帝国軍最高司令部提出
東部北方戦区臨時戦闘詳報 第十七号
区分:極秘/配布先限定
件名:カドニコフ突出部における第214歩兵師団及び配属部隊の戦闘経過
提出日:中央暦1929年1月22日
本報告は、生還者の聴取記録、軍団通信所受信簿及び回収された戦闘日誌を照合し、一月十八日に発生した敵攻勢の経過を再構成したものである。以下の時刻は帝国軍現地標準時に統一した。敵兵力及び損害については、未確認事項を含む。
【一、戦闘前の配置】
第214歩兵師団は、ヴォログダ北東のソコルを後方拠点とし、カドニコフ東方に形成された突出部を保持していた。担当正面は約二十六キロ。主抵抗線からソコルの補給地区までの縦深は、地点により十八ないし三十二キロであった。
師団及び配属部隊の現地兵力は一万四千二百名。軍団予備として装甲擲弾兵一個連隊と戦車一個大隊がソコル北東に配置され、局地的突破に対する反撃準備を整えていた。前日まで、敵による大規模な兵力集中を示す確実な兆候は認められていない。ただし、降雪による航空偵察の制限及び森林地帯での観測不良が継続していた。当日朝も低い雪雲と地吹雪により、航空機からの地上目標識別は著しく困難であった。
【二、戦闘経過】
一月十八日、午前五時四十二分。
ソコル東方の軍用道路において、弾薬輸送車列が敵小部隊の襲撃を受けた。同時刻、スホナ川に帝国工兵が架設した補助橋の警備所との有線連絡が途絶。現地では従来の遊撃活動と判断し、警備部隊を派遣した。主抵抗線から敵歩兵の接近報告はなく、この段階で師団全域に戦闘警報を発する根拠はなかった。
午前六時七分。
カドニコフ東方の主抵抗線、師団砲兵の射撃陣地及び後方の道路分岐点に、ほぼ同時に砲撃が開始された。砲火は正面全域へ均等に配分されず、二か所の大隊境界、観測所及び既知の砲兵位置へ集中。後方では、車列の集結場所と通信所周辺が断続的に射撃を受けた。
師団司令部は六時九分に各連隊へ即応命令を発し、軍団司令部への第一報を六時十一分に送信した。命令の発出及び伝達に、平時の演習基準を超える遅延は認められない。
午前六時十九分。
軍団は装甲予備の前進を許可。しかし、当該部隊はすでに宿営地区外縁で敵浸透部隊との交戦に入っており、先行車列が通過する予定だった道路も砲撃を受けていた。連隊長は部隊を二分し、一部を警戒に残して主力を前進させたが、出発後まもなく、別の分岐点で対戦車砲による射撃を受けた。航空支援も要請されたものの、天候による制限のため、午前中に有効な近接支援を得ることはできなかった。
なお、同地点は主抵抗線の後方約十六キロに位置する。この時点で、前線歩兵陣地の大部分はなお保持されていた。
午前六時三十四分。
敵歩兵が二か所で主抵抗線へ突入。接近に際しては白色覆衣を用い、先行する小部隊が陣地間の森林を通過していた。敵は抵抗の強い陣地への正面攻撃を継続せず、これを抑制する兵力を残して両側へ前進した。
北側支点の第二大隊は、正面の敵歩兵を撃退したと報告。その八分後、同大隊は左右の連絡壕を敵に占領され、補給路を失った。大隊長の最後の無線報告は、正面の防御陣地が健在であることと、後方から迫撃砲弾が飛来していることを同時に伝えている。
午前七時二分。
突破口へ敵戦車及び自動車化歩兵が進入。確認された車種はTー34及び既知の自走砲であり、新型兵器の使用を裏付ける証拠はない。対戦車砲陣地の一部は有効な射撃を行ったが、敵主力はその射界を避けて通過し、後続部隊が残存陣地の攻撃を引き継いだ。
このため、各陣地が報告する撃退戦果と、師団後方へ進出した敵の規模が一致しない状態となった。前線部隊は交戦中の敵をなお拘束していたが、それとは別の敵部隊がすでに西進していた。
午前七時二十七分。
師団長はカドニコフ西側への戦線整理を命令。ところが、同地に準備してあった第二線陣地は、撤退部隊の到着以前から砲撃を受けていた。後退する歩兵と前進する予備部隊が道路上で交錯し、交通整理に出た憲兵隊も敵小部隊との交戦を強いられた。
航空魔導中隊は北側支点との連絡回復に成功し、一部負傷者を搬出したものの、同時に救援を求めていた八地点全てへの対処は不可能であった。中隊が移動する間に救援対象の位置が変わり、再接触した部隊の一部は、すでに重火器を放棄していた。
午前八時十一分。
ソコル北東で軍団予備の戦車部隊が敵先遣隊と交戦。局地的には敵車両を撃破して前進を阻止したが、後続の装甲擲弾兵は道路上の砲撃と側方からの攻撃によって分断されていた。戦車大隊は歩兵支援を欠いたまま前進を中止し、別経路から合流するよう指示された擲弾兵は、その途中でさらに別の敵部隊と遭遇した。
九時三分、反撃部隊の統一指揮が失われた。各中隊はなお抵抗を続けていたが、一個大隊としての反撃は実施できなかった。
午前九時四十八分。
敵の機動部隊がカドニコフ西方を通過。師団司令部はソコル方面への退路確保を命じたが、同方面からは補助橋及び道路分岐点の奪回要求が届いていた。前線を救援すべき後方部隊と、後方を救援すべき前線部隊が、相互に支援を要請する状態となった。
無線網は完全には破壊されておらず、命令を受信した部隊は多数存在していた。しかし、命令を実行するために必要な隣接部隊、道路、砲兵支援のいずれかが、その都度失われていることが判明した。
午後零時二十六分。
敵戦車の先頭がソコル東方の補給地区に到達。弾薬集積所の一部が爆破処分され、牽引車を失った砲及び修理中の車両が放棄された。スホナ川南側への撤退は、工兵の誘導する限定された渡河地点に集中。河氷上への無秩序な退避による車両の脱落も発生した。
午後二時十分、軍団は突出部の保持を断念し、ヴォログダ北東の新防御線へ残存部隊を収容するよう命令した。敵主力は夕刻までに追撃を停止し、占領した交通結節点の防御へ移行した。
【三、損害及び所見】
一月二十一日午後八時現在、確認戦死八百四十二名、後送負傷千二百八十六名、行方不明四千三百十七名。合計六千四百四十五名。行方不明者には包囲下で抵抗を継続している可能性のある部隊を含み、全員を戦死又は捕虜と判定したものではない。
戦車二十九両、火砲九十四門、自動車二百八十六両の損失を確認。これには戦闘中に放棄された装備を含む。人的損害の大小にかかわらず、第214歩兵師団は指揮機能、砲兵及び輸送力の喪失により、当面、師団単位での作戦行動が不可能である。
敵の攻勢は、正面陣地の突破を待って後方へ波及したものではない。前線、予備隊及び後方機関は、戦闘開始時点から別個の攻撃を受けていた。個々の部隊による防御及び反撃の成功は、隣接部隊の状況を改善せず、組織的抵抗の回復にも結びつかなかった。
本件を単なる警戒不備又は指揮官個人の判断遅延によって説明することは適当ではないと認める。
以上。
◇
《中央暦1929年1月23日 帝都ベルン 帝国軍最高司令部》
「……新年早々、随分と景気の良い請求書が届いたものだな」
ルーデルドルフは、綴じ紐で束ねられた報告書を机へ乱暴に放り投げた。紙の端には、何度も読み返した指の跡がこびりついている。窓の外では細かい雪が舞っているが、暖房の利いた最高司令部(OKW)の執務室にいる三人の表情を凍てつかせているのは、決して冬の寒さのせいではなかった。
帝国軍最高司令部総長ルーデルドルフ。その隣に座る次長ゼートゥーア。そして、新しい将官用の襟章をつけながら、眼鏡の奥の疲労だけは相変わらず限界を突破しているレルゲン少将。世界で最も高度な集団連携を実現しているはずの無敵の帝国軍の部隊が、たった一日足らずで解体されたという信じがたい報告書を前に、彼らは沈黙していた。
「敵の損害推定は?」
「相当数を与えたとの報告はあります。ですが、撤退に伴う重複報告が多すぎて、確実な数字は出せません。……少なくとも、我が軍の被った大損害と釣り合うような数字ではないと判断しております」
レルゲンは、持ってきた資料のうち、最も薄っぺらい一枚を差し出した。味方が何人消し飛ばされたかについては分厚い帳簿が出来上がっているのに、代わりにアカどもを何人殺したかを説明する紙は、吐き気がするほど軽かった。
ゼートゥーアはその紙へ目を落とすこともなく、戦闘詳報の時刻欄を鉛筆でなぞった。
「六時七分に砲撃開始。二分後に師団命令、さらに二分後には軍団が第一報を受信している。予備の投入許可まで十二分。……我が軍の基準から見ても、むしろ優秀な部類だな」
「師団長は職務を果たしています。連隊長たちも、通信を失ったからといって馬鹿正直に命令を待ち続けたわけではありません。それぞれが現場で判断し、戦闘団を組み、反撃を実施しています」
「その結果、全員が別々の場所でタコ殴りにされたわけだ」
ルーデルドルフの言葉に、レルゲンは重々しく頷いた。
帝国軍の強さは、高性能な戦車や航空機だけで成り立っているのではない。前線が敵を足止めし、その間に砲兵が火力を集中し、予備が側面を突き、航空部隊が敵の後続を叩く。各部隊が状況を瞬時に理解し、互いの仕事を補い合うまでの時間が、他国よりも圧倒的に短い。それこそが、多少の兵力差など力技でひっくり返してきた帝国軍の真の強みだった。
ところが今回は、その短い時間すら与えられなかった。前線から救援要請が届いた時、砲兵は自分の陣地へ降ってくる砲弾を避けるのに必死で、予備隊は自分の宿営地へ入り込んだ敵と撃ち合い、輸送部隊は自分の車列が燃え盛るのを特等席で眺めていた。助けを求める相手もまた、同時に助けを求めていたのだ。
「敵の速度とは、単なる戦車の最高時速のことではなかったようだな」
ゼートゥーアは、地図上のカドニコフからソコルへ線を引いた。その線に沿って青い部隊記号が並び、さらにその後方にまで、赤鉛筆の小さな印が不気味に散っている。
「我々は、敵が陣地を突破した後に何をするかを考えていた。しかし連中は、突破後にやるはずの仕事を、突破前から始めていた。こちらが一つ目の問題に答えを出した時には、二つ目と三つ目の問題が、答えを実行する手足をすでに食いちぎっていたわけだ」
「浸透していたのは、正規軍の偵察部隊と現地のパルチザンを組み合わせたものと推測されます。全ての後方拠点が奪われたわけではありません。数十分の交戦や交通遮断だけで済んだ地点もあります」
「その数十分で十分だったのだろうよ。前線にとってはな」
元帥の冷徹な返答に、レルゲンは口を閉じた。敵は帝国軍の全ての兵士より強くなる必要も、全ての陣地を奪う必要もなかった。ある部隊が別の部隊を助ける、その僅かな時間さえ与えなければよい。それだけで、世界最高峰の軍隊は、世界最高峰の装備を抱えた孤立集団の寄せ集めに成り下がるのだ。
「……ただし、戦区司令部の総合判断は変わっておりません」
レルゲンは、二枚目の地図を広げた。
北方の衝突から二日後、今度は遥か南のヴォルガ中流、ウリヤノスク付近のヴォルガ川東岸に構築された帝国軍橋頭堡に対して、十数万規模の赤軍が攻勢を開始していた。何百万という人間がミンチになる東部戦線の尺度では、国家の命運を賭けた大攻勢というほどではない。それでも、複数の師団を拘束し、軍団予備の配置を変更させるには十分すぎる兵力だった。
もっとも、帝国軍の頑強な抵抗によって攻勢は二日目から急速に勢いを失い、二十三日の時点では、すでに失敗が確実視されていた。
「北方で交通結節点を脅かして我が軍の予備を引きつけ、その間に南方の橋頭堡を排除する。北方で追撃が停止したことも踏まえ、一連の行動は、北方を主攻勢方向と誤認させるためのマスキロフカの一環と評価されています」
「なるほど。陽動のために一個師団を完全にすり潰したのか。随分と気前の良い目眩ましだな」
ルーデルドルフは鼻を鳴らしたが、評価そのものを否定はしなかった。敵が一か所で勝ったからといって、馬鹿正直に戦線全体から予備を抜き取って追いかければ、それこそ相手の罠にハマる。南方には現に大軍が出現しており、北方の地図だけを睨んで戦争をするわけにはいかなかった。
しかし、陽動と判定することと、そこで起きた「異常」を無視することは、全く別の問題だった。
「ローゼフシルトにも、この詳報を送っておけ」
「西部方面総司令部へは、同じものを既に送付済みです」
中央暦一九二九年一月一日という、帝国中の人間が酒を飲んで新年を祝っているめでたい日に、ローゼフシルトは上級大将へ昇進していた。そして十日には、西部方面総司令部総司令官への任命が正式に発令され、本人は新しい職場と、その向こうに集まりつつある合州国の大軍を見に行ってしまったのである。
本人からの報告書には、毎回パリースィを満喫しているとしか思えない手紙が添えられ、事務作業に忙殺されているOKWの面々を苛立たせていた。
帝都の会議室で聞けば即座に悪知恵が返ってくる便利極まりない相談相手は今は西方にいる。だからといって、その男が帰るまで赤軍が大人しくしていてくれるはずもなかった。
「南方へ予備を回しながら、北方の敵を早期に叩く必要があります。次も同じ規模で済むとは限りません」
「しかし、北方へ一個軍を積み上げれば、それこそ相手の思い通りだろう」
ゼートゥーアがそう言って、レルゲンへ視線を向けた。少将は、その視線の意味を理解した途端、思わず胃を押さえて眼鏡の位置を直した。
少ない兵力で、無茶な距離を移動でき、歩兵も砲兵も装甲部隊も自前で抱え、状況が変われば空から指揮官がすっ飛んできて、敵の都合を力ずくで台無しにする。実に都合の良い注文であり、それを現実にやらされ続けている戦闘狂(レルゲン視点)の部隊を、彼はよく知っていた。
「……サラマンダー戦闘群ですか」
「モスコーへ送る」ルーデルドルフは、迷いなく言い放った。
「まずはそこで補給と整備を完了させ、北方へ投入できる態勢を取らせろ。敵が攻撃準備を終えるのを待って防ぐのでは遅い。次の集中を捉え、その組織が動き出す前に叩き潰す。デグレチャフ少将には、そのための偵察と反撃を任せる」
「魔導部隊を先行させます。車両と砲兵には優先輸送を手配しますが、整備を切り上げて無理やり積み込ませると、到着してから動かせなくなります」
「必要な整備はさせればいい。弾薬と冬季装備もだ。優秀な指揮官を送り込んで、後は本人の才覚で何とかしろという無責任な話ではない。それに南方での攻勢も失敗したようでは暫く赤軍の攻勢もないだろう。十分に余裕を持たせて構わん」
ゼートゥーアが付け加えると、レルゲンは命令の要点を書き留めた。少なくとも、今回は上官二人が兵站の存在を覚えていてくれる。それを朗報と受け取ってよいのかどうかは、これから命令を受け取る幼女に判断してもらうしかなかった。
新年の挨拶状がまだ机に残っているうちに、彼女にはモスコー行きの直行便の切符が届くことになる。もちろん、帰りの列車がいつになるかについて、帝国軍最高司令部は何の保証もしていなかった。
◇
《同日 ルーシー連邦 ノヴォシビルスク スタフカ》
二重窓の隙間にはボロ布と綿が詰められ、その内側を厚い遮光幕が覆っていた。暖房管は時折、結核を患った老人のような咳き込む音を立てていたが、窓際に積まれた書類は、紙まで凍てつくように冷え切っていた。
かつて教育機関として使われていた建物の一室で、ゲオルギー・ジェーコブ元帥は、金属のホルダーに収まった茶のグラスを持ち上げた。すっかり冷めた茶には砂糖が入っている。今の連邦において、それは元帥が口にするに相応しい贅沢であり、彼の机に届く報告書に登場する大部分の人間には、一生縁のない贅沢だった。
モスコーを追われ、カイベジェフへ移り、それでも安全を保証されなくなったスタフカは、ついにウラルを越えてノヴォシビルスクまで引き下がっていた。首都から遠ざかるたびに、地図の上では国土の広さが祖国を救ってくれたように見える。だが、ジェーコブにとってそれは、司令部と前線を結ぶ鉄道がさらにアホみたいに長くなり、途中で切断される場所がまた増えたという意味でしかなかった。
机の右側には北方での戦闘結果が置かれ、左側には国家計画機関と各人民委員部から届いた絶望的な報告書が積まれている。軍人としては右側だけを読み続けていたかったが、その勝利をもう一度作れるかどうかは、左側のとても面白くない紙の束にかかっていた。
「補充兵の到着予定が、また減っているな」
ジェーコブが書類を指で押さえると、報告に来ていた参謀は帽子を抱え直した。襟元の雪はすでに溶け、軍服の肩へ黒い染みを作っていた。
「名簿上の人数は確保しました。しかし、集結地での再検査により、相当数が野戦勤務不適格と判定されています。療養中の者を予定より早く戻した地区もありまして……」
「歩けることと、行軍できることは違う。銃を持てることと、戦えることも違う。衛生部に、帳簿の数字を揃えるためだけに判定を誤魔化すなと伝えろ」
元帥はそう命じたが、その命令が不足する兵士を魔法のように生み出してくれないことも理解していた。病院へ残せば軍隊に人が足りず、病院から追い出せば軍隊に足手まといの患者が増える。どちらを選んでも、損失を記入する帳簿が変わるだけの救いようのない話だった。
ルーシー連邦は、なお強大であった。
合州国が巨大な海軍を揃え、連合王国へ兵士を送り込み、各地の連合国が師団を編成し続けている今も、連邦は連合国陸軍の総兵力の半分以上を一国で拠出していた。西部の人口密集地と工業地帯を失い、ヴォロネジで巨大な野戦軍を粉砕され、それでも帝国の主力を大陸の奥深くへ引きずり込んでいる。普通の国家であれば、すでに政府と軍隊が互いに敗北の責任を押しつけ合いながら崩れ落ちていたところだろう。
エスカルゴとカエルを食し、白旗主兵論の某共和国の軍人たちには到底理解の及ばない状況でも、連邦は立っていた。
しかし、連邦が普通の国家ではないという事実は、その国民の胃袋まで鉄でできていることを意味しなかった。
軍需生産と軍隊の維持、それらを支える輸送や建設を含め、国家経済の七割近くを戦争へ叩き込む異常な動員は、もう三年近く続いていた。国土を失って経済全体が縮んでも、前線が必要とする砲弾と兵士の数は減らない。その差額は、民間に残される食料と衣服と燃料を限界まで削り取ることで埋められていた。
初めの一年は、蓄えを食いつぶせばよかった。次の一年は、修理と更新を先延ばしにすればよかった。だが、その次の年も同じ自転車操業を繰り返せば、畑を耕す道具は折れ、工場の軸受は焼け、冬を越す人間の身体からも、使える蓄えはなくなっていく。
農村では、若い男だけでなく、馬とトラクターまで消え失せていた。残された女たちは老人や子供とともに土を返し、軍へ送る穀物を刈り取ったが、播種の遅れを愛国心だけで取り戻すことは、さしもの纏まった砂の民でもできなかった。ようやく収穫した穀物も、脱穀する人手や運ぶ車が足りず、雨と雪の中で腐っていく。
農村からさらに人を抜けば、翌年のパンが減る。そのパンを食べる予定の兵士を増やすために、パンを作る人間を徴兵するという、実に連邦らしい壮大な共食いが続いていたのである。
シルドべリアの奥地まで、動員名簿は何度も洗い直されていた。まだ工場や鉄道に残っている健康な男は、怠け者が徴兵を逃れているのではない。機関車を運転し、溶鉱炉を維持し、機械を修理するために、軍が歯を食いしばって残している人間だった。その最後の一人にまで小銃を持たせれば、彼を前線へ運ぶ列車が完全に止まってしまう。
もはや、この広いシルドべリアには、何かを止めずに新たに動員できる男など、存在しなかった。
「工場からの報告も、同じか」
「欠勤と作業中の失神が増えています。配給量は帳簿上維持されていますが、現物の不足が……。暖房と給湯の停止も影響しているようです」
参謀は言葉を選んだが、書類の方は一切の遠慮をしていなかった。女子工員、年少工、老人、軽作業に回された傷痍軍人。背の低い年少工は足元に箱を置いて旋盤に手を伸ばし、ほかの工員たちも凍えた指で部品を扱いながら、水みたいな薄いスープと黒パンで長い勤務をつないでいた。栄養不足による作業能力の低下というお上品な表現の下には、立っていられなくなって倒れた人間の数が並んでいる。
ジェーコブは、配給券の額面と実際の支給重量を比較した欄を読み、鉛筆で印をつけた。六百グラムと印刷された紙を食堂へ持っていけば、六百グラムのパン(木くず入り)が必ず出てくるわけではない。国家には紙へ数字を刷る能力がまだあったが、その数字に見合う小麦を運ぶ能力の方は、急速に失われつつあった。
そこへ、帝国のウラルズ爆撃が最悪の追い打ちをかけていた。
工場を山脈の向こうへ移したところで、工場が勝手に石炭を掘り、勝手に発電し、勝手に完成品を前線へ歩かせるわけではない。帝国の四発爆撃機は、その当たり前の事実を嫌になるほどよく理解しており、鉄橋、操車場、電力設備という、少数の破壊で広い地域を止められる急所を執拗に狙っていた。
ある工場は屋根も旋盤も無事だったが、材料が来ないために止まった。別の工場は完成した車両を門の外へ並べたまま、それを運ぶ貨車を待っていた。橋の復旧がようやく終われば、今度はその先の操車場が爆撃される。河川へ撒かれた機雷は舟運を圧迫し、冬の結氷で水運が細ると、その分まで傷だらけの鉄道へ押し寄せた。
前線へ送る砲弾を優先すれば、工員へ届ける食料が遅れる。工員が倒れれば、翌月の砲弾が減る。帝国は工場の壁だけを壊す代わりに、その壁の中で働く人間まで、真綿で首を絞めるように少しずつ干上がらせていたのである。
「アフガン経由の到着量は、予定を下回っています。積み替えと道路区間での滞留が解消しておりません。現地でのゲリラの襲撃も続いています」
合州国の倉庫には無尽蔵の物資があった。連邦へ送る意思もあった。だが、その二つを揃えたところで、山道を通るトラックが一度に運べる重量まで魔法のように増えるわけではない。
輸送枠には、まず航空燃料、無線機、工作機械、特殊鋼材、火薬原料が割り当てられた。食料も届いてはいたが、缶詰と濃縮食料の多くは軍用であり、戦線の向こうで飢えている膨大な民間人口まで養える量ではない。合州国の工場がどれほど景気よく汽笛を鳴らしていようと、その音だけでは連邦の子供の腹は膨れなかった。
音や匂いで満足するのは、連邦の首を絞めている皇国の落語の世界くらいであった。
ジェーコブはグラスを戻し、右側の報告書を手元へ引き寄せた。祖国を支えるものが尽きつつあるからこそ、今度の戦いでは、これまでと同じ勝ち方も負け方も絶対に許されなかった。
敵より多くの兵士を集め、敵より多くの砲弾を撃ち、それでも敗れれば、さらに多くを集める。そのやり方で連邦は生き延びてきたが、次の一回を埋め合わせるための人間は、もう後ろにいない。必要なのは、帝国軍の強みを承知したうえで、それが働く前に軍隊としてのまとまりを物理的にへし折る方法だった。
「北方の部隊は、指定した線で停止したのだな」
「はい。追撃の継続を求める強硬な意見もありましたが、命令通りです。敵予備の接近を確認した後、補給部隊を収容し、陣地を整えています」
「よろしい。一度勝ったからといって、その先まで同じ条件で勝てるなどと馬鹿な錯覚をさせるな」
机の上には、戦闘経過を記した数枚の透明紙が重ねられていた。一枚には砲兵の射撃時刻、別の一枚には浸透部隊の到着時刻、さらに別の一枚には敵予備の移動が記入されている。それらを重ね合わせると、個々には小さな攻撃が、帝国軍の行動を次々と妨げていった過程が見えた。
敵の第一線を壊す。それから第二線へ進む。それから予備隊と戦い、それから司令部を探す。そんな律儀な順番で殺し合いをしていれば、その間に帝国軍は何度でも態勢を立て直してくる。ならば、最初の陣地へ歩兵が取りついた時、予備隊も、砲兵も、司令部も、それぞれ自分の戦いから抜けられなくなっていればよい。
全縦深同時攻撃。
連邦の軍事理論に、その種子は以前から存在していた。だが、教範の上で矢印を何本も引くことと、その矢印の先へ同じ時間に人間と火力を届けることの間には、埋めるべき膨大な泥臭い仕事があった。
ジェーコブが作り直したのは、その仕事の進め方だった。突破を担当する部隊と、突破口を通過して奥へ進む部隊を分け、残った陣地の処理を後続へ引き継がせる。前進する部隊には砲兵、工兵、通信、補給を組み合わせ、次の命令が来るまで全員が同じ場所に固まる状態を極力減らした。敵がどこで反撃の準備を整えるかを調べ、その準備の最中から戦闘を強いるために、後方へ浸透する部隊の任務も組み直した。
全員を同じ時計に従わせるだけでは、道が一本塞がっただけで計画全体が死ぬ。そこで、予定が崩れた場合にどの任務を優先するか、どこまで現地指揮官が判断できるかを、演習の段階から繰り返し叩き込んだ。厳格な統制のために現地の報告を待つ、その時間が敵へ与える極上の贈り物になっていたことを、彼はヴォロネジの地獄で骨の髄まで思い知らされていたのである。
「第三の砲兵群は、射撃の切り替えが遅れています」
「原因は」
「中継所の移動です。連絡員が次の位置を誤認しました」
「直せ。今回、間に合った場所だけを教範に載せて満足するな。間に合わなかった場所から先に調べろ」
勝利の報告には赤鉛筆で修正事項が容赦なく書き込まれ、英雄的な奮戦という飾り文句の横に、燃料車の到着が何分遅れたかという数字が加えられた。表彰するべき兵士は表彰する。しかし、次の作戦を兵士の英雄的な無理(精神論)だけに支えさせるつもりはなかった。
今回の成功は、赤軍全体が突然この水準へ達したことを意味しない。生き残った熟練兵と将校、数少ない無線機、貴重な自動車を選抜部隊へかき集め、他の部隊に不足を押しつけながら、何か月も血を吐くような訓練を重ねてきた結果である。帝国空軍の介入が難しい天候まで意図的に選んだ試験だった。まともな靴すら足りない師団が、そのすぐ隣の戦線を肉の盾となって支えていることを、ジェーコブは忘れていなかった。
だからこそ、この方法で得られた時間を無駄に浪費してはならない。敵が異常を理解し、その対処法を軍全体へ行き渡らせる前に、より大規模な作戦へ移行しなければならなかった。
「帝国側は、南方の攻勢と合わせて北方を陽動と見ている模様です」
参謀の報告に、ジェーコブは初めて、僅かに口元を歪めた。
南方で戦っている兵士たちは、本物の砲弾を撃ち、本物の反撃を受けて死んでいる。作戦が人の目を欺くためのものだからといって、流れる血まで偽物になるわけではない。その代償と引き換えに、帝国軍が今回の勝利を、攻勢方向を誤認させるための一事件として勝手に整理してくれるなら、それには意味があった。
敵が考えているのは、次はどこへ大軍が来るかという問題である。ジェーコブが確かめたかったのは、大軍が動き出した時、敵の軍隊へ何が起きるかという問題だった。
「実験は成功した」
その言葉には、久しく口にすることのできなかった確かな手応えがあった。帝国軍の部隊は、相変わらずバケモノのように強かった。砲兵は撃ち返し、戦車は赤軍の車両を破壊し、孤立した歩兵は最後まで抵抗した。それでも、彼らは互いを助けられず、一個の軍隊として連携して戦うことに失敗したのである。
ジェーコブは、報告書の余白に書いた修正事項を参謀へ渡した。その手に浮かんでいた血管と、短く切られた爪を見ながら、参謀は無言で書類を受け取った。元帥の顔から疲労が消えたわけではない。ただ、何をするべきかを決めた人間の冷徹な目が、そこには戻っていた。
この勝利だけで、工員の配給が増えるわけではない。焼かれた鉄橋が戻るわけでも、徴兵された父親や息子が村へ帰るわけでもなかった。むしろ次の攻勢のために、彼らには、もう一度だけ地獄の苦しみに耐えてもらわなければならない。
その「もう一度」を、何年も繰り返してきた。今度こそ、本当に最後だった。
次なる大反攻。否、連邦が国家として準備し得る、最後の大反攻。その後に何が残るかを考える余裕はなく、失敗すれば、残ったものを数える仕事すら帝国の軍政官に渡ることになる。
参謀が退出すると、ジェーコブは机の奥に置いていた厚い作戦書を引き寄せた。表紙には、配布を制限する朱印と、まだ限られた人間しか知らない名称が記されている。
彼はその二文字へ指を置き、暫く動かさなかった。
――『黎明』。
ローゼフシルトの過去話いる?
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前世まで赤裸々に見せろ!おら!!
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転生してからの話あくしろ
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男に興味ねぇからさっさと話進めろや!