世界に冠たる帝国よ永遠たれ   作:ちんすこー

12 / 13
なんや文字数1万文字って。


最悪で最高なコース料理

《中央暦1925年5月 アルビオン連合王国 ロンディウム 10番街 首相官邸》

 

重厚なオーク材の扉が閉じられると同時に、アルビオン連合王国首相、ウィンストン・チャーブルは苛立ちを隠すことなく上着を脱ぎ捨て、肘掛け椅子へと巨体を投げ出した。

 

立ち上る高級葉巻の煙と、長時間の議会審議によって燻された男たちの汗の匂いが、執務室の重苦しい空気を満たしている。

 

「……ふう、まったく。議会の腰抜け共を説き伏せるのがこれほど骨の折れる作業だとは思わなかったよ。平和主義という名の麻薬に酔いしれた議員どもに、大陸の天秤が傾きつつある現実を叩き込んでやるだけで、私の貴重な寿命が5年は縮んだ」

 

チャーブルは短い指で卓上の銀ベルを鳴らし、部屋の隅で影のように控えていた男――連合王国秘密情報部(SIS)局長、サー・アーサー・シンクレアへ眼光を向けた。

 

「さて、アーサー卿。私が下院の喧騒の中で野党の青二才どもに唾を飛ばし、我が国の気高き伝統である『日和見主義』を捨てさせて帝国への宣戦布告を取り付けている間……一体、向こう岸で何が起きていたのかね? 朗報を聞かせてくれ。我が軍が大陸に上陸し、疲弊したライヒとフランソワを両脇から抱き抱えて『平和の調停者』として君臨する準備は整ったのだろうな? 確か、ライヒがマジノ線の一部を突破したが、後方に控えるフランソワの膨大な戦略予備によって足止めされ、戦線が再び膠着した……というところまでは把握しているがね」

 

アーサー卿は表情一つ変えず、抱えていた黒い革のファイルを開いた。その立ち振る舞いは、まるで一流ホテルの給仕長(メートル・ドテル)が客に本日の特別メニューを提示するかのように洗練され、そして冷徹であった。

 

「……首相。本日、我が情報部がお届けするのは、大陸の戦場から届いた『特別なお品書き』でございます。フランソワの厨房で、帝国の不器用なシェフたちが腕によりをかけて振る舞った、極上のフレンチ・フルコースでございますよ」

「ほう? 帝国のシェフが作ったフレンチだと?」

 

チャーブルは鼻で笑い、葉巻の煙を白く吐き出した。

 

「それは嫌な予感がするな。ライヒの奴らが作る料理など、豚の脂とキャベツを煮詰めた泥水のような代物だろう。……おい、給仕を呼べ。それに合う上質なエールを持ってこさせろ。ライヒのジャガイモ野郎が作った油ギトギトの料理なんぞ、アイラ島のモルトか冷えたエールで流し込まなければ胃が腐ってしまう」

「恐れ入ります、首相」

 

アーサー卿は静かに首を振った。

 

「あいにくですが、本日の厨房にはエールのストックが一切ございません」

「なに? この10番地にビールがないだと? 冗談だろう!」

「ならば、ウイスキーをお持ちさせましょう。……なに、琥珀色でございますから、グラスに注げばエールと色の区別などつきはいたしません」

「……ふん、相変わらず皮肉だけは一流だな」

 

チャーブルは不機嫌そうに鼻を鳴らし、差し出されたロックグラスをひっつかむと、並々と注がれた琥珀色の液体を一口煽った。

 

「まあいい。で、その不味そうなコース料理のアミューズ(前菜)は何だ? せいぜい我が国の宣戦布告を聞いて、ジェリーどもが逃げ出したという速報であってほしいものだな」

「では、一品目(アミューズ)でございます」

 

アーサー卿は一枚の報告書を卓上に滑らせた。

 

「5月上旬、南方国境においてイルドア王国軍が突然、大規模な軍事演習を開始いたしました。これに動揺したフランソワ共和国大陸軍首脳部は、即座に自国の中央戦略予備の大半――約二〇万の精鋭部隊を、そのまま南部の大山脈・地中海方面へ転進させております」

「なに……? イルドアが演習だと?」

 

チャーブルは眉をひそめた。

 

「あの腰抜けのオカマどもめ、日和見のくせに余計な真似をしおって。……いや待てよ? イルドアが自発的に動いたということは、ライヒの勝ち目が高いと踏んでゴマをすりに行ったか、戦後の切り取りに備えた動きだな。……まあいい、フランソワの南が手薄になるよりはマシだ。南の警戒に兵力を割かれたとしても、フランソワには鉄壁のマジノ線がある。北の防衛線には何の影響もあるまい?」

「ええ、主力が南へ移動した結果、フランソワの 中央と後方の防衛線は『完全に空洞化』いたしました。……これが前菜のソースでございます」

「……おい」

 

チャーブルのグラスを握る手がぴたりと止まった。アーサー卿は構わず、二枚目の書類を開く。

 

「続きまして、スープの代わりに温かい一品(オードブル)を。……中央暦5月10日未明、帝国軍第一梯団が北方ワロン突出地へ強烈な突撃を敢行いたしました。ミヤーズ川の激しい砲火に対し、彼らは空中からの挺身降下と、水中を潜航する新型戦車による強行渡河を併用。フランソワ軍はこれを帝国の主攻と誤認し、残されていた北部の予備兵力を総動員してミヤーズ川へ注ぎ込みました」

「当然の対応だな。ワロンを抜かれればパリースィへの最短ルートが開く。フランソワの将校どもにしては素早い動きだ。……まて、誤認だと……」

「はい。そして、ここからが三品目(ポタージュ)でございます」

 

アーサー卿の報告は、現地から打電される断片的な電報を繋ぎ合わせる形で進む。

 

「同時に、帝国軍第二梯団が正面のマジノ線へ肉迫。フランソワ側は『要塞群が絶対に持ちこたえる』と確信しておりましたが……ここで帝国空軍が、謎の超重型滑空誘導爆弾を投入いたしました。海軍の16インチ徹甲弾を滑空させたと思われるこの巨大な鋼鉄の杭は、高度八千メートルから滑空し、マジノ線の主要トーチカを紙くずのように穿ち、地下弾薬庫を爆砕いたしました」

「じ、16インチ徹甲弾を……空から落としただと!?」

 

チャーブルの額に、じっとりと冷や汗が浮かび始めた。

 

「要塞線を破砕された第二梯団が雪崩れ込み、フランソワ軍は開口部を塞ぐため、後方に残されていた数少ない部隊もすべて北方の穴へと注ぎ込みました。……結果として、フランソワのほぼすべての野戦軍が北方戦域へ固執し、後方は完全な無人地帯と化したのです」

「待て……待て待てアーサー! 話がおかしいぞ! フランソワの全軍が北に集結したのなら、帝国の攻撃はそこで食い止められたはずだ! 現に、先程私が言った通り、後方に展開していた戦略予備で戦線が膠着したという報告が入っていたではないか!」

「ええ、我が部も最初はそう考えておりました。現地からの電報は混乱を極めておりましたから。……ですが、たった今届いた速報により、その『膠着』の真実が明らかになりました。……ここからがポワソン(魚料理)でございますよ、首相」

 

アーサー卿は、どこか痛みを堪えるような冷酷な声で言葉を継いだ。

 

「我が連合王国が、威風堂々とライヒに対して宣戦布告の通告状を帝国大使館に突きつけたまさにその瞬間――大陸では、我が国の『宣戦布告』と完全に入れ違いになる形で、フランソワ共和国軍の北方戦略予備百万人と、支援のために派遣されていた我がアルデンネ派遣軍の主力が、背後を完全に遮断されました」

「……なっ……」

「帝国軍の真の主力――第三梯団は、北方でもマジノ線でもなく、軍事常識的に通行不能とされていた『アルデンネの森』をわずか36時間で強行突破していたのです。彼らは北上するフランソワ軍100万の『背後』へ完璧に回り込みました。つまり……戦線が膠着していたのではなく、フランソワ軍全体が『巨大な袋の中』に閉じ込められていただけだったのです」

「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な!!」

 

チャーブルは机を激しく叩きつけた。ウイスキーがグラスからこぼれ、高級な絨毯にしみを作る。

 

「我が国が……アルビオン連合王国が宣戦布告をした瞬間に、味方の主力が包囲されて壊滅していたというのか!? これではまるで、我が国がトドメを刺すために参戦したようなものではないか!!」

「お見事な見立てです、首相。まさにライヒの参謀本部は、我が国の参戦のタイミングすらあらかじめ計算に入れた上で、この完璧なタイミングで罠の引き金を引いた模様でございます」

 

アーサー卿は最後の書類――ヴィアンド(肉料理)とデセール(デザート)のプレートを並べるように、無造作に二枚の電報を置いた。

 

「メインディッシュでございます。アルデンネ突破と同時に、帝国軍はとある作戦を発動いたしました。彼らは精鋭の航空魔導部隊をロケット兵器の弾頭へ直接搭乗させ、超高空からフランソワ軍のライン戦線最高司令部へ物理的に『精密挿入』いたしました。最高司令部は開戦初日にして消滅。指揮系統を失った百万人以上のフランソワ軍は、何が起きたかも理解できぬまま、包囲網の中で右往左往する無力な群れと化しております」

「ロ、ロケットに人間を積んで敵司令部に突っ込ませただと……!? 正気の沙汰か!?」

「正気か否かは別として、効果は絶大でした。そして、包囲網を完成させた帝国機甲師団の先鋒は、動揺する敵後方を破砕し、現在パリースィへ向けて無人の野を爆進中。抵抗する敵戦力は皆無。パリースィ落城まで、あと数日と思われます」

「パ、パリースィが……落ちる……!?」

「そして、最後のお口直し(デセール)でございます」

 

アーサー卿は、フッと口元に乾いた笑みを浮かべた。

 

「我がアルビオン連合王国は、いまや全欧州大陸をたった一国で制圧し、完璧な覇権を確立した『絶対王者・帝国』と、一対一で相対することとなりました。……おめでとうございます首相。貴方が議会で熱弁を振るわれた通り、我が国は歴史的転換点の主役に躍り出ましたよ」

 

執務室の中に、死のような静寂が落ちた。

 

チャーブルの手からポロリと葉巻がこぼれ落ち、高級な木造デスクの上でくすぶった。

 

先ほどまで溢れていた威厳も、嫌味なブリティッシュ・ジョークを叩きつける余裕も、完全に霧散していた。

 

「な……」

 

チャーブルは激しく首を振り、血走った目でアーサー卿を睨みつけた。

 

その唇は不規則に震え、かろうじて言葉を吐き出した。

 

「なぜ……なぜこうなった!!??? 我が国の外交は完璧だったはずだ!! ライヒとフランソワを戦わせて両者疲弊したところを叩く……それが我が国の不変の国策(グランド・ストラテジー)だったはずだぞ!! なぜライヒが勝っている!? なぜフランソワは二週間で崩壊しているんだ!! おい!! 説明しろアーサー!! なぜこうなったんだぁぁぁ!!!???」

 

チャーブルの絶叫が、ダウニング街10番地の重厚な館に虚しく響き渡った。

 

アーサー卿はただ静かに一礼し、冷え切ったウイスキーのグラスを回収すると、吐き捨てるように呟いた。

 

「……完璧な作戦と、悪魔のような手際のシェフが揃っていた。ただそれだけのことでございますよ、首相」

 

 

 

 

時計の針を、わずかに巻き戻す。

 

なぜ、大陸最強の一角を占めているはずのフランソワ共和国大陸軍は、わずか十四日間という悪夢のような短期間で灰燼に帰したのか。その最初の歯車が狂い始めたのは、帝国の参謀本部すらも直接関与していない、地中海の「日和見主義者」たちの蠢きからであった。

 

中央暦1925年5月初旬。

 

地中海に面するイルドア王国の大本営では、連日連夜、凄まじい緊迫感に包まれた最高軍事会議が開かれていた。

 

「帝国軍の作戦準備は最終段階に入っている。間違いなく、今月中に西部戦線での総攻勢が始まるぞ」

 

イルドア軍参謀総長ガスマン大将は、冷や汗を拭いながら、卓上の欧州地図を見つめていた。

 

イルドアは歴史的に、フランソワ共和国と帝国の間で絶妙な「武装中立」を保ち、両者の均衡に乗じることで自国の権益を守ってきた。しかし、過日の外交戦において、帝国のローゼフシルト准将による巧みな軍事・経済協定(という名の威圧)を受け、すでにその天秤は大きく帝国へと傾いていた。

 

さらに、北方のスオミにおける「冬戦争」の結果、ルーシー連邦が大規模な粛清と混乱に陥り、帝国の背面リスクが激減したという事実が、イルドア首脳部の背中を強く押した。

 

「勝敗は決した。帝国は西部の決戦において、全戦力を投入してフランソワを粉砕する気だ。もしフランソワが敗北した時、我々がただ静観していただけなら……勝利者である帝国は、我々を『日和見の卑怯者』として扱い、戦後の欧州再編から完全に締め出すだろう」

「……ならば、どうするのだ? 我が国も即座に帝国側に立って参戦するか?」

 

幕僚の一人が問うと、ガスマン大将は首を振った。

 

「馬鹿を言え。万が一、フランソワのマジノ線が帝国を返り討ちにした場合、我が国はフランソワと帝国の双方から挟み撃ちにされる。参戦は、帝国の勝利が確定した『後』だ。……だが、帝国に対して『我々は貴国のために汗を流す準備がある』という強力なパフォーマンスを見せておかねばならん」

 

ガスマン大将が打ち出した策は、極めて狡猾、かつ自己保身に満ちたものであった。

 

「フランソワとの国境付近において、我が陸軍二〇万による『突発的大規模演習』を発動する。目的は二つ。一つは、帝国に対して『我が国はフランソワの背後を威圧し、戦力を拘束してやった』という大きな貸しを作ること。もう一つは、もしフランソワが瞬く間に崩壊を始めた場合、即座に国境を越えて割譲領土を占領するための前進配置だ」

 

このイルドア軍による自主的な大演習は、帝国参謀本部の意図せぬ「最高のプレゼント」となった。

 

国境付近に突如として展開したイルドアの二〇万の大軍に対し、パリースィのフランソワ共和国陸軍最高司令部は強烈なパニックに陥った。

 

「イルドアの裏切りだ! 奴らは帝国と裏で通じ、我が国の背後を突く気だぞ!」

「だが、北方のマジノ線にはべトンと鉄の絶対防御がある! 帝国軍が正面から突破することなど不可能だ! 今直ちに警戒すべきは、南からの刺客である!」

 

フランソワ最高司令官ジョフゼ・ジョフルル元帥は、冷酷な決断を下した。

 

本土中央、および首都パリースィ周辺に配置されていた貴重な「中央戦略予備軍」――約二〇万の精鋭部隊に対し、即座にイルドア国境への転進を命じたのである。

 

これにより、フランソワ軍の配置は奇妙な二極化を起こした。

 

北方の要塞線とワロン突出地に重厚な陣地を構える主力軍と、南のイルドア国境を警戒する南部防衛軍。その「間」に位置するアルデンネ森林地帯、および本土中央の広大な後方地帯は、文字通り「完全に空洞化された無人地帯」と化したのである。

 

帝国軍参謀本部の作戦会議室でこの報を受け取ったモンシュタイン中将とローゼフシルト准将は、互いに顔を見合わせ、静かに口元を緩めた。

 

「……イルドアの豚どもが、勝手に我が軍の最高の露払いをしてくれたな」

「ええ。これで『黄色の場合』の成功率は、99%から100%へと上がりました」

 

中央暦1925年5月10日

 

運命の時計が、ついに動き出した。

 

真っ暗な闇に包まれたフランソワ北方、ワロン突出地のミヤーズ川沿岸。

 

静寂を破ったのは、地鳴りのような重低音であった。

 

「敵襲ーッ! 帝国軍だ! 攻勢が始まったぞ!!」

 

フランソワ軍の河川防衛陣地に、けたたましい警報が鳴り響いた。

 

第一梯団を率いる帝国軍の歩兵部隊と機甲部隊が、一斉にワロン突出地へと雪崩れ込んできたのだ。

 

フランソワ軍は即座に応戦した。ミヤーズ川は川幅が広く、対岸には要塞化されたトーチカ網と重機関銃陣地がびっしりと配置されている。従来通りの渡河作戦であれば、川は帝国兵の血で赤く染まり、渡河舟艇は集中砲火を浴びて全滅するはずであった。

 

しかし、帝国軍の攻勢は、フランソワ側の軍事常識を根底から覆すものであった。

 

「上空を見ろ! 帝国軍の大型輸送機群だ!」

 

夜空を埋め尽くした数十機の輸送機から、黒い影が次々と舞い降りた。帝国空軍が誇る精鋭「空降猟兵(ファルシムイェーガー)」である。彼らはミヤーズ川の対岸、フランソワ軍の要塞線の「背後」へと直接降下し、即座にトーチカの背後から手榴弾と火炎放射器を叩き込んだ。

 

さらに、川面から異様な光景が立ち現れた。

 

「水……水中から何か上がってくるぞ!?」

 

フランソワ軍の兵士が目撃したのは、水深数メートルの川底を自力で走り、対岸の傾斜を力強く登ってくる鉄の化け物であった。

 

帝国軍の主力中戦車グライフに、特殊な吸排気筒(シュノーケル)と防水処理を施した潜航渡河部隊である。

 

「バカな! 戦車が川底を渡ってきただと!?」

 

水煙を上げて浮上したグライフ中戦車隊は、驚愕するフランソワ軍の要塞陣地に向け、至近距離から7.5cm砲を連続射撃した。

 

同時に、上空に旋回する帝国軍の観測機から、後方の帝国砲兵陣地へ精密な座標データが送られていた。

 

帝国砲兵隊の陣地には、最新のアナログ式弾道計算機(FCS)が導入されていた。風速、湿度、気温、弾薬の個体差を瞬時に計算し、数百門の15cm重榴弾砲が一斉に火を噴いた。

 

「TOT――放てっ!」

 

着弾の瞬間、フランソワ軍の砲兵陣地は「時間の隙間なく」同時に数十発の砲弾を叩き込まれ、反撃の機会すら与えられずに一瞬で沈黙した。

 

第一梯団によるワロン突破は、開始からわずか12時間で完了した。

 

この報を受けたフランソワ最高司令部は、完全に帝国の狙い通りの罠にハマった。

 

「帝国軍の主攻はワロンだ! 渡河を成功させた敵を押し戻さねば、パリースィへの道が開かれてしまう! 北方の戦略予備をすべてワロンへ投入せよ!」

 

フランソワ軍は、北部に残されていた膨大な戦略予備群を、一斉にワロン突出地へと向けさせた。

 

しかし、これこそが第二の仕掛けへの誘導であった。

 

5月12日 午前10時。

 

フランソワ軍が誇る絶対防御の要塞線――北方マジノ線の上空に、不吉な重低音が響き渡った。

 

高度八千メートルの超高空を飛行するのは、帝国空軍の4発大型重爆撃機隊であった。その巨大な機体の腹下には、異様な兵器が懸吊されていた。

 

【帝国空軍 超重型誘導滑空爆弾:SB-4000『フォルカン』】

 

海軍の40.6cm(16インチ)超重徹甲弾頭に十字型のスチール滑空翼と、尾部制御フィンを取り付けた、総重量1.8トンの「鋼鉄の杭」である。

 

「目標、北方マジノ線第4号主力トーチカ。誘導レーザー照射開始!」

 

先行する誘導機から、目に見えない指向性赤外線レーザーがマジノ線の巨大なベトン構造物へと照射された。

 

「フォルカン、投下ーッ!」

 

爆撃機から切り離されたフォルカンは、滑空翼を広げて滑らかな軌道を描いた後、気圧ジャイロと赤外線レーザー追従装置によって、吸い寄せられるように速度を上げた。

 

高度八千メートルからの垂直落下。重力加速度と空気抵抗の均衡点に達した1.8トンの鋼鉄の塊は、音速に近い速度でマジノ線の天頂へと叩きつけられた。

 

ドガァァァァァァァァァン……!!!!

 

大地が激しく揺れた。

 

通常の爆撃や榴弾砲では掠り傷一つ負わなかった厚さ数メートルの強化コンクリート天頂が、海軍の超重徹甲弾頭によって紙くずのように穿たれた。

 

内部に侵入した弾頭は、地下数十メートルに存在する要塞の主力弾薬庫および発電施設の中央で炸裂した。

 

内部からの誘爆。

 

連鎖的な大爆発が地下網を駆け抜け、逃げ場のないエネルギーで要塞の装甲砲塔が巨大なロケットのように空へと吹き飛んだ。換気網を通じて高圧の爆風と火焔が駆け巡り、要塞内部にいた数百名の守備隊は、叫び声を上げる暇もなく即死した。

 

「第2号トーチカ、沈黙!」

「第7号、第9号トーチカ、天頂貫通! 地下陣地壊滅!」

 

次々と落とされるフォルカンの精密爆撃により、絶対防御を誇ったマジノ線の一角に、巨大な「穴」があいた。

 

「第二梯団、突入せよ!」

 

要塞の機能を失った開口部へ、待機していた帝国軍第二梯団の歩兵師団が雪崩れ込んだ。

 

フランソワ軍はパニックに陥った。

 

「マジノ線が……破られた!? 嘘だ、あり得ん!」

「全軍に告ぐ! ワロンに向かっている部隊の一部を転進させ、マジノ線の開口部を塞げ! 何としても敵の侵入を食い止めるのだ!」

 

フランソワ軍最高司令部は、動揺のあまり、手持ちの全兵力を北方ワロンと、マジノ線の穴という「二つの激戦地」へと全力で注ぎ込み続けた。

 

こうして、フランソワ軍のほぼすべての野戦軍――総数100万人を超える大軍勢が、北方戦域という狭い領域へと完全に引き寄せられ、固定されたのである。

 

後方には、もはや彼らを遮る陣地も、予備兵力も存在しなかった。

 

すべては、第三の矢を放つための準備(お膳立て)であった。

 

5月14日 午後11時

 

月明かりすら届かない鬱蒼としたアルデンネの密林地帯。

 

起伏の激しい丘陵、狭隘な悪路、巨木が立ち並ぶこの地は、古今東西の軍事常識において「大規模な機甲部隊の通過は不可能」とされてきた。フランソワ軍もこの地域には最低限の警戒部隊しか配置していなかった。

 

しかし、暗闇の中で響き始めたのは、数千台のディゼルエンジンの地鳴りであった。

 

「全車、ライト消灯! 前車の赤外線反射板を追従せよ!」

 

第三梯団――帝国軍の真の主力を担う第十九機甲軍団(司令官:ハインツ・ガデーリアン大将)の戦車群が、密林の悪路へと突入した。

 

彼らが直進できたのは、偶然ではない。

 

帝国軍工兵隊は、半年前から「演習」の名目でアルデンネ内部の迂回路の拡幅、樹木の伐採、地盤補強、臨時橋梁の敷設を完璧に完了させていた。さらに、主力戦車グライフの幅広な履帯は、泥濘化した悪路をものともせず踏み破っていった。

 

「急げ! 立ち止まるな! 36時間以内にアルデンネを通り抜けるぞ!」

 

戦車の列は、まるで暗闇を這う巨大な鉄のムカデのように、一両の脱落車も出すことなく密林を駆け抜けた。

 

そして、作戦開始からちょうど36時間が経過した5月16日 午前11時。

 

アルデンネの森を抜け出た第三梯団の先頭車両が、目の前に広がるフランソワ本土の広大な大平原を目撃した。

 

そこには、陣地も、敵の戦車も、遮る砲兵すら存在しなかった。

 

「アルデンネ突破成功! 我が軍の前に敵影なし!」

 

無線を通じて全軍に歓喜の報告が駆け巡る。

 

だが、参謀本部の描いたシナリオは、これだけで終わらなかった。

 

アルデンネ突破と「完全な同時刻」。

 

帝国軍の秘密ロケット基地において、悪魔の作戦『衝撃と畏怖』が牙をむいた。

 

「発射準備完了! カウントダウン……3、2、1……発射ーッ!」

 

轟音とともに、巨大なV1型長距離ロケット数基が、尾部に猛烈な火柱を吹き上げながら夜空へ向かって打ち上げられた。

 

そのロケットの弾頭カプセル内部には、通常爆薬ではなく、生身の人間たちが詰め込まれていた。

 

「……絶対許さん。参謀本部のクソどもめ、私をロケットの弾頭に詰め込んで打ち飛ばすなど……! 生きて帰ったら絶対に労基法と人間性を盾に訴えてやる……!」

 

密閉された極小のカプセルの中で、第二〇三航空魔導大隊長、ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐は、凄まじいGと振動に耐えながら、歯を食いしばって呪詛を吐いていた。

 

隣に押し込められた副官のヴィーシャは、目を回しながら必死に神への祈りを捧げている。

 

超音速で弾道飛行を行うV1ロケットは、フランソワ軍の対空警戒網や航空魔導士の追撃を完全に置き去りにし、わずか数分でフランソワ軍の心臓部――ライン戦線最高司令部の上空へと到達した。

 

「到達目標地点上空! カプセル分離!」

 

ポンッという爆圧とともに弾頭カプセルが開放され、超高空の極寒の大気へとターニャたちが放り出された。

 

「中隊、術式展開! 急降下開始!」

 

ターニャの狂乱の叫びが無線網に響く。

 

演算宝珠を極限までオーバーロードさせた精鋭の魔導士たちは、付近に散らばり地面と激しく衝突するV1ロケットの残骸の騒ぎに紛れて敵司令部へと突撃した。

 

地上では、フランソワ軍の警衛兵たちが、空から落ちてくる異常な光の群れに呆然と立ち尽くしていた。

 

「な……何だ!? 空からなにかが落ちてくるぞ!?」

「一体なんだ!? 何が起きてるんだ!?」

 

警報が鳴り響く前に、ターニャたちの集束爆破術式が解き放たれた。

 

ドガアァァァァァァァァン……!!!!

 

一瞬にして、ライン戦線最高司令部の本館が紅蓮の炎と衝撃波の中に消滅した。

 

ライン戦線司令官以下将軍、および作戦幕僚三十名余りは、何が起きたかも理解できぬまま、指揮机ごと一瞬にして蒸発した。

 

さらに、ターニャたちは矢継ぎ早に周囲の通信用鉄塔や暗号解読センターを徹底的に爆砕。わずか十分間の強襲で、フランソワ陸軍の「頭脳」と「神経」を完全に破壊し尽くしたのである。

 

「任務完了! 潮時だ、撤退するぞ!」

 

ターニャは炎上する司令部を見下ろし、吐き捨てるように叫ぶと、煙の中に消えていった。

 

この『衝撃と畏怖』によるライン戦線司令部の消滅が、フランソワ軍にとどめを刺した。

 

北方のワロンとマジノ線で帝国第一、第二梯団と交戦していた百万人以上のフランソワ軍主力は、突如として戦線指導部との通信を完全に絶たれた。

 

「司令部からの応答がありません!」

「パリースィの中央省庁とも連絡が取れない! 我々は誰の命令に従えばいいんだ!?」

 

指揮系統を失った巨大な大軍は、有機的な軍事行動をとることが不可能となり、単なる「武装した避難民の群れ」へと成り下がった。

 

そこへ、アルデンネを抜けて西進してきた帝国第三梯団の機甲軍団が、北上して彼らの背後を完全に遮断した。

 

東からは第二梯団、北からは第一梯団、そして南と西からは第三梯団。

 

挟み撃ちにされた百万人以上のフランソワ軍主力、および救援のために派遣されていたアルビオン連合王国の派遣軍二個師団は、ワロンから海岸線に至る巨大な「ケッセル(包囲網)」の中へと完全に閉じ込められたのである。

 

5月20日

 

包囲網の形成を完了した帝国軍参謀本部は、残存する敵の処理を後続の歩兵師団に任せ、第三梯団の先鋒――第十九機甲軍団に対し、歴史に残る電令を発した。

 

『目標、パリースィ。障害物なし。疾風の如く進撃せよ』

 

包囲網の南側――首都パリースィへと続く数百キロの行程には、もはやフランソワ軍の部隊は一兵たりとも存在しなかった。

 

ある者は北の包囲網で通信不能のまま泣き叫び、ある者は南のイルドア国境で呆然と立ち尽くしていたからだ。

 

帝国軍のグライフ中戦車隊は、まるで爽やかなドライブでもするかのように、綺麗に舗装された国道を時速五十キロで爆進し始めた。

 

沿道のフランソワの市民たちは、自分たちの軍隊が破れたことすら知らず、突如として街に現れた帝国軍の鉄の群れを、ただ口を開けて見送ることしかできなかった。

 

戦車の車上では、排気ガスの臭いとともに、帝国兵たちが気楽に笑い合っていた。

 

「おい、本当に敵がいないぞ」

「参謀本部のバカどもにしては、たまにはまともな作戦を立てるじゃないか」

「パリースィに着いたら、一番高級なワインを開けようぜ!」

 

中央暦1925年5月24日

 

作戦開始から、わずか十四日間。

 

欧州最強と謳われたフランソワ大陸軍は、完全に無力化された。

 

そして首都パリースィの防衛線すら作れぬまま、帝国の軍靴が、西の都の目と鼻の先へと迫っていた。

 

海の向こう――首都ロンディウムの10番地において、アルビオン首相ウィンストン・チャーブルが絶叫していたまさにその瞬間。

 

大陸の覇権は、完全に決していた。

 

アルビオン連合王国が自国の利益のために維持し続けてきた「欧州の勢力均衡(バランス・オブ・パワー)」という壮大な天秤は、帝国の圧倒的な鉄と炎によって、木っ端微塵に打ち砕かれたのである。

 

残されたのは、全欧州大陸をたった一国で制圧した、怪物国家「帝国」と、海を挟んで一対一で対峙しなければならないという、絶望的な現実だけであった。




というわけで共和国戦はダイジェストにお送りしました。
メインディッシュはやっぱ連邦戦なんでね。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。