《統一暦1927年12月下旬 東部戦線南翼 ドン川周辺》
降りしきる雪が大地を白く染め上げる中、大戦争の行方を決する二つの巨大な軍事機構は、お互いの喉元に致命の刃を突きつけ合ったまま、完全に膠着していた。
ドン川のS字突出部において、戦局は極めて複雑かつ混沌とした形相を呈していた。
帝国側突出部の南部を強行渡河した連邦赤軍は、自らの後方をドン軍集団に脅かされつつあるというリスクを承知の上で、あえて前進を継続した。彼らが目指したのは、突出部の帝国軍の息の根を止めるための要衝、ゴルビンスキーの台地(第三〇四高地)である。
対して帝国軍は、連邦軍が敷いた何重もの縦深防衛線を重装甲の楔で強引に突破し続け、ついにヨシフグラードの喉元にあたるドゥビニンの平野へと進出を果たしていた。
一歩引けば陣形が崩壊し、一歩踏み込めば自らの横腹を食い破られる。
この戦いは、どちらが先に相手の心臓を切り裂くか、あるいはどちらの最高司令部が先に恐怖に負けて日和るかという、国家の存亡を懸けた壮大なチキンレースの様相を呈し始めていた。
◇
十二月一日の払暁。
身を切るような寒風の中、赤軍によるゴルビンスキーの台地(第三〇四高地)への総攻撃の火蓋が切られた。
赤軍の狙いは明確であった。北方から急遽転進してくる帝国の増援部隊を砲兵の火力網で殲滅するためには、周囲を広く見渡せるこの台地の観測所が絶対に必要だったのだ。また、帝国側にとっても、防衛線を優位に構築・維持するために、この高地は絶対に死守せねばならない生命線であった。
この時、第三〇四高地を守備していたのは、帝国軍第六十八装甲師団である。
そして、この一個師団の守る台地を攻め上ったのは、赤軍第六軍と第十七軍という、二つの野戦軍であった。
「撃て! 撃ち続けろ! 銃身が焼き付くまで引き金を引けッ!」
この攻略に際し、赤軍はドン川の渡河に成功した重砲の全てを台地にぶつけた。凄まじい砲撃によって高地の地形は変形し、雪は黒い泥土と混ざり合って凄惨な死の山と化した。
第六十八装甲師団は、直前の移動によって防衛体制の構築に取り掛かれる時間が極めて僅かであり、まともな塹壕すら完成していない状況であった。浅いタコツボと凍りついた土のうだけを頼りに、彼らは押し寄せる赤軍の大波に対して果敢な防衛戦を展開した。
押し寄せる歩兵の波を機関銃の弾幕で薙ぎ払い、戦車砲が赤軍の装甲を叩き割る。赤軍の被害は天文学的な数字に跳ね上がった。
だが。
赤軍もまた、このチキンレースにおいて引く気は一切なかった。彼らは文字通り「死体の山を乗り越えて進む」という、もはやお家芸とかした人命の犠牲を完全に無視した無停止攻勢を24時間体制で実施した。
重機関銃の銃身が溶け、砲弾が尽き、帝国の装甲兵たちが一人、また一人と手榴弾を抱えて自爆していく。
二日後の十二月三日。
数万の血で赤黒く染まりきったゴルビンスキーの台地に、ついに赤旗が翻った。
その後も、第三〇四高地の奪還を巡って帝国軍と赤軍は激しく衝突を繰り返した。帝国軍の練度と異常な火力投射の前に、赤軍は数万の死傷者を出しながらも一歩も引かなかった。
そして十二月五日。平野部を大きく迂回してきた赤軍第七親衛戦車師団の側面攻撃によって、帝国軍の奪還攻勢は完全に頓挫した。
赤軍はこの血塗られた台地の保持に成功し、これによって突出部に残された帝国軍の命運は、完全に風前の灯となったのである。
◇
一方、その頃。
ヨシフグラード前面に広がるドゥビニンの平野では、地獄の釜の底が抜けたかのような大激戦が繰り広げられていた。
帝国第四装甲軍と、赤軍第二親衛軍の正面衝突である。
この時、オクチャブリスキーでの異常な戦車戦を終え、後方で補給と整備を行っていたサラマンダー戦闘群を除く、モンシュタイン率いるドン軍集団の主力が、ヨシフグラードの包囲網を形成する最後の外郭へとぶつかったのだ。
第四装甲軍は、戦車六〇〇両という帝国の誇る巨大な機甲戦力であった。
対する赤軍第二親衛軍は、一個軍という名称でありながら、その実態は当時の赤軍の三個軍規模の兵力と火力を誇る、ワーシレフスキーの切り札たる最精鋭部隊であった。
「戦車壕あり! 対戦車砲の十字砲火! クソッ、前進できない!!」
第二親衛軍は、ドゥビニンの平野において、途轍もなく狂信的で分厚い縦深防衛線を展開していた。
見渡す限りの雪原に、巧妙に偽装された数千の対戦車陣地。戦車を落とすための巨大な壕と、幾重にも張り巡らせた鉄条網と地雷原。その奥から、白の迷彩網を被った七六ミリ野砲と対戦車ライフルが、進撃してくる帝国の戦車群に雨あられと徹甲弾を浴びせかけた。
第四装甲軍の戦車たちは、圧倒的な火力をもって陣地を蹂躙しようとしたが、一つの陣地を潰せば次の陣地から横腹を撃ち抜かれ、泥沼の削り合いを強いられた。
雪原には黒煙を上げる帝国の戦車が次々と増え、第四装甲軍の戦力は恐ろしい速度で削り取られていった。
だが、十二月四日。
弾薬の補給と整備を完全に終えたサラマンダー戦闘群が、満を持してこのドゥビニンの戦線へと参加した。
「……まともに防衛線を抜こうとすれば、時間がかかりすぎます。ここはあえて『最も硬い場所』を殴りましょう」
戦闘群の参謀長、エリザーベト少佐の発案により、サラマンダー戦闘群は極めて変則的な奇策に出た。
通常、突破を図る際は防衛線の薄い箇所(軟弱な北部)を狙うのが定石である。赤軍もそれを警戒し、北部へ向けて増援の第八親衛戦車軍を急行させていた。
だが、エリザーベトはあえて防衛線が最も強固に構築されている南部へ向けて、戦闘群の全火力を集中させたのである。
『第一から第三中隊! 目標、敵南部の強固な対戦車陣地! 行進間射撃で片っ端から吹き飛ばせ!!』
戦場の定石を完全に無視したこの奇襲は、赤軍の意表を完璧に突いた。
防御が厚いと過信していた南部の陣地は、オーパーツの塊である次世代主力戦車リンドヴルムの五五口径一二〇ミリ砲によるアウトレンジ攻撃と、移動しながら異常な頻度で弾頭を送り込んでくる行進間射撃の前に、為す術もなく粉砕された。
軟弱な北部へ派遣されていた第八親衛戦車軍が到着するよりも早く、サラマンダー戦闘群は強固な陣地を蹂躙し、包囲網の最後の外郭を南部から完全に崩壊させたのである。
こうして、帝国軍は分厚い赤軍の壁を食い破り、ヨシフグラードの包囲下にあった友軍十万との接続線(回廊)を確保することに成功した。
しかし。
この接続部は、両側から赤軍の猛烈な圧力を受ける、薄氷の上に成り立つ極めて脆弱な回廊であった。
特に、北部の防衛に向かっていたが空振りに終わり、すぐさま反転して回廊の横腹へ猛烈な圧力をかけてきた第八親衛戦車軍は、脅威そのものであった。
この時、第八親衛戦車軍の矢面に立たされた第四装甲軍の戦車稼働率は、これまでの狂信的な防衛線との削り合いにより、すでに半分を切るという危機的状況に陥っていた。
事実、回廊が繋がった翌日の十二月五日の夜。
第八親衛戦車軍の夜間猛攻により、疲弊しきった第四装甲軍の防衛線はついに突破されてしまったのである。回廊が切断されれば、せっかく繋がった十万の友軍は再び包囲の底へ逆戻りとなる。
だが、その突破口の前に立ち塞がったのは、後方から凄まじい速度で駆け付けたサラマンダー戦闘群であった。
「戦車大隊! 突破口を塞げ! 赤豚どもを一匹たりとも回廊に入れさせるな!!」
夜空を飛び交う無数の光の矢。
包囲下のヨシフグラード市街へ爆弾槽で送り込まれ、内部から大暴れした後に、辛うじて自らの部隊と合流を果たしたターニャ・フォン・デグレチャフ大佐と魔導部隊。
この二つの回収を無事に終え、文字通り全戦力が揃ったサラマンダー戦闘群は、リンドヴルムの重装甲と魔導部隊の爆裂術式をもって、第八親衛戦車軍の突破口を力技で完全に抑え込み、崩壊の危機を終結させたのであった。
◇
戦線は、完全に膠着した。
ヨシフグラードの回廊を巡り、両軍の出血はもはや限界を超えていた。
この結果を受けたドン軍集団司令官モンシュタイン上級大将は、自らの手元にある最後の戦略予備――第六機甲軍の投入先について、大胆な決断を下した。
「……第六機甲軍を、包囲されつつあるドン川西岸の救出にも、脆弱な接続部(回廊)の補強にも向かわせるな」
モンシュタインは作戦図に赤い線を引いた。
「彼らを、ドン川東岸の川沿いへ北上させろ。……ドン川西岸で我々を圧迫している赤軍の野戦軍そのものを、東岸から大回りして背後から丸ごと逆包囲するのだ」
それは、自らの陣容が崩壊するリスクを完全に無視した、相手の喉元に最も深く刃を突き立てる神の一手であった。
これとほぼ同時に、赤軍のワーシレフスキーもまた、帝国軍の脆弱な接続部(回廊)を完全に破壊するために、手元の最後の予備戦力である第六十二軍を投入した。
だが。この第六十二軍の投入こそが、ワーシレフスキーにとって「最悪の決断」となった。
十二月七日。
モンシュタインの命を受けた帝国第六機甲軍が、ドン川東岸から赤軍の背後を突く凄まじい逆包囲の機動を開始した。
これを正面から受け止めなければならないワーシレフスキーの手元には、もはやこの巨大な機甲軍の突進を止められる予備戦力が一つも存在していなかったのである。
一方の帝国軍にも、回廊の破壊を企てる赤軍第八親衛戦車軍と第六十二軍の猛攻に対抗できる予備戦力はない。
どちらが先に相手の心臓を止めるか。
予備兵力ゼロの状態で繰り広げられる、大戦争における『究極のチキンレース』。
この狂気のチキンレースに終止符を打ったのは、前線で血を流す将兵の意志でも、将軍たちの盤上の知略でもなかった。
遥か後方、雪に閉ざされたカイベジェフのスタフカに座す一人の男の意志であった。
◇
《同時刻 カイベジェフ スタフカ》
「……撤退させてください」
紫煙をくゆらせながら、連邦の絶対的独裁者たるジュガシヴィリ書記長は、極めて短く、冷徹にそう命じた。
戦況の報告を受けた彼は、ワーシレフスキーの戦術的野心よりも、冷酷な資産価値の計算を優先したのだ。
ジュガシヴィリが最も恐れたのは、ヨシフグラードの包囲網を維持するために、手元にある数少ない高い練度を持つ精鋭部隊が、帝国の第六機甲軍の逆包囲に巻き込まれ、丸ごと消滅することであった。
国土と兵士の命は無限に湧いてくるが、高度な訓練を受けた戦車兵と精鋭の歩兵は、一度失えば再建に何年もかかる。今の連邦に、彼らを捨てる余裕はなかった。
独裁者の鶴の一声により、S字突出部のチキンレースは唐突な幕切れを迎えた。
第八親衛戦車軍と第六十二軍は、回廊の破壊という作戦目標を放棄させられ、急遽西進して帝国の第六機甲軍の突進を食い止めるための盾となるよう命令されたのである。
精鋭部隊の捨て身の防衛により、ドン川西岸に展開していた赤軍の主力部隊は、辛うじて帝国の逆包囲網から抜け出し、撤退を成功させた。
すでに連日の激戦によって組織的抵抗能力を喪失しつつあった突出部の帝国軍も、撤退していく赤軍に対して無理な追撃を行う余裕は全くなかった。
かくして。
多くの命がすり潰された大反攻ウラヌス作戦と、救出作戦冬の嵐の激突は、両軍の痛ましい撤退という形で終結した。
赤軍は帝国軍主力の殲滅に失敗し、対する帝国軍は、多大な犠牲を払いながらも作戦の最重要目標であった包囲下の友軍十万人の解囲に見事成功したのである。
◇
【青(ブラウ)作戦 総括および被害統計】
統一暦1927年の春季から開始された、東部戦線南翼における一年間の巨大な戦役の総決算。
■ 帝国側の戦略的評価:戦略的敗北
帝国は、作戦の最大目標であった「連邦の重工業中枢とカフカース資源地帯との連絡の寸断」に失敗。さらに、連邦野戦軍への致命的打撃も不十分に終わり、逆にヨシフグラードという市街戦の泥沼に足を取られ、国家の屋台骨を揺るがすほどの途方もない損耗を負った。軍事合理性において、これは明確な敗北である。
■ 連邦側の戦略的評価:辛勝、あるいは痛み分け
連邦は、カフカースの資源地帯の防衛に成功し、野戦軍の致命的損耗も最小限(彼らの基準において)に留めることに成功した。しかし、国家の命運を懸けて発動した「ウラヌス作戦」において帝国軍主力を殲滅することに失敗。さらに北方では、重要都市であるレネングラード(ペトロブルク)が陥落したことにより、包囲に拘束されていた三十万の帝国軍に「完全なフリーハンド」を与えてしまうという、次期作戦における致命的な失態を演じてしまった。総合的に見て、連邦側も「勝利」とはとても言い難い結果であった。
■ 東部戦線南翼における双方の損害(概算)
【帝国軍】
・死者および行方不明:22万人
・捕虜:ごく少数(大半が撤退・解囲に成功したため)
・戦傷者(復帰不能):9万6000人
・戦車および自走砲等:1800両
・航空戦力:700機
・火砲:2000門
【連邦赤軍】
・死者および行方不明:67万人
・捕虜:17万0000人
・戦傷者(復帰不能):23万人
・戦車および自走砲等:3700両
・航空戦力:4000機
・火砲:7600門
おびただしい数の鉄屑と、百万を超える兵士たちの骸が、広大なルーシーの雪原の下で静かに眠りについた。
だが、この血みどろの一年間は、これから訪れるさらに狂気的な世界規模の大殺戮の、ほんの序章に過ぎなかったのである。
この間に行われていた大平洋や地中海、南方大陸の話も書かなきゃならんなぁ~
ローゼフシルトの過去話いる?
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前世まで赤裸々に見せろ!おら!!
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転生してからの話あくしろ
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男に興味ねぇからさっさと話進めろや!