光の軌跡   作:社畜A

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第6話 三上光輝

東京・六本木のBS11放送センター。「Winning Horses」の編集会議室で、菅原優華はタブレットに表示された「Turf Impact」の特集記事を熱心に読み込んでいた。編集スタッフがコーヒーを運んできても、彼女の目は画面から離れない。

「馬に動いてもらう、か...」

菅原は小さくつぶやき、メモを取った。乗馬歴20年、大学時代には馬術部で関東学生馬術大会の個人優勝経験を持つ彼女にとって、三上光輝の「馬の声を聞く」という哲学は他人事には思えなかった。

「優華さん、次回の企画どうします?」

制作ディレクターの佐藤が声をかけてきた。彼はこれまで「Winning Horses」を数多くのヒット企画で支えてきたベテランだ。

「私、三上光輝さんにインタビューしたいんです」

菅原は迷いなく答えた。佐藤は少し驚いた表情を見せた。

「三上騎手ですか?面白そうだけど...あの方、メディア対応はほとんどしないって聞きますよ。大阪杯後のインタビューでも数分で切り上げたらしいじゃないですか」

菅原は静かに頷きながら、タブレットを佐藤に見せた。

「この記事、読みましたか?三上さんが馬術学校でどんな経験をしたのか、クレーミングレースで何を学んだのか...でも、記事を読んでも彼の本当の姿はわからないんです」

佐藤は首を傾げた。

「どういうことですか?」

「この記事で語られているのは事実かもしれませんが、三上さんの『心』は見えてこない。なぜ15歳の少年があえて困難な道を選んだのか。なぜ馬の声を聞くことができるのか。私、馬術をやってきた経験から、彼の感じている何かを共有できるかもしれないと思うんです」

菅原の目には真剣な光が宿っていた。佐藤はため息をついた。

「いいですね、その企画。でも、三上騎手が応じてくれるかどうか...」

「やってみなければわかりません」

菅原は自信に満ちた声で言った。彼女は立ち上がり、ホワイトボードに向かって歩き始めた。

「企画タイトルは『氷の男 三上光輝の素顔』。通常のインタビュー形式ではなく、彼と一緒に馬に接する時間を共有したいんです」

佐藤は眉を上げた。

「馬と一緒に?」

「はい。普通のインタビュースタジオではなく、栗東トレーニングセンターの厩舎で。彼がどのように馬と対話しているのか、その瞬間を捉えたい」

菅原はホワイトボードに企画概要を書き始めた。

「菅原さん、でも彼、本当に無口だそうですよ。『馬が行けると言った』しか言わないような人に、どうやって心を開かせるんですか?」

菅原は少し考え込んだ後、穏やかな微笑みを浮かべた。

「私の質問は『なぜ』や『どうやって』ではありません。『あなたは馬から何を感じたのか』『その時、馬はどんな表情をしていたのか』...そういう質問にすれば、彼も答えやすいはずです。馬術競技者として、私も馬との対話を大切にしてきましたから」

菅原は自分の馬術経験を生かして、三上の内面に迫る質問を考えていた。彼女のメモ帳には既に何ページもの質問案が書き込まれていた。

「菅原さんのスケジュール的には、大阪杯と天皇賞・春の間がチャンスですね。でもその短期間に許可を取って、三上騎手を説得して...」

佐藤の不安げな声を遮るように、菅原は自信を持って言った。

「大丈夫です。彼に興味を持ってもらえる提案をします。一般的なインタビューではなく、彼の騎乗哲学を正しく伝えることが目的だと」

彼女はホワイトボードに「企画の狙い」と書き、その下に箇条書きで記した。

• 三上光輝の独自の騎乗哲学「馬の声を聞く」の真意を探る

• クレーミングレースでの1000騎乗という経験が彼をどう形作ったか

• 馬術経験者である菅原優華との対話を通じて、馬との対話術の共通点を見出す

• 「氷の男」の素顔に迫る

「私、自分の馬術の経験も踏まえて、三上さんの騎乗哲学がいかに革新的かを伝えたいんです。彼が本当に馬の声を聞いているのか、それとも別の何かなのか...」

佐藤は菅原の熱意に押される形で頷いた。

「わかりました。企画書を作りましょう。とりあえず三上騎手の所属先と交渉してみます」

菅原は満足そうに微笑んだが、すぐに真剣な表情に戻った。

「あと、重要なことがあります。この企画、派手な演出は一切なしで。三上さんの言葉をそのまま伝える。余計な解説や感動的な音楽で盛り上げたりしない。誠実に、彼の言葉と馬との関係性だけを映し出す企画にしたいんです」

佐藤は感心したように菅原を見つめた。「Winning Horses」のMCになって以来、彼女がこれほど熱心に企画に取り組むのは初めてだった。

「菅原さん、本当にこの企画に賭けるんですね」

「はい。三上さんの騎乗を見て、何か特別なものを感じたんです。それは私が馬術で追い求めてきたものと、どこか共通しているような...」

菅原はタブレットに戻り、大阪杯での三上の騎乗映像を再度確認した。その目には静かな決意が宿っていた。

「佐藤さん、栗東への取材許可、今日中に申請してもらえますか?それと、ホライズンレーシングの吉野社長にもコンタクトを取りたいんです」

佐藤はすっかり菅原のペースに巻き込まれていた。

「了解です。じゃあ企画名は『氷の男・三上光輝の素顔—馬の声を聞く男—』で進めましょうか」

菅原は頷いた。彼女の頭の中では、すでにインタビューのシーンが浮かんでいた。三上光輝という謎めいた男の真実に迫るチャンス—それは彼女自身の馬術人生にも新たな光を当てることになるかもしれなかった。

 

________________________________________

「ご紹介いただきありがとうございます、吉野様」

菅原優華は電話の向こうのホライズンレーシング代表、吉野誠一に丁寧に挨拶した。企画提案から3日、佐藤ディレクターの人脈を駆使して、ようやく吉野との直接交渉の機会を得たのだ。

「菅原さんですね。『Winning Horses』はいつも拝見していますよ。馬術経験を活かした解説が新鮮で好感が持てます」

吉野の声は穏やかで親しみやすい印象だった。

「光栄です。今回は三上騎手へのインタビューをぜひともお願いしたいのですが...」

「そうですか、三上くんですか」吉野は少し考えるような間を置いた。「彼はカメラの前だと少し緊張してしまうタイプなんですよ。テレビのインタビューはあまり得意ではないと思います」

菅原は深呼吸して、準備していた言葉を口にした。

「三上さんについて、『氷の男』とか『馬の声を聞く男』とか、様々な言われ方をしていますが、実際はどんな方なのか、視聴者に正しく伝えたいんです。特に私は馬術経験者として、彼の馬との接し方に興味があります」

「なるほど、菅原さんだからこそできる切り口ですね」吉野の声は少し明るくなった。「実は三上くん、普段は意外と普通の青年なんですよ。カメラの前で緊張するだけで。人見知りなんです」

「そうなんですか?」菅原は意外な情報に興味を示した。

「ええ。アメリカではクレーミングレースで厳しい経験をしましたが、その分、馬への理解が深い。彼の『馬の声を聞く』というのも、別に神秘的なものではなく、単純に馬をよく観察して理解しようとする姿勢から来ているんです」

菅原はメモを取りながら聞いていた。世間のイメージと実際の三上の姿にはギャップがあるようだ。

「そうした彼の素顔を伝えたいと思います。派手な演出や誇張はせず、ありのままの姿を」

「それなら、私から彼に話してみましょう」吉野は前向きな返事をくれた。「ただ、一つだけ条件があります」

「なんでしょうか?」

「スタジオではなく、馬がいる環境で撮影すること。三上くんは馬がいると、ずっとリラックスできるんです」

「それは私たちの意図とも合致しています」菅原は嬉しそうに答えた。「栗東の池田厩舎で、彼が馬と接する自然な姿を撮らせていただきたいと思っていました」

「では、天皇賞の一週間前がいいでしょう。その時期なら時間が取れるはずです」吉野は調整を約束した。「あと、できれば彼の馬術の話をしてみてください。共通の話題があると、彼も打ち解けるかもしれません」

電話を切った後、菅原は予想以上の収穫に満足そうに微笑んだ。「氷の男」のイメージとは違う、人間らしい三上の姿が見えてきたようだった。

________________________________________

栗東トレーニングセンター。早朝の厩舎は既に活気に満ちていた。菅原は佐藤ディレクターとカメラマン一名を連れ、池田泰寿厩舎へと向かった。

「緊張してます?」と佐藤が聞いた。

「はい、少し」菅原は正直に答えた。「でも、楽しみでもあります」

「三上さん、メディア対応が苦手と聞きましたが...大丈夫でしょうか」

菅原は微笑んだ。「吉野さんによると、カメラの前で緊張するだけで、普段は普通の青年だそうです。それに、馬術の話題で共通点があれば、きっと打ち解けられると思います」

彼女はバッグから一冊の本を取り出した。それは古びた英語の本で、タイトルは『The Language of Horses』。

「これ、三上さんがプエルトリコの競馬学校時代に読んでいた本らしいんです。友人の海外コネクションを使って見つけました」

佐藤は驚いた。「そこまで調べたんですか...」

「はい。この本には馬の表情やボディランゲージから心理を読み解く方法が書かれています。インタビューの糸口になればと思って」

彼らが池田厩舎に到着すると、調教師の池田泰寿が出迎えてくれた。

「お待ちしていました。三上は朝調教を終えたところです」

「承諾してくださったんですね」菅原は喜びを隠せなかった。

池田は微笑んだ。「吉野さんから話は聞いています。三上にも伝えてありますが、彼はカメラに慣れていないので、少し緊張するかもしれませんよ。でも、馬の話なら問題ないでしょう」

菅原たちは池田厩舎へと案内された。そこでは一人の小柄な男性が馬房の前に立ち、ブルーダイヤモンド号の隣の馬房にいる栗毛の馬をじっと見つめていた。三上光輝だ。

「三上君、菅原さんが来られたよ」池田が声をかけた。

三上はゆっくりと振り向いた。その表情は真剣だったが、険しいというわけではなかった。カメラに気づくと少し身構えたように見えたが、すぐに軽く会釈した。

「お時間をいただき、ありがとうございます」菅原は丁寧に頭を下げた。「私は菅原優華と申します。『Winning Horses』のMCをしています」

「はい、知っています」三上は静かに答えた。その声は落ち着いており、噂ほど冷たい印象はなかった。「いつも見てます」

菅原は意外な反応に少し驚いたが、すぐに微笑んだ。「光栄です。三上さん、この子は...?」

菅原は馬房の中の栗毛の馬を見つめながら尋ねた。単純な質問だが、馬について聞くことで緊張をほぐす狙いがあった。三上の表情がわずかに柔らかくなった。

「ホープフルスター。池田厩舎の期待の新馬です」

彼の声には馬への愛情が感じられ、菅原は直感した。「氷の男」と呼ばれる三上光輝は、単にカメラの前で緊張しやすいだけで、馬に向き合うときは別人のように生き生きとした表情を見せるのだと。これは予想以上に興味深いインタビューになりそうだった。

短い返答だったが、菅原は満足そうに微笑んだ。最初の言葉を引き出せたのだ。

「もし良ければ、ホープフルスターと接する様子を見せていただけませんか?カメラは気にせず、普段通りに」

三上は少し考え、「わかりました」と短く答えた。彼の口調は淡々としていたが、表情が硬いというわけでもなかった。馬房の扉を開け、中に入る。カメラマンは距離を取りながら撮影を始めた。

ホープフルスターは耳を動かし、三上の方に首を伸ばしてきた。三上は馬の顔に手を添え、首筋を撫でながら「どうだ、調子は?」と話しかけた。普通の青年が馬に話しかける、ごく自然な光景だった。

菅原は興味深そうに見つめていた。「三上さん、馬に話しかけるんですね」

三上は振り返り、少し恥ずかしそうに肩をすくめた。「癖みたいなものです。誰もいないときは、もっとよく話しかけてます」

その素直な返答に、菅原も思わず微笑んだ。

「彼は調教後、少し緊張している」と三上は続けた。「新しい環境にまだ慣れていないみたいです」

「それは耳や目の動きで分かるんですか?」菅原が尋ねる。

三上は頷いた。「耳の動きと目の周りの緊張感ですね。馬は基本的に正直で、感情を表情に出します」

菅原は共感するように頷いた。「私も馬術をやっていたときに、そう感じていました。でも、競走中のスピードの中でもそれを感じ取れるのは驚きです」

三上は菅原をじっと見た。彼女が馬術経験者だと知って、少し親近感を覚えたようだった。

「馬術をやってたんですか」

「はい、大学の頃まで。ただ、競走馬と乗用馬は違いますよね」

三上は初めて柔らかい表情を見せた。「本質は同じです。どの馬も信頼関係が大事。ただスピードが違うだけ」

彼はホープフルスターの首を撫で続けながら、「スピードの中でも、馬は色々なサインを出してくれます。呼吸のリズム、筋肉の状態、耳の動き…それを読み取るのが僕の仕事」と続けた。

菅原は『The Language of Horses』の本を取り出した。「これ、三上さんが学生時代に読んでいた本と聞きました」

三上の目に驚きの色が浮かんだ。彼は本を手に取り、「なつかしいな…どこで見つけたんですか?」と素直な驚きを表した。

「友人の海外コネクションで。この本の考え方は、三上さんの騎乗に影響していますか?」

三上は考えながら答えた。「ある程度はそうですね。でも、本よりも実際の経験の方が大きいです。アメリカでの日々は大変でしたが、色々な馬に乗れたのは良かった」

「年間1000騎乗という経験は、相当なものですね」

「数をこなすことより、一頭一頭とちゃんと向き合えたことが大切でした」と三上は率直に答えた。「クレーミングレースは待遇は良くないですが、若手騎手にはいい経験になります」

三上の話し方は淡々としていたが、どこか誠実さが感じられた。菅原はその素直さに、初めて報道されているイメージとのギャップを感じた。

「大阪杯の第4コーナーでの判断は、どうやって?」と菅原が尋ねると、三上は少し考えてから答えた。

「あの時は…直感というか」と言いかけて、少し言葉に詰まった。「ブルーダイヤモンドが前に行きたがっているのを感じたんです。彼に任せた部分が大きいですね」

「馬を信じたんですね」

「はい。騎手と馬の関係は信頼がすべてです」と三上は真摯に答えた。「普段から馬の反応をよく見て、その馬の『言葉』を理解しようとしています」

三上はポケットからリンゴを取り出し、ホープフルスターに与えた。その仕草は優しく、自然だった。

「三上さん、よく『氷の男』と言われますが、実際はそんなことないですね」と菅原が言うと、三上は少し照れたように頭をかいた。

「人見知りなだけなんです。カメラの前だと緊張して…」

池田調教師が近づいてきた。「そろそろ時間ですが」

菅原は頷き、三上に最後の質問をした。「最後に、三上さんにとって理想の騎乗とはどういうものですか?」

三上は少し考え、ブルーダイヤモンド号の馬房を見ながら答えた。

「馬と一緒に走る感覚ですね。僕が命令するのではなく、お互いが理解し合って走る。アメリカでの経験で学んだのは、馬の気持ちを尊重することの大切さです」

彼は菅原を見て、少し照れくさそうに続けた。「大げさに聞こえるかもしれませんが、僕は毎日馬に助けられています。だから、彼らの声に耳を傾けることが、恩返しのようなものなんです」

その言葉には飾り気がなく、素直な思いが感じられた。菅原は微笑み、「貴重なお話をありがとうございました」と頭を下げた。

三上は笑顔で頷き、「こちらこそありがとうございました」と丁寧に応じた。彼は軽く手を振り、次の仕事へと向かっていった。

池田調教師が菅原に近づいてきた。「三上は普段あまり話さないんですが、今日はよく話してくれましたね。馬術の話で打ち解けたんでしょうか」

菅原は微笑んだ。「そうかもしれませんね。三上さん、『氷の男』というより、ちょっと恥ずかしがり屋の青年という印象でした」

佐藤ディレクターは満足そうに頷いた。「いい映像が撮れました。菅原さんのアプローチが功を奏しましたね」

帰り際、菅原は振り返って厩舎を見た。三上の姿はもう見えなかったが、彼の誠実な言葉と、馬を思う気持ちは心に残っていた。彼女はメモに書き記した。

「三上光輝——『氷の男』の仮面の下に隠れていた、馬を愛する誠実な青年」

 

 

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