《統一暦1926年5月上旬 帝都ベルン 参謀本部》
帝都ベルンの中枢に鎮座する参謀本部の地下深く。分厚いコンクリートと鋼鉄の扉で守られた特別作戦会議室には、紫煙と重苦しい静寂が立ち込めていた。
部屋の中央に置かれた巨大なマホガニーのテーブルには、東部戦線の広大な地図が広げられ、青と赤の無数の駒がひしめき合っている。
テーブルの上座に腰を下ろしているのは、先の第一次ヴァルシャワの戦いにおいて、見事な縦深防衛と遅滞戦闘の作戦立案によって連邦軍の出血を強要した功績により、中将から大将へと昇進を果たした二人の軍人。作戦参謀局長ハンス・フォン・ゼートゥーア大将と、同じく作戦局長クルト・フォン・ルーデルドルフ大将である。
そしてテーブルを囲むように、十数名の高級幕僚たちが居並び、その中にはローゼフシルト准将が、優雅に腕を組んで座っていた。
「――以上が、我が作戦局が立案した次期反攻作戦であります」
作戦局の少将が、指示棒を地図の上に置きながら説明を締めくくった。
その初期案とは、次のようなものであった。
帝国軍の最大戦力を東部戦線の中央、すなわちヴァルシャワに集中させる。そしてそこを起点として南下し、フラフク方面で突出している連邦軍の側背を突く。同時に、南方のバルガチア山脈を同盟国である王国軍の精鋭山岳師団と帝国軍の山岳部隊で突破、浸透し、フラフク前面の敵を完全な包囲網に閉じ込めるという、極めて堅実な局地包囲殲滅戦であった。
だが、その説明を聞き終えたゼートゥーア大将は、手元の葉巻を灰皿に押し付けると、氷のように冷たい視線を少将へ向けた。
「却下だ」
ゼートゥーアの静かな、しかし有無を言わせぬ一言に、作戦局の幕僚たちがビクリと肩を震わせた。
「貴官らは、先のヴァルシャワ防衛戦で我々がどれほど消耗したか忘れたのか? ヴァルシャワ方面に展開する敵軍の数は、先日の敗北を経てもなお、常軌を逸した密度を保っている。そこに我々の戦力を集中させたところで、膠着状態に陥り、突破は極めて困難だ」
「ゼートゥーアの言う通りだ」
ルーデルドルフ大将も、太い腕を組んで鼻を鳴らし、痛烈に一蹴した。
「フラフク前面に突出している敵軍を包囲して殲滅したとて、どうなる?三十万か?五十万か?その程度の出血を強いたところで、異常な動員力を持つ赤軍の総数から見ればたかが知れている。局地的な戦術的勝利など、広大な連邦の縦深の前では何の意味も持たんのだよ。もっと大局的な、連邦の息の根を止める一撃が必要なのだ」
両大将による完膚なきまでの否定。作戦局の幕僚たちが蒼白になり、会議室に絶望的な沈黙が降りた。
その重い空気を切り裂くように、軽やかな、それでいて底知れぬ自信に満ちた声が響いた。
「お二方、そう難しく考える必要はありません」
ローゼフシルト准将が、悠然と立ち上がった。彼はテーブルの上の地図を見下ろし、口角を不敵に吊り上げた。
「フラフクの包囲などという小細工は捨てましょう。我が軍の全機甲戦力をヴァルシャワに集中させ、そこから東へ向けて、一気に中央突破を図ればよいのです」
その言葉に、会議室が一気に騒めいた。幕僚たちが信じられないものを見るような目でローゼフシルトを見る。
「何を馬鹿な! 先ほどゼートゥーア閣下が仰った通り、ヴァルシャワ前面の敵密度は異常だぞ!」
「ご静粛にお願いします」ローゼフシルトは手を上げて幕僚たちを制した。
「赤軍は先の攻勢で、戦車も砲弾も、そして何より将兵の士気も消耗しきっています。あれは中身のない張り子の虎です。今なら、我が軍の機甲軍をもってすれば、中央から一気に連邦の縦深を食い破り、内臓を破壊することが可能です」
その極端な強気の発言に、ゼートゥーアは眉を顰め、深く息を吐いた。
「ローゼフシルト准将。貴官らしくもない、希望的観測に基づいた精神論だな。情報部の推計が正しければ、連邦はたった一ヶ月の間に、後方で百万の兵士を練成できる狂った動員能力を持っている。先のヴァルシャワでの損害は、すでに後方に控えていた予備部隊によって十分に補充されたと考えるべきだ」
ルーデルドルフも、地図を睨みつけながらゼートゥーアに同意した。
「それにだ、連邦は前線から後方へ向けて、幾重もの強力な要塞線と陣地帯を構築しているという航空偵察の報告がある。正面から力押しで突破するなど、我が方の機甲戦力をすり潰すようなもので、無理があるだろう。さらに言えば連邦の縦深は無限だ。仮に中央突破に成功したとしても、我が方の部隊が突出したところを、南北の広大な平原から無数の赤軍に逆包囲される可能性が高いのだぞ」
両大将による、極めて論理的で冷徹な反論。
誰もがローゼフシルトの無謀な提案はここで打ち切られると思った。しかし、ローゼフシルトの笑みは全く崩れなかった。
彼は両手でテーブルに体重をかけ、ゼートゥーアとルーデルドルフを真っ直ぐに見据えて一つずつ反論を叩きつけ始めた。
「百万の補充兵? 結構なことです。ですが、その内の半分以上は前線に近い西方地域で練成と集結を行っています。であるならば、彼らが完全に戦力化して東へ送られる前に、我々がその練成地帯ごと早急に制圧し、飲み込んでしまえばよいでしょう」
ローゼフシルトは指示棒を手に取り、ヴァルシャワから東へ向かって真っ直ぐな線を引いた。
「要塞線? 確かに構築中でしょうが、我が方の連日の猛烈な空爆により、それは完成しきっていません。コンクリートが乾く前に踏み潰すのです。攻勢をかけるなら今しかありません。この際、機甲部隊の多少の犠牲には目を瞑るべきでしょう」
「狂気の沙汰だ。突出した先での逆包囲をどう防ぐというのだ!」と作戦局の少将が叫ぶ。
「であるならば、超越前進をもってして敵縦深を完膚なきまで破壊すればよいのです!」
ローゼフシルトの威勢の良い大音声が、会議室を制圧した。
「敵の第一防衛線を突破した部隊は、残敵の掃討を後続の歩兵に任せ、一切立ち止まることなく前進を続ける。第一梯団が息切れすれば、間髪入れずに第二梯団、第三梯団がそれを追い越して連続した打撃を加えるのです! これにより、赤軍に陣地を再構築する暇を与えず、連邦の奥深くに食い込み、それ以前の全ての部隊の補給線と指揮系統を無力化すればよいのです!」
そのあまりにも過激な機動戦の概念に、ゼートゥーアとルーデルドルフは目を見張った。
「貴様……かつて北方戦線で行ったような電撃戦を、この広大な連邦でも行う気か!?」
ルーデルドルフが驚愕の声を上げる。
ゼートゥーアも、葉巻を指に挟んだまま、「うむ……しかし、連邦の広大さを舐めすぎだ……」と口ごもった。
ローゼフシルトは、すかさず畳みかけるように声を張り上げた。
「両閣下! 局地戦での勝利など、もはや何の意味もありません! 我々が目指すは、連邦の政治、産業、兵站の絶対的中心地たるモスコー!! ヴァルシャワから中央を突破し、最短距離で心臓部であるモスコーを奪取する! この一点の奪取以外に、帝国の完全なる勝利はあり得ません!!」
モスコー奪取。
そのあまりにも巨大で、甘美な戦略目標の提示に、会議室にいた十数名の幕僚たちは圧倒され、全員が固唾を呑み込んだ。
ローゼフシルトの放つ異様な熱と、有無を言わせぬ論理の前に、もはや誰も反論の言葉を紡ぐことができなかった。
◇
作戦会議が終わり、幕僚たちが散っていった一時間後。
参謀本部の上層階にある、ゼートゥーアの個人執務室。
「……どう思う、ルーデルドルフ」
ゼートゥーアは、上等なコニャックのグラスを傾けながら、向かいのソファに座るルーデルドルフに問いかけた。
「どうもこうもあるか。少し、おかしい」
ルーデルドルフは葉巻の煙を吐き出しながら、眉根を寄せていた。
「ローゼフシルトの奴、いくらなんでもヴァルシャワからの中央突破を推しすぎだ。『多少の犠牲には目を瞑るべき』だの『最短距離でモスコーを目指す』だの……。あいつはもっと冷静で、合理的な計算で行動する男のはずだ。あんな精神論めいた力押しを、強引に会議で通そうとするなど、あいつらしくない」
「同感だ。あのような直線的な攻勢では、我が軍の機甲師団はモスコーに辿り着く前にすり潰される。それをローゼフシルトが理解していないはずがないのだが……」
二人の歴戦の大将が、ローゼフシルトの不可解な言動について首を傾げていた、まさにその時。
ガチャリ、と執務室のドアが開き、噂の当人であるローゼフシルトが、顔色一つ変えずに無言で入室してきた。
「ローゼフシルトか。ちょうどお前の噂を……」
ルーデルドルフが声をかけようとしたが、ローゼフシルトはそれを手で制し、すぐさまドアの鍵を二重にかけた。
彼のその異常なまでの無言の行動に、両大将は怪訝な顔を見合わせた。
ローゼフシルトは一言も発することなく、部屋の隅にある観葉植物の鉢植えを持ち上げて裏側を調べ、絵画の裏を覗き込み、身をかがめてソファの下を調べ、果ては椅子の上に登って天井のシャンデリアの金具の隙間まで、何やら執拗に確認し始めた。さらには、部屋の空間に魔導的な盗聴の術式が仕掛けられていないかを、文字通り「隅々まで」走査していく。
「……ローゼフシルト准将。何をしている?」
「貴様、気が狂ったのか?」
ゼートゥーアとルーデルドルフが不審そうに何度か尋ねるが、ローゼフシルトはそれに一切答えず、黙々と、病的なまでの確認作業を五分間にもわたって続けた。
やがて、部屋の安全を完全に確信したローゼフシルトは、懐から取り出した宝珠を起動し、執務室全体を覆い尽くす強力な防音結界の術式を展開した。
室内の空気が、外界から完全に遮断された独特の圧迫感に包まれる。
そこでようやく、ローゼフシルトは二人へ向き直り、慇懃な作り笑いを浮かべて言った。
「両大将閣下。……本日のこの時間、お二人は別々にそれぞれの執務室で書類仕事を行っていた。そして私も、空軍省へと出向いており、ここには居なかった。……よろしいですね?」
唐突なアリバイ工作の要求に、ゼートゥーアの目が怪しく光った。
「一体どうしたというんだ、ローゼフシルト准将。君の事だ。何か考えがあってこのような密会をしようとしているのだろう?」
ローゼフシルトは、ソファの背もたれに寄りかかり、極めて静かな、底冷えのする声で語り始めた。
「お二人に伺いたい。……先のヴァルシャワ前面の戦いで、我が軍の防衛陣地が最初に突破された地点はどこでしたか?」
「……第五日目に突破された、第16師団が守るスタニスワブの防衛線だ。それがどうした」
ルーデルドルフが答える。二人はまだ、ローゼフシルトの要領を得ない問いの意図を掴みきれていなかった。
「ええ。そして、あの『スタニスワブの陣地が比較的脆弱である』という事実を、開戦前の作戦会議の折に、ゼートゥーア閣下が地図上で指摘されましたね。……思い出してください。あの時の会議に参加していた『メンツ』は、今日の会議と全く同じだったはずです」
その言葉に、ルーデルドルフの顔色が変わった。
「何が言いたい!?」
ローゼフシルトは何でもないことのように、肩をすくめて事実を告げた。
「つい先ほど受け取ったレポートによりますと……連邦軍は先の攻勢を開始した時点で、なぜかピンポイントで、スタニスワブの正面に『他の二倍以上』の戦力と砲兵を投じていたようです」
ハッ、と。
ゼートゥーアとルーデルドルフの肺から、一瞬にして空気が抜け落ちた。
歴戦の将官である二人の頭脳が、その「偶然では絶対にあり得ない事象」が意味するものを、瞬時に理解したのである。
ゼートゥーアが、手元のコニャックのグラスをギリッと強く握りしめ、深刻極まりない顔で低く唸った。
「……我が軍の最高機密を話し合うあの会議室の中に、連邦に情報を流している『ユダ』がいるのだな……」
「ええ。私の考えすぎでなければ、間違いなく」
ローゼフシルトは冷たく肯定した。
コミンテルンの魔の手は、すでに帝国軍参謀本部の心臓部にまで深く入り込んでいる。先ほどの会議でローゼフシルトが「ヴァルシャワからの中央突破」を大仰な演説でゴリ押ししたのは、そのスパイを通じて、連邦首脳部に偽の作戦を確信させるための「壮大なフェイク」であったのだ。
「先ほどの私の無礼な演説をお許しください。ですが、連邦のスタフカには、我が軍の攻勢縦深がヴァルシャワ方面であると信じ込んで頂く必要がありました」
ローゼフシルトは、ゼートゥーアの机の上に置かれていた東部戦線の地図を指で叩いた。
「我々は、ヴァルシャワからの攻勢など実施しません。……実施するのは、北のティゲンホーフと、南のフラフクから。両翼からの同時大攻勢です。連邦の主力ごと、この広大な平原で超巨大な二重包囲網に閉じ込めて差し上げます」
これこそが、史実のドイツ軍を悩ませた巨大な連邦軍をすり潰すための、ローゼフシルトが描いた真の「バルバロッサ作戦」の姿であった。
だが、ルーデルドルフが地図を見つめながら、現実的な疑念を呈した。
「いや、待て。確かにヴァルシャワの強固な陣地を真正面から叩くのに比べれば、南北からの突破は容易だろう。しかし、ヴァルシャワ前面に展開する莫大な赤軍主力を包囲するためには、とてつもない距離を機甲部隊に走らせねばならない。……どれほど急いで南北から食い破ったとしても、包囲網が閉じる前に、中央の敵主力が危険を察知して後方へ逃げ出してしまうぞ!?」
包囲網は、規模が大きければ大きいほど、完成するまでに時間がかかる。その間に敵の主力が撤退してしまえば、ただの無人の野を占領したに過ぎず、敵の軍事力を削ぐことはできない。
その時、考え込んでいたゼートゥーアがハッとしたように顔を上げて言った。
「そうか!そういうことなのだな!准将!」
こちらを確信したような瞳のゼートゥーアに、ローゼフシルトはニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。
「ええ、普通に攻勢を行えば、仰る通り逃げられるでしょう。……ですが、そこは私に考えがあります」
続くローゼフシルトの言葉に二人は驚愕し、納得した。
◇
《1週間後 ルーシー連邦 モスコー クレムリン宮殿》
華美な装飾が施された、しかし極寒の冷気に包まれているかのようなスタフカの会議室。
長大なテーブルの奥に、同志書記長ヨシフ・ジュガシヴィリが静かに腰掛けていた。
「……帝国軍による、大規模な攻勢の予兆が発見されました」
テーブルの脇に立つ内務人民委員部長官ロリヤが報告した。
その一言で、会議室に集まっていた連邦軍の将官たちの間に、どよめきと恐怖の波が広がった。彼らは先のヴァルシャワの戦いで、自軍が圧倒的な動員力を持っていようとも、帝国の火力の前では圧倒的に劣勢であることを、文字通り血の代償を払って理解させられていたからだ。
「静かに」
ジュガシヴィリの静かな声が響くと、将官たちは一瞬にして凍りついたように口を閉ざした。
同志書記長は、手元のパイプを撫でながら、極めて温和な声でロリヤに問うた。
「そうですか。……して、帝国主義者どもは、どこから攻勢を行うつもりなのですか?」
「はっ。帝国の参謀本部にいる同志からの確かな情報によりますと、彼らは『ヴァルシャワ前面からの大突破』を計画しているとのことです。目標は、このモスコーへの最短距離での電撃戦であると」
ロリヤの報告に、ジュガシヴィリは満足げに頷いた。
そして、テーブルの端で青ざめている陸軍の将軍へ向けて、優しい笑顔を向けた。
「聞きましたね? 防げますか?」
「はい!?」将軍はビクッと体を震わせ、慌てて立ち上がった。
「も、もちろん防いでみせます! 我々労働者と農民の軍隊が、死力を尽くし、帝国主義者の軍勢を必ずやヴァルシャワの泥の中で蹴散らして見せましょう!!」
恐怖のあまり、できもしない虚勢を張って、恐怖に顔を引き攣らせながら叫ぶ将軍。
ジュガシヴィリはその滑稽な姿を無視し、今度はテーブルの中央に座る、ジェーコブ元帥へと視線を移した。
「ジェーコブ元帥。防げますか? あなたの、率直な意見をお願いします」
ジェーコブ元帥は、重苦しい沈黙の後、ゆっくりと首を横に振った。
「……不可能です、同志書記長。先日の戦闘で、我々の戦車部隊と航空戦力は壊滅状態です。帝国軍の機甲師団がヴァルシャワから一直線に集中突破を図ってくれば、現在の我が軍の防衛線は多少は持ちこたえるでしょうが、大した時間稼ぎも出来ず食い破られるでしょう。……あと、半年後まで時間を稼げれば、はじき返すことも可能でしょうが……」
ジェーコブの絶望的で、しかし極めて正確な実戦的評価を聞き、ジュガシヴィリは再び、先ほどの無能な将軍へと視線を戻した。
その無言の圧力に、将軍は完全に震え上がった。このままでは、「無能な敗北主義者」として自分はシルドべリア行き、あるいは銃殺刑に処される。保身の衝動が、彼の口を勝手に動かした。
「い、いえ! 私が言いたいのは、防御に徹するのではなく……帝国が攻勢を行う前に、我々がヴァルシャワへ向けて先制の攻勢を実施し、帝国の出鼻をくじき、その計画を頓挫せしめるつもりであります!!」
それは、軍事的に言えばスポイリング・アタック(破砕攻撃)と呼ばれる、攻勢準備中の敵に対して先手を打つ戦術であった。
戦力が圧倒的に劣る現状でのそれは確かに正しい選択であった。ただ、少しでもタイミングがずれると防御陣地の利点すら捨てて、敵のキルゾーンに自ら飛び込むだけの自殺行為へと早変わりする。
ジュガシヴィリは、その将軍の提案を聞き、ジェーコブ元帥を見た。
ジェーコブは、顔を歪め、目を固く閉じながら……苦々しそうに、首を縦に振った。
(……それしかない。今の絶望的な戦力差で帝国の集中突破を正面から受ければ、西部の資源地帯も穀物地帯も喪失する。ならば、膨大な兵士の血と肉をすり潰してでも、こちらから先に殴りかかり、戦場を泥沼の乱戦に引きずり込んで時間を稼ぐしかない。……その代償として、我が赤軍は凄まじいほどの被害を受けることになるだろうが……)
ジェーコブの苦渋の決断(同意)を確認したジュガシヴィリは、優しく微笑んで手を叩いた。
「わかりました。そのようにしましょう。……では、帝国軍を粉砕する偉大な先制攻撃を、あなたに頼みましたよ」
「はっ! かならずや、ご期待に応えてみせます!」
将軍が安堵の汗を拭いながら敬礼するのを見届けると、ジュガシヴィリは最後に、冷たい目でロリヤへと向き直った。
「ロリヤ。……帝国の同志に伝えてください。帝国軍の攻勢の日時について事細かに調べなさい、と」
「……はっ。承知いたしました」
ロリヤは深く首を垂れた。
かくして、帝国軍の偽の計画に踊らされたルーシー連邦は、自ら数百万の兵士をヴァルシャワの死地へと投げ込む最悪の決断を下したのである。
騙し合いと、血みどろの戦略的狂気が交差する中、大戦争の決定的な転換点となる反攻作戦の火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。