けど多分いままでで一番時間かかってる。
本書では、かつて世界を焼き尽くした大戦争の根本的要因たる「帝国問題」について語りたいと思う。
歴史を紐解けば、欧州の激動は中央暦1865年の「帝国統一」に端を発する。プロシアを中心とする強力な軍事機構を中核として、中欧の諸邦が単一の巨大な主権国家として統合されたこの年、欧州の勢力均衡(バランス・オブ・パワー)は完全に崩壊した。
新たに誕生した帝国は、単なる大陸国家ではなかった。西方において沿岸部の海洋交易国家群をも完全に版図に収めており、それに伴って彼らが有していた広大な海外植民地をも継承したのである。
この「中欧を丸ごと支配し、大洋にも直結する超巨大国家」の誕生は、周辺諸国に筆舌に尽くしがたい恐怖を与えた。
西のフランソワ、東のルーシー、海を隔てた覇権国アルビオン。彼らは自国の安全保障が根底から覆されたと認識した。帝国から自国を防衛するため、周辺国は一斉に軍備を拡張する。対する帝国もまた、「全方位を潜在的敵国に囲まれている」という強迫観念(いわゆる包囲網の恐怖)から、さらなる軍事力の増強へと突き進んだ。
これこそが、最悪の相互不理解と軍備拡張の螺旋をもたらす「安全保障のジレンマ」の始まりであった。
この地政学的な摩擦を、フランソワの歴史家エガドー・ネキは自著『中欧のシステムについて』の中で初めて言語化した。彼は「欧州の中央に巨大な重力が生まれたことで、周辺の衛星国はその軌道を狂わされ、いずれ衝突を免れない」と警告した。これが、後世に語られる「帝国問題」の原初的な定義である。
しかし、この「帝国問題」の本質を最も冷徹に、そして現代的な意味で完全に看破し、提唱したのはフランソワの学者ではない。他ならぬ帝国の内部から現れた。当時まだ士官候補生に過ぎなかったジーク・マイヤー・アンドシェル・フォン・ローゼフシルトであった。
彼は士官学校時代に執筆した論文『帝国によってもたらされる不安定な欧州秩序』において、この問題を次のように看破している。
「帝国は欧州の中心に位置し、その経済力や人口規模はあまりにも巨大である。ゆえに、自国という枠組みの中に収まるには強すぎるが、欧州全体を完全に支配し切るには至らない。この半端な強大さこそが、地政学的不安定さの根源である」
ローゼフシルトは、帝国が存在するだけで周辺国の脅威となり、平和的共存が構造的に不可能であることを論理的に証明した。そして、「この問題は最終的に、世界全体を燃やす未曾有の戦争を巻き起こす」と予言したのである。この論文は、後に現実のものとなる「大戦争」を完全に予見した歴史的文書として、今日でも高く評価されている。
この絶望的な「帝国問題」に対し、異なる時代に二人の天才がそれぞれの方法で解決を試みた。
一人は、帝国統一の立役者にして初代宰相であるオットーである。
彼は「帝国がこれ以上の領土的野心を持たない『飽和した国家』である」と周辺国にアピールすることで、恐怖を緩和しようとした。彼の外交手腕は芸術的ですらあった。
フランソワ共和国に対する歴史的遺恨を利用して彼らを外交的に孤立させる一方、東方のルーシーや南方のイルドア王国とは複雑に絡み合う秘密条約や再保障条約を締結。アルビオンに対しても、彼らの海洋覇権を刺激しないよう、初期にはあえて大規模な建艦を抑えるポーズをとった。オットー宰相は、数千本の絹糸で巨大な帝国を縛り付け、欧州の勢力均衡という名のサーカスにおいて絶妙な綱渡りを演じきったのである。
しかし、オットーの引退後、この複雑すぎる外交網は凡庸な後継者たちには維持できなかった。
そこで登場したのが、もう一人の天才、先述の論文の著者であるローゼフシルト将軍である。
彼の解決策は、オットーのような「外交的妥協による均衡維持」ではなかった。ローゼフシルトの持論は極めてシンプルかつ暴力的であった。
「帝国が欧州の枠に収まりきらない強大さを持つがゆえに不安定になるのなら、最終的解決は『帝国による欧州の完全支配(ヘゲモニーの確立)』によって強制的に秩序を再構築するしかない」
彼は軍人でありながら経済にも精通していた。合州国のザ・ストリートで培った莫大な資金と資本主義の論理を用い、「ローゼフシルト財閥」を設立。さらに士官学校の同期で友人の皇太子を通じて皇帝に直談判し、帝国を国家総力戦体制へと作り変える『第一次4カ年計画』および『第二次4カ年計画』を主導したのである。
製鉄業界の暴走による鉄余りショックや、世界恐慌によるブロック経済化の波すらも巧みに利用し、コンテナシステムやアウトバーン網の整備、そして空前絶後の「建艦の十年代」を引き起こした。
ローゼフシルト一派の計画経済と軍産複合体のフル稼働によって、帝国はいかなる国家も単独では対抗不可能な超大国へと変貌を遂げていた。
以下は、世界が発火する直前、中央暦1923年次における帝国の各種指標である。
指標項目 統計数値
粗鋼生産量 7,000万トン
国民総生産(GNP) 5,500億ドル
自動車生産台数 280万台
石油産出量(海外植民地含む) 9,000万トン
稼働ドック数(潜水艦以上建造可能) 340基
【帝国軍事力(1923年次)】
区分 兵力・装備数
陸上兵力 人員 120万人
戦車 5,000両
野砲 6,000門
航空戦力 軍用機 2,500機
海洋戦力
大型空母 3隻
中型空母 5隻
小型空母 2隻
戦艦 26隻
重巡洋艦 24隻
軽巡洋艦 78隻
駆逐艦 185隻
潜水艦 310隻
これだけの圧倒的な暴力を、高度な兵站網と世界最先端の技術が支えていたのである。
このような化け物じみた巨大国家が、欧州のど真ん中に鎮座していたのである。
フランソワがマジノ線を構築して震え上がり、アルビオンが二国標準主義を投げ捨てて建艦競争に狂奔し、ルーシー連邦が血みどろの粛清を行ってまで重工業化を急いだのは、ある意味で当然の自衛行動であった。
帝国は、ただそこに存在しているだけで、世界を恐怖のどん底に陥れる地政学的な「特異点」であった。
誰もが自国の生存のために銃を取り、誰もが相手の先制攻撃を恐れた。ローゼフシルトが士官候補生時代に予言した通り、帝国の存在自体が巨大な時限爆弾となり、欧州の均衡は限界点を突破した。
そして中央暦1923年。協商連合との些細な国境紛争を火種として、世界はついに燃え上がった。大戦争は、狂人たちが望んだから起きたのではない。「帝国問題」という構造的矛盾を抱えた世界において、それは起こるべくして起きた必然の帰結だったのである。