《統一暦1927年4月 東部戦線南翼 クリム半島》
帝国軍が立案している、ルーシー連邦に対する次なる大規模春季攻勢。広大な縦深の奥地へと逃げ込んだ連邦に大打撃を与え、南方の広大な油田地帯をもぎ取るためのこの巨大な作戦を遂行するにあたり、帝国軍には「前段階」としてどうしても解決しておかなければならない、喉に刺さった魚の小骨のような存在があった。
それが、黒海に突き出た要衝、クリム半島である。
さらに厳密に言えば、その南端に位置する黒海艦隊の本拠地――『セヴァスチャントポリ要塞』であった。
昨年の十月から始まったクリム攻防戦において、帝国軍の南翼を担うエーリッヒ・フォン・モンシュタイン大将率いる軍団は、その類稀なる機動戦術と用兵の冴えを見せつけ、すでに二〇万人以上の連邦赤軍将兵をあの世の労働キャンプへと強制的に転属させていた。
赤軍は半島全域から後退に後退を重ね、ついに最南端のセヴァスチャントポリ要塞へと完全に追い詰められた。
だが、ここからが本当の地獄の始まりであった。
かつての戦争の時代からルーシー国家が国力を傾けて要塞化し続けたこの都市は、天然の岩盤をくり抜いて作られた無数のトーチカと、分厚いコンクリートの壁によって構成された、まさに「鉄壁」であった。
そして、その要塞群の防衛の要として帝国軍に鋭い牙を剥いたのが、悪魔の巨大砲台『マキシマムゴーリキー』である。
「……第三戦車中隊が消滅したか」
セヴァスチャントポリを遠巻きに包囲する帝国軍の野戦司令部。
モンシュタイン大将は、双眼鏡から目を離し、酷く苦い顔で報告書を叩きつけた。
マキシマムゴーリキー(I号およびII号)砲台。それは元々、黒海に侵入してくる敵戦艦を撃ち沈めるために沿岸部に建設された、口径三〇.五センチの連装巨砲である。
分厚い装甲に覆われた巨大な砲塔が、地下深くの弾薬庫と強固なコンクリート要塞で直結されており、いかなる野砲や航空爆弾の直撃にも耐える。それが今、本来の海上ではなく、陸上の帝国軍へ向けて砲身を下げ、水平射撃を行ってきているのだ。
「三〇センチの徹甲榴弾が水平に飛んでくるのだぞ。我が軍の主力戦車であろうと、直撃すれば文字通り消し炭となって微塵も残らん。直撃しなくても、その爆風だけで歩兵の一個小隊が肉片に変わる」
帝国軍の戦車や突撃砲が悠々と射程圏内に踏み込んだ瞬間、マキシマムゴーリキーの巨砲が火を噴き、帝国軍の装甲部隊は一発で中隊が革命的消し炭と化した。分厚いコンクリートのトーチカに阻まれ、帝国軍の歩兵も装甲部隊も、要塞の前面で完全に釘付けにされていたのである。
「このままでは、春季攻勢に間に合わん。……例の兵器の投入結果はどうだった?」
モンシュタインは、傍らの参謀に尋ねた。
「例の兵器」とは、参謀本部の要請によって特別に持ち込まれた、帝国空軍の超重型誘導滑空爆弾、SB−4000『フォルカン(隼)』のことである。
参謀は、ひどく言いにくそうに口を開いた。
「……失敗しました、閣下。投下されたフォルカンは、要塞の分厚い屋根ではなく、明後日の方向の無人の山肌に見事な大穴を穿ちました」
「何だと? 誤差三メートル以内の必殺兵器と聞いていたが?」
「それが……連邦の赤外線ジャマーに狂わされたようです」
フォルカンの終末誘導方式は、投下機または随伴する誘導機から、強力なアーク灯に赤外線フィルターをかけた「指向性赤外線ビーム」を目標に照射し、爆弾の尾部にあるセレン光電池がその反射波を追尾する(ビームライディング)という、一九二〇年代の技術としてはオーパーツじみたハイテク兵器であった。
だが、連邦側もただの無能なカカシの集まりではなかった。
共和国のマジノ線の崩壊や今まで東部戦線の要塞で度々行われていたフォルカンの投下から、要塞周辺を飛ぶ帝国の爆撃機から「見えないが、何か熱を帯びた光線」が照射されていることに気づいた赤軍の防空部隊は、極めて原始的、かつ絶大な効果を発揮する「物理的ジャミング」を行ったのだ。
彼らは要塞の周辺に巨大な壕を掘り、そこに大量の重油を流し込んで点火。さらにはありったけの発煙筒を焚いて、空を真っ黒な煙幕で覆い尽くした。
これにより、重油が燃えることで発生する強烈な「赤外線のノイズ」と、黒煙による光の散乱が発生。フォルカンの未熟なセレン光電池は完全に幻惑され、目標の反射波を見失い、一番熱源の強い焚き火の方向へと吸い寄せられて自爆してしまったのである。
「あの未開の泥とウォッカの国の連中に、電子戦で敗北しただと? 笑えんジョークだ」
モンシュタインは、頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
「すぐさま参謀本部に掛け合え! 航空機のオモチャがダメなら、要塞を物理的に粉砕できる『大規模な重砲部隊』を大至急よこすように伝えろ!」
だが、帝都の参謀本部からの返答は、モンシュタインをさらに苛立たせるものであった。
『――現在、東部戦線全体での春季攻勢に向けた戦力再編により、火砲が決定的に不足している。クリム半島へ大規模な重砲部隊を抽出することは不可能である。代わりに、フォルカンの誘導方式をジャミングに強い「有線誘導方式」への改造が完了するまで待機せよ』
「待てるか、馬鹿者ッ!!」
モンシュタインは、受話器を床に叩きつけた。
「有線誘導だと!? 参謀本部の事務屋どもは、物理学を胎盤に置いてきたのか!」
モンシュタインの怒りはもっともであった。
フォルカンの最大滑空距離は、高度八〇〇〇メートルからの投下時で「約三五キロ」である。時速数百キロで落下する一・八トンの爆弾に、三五キロメートルもの長さのワイヤーを繋いで空中で繰り出すなど、今の冶金技術では狂気の沙汰であった。
リールから引き出される際の猛烈な摩擦熱、風による凄まじい空気抵抗、そして何より三五キロものワイヤー自体の「自重」によって、ワイヤーは確実に絡まるか、途中で千切れてしまう。そんな机上の空論が実用化されるのを待っていれば、冬が来てしまう。
業を煮やしたモンシュタインは、通常の軍の命令系統を完全に無視し、個人的な「ホットライン」へと連絡を入れた。
相手は、ローゼフシルト中将であった。
「ローゼフシルト中将! 貴様のところの工場で作った爆弾は、焚き火一つで役立たずになったぞ! 責任を取れ。要塞のコンクリートごと赤軍を粉砕できるだけの砲をかき集めてよこせ!」
『……やれやれ、人使いの荒い方だ、閣下は。分かりました、任せてください。私の権限を使えるだけ使って、世界中の「ロマン」をそこへ届けましょう』
ローゼフシルトは、電話の向こうで二つ返事で快諾した。
◇
それから数週間後の、統一暦1927年5月上旬。
セヴァスチャントポリ包囲陣地。モンシュタインのもとに、後方の鉄道集積所から一通の報告が届いた。
『――ローゼフシルト中将の手配により、火砲部隊が到着。その数、およそ二〇〇門』
その報告を受けた瞬間、モンシュタインは激怒した。
「たったの二〇〇門だと!? 莫大な資産を持つ財閥の総帥が、何をケチっている! セヴァスチャントポリの要塞群を吹き飛ばすのに、二〇〇門の野砲で何ができるというのだ!」
通常、大攻勢における準備砲撃には最低でも千門の火砲が投入されるのが帝国、というか東部戦線の常識である。二〇〇門など、かすり傷をつけることすらできない。
だが、その報告書を持ってきた参謀の顔は、なぜか恐怖と興奮が入り混じった、極めて引き攣った笑みを浮かべていた。
「閣下……。ローゼフシルト中将が送ってきたのは、ただの野砲ではありません。……この、内訳のリストをご覧になってください」
差し出されたリストを受け取り、モンシュタインは渋々目を落とした。
そして、数秒後。
「…………は?」
モンシュタインの目が、限界まで見開かれた。
そこに記載されていたのは、彼が軍人生活の中で一度も目にしたことがない、狂気とロマンを限界まで煮詰めたような『バケモノ』たちのカタログであった。
グスタフ・ドーラ 80センチ列車砲:口径80センチ。砲弾重量7トン。射程47キロ。組み立てに数千人の工兵と専用の複線線路を必要とする、人類史上最大の巨砲。
カール自走臼砲:口径60センチ。要塞の分厚いコンクリートを上から叩き割るために生み出された、自走式の鈍重な巨大臼砲。
45.7センチ列車砲 / 42センチ・ガンマ臼砲 / 38センチ・ジークフリート K / 35.5センチ M1火砲 / 32センチ 列車砲 / 28センチ K5(スレンダー・ベルタ)……
さらには、初期型地対地ロケット兵器『ラインボーテ』の砲兵連隊……
いずれ劣らぬ、口径二〇センチを下回るものが一つも存在しない、帝国中の『ド変態巨砲コレクション』の全てが、ローゼフシルトの財力とコネクションによって、このクリム半島の南端に一挙に集結したのである。
「フ、フハハハ……ッ!」
モンシュタインの口から、無意識のうちに狂気を孕んだ笑いが漏れた。
「なんだこれは。頭がおかしいのか、ローゼフシルトは! これだけの変態大砲を輸送するだけで、どれほどの貨車と石炭を浪費したのだ! ……だが、いい! 最高だ! これこそが私が求めていた『物理的説得』だ!」
二〇〇門の野砲ではない。二〇〇門の『決戦兵器』である。
これほどの超重砲群が地球上の一箇所に集結したことは、有史以来かつて一度もなく、おそらく未来永劫二度とないだろう。
「全砲門に告ぐ! 照準、マキシマムゴーリキーおよび要塞中枢! コンクリートを砂利に変えろ! 赤軍の連中を、一人残らず革命的消し炭にしてやれ!!」
◇
5月中旬。
セヴァスチャントポリ要塞の地下深くに潜む連邦赤軍の将兵たちは、この日、世界で初めて『この世の終わり』の音を聞くことになった。
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!!
大地が、いや、星そのものが揺れたと錯覚するほどの巨大な地響きが、要塞を包み込んだ。
帝国軍による、人類史上最大規模にして最悪の『超重砲撃』の火蓋が切って落とされたのである。
赤軍が誇っていた巨大砲台『マキシマムゴーリキー』。
彼らはこれまで、自らの三〇.五センチ砲の威力を誇り、近づく帝国軍を「反動主義の犬め」と嘲笑って叩き潰してきた。
だが、そのマキシマムゴーリキーの装甲砲塔が、飛来した巨大な黒い影によって、文字通りおもちゃのようにひしゃげ、吹き飛んだ。
「て、敵の砲撃! 第I号砲台、直撃を受けました! 装甲が……一.五メートルのコンクリート装甲が、一撃で貫通されました!!」
要塞の司令部で、赤軍の通信兵が血を吐くような悲鳴を上げた。
「馬鹿な! いかなる野砲にも耐える設計のはずだぞ!」
「ち、違います! 飛んできたのは野砲の弾ではありません! 重さ七トンの……小型の戦車ほどもある巨大な鉄の塊が、音速で降ってきました!!」
グスタフ・ドーラから放たれた八〇センチ徹甲榴弾。
それは、遥か三〇キロ後方の複線線路の上から放たれ、成層圏近くまで放物線を描いて上昇した後、重力によってマッハの速度で落下してくる。マキシマムゴーリキーの分厚いコンクリートの屋根など、紙切れと同義であった。
厚さ数メートルの岩盤を貫通して要塞内部の弾薬庫に突入した七トンの砲弾は、遅延信管によって内部で炸裂。マキシマムゴーリキーI号砲台は、地下の弾薬の誘爆を伴って、山そのものが吹き飛ぶかのような大爆発を起こし、一瞬にして『革命的消し炭』となって地図上から消滅した。
ハッキリ言って格が違った。30センチ級の砲など、80センチとかいう明らかに様子のおかしい巨砲を前にしてはオモチャに過ぎなかった。この時、連邦赤軍は帝国のイカレタ巨砲兄弟によって完全に解らせられたのだ。
「ひ、ひぃぃっ! 神様、助けてくれ!!」
「無神論者が神に祈るな! ウラーと叫んで応戦しろ!」
「無茶だ! こんな火力の壁、どうやって突破しろというんだ!」
絶望の連鎖は止まらない。
ドーラの八〇センチ砲弾が山の地形を物理的に変える中、カール自走臼砲から放たれた二トンの六〇センチ砲弾が、要塞の通風孔や出入口をピンポイントで叩き潰し、地下に潜む赤軍将兵を生き埋めにしていく。
さらに、四二センチ、三八センチといった無数の超重砲弾が雨あられと降り注ぎ、空からはラインボーテのロケット弾がけたたましい咆哮とともに面制圧の炎の絨毯を敷き詰めた。
これまで、帝国軍の戦車を一方的に吹き飛ばしていたセヴァスチャントポリ要塞は、今や完全にサンドバッグと化していた。
塹壕に潜む赤軍兵士たちは、発狂して自らの耳を塞ぎ、ただコンクリートの粉塵の中で咳き込みながら死を待つしかなかった。外へ出ようにも、外の世界はすでに、圧倒的物理の暴力が具現化した業火の嵐によって、生命が存在できる空間ではなくなっていたのである。
「同志……我々は、帝国を怒らせてしまったようだ……」
ある赤軍将校は、要塞の天井からパラパラと落ちてくる砂塵を見上げながら、力なく笑った。
彼らが信奉する共産主義の唯物史観によって建設された砲台においても、これほどまでに理不尽な「質と量の暴力」は想定されていなかった。
およそ一週間にわたって続けられたこの狂気の砲撃により、セヴァスチャントポリの要塞群は、天然の岩盤もろとも完全に粉砕され、文字通りの月面のようなクレーターの集合体へと変貌した。
そして六月。
瓦礫の山となった要塞跡地に、帝国軍の歩兵と突撃砲が悠々と進駐を開始。
生き残った数万の赤軍将兵は、帝国のでかいヤツで理解させられたことで、もはや抵抗する気力すら完全に失い、虚ろな目のまま帝国軍の前に次々と白旗を掲げた。
ここに、東部戦線南翼の最大の障壁は完全に排除された。
モンシュタインの軍団によるクリム半島制圧の完了と、この地で大量生産された「革命的消し炭」の山は、これから始まる帝国の春季大攻勢に向けて、連邦に最大の絶望を突きつけることとなるのであった。
これ多少時期が早まっているけどやってること殆ど史実通りなんだよな……
まあ、史実よりも帝国の砲撃精度がいいから歩兵の肉薄はいらなかったけど。