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《統一暦1928年8月中旬 アルビオン連合王国 首都ロンディウム10番地》
「……つまり、暗殺計画だと? 相手はあの帝国の心臓部たる男。正気かね、アーサー卿」
分厚いカーテンが閉め切られた首相執務室。
連合王国首相ウィンストン・チャーブルは、胃の痛みを堪えるように眉間を揉みほぐしながら、デスクの向かいに立つ男を睨みつけた。
ヴォロネジにおける人類史上最大規模の殲滅戦、そしてサラトフでの「神の火」の実戦投入疑惑。帝国がもたらした未知の恐怖は、アルビオン連合王国の中枢に深刻な焦燥感とパニックを引き起こしていた。もはや帝国という怪物は、正面からの軍事力だけで打倒できる存在ではない。
「正気も何も、我々にはこれ以外に有効な手立てが残されておりません、首相」
連合王国秘密情報部局長、サー・アーサー・シンクレアは、一切の感情を排した氷のような声で淡々と答えた。
彼の差し出した極秘ファイルには、一人の男の写真が添付されている。帝国の実質的な支配者であり、あらゆる悪夢の設計図を描いている男――ジーク・マイヤー・アンドシェル・フォン・ローゼフシルト大将である。
「情報によれば、ローゼフシルトは近日中に、ライヒの一大工業地帯であるライン工業圏の中心都市、エッセンの工場群へ視察に赴くとのことです」
「エッセンと言えば、クルップ社の巨大な軍需工場が密集する帝国の兵器庫ではないか。あのような男が、なぜわざわざ自ら足を運ぶのだ?」
チャーブルが訝しげに問うと、アーサー卿は冷徹に分析を述べた。
「新兵器の生産ラインの最終確認、あるいは労働者の慰問という名目のプロパガンダでしょう。何にせよ、我々にとっては千載一遇の好機です。しかも、彼は移動に際して大した護衛を付けないという情報が入っています」
「護衛を付けない?仮にも大将という者が自らの命を惜しまないというのか?」
「彼は航空魔導士上がりですからね。生半可な兵士の護衛など、いざという時には足手まといになると考えているのでしょう。……それは完全な驕りです。そして、我々にはライン工業地帯に極めて強力な協力者が存在します」
アーサー卿の口の端が、微かに吊り上がった。
『労働者統一戦線』。
帝国において、共産主義や社会主義思想は戦前から徹底的な弾圧対象であった。敗北主義を掲げ、帝国の敗戦の混乱に乗じて中欧を支配しようと目論む彼らの思想は、帝国にとって決して相容れない癌細胞である。
ラインリヒ・ハイドラー長官率いる帝国国家保安警察は、幾度となく大規模な検挙を行い、彼らを牢屋かあの世へと送り込んできた。
しかし、地下組織の根はあまりにも深く、完全な殲滅には程遠かった。それどころか、ダキア公国が降伏すれば半島の赤色組織と繋がり、協商連合が降伏すれば北欧共産党の残党が迎合。フランソワ共和国が倒れればパリースィ・コミューンの過激派までもが流入し、組織は肥大化を続けていた。
さらに、ルーシー連邦参戦後の東部戦線の混乱は、かつてハイドラーが潰したはずの独立組織ヴァルシャワ労働者同盟をも復活させ、それらすらも統一戦線は吸収していたのである。
「我々は潜水艦による夜間輸送で、彼らに大量の支援をしてきました。エッセンは彼ら統一戦線にとって最大の拠点であり、資本主義の権化たるローゼフシルトは最大の標的でもあります」
アーサー卿は、手元のファイルを静かに閉じた。
「我々は彼がエッセンに向かうという日程を統一戦線に流し、現地の彼らに暗殺の実行を誘導します。細かい視察ルートまでは掴めておりませんが、あの過激なテロリストどもなら、必ずエッセンの街で奴を嗅ぎつけ、その首を狙うはずです。帝国内部でも現体制への反対派は少なくありません。成功すれば帝国そのものが瓦解する可能性すらあります」
「ふむ……。帝国の体制に致命的な打撃を与えられるのなら、赤の手を借りることも厭わん。期待しているぞ、アーサー卿」
チャーブルの期待と、連合王国の思惑。
労働者統一戦線の幹部たちもまた、この情報に歓喜し、エッセン市街に多数の実行犯を配置してローゼフシルトの暗殺計画を始動させたのである。
◇
《同時期 帝国西部 ケルシュ*1駐屯地》
だが、連合王国とテロリストたちの鼻息の荒さとは裏腹に。
エッセンには、ローゼフシルトとは『全く別の理由』でやって来ようとしている、もう一つの極めて厄介な一団が存在した。
東部戦線、ヴォロネジでの凄惨な殲滅戦を終わらせた帝国軍の部隊は、再編と休養のために一時的に後方へと下げられていた。ターニャ・フォン・デグレチャフ少将率いるサラマンダー戦闘群もその一つであり、彼らは現在、西部のライン川沿いの都市、ケルシュ郊外の駐屯地で羽を伸ばしていた。
「……というわけで、閣下。ケルシュ大聖堂周辺の市街地は、前線帰りの血の気の多い兵隊どもで溢れ返っております。連中、知名度の高い観光地と酒場に、まるで街灯に集まる蛾の如く群がっておりまして……ゆっくりと観光や食事が楽しめるような状況ではありません」
ターニャにそう報告したのは、事前にケルシュ市街の偵察(という名目の飲み歩き)に行ってきた第二〇三魔導大隊の古参、太いやつ(ノイマン)と細長いやつ(グランツ)であった。
現在、西部方面には休養や再編待ちの前線帰りの将兵が三十万人規模で滞在しており、その少なからぬ数が主要都市に繰り出しているのだ。
「ご苦労だった。……やれやれ、これではせっかくの休日に街へ出ても、泥酔した歩兵どもの喧嘩を眺めるだけで終わるな」
ターニャはソファで深くため息をついた。
戦場での過労を癒やすため、彼女はどうしても「文明的な観光と、泥の味がしない本物の食事」を欲していたのである。
「ケルシュが駄目なら、少し北上してエッセンまで足を延ばしてみるか。あそこなら軍需工場ばかりで観光客は少なく、美味いレストランもあるだろう」
「エッセンですか! いいですね、私もお供します!」
ターニャの呟きに、美味しいという言葉にすかさず食いついたのは、副官のヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ大尉であった。
さらに、部屋の隅で無駄に美しい姿勢で本を読んでいた長身の女将校――戦闘群参謀長のエリザーベト・エドゥアルド・フォン・ローゼフシルト中佐も、青い瞳をキラキラと輝かせて立ち上がった。
「少将閣下がエッセンに行かれるのなら、私も護衛として同行いたします! ライン工業地帯の視察ですね! 素晴らしい勤勉さです!」
「視察ではない、純粋な観光だ。それに、私は一人で静かに行きたいのだが……」
「駄目です! 閣下!あの事をお忘れになったのですか」
ヴィーシャが慌てて身を乗り出した。
「閣下は以前、帝都で私用で出歩かれていた際、警官に軍人のコスプレをした迷子と間違われて保護されたことがあるではありませんか! 」
「ッ……!!」
ターニャは嫌なことを思い出し顔を顰めた。
あれは彼女にとって、ヨシフグラードの市街戦に匹敵するトラウマであった。
ターニャは生来、私服というものを一切持ち合わせていない。休日の外出であろうと常に帝国軍の軍服を着用しているのだが、中身は三十代の成熟したエリートサラリーマンであるにも関わらず、外見が幼い少女であるがゆえに、人の良い女性警官に「お嬢ちゃん、よくできた軍服ね。お名前言える? お母さんは?」と数時間にわたって赤子のようにあやされ、頭を撫で回されるという、極めて深刻な精神的拷問を受けたのだ。こちらが何度も「軍人だ」とか「参謀本部に照会しろ」と言っても「うん、うん、そっくりだよ」とか「よく知ってるね~」と相手にすらしてくれないのだからコミーよりよっぽどの強敵だった。
帝国の将兵ならば、銀翼突撃章を引っ提げた少将の階級章を見れば敬礼して道を開けるだろうが、後方のそれに疎い警察官や、どこにでもいる泥酔した馬鹿が相手では、心象を悪くしてせっかくの観光を台無しにされるリスクは高かった。
「……確かに、そのような馬鹿共に絡まれて不快な思いをするのは御免だ。同行を許可しよう。……だが、女性である君たち二人が同行したところで、舐められるリスクは減らないのではないか?」
ターニャが指摘すると、ヴィーシャはふふふ、と意味ありげな笑みを浮かべ、長身のエリザーベトの方を向いた。
「そこで、一案があるんです。……女性だけで行くから舐められるのです。立派な大人の男性将校が同行していれば、警官も酔っ払いも絶対に絡んできませんよ」
「男性将校? しかし、ノイマンやグランツを連れて歩くのは絵面が暑苦しすぎるぞ」
「いえいえ。我が部隊には、身長一八〇センチに迫る、素晴らしい逸材がいらっしゃるではありませんか」
ヴィーシャの視線を受けたエリザーベトは、目を瞬かせた。
「私、ですか? ですが、私は女ですよ?」
「大丈夫です! エリザ中佐は背も高く、お顔立ちもシュッとしていらっしゃいますから。少し工夫すれば、完璧な紳士に変身できます!」
かくして、ヴィーシャによる即席の『男装計画』が発動された。
エリザーベトの背中まである艶やかな長い黒髪は、帝国軍の将校用軍帽の中にすっぽりと押し込んで隠された。
そして最大の問題である、軍服の上からでも分かる彼女のそこそこの大きさを持つ胸部装甲については。
「エリザ中佐、少し苦しいですが我慢してくださいね! ギュウゥゥゥッ!!」
「ぐっ……!? 息、息が……セレブリャコーフ大尉、き、キツすぎます……!」
ヴィーシャが医療用のサラシを容赦なく巻きつけ、物理的に真っ平らに圧伏させたのである。
その上から、少し肩幅の広い男性用の軍用コートを羽織らせ、首元にスカーフを巻いて喉仏の無さを誤魔化す。
「よし、完成です! どうぞ、鏡を見てください!」
着替えを終えたエリザーベト――改めエリザベルト中佐が姿を現した瞬間。
ターニャとヴィーシャの二人は、揃って息を呑んだ。
「こ、これは……」
「凄まじいイケメンですね……!!」
ヴィーシャは顔立ちの整ったエリザーベトのことだからある程度は予想していたが、その予想を遥かに超えていた。長身と軍服の威圧感も合わさり、どこぞの舞台の男役トップスターもかくやという、完璧な美青年将校がそこに立っていたのだ。
だが、ターニャが驚いた理由は、イケメンだからというだけではなかった。
(……そっくりだ。あの男に!)
ターニャは目を丸くした。男装したエリザーベトの顔立ちは、彼女をよく振り回すローゼフシルト大将を若くしたような姿そのものであったのだ。
まあ、実の娘なのだから無理もない。目元が本人よりも少しキリッと吊り上がっていることと、右頬にローゼフシルトのトレードマークとも言える深い裂傷がないこと以外は、ローゼフシルトの生き写しであった。
「ふふふ。どうでしょうか、少将閣下。これで私がエスコートすれば、どこの馬の骨とも分からない酔っ払いなど寄り付かせませんよ」
エリザーベトが低めに声を作ってウインクをすると、その破壊力にヴィーシャが「うお~」と変な声を上げた。
「……うむ。これなら憲兵に迷子扱いされることもないだろう。偽名としてエリザベルト中佐と名乗るように。よし、エッセンに向けて出発するぞ」
ターニャ・フォン・デグレチャフ少将。
ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ大尉。
そして、男装の麗人エリザベルト中佐。
この全員が軍服という威圧的な服装の三人の女性コンビ(なお一人は審議が必要な模様)は、軍用車に乗り込み、いそいそとエッセンの街へと向かったのであった。
◇
《同日 ライン工業地帯 エッセン》
エッセンの街は、戦時下特有の重苦しい空気を跳ね除けるような、異様な活気に満ちていた。
重厚なレンガ造りの建物と石畳の街並み。空には無数の工場群から吐き出される煙が立ち込めているが、それは帝国が全力で稼働している証でもあった。
夜間空襲に備えた灯火管制の準備が街のあちこちに見られるものの、軍需工場で働く労働者たちや、休暇中の兵士たちで通りはごった返している。
「素晴らしい……! やはり文明社会の街並みと、コンクリートの平らな道は最高だな!」
軍服のコートの裾を揺らしながら、ターニャは泥の海ではない舗装された地面を歩ける喜びに、頬を緩ませていた。
その隣を、完璧なエスコートの仕草で歩く男装のエリザベルト。その後ろを、観光用のガイドブックを持ったヴィーシャが楽しそうについて歩く。
エリザベルトの放つイケメンオーラと、ターニャの軍服姿の幼女という異色の組み合わせは街行く人々の目を惹いたが、目論見通り、柄の悪い兵士や警官が絡んでくることは一切なかった。
「さて。まずはどこを回りましょうか、閣下」
「うむ。実は、ぜひ見ておきたい場所があるのだ。第12採掘坑が新設されたばかりの石炭工場だ」
「石炭工場、ですか? レストランや美術館ではなく?」
ヴィーシャが不思議そうに首を傾げる。
だが、ターニャには明確な目的があった。エッセンにあるツォルフェアアイン炭鉱業遺産群。バウハウス様式の極めて美しく機能的な建築美を誇るこの巨大な産業施設は、彼女の前世の記憶において、将来炭鉱が閉鎖された後にユネスコの世界遺産に登録されるほどの歴史的価値を持つ場所なのだ。
「あれはただの工場ではない。機能美の極致であり、近代建築の傑作だ。ぜひ一度この目で見ておきたかったのだよ」
意気揚々と炭鉱施設へと向かう一人とそれに着いて行く二人。
その後ろに怪しげな気配があった。
建物の陰や路地裏から、彼らを鋭い目つきで監視している何人かの人影が。
労働者統一戦線のテロリストたちである。
「……おい。あれを見ろ。あの軍用コートを着た長身の男」
「ああ……間違いない。ターゲットの『ローゼフシルト』だ」
建物の陰から双眼鏡でエリザベルトの顔を覗き込んだ実行犯のリーダーは、確信に満ちた声で呟いた。
彼らはローゼフシルトの顔写真を暗記していた。目の前を歩く美青年(エリザーベト)は、若く見えるが、その顔立ちは写真の男に瓜二つであった。
「だが、少しおかしくないか? 奴の右頬には、目立つ裂傷があるはずだぞ。あの男の頬には傷がない」
部下の一人が疑問を呈すると、リーダーは鼻で笑った。
「馬鹿め、よく考えろ。あの傷は、貴族特有の野蛮な決闘(メンズーア)でついた名誉の傷ではないという噂だ。他の何かでついた不名誉な傷と聞いた記憶がある。だから、こうして民間人の多い街をお忍びで歩く時は、化粧か何かで隠しているに決まっているだろう」
「なるほど……! さすがはリーダー。鋭い推測です」
完全に的外れな推察に、部下たちが感心して頷く。実際には傷がないだけの別人なのだが、彼らの目には変装したローゼフシルトにしか見えていなかった。
「それに、先ほどそばにいる女が、奴のことをローゼフシルトと呼んでいたのを聞いたぞ」
これは、ヴィーシャが偽名のエリザベルトという名前にどうしても慣れず、けれどもエリザーベトと呼ぶわけにもいかないので「ローゼフシルト(中佐殿)」と呼んでしまったのを、テロリストが地獄耳で聞き取ってしまっただけであった。
「確定だな。それに、あいつの向かっている先を見ろ。石炭工場の第12採掘坑だ」
「おお!情報通り、エッセンの工場群の視察ですね!」
観光客としてバウハウス建築の美しさを堪能しに行くだけなのだが、テロリストたちの目には資本家による軍需ラインの視察に変換されていた。
「……しかし、リーダー。一つ気になることがあります」
別の部下が、怪訝そうな顔で前方を指差した。
「あのローゼフシルトよりも、前を歩いている軍服を着た小さな子供の方が、なんだか偉そうに振る舞っていませんか? 普通、体制の最高幹部であるローゼフシルトが後ろを歩くなんてあり得ないのでは……」
確かに、ターニャがウキウキと前を歩き、エリザベルトが少し苦しそうな顔で数歩遅れて背後をついていくという構図は、彼らの目には明らかに不自然であった。
「フッ……お前たちは、帝国貴族の腐りきった本性を分かっていないな」
リーダーは、吐き捨てるように言った。
「大貴族という連中は、総じて常軌を逸した『変態趣味』を持っているものだ。あいつは恐らく、自分が幼女の奴隷や従者であるかのような『倒錯したごっこ遊び』を楽しんでいるのだ。歩くのが遅いのも、わざと下手に回って主人(幼女)に仕えるフリをしているからだ。……つまり、そういうことだ。おぞましい資本家の性癖め」
「「「な、なるほどぉーっ!!」」」
その推察に、テロリストたちは深い嫌悪感と納得の表情を浮かべた。
(実際には、エリザーベトはキツく巻かれたサラシのせいで胸が締め付けられ、息苦しくて歩くペースが落ちているだけであった。ローゼフシルトにそのような変態趣味は一切ない)
「間違いない。奴がローゼフシルトだ。……よし、工場見学を終えて、人通りの少ない裏路地に入ったところを狙う。実行部隊に、襲撃の合図を送れ。我々の手で、帝国の心臓に正義の鉄槌を下してやるのだ!」
勘違いの上に勘違いを重ね、独自の完璧な(大間違いの)論理を構築した労働者統一戦線のテロリストたちは、殺意を漲らせて三人組の背後へと忍び寄っていった。
◇
《同日午後 エッセン市街 裏路地》
「ふぅ、素晴らしい建築物だった。近代の機能美ここに極まれり、だな。さて、そろそろ腹も減ったし、予約しておいたレストランへ向かおうか」
ツォルフェアアイン炭鉱の見学を終え、ご満悦のターニャが路地裏の近道を歩きながら振り返る。
しかし、彼女の研ぎ澄まされた青い瞳は、すでに周囲の異変を完全に察知していた。
「……閣下。後ろからついてきているネズミたち。どうやらただのチンピラやスリではないようです。さっきから路地の角ごとに、手信号で我々の動きを伝達しています」
エリザベルトが、軍帽の鍔を下げながら、唇を動かさずに小声で報告する。
サラシで息苦しいとはいえ、彼女は腐っても帝国軍の魔導士であり、参謀長である。後方をついてくる素人の尾行など、五分で気付いていた。
「ああ、分かっている。……ヴィーシャ、武器の携行は?」
「いえ、観光ですので小銃はおろか、拳銃も携行しておりません。手元にあるのは演算宝珠だけです」
「よろしい。それで十分だ」
ターニャは口元に凶悪な笑みを浮かべた。
「せっかくの休日を台無しにしてくれたのだ。少しばかり、手荒な教育をしてやるとしよう。……ただし、絶対に殺すなよ。休日に死体の処理や憲兵隊への始末書など、断固としてお断りだからな。骨を数本折る程度で無力化にとどめろ」
「了解いたしました!」
三人が路地裏の最も暗く、袋小路になっている場所へと足を踏み入れた瞬間。
「死ねェッ! 体制の豚ァァッ!!」
前後を塞ぐように、建物の陰や屋根の上から、鉄パイプや拳銃、火炎瓶を持った数十人のテロリストたちが一斉に襲い掛かってきた。
「「「労働者統一戦線万歳!! ローゼフシルトに死を!!」」」
彼らは狂信的な叫びを上げ、偽ローゼフシルト(エリザベルト)の首を取るべく殺到した。
数十人の武装した男たち。本来であれば、非武装の人間など一瞬でミンチにされる絶望的な状況である。
だが。
彼らが襲い掛かった相手が、悪かった。悪すぎた。
「……なるほど、私の父と勘違いしたのですね。光栄ですが――」
エリザベルトが、軍服のコートを翻して一歩前に出た。
「――その程度で暗殺を企てるなんて、現実が見えていないようですね!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!!
演算宝珠による身体強化。エリザベルトの長い脚から放たれた回し蹴りが、先頭を走っていたテロリストの男の胴体をくの字にへし折り、そのまま後ろの三人を巻き込んでレンガの壁へと叩きつけた。
魔力で強化された魔導士の打撃は、走る小型自動車に轢かれるに等しい。手加減してやらなければ、内臓が破裂して即死してしまうほどの威力である。
「な、なんだこいつ! 武器も持ってないのに、動きが……見えなっ、ぐはぁっ!!」
「痛い目を見たくないなら、おとなしく投降してください! 私のサラシは今、限界まで苦しいのです! 長引かせたくありません!」
八つ当たり気味に繰り出されるエリザベルトの美しくも凶悪な徒手空拳が、次々とテロリストを宙に舞わせる。
「う、撃て! 撃ち殺せ! 女どもも一緒に蜂の巣にしろ!!」
リーダーが慌てて拳銃を構えようとした、その時。
「……少将閣下、制圧を開始いたします!」
ヴィーシャが、弾丸のように敵の懐へと飛び込んだ。
銃など必要ない。近接格闘術で銃を構えたテロリストの手首を正確に極め、軽々と空中へ放り投げ、石畳へと叩き落としていく。
バキィッ! という鈍い音とともに、反撃しようとした者たちの腕が次々と脱臼させられていく。白銀の副官の流れるような制圧劇は、実戦で鍛えられた実力を遺憾なく発揮した。
そして、極めつけは。
「全く……。平和な観光を楽しんでいたというのに、なぜ休日にまで血の匂いを嗅がねばならんのだ!!」
ターニャ・フォン・デグレチャフ少将。
久々の文明的で平和な時間を満喫していたのに邪魔されたため彼女は怒っていた。
ドゴォッ! バキィッ! メキョッ!
ターニャの小さな拳と軍靴が、テロリストたちの顎を砕き、膝の関節を的確に破壊し、顔面を石畳にめり込ませていく。
魔力強化された一撃は、まさに小型のハンマー。襲撃してきた数十人の男たちは、わずか三分足らずの間に、誰一人として立っている者がいない状態――全員が手足をあらぬ方向へ曲げられ、白目を剥いて路地裏に転がるという、一方的すぎる大惨事となっていた。
「……ふぅ。運動したら、お腹がへりましたぁ」
「ああ、そうだな大尉。やることをやったらすぐにレストランに行こう」
ターニャは、ピクピクと痙攣するテロリストのリーダーの背中の上に乗り、軍服のシワを払いながら冷たく見下ろした。
グリグリと、ターニャの軍靴がリーダーの背骨を無慈悲に踏みつける。
「ひ、ひぃぃぃっ……! ば、バケモノ……!」
「憲兵隊を呼べ。こいつらを引き渡す。始末書は手短にな。……それと、念のためにローゼフシルト大将の警護部隊にも連絡を入れておけ。狙われているぞ、とな」
「はっ! 了解いたしました、閣下!」
エリザベルトが息を整えながら完璧な敬礼を返す。
かくして、連合王国が支援した労働者統一戦線のローゼフシルト暗殺計画は、ラインの悪魔と白銀の副官、そして男装の麗人という意味の分からない組み合わせの三人組の拳によって、文字通り赤子の手をひねるように物理的に粉砕されたのであった。
◇
《同日夕方 アウトバーン某所》
一方、その頃。
暗殺の真の標的であったジーク・マイヤー・アンドシェル・フォン・ローゼフシルト大将は、皇国がやったような爆殺や列車テロのリスクを避けるため、専用の装甲自動車に乗って帝都からエッセンへと向かっていた。
だが、彼の乗る車は、エッセンから何十キロも離れたアウトバーンの路上で、完全に停車してしまっていた。
「……まだ動かないのか?」
後部座席で葉巻を吹かしながら、ローゼフシルトが不機嫌そうに尋ねる。
運転席の護衛が、冷や汗を拭いながら振り向いた。
「申し訳ありません、閣下。……前方で、東部戦線から後退してきた装甲師団の大規模な部隊移動と、さらにコンテナを運搬していた大型トラックの横転事故が重なり……アウトバーンが完全に麻痺しております。数時間は動けそうにありません」
「チッ……。だから私は、車での移動は時間が読めないから嫌なのだ。エッセンの工場長との会食の予定をキャンセルしておけ」
本物のローゼフシルト大将は、暗殺計画のことなど露知らず、ただの渋滞というどうしようもない物理的障害によって、エッセンの地を踏むことすらできていなかったのであった。
◇
《数日後 アルビオン連合王国 首都ロンディウム10番地》
「――作戦は、完全なる失敗に終わりました」
SIS局長、サー・アーサー・シンクレアは、一切の感情を排した氷のような声で、連合王国首相ウィンストン・チャーブルに報告した。
「なるほど、期待はしていなかったが……」
チャーブルは、渋い顔を作りながら、咥えていた葉巻の火を灰皿に乱暴に押し付けて消した。
「エッセンに配置していた労働者統一戦線の実行部隊五十名が、ローゼフシルトを襲撃しようとした直後、たった三人の護衛によって一瞬で素手で制圧され、憲兵隊に引き渡されたとのことです」
「数十人の武装集団が、たった三人の非武装の護衛にあしらわれただと!? 貴重な魔導士を護衛に動員しているのか!帝国は!」
チャーブルが驚愕して怒鳴る中、アーサー卿は冷徹な眼差しのまま、手元の極秘ファイルを一つ捲った。
「いえ、首相。問題はそこではありません。……現場で実行犯が襲撃した『ローゼフシルト』は、本物ではありませんでした」
「本物ではない? どういうことだ!」
「我々の諜報網が確認したところによりますと……暗殺が決行されたまさにその日、その時刻。本物のローゼフシルト大将は、そもそもエッセンにいないことが判明いたしました。……彼は、エッセンの地を踏んですらいなかったのです」
その事実を突きつけられ、チャーブルの顔から完全に血の気が引いた。
「つまり……我々が統一戦線に襲わせたのは……」
「ええ。帝国が用意した、完璧な『影武者』と、それを守るエリートの護衛部隊です」
アーサー卿は、何事もないかのように淡々と結論を述べた。
「我々の作戦は、帝国に完全に読まれておりました。彼らはあえて影武者をエッセンの街に解き放ち、我々の支援する地下組織を釣り出し、一網打尽にするための罠を張っていたのです。我々は、帝国の掌の上でまんまと踊らされていたということです」
「な……!!」
チャーブルは、恐怖と屈辱でワナワナと震え、デスクを激しく叩きつけた。
「あの悪魔め……! 我々の暗殺計画の日時、場所、実行部隊の配置まで、全てを事前に把握し、罠を張っていたというのか!!」
「ええ。偶然で片付けられる手際の良さではありません。……首相。これは、我々にとって極めて深刻な事態です」
アーサー卿は、微塵も表情を崩さずに言った。
「我々の極秘作戦が、帝国に筒抜けであった。すなわち……我が連合王国、それもかなり上層部の内部に、帝国のモグラが入り込んでいると断定せざるを得ません」
「モグラだと……!? 我が国の中枢に!!」
「直ちに内部監査局を動かし、SIS内部を含む全政府職員の通信記録と身辺調査を徹底的に洗い直すべきです。これは、国家の存亡に関わる危機です」
モグラ狩りを進言するアーサー卿の言葉に、チャーブルは頭を抱え、絶望的な呻き声を漏らした。
かくして、アルビオン連合王国内部で、前代未聞の大規模な「モグラ狩り」が開始された。
ターニャたちが休日の観光を楽しんでいただけの完全な「すれ違い」と「勘違い」が引き起こしたこの大騒動。
しかし、SISが血眼になって組織を引っ掻き回した結果、帝国側のスパイは見つからなかったものの、代わりに連合王国内部に深く潜り込んでいたルーシー連邦のスパイ網がごっそりと大量に摘発されるという、全く予想外の二次的成果を生み出すこととなる。
「……なぜ連邦のスパイばかりが見つかるのだ! 帝国のスパイはどこに隠れている!!」
ロンディウムの執務室でチャーブルが疑心暗鬼に苛まれ、胃薬を煽っている頃。
当の「影武者」ことエリザベルトは、エッセンの高級レストランでターニャとヴィーシャと共に軍服のまま極上のソーセージとビールを堪能し、「次は閣下とどこへ観光に行きましょうか!」と無邪気に笑い合っているのだった。
ローゼフシルトの過去話いる?
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前世まで赤裸々に見せろ!おら!!
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転生してからの話あくしろ
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男に興味ねぇからさっさと話進めろや!