世界に冠たる帝国よ永遠たれ   作:ちんすこー

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くるしい……ダキアは何も書くことが無くて苦しい……


ダキア消滅

《中央暦1924年9月上旬 帝国 ダキア首都ルテニア郊外》

 

西方国境において、フランソワ共和国との死闘が繰り広げられる地獄の戦線「ライン戦線」。

泥と硝煙に塗れた塹壕の中で両軍の戦力が激しく磨耗し、戦況が膠着を深めていたその隙を突くかのように、帝国の南端において愚かなる火の手が上がった。

 

ダキア公国、帝国へ宣戦布告。

 

約50万と誇称されるダキア公国軍が国境を越えて侵入を開始したとの報は、しかし帝都ベルンの参謀本部を震撼させるには至らなかった。彼らが中世の軍隊に近代の小銃と大砲を持たせただけの烏合の衆であることを、帝国軍部は看破していたからだ。

 

「ダキア程度で、我が帝国の足元が揺らぐことなど万に一つもない」

 

東南方面の抑えとして急遽編成された第17軍司令官、アウグスト・フォン・マーケンダ大将は、愛用の騎兵帽子の位置を正しながら、ルテニア郊外の野戦幕舎で地図を見下ろしていた。

 

「だが、ハエの羽音は早々に叩き潰すに限る」

 

銀髪の髭を蓄えた老将マーケンダは、伝統的な騎士道精神と武勇を重んじる旧来の帝国軍人でありながら、部下や兵士たちからはその飾らない親しみやすい人柄で絶大な敬愛を集める名将であった。

 

開戦直後、参謀本部直轄の精鋭――第二〇三航空魔導大隊が現地へ急行。密集するダキア軍主力へと奇襲を加え、宣戦布告の通信すら満足に回っていなかった敵野戦軍の指揮系統を一瞬で叩き潰した。さらに同大隊はそのまま敵首都ルテニアへ直行し、防空概念すら存在しない首都の兵器工廠を完璧に焦土へと変えてみせたのだ。

 

頭脳と生産拠点を同時に奪われたダキア50万の大軍は、まともな組織的抵抗すらできぬまま崩壊。マーケンダ大将率いる第17軍は、わずか二週間でダキア全土を電撃的に平定し、首府ルテニアを完全占領したのである。

 

 

 

「素晴らしい手際であったな、フォン・デグレチャフ少佐」

 

あちこちに帝国旗が掲げられるダキアの首都ルテニアの広場に軍用車から降り立ったマーケンダ大将は、整列する二〇三部隊と、その先頭に立つ幼い少女――ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐を見下ろし、心からの賛辞を送った。

 

「君たちの空からの電撃的な打撃。野戦軍の指揮系統破壊と首都工廠への攻撃がなければ、これほど鮮やかな勝利はあり得なかった。無駄な血を流さず、我が帝国の威信を完璧に示してくれた。……正に騎士の鑑だ」

「もったいないお言葉にございます、将軍閣下。すべては閣下の迅速かつ的確な作戦指揮の賜物です」

 

ターニャは完璧な敬礼を捧げた。胸に秘めた打算を、微塵も顔に出すことなく。

 

(ふぅ……これでダキア戦線は完全に終わりだな。被害ゼロ、戦果は甚大。大隊長として任されたこの初陣でこれだけの完璧な軍功を挙げたのだ! ゼートゥーア閣下も、私の教育者としての手腕を買って後方の教育にまわしてくれる……かもしれないな)

 

ターニャの脳裏には、十中八九あり得ない温かいコーヒーと、安全な書斎で書類にハンコを押す素晴らしい未来予想図が広がっていた。

 

(あの西方の過酷極まる空戦や泥沼の塹壕戦に比べれば、ダキア相手の作業は実に快適な仕事だった……。この程度の温い相手なら、前線も悪くないな)

 

そこまで思い至り、ターニャは心の中で冷めた溜め息をついた。

 

(……いや、待て。前線も悪くないなどと思うような好戦的な思想に染まってどうする。そんな都合よく、いつまでも一方的に蹂躙できるカモのような相手ばかりな訳がないだろう。北には協商連合が、西には共和国がまだ健在で連合王国もあちらより、コミーは何を考えているか分からない。いずれどこかでまた化け物のような泥沼に引きずり込まれるに決まっている……)

 

冷徹な諦観が、ターニャの頭脳を即座に現実へと引き戻していた。

 

「少佐」

 

マーケンダ将軍が親しみやすい笑みを浮かべ、ターニャの小さな肩を優しく叩いた。

 

「君のような若い芽が、帝国の未来を背負っていると思うと頼もしい限りだ。占領後の処理は我が第17軍が引き受ける。君たち精鋭は、束の間の休息を取るといい」

「はっ! 感謝いたします、閣下!」

 

ターニャは再び鮮やかな敬礼を返した。

 

 

 

 

《同日 帝都ベルン 参謀本部》

 

「報告いたします! 第17軍および第二〇三航空魔導大隊により、ダキア全土の制圧が完了。主要な石油施設および鉱山地帯も、ほぼ無傷で我が軍の管理下に置かれました!」

 

参謀本部の作戦室にて、エーリッヒ・フォン・レルゲン中佐が晴れやかな声で報告を読み上げた。

 

卓を挟んで座るのは、西方国境における見事な防衛戦成功と動員体制再構築の功績により、共に少将から中将へと昇格を果たしたハンス・フォン・ゼートゥーア中将と、パウル・フォン・ルーデルドルフ中将である。

 

「結構。マーケンダ大将の機動戦は見事だったようだな」

 

ルーデルドルフ中将が満足げに頑丈な顎の髭を撫でる。

 

「ダキアの石油資源を無傷で確保できたのは極めて大きい。連合王国が共和国びいきで植民地からの石油供給はいつまで持つか分からんからな、風見鶏のイルドアへの依存度もこれで下がるだろう」

「ああ、そして何よりデグレチャフ少佐の二〇三部隊だ」

 

ゼートゥーア中将が眼鏡の奥の細い目をさらに細めた。

 

「開戦初日に敵野戦軍に斬首作戦を決行し、間髪入れずに首都の兵器工廠を爆破した手腕……素晴らしい決断力だ。そこらの将校なら敵野戦軍を多少耕しただけで満足して終わらせるところを……少佐は容赦がないな」

 

ゼートゥーアとルーデルドルフは思わず苦笑した。

 

だが、二人の将軍の表情はすぐに険しいものへと戻った。卓上に広げられた西部戦線の巨大な地図、特にワロンとザールラントの境界領域に視線が注がれる。

 

「……さて、南方の問題は片付いた。次は本命の西方だ」

 

ルーデルドルフが渋い顔で指を作戦線の上に置いた。

 

「ザールラントについては我が機甲軍の反撃により、大部分を奪還できた。だが……ワロン地区が問題だ。河川に遮られた強固な陣地と、フランソワの残存部隊が頑強に抵抗している。下手に渡河攻撃を仕掛けようものなら、我が方に甚大な被害が出るぞ」

「そうだな。無理な正面突破は避けたいところだ。これ以上の無意味な出血は帝国の国力をいたずらに削るだけだ」

 

ゼートゥーア中将は頷くと、壁に掛けられた欧州全土の広域地図へと視線を移した。そこには、未だ屈することなく北方で抵抗を続ける協商連合の領域が赤く塗られていた。

 

「西方での膠着、南方の平定……ならば、次に動かすべき盤面は自ずと決まる」

 

ゼートゥーア中将は報告を終えて立っていたレルゲン中佐へと向き直った。

 

「レルゲン中佐。ダキアから戻る二〇三航空魔導大隊だが……直ちに北方軍管区へ回してくれたまえ」

「北方……でありますか?」

 

レルゲン中佐が思わず目を見開いた。

 

「そうだ。ローゼフシルト大佐が、北方戦線で北部軍管区単体での大規模な攻勢計画を立てているらしい。それなら参謀本部としていくらか彼に手を貸してやるべきだとは思わんかね?」

「ローゼフシルト大佐へ……」

 

その名を聞いた瞬間、レルゲン中佐の背筋にヒヤリとした冷たい悪寒が走った。

 

ローゼフシルト、政財界や軍部に広範な影響力を持ち、空軍の設立に関与した男。

別に理由という理由があるわけではないか、レルゲンはローゼフシルトがどうしても苦手だった。

レルゲンは本能的にローゼフシルトに対しターニャに対するような警戒を持っていた。

 

(あのローゼフシルト大佐と……あの幼女の皮をかぶったバケモノ、デグレチャフ少佐を組ませるだと……!?)

 

レルゲンの脳裏に、二人の容貌が恐ろしい精度でオーバーラップした。

 

常識を遥かに逸脱した冷徹な軍略を企てる男と、戦場を過剰なまでの合理的効率で蹂躙する悪魔のような幼女。

 

(不吉だ……不吉すぎる! この二人を掛け合わせたら、一体どんな邪神を降臨させる気なのか……!? 協商連合どころか、欧州そのものが灰に変わってしまうのではないか!?)

 

突如として襲いかかってきた激しい胃の痛みに、レルゲンは胸を押さえそうになるのを必死で耐えた。冷汗が額を伝う。もしこの二人が本気で手を取り合って戦争を遂行したなら、人道や国際法などという概念は跡形もなく吹き飛ぶに違いない。

 

しかし――次の瞬間、レルゲンの脳裏にふと過去の報告書や噂の断片が過ぎさった。

 

(……いや、待てよ?)

 

そう言えば以前、北方軍管区司令部において、ローゼフシルト大佐とデグレチャフ少佐が同席していたという噂を小耳に挟んだことがあったはずだ。二人には直接的な面識や深い交流があるわけではなく、ただその司令部の場で居合わせたらしいという程度の話だったはずだが……。

 

(……そうだ。確か北方軍管区司令部で、一度会っていたのだったな……)

 

すでにあの二人は同じ空間に存在し、世界は滅びなかったのだ。

一度は破滅の予感に震えたレルゲン中佐であったが、一周回って妙な達観の境地に達していた。胃の痛みは消えないものの、彼の瞳からは無駄な狼狽が消えていた。

 

「……了解いたしました、ゼートゥーア閣下。ただちに二〇三魔導大隊へ、北方軍管区への異動を発令いたします」

「よし、頼む」

 

ゼートゥーア中将は満足げに頷き、再びルーデルドルフ中将とともにワロン地区の渡河作戦案へと意識を戻した。

 

参謀本部の電信室から発せられた不可視の電波は、ダキアの地で「ついに後方勤務だ!」と胸を躍らせているであろう幼い少佐の未来を無慈悲に打ち砕くべく、南方の空へと飛んでいくのだった。

 

 

 

 

《中央暦1924年9月中旬 ダキア・ルテニア駅》

 

「……は?」

 

特別列車が待機するホームで、参謀本部からの直密電報を受け取ったターニャ・フォン・デグレチャフ少佐は、呆然と紙切れを見つめていた。

 

隣に立つ副官のヴィーシャが、心配そうに顔を覗き込む。

 

「少佐殿……? 電報には何と?」

「……北方軍管区へ直ちに向かえ、だそうだ」

「北方……協商連合の戦線ですか! 何か北方は寒そうで嫌ですね靴下を何枚重ねればいいのしょうか。……てっきり、後方での再編や訓練と思っていたのですが……即時異動なのですか?」

「ええ、そのようだとも!」

 

ターニャは心の中で血吐くような悲鳴を上げながら、表面上は引きつった笑みを浮かべた。

 

(嘘だろ……!? 後方への異動ではないのか!? 休暇は!? 労働基準法はどうなったんだこのイカれた帝国はー!! ダキアでの完璧な成果は何だったんだ! 評価が良すぎると速攻で次の激戦地に回されるとか、そんなのを喜ぶのは過労で頭のぶっ飛んだサラリーマンだけだぞ!!)

 

怒りと絶望で眩暈がしそうになるのを、ターニャは気合で耐えた。

 

しかし、電報の末尾に記載された一行を目にした瞬間、ターニャの表情から怒りが消え、深閑とした警戒の色が広がった。

 

『北方軍管区にて、ローゼフシルト大佐の指揮下に入り、新規攻勢作戦の先鋒を務めよ』

 

「……ローゼフシルト大佐……」

 

ターニャはその名を呟き、背筋に走る不快な寒気に眉をひそめた。

 

以前、北方軍管区司令部でニアミスしたあの男。異常な速度で軍事・経済の要衝に食い込み、規格外の技術や兵器の導入を推し進める謎めいた存在。

 

ターニャが恐れているのは、ローゼフシルトが協商連合に対してどのような攻勢を企んでいるか、などということではない。そんな軍事的な作戦内容はどうでもよかった。

 

ターニャが何よりも警戒し、恐れているのは――ローゼフシルトという人間そのものが、あの忌々しい存在Xの手先なのではないかという疑念であった。

 

(思い返せば、あの狂信的なシューゲル……! あの男も存在Xに魅入られ、啓示を受けた結果、精神を異常な方向へねじ曲げられながら九九式戦術計算宝珠という正気とは思えぬ兵器らしくもない兵器を作り上げた……!)

 

胸元に下がる九九式を見つめ、ターニャは苛立ちを募らせる。

見るたびにかち割りたくなるくるみ割り人形。使用するたびに強制される祈りと奇跡。この世界には、あの神を気取るペテン師(存在X)による超常的な介入が溢れかえっているのだ。

 

(シューゲルだけではない。あのローゼフシルトという男の異質な手腕といい、歴史の歪み方といい……あいつが存在Xの介入を受けた使徒、あるいは第二のシューゲルのような存在である可能性は極めて高い!)

 

もしローゼフシルトが存在Xの手先であったなら、奴と接触することはターニャにとって死以上のリスクを意味する。再び精神を汚染されるか、あるいは理不尽な信仰の試練へと突き落とされるか。

 

(嫌だ……! あの手の狂信者や手先どもと関わるのは絶対に御免だ! なぜ私はこうも理不尽な自称神の異常存在の戯れに振り回されなければならないんだ!)

 

「少佐殿、二〇三部隊、全隊員の搭乗が完了いたしました!」

 

副官のヴィーシャが敬礼する。

 

「……よし。出発する」

 

ターニャは軍帽を深くかぶり直し、蒸気機関車が吐き出す黒煙の中へと足を踏み入れた。

 

ダキアという一瞬の温いカモとの戯れは終わり、自分は再び、あの狂気と不条理な神の悪意が渦巻く北方戦線へと引き戻される。

 

ワロンの河川で睨み合うフランソワ共和国。

辛くも生きながらえている北方の協商連合。

そして、北方で待つローゼフシルトという不気味な影と、第二〇三航空魔導大隊。

 

重々しく響く蒸気機関の咆哮とともに、列車は動き出した。

中央暦1924年秋。

無神論者ターニャ・フォン・デグレチャフの戦いは、神の悪意に抗うかのように、さらなる混沌の地へと続いていくのだった。

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