世界に冠たる帝国よ永遠たれ   作:ちんすこー

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連邦ではお巡りさんのトップがロリヤという事実()


第一次モスコーの戦い2

《統一暦1926年11月中旬 ルーシー連邦 臨時首都カイベジェフ 内務人民委員部本部》

 

ルーシーの国土を縦に横断する巨大な山脈の麓に位置する極寒の工業都市、カイベジェフ。

陥落の危機にあるモスコーから逃れた連邦の国家中枢が移転してきたこの臨時首都で、内務人民委員部長官のロリヤは、執務机の上に置かれた一枚の不鮮明な白黒写真を、まるでこの世で最も尊い宝石でも愛でるかのように、ねっとりとした熱を帯びた視線で見つめていた。

 

「……ああ、私の可愛い可愛い妖精さん。こんなに近くに、こんなに愛らしい姿で私のそばまで来てくれていたんですね……」

 

写真に写っていたのは、かつて連邦の首都モスコーを蹂躙し、クレムリンの屋根に帝国の国旗を突き立てた悪魔の魔導大隊。その先頭を飛んでいた、金髪碧眼の幼女の姿であった。

 

その彼女が装甲軍集団にいる。

この情報自体は、帝国による東方大電撃戦が始まった初期段階からロリヤの耳に入っていた。だが今まで手を出すことが出来なかった。

 

ロリヤは太く短い指でその写真の表面を這うように撫で回し、荒い息を吐いた。

 

「あの時から、装甲軍集団にいることは把握していた。だけど、忌まわしい泥濘と、あの無能な軍の連中のせいで、ずっと妖精さんを迎えに行くことができなかった。……でも、もう大丈夫。お巡りさんの方に来てくれたら、とてもいい事をしてあげる。二人きりの暖かく甘い地下室で、一緒に楽しい楽しいフラワーゲームをしよう!!」

 

ロリヤは、涎を垂らさんばかりの醜悪な笑みを浮かべ、写真を自らの頬にすり寄せた。

その姿は、連邦の恐怖の象徴たる秘密警察トップのそれではなく、ただの末期的な小児性愛者の狂態であった。やり場のない熱情を持て余していた彼にとって、ターニャの存在は唯一の精神的麻薬となっていたのである。

 

だが、彼がただの狂人であれば、ここまで恐れられることはなかっただろう。彼は、自らの異常な性癖を満たすためならば、国家の軍隊すらも盤上の駒として冷徹に操る、途轍もなく厄介なタイプの異常性癖保持者だった。

 

現在の連邦において、ロリヤの配下のNKVD所属のライフル師団は、先の粛清と再編を経て実に三〇個師団にまで拡充されていた。その大半は、敗走を繰り返す南方の再建や、連邦第二の都市レネングラードの防衛のために引き抜かれていたが、数少ない完全編成の精鋭である第一師団と第十師団を含む一個軍が、モスコー方面に派遣されていた。

 

ロリヤは、この自らの手駒を使って、何としても愛しの妖精さんを捕獲したかった。

だが、現在のモスコー防衛軍の軍事全権はジェーコブ元帥に委ねられており、ロリヤの勝手な作戦行動は断じて許されていなかった。しかも、ターニャが現在所属しているのは、トゥーラへ向けて驀進中の帝国最強の第一装甲軍であり、NKVDの歩兵師団などが正面から触れようものなら、九〇〇両の戦車群に一瞬で轢き潰されて消し飛ぶ相手である。

 

しかし、天(あるいは悪魔)はロリヤに味方した。

 

二日前。モスコー南方の防衛線、ズヴォーロフ近郊において、功を焦った赤軍の現地将校が一個旅団で無茶な攻勢を実施。帝国軍はこれに対処するため、本隊からターニャのサラマンダー戦闘団を分派し、これを一蹴した。そしてターニャたちは、伸びきった帝国第一装甲軍の側面の機動防御のため、そのままズヴォーロフの森に滞陣していたのである。

 

しかも都合の良いことに、NKVDの第一師団と第十師団は、ズヴォーロフから僅か五〇キロしか離れていないトゥーラ戦域に待機していた。

 

ロリヤは、自らの頬を両手で叩き、欲望に歪んだ顔から冷酷な秘密警察長官の顔へと一瞬で表情を切り替えると、同志書記長ジュガシヴィリの執務室へと足を運んだ。

 

「……同志書記長。ジェーコブ元帥の消極的な遅滞戦術には、少々目に余るものがあります。彼はモスコー南部のトゥーラに戦力を集中させていますが、帝国の装甲軍はすでにトゥーラの目と鼻の先まで迫っております。このままでは、ジリ貧です」

 

ロリヤは、銀縁眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせ、ジュガシヴィリに進言した。

 

「現在、ズヴォーロフ近郊に、第一装甲軍の側面を守る帝国の独立戦闘団が孤立しております。この部隊は、かつて同志書記長の頭上を土足で踏みにじった、あのモスコー襲撃の実行犯である魔導部隊が中核となった戦闘団です。ここを我がNKVDの精鋭師団をもって強襲し、打ち破れば、帝国第一装甲軍の背後を完全に脅かすことができ、トゥーラ防衛の最大の助けとなります。さらに、あの憎き襲撃犯どもを捕らえれば、連邦全体の士気は飛躍的に高まりましょう」

 

ジュガシヴィリは、パイプの煙を燻らせながら、無表情にロリヤを見つめた。

ジェーコブの指揮に不満がなかったわけではない。防御一辺倒の戦術は、最高指導者たる彼の威信を傷つけていた。「モスコー襲撃の悪魔を打ち取る」という政治的果実は、冷え切った連邦の士気を高揚させるには十分な餌であった。

 

「……いいでしょう、同志ロリヤ。貴方に第一、第十NKVDライフル師団の指揮権の自由裁量を認めます。加えて、スタフカ直属の魔導大隊を三個、君の部隊に貸し与えましょう。必ずや、帝国の反動主義者どもに鉄槌を下しなさい」

「はっ。同志書記長のご期待に、必ずや応えてご覧に入れます」

 

恭しく一礼し、執務室を後にするロリヤ。その背中を見送りながら、ジュガシヴィリはパイプを灰皿に叩きつけ、忌々しげに心の中で呟いた。

(相も変わらずあの悪魔にご執心ですか……。彼には、絶対に私の娘を近づけないようにしましょう)と、書記長は固く心に誓うのであった。

 

かくして、自らの異常な性癖を満たす為の行動をとる大義名分を得たロリヤは、高ぶる興奮と股間の熱を抑えきれず、高々一個連隊規模(約一五〇〇人)の帝国軍サラマンダー戦闘団に対し、その十倍である一万五〇〇〇人のNKVDライフル師団と、三個魔導大隊という過剰な戦力を、容赦なくぶつけることとなったのである。

 

 

 

 

《三日後 東部戦線 モスコー南方ズヴォーロフ近郊》

 

「撃て、撃てェッ!! 敵の歩兵群をこれ以上近づけるな! 機関銃の銃身が焼き切れるまで弾をばら撒き続けろ!!」

 

凍てつく白銀の平原に、絶望的な怒号と銃声が絶え間なく響き渡っていた。

ズヴォーロフ近郊の森の入り口に急造された防衛陣地。ターニャ・フォン・デグレチャフ中佐率いるサラマンダー戦闘団は、文字通り地獄の底で、波のように押し寄せる赤色の大群と死闘を繰り広げていた。

 

「「「Ураaaaaaaaaaaa!!!」」」

 

大気を震わせる、命知らずの咆哮。

通常の赤軍部隊であれば、督戦隊が背後から機関銃を構えなければ前進すらままならない。だが、このNKVD師団の歩兵たちに『督戦隊など不要』であった。彼らは共産主義というカルト宗教に脳髄の髄まで洗脳された、本物の狂信者たちであったのだ。

 

彼らは、ドラムマガジン式の短機関銃を乱射しながら、一切の躊躇なく地雷原へと飛び込んでいく。

ドカーン! という爆発音とともに赤軍兵の肉体がバラバラに吹き飛ぶが、後続の兵士たちは全く怯むことなく、先を歩く同志の飛び散った内臓や千切れた手足を踏み越えて突撃を続ける。地雷を自らの肉体で踏み抜き、鉄条網には自ら覆い被さって生きた絨毯となり、後続の道を切り開く。

 

帝国のMG機関銃が放つ秒間二〇発の猛烈な弾幕が彼らを薙ぎ払い、雪原はあっという間にどす黒い赤に染まったが、彼らは死の恐怖を忘れたゾンビのように、ただひたすらに陣地へと肉薄してきていた。

 

「くそっ、キリがないぞ! なぜこんな後方に、まるまる二個師団もの敵が湧いて出てくるのだ!」

 

前線指揮所である塹壕の中で、ターニャは双眼鏡を覗き込みながらギリッと奥歯を噛み鳴らした。

本来、このズヴォーロフ周辺の敵戦力はいたとしても、先日撃滅した一個旅団の残党が森に潜伏している程度のはずであった。強力な第一装甲軍が敵抵抗勢力を片っ端から消し飛ばしていくからだ。

敵がわざわざトゥーラの防衛に使用する部隊を引き抜き、大きく迂回させて第一装甲軍の背後まで持ってくることなど、戦術的合理性から考えれば絶対にあり得ないことであったのだ。

 

だが、敵が目の前で自爆突撃を繰り返している以上、現実は変わらない。

もしここを突破されれば、カルーガからトゥーラまで続く街道までは遮るものがなくなり、トゥーラへ向けて直進している帝国第一装甲軍の背面が脅かされることになる。

サラマンダー戦闘団にとって、撤退という選択肢は物理的に存在しなかった。

 

「第一装甲軍司令部に通信! 敵の大規模な浸透を確認、早急なる増援を請う!!」

 

通信手を通じて送った要請に対し、司令部の将軍からの返答は、ターニャの血管をぶち切れさせるに十分なものであった。

 

『現在、我が第一装甲軍はトゥーラ前面で敵の防衛線に直面しており、一両の予備戦力もない! なんとかそこで、一週間耐えてくれ!』

 

「不可能だろうがァァァッ!!」

 

ターニャは塹壕の壁を軍靴で蹴り飛ばした。

一五〇〇人で、十倍の狂信的な軍勢と、上空に群がる三個大隊もの敵魔導士を相手に、一週間も耐えられるわけがない。弾薬が尽きる前に、将兵の肉体と精神がすり減って完全に消滅する。

 

ターニャは、一抹の望みをかけて、もう一つの通信回線を開いた。装甲軍集団参謀長への直通回線である。

 

『……状況は把握しているよ、デグレチャフ中佐』

「参謀長閣下! 申し訳ありませんが、我々はこれ以上の防衛は不可能です! 直ちに増援を!」

『了解した。……一日だ。一日だけ耐え給え。明日には私がなんとかしよう』

 

一番近場の第一装甲軍に予備戦力など全くないはずなのに、この上司は一体どこから戦力を引っ張ってくるつもりなのか。疑問に思いながらも、ターニャは「必ずお願いします!」とだけ叫んで通信を切り、再び血みどろの防衛戦へと身を投じた。

 

 

 

 

そして、地獄のような一日が過ぎた。

 

上空は、夜間の魔導戦闘を敵も避けたため、航空魔導部隊の面々は辛うじて休息を取ることができた。だが、地上ではNKVD師団の歩兵たちが、夜通し狂気的な突撃を繰り返していた。

赤軍側はこちらの十倍という圧倒的な数を活かし、常に数的有利を確保しながら部隊を交互に交代させ、サラマンダー戦闘団を一方的に疲労と睡眠不足のどん底へと叩き落としていた。

 

そして二日目の朝。

戦いは、前日を遥かに凌ぐ苛烈なものとなった。

 

第一装甲軍からの増援が到着する前に、なんとしても『妖精さん』を捕らえたいロリヤは、この日に出せる全戦力を一挙に投入してきたのだ。

さらに上空では、ターニャたちの二倍以上の規模を誇る赤軍魔導部隊が、雲霞のごとく押し寄せてきた。ターニャたちは前日の戦いで敵一個大隊分を超える数を撃墜していたのだが、ロリヤは後方からさらに新鮮な予備大隊を継ぎ足しており、数的な劣勢は全く覆っていなかった。

 

「ヴァイス大尉、右翼の防衛が手薄だ! 援護に入れ!」

「くっ……! 戦闘団指揮官殿、グランツ中尉を含む数名が被弾! これ以上の戦線維持は困難です!」

 

ターニャの耳に、ヴァイスからの悲鳴のような報告が飛び込んでくる。

昨日の疲労により反応が遅れた数人が負傷して高度を落とし、防御陣形に致命的な穴が空いた。その間隙を突き、赤軍の魔導士たちが、防衛線で耐え凌ぐ帝国軍の装甲擲弾兵や自走砲部隊の頭上へと急降下し、爆裂術式を放とうと演算宝珠を輝かせた。

 

(……しまっ、)

 

ターニャが舌打ちし、カバーに入ろうとした、まさにその瞬間であった。

 

パァンッ!!

 

乾いた、しかし魔力を極限まで圧縮した異様な破裂音が、凍てつく空に響き渡った。

 

次の瞬間。

地上へ向けて急降下していた赤軍魔導士の先頭を飛んでいた中隊長ともう一人の魔導士の頭部が、まるで西瓜をハンマーで叩き割ったかのように、空中で綺麗に爆散した。

首無し死体となった敵魔導士が、推進力を失って雪原へと墜落していく。

 

「な、なんだ!?」

「敵の増援か! 上だ、上空を取られたぞ!!」

 

混乱する赤軍魔導部隊の頭上、分厚い雪雲を突き抜けて、帝国軍の一個魔導中隊が降下してきた。

それは、装甲軍集団司令部の直掩護衛のために配備されていた、数少ない予備の魔導中隊の一つであった。

 

そして、その中隊の先頭を飛び、ターニャの隣にふわりと並走するように高度を合わせた男の顔を見て、ターニャは思わず目を丸くした。

 

「やあ、デグレチャフ中佐。見たかね? 今の降下で、一気に二騎も墜としてやったぞ」

 

純白の冬季迷彩服に身を包み、手には明らかに特注のライフルを構えた男。

装甲軍集団参謀長、ジーク・マイヤー・アンドシェル・フォン・ローゼフシルト少将その人であった。

 

「さ、参謀長閣下!?なぜこんな最前線に! 司令部の頭脳が前線に出てくるなど、狂気の沙汰ですよ! 危ないでしょう!」

 

ターニャは、尤もなツッコミを叫んだ。

だが、ローゼフシルトは唇を歪めてニヤリと笑った。

 

「何を言っている。私をただの事務屋のインテリと一緒にしないでくれたまえ。私はこれでも、かつてのルーシー革命において大暴れしたエース・オブ・エースなのだぞ? ……まあ、君ほどのバケモノじみた撃墜数ではないがね」

 

事実、ローゼフシルトは革命戦争当時、たった一人で六〇機以上の敵魔導士を撃墜し、当時の介入軍全体の撃破数の半分を一人で叩き出した過去を持つ。面白いように革命勢力側についた魔導士を落とす様から「ルーシーの七面鳥撃ち」と呼ばれたエースであった。

 

「……はぁ。わかりました。ですが、絶対に前線には出ないでくださいね。閣下に死なれでもしたら、始末書が私の身長よりも高いことになりますからね」

 

じゃあ大した量じゃないな、と言うローゼフシルトの言葉を、内心怒りながら無視し、ターニャがローゼフシルトが参戦することに渋々納得すると、ローゼフシルトはライフルのボルトを引きながら悠然と頷いた。

 

「安心したまえ。私の得意は、後方からの狙撃だ。……君がかつて、ライン戦線でやっていたことみたいなものだな」

 

言うが早いか、ローゼフシルトは空中でピタリと静止し、眼下で複雑に絡み合う彼我のドッグファイトの乱戦へと銃口を向けた。

味方と敵が猛スピードで交差する、射線など全く通っていないはずの三次元の混沌。

 

だが、ローゼフシルトは全く迷うことなく、引き金を引いた。

 

パァンッ!!

 

放たれた一発の術式弾は、味方に掠るようなこともなく通過し、その後ろから迫っていた複雑な機動を描く赤軍魔導士のシールドを貼っていない側面に叩きこまれ。そのまま赤軍魔導士の脳天を、寸分の狂いもなく撃ち抜いた。

 

「――――っ!?」

 

ターニャは、そのあまりにも神業的な狙撃を見て、背筋に戦慄を覚えた。

単なる魔力出力のゴリ押しではない。未来予知にも等しい空間把握能力と、動く的の軌道を完璧に計算し尽くした、文字通りの超絶技巧。

 

ターニャは、このローゼフシルトという男が、自分と同じようにこの世界に転生させられた、同郷であることをすでに知っていた。それを踏まえると猶更、この狙撃の腕は異常であった。

 

「凄まじい精度ですね……。閣下は一体、どこでこれほどの射撃技術を……?」

 

ドッグファイトの合間にターニャが呆れたように疑問を漏らすと、ローゼフシルトはライフルの銃身から立ち上る硝煙をふっと吹き飛ばし、どこか遠い目をして笑った。

 

「まあ、なにせ前世からずっとやり込んでいたからな。……動く的を撃ち抜くのは、大の得意なんだよ」

 

(……なるほど。この男の前世は、クレー射撃の選手か何かか?)

 

ターニャは心の中で疑問の答えを勝手に出し、これ以上彼の前世を追及するのをやめた。何となくこれ以上踏み込むのが怖くなったからだ。今はただ、その腕を利用するだけだと割り切った。

 

「……頼もしい限りです、参謀長閣下!では、上空の敵の露払いはお願いいたします」

 

ターニャはローゼフシルトにお願いをするとすぐに部下に振り返った。

 

「第三から第五中隊は敵航空魔導部隊と引き続き応戦。それ以外は地上の歩兵群に徹底的な航空攻撃を行う! 続け!!」

 

精鋭たる司令部直掩の一個魔導中隊の乱入により、上空の赤軍魔導部隊は完全に恐慌状態に陥り、指揮系統が崩壊した。

その間隙を突いて三個中隊が地上へ徹底的な爆裂術式の雨を降らせたことで、地雷原を突き進んでいたNKVDの第一、第十師団は、ついにその狂信の限界を超え、雪原を血と臓物で染め上げながら算を乱して敗走を始めたのである。

 

 

 

 

「くそぉぉぉっ!! 私の、私の妖精さんがぁぁぁっ!! なぜ、なぜいつも帝国は私の邪魔をするのだぁぁぁッ!!」

 

カイベジェフ。NKVD本部の長官室。

前線からの報告――サラマンダー戦闘団の殲滅失敗、目標の捕獲失敗、そして精鋭である二個NKVD師団の壊滅的打撃という絶望的な凶報を受け取ったロリヤは、机上の書類やペン立てを腕で乱暴に薙ぎ払い、獣のような咆哮を上げた。

 

彼は、床に落ちたターニャの写真を震える手で拾い上げ、胸に強く抱きしめた。

 

「ああっ! 私の妖精さん! 愛しの妖精さん! なぜ、なぜまた私から逃げてしまうんだ!」

 

ロリヤの両目から、文字通り血の涙がボロボロと溢れ出し、彼の丸い頬を伝って写真のターニャの顔を濡らした。

 

「許さない……絶対に許さんぞ、帝国軍の愚鈍な豚どもめ!彼女は私のものだ! 私がこの手で、彼女のその白く細い手足に冷たい鎖を繋ぎ、あどけない顔が苦痛に歪むのを永遠に愛でてやるはずだったのだ!!」

 

狂気に完全に侵されたロリヤは、自らのない髪を乱暴に掻き毟りながら、地下室の冷たい壁に向かって頭を打ち付け始めた。ドン、ドン、と鈍い音が響く。

彼の執着は、もはや国家の勝利やイデオロギーなどとうの昔に超越した、底なしのドロドロとした愛憎の深淵へと達していた。

 

「待っていてね妖精さん……。必ず、必ず妖精さんを私の地下室にお迎えするから……。如何なる手を使ったとしても!!」

 

部屋に響き渡るロリヤの身の毛もよだつ絶叫と、狂気の嗤い声。

 

この日の報告と、部下から漏れ伝わったNKVD長官の常軌を逸した発狂ぶりを耳にしたジュガシヴィリは、自らの執務室で青ざめながら、(やはり、あいつには死んでも娘を近づけさせない)と、何度目かの固い誓いを立てるのであった。

 

かくして、ズヴォーロフの森の防衛線は辛うじて死守され、帝国第一装甲軍の背後を突く(妖精さん捕獲大作戦)というロリヤの狂気的な企みは、一人の変態の血涙とともに、凍てつく雪原の露と消えたのであった。




史実でもヨシフおじちゃんはべリアの異常性癖に気付いていたらしいですね。ただ忠誠は認めていたから黙認していたらしいです。
ちなみにそんなヨシフおじちゃんですけど、優しさを留めきれなかったのか自分の娘をべリアに抱かせてあげたりしてます(性的な意味ではなく)。
写真も調べれば出てきます。
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