自分もあの場にいたらハイルハイルしちゃうと思う。
一ヶ月前。
共和国は、建国以来最大にして最悪の歴史的屈辱を受けた。
世界を戦慄させた帝国の、常軌を逸した機甲軍団の電撃的侵攻。世界最強の一角を誇った共和国大陸軍の防衛線はわずか十四日間で木端微塵に粉砕され、美しき首都パリースィは無惨にもその深緑の軍靴に踏みにじられた。鋼鉄のトレンチコートを纏った帝国兵が凱旋門の真下を闊歩し、無数の軍用車両がシャンゼリゼの石畳を踏み鳴らす光景は、誇り高き市民の心に決して癒えることのない深い絶望と敗北の傷痕を刻み込んだ。
三週間前。
共和国は、次なる屈辱を受けた。
死に瀕した巨獣の脇腹に噛みつくハイエナの如く、南方の国境線から火事場泥棒的に侵入してきた日和見主義のイルドア王国によって、まともな戦闘すら経ないまま、南の豊かな領土を不当に切り取られたのだ。敗者の傷口から啜り上げるような卑劣な所業に、国民の怒りは沸点を優に超えていた。
一週間前。
共和国は、長き暗闇の中で久方ぶりの朗報を聞いた。
帝国の占領下において、現実的な和平を模索する新政府が成立したのだ。首都陥落の混乱の中で、安全な対岸へと逃げ出し無謀な継戦を叫び続けた主戦派の残党ども――ロンディウムへとみみっちく亡命していったド・ルーゴ将軍とその一派は早々に切り捨てられた。現在の新生政府は、占領統治を円滑に進めるために帝国の監視のもとで旧政府の行政機構をそのままスライド登用し、さらに国民の離反を防ぎ国家の結束を保つための象徴として、老兵ペトン元帥が国家首班として据えられた。
帝国との間で正式に講和条約が締結され、共和国は「戦争からの完全なる中立」を勝ち取ったのだ。これ以上の無意味な血は流れず、荒廃した祖国の再建に専念できる。誰もがそう信じて疑わなかった。
そして、昨日。
共和国は、歴史の暗部に永遠に刻まれるべき、最も凄惨で卑劣な三度目の屈辱を、咽び泣き血の杯で無理やり飲み干すこととなった。
南方の太陽が眩しく照りつける軍港ケルセルメビークにおいて、完全なる中立を標榜し、帝国との休戦条約に従って武装解除と復員の手続きを進めていたはずの共和国海軍が、かつての同盟国――アルビオン連合王国の艦隊から一方的な奇襲攻撃を受け、文字通り全滅したのである。
◇
《中央暦1925年7月3日 フランソワ共和国南方大陸領 ケルセルメビーク軍港》
地中海の潮風が穏やかに吹き抜けるケルセルメビーク軍港。
そこには、フランソワ共和国海軍が誇る近代化改装を終えたばかりの最新鋭戦艦群や、優美なシルエットを持つ重巡洋艦、駆逐艦の群れが、まるで疲労を癒やす獣のように肩を寄せて碇を下ろしていた。帝国との厳格な休戦条約および中立化協定に従い、彼らはすでに戦闘準備を完全に解除していた。主機のボイラーの火は落とされ、巨体の心臓部である機関は完全に冷え切っている。主砲の弾薬庫には鍵がかけられ、兵士たちは久々の静寂に安堵し、遠き故郷の家族に思いを馳せながら、無防備な平時の日常を過ごしていた。
その平和の幻想を無残に切り裂くように、水平線の彼方から不気味な黒煙の群れが這い上がってきた。
かつて共に帝国という怪物に立ち向かったはずのアルビオン連合王国海軍――「H部隊」の巨艦群であった。
彼らが港外に展開するや否や、旗艦の信号灯と無線電信から放たれたのは、共和国の将兵に対するねぎらいの言葉でも、親善の挨拶でもなかった。それは、冷徹なまでの暴力の予感に満ちた、拒絶を許さぬ「五つの選択肢」という名の最後通牒であった。
一、直ちにアルビオン海軍の指揮下に入れ。そして帝国との戦闘を継続せよ。
二、アルビオン本国および近海港湾へ艦艇を回航し、我が国へ一切の権利を移譲・引き渡しせよ。
三、西インディアン諸島や太西洋の遠隔中立港へ回航し、戦争終結まで武装解除のうえで係留されよ。
四、今から六時間以内に、貴国官憲の手によってすべての艦艇を自沈させ、海の藻屑となれ。
五、これらすべての選択肢を拒絶する場合――我らアルビオン海軍の実力をもって、貴艦隊をこの瞬間に撃滅する。
ケルセルメビークの港内にいた共和国海軍の指揮官たちは、突きつけられた紙の文字を二度、三度と読み返し、己の目を疑った。
狂気だ。これは元同盟国に向ける外交文書ではない。敗者に対する海賊の脅迫状そのものであった。
「ふざけるな……! 我々はすでに帝国と講和を結び、中立を宣言したのだぞ! なぜ我らが、昨日までの同盟国に刃を向けられねばならん!」
司令官は血走りたった目で叫び、直ちに本国の海軍省との連絡を試みた。しかし、パリースィ陥落の爪痕未だ生々しい首都の海軍省は、占領軍との調整や組織の再編の真っ只中にあり、通信回線は極度の混迷と輻輳を極めていた。暗号班が必死に回線を叩くも、返ってくるのは雑音混じりの電子音と、要領を得ない官僚たちの怒号ばかりであった。
なぜ、アルビオンはここまで狂気的な行動に出たのか。
その理由は冷酷なまでの地政学的計算に基づいていた。もし、このケルセルメビークに停泊する強大な共和国海軍の残存戦力が、そのまま帝国の地中海艦隊と合流し、あるいはその勢力圏に組み込まれるようなことがあれば、アルビオンの地中海艦隊は瞬く間に圧倒的劣勢に追い込まれる。そうなれば、アルビオン本国と植民地を結ぶ帝国の大動脈――生命線である海路は完全に絞め上げられ、世界覇権の構図そのものが根本から崩れ去ることになる。
ロンディウムのチャーブル首相や軍上層部にとって、共和国海軍が「中立」という安全地帯に留まることは絶対に許されなかった。帝国に渡る危険性がわずかでも存在するならば、友誼の歴史など一顧の価値もなく、ここで根絶やしにするほかなかったのである。
「本国の裁可が下りるまで、回答を一時的に保留する。交渉の時間を……猶予をくれ!」
司令官の必死の懇願を、アルビオン側の提督は冷酷に踏みにじった。
「回答の保留は、我が方に対する明白な拒絶とみなす……」
午後五時ジャスト。
静まり返った地中海の夕闇を切り裂いて、アルビオン艦隊が誇る数十門の38センチ砲が、一斉に咆哮を上げた。
それは戦闘ではなかった。一方的な、あまりにも理不尽な虐殺劇の開幕であった。
「撃たれたぞ!! アルビオンが撃ってきた!!」
「嘘だろ!? 奴ら、本気で俺たちを……!」
「機関の火を入れろ! 缶を焚け! 動かせ!!」
「間に合わない! 圧力計が上がらん! 錨を巻く余裕すらないぞ!!」
港の狭い停泊水域の中で、身動き一つ取れない共和国の巨艦群の頭上に、死の雨が降り注いだ。
アルビオンの放った超重量級の穿甲弾は、整備中で無防備に開かれていた上部構造物や装甲の薄い甲板をいともたやすく突き破り、艦内の奥深くで凄まじい爆発を引き起こした。旗艦の艦橋直近に直撃弾が飛び込み、司令塔全体が赤黒い火柱と共に吹き飛ぶ。数百名の士官や水兵が、自らの血肉と鉄片の混ざった雨の中に消え去った。
隣に停泊していた最新鋭戦艦も、応戦のために主砲を旋回させる暇すらないまま、水面下の側面を魚雷と至近弾でえぐられ、見る見るうちに傾斜を深めていく。
さらに被害を拡大させたのは連合王国から条件を突き付けられた時点で艦隊司令部はもしもの為に陸に上がっていた水兵を艦にもどしていたことから単純に被害を受ける人数が大幅に増えた。
「やめろ……! 我々は昨日まで同じ旗の下で戦った戦友ではないのか……!」
海に投げ出され、炎上する重油の海面で必死に泳ぐ水兵たちの頭上を、冷徹なアルビオンの駆逐艦が通過していく。昨日まで共に帝国の脅威を呪い合っていたはずの「紳士の国」の海兵たちが、今や最も残忍な処刑人となって、共和国の水兵たちの命を刈り取っていく。彼らの胸を焼くのは、裏切られたという感傷よりも、ただただ背後から無抵抗の者を撃つ卑怯千万な振る舞いへの、純粋で激しい怒りであった。
燃え盛る艦艇の残骸が次々と海中へと沈みゆき、ケルセルメビークの青き海は、一千名を超える共和国軍人たちの鮮血とドス黒いオイルで完全に染め上げられた。アルビオン艦隊は、まるで日常のルーティンをこなしたかのような冷淡さでその惨状を見届け、勝利の凱歌をあげることもなく、夕闇の向こうへと静かに姿を消していった。
◇
ケルセルメビークの悲劇を伝える電報がパリースィの臨時政府庁舎に打電された瞬間、国家の最高中枢は文字通りの「狂乱」の渦に包まれた。
リュクサンブール宮殿の一室。大理石の執務室の扉が激しい音を立てて蹴破られ、一人の若い書記官が青い顔で飛び込んできた。
「閣下! 大変です! ケルセルメビークより入電……! 連合王国海軍が、我が軍港を奇襲! 停泊中の全艦隊が……壊滅しました!」
執務机の前に座っていた新生共和国政府の首脳陣――数名の大臣たちは、聞いた言葉の意味を理解できず、しばらくの間、時が止まったように硬直した。やがて、その中の一人の大臣がイスを激しく倒しながら立ち上がり、血走った目を剥いて絶叫した。
「な……なにを言っているんだ君は!? 連合王国だと!? 我々はあいつらと同じ連合国として、共に帝国と戦ったのではないのか!?」
「嘘だ! 帝国による謀略電報に決まっている!」
「ちがう! 事実だ! 既に複数の生存者から無線が入っている……アルビオンの戦艦が、主砲の弾を撃ち込んできたのだ!」
部屋の空気が恐怖と怒りで破裂せんとする中、その時、執務室のもう一つの扉が勢いよく開き、息を切らせた特務官が飛び込んできた。
「閣下! 外をご覧ください! コンコルド広場を中心に、市民たちが……! ケルセルメビークのニュースを聞きつけた数十万の民衆が、暴動を起こしています!」
大臣の一人が窓に駆け寄り、下を覗き込んで絶句した。
眼下の広場は、怒りの炎に身を焼かれた民衆の群れで埋め尽くされていた。数十万の市民たちが「アルビオンの犬どもを叩り出せ!」「我が同胞の仇を討て!」と、狂ったように叫び声を上げ、石畳を引き剥がして掲げている。
そして、その群衆の只中、即席で組み上げられた巨大な木製の演壇の上に、一人の男が立っていた。
小柄で痩せぎす、顔色は青白く、片足をわずかに引きずるようにして演壇の中央へと歩み寄るその男。しかし、マイクの前に立ち、鋭く冷徹な眼光で眼下の群衆を見下ろした瞬間、彼から放たれる圧倒的な存在感と悪魔的なオーラに、広場全体が息を呑んだ。
帝国の新設された宣伝省――その副大臣にして、人心掌握の天才、ヨーゼフ・ガッペルスであった。
「おい……! 誰だ! あの扇動家を壇上に立たせたのは!!」
外の光景に気づいた大臣の一人が、窓枠を叩き割らんばかりの勢いで叫んだ。
「誰だ!!あの男に許可を出したのは!?」
「警備兵は何をしている! 直ちにあの男を引き摺り下ろせ!」
しかし、そばに控えていた書記官は、冷や汗を滝のように流しながら震える声で答えた。
「だ、誰も許可は出していません!! あの男が勝手に壇上に登ったんです!! 周りの市民たちが熱狂してしまって、憲兵すら誰も近寄れない状態なのです!」
「ふざけるな……! 我が国は帝国と講和条約を発効した『主権国家』ではなかったのか!! なぜ敵国の高官が、我が国の首都の民衆を勝手に扇動しているのだ!!」
別の大臣が頭を抱えて床に崩れ落ちた。
窓の外から、ガッペルスの放つ圧倒的なバリトンボイスが、巨大な拡声器を通じてパリースィの空を切り裂いて響いてきた。
「フランソワの誇り高き市民諸君――!!」
その一言の響きだけで、広場の喧騒が嘘のようにピタリと静まり返った。ガッペルスの小柄な肉体からは想像もつかないほどの声量と、人々の鼓膜を直接震わせるような恐るべき抑揚。彼は、数万の群衆の呼吸を完全に支配していた。
彼は流暢なフランソワ語の中に、時折帝国語の力強い響きを交えながら、演劇的に胸に手を当て、深くうつむいた。
「私は今日、勝者側の人間として、君たちを嘲笑うためにここに立っているのではない。一人の欧州人として、君たちの流した尊い血の痛みを分かち合い、共に涙を流すためにここにいる!」
その見事な哀悼の振る舞いに、市民たちの怒号が静まり返る。
「諸君らは勇敢だった。一ヶ月前、我ら帝国軍がこの偉大なる国家と剣を交えた時、諸君らの陸軍は正面から堂々と我々に立ち向かった! 圧倒的な火力差、戦術的劣勢にあっても、フランソワの勇者たちは決して逃げず、騎士としての誇りを持って戦い抜いたのだ! それは歴史の悲劇ではあったが、互いの名誉を賭けた、正々堂々たる戦いであった。私は、敵ながら諸君らの軍隊の勇気に、心からの敬意を表する!」
ガッペルスが拳を握り締め、力強く虚空を叩くと、群衆の中からざわめきと、一部からはすすり泣くような声が漏れた。敵国の高官から与えられた最大の賛辞が、傷ついた彼らの自尊心を激しく揺さぶり、無意識のうちに彼への警戒心を完全に解き放ってしまったのだ。
「……だが!! 大してアルビオンはどうだ!!!」
ガッペルスの声が、突如として雷鳴のように響き渡った。広場の空気が一瞬で凍りつき、直後に発火した。
「彼らは我々のように、諸君と正面から向き合ったか!? 否!! 彼らは、諸君らが武装を解き、武器を置き、丸腰で休息しているその背中から、冷酷な凶弾を撃ち込んだのだ! 昨日までの盟友の胸に、卑劣極まりない短剣を突き立てたのだ! 缶も温まっていない、動くことすらできない美しい船と若者たちを、一方的に虐殺した! 誇り高きフランソワの勇者たちを、戦いの中で名誉ある死を迎えることすら許さず、ドブネズミのように海の底へと沈めたのだ!!」
広場の空気が沸騰した。「アルビオンを許すな!」という絶叫が、そこかしこから連鎖的に爆発する。ガッペルスは両手を大きく広げ、その熱狂を全身で受け止めながら、さらに狂熱の燃料を注ぎ込んだ。
「これが、世界帝国を自称する紳士たちの正体だ! 彼らは世界を支配しているのではない、世界を騙し、裏切り、貪り食っているだけの海賊だ! 私は諸君に問う!! 諸君は、この屈辱の歴史を沈黙と共に受け入れるのか!? 諸君は、血を流して死んでいった一千の同胞を見捨てるのか!?」
「「「「否!! 否!!」」」」
「私は問う!! 諸君は、あの卑劣なる島国の海賊どもに、総力をもった復讐を望むか!? 諸君は、かつてないほどに急進的で、一切の妥協を許さぬ、最も総力的なる戦いを望むか!? フランソワの誇りを取り戻すため、我ら帝国と共に、嵐のごとき鉄槌を下すことを望むか!?」
「「「「望む!! 復讐を!! アルビオンに死を!!」」」」
群衆の熱狂は臨界点を突破した。ガッペルスの背後には、まるで悪魔の翼が幻視されるかのようであった。人間の心の最も脆い部分に刃を差し込み、悲しみを怒りに、絶望を狂信的な熱狂に変える錬金術師。彼の煽動は、フランソワ国民の心を完全に絡め取っていた。
「ならば立て、フランソワの誇り高き市民よ!! 過去の遺恨を捨て、欧州の新たな秩序のために我らと手を結べ!! 共通の敵、卑劣なるアルビオンをこの海から永遠に駆逐するのだ!!」
コンコルド広場は、割れんばかりの歓声と怒号、そして帝国とフランソワの新たな連帯を叫ぶ熱狂の渦に完全に飲み込まれた。
宮殿の執務室でその光景を見下ろしていた大臣たちは、誰もが言葉を失い、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「終わりだ……」と誰かが呟いた。国家の主権は、もはや文書の上でしか存在しない。民衆の心は完全に帝国に掌握されてしまったのだ。
その沈黙の中、ペトン元帥が重い足取りで窓辺から振り返った。
彼の老いた瞳には、涙ではなく、乾いた怒りの炎が宿っていた。元帥はゆっくりと一同を見回し、かすれた、だが誰にも否定できない確固たる口調で言った。
「儂も……一人の共和国人として、アルビオンの卑劣なる手腕には腸が煮えくり返る思いだ」
ペトン元帥の言葉に、部屋の空気がピリと張り詰めた。
「あいつらは我々の背中に銃弾を撃ち込み、無防備な水兵たちを海の底へと沈めた。一人の軍人として、一人の国民として、儂も激しい憤怒に身を焦がしている。今すぐにでもあの怒り狂う市民の列に並び、アルビオンの王宮に向けて全軍の鉄槌を叫びたい――それが偽らざる本心だ」
大臣たちは息を呑んだ。国家の最高首班が、敵国の高官の演説に同調するかのような言葉を吐いたからだ。
「しかし……」ペトン元帥は苦渋に満ちた表情で拳を固く握り締めた。
「我が共和国には、もはやそれだけの国力も、残存する艦隊も残されていない。我々は帝国との戦いで骨の髄まですり潰され、さらに昨日の裏切りで海軍という唯一の盾をも奪われた。この泥沼の世界で生き残り、祖国の再建を果たすためには……もはや、帝国に頼るしかないのだ……」
「なっ……!! 閣下! それは何をおっしゃるのですか! 帝国に頼るですと!? あれほど我々を踏みにじった侵略者に、再び頭を垂れると仰るのですか!!」
大臣のひとりが絶叫し、その場に崩れ落ちた。
ペトン元帥は静かに、しかし残酷な現実を突きつけるように言い放った。
「そうだ。見たまえ、市民らがそれを求めているのだよ……。例えそれが、帝国の用意周到な扇動によるものであろうとな」
◇
狂騒のパリースィから遠く離れた、フランソワ中部の広大な農村地帯。
薄暗い石造りの納屋の中で、数人の農民たちが麦束の上に腰を下ろし、古びた真空管ラジオを無言で囲んでいた。彼らはほんの一ヶ月前まで、自分たちの息子や兄弟を戦場で殺した帝国を「野蛮な侵略者」として心の底から憎悪していた者たちだ。
ラジオのノイズ混じりのスピーカーからは、広場の地鳴りのような熱狂と、ガッペルスの血を吐くような力強い声が途切れ途切れに響いていた。
演説が終わり、アナウンサーの興奮した声に切り替わると、年老いた農民がゆっくりとパイプに火をつけ、紫煙とともに深く息を吐き出した。
「……帝国は、少なくとも俺たちと正面から戦ってくれた」
その一言に、周囲の農民たちが静かに頷いた。
「ああ。真正面から来て、力で俺たちを打ち負かした。戦争とはそういうもんだ。だが……アルビオンの野郎どもは違う。あいつらは、俺たちが武器を置き、背を向けた瞬間に撃ち殺しやがった」
「俺の甥っ子は、ケルセルメビークの戦艦に乗っていたんだぞ……」
若めの農民が、泥にまみれた両手で顔を覆い、絞り出すように言った。
「あいつは帝国に殺されたんじゃない……アルビオンに殺されたんだ。昨日まで一緒に酒を飲んでいたはずの、あの卑怯者どもに……!」
暗い納屋の中に、乾いた怒りが静かに、しかし確実に満ちていく。
彼らの心境の劇的な変化。それは、帝国の冷徹な戦略と、ガッペルスの悪魔的な扇動が見事に噛み合った結果であった。
軍事的な敗北によって屈服させられたはずの共和国国民は、今や「アルビオンへの復讐」という強烈な共通目的のもと、自らの意志で帝国の巨大なシステムへとその身を繋ぎ止めようとしていた。
この時、帝国は真に欧州を支配した。
結局人間を一番強く結びつけるのって共通の敵なんですよね。
その点ナチスは巧みでしたし、ムッソは劣ってたんだよな……