「ファッション撮影は…どんな感じになるのかしら」
その言い方に、山野は何かを感じ取った。興味?それとも…嫉妬?桜花坂と乃花坂46。同じプロデューサーのアイドルグループで、時々合同イベントなどで顔を合わせてきた二人だったが、菅原は山野にとって、常に少し遠い存在だった。大人びた雰囲気と知的な印象の菅原は、同じアイドルでも一線を画していた。
「良ければ、撮影の様子をお伝えしますね」山野は提案した。
「ええ、ぜひ」菅原の明るい返事の裏に、複雑な感情が隠されているようにも感じた。
「あと、三上さんに『馬の話』以外で話すことってありますか?」
「そうね…」菅原は少し考えた。「競馬のことを知らなくても、素直に質問するのがいいと思う。彼は専門的なことを説明するのは苦手だけど、馬への愛情は本物だから、それを感じ取ってあげて」
会話が続く中、山野は菅原の三上に対する微妙な感情の変化を感じ取っていた。普段の冷静沈着な菅原とは少し違う、熱のこもった口調。それは明らかに「取材相手」以上の何かを感じさせた。
「菅原さん、本当にありがとうございます。とても参考になりました」
「いいのよ。それと、みづきちゃん」菅原の声が少し真剣になった。「三上さんは本当に馬に対して特別な感性を持っているの。彼の『馬の声を聞く』能力は、私たちには理解できないかもしれないけど、尊重してあげて」
「分かりました」
電話を切った後、山野は集めた資料を改めて見直した。"氷の男"の写真を前にして、彼女は少し微笑んだ。
「怖いけど…面白い人かもしれない」
そして、もう一つの気づき。菅原優華の三上への感情。それは単なる取材相手以上のものだということを、山野は女性としての直感で感じ取っていた。
「明後日、どんな三上さんに会えるかな」
山野はスマホのカレンダーに、「三上さん撮影」と入力し、少し考えてからハートマークの絵文字を追加した。これはプロとしての仕事だけど、少し楽しみでもある—そんな複雑な気持ちを、彼女は認めていた。