光の軌跡   作:社畜A

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第28話 交差する道

ベルモント・パークの朝は、秋の訪れを告げる涼やかな風が吹いていた。9月後半に入り、三上光輝の米国競走シーズンもクライマックスを迎えようとしていた。彼は静かに馬場を見つめながら、この3か月間の出来事を振り返っていた。

サラトガでの濃密な夏。エクイティ・レーシングの「サラトガ・スペシャリスト」として、そしてネクストジェネレーション・ブラッドストックの「若馬投資アドバイザー」としての二つの役割。どちらも彼の能力を最大限に活かす経験だった。

 

「おはよう、三上」

マイク・ジョンソンが馴染みのチェック柄ジャケットに身を包み、朝日に照らされながら近づいてきた。

「おはよう」三上は短く答えた。

「今日のウッドワードステークスのエントリーリストが確定したぞ」マイクはタブレットを取り出した。「アート・コレクターに騎乗するのは間違いない。調教師からの最終確認が入った」

三上は小さく頷いた。ウッドワードステークスはG1レース。重要な大舞台で騎乗できることに、彼は静かな感謝を抱いていた。

「アート・コレクターの調子はいいようだな」マイクは続けた。「昨日の最終追い切りも上々だったと聞いている。カーター・ハンディキャップ以来の米国東部G1制覇になるかもしれないぞ」

三上は黙って考え込んだ。2019年のカーター・ハンディキャップでのG1制覇、そして香港ヴァーズでの勝利、日本でのG1連勝と経験を積んできたが、今季のアメリカ滞在中ではまだG1勝利がなかった。その壁を越えることも、彼の重要な目標の一つだった。

「調教で何か気になる点は?」

「...特にない」三上は静かに答えた。「彼は集中していた。準備は万全だ」

マイクは満足げに微笑んだ。「良かった。それと、今日はパークとコーエン、二人とも来るそうだ。午後のレース後に会いたいと言っている」

「何の用事だろう」三上は珍しく疑問を口にした。

「おそらく来年の夏のことだろう」マイクは肩をすくめた。「二人とも君との提携を高く評価している。特にパークは『サラトガ・スペシャリスト』としての君の役割に、これ以上ない満足を示しているし、コーエンも『若馬投資アドバイザー』としての君の眼力を絶賛している」

三上は無言でトレーニングトラックの方を見た。秋の風がダートコースの砂を少し舞い上げる。彼の頭の中には、日本でのJRA通年免許取得という目標があった。しかし同時に、このアメリカでの特別な役割も、彼の一部になりつつあった。

 

「それと」マイクは声を落として続けた。「10月から12月のスケジュールの詳細がほぼ固まった。すでに決まっているJRA特例措置に加えて、アメリカでのレース出走と移動計画をすべて組み合わせると、かなりタイトになりそうだ」

三上の目が輝き、顔がわずかに明るくなった。「もっと詳しく教えてくれ」と、いつもより積極的な様子で尋ねた。レース騎乗の機会が増えることは、彼にとって常に喜ばしいことだった。

「最新のスケジュール案では」マイクは周囲を見回し、小声で言った。「日米間の移動回数が当初の予定より増えることになる。体力的にかなりハードだ」

三上は頷き、目に明らかな期待の色が浮かんだ。多くのレースに騎乗できる可能性に、彼は内心喜びを感じていた。

「それでは、ウッドワードに備えよう」マイクは話題を戻した。「あのマックスフィールド、スイスシッフィといった強敵もいるが、アート・コレクターならチャンスはある」

三上はわずかに顎を引いて同意を示した。集中力を高め、目の前のG1レースに意識を向ける時だった。

 

午後のウッドワードステークスは、ベルモント・パークを熱気で包み込んだ。G1レースというだけあって、東海岸の競馬ファンが多数詰めかけていた。

パドックでは、三上がアート・コレクターの状態を最終確認していた。栗毛の5歳馬は筋肉がよく発達し、目の輝きも良好だった。

「彼は今日のために完璧なコンディションだ」トレーナーのケニー・マカピークが三上に告げた。「フロントランナーのペースが速すぎると予想される。2〜3番手につけて、最後の直線で仕掛けてほしい」

三上は静かに頷いた。彼もまた同じ戦略を思い描いていた。

ゲートに入り、発走の瞬間。アート・コレクターは他馬に比べて若干出遅れたが、三上はすぐに態勢を立て直し、内から3番手のポジションを確保した。

前方ではマックスフィールドが飛ばしていく。予想通りペースが上がる中、三上は冷静にアート・コレクターのエネルギーを温存した。

「アート・コレクター、三上光輝騎手は3番手につけています。トップのマックスフィールドとは3馬身差。序盤からペースが上がっています!」

実況の声がトラックに響き渡る。三上は淡々と馬のリズムを整え、最後の直線に向けて準備を進めた。

最後のコーナーを回り、直線に入ると、三上はわずかに体勢を変えた。アート・コレクターに合図を送り、外側に持ち出して追い込みをかける。

「アート・コレクター、外から伸びてきました!マックスフィールドはまだ粘っています!スイスシッフィも内から来ています!三つ巴の争いです!」

残り100メートル。三上は無駄のない鞭使いでアート・コレクターを促した。馬は見事に反応し、ラスト50メートルで先頭に立った。

「アート・コレクター、先頭に立ちました!そのまま押し切ります!日本から来た三上光輝騎手、見事なタイミングでの追い込みでウッドワードステークスを制しました!」

フィニッシュラインを越え、三上は静かにアート・コレクターの首を叩いた。彼の表情は依然として無感情だったが、内心では確かな達成感を感じていた。今季のアメリカ滞在で待ち望んでいたG1制覇がついに実現した瞬間だった。

「やったぞ、三上!」マイクが興奮した様子で駆け寄ってきた。「見事なタイミングだった!」

ウイナーズサークルでは、アート・コレクターのオーナーとトレーナーが歓喜の表情を浮かべていた。三上はいつもの無表情で、ただ静かに馬の手綱を握っていた。

「三上、ありがとう!最高の騎乗だった!」マカピークが三上の肩を叩いた。「最後の直線での判断が完璧だった」

三上は小さく頷いただけだったが、その目には確かな自信が宿っていた。

 

レース後、三上がロッカールームで着替えていると、マイクが二人の来客を連れてやってきた。エクイティ・レーシングのジェイソン・パークと、ネクストジェネレーション・ブラッドストックのサラ・コーエンだった。

「素晴らしい勝利だった!」パークは興奮した様子で三上の手を強く握った。「G1制覇、本当におめでとう」

「見事な騎乗だったわ」コーエンも満面の笑みで言った。「特に最後の直線での判断が完璧だった」

三上は丁寧に礼を言い、二人の祝福を受け入れた。

「実は、来年の夏について話があるんだ」パークが本題に入った。「またエクイティ・レーシングの『サラトガ・スペシャリスト』として来てくれないか?今年の成功を見れば、より良い条件で契約できる」

「私もよ」コーエンが続けた。「『若馬投資アドバイザー』として、また君の目を貸してほしい。今年君が評価した馬たちは全て期待通りの成績を残しているわ。特にスカイピアサーは大きく成長している」

三上は二人の熱意に少し戸惑いながらも、静かに言葉を選んだ。

「感謝します。しかし今は目の前のレースに集中したい」彼は慎重に答えた。「JRA通年免許の取得も目指しています」

パークとコーエンは顔を見合わせ、理解を示すように頷いた。

「もちろん、急かすつもりはない」パークは微笑んだ。「ただ、君のような特別な才能を持つ騎手との協力関係は、私たちにとって非常に価値があるということを伝えたかったんだ」

「その通りよ」コーエンも同意した。「日本での活動が主になっても、夏のサラトガシーズンだけでも来てくれると嬉しいわ」

三上は静かに頷いた。彼らの申し出は魅力的だった。しかし今は、次のステップに集中する必要があった。

二人が去った後、マイクが三上に近づいてきた。

 

「さて、10月から12月のスケジュールについて話そう」彼はクリップボードを取り出した。「かなりタイトになるが、可能な限り効率的に組んでみた」

マイクは詳細なスケジュール表を三上に見せた。

「10月9日と10日にベルモントでジョッキークラブゴールドカップSとチャンピオンS。その後キーンランドでクイーンエリザベスII世チャレンジカップS、サンタアニタでスプリントチャンピオンシップ。そして10月26日に日本へ移動、日本でのことはMr.キリタニに任せている」

三上は黙って聞いていた。

「10月31日は天皇賞(秋)。ブルーダイヤモンド号に騎乗する特例措置が認められている。その後すぐにアメリカに戻り、11月5日と6日のブリーダーズカップ。そして再び日本に戻り、11月28日のジャパンカップ」

マイクは一旦息を吸い、続けた。

「12月も同様のペースで、アメリカでのG1レースと、日本の有馬記念を組み合わせている。全部で太平洋を6回横断することになる」

三上の表情に、わずかな笑みが浮かんだ。それは過酷なスケジュールだった。

「現実的な挑戦だが、体調管理が重要だ」マイクは真剣な表情で忠告した。「特に時差ボケの対策と、移動中の休息確保が鍵になる。無理はするなよ」

三上は窓の外、ベルモント・パークの景色を眺めながら、このスケジュールの意味を考えた。JRA通年免許取得という目標に向かいながらも、アメリカでの活動も続ける。それは「二つの大陸を駆ける」という彼の新たなアイデンティティを形作るものだった。

「受け入れます」三上は笑って答えた。「日米両国で騎乗するという目標のための重要なステップです」

マイクは驚いたように三上を見つめた。通常なら尻込みするような過酷なスケジュールを、彼は笑って受け入れたのだ。

「わかった」マイクは頷いた。「それなら、具体的な移動計画と休息のスケジュールを詰めていこう。体調管理のために、フライト中の睡眠計画も立てる必要がある」

二人は細かいスケジュールの調整に取りかかった。マイクは国際線のシートアレンジメントから時差調整のための食事プランまで、あらゆる細部に気を配った。三上もまた、その詳細に注意深く目を通し、自分の体調管理の方法を組み込んでいった。

「よし、これで基本的な計画は固まった」マイクは満足げに言った。「あとは日本側との最終調整だけだ」

三上は静かに頷いた。窓の外では、日が傾き始めていた。アメリカでのG1制覇の余韻が残る一方で、彼の心は既に次の挑戦へと向かっていた。

「二つの大陸を駆ける」

それは単なるキャッチフレーズではなく、彼の騎手人生の新たな形を表す言葉になりつつあった。過酷なスケジュールだが、それは彼の目標に直結するものだった。

三上はウッドワードステークスのトロフィーに手を伸ばした。今季のアメリカ滞在で念願のG1制覇を果たした証だ。そして次は、日米を行き来しながら両国のG1を制するという、さらに高い目標に向かって進む時だった。

彼は静かに決意を新たにした。この「交差する道」を歩むことで、彼は国際的な騎手としての真の実力を証明することになるだろう。

 

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