世界に冠たる帝国よ永遠たれ   作:ちんすこー

35 / 38
この回は滅茶苦茶難産でした。


後世視点:皇国参戦前夜

後世の歴史家たちが、なぜ秋津洲皇国があのような大平洋を二分する巨大な戦争へと踏み切ったのかを議論する際、必ず立ち返るべき極めて重要な転換点が存在する。それは、統一暦1926年の秋という、狂気が世界を覆い尽くそうとしていた数ヶ月間である。以下は、統一暦1999年において編纂された包括的歴史書『大平洋の荒波:秋津洲皇国の開戦から終戦までの軌跡』からの抜粋である。当時の皇国が抱えていた地政学的な宿命と、合州国との開戦に至るまでの論理を、俯瞰的な視点から紐解いていく。

 

 

 

 

大平洋の覇権を巡る秋津洲皇国と合州国の衝突は、決して一時の政治的熱狂によって引き起こされたものではなく、逃れようのない地政学的な必然であった。急速な工業化を果たし、高度な技術力と経済力を背景に大陸と海洋の双方へ権益を拡大する新興の帝国主義国家、皇国。一方で、アルフレッド的な海洋権力論に基づき、西海岸から大平洋中部の諸島、マハルリカ*1へと飛び石のように支配領域を広げ、最終的に大平洋全体を自国の「内海」としてコントロールしようと目論む超大国、合州国。この二つの強大なエネルギーが、大平洋という一つの水瓶の中で膨張を続ければ、いずれ限界点を迎えることは火を見るよりも明らかであった。当時の両国は互いを最大の仮想敵国と定め、長年にわたり大艦巨砲主義という建艦競争を繰り広げてきたのである。

 

当時の両陣営の基礎国力を比較すると、そこに横たわる絶望的なまでの巨大な格差が浮き彫りとなる。

開戦前夜における秋津洲皇国のGNPは約150億ドル、粗鋼生産量は980万トン、自動車生産台数は8万台を数えた。当時の皇国の工業力は世界的に見ても高度に発達しており、一部の小国のように合州国から屑鉄を買い漁らなければ製鉄所が動かないといった脆弱な経済体制はとうの昔に脱却していた。さらに、大陸に保有する自前の油田権益と、同盟国である帝国が将来の戦時孤立を見越して多大な投資を行ってきた帝国東洋植民地からの莫大な資源供給が存在した。この東洋植民地単体でもGNP約60億ドル、粗鋼生産量120万トン、そして何より1200万トンの石油生産能力を有しており、皇国の自前生産分と合わせれば年間3000万トンを超える原油の確保が可能であった。すなわち、皇国はエネルギー資源の枯渇によって国家が干上がるというような次元の危機には直面していなかったのである。

 

だが、資源が自給できているという事実と、総力戦を戦い抜ける国力があるかという命題は全く別のものである。合州国の国力は、まさに次元が違った。当時の合州国のGNPは約1040億ドル、粗鋼生産量は7500万トン、石油生産量は1億8000万トンに達し、自動車生産台数に至っては480万台という途方もない数字を叩き出していた。この数値は当時二番手であった帝国と比べてもおおよそ1.5倍から2倍程度の差があった。

皇国と帝国東洋植民地の全生産力を足し合わせたとしても、合州国との国力差はおよそ「1対5」から「1対7」という、筆舌に尽くしがたい悲惨なものであった。これは例えるならば、精悍な狼の群れが、山そのもののように巨大な竜に正面から挑みかかるようなものであり、どれほど皇国の兵器の性能が優れ、将兵の士気が高かろうとも、長期的な消耗戦になれば物理的な生産力の暴力の前に確実にすり潰されるという残酷な現実を示していた。

 

大平洋における主要艦艇数の比較においても、その不気味な足音は迫っていた。

皇国海軍と帝国東洋艦隊を合わせれば、戦艦16隻、航空母艦10隻、巡洋艦46隻、駆逐艦および潜水艦約200隻以上という、世界屈指の大艦隊となる。対する合州国海軍は、大西洋と大平洋の総計で戦艦17隻、航空母艦8隻、巡洋艦37隻、駆逐艦等280隻以上であった。少なくともこの時点での水上打撃力は拮抗、あるいは空母部隊の練度と規模を含めれば皇国に僅かながら分があるように見えた。

しかし、合州国はすでに史上最大規模の「両洋艦隊整備法」を成立させており、全土の造船所で数十隻の航空母艦と新型戦艦の建造が昼夜を問わず進められていた。数年後には、合州国の戦力は皇国の三倍から四倍に膨れ上がることが確定しており、事実、大戦後期において両者の間には2.5倍もの戦力差が生じることとなる。

このように時間という概念そのものが皇国にとって最大の敵となっていたのである。

 

このような絶望的な国力差を抱えながら、皇国はすでに大陸において果てしない泥沼の戦争に足を踏み入れていた。

1926年6月、皇国は大陸における大規模な軍事衝突を、沿岸部から内陸部までの主要都市と産業地帯の制圧、そして親皇国的な傀儡政権と国民党の合流をもって「形式上の終結」へと導いていた。しかし、この形式上の終戦宣言は、大陸の深部において最悪の化学反応を完全に無視したものだった。皇国の支配に反発するあらゆる勢力が、イデオロギーの壁を越えて結集し、歴史的な統一戦線を成立させたのだ。

 

共産党はこの戦いを『対皇国抵抗戦争』と呼び、雲南などの険しい山岳要塞に逃げ込んだ国民党残党と民族主義者たちからなる護国軍はこれを『護国戦争』と呼んだ。この二つの戦争がもたらした現実は、かつて大陸で行われていた大規模な戦闘すら「牧歌的だった」と思えるほどに、過激で血みどろの非対称戦であった。連合王国や合州国から最新の兵器を与えられた彼らは、もはや単なる軍閥の寄せ集めではなく、同じ民族イデオロギーを共にする同志であった。

統一戦線は農村から都市を包囲し、補給線を破壊し、傀儡政権の役人を暗殺するなどして皇国に抵抗した。

それは正規軍同士の戦闘ではなく、文字通り「支那民族の存亡を賭けた凄惨な民族間抗争」へと変貌していた。皇国陸軍は治安維持という名目で数十万の精鋭部隊を大陸の内陸部へ貼り付けざるを得ず、戦線は縮小するどころか、広大な内陸部へ向けて際限なく拡大していくという致命的な出血を強いられていた。

 

この状態の裏で暗躍していたのが、大西洋で帝国との死闘を繰り広げていた連合王国である。連合王国の首相チャーブルは、皇国が暴発して極東の植民地に侵攻してくることを極度に恐れ、表向きは皇国に対して極めて融和的な態度をとり、合州国との首脳会談の実現に向けて強烈な後押しを行っていた。だが、それはアルビオン特有の典型的な二枚舌であった。彼らは表で皇国に和平を説きながら、その裏ではバンブールートなどの密輸ルートを経由して、大陸で皇国に抵抗する護国軍や共産党へ莫大な武器弾薬と資金を絶え間なく供給し続け、皇国がそれ以外の地域に影響力を行使するのを妨害した。

 

大陸での泥沼化により、欧州方面から「帝国軍がルーシー連邦の主力を包囲殲滅した」という吉報が届いた際にも、皇国がシルドべリアへ進攻して連邦を挟撃するという北進論は立案の段階で無期限延期となった。統一戦線との果てしないゲリラ戦を抱え、大平洋の緊張を警戒する状況で、極寒のシルドべリアに新たな長大な戦線を開く余裕など、皇国には欠片たりとも残されていなかったからである。

 

近江総理大臣が推進していた合州国との首脳会談は、こうした大陸での負担軽減と大平洋の安定を目的とした、政治的妥協の極致であった。だが、歴史の歯車は誰も予想し得なかった方向へと狂い始める。

それまでプラグマティックな外交交渉の余地を残していた合州国の態度が、ある日を境に「完全に、そして異常なほどに一変」したのである。

 

合州国政府は、突如として近江総理との首脳会談の無期限延期を一方的に通達。さらに、大平洋の軍事バランスを規定していた大平洋海軍軍縮条約からの即時脱退を宣言し、大西洋に配備されていた太西洋艦隊の主力を、運河を経由して大平洋のホノレレへと大移動させるという、露骨な軍事的恫喝を敢行した。そして、合州国から皇国へと突きつけられた外交要求は、「大陸からの皇国軍の完全かつ無条件の撤退」「海軍の大幅な縮小」、そして「帝国との同盟破棄」という、皇国が独立国としての主権を放棄し、二等国へと転落することを強要する条項が並べられた、実質的な最後通牒であった。

 

この合州国中枢の突然の豹変は、当時の外交官たちのみならず、後世の歴史家たちにとっても長らく議論の的となってきた。なぜ、それまで漸進的な交渉を続けていた合理的な民主主義国家が、一夜にしてこのような強硬姿勢に転じたのか。一般的な教科書においては、この現象は「極東の覇権を巡る合州国国内の孤立主義の崩壊と、軍産複合体の台頭が引き起こした民主主義特有の集団ヒステリー」として説明されている。あるいは、「大統領周辺の強硬派がクーデター的に政策を乗っ取った」という陰謀論的な見解すら存在する。だが、いかなる政治学的アプローチを用いても、あの数日間のうちにワソントンの中枢が示した「外交的妥協を一切許さず、ただ皇国の完全な屈服のみを求める」という狂気的な変貌を、純粋な論理によって説明することは不可能である。

 

この合州国の露骨な戦争準備と交渉拒絶を前に、対米融和路線を掲げていた近江内閣は求心力を完全に喪失し、崩壊した。10月12日、来たるべき合州国および連合王国、通称連合国との大戦に向けた「戦時内閣」として、陸軍統制派の首領、長田銀山を首班とする新内閣が発足した。

 

長田内閣の成立は、一部で言われるような軍部の暴走や非合理的な軍部独裁への傾倒ではない。それは、地政学的な包囲網と、統一戦線のゲリラ戦による経済的出血、そして合州国の説明のつかない狂気的な強硬外交という複合的な要因によって導き出された、合理的な防衛的決断であった。

 

合州国の意図は明白であった。彼らは皇国と戦争をする気満々であり、そのための巨大な戦力配置を急速に進めている。石油などの資源的余力があるとはいえ、国力差1対7という圧倒的な工業力の差を持つ相手に対し、大平洋でまともに艦隊決戦を行えば、皇国が押し潰されるのは時間の問題である。座して合州国の無尽蔵の戦力が整うのを持てば、皇国は戦わずして絞め殺され、確実に蹂躙される。

 

この絶望的な論理的帰結のもと、皇国首脳部と海軍が導き出した唯一の活路。それは、合州国の主力艦隊が立ち直れないほどの致命的な打撃を「最初の一撃(奇襲)」によって与え、彼らが再起するまでの半年から一年の間に、西大平洋から南大平洋にかけての広大な諸島群を全て制圧し、不落の絶対国防圏を構築することであった。そして、合州国が工業力に任せて反攻に出てくれば、その要塞群と帝国東洋艦隊の連携によって出血を強要し続ける持久戦に持ち込み、敵の厭戦気分を煽って講和へと引きずり込む。

 

統一暦1926年10月。秋津洲皇国は、合州国による理不尽な恫喝と圧倒的な暴力の胎動を前に、自らの生存を賭けて剣を抜くことを決断した。長田内閣は国家の動員体制をさらに加速させ、大平洋の荒波の向こうに待ち受ける、世界最大の工業国家との絶望的な決戦に向けて、静かに、しかし確固たる足取りで進み始めたのである。歴史の必然と狂気が交錯する中、平和であった大平洋はその名に反し血に染まろうとしていた。

*1
フィリピン

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。