《統一暦1927年11月19日 東部戦線南翼 ドン川東岸》
『サイレン』
凍てつく吹雪が舞う払暁。
連邦赤軍の最高司令部から発信されたその短くも致命的な暗号電文は、静寂に包まれた広大な雪原を一瞬にして「この世の終わり」へと変貌させた。
午前七時三〇分。
ドン川東岸、およびヨシフグラードの南方ステップ地帯に布陣していた帝国軍の陣地へ向けて、大地そのものを粉砕するような凄まじい轟音が轟いた。
それは、一発や二発の着弾音ではない。地平線の彼方から放たれた二万門もの火砲と多連装ロケット砲による、人類史上最大規模の一斉準備砲撃であった。
「敵襲! 砲撃だ!! 掩蔽壕へ急げっ――」
帝国兵の悲鳴は、次弾の爆発音によって文字通り跡形もなく消し飛んだ。
猛烈な砲撃の雨は、帝国軍の最前線陣地、鉄条網、地雷原、そして後方の指揮所や通信網すらも、完全に更地へと変えていく。
そして、砲撃の土煙が晴れるよりも早く、地響きを立てて雪原の彼方から現れたのは、見渡す限りの視界を埋め尽くす『赤い津波』であった。
連邦赤軍の大規模反攻作戦――『ウラヌス(天王星)作戦』の発動である。
総指揮を執るアレクサンドル・ワーシレフスキー将軍は、この一撃のために、帝国の諜報網を欺きながら、極秘裏に信じ難い規模の戦力を後方の縦深から引き出していた。
本来であれば中央軍集団(モスコー方面)を叩くための大規模攻勢『火星作戦』に用いられるはずだった戦略予備兵力すらも、その全てを惜しみなくこの南方の乾坤一擲に注ぎ込んでいたのだ。
その総兵力、実に一五〇万人。
投入される戦車および自走砲は二二〇〇両。
そして空には、文字通り太陽の光を遮る黒雲のごとき一万八〇〇〇機という、帝国空軍の想像を絶する数の赤軍機が狂乱の羽音を響かせていた。
これに対する帝国南方軍の配置は、あまりにも脆弱であった。
現在、南部に展開している帝国軍の総数は約九〇万人。
そのうちの二十万(二個軍)は、ヨシフグラードの底なしの市街戦に完全に釘付けにされ、血を流し続けている。カフカース山脈の南方に展開する五十万(四個軍)もまた、山岳地帯でのゲリラ戦で身動きが取れない。
結果として、ヨシフグラードの突出部を支える長大な南北の側面を守る兵力は、それぞれわずか一個軍(十万程度)にまで薄く引き伸ばされていたのである。高度に機械化された帝国の精鋭とはいえ、二万の火砲と百五十万の人海戦術を正面から受け止めることなど、物理的に不可能であった。
「ウラーッ! 反動主義の犬どもをこの雪原に沈めろ!!」
怒号とともに押し寄せるT-34の群れと、白の冬季迷彩を纏った無数の歩兵たち。
側面を守備していた帝国軍の一個軍は、圧倒的な物量と火力の前に為す術もなく蹂躙された。戦車は波に呑まれる砂上の楼閣のごとく撃破され、陣地は次々と踏み潰されていく。
翌20日。攻勢開始からわずか一日で、ヨシフグラードを支えていた南北の側面は完全に崩壊した。
二つの巨大な赤い槍が、ヨシフグラードの後方、カラチへ向けて巨大なペンチのように突き進む。最前線で戦う二十万の帝国精鋭部隊は、背後を完全に遮断され、巨大な死の包囲網(ケッセル)の底へと叩き込まれる絶体絶命の危機に陥ったのである。
◇
《同時刻 東部戦線後方 キーウ 南方軍司令部》
「側面が突破されました! 第四装甲軍、通信途絶! 北方の歩兵軍も総崩れです!!」
「北方の敵の規模は!? 一個軍か? 違う、三個、いや五個野戦軍以上だ!!」
「空が……空が敵機で埋め尽くされています! 我々の航空支援はどこだ!!」
キーウに置かれた帝国南方軍司令部は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
次々と舞い込んでくる戦線崩壊と包囲の危機を告げる悲鳴のような電報。通信手たちは青ざめた顔で絶叫し、作戦将校たちは頭を抱えて作戦図の前で凍りついていた。
赤軍の反攻が予想外の規模であったというのもある。だが、彼らがこれほどまでに無防備に横腹を晒してしまった最大の原因は、司令部全体を覆っていた致命的な確証バイアスにあった。
攻勢の前兆自体は、司令部も完全に把握していたのだ。
参謀本部と前線指揮官からの度重なる警告、捕獲した赤軍兵士の尋問、そして前線の偵察部隊が捉えた大規模な車両集結の兆候。それらすべてのピースは、「赤軍の大規模攻勢が近い」という事実を明確に示していた。
だが、問題はその時期であった。
司令部の情報将校たちが弾き出した攻勢のXデーは『11月17日』。
しかし、その17日当日、前線には雪が降っただけで、赤軍は何のアクションも起こさなかったのである。
「17日に何も起きなかったではないか。これは間違いなく、かつて我々がモスコー前面で赤軍を欺いたのと同じマスキロフカだ!」
「そうだ! 連邦の本当の狙いは、南方の奪還ではなく、帝国勝利の象徴たるモスコーの奪還に違いない。南方の部隊集結は、我々の戦力を釣り出すための囮だ!」
17日が平穏に過ぎたことで、南方司令部の将官たちは勝手にそう思い込み、完全に警戒を解いてしまった。
加えて言えば、数日前に「左遷」という形でいきなり戦闘群指揮官の肩書を引っ提げてこの司令部に乗り込んできた、生意気な若造の存在も一因であった。
『攻勢は近いですぞ。両翼の警戒を怠れば、我々は巨大なケッセルに飲み込まれます』
そう壊れたラジオのように繰り返すジーク・マイヤー・アンドシェル・フォン・ローゼフシルト中将に対し、古参の将官たちは強い対抗心と反発を抱いていた。
結果として、彼らはローゼフシルトの警告を意地になって黙殺し、最悪のタイミングで脆弱な横腹をぶち抜かれたのである。
「ど、どうする! このままではヨシフグラードの二十万人が包囲されて全滅するぞ!!」
「予備兵力を出せ! 第四装甲軍を向かわせろ!!」
「駄目です! 彼らは通信網を破壊され、命令が届いていません!!」
狂乱の渦巻く司令部の片隅で。
皆から「生意気な若造」と疎まれていたローゼフシルト中将は、怒号が飛び交う作戦室の壁にもたれかかり、一人深くため息をつきながらこめかみを揉んでいた。
「……あちゃー。そういえば、19日だったか。17日と勘違いしていたな」
彼は、自らの前世の記憶のわずかな誤差に、舌打ちして頭を掻いた。
だが、その瞳には一切の絶望もパニックもなかった。
「まあいい。ここの石頭どもが私の話を聞く耳を持たない時点で、最悪の事態は想定済みだ。……あの場所へ『保険』を配置しておいて正解だったな」
ローゼフシルトは、作戦図のドン川東岸、赤軍の巨大な右腕が振り下ろされるまさにその要衝を、赤いピンで冷酷に突き刺した。
◇
《同時刻 ドン川東岸 ピトムニク周辺》
北から南へと怒涛の勢いで驀進する赤軍の巨大な右腕。
彼らの作戦目標は、ドン川の渡河点を制圧し、ヨシフグラードの背後を完全に封鎖することであった。
比較的突破が容易な陸続きの地形であるドン川東岸に狙いを定めた赤軍は、帝国軍の二個師団を文字通り「消し飛ばす」と、そのままの勢いで雪原を蹂躙し続けた。
だが。
勝利を確信して驀進していた赤軍の先鋒戦車旅団は、ピトムニク近郊の平原において、どうしても「無視できない存在」が立ち塞がっていることに気がついた。
「……なんだ、あの部隊は? 敗残兵か? いや、陣地を構築しているぞ!」
赤軍の戦車長がハッチから双眼鏡を覗き込んだ瞬間、彼のT-34の砲塔は、遥か彼方から飛来した目にも止まらぬ閃光によって、豆腐のように軽々と貫通・爆砕された。
「前方に敵装甲部隊!! 数はおよそ九十両!!一個大隊規模と思われます!!」
「迎撃しろ! 数はこちらが圧倒している、すり潰せ!!」
赤軍は即座に陣形を展開し、波状攻撃を仕掛けた。
だが、その「敵」の姿を正しく認識した瞬間、赤軍の将兵たちの背筋に強烈な悪寒と、そして腹の底から湧き上がる激しい憎悪が走った。
雪原に布陣していたのは、ローゼフシルトと参謀本部が極秘裏に配置していた直轄の独立部隊――サラマンダー戦闘群であった。
その戦力は、異常の一語に尽きた。
戦車や自走砲、駆逐戦車や突撃砲合わせて三百両もの装甲兵力。その内前線に展開される一個戦車大隊の全てが、赤軍がこれまで見たこともないような異形の最新鋭戦車であった。
車体は敵の弾を弾き返すために極端な傾斜装甲を持ち、その前面には、現在の冶金学ではあり得ないような分厚い複合装甲が施されている。そして何より恐ろしいのは、その巨大な砲塔から突き出た長大極まりない主砲――従来の八.八センチを遥かに凌駕する、一〇センチ、あるいは一二〇ミリクラスの悪魔の砲身であった。
ドゴォォォォォォォンッ!!
サラマンダー戦闘群の新鋭戦車が一斉に火を噴く。
その破壊力は、戦車戦の常識を完全に破壊していた。二キロ以上の遥かアウトレンジから放たれた高速徹甲弾は、T-34の傾斜装甲など存在しないかのように正面から貫通し、エンジンブロックごと後方へ吹き飛ばした。
赤軍が距離を詰めて七六ミリ砲を放っても、その最新戦車の強靭な前面装甲は、カーンッ! という甲高い音とともに砲弾を易々と天へ弾き返してしまう。
「バ、バカな! 弾かれた!? 側面へ回れ!!」
「駄目です! 敵の装甲擲弾兵が、無数の携行対戦車ロケットで側面を固めています!!」
最新戦車を強固に護衛するのは、五〇〇〇人規模の完全機械化された装甲擲弾兵部隊。
そして彼らの頭上を、まるで死神の群れのように飛び回る、一〇〇騎近い航空魔導部隊。
「……撃て。群がってくる赤いネズミどもを、一匹残らず雪原の染みに変えろ!!」
上空一千メートル。
魔導大隊を率いる小柄な指揮官――ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐は、冷酷な目で眼下の赤い津波を見下ろしていた。
(全く! ローゼフシルト中将、休暇と言いながらこんな前線に部隊を配置して、やはり貧乏くじを引かせたな! 私の部隊を防波堤にして、本隊の再編までの時間を稼ぐ気に違いない!)
ターニャの脳内で憎悪の対象となっている上司への悪態は止まらない。
その胸元の演算宝珠から参謀長であるエリザーベト少佐の、嬉々とした声が響いた。
『大佐殿! 敵の第七戦車軍、我が方の新鋭戦車の超長距離砲撃により、すでに三割を喪失! 敵は足を止め、我が戦闘群に全火力を集中させようとしています!』
「分かっている! 航空支援隊を呼べ! 敵の砲兵陣地から戦車まで片っ端、すべて潰せ!」
ターニャの呼びかけに応じるように、鉛色の空を引き裂いて、不気味なサイレンの音が鳴り響いた。
キィィィィィィィィィィンッ……!!
雲海を突き破って急降下してきたのは、帝国空軍が誇る急降下爆撃機の編隊。
だが、その先頭を飛ぶ一機の機体は、通常の爆弾ではなく、両翼の下に巨大な三七ミリ機関砲を二門ぶら下げていた。
『――フハハハハハ! 見ろ、赤豚の戦車が雪原にびっしりと並んでいるぞ! まるで射的の的だ!!』
戦闘群の司令部航空管制の通信機から狂気に満ちた笑い声が響く。
その機体は、対空砲火の弾幕を紙一重で躱しながらT-34の真上へ急降下すると、エンジン上部の極端に装甲の薄い部分へ向けて、三七ミリ機関砲の徹甲弾を寸分違わぬ精度で叩き込んだ。
ドォンッ! という爆発とともに、一瞬でT-34がスクラップへと変わる。その機体は機首を引き上げると、すぐさま次の獲物を見つけて再び急降下し、次々と戦車を割り始めた。
その恐るべき対戦車爆撃の悪魔――近接航空支援隊の隊長である某魔王の登場に、赤軍の戦車兵たちは絶望の悲鳴を上げた。
だが、それと同時に。
このサラマンダー戦闘群の陣容――金髪碧眼の幼女の皮を被った悪魔、撃破不可能な最新鋭戦車、そして空から戦車を叩き割る魔王の姿を見た赤軍の司令官たちは、激しい復讐の念に血を滾らせた。
「……間違いない。奴らだ!」
赤軍の無線網に、怒りに満ちた指令が飛び交う。
『モスコーを燃やし、同志たちを極寒の川底に叩き込み、ヨシフグラードで我々を好き放題に殺戮した部隊だ!!』
『あいつらだけは、絶対に生かして帰すな! 目標を変更しろ! ヨシフグラードの包囲の前に、まずあの戦闘群を完全にすり潰せ!!』
当初はドン川の渡河点を落とすはずだった赤軍の先鋒部隊は、とても無視できない敵性勢力と、この余りにも憎き仇敵を前にして、そして余りにも早い進撃に調子を良くして、戦略目標をかなぐり捨ててサラマンダー戦闘群への包囲殲滅へと動き出した。
その数、実に三個軍。
十二万人程の兵力と数百両の戦車が、たった数千人の戦闘群を叩き潰すために殺到したのである。
『……はぁ!? 大佐殿! 敵の推定三個軍がこちらへ向かってきます! これは流石に想定外です!大漁すぎます!!』
「喚くな少佐! それでもあの父を持つ参謀長か!泣き言を言う前に装甲大隊を後退させて遅滞陣地を再構築しろ! 一歩ずつ血を吐かせながら下がれ!!」
ターニャは演算宝珠を限界まで稼働させ地上を耕しながら、地獄の防衛戦の指揮を執り続けた。
戦闘群司令部のエリザーベトは直ちに自走砲大隊を前面に押し出し敵戦車部隊を釘付けにすると、戦車大隊を左翼へと移動させ川岸から第七戦車軍に痛打を加え赤軍の進撃を止め、全面的な遅滞戦へと移行した。
圧倒的な大質量で迫る赤い津波。
それに一人で立ち向かい、必死に食い止めようとする鋼鉄の防波堤。
このピトムニクでの局地的な大激戦が、赤軍の足止めを生み、後に南方戦線の包囲網形成の速度を決定的に遅らせるという最大の結節点になることを。
この世界において、その事実を現時点で完全に理解し、計画通りに進んでいることを知っているのは、キーウの司令部の壁際で、一人葉巻の煙を吐き出しているあの男だけであった。
この世界では大失敗した火星作戦は存在しません、その分ウラヌス作戦の規模はさらに拡大しています。
ローゼフシルトの過去話いる?
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前世まで赤裸々に見せろ!おら!!
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転生してからの話あくしろ
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男に興味ねぇからさっさと話進めろや!