光の軌跡   作:社畜A

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第19話 レンズの前で

六本木の高層ビル一室にあるスタジオは、朝から慌ただしく動くスタッフで溢れていた。明るい自然光が大きな窓から差し込み、白い背景に設置された撮影セットは、既に完璧な状態に準備されていた。

「山野さん、準備はOKですか?」

Ray誌の編集長・森川が声をかけると、メイク室から現れた山野みづきは、既に完全なプロのモデルの顔になっていた。白のブラウスにベージュのジャケット、シンプルながらも品のある装いで、彼女は軽やかに撮影セットへと歩み寄った。

「はい、いつでも大丈夫です」

その声には緊張の色はなく、ただ穏やかな自信だけがあった。3年間の専属モデル経験が、彼女の立ち居振る舞いの一つひとつに滲み出ている。

「三上さんはまだですか?」山野が周囲を見回しながら尋ねた。

「ああ、ちょうど到着したようだ」森川が入口を指さした。

そこには桐谷と共に現れた三上光輝の姿があった。普段の騎手としての姿とは違い、カジュアルなネイビーのシャツに黒のパンツという装いだったが、その表情は変わらず無表情で、周囲を警戒するような鋭い視線を持っていた。

「三上さん、よろしくお願いします」森川が迎えに行き、セットへと案内する。

「お願いします」三上の返事は短く、その声に感情は感じられなかった。

山野は深呼吸して、笑顔を作った。菅原からのアドバイスを思い出す。「最初は距離を取って、自分のペースを乱さないように」。彼女は丁寧に、しかし親しみを込めすぎない程度に挨拶をした。

「三上さん、初めまして。山野みづきです。今日はよろしくお願いします」

三上はわずかに頭を下げた。「よろしくお願いします」

スタジオカメラマンの村松が、機材の最終チェックを終えると、撮影の指示を始めた。

「まずは二人並んでの全身カットから行きましょう。山野さん、いつも通りでお願いします。三上さん、少しこちらを向いて」

山野は瞬時にポーズを決め、カメラに向けて自然な笑顔を浮かべた。その一方で、三上は明らかに戸惑いを隠せない様子だった。指示された位置に立つものの、その姿勢は硬く、表情も強張っていた。

「もう少しリラックスして、三上さん」村松が優しく声をかける。

しかし、三上の表情はますます固くなるばかり。山野はそっと視線を彼に向けた。「氷の男」と呼ばれる騎手が、今、一番苦手としている場面に直面していることがわかった。

撮影は続き、山野は完璧なポーズと表情でカメラの求めに応じていた。しかし、三上の方は依然として硬く、セッションは思うように進まなかった。

「少し休憩にしましょうか」村松が提案した頃、桐谷が近づいてきた。

「すまないな、カメラ慣れしてなくて」桐谷は村松に小声で言った。「実は馬の上の方が何倍も自然なんだよ」

その言葉を聞いた村松の表情が変わった。彼は何かひらめいたように、三上に近づいた。

「三上さん、ひとつ提案があります」

三上は黙って視線を向けた。

「馬に乗っているときのことを想像してみてください。レースの最中、最後の直線に入る瞬間を」

三上の眼が僅かに見開かれた。

「カメラではなく、その先にあるゴールを見るような気持ちで」

村松の言葉に、三上の表情がわずかに変化した。彼は深く息を吸い、目を閉じた。そして再び開いた瞬間、そこにあったのは完全に異なる眼差しだった。

山野は思わず息を呑んだ。先ほどまでの硬い表情は消え、代わりに現れたのは、勝負所に差し掛かった騎手の鋭い集中力と、静かな決意に満ちた表情。レース映像で見た「氷の男」そのものだった。

「素晴らしい!その表情です!」村松が興奮した様子でシャッターを切り始めた。「山野さん、いつも通りで」

山野はプロとして瞬時に反応し、三上の変化に合わせて自分のポーズを微調整した。二人の間に不思議な緊張感が生まれる。山野のモデルとしての洗練された美しさと、三上の騎手としての鋭さが、カメラの前で調和を始めた。

「山野さん、三上さんに少し寄り添ってみて」

山野は指示に従い、三上に近づいた。ほんの一瞬、彼の肩に触れた時、彼女は微かな震えを感じた。それは恐怖ではなく、予想外の緊張感だった。レースの最中を想像している三上からは、普段とは異なるオーラが放たれていた。

「完璧です!」村松が次々とシャッターを切る。「三上さん、そのまま。山野さん、もう少し笑顔を柔らかく」

山野は菅原の言葉を思い出した。「彼は馬に対して特別な感性を持っている」。今、目の前にいるのは、ただの無口な男性ではなく、馬と一体になって疾走するときの三上光輝だった。その真剣な眼差しに、彼女は思わず見入ってしまう。

撮影は予想以上にスムーズに進み、様々なポーズやアングルでの撮影が続いた。村松のアドバイスにより、三上は徐々に自分のリズムを見つけたようだった。彼は言葉少なだったが、レースのイメージを保ち続けることで、カメラの前でも本来の自分を表現することができた。

「最後のカットです」村松が告げた。「二人で向かい合って、互いを見つめるように」

山野は三上の前に立ち、彼の目を見上げた。そこには深い集中力と、言葉にできない何かが宿っていた。彼女は職業的な笑顔ではなく、素直な好奇心をその表情に浮かべた。

「三上さん、レースを走っているイメージですか?」彼女は小さく囁いた。

三上はわずかに頷いた。「最後の直線。すべてを賭ける瞬間です」

その答えに、山野は思わず本物の笑顔を見せた。カメラマンがその瞬間を逃さずシャッターを切る。

「素晴らしい!これで完璧です!」

撮影が終わり、スタッフから拍手が沸き起こった。山野は深く息を吐き、三上にも微笑みかけた。三上はレースのイメージから抜け出し、再び普段の表情に戻りつつあったが、以前のような緊張感はもう見られなかった。

「お疲れ様でした」山野が声をかけると、三上は静かに頷いた。

「こちらこそ」

その短い言葉の中に、山野は以前とは違う何かを感じ取った。それは警戒心ではなく、ある種の安堵感だった。

桐谷が近づいてきて、三上の肩を軽く叩いた。「よかったな。次は対談だ」

「対談?」三上の表情に再び緊張が走る。

「大丈夫ですよ」山野が自然に声をかけた。「私も競馬については全然詳しくないので、素直に教えてもらう感じで行きましょう」

三上はわずかに安心したような表情を見せた。「わかりました」

編集長の森川が二人に近づき、「素晴らしい写真が撮れました。特に最後のカット、二人の自然な雰囲気が出ていて最高です」と満足げに語った。

山野は村松を見て、無言で感謝の意を示した。カメラマンは微笑み返し、小さく頷いた。

三上に対する初めの恐怖心は消え、代わりに彼という人間への好奇心が芽生えていた。山野は対談セットへと向かいながら、改めて三上を見つめた。「氷の男」の中にある、熱い何かを垣間見た気がした。

そして、山野は思った。菅原が言っていた「尊重してあげて」という言葉の意味が、少しわかったような気がする。

 

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