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他の作品と混同しちゃった
大戦争の歴史において、最も凄惨で、最も無意味な血が流された期間を問われれば、多くの歴史家は統一暦1926年4月の12日間を挙げるだろう。
作戦の全体像など、前線で泥を這いずる兵士たちには何一つ分かっていなかった。
将軍たちが地図の上で引いた美しい矢印は、現実の泥濘の中では、ただ数え切れないほどの千切れた四肢と内臓の道標でしかなかった。
以下は、後に編纂された『東部戦線従軍記録』に残された、両軍の名もなき兵士たちによる断片的な手記、および証言記録である。
【第一日:四月一二日】ルーシー連邦軍第22懲罰大隊 元政治犯の手記
我々に武器は支給されなかった。渡されたのは半分のレンガと、ウォッカの小瓶だけだ。政治将校は我々を「祖国の裏切り者」と呼び、血で罪を贖えと命じた。
我々の任務は、戦車が通る前の帝国の地雷原を歩いて進むことだった。
笛が鳴り、我々は泥の中を歩き出した。少しでも足が止まれば、背後に陣取った味方の内務人民委員部の督戦隊からマキシム機関銃を撃ち込んでくる。
右を歩いていた男の足が吹き飛び、左を歩いていた男は上半身が消し飛んだ。肉片と泥を顔に浴びながら、我々はただひたすらに地雷を踏んで起爆させるためだけに前進した。これが、連邦の言う地雷除去だった。
今日、私は運がよかった。
【第一日:四月一二日】ルーシー連邦軍第43狙撃師団 一等兵の手記
耳がおかしくなった。いや、世界から音が消えたのかもしれない。
丸一日、二四時間ぶっ通しで、我が軍の砲兵が撃ち続けた。空が赤く燃え上がり、帝国の陣地があったはずの場所は、ただのクレーターの海になった。将校は「帝国主義者どもは塵になった! あとは歩いてヴァルシャワへ入城するだけだ!」と叫んでいた。
だが、突撃の笛が鳴り、泥の中を走り出した時、我々の背後で信じられない爆発が起きた。空から降ってきた巨大な隕石のような砲弾(後で知ったが、帝国の超重砲らしい)が、味方の砲兵陣地を跡形もなく吹き飛ばしたのだ。
支援してくれるはずの砲撃も戦車も消え、我々は丸裸で死の静寂に包まれた帝国の第一陣地へ飛び込んだ。だが、そこはもぬけの殻だった。その代わり、泥の中には無数の地雷と、有刺鉄線の海が待っていた。「進め! 止まるな!」と叫ぶ将校の声だけが、地雷の爆音の中で響いていた。
【第二日:四月一三日】ルーシー連邦軍第71狙撃連隊 新兵の遺書
モシン・ナガン小銃は、二人に一丁しか支給されなかった。弾薬も一人五発だけだ。
「前の者が死んだら、その銃を拾って戦え!」
中隊長はそう叫んで我々を突撃させた。信じられるか? 帝国軍の陣地からは、一分間に千発以上の銃弾を吐き出す機関銃が何十丁も火を噴いているのだ。我々は武器も持たず、ただウラーと叫びながらあの火の壁に向かって走るしかない。
私の前を走っていた友人のセルゲイが、頭を撃ち抜かれて倒れた。私は約束通り彼の銃を拾おうとしたが、その銃はすでに別の誰かの千切れた腕ごと泥の中に踏みにじられていた。もう駄目だ。私たちは狂人の命令で屠殺場へ送られているだけだ。
【第三日:四月一四日】帝国軍第28歩兵師団 機関銃手の証言
狂っている。あいつらは人間じゃない。ただの赤い虫だ。
機関銃の銃身を交換するのは、今日だけでもう六度目だ。予備の銃身も熱で歪み始め、水冷用の水が沸騰して蒸気を噴き上げている。だが、撃つのをやめるわけにはいかなかった。
キルゾーンに、連邦の歩兵が際限なく押し寄せてくる。撃っても、撃っても、倒れない。いや、倒れた死体を踏み台にして、後ろから新しい奴らが絶叫しながら走ってくるのだ。
連邦軍は、一メートルの前進を、数百の死体で買っていた。陣地の前の泥は完全に赤く染まり、血の池ができている。
私の横で撃っていた新兵は、あまりの光景に発狂して自らの頭を撃ち抜いた。デールモ閣下は「出血を強要しろ」と言ったが、流れているのは敵の血だけではない。我々の精神もまた、あの赤い津波に削り取られていた。
【第五日:四月一六日】帝国軍第16師団 通信兵の最期の記録
(血に濡れた走り書き)
スタニスワブ防衛線、突破された。
敵の数が多すぎる。弾薬が尽きた。装甲車もやられた。
第二陣地の左翼が崩壊。デールモ閣下より後退命令。
間に合わない。周囲はすべて赤い軍服だ。奴ら、武器を持たずにスコップや素手で殴りかかってくる。
帝国万歳。お母さ――
【第六日:四月一七日】ルーシー連邦軍第8戦車旅団 操縦手の回想
我が軍が誇る最新鋭のT-34戦車は素晴らしい装甲を持っていた。だが、無線機が積まれているのは中隊長の戦車だけだ。我々はハッチを開け、中隊長が振る手旗信号を見ながら横並びで突撃するしかなかった。
濃霧と硝煙の中で旗など見えるはずがない。我々がバラバラになったところを、帝国の恐るべき八八ミリ砲が側面から次々と串刺しにしていった。
右を走っていた同志の戦車が炎を噴き上げ、ハッチから火だるまになった戦車長が転がり出てきた。彼を助けようと速度を落とした瞬間、中隊長の戦車も砲塔を吹き飛ばされた。
指揮官を失い、無線もない我々は、泥の中で盲目の鉄の棺桶に入った気がした。
【第七日:四月一八日】ルーシー連邦軍第18親衛狙撃師団 中隊長の手記
スタニスワブを抜け、ついにヴァルシャワの市街地の外縁が見えた。第三陣地だ。
勝てる。そう思った。
だが、それは蜃気楼だった。我々には、空の守りが全くなかったのだ。
帝国の戦闘機が、悠然と我々の頭上を舞い、爆弾をばら撒いていく。空からの殺戮に耐えかねた一部の兵士が、ついに武器を捨てて後方へ逃げ出した。
すると、後方に展開していたNKVDの督戦隊が、逃げてきた味方に向けて容赦なくマキシム機関銃の引き金を引いたのだ。
「退く者は祖国の裏切り者として処刑する!」
前方からは帝国の爆弾が降り注ぎ、後方からは味方の銃弾が飛んでくる。遮蔽物のない平原で、我々は泥に顔を押し付け、ただ神を呪いながら死を待つしかなかった。
【第八日:四月一九日】帝国軍第9工兵大隊 軍曹の手記
もはや近代戦ではない。中世の殺し合いだ。
弾薬が尽きた陣地で、我々は塹壕用のシャベルを振り回し、泥まみれになりながら連邦兵と殴り合った。奴らは飢えていた。私の首を絞めようとした若い連邦兵は、死に物狂いで私の腰からレーションの袋を奪い取ろうとしていた。
彼らは戦うために来ているのではない。生きるための食べ物を求めて、死の陣地へ突撃させられているのだ。この不条理な現実に、私はシャベルで彼の頭を叩き割りながら、なぜか涙が止まらなかった。
【第九日:四月二〇日】ルーシー連邦軍第112狙撃連隊 歩兵の走り書き
悪魔を見た。
空から、帝国軍の魔導士部隊が降ってきた。彼らは銃弾を魔法の盾で弾き返し、光の槍を降らせて我々の戦車を紙箱のように吹き飛ばした。
その先頭に、小さな女の子の姿をした悪魔がいた。彼女は空を舞いながら、まるで歌うような無慈悲な声で指示を出し、我々の陣地を次々と火の海に変えていった。「モスコーの下手人」だと誰かが叫んだ。
あんなものとどうやって戦えというのだ。人間の形をした死神だ。
【第十日:四月二一日】帝国軍第4装甲師団 戦車長の回想
「我慢の時間は終わった」と、デールモ閣下からの指令が無線で響いた。
温存されていた我々機甲師団と、後方の超重砲群が、ついに牙を剥いたのだ。
我々のハインツ戦車は、連邦軍の側背に深々と楔を打ち込んだ。敵には対戦車兵器はおろか、まともな野砲すら残っていなかった。彼らの兵站線は完全に崩壊していた。ただの歩兵の群れを、履帯で踏み潰しながら前進した。
第三陣地に取り付いていた連邦軍は、完全に包囲された。
狭い泥のすり鉢の中に、二十万人の連邦兵が閉じ込められた。そこへ、帝国のすべての砲火が集中した。それは戦争ではなく、ただの屠殺だった。泥の海の中で、赤い虫と言われた人間が文字通り蒸発していく光景を、私は一生忘れることはないだろう。
【第十一日:四月二二日】ルーシー連邦軍第5督戦隊 政治将校の報告書(未送信)
包囲された。帝国軍の戦車が四方から迫っている。
逃亡兵を処刑するための弾薬すら尽きた。今や、処刑されるべき怯懦な兵士の数が、我々督戦隊の数を上回っている。兵士たちはもはや私の命令を聞かず、泥の中の死体から腐った芋を探し出そうと這いずり回っているだけだ。
同志書記長。我々はどこで間違えたのでしょうか。我々の流した血は、本当に祖国を救うのでしょうか。
【第十二日:四月二三日】ルーシー連邦軍 名もなき歩兵の遺書
(泥に埋もれていた手帳)
生き残っているのは、中隊で私を含めて三人だけだ。
泥水の中で、死んだ軍馬の肉を食って飢えをしのいだ。だが、それも終わりだ。
帝国の戦車が、すぐそこまで来ている。
包囲の輪が縮まる。降伏は許されない。
祖国よ。我々の死に、意味はあったのか。
◇
このように、前線の兵士たちにとって、この十二日間はただ意味もなく肉体が挽肉機に放り込まれるだけの、絶対的な虚無と絶望であった。
しかし、後世の歴史家たちは、この地獄を極めて冷徹なフォーマットで記録し、俯瞰している。以下の電子百科事典『第一次ヴァルシャワの戦い』の項目に見られるように、前線の狂乱とは対極にある、歴史の無機質な記録として保存されている。
【第一次ヴァルシャワの戦い】
第一次ヴァルシャワの戦い(だいいちじヴァルシャワのたたかい)は、大戦争初期に発生した帝国とルーシー連邦間の大規模な戦闘である。統一暦1926年4月12日から24日までの12日間のみ行われたため、創作物などでは「12日間の戦い」と呼ばれることが多い。
連邦の大規模帝国侵攻作戦である「ポトジャスティー作戦(圧倒作戦)」の一環として行われた大規模攻勢として始まり、双方合わせて約50万人の死者が発生した。大戦後期の連邦軍と比べると、初期連邦軍の戦術は極めて繊細さに欠けるところがあり、帝国側に対して恐ろしい規模の損害(自軍の出血)を強要される結果となった。
一日に5万人が死亡する戦闘は、大戦争初期においては珍しいものであり、帝国・連邦間の衝突の激しさを物語っている。また、連邦側の攻勢人員200万人に対し砲門数が2万門であり、これはこれ以降の連邦軍の攻勢と比べると、人員あたりの砲門数が明らかに少なかった点も特筆される。
・目次
背景
直前の両軍
経過
その後への影響
・背景
ヴァルシャワは帝国東部戦線の中央部に位置する要衝である。ここを突破・占領できれば、ほか二つの重要拠点であるティゲンホーフ、フラフクを側面から攻撃可能になり、帝国の防衛線を根本から破壊可能になるため、戦略上極めて重要な地点であった。
連邦首脳部は、「帝国は我が方の圧倒的戦力を前に劣勢であり、ヴァルシャワ縦深陣地もこれまでの陣地と同様に突破可能である」と認識していた。前線の実態(深刻な補給難と損耗)と、連邦首脳部の認識には著しい齟齬があったのである。
また、先の「モスコー襲撃」の実行犯と思われる帝国軍の魔導部隊がヴァルシャワ方面に展開していることが判明しており、連邦側にはこれに対する報復の意志も強く働いていた。
・直前の両軍
帝国軍
帝国側は、ヴァルシャワ前面に厚さ30kmに渡る強固な縦深陣地を構築していた。
ヴァルシャワ防衛には8つの軍が投入され、軍団司令には防衛戦の達人であるベルター・デールモ大将が就任した。
戦略予備として、2個の機甲師団と精鋭の航空魔導部隊が貸し与えられていた。さらに、本来は西方戦線における強固な要塞線(マジノ線など)の破壊のために生産・運用されていた超重砲群が、ヴァルシャワに全て集結していた。
ルーシー連邦軍
連邦側は、これまでの果てしない攻勢で著しく消耗しており、各師団の人員充足率は平均して6割を切り、酷いものでは3割も有していない部隊も存在した。
また、これまでの戦いで戦車軍を消耗し尽くしており、歩兵は装甲支援なしの丸裸での突撃を強要されることとなった。
空軍も、帝国との消耗戦によって開戦前に半壊しており、制空権は完全に帝国に握られていた。
ヴァルシャワ攻略軍の司令官には、ゴリグリー・クラークが就任していた。
・経過
第一陣地の崩壊と対砲兵戦
4月12日、連邦軍による24時間に及ぶ大規模砲撃が開始され、帝国防衛陣地の第一陣は完全に消滅した。しかし、帝国側はあらかじめ第一陣から兵力を後退させており、同時に行われた帝国側の対砲兵戦闘によって、連邦側の砲兵戦力も早々に壊滅的な打撃を受けた。
第二陣への波状攻撃と突破
4月13日から16日(2~5日目)にかけて、連邦軍は第二陣への波状攻撃を繰り返した。帝国軍の頑強な相互陣地を前に連邦軍は度々跳ね返され、膨大な死者の山を築いた。しかし、5日目には帝国第16師団が防衛するスタニスワブの防衛線を連邦軍が突破し、第二陣の突破に成功した。
第三陣への肉薄と停滞
4月18日(7日目)から、連邦軍はヴァルシャワ市街地の外縁部に広がる第三陣への攻撃を開始した。しかし、制空権を持つ帝国側の苛烈な航空支援(航空機および魔導部隊による精密爆撃)と、後方からの重砲撃により、装甲戦力を欠く連邦軍の進撃は完全に停滞した。
帝国軍の反攻作戦
4月21日(10日目)、戦力を温存していた帝国側による大規模な反攻作戦が実行された。デールモ大将は予備の機甲師団を連邦軍の側背に投入し、第三陣に取り付いていた連邦軍を逆包囲下に置いた。この包囲網の中で連邦軍は約20万人を失う大惨敗を喫した。
その2日後となる4月23日(12日目)、戦線は第一次ヴァルシャワの戦い以前の状態にまで完全に押し戻され、作戦は事実上の大失敗に終わった。
・その後への影響
この戦いの結果を受け、連邦首脳部は作戦失敗の責任を問い、攻略軍司令官のゴリグリー・クラークを粛清した。
また、連邦軍が兵力を著しく消耗したため、東部戦線は一時的に完全な停滞状態に陥った。
連邦首脳部は、前線における連邦軍が過剰に劣勢にあると誤認し、東方の安全圏へ向けた西部工業地帯の疎開を開始するという過敏な反応を見せた。一方で、砲兵や歩兵の旧来的な戦術が現場で否定されたことで、ジェーコブなどの機甲派閥の地位が相対的に向上する契機ともなった。
帝国参謀本部は、この攻勢を通じて「連邦の攻勢縦深がヴァルシャワに極端に集中している」ことを確信した。この戦略的看破は、その後の帝国軍による大反攻作戦「バルバロッサ」における快進撃へと直結することになる。