《統一暦1927年3月 帝国 帝都》
マイナス三〇度を下回るルーシーの極寒と、果てしなく続く血みどろの泥濘から帰還したジーク・マイヤー・アンドシェル・フォン・ローゼフシルトは、久しぶりに帝都のターミナル駅へと降り立った。
第一装甲軍の絶対的な死地を救い、連邦の心臓たるモスコー陥落という歴史的偉業を成し遂げた装甲軍集団。その頭脳として苛烈な手腕を振るった彼は、数日前に装甲軍集団参謀長の任を解かれ、同時に少将から中将への昇進を果たしていた。
駅のホームから帝都の街並みへと歩みを進めたローゼフシルトは、仕立ての良い軍用コートの襟を立てながら、街の異様な暗さと静けさに目を細めた。
かつて、夜になればネオンサインや煌びやかなガス灯が輝き、不夜城と謳われた帝都の華やかな活気は、完全に消え失せていた。国家が総動員体制へと完全移行したことに加え、全ての建物の窓は分厚い黒いカーテンや板で厳重に覆い隠され、街灯には下半分しか光が漏れないように深い笠が被せられている。行き交う市民たちの服装からも華美な色は消え失せ、カーキ色や暗い灰色の実用的な服ばかりが目立っていた。
「……随分と、息苦しい街になったものだな」
ローゼフシルトが冷たい夜気の中で独りごちると、背後から近づいてきた軍靴の音が止まった。
「お出迎えに上がりました、ローゼフシルト中将閣下。……連合王国による忌まわしい本土爆撃が開始されて以来、我が帝都はこのような本格的な灯火管制を敷いております」
振り返ると、空軍の将校が敬礼をして立っていた。将校の背後には、ヘッドライトの半分に黒いスリットテープを貼った最高級の軍用車が、エンジン音を低く唸らせて待機している。
「アルビオンの夜間爆撃か。空軍が誇る優秀な機体性能と、本土全土に張り巡らされたレーダー網を使って、奴らの爆撃隊を片っ端から叩き落としていると聞いているが?」
ローゼフシルトは後部座席に乗り込みながら尋ねた。
「ええ、その通りです。夜の帝都に飛来する王立空軍の爆撃機は、我が方の夜間戦闘機部隊の絶好の獲物となり、ポロポロと落ちております。……ですが、連中もただ死にに来ているわけではありません。特に、低地地域への被害は、看過できないレベルに達しつつあります」
車を発進させながら、将校が苦々しい声で報告した。
帝国の重要な工業地帯である低地地域は、海を隔てたアルビオン本土から距離が近く、彼らの優秀な戦闘機であるスピットファイアの航続距離内に収まっていた。
そのため王立空軍は、護衛の戦闘機を随伴させた状態で昼夜を問わず執拗な波状攻撃を仕掛けてきていた。爆撃部隊単独であれば容易に迎撃できる帝国空軍も、優秀な護衛戦闘機が群がっているとなれば多大な出血を強いられ、厚い妨害の壁を前に爆撃に対してうまく攻撃できずにいた。
「軍需省からの報告によれば、この執拗な爆撃により、低地地域の工業生産能力はすでに二割近くも減少しているとのことです。シュパーヤ大臣が毎日のように参謀本部に来ては胃薬をかじりながら怒声を上げております」
「シュパーヤの胃壁に完全に穴が開く前に、あの忌まわしい空の脅威を払拭せねばならんな。……さあ、急ごうか。ゲーロング上級大将がお待ちかねだ」
車は暗闇の帝都を滑るように走り出し、帝都郊外に位置する空軍の極秘試験場へと向かった。
◇
「おお! よくぞ生きて帰ってきてくれた、ローゼフシルト中将。そして昇進おめでとう!」
厳重な警備が敷かれた試験場の特別観覧席に到着するなり、帝国空軍のトップであるゲーロング上級大将が、満面の笑みでローゼフシルトを出迎えた。
「ありがとうございます、閣下。……ルーシーの泥と氷は、私のような文化的な人間には少々過酷すぎましたよ」
「ハッハッハ! 違いない。 しかし、あの狂った赤軍どもの勇猛な肉の壁を相手によくぞ耐え抜いた。モスコーを落としたと聞いた時は、空軍省で一番高いシャンパンを三本空けたぞ」
ゲーロングは機嫌よくローゼフシルトの肩を叩いた。だが、ローゼフシルトの目は笑っていなかった。
「……閣下、赤い熊たちはまだ死んでおりません。彼らは縦深の奥地に引きこもり、さらに厄介な怪物へと進化しつつあります。彼らの汲めども尽きぬ人的資源と、大平洋で開戦に踏み切った合州国の理不尽な工業力。帝国がこの絶望的な総力戦を生き残るには、彼らの物量を根本から無力化する圧倒的な質が必要不可欠です」
「分かっているとも。だからこそ、今日、君をここに呼んだのだ。……さあ、特等席で見よう」
ゲーロングが指差した先。試験場の分厚いコンクリートハンガーの重い扉が開き、中からトラクターに牽引されて、一台の異形の機体が姿を現した。
特別観覧席に集まっていた多くの帝国将校や政府閣僚たちが、一斉にどよめきの声を上げた。
ローゼフシルトも、その機体を見た瞬間、前世の記憶と目の前の現実がリンクし、背筋に強烈な電流が走るのを感じた。
「……なんと美しい。あれが、アーネンエルベで研究させていたジェットエンジンと、閣下が以前仰っていた双発戦闘機の完成形ですか」
流線型の滑らかな胴体。機首には、あるはずのプロペラが存在せず、代わりにサメの鼻先のような鋭いノーズが突き出している。
従来の戦闘機のような尾輪式ではなく、機体は地面に対して完全に水平な姿勢を保っていた。
「ローゼフシルト閣下! お気に召していただけたようで何よりです!」
興奮で頬を紅潮させた二人の男が、小走りでローゼフシルトたちの元へやってきた。
機体の設計を担うアンダルシア・フレンツェ主任技師と、エンジンの開発者であるバンス・フォン・アハイン主任であった。彼らは、自らが生み出した最高傑作を語りたくてたまらないといった様子で、早口で説明を始めた。
「閣下! ちょうど一年前のアーネンエルベでの稼働試験から、我々は不眠不休で研究を重ねてまいりました! そして完成したこの機体こそ、我が帝国航空技術の集大成。局地防空用双発ジェット戦闘機『コメート(彗星)』であります!」
設計者のフレンツェが、誇らしげに胸を張る。
「現在のプロペラ戦闘機は、時速七〇〇キロを超えるとプロペラ先端が音速に達して衝撃波を発生させ、効率が極端に低下するという物理的な壁にぶち当たっております。しかし、この機体はプロペラの呪縛から完全に解放されています。設計上、高度六〇〇〇メートルで時速九二〇キロという、これまでの常識を根本から覆す最高速度を叩き出します!」
「時速九二〇キロ……!?」
周囲の閣僚たちが、信じられないものを見るような顔をした。現在の帝国の主力戦闘機であるハンター戦闘機で時速七二〇キロであり、アルビオンの最新鋭機であるスピットファイアに至っては、時速六〇〇キロ台である。文字通り、次元が違った。
「さらに、この機体には数多くの革新的なアイデアが盛り込まれています」
フレンツェは機体を指差しながら説明を続けた。
「この後方へ角度のついた後退翼。これは、機体が音速に近づいた際に発生する造波抵抗を遅らせるためのものです。さらに、ローゼフシルト閣下が以前仰っていた胴体の中央部をわずかにくびれさせたエリアルール設計を採用し、空気抵抗を極限まで削ぎ落としました。
また、これほどの超高速域で万が一撃墜された場合、パイロットは風圧で自力脱出が不可能です。そのため、座席の下に火薬を仕込み、レバー一つでキャノピーごと座席を空高く打ち出す射出座席を実用化し、搭載しております」
ローゼフシルトがかつて彼らに与えた知識の断片が見事に結実したその機体は、統一暦一九二〇年代後半の常識からすれば、完全にオーパーツであった。
「素晴らしい。まさに未来からの使者だ」
ローゼフシルトは、感嘆の息を漏らした。
「だがアハイン主任。なぜ単発ではなく、わざわざ双発にしたのだ? 機体が重くなり、整備の手間も倍になるのではないか?」
その問いに対し、エンジン開発者のアハインは苦笑しながら答えた。
「ローゼフシルト閣下のご指摘の通りです。ですが、我々が開発した軸流式圧縮機やフィルム冷却機構、耐熱超合金、アニュラー型燃焼器を用いたエンジンであっても、黎明期の現在では、推力は設計値である一五〇〇キログラムが限界なのです。機首に三〇ミリ機関砲を四門という過剰な重武装と、分厚い防弾装甲を持たせた重い機体を時速九〇〇キロで飛ばし、なおかつ片方のエンジンが停止しても生還できるよう、推力と生存性を確保するための双発なのです」
アハインはそこで言葉を区切り、目をギラギラと輝かせた。
「ですが閣下! 我々はすでに、推力二〇〇〇キロから三〇〇〇キロ級の次世代ターボジェットエンジンの研究にも着手しております。それが完成すれば、重い双発機ではなく、より軽量で旋回性能に優れた単発のジェット戦闘機を空へ上げることも可能です!」
「よくやってくれた、二人とも。この極めて短い期間で、これほどの技術的特異点を形にしてくれるとは」
ローゼフシルトは、心からの賛辞を贈った。ゲーロングも、満足そうに腕を組んで深く頷いている。
「百聞は一見に如かずだ。ローゼフシルト中将、新時代の空を見ようではないか」
ゲーロングの合図とともに、滑走路の端に待機していたコメートのエンジンが始動した。キュイィィィンという、レシプロエンジンとは全く異なる、大気を直接引き裂くような甲高いタービンの回転音が試験場を震わせる。
空気を切り裂く轟音とともに、機体は滑走路を猛スピードで滑走し、信じられないほどの短い距離でフワリと機首を上げ、大空へと飛び立った。
その上昇力は、圧倒的であった。
まるで巨大なロケットのように空へ向かって突き進み、あっという間に豆粒ほどの大きさになる。
そして数分後。
上空数千メートルから、コメートがテスト飛行のデモンストレーションとして、観覧席の上空へ向けてフルスロットルで急降下してきた。
キィィィィィィィィンッ!!!!
空気を切り裂く異次元の轟音が響いたと思った次の瞬間、銀色の機影が目にも留まらぬ速度で観覧席の頭上を駆け抜け、瞬く間に地平線の彼方へと消え去っていった。
それはまさに、真昼の空を一瞬で切り裂く『彗星』の瞬きであった。
観覧席の将校や閣僚たちは、その信じがたい速さに誰も言葉を発することができず、ただ口を開けて空を呆然と見上げていた。
「……勝ったな」
ローゼフシルトは、自らの手で歴史の歯車を数十年分早回ししてしまったという確かな実感とともに、勝利の確信を口にした。
◇
《3ヶ月後 統一暦1927年6月 帝国低地地域上空》
雲海の上を、アルビオン王立空軍の巨大な爆撃機編隊が進んでいた。
四発のエンジンを積んだ重爆撃機『ランカスター』の群れが、帝国低地工業地帯を灰にするべく、昼間の空を我が物顔で飛行している。
彼らの周囲には、アルビオンが誇る傑作戦闘機『スピットファイア』が、護衛として無数に随伴していた。
「見ろ、今日は帝国の迎撃機も上がってこないぞ」
「当然だ。我々スピットファイアの編隊を恐れて、基地で震えているのだろうさ」
護衛戦闘機のパイロットたちは、無線越しに余裕の笑い声を交わしていた。航続距離の短いスピットファイアを護衛につけられるこの低地地域への爆撃は、王立空軍にとって比較的安全で、かつ帝国に多大なダメージを与えられる確勝の作戦であったのだ。
『――各機、警戒せよ! レーダーに反応あり! 前方上空、非常に高い高度から、急接近してくる機影がある!』
対岸のレーダー指揮所から、緊張した通信が入る。
『……いや、おかしい。速度が異常だ! 敵機直上、急降下してくる!!』
その警告と同時であった。
上空一万メートルの彼方から、陽光を背にして、数機の銀色の影が信じられない速度でアルビオン編隊へと突っ込んできた。
「迎撃しろ! 各機、敵機を抑えろ!」
護衛のスピットファイア編隊が、機首を上げて襲撃機を迎え撃とうとした。だが、すれ違った瞬間、アルビオンのパイロットたちは自らの目を疑い、絶叫した。
「な、なんだあの機体は!? 機首に……プロペラがついてないぞ!?」
時速六〇〇キロ台で懸命に飛行するスピットファイアに対し、謎の帝国機は時速九〇〇キロを優に超える圧倒的な速度で、文字通り「完全に置き去り」にして編隊をすり抜けた。
それは、極秘裏に量産され、この日初めて実戦配備された帝国空軍のジェット戦闘機コメートの第一陣であった。
コメートは、追いつくことすらできない護衛のスピットファイアを完全に無視し、本命である鈍重なランカスター爆撃機へと照準を合わせた。
ドッドッドッドッ!!
コメートの機首に集中装備された四門の三〇ミリ機関砲が火を噴いた。
発射されたのは、通常の徹甲弾ではない。帝国の誇る兵器『ミーネンゲショス(薄殻榴弾)』である。弾殻を極限まで薄くして炸薬を限界まで詰め込んだその榴弾は、ランカスターの巨大な主翼にたった数発命中しただけで、内部から強烈な爆発を起こして翼の構造材を完全に粉砕した。
「右翼被弾! 火災発生! 翼が……翼が折れるゥゥッ!!」
四発重爆撃機の分厚い装甲も、大口径榴弾の前には紙くず同然であった。たった一航過の攻撃で、数機のランカスターが空中でへし折られ、火ダルマとなって墜落していく。
「馬鹿な……!護衛戦闘機隊は何をしている! 早く奴らを落とせ!!」
爆撃隊の指揮官が悲鳴を上げる。
護衛のスピットファイアたちは、怒り狂って機体を反転させ、コメートの背後を取ろうと旋回戦に持ち込もうとした。
レシプロ機であるスピットファイアの旋回性能は極めて高く、格闘戦になれば初期のジェット機よりも小回りが利く。
だが、コメートを操る帝国軍のパイロットたちは、そんな相手の土俵に乗るほど愚かではなかった。
彼らはランカスターを一撃で沈めた後、一切旋回することなく、圧倒的な推力に任せて機首を垂直に近い角度で上空へと向けたのだ。
「逃がすか!」
スピットファイアが後を追って上昇するが、レシプロエンジンの推力では重力に逆らいきれず、すぐに失速して機首が垂れ下がってしまう。
それに対し、コメートは推力に任せてグングンと高度を上げ、あっという間にスピットファイアの射程圏外の遥か上空へと逃げ去ってしまった。
「くそっ、追いつけない! なんだあの化け物は……!」
アルビオンのパイロットが絶望に顔を歪めたその時、はるか上空で反転し、再び位置エネルギーを蓄えたコメートの編隊が、死神の鎌のように二度目の急降下攻撃を仕掛けてきた。
アルビオン側には、文字通り手も足も出ない状況であった。
護衛の戦闘機はスピードと上昇力で完全に翻弄され、守るべき爆撃機は次々と空の藻屑となっていく。
コメートの機首から放たれる三〇ミリの光条は、アルビオン空軍がこれまで築き上げてきた航空戦の常識を、一瞬にして過去の遺物へと変え去った。
この日の低地地域上空での空戦は、アルビオン王立空軍にとって「一方的な虐殺」と呼ぶにふさわしい凄惨な結果に終わった。
出撃したランカスター爆撃機の大半が未帰還となるか破棄となり、護衛のスピットファイアも多数が撃墜された。対する帝国のコメートは、敵機による被撃墜は『完全なるゼロ』であった。
このジェット戦闘機の大規模な投入と、それに伴う破滅的な被害の報告を受け、アルビオン王立空軍司令部は戦慄した。
「帝国はすでにジェット戦闘機を実用化しており、プロペラのない悪魔が飛び回る空へ、これ以上我が国の爆撃機を送ることは自殺行為に等しい」
かくして、アルビオンによる帝国低地地域への爆撃作戦は、対抗策が見つかるまで『無期限中止』に追い込まれたのである。
空の覇権は、彗星の瞬きとともに、完全に帝国の手へと渡った。
◇
【帝国空軍 第一世代ジェット戦闘機『コメート(彗星)』諸元表】
全長:10.6 m
全幅:12.5 m
翼面積:21.7 m²
重量:自重 約 4,000 kg / 全備重量 約 6,500 kg
発動機:アハイン式第一世代軸流式ターボジェットエンジン ×2
推力:1,500 kg ×2
最大速度:920 km/h (高度 6,000 m)
上昇力:海面にて 35 m/s
実用上昇限度:12,000 m
武装:30mm 機関砲(ミーネンゲショス対応) ×4門(機首集中装備)
特殊装備:
臨界マッハ数を引き上げる後退翼
造波抵抗を軽減するエリアルール設計
火薬による射出座席
前輪式降着装置(三輪式)
備考:大平洋で世界が二分された一九二七年に実戦投入された、人類史上初の本格的なターボジェット戦闘機。その圧倒的な速度と上昇力により、レシプロ戦闘機による迎撃を完全に無効化し、大戦全般を通して帝国軍の制空権確保に寄与し続けた。
というわけでコメートという名のシュワルベ擬きでした。
ジェット機はやっぱ双発機なんよ、F-35は邪道なんだよな~。
最近のジェット機だとSu-57がビジュ良すぎる。F-22とかよりよっぽどカッコいい。
だけどF-2には勝てない。