そこそこ知識はあるつもりですが、間違っていたらエロい人教えろ下さい。
《中央暦1929年1月 帝都ベルン》
戦争とは、実に気前の良い商売である。
注文主は国家であり、客の数は何百万人、代金の取り立てには徴税官が協力してくれる。納めた商品は前線へ送った端から恐ろしい勢いで消費され、運が良ければ、つい先日引き渡したばかりの品物について、同じ数量の注文書が再び舞い込んでくる。使い道さえ気にしなければ、商人にとってこれほどありがたい得意先はなかった。
ただし、その商売を国家全体で眺めると、話は途端に救いようがなくなる。
普通の機関車ならば、造った後に石炭や小麦を運び、次の生産を助けてくれる。農業機械ならば、翌年の収穫を増やすかもしれない。ところが砲弾は、膨大な鉄と火薬と人間の労働を注ぎ込んで完成した直後、敵の土地で爆発して、同じように膨大な手間をかけて育てられた人間や建造物を吹き飛ばす。
その成果を確認した祖国からは、満足げな表彰状と、もっと沢山造れという追加注文が届くのである。
破壊するために生産し、生産したものを破壊し尽くしたから、さらに生産する。
この時、世界の巨大な工業文明が、自分たちの手で造った物と人間を、最も効率よくゴミへ変換するために全力運転を始めていた。
無論、戦争も、国家が借金をして軍隊を動かすことも、この世界では昔から存在した。しかし、大陸の工場群を何年にもわたって殺し合いへ直結させ、海の向こうの農村から、山脈の地下に眠る鉱石までを一つの戦争へ巻き込んだ経験は、誰にもなかった。
各国の大蔵官僚が本棚から引っ張り出した過去の戦費調達記録は、この巨大な怪物の前では、せいぜい町内の喧嘩に使った治療費の領収書程度にしか役立たなかったのである。
とりわけ厄介だったのは、国家の支出が増える一方で、国民が買える品物の方は減っていくことだった。
工場は軍から代金を受け取り、工員へ賃金を払う。兵士には給与が支給され、軍へ納めた穀物の代金も農村へ渡る。ところが、その金を握って店へ行っても、靴職人は軍靴を作り、織物工場は軍服を織り、肉屋へ来るはずの豚まで軍の缶詰工場へ連れていかれている。
世の中には金を受け取る仕事が増えたのに、その金で買える物が減った。
実に景気の良い話であり、同時に、実に腹の減る話でもあった。
帝国も、この異常から逃れてはいなかった。
開戦以来、帝国政府が戦費調達の柱としてきたのは国債だった。今は祖国へ金を貸してくれ、勝利の後に利子をつけて返す。その約束を、皇帝の肖像と愛国的な標語で飾り立て、銀行、郵便局、職場、果ては領地の集会所まで使って売り歩いたのである。
最初のうちは、それでよかった。戦争は勝って終わるはずであり、戦費についても、負けた国に相応の請求書を突きつければよいと考えられていた。敵がまだ降伏していないという些細な問題を除けば、帳簿の上では見事に辻褄が合っていた。
だが、終わるはずだった戦争は終わらなかった。
中央暦一九二八年に新体制が成立するまで、帝国は五年近くも総力戦を続けていた。五年近くにわたる国債募集は、民間が生活と事業を維持しながら、なお資金を長期間寝かせておけるだけの余力を、ほとんど奪い尽くしていた。
それでも募集額は減らず、「自由意思による応募」という大変に自由な名目の下で、断れば非国民と見なされる割り当てが各地へ降ってきた。
特に盛大に出血したのが、ユンカーと大貴族である。
領地の広さ、家柄、過去の所得。そうした実に名誉ある数字は、国債の購入割り当てを計算する時にも大いに尊重された。国家における責任が重い家ほど、懐から引きずり出される金額も重くなる。先祖の武勲を誇らしげに語っていた紳士たちは、徴募担当者が家系図にまで関心を示し始めると、急に祖先の話をしなくなったらしい。
もちろん、国債を買ったからといって、同じ額の財産がその場で消滅するわけではない。彼らの金庫には、帝国政府に対する立派な債権が残っている。
だが、長い満期まで待たねばならない紙を抱え、その利息では値上がりする生活費や領地の維持費を賄い切れず、換金すれば損が出る。借金をして応募した家には、その返済までのしかかった。援助金を配って地方の顔役を従わせ、困窮した家の土地を買い集めるための、自由に使える金が急速に細っていたのである。
貴族は、貧乏になったというより、まず金回りの悪い債権者になった。
政府に対して物を言うための財力が、いつの間にか政府の支払いを祈る理由に変わっていたのだから、なかなか皮肉の利いた愛国奉仕だった。
もっとも、民間の金庫を叩いて回るだけでは、国は戦い続けられない。
そのことを限界に達する以前から理解し、何より、こんな非効率なやり方で国家の生殺与奪を決めることに我慢ならなかった男がいた。
ジーク・マイヤー・アンドシェル・フォン・ローゼフシルトであった。
彼が実質的に政権を掌握すると、それまで軍、各省、企業が別々に握っていた生産上の権限が、強引に組み直された。その中心に据えられたのが、戦時経済大臣アルバート・シュパーヤの率いる戦時経済省である。
シュパーヤに求められたのは、軍需企業の社長を一列に並べ、気合を入れて増産しろと怒鳴りつける仕事ではなかった。そんなことは、それまでにも各省の偉い人間が飽きるほどやっていたし、その成果として、会議室には紙が、現場には未完成品が積み上がっていた。
陸軍が戦車を増やせと命じ、海軍が艦艇を増やせと命じ、空軍が航空機を増やせと命じる。その三者が、同じ工場の工作機械と、同じ製鉄所の鋼材を、各々の計画では当然のように全て使うことにしている。
発注書の上でなら、一人の熟練工を三つに裂いて働かせることも、一トンの金属から三トン分の部品を造らせることも可能だった。現物の人間と金属が、それに付き合ってくれなかっただけである。
そこでシュパーヤは、金額の帳簿に加え、鋼材、銅、アルミニウム、電力、輸送力、熟練工の働ける時間を並べ、もう一冊の帳簿を国家に持たせた。
各軍の要求を突き合わせ、同じ資源が二重三重に予約されていれば削る。部品の規格を揃え、ころころ変わる設計を量産工程から締め出し、下請けの小工場まで材料が届くよう配分をつなぐ。企業からは技師と現場の責任者を呼び、役所が描いた美しい予定表のどこが実行不能なのかを、遠慮なく言わせた。
工場を全て国営にしたわけではない。社長も利益も残したまま、その工場が勝手に抱え込んでいた材料と納期を、国家全体の都合へ合わせさせたのである。
最も華々しい増産実績の陰で行われていたのは、完成品を増やすために、不要な注文を山ほど取り消すという、新聞映えのしない仕事だった。
これを財政と国民生活の側から支えたのが、ライヒ大蔵国務長官アエハルトである。
彼は、国防省の要求を片端から削って帳尻を合わせるだけの出納係ではなかった。国家がどれだけ支払い、その金が誰の手へ渡り、何を買おうとしているのかを調べ、課税、貯蓄、補助金、生活物資の配分を組み合わせる。生産を増やすための支出が、買い占めと物価騰貴に化けないよう、出口まで面倒を見る仕事だった。
軍服を縫う女工が、帰宅して子供に食べさせる物を探すため、毎日何時間も店先へ並ばされているなら、それは軍需生産の問題でもある。銃弾を優先した結果、炭鉱夫の作業靴が不足し、石炭の採掘量が減ったのなら、その銃弾の増産計画は、炭鉱の入口で既に自分の首を絞めている。
アエハルトは、そうした目立たない損失を数字にして、軍人と工業家の机へ突き返した。
そして、この二人が動かす巨大な仕組みに、支払いと銀行業務の側から血を通わせた男がいた。
ライヒスバンク総裁、ワイマール・シャルト。
開戦前のライヒスバンクは、今ほど金融界全体を動かせる組織ではなかった。発券と銀行間の決済を担う重要な銀行ではあったが、地方の有力銀行や各地の金融慣行を、一声で従わせられるほどの権限も、実務上の支配力も持ってはいなかったのである。
それを変えたのが、戦争だった。
政府は国債の募集が終わるまで砲弾代の支払いを待てず、短期の証書で資金をつなぐ。その証書を抱えた銀行は、次の支払いのためにライヒスバンクへ駆け込む。地方の銀行も、軍需企業へ金を貸し続けようとすれば、最後に支払いを支えてくれる相手を無視できなくなった。
戦費を回す仕事が増えるほど、帝国の金融機構は、ライヒスバンクを中心に結び直されていったのである。
その急速に太くなった手綱を、新体制の下で握ったのが、この男だった。
シュパーヤが、何をどれだけ造れるかを決める。アエハルトが、それを続けても国民生活と物価が崩れないよう調整する。そしてシャルトが、実行すると決めた仕事を、支払いの行き詰まりで止めさせない。
三人の役割を並べれば、実に理性的で、よくできた仕組みに見えた。
唯一の問題は、その三人目が、理性的な音量で喋る能力を、すでにどこかへ捨ててきていたことだった。
◇
《中央暦1928年春 帝都ベルン ライヒスバンク本店》
「できません」
大蔵当局から出席していた老官僚が、机上の予算要求書を閉じた。背後の壁には帝国各地の銀行取引を示す図が掛けられ、長机の上では、青い複写紙を挟んだ書類の束が、銀のポットよりも大きな存在感を放っていた。
「今回の国債募集は、予定額を下回る見込みです。この状態で追加の工場改修費と鉄道設備費を認める余地はありません。まず歳入に見合った規模へ要求を減らしていただかなくては」
シュパーヤは口を開きかけたが、その隣で椅子が床を擦る音の方が早かった。
「バアーーァァカ者がァ!!」
総裁室の扉の外で、盆を持っていた給仕が立ち止まった。室内では、新任の速記係が鉛筆を取り落としかけ、古参の秘書は何事もなかったように余分なインク壺の蓋を閉めた。経験とは、こういうところで差が出るものだった。
「私は工場を動かせるかと聞いている!機械があるか、人間がいるか、材料が届くかと聞いているのだァ!どうして貴様は、伯爵どもの財布の開き具合を報告しているゥッ!」
「総裁、費用を賄う財源がなければ――」
「その費用は何で払う!?」
「……帝国マルクです」
「それを発行し、銀行同士の支払いを最後に決済するのは、どこだッ!」
老官僚は、非常に不愉快そうに周囲を見回した。
まさしく、その建物の中で会議をしていた。
「まさか、国債を際限なく引き受けて、紙幣を増発なさるおつもりですか!」
「際限の話などまだしておらん!貴様は今、金庫の残高を見て、修理可能な機関車を放置すると言ったのだ。動くはずの機関車を止めておいて、石炭が届かぬから国家が貧しくなりましたと報告する。それがお前の言う健全な財政かァ!」
シャルトは立ち上がったまま、要求書を開き直した。
今回の鉄道工場には、修理を待つ機関車と、作業に当たれる職員がいた。必要な部材の割り当ても調整済みだったが、政府側の支払いが遅れているため、納入業者が出荷を止めていた。書類の中で不足していたのは、炭素でも鉄でも労働でもなく、銀行口座へ記入されるべき数字だったのである。
「ですが、中央銀行が政府の支払いを支えれば、通貨への信用が――」
「今まで支えていなかったとでも思っているのかね」
そこで初めて、シャルトの声が低くなった。
「政府の短期証書を銀行が引き受け、その銀行に必要な資金を、我々が供給していた。国債募集の美しいポスターの裏で、ずっとやってきたことだ。君も、その報告書に判を押しているはずだが?」
会議室の空気が、別の意味で冷えた。
新しい財政運営は、何も存在しなかった場所へ、突然、紙幣でできた悪魔を召喚する話ではなかった。悪魔は既に何年も前から地下室で働いており、官僚たちは、その足音が聞こえるたびに賛美歌を大声で歌っていただけだったのである。
変わったのは、その仕事を臨時のつなぎとして隠し続けるのをやめ、国家の生産計画と明示的につなぐことだった。
金への交換は、開戦時に既に停止されていた。新体制はさらに、昔と同じ比率での交換再開を、戦費支出の前提には置かないと決めた。政府とライヒスバンクの取引についても、必要な法令と手続きを改め、承認された支出に対して、同行が国庫証券を引き受けられる枠組みを整えていた。
中央銀行の窓口で大声を出せば法律が消えるわけではない。その面倒な部分については、ローゼフシルトと新政府が、すでに片づけていたのである。
「手続きは残す。会計検査も残す。君の仕事も残る。安心したまえ」
シャルトは、全く安心できない笑みを浮かべた。
「ただし、これからは、何も調べず『金がない』と書くだけの仕事ではなくなるがなァ!」
実際の支払いに、印刷した紙幣を貨車へ山積みして工場まで届ける必要はなかった。国庫と中央銀行、取引銀行の帳簿を通して、納入業者の預金が増える。工場はそこから部品代と賃金を支払い、必要な現金だけが窓口から引き出される。
その記帳によって、政府の債務も、銀行の資産と負債も増える。書類の上から借金を消す魔法ではなかったが、国債の売れ行きが悪いというだけで、支払うべき相手への送金を滞らせる必要はなくなった。
「しかし、それでは政府が使いすぎた時、誰が止めるのです」
今度に限っては、至極まっとうな質問だった。
シャルトは老官僚へ向けていた指を、そのまま横へ動かした。指先の向こうで、アエハルトがゆっくりと葉巻を灰皿へ置いた。
「止めますとも。あなた方の願望より、工場と食料の数字の方を信用してね」
◇
《中央暦1922年 帝都ベルン》
そもそもワイマール・シャルトは、最初からあのような騒音発生装置だったわけではない。
少なくとも、開戦前年に金融界の大物たちが集まった、ある晩餐会の開始時点では、彼はまだ、他人の言葉を最後まで聞き、食器の音より小さな声で返答できる、立派な紳士だった。
その夜、彼が関心を向けていたのは、皇帝の名の下で進められてきた、いくつもの四カ年計画である。
発電所、鉄道、化学工業、工作機械。普通なら各々の事業者が、融資条件と当座の採算を見ながら少しずつ進める仕事を、互いに使う物が噛み合うよう組み合わせ、国家の将来へ向けて先に並べる。シャルトは、その計画の裏にいる人物について、金融界を流れる話から見当をつけていた。
だからこそ、同じ席にローゼフシルトがいると知ると、珍しく自分から話しかけたのである。
「あなたの計画には感銘を受けています。ただ、あれほど多くの事業を同時に進めるなら、いずれ財政の側から規模を見直さねばならなくなるでしょう。国家も、支出を収入へ合わせるという規律から自由ではない」
ローゼフシルトは銀のナイフを置き、何故か、妙に楽しそうな顔をした。
「では、金庫の都合に合わせて、帝国の未来の方を縮めろと?」
「そこまで申し上げるつもりはありませんが、場合によっては――」
「――全くもって、その通りだ。財政規律やら歳入歳出のバランスやら、前人が紡いできた美しい芸術品のような制度を守るためには規模の縮小も必要だろう」
「やはり――」
「だが、断る。このフォン・ローゼフシルトが最も嫌うことは、実体経済に余力があるにもかかわらず、財政上の問題などというチンケな紙の上の制約で、国家経済が傷つくことだ!」
返答は短かったが、その後の沈黙には、晩餐会の礼儀作法を教えた者が頭を抱えそうな重みがあった。
シャルトが眉を動かすと、ローゼフシルトは悪びれもせず、隣室へ続く扉を示した。
「もう少し詳しく話をしようか。ただし、君が当然だと思っていることを、幾つか置いて帰ることになるかもしれん。代わりに財政拡大に対する永遠の安心感を与えてやろう……」
そう言って立ち上がった男は、最後に、何とも趣味の悪い確認を付け加えた。
「覚悟はよろしいですかな、シャルトくん」
二人は個室へ移り、扉が閉じられた。
その部屋の中で、何が話されたのかを知る者は少ない。
ただ、晩餐会が終わる頃に戻ってきたシャルトは、上着の釦を掛け違え、冷め切ったコーヒーを一口で飲み干し、近くにいた銀行家へ、挨拶の代わりに奇妙な質問をした。
「君の銀行が融資を実行した時、借り手の口座に増えた預金は、それ以前には誰のものだったのかね?」
銀行家は、冗談の意味を理解しようとして微笑み、シャルトの目が笑っていないことに気づいて、途中で表情を変えた。
翌日から、彼の執務室には、従来の収支計算とは違う図が貼られるようになった。銀行と政府と企業の間を矢印が何本も走り、机には帳簿が積み上がり、訪ねてきた知人は、金利の話をしに来たはずなのに、いつの間にか失業者と製鉄所の稼働率について問い詰められていた。
そして、議論の途中で声を抑えるという、紳士として大切な機能が壊れた。
何かを吹き込まれたのは確かだった。だが、それまで経済を理解するために使っていた頭の棚を、一度全部ひっくり返されたらしい、ということ以外は、周囲にもよく分からなかった。
ローゼフシルトが時折漏らす、まだこの世界の教科書に載っていない貨幣の考え方は、シャルトにとって新しい学説というより、金庫の扉を壁だと思い込んでいた人間へ、その取っ手の存在を教える行為に近かったのである。
もっとも、取っ手を見つけたからといって、直ちに国中の扉を開けられるわけではない。
法律も、官庁の縄張りも、各銀行の利害も残っていた。戦争が始まってからも、彼は従来の国債募集と資金繰りを支える仕事を続け、その仕組みの欠陥を、日々の決済の中で嫌になるほど眺め続けた。
その男へ、必要な権限と、同じ方向を見る大臣たちが与えられたのが、一九二八年の新体制だった。
金融界では、ローゼフシルトはシャルトを味方につけたのだと言われていた。
もう少し正確に言うならば、金融界に解き放ってはいけない何かを、自分で育てて解き放ったのである。
◇
《中央暦1928年春 ライヒスバンク本店》
「パンを考えましょう」
アエハルトは、総裁の声量によって若干傾いていた卓上の書類を揃えた。
「ある町では、一日に百個のパンが焼ける。国が買い取り軍へ六十個送れば、町に残るのは四十個です。町の人々の所得がその取引で増えて、八十個買おうとしても、残りの四十個が食器棚から生えてくるわけではありません」
「だからこそ、支出を抑えなければならないと申し上げているのです」
「何への支出を、ですか?パンを奪い合うための支出と、故障した製粉機を直すための支出を、同じように削るおつもりですか?」
老官僚が口を閉じると、シャルトが待ちかねたように身を乗り出した。
「製粉機を直せる職工と部品があるなら、支払いが詰まっているだけで止めるな!だが小麦が足りん時に、金だけ倍にして買いに走らせても、値段が上がるか、誰かの分が消えるだけだ!我々が増やせるのは、支払いの数字であって、小麦の粒ではなァい!」
物価が上がれば、給料を増やせという声が出る。その給料を払うために企業は価格を上げ、政府も同じ物を買うために、さらに大きな額を支払う。誰もが数字の上では豊かになりながら、食卓は貧しくなるという、極めて馬鹿馬鹿しい追いかけっこが始まる。
それを防ぐために、アエハルトは支出と同時に、民間の購買力をどう調整するかも提出させていた。
高い所得と戦争利得には重い税をかけ、奢侈品の消費を抑える。生活を維持する分まで取り上げないよう控除を設けたうえで、所得の一部を戦後まで引き出せない貯蓄へ回す仕組みも整える。国債の販売も続けるが、売れた額だけを眺めて勝利を祝うことはやめた。
「つまり、結局は国民から金を集めるのではありませんか」
「集めますよ。ただし、何のために集めるのかを間違えないことです」
アエハルトは平然と答えた。
「政府の支払いを成立させる仕事と、民間が今すぐ使おうとする金額を抑える仕事は、区別して考えます。生活に必要な額を見定めたうえで、一部の消費を後へ回してもらう。その間に、工場と人手を戦争へ使うのです」
ただ国債を銀行へ押しつけただけで、町の人間のパンを買う金が、同じ額だけ消えるわけではない。国債を担保にまた借金をして買い物をするなら、消費を先送りさせたことにもならなかった。
貯蓄の制度と融資の運用までつなげなければ、片方の手で締めた蛇口を、もう片方の手で開けることになる。シャルトの仕事が、政府へ金を用意するだけで終わらなかったのは、そのためだった。
「戦後になれば、皆が一斉に預金を引き出しますぞ」
「だから、解放する時期も決めます。店の棚が空のうちに、勝利を祝って全部使えとは言いません」
軍需工場を民需へ戻し、復員した兵士が職を得て、日用品が出回り始める。その歩調を見ながら、先送りした消費を戻す。戦争の終わりは、積み上げた請求権と、足りない品物を自動的に釣り合わせてくれる奇跡の日ではなかった。
価格の上限と配給も必要だったが、値札を釘で壁へ固定すれば物価問題が片づくわけではない。原料代すら取り戻せない価格を強制すれば、商品は店から消え、別の場所で、別の値段をつけて売られるようになる。
これを闇市という。
アエハルトは公定価格だけでなく、配給が実際に渡った量、店先の欠品、闇の取引価格まで報告させた。紙の上のパンが安いからといって、食べられなければ何の意味もなかった。
「私は、役所が永遠に国民の買い物を決める社会を造りたいわけではありません。ですが、今は軍と民間が同じ物を取り合っている。誰が、どこまで我慢するのかを決めずに放置すれば、最も声の小さい家から食卓が空になります」
その言葉に、シュパーヤも頷いた。
工員を飢えさせれば、軍需生産が落ちる。農業機械を直さなければ、翌年の穀物が減る。軍が必要だと叫ぶ物だけを軍需と見なしていたら、戦争を続けるための土台から順に壊れていく。
限界まで動員するということは、全ての余裕を、見つけ次第潰して回ることではなかった。
「輸入品については、どうなります?」
別の官僚の問いに、シャルトはすぐに答えた。
「相手が何を受け取るかによる。我が国の紙幣を受け取らぬ者へ、愛国心を演説しても無駄だ。外国通貨も金も、交換に出す輸出品も、相手との信用取り決めも必要になる!」
自国通貨を発行できるという話は、外国の通貨まで自由に発行できるという話ではない。まして、海上封鎖や沈没する輸送船を、帳簿への記入で突破できるはずもなかった。
占領地の工場や農地にしても同じである。地図を帝国の色へ塗ったからといって、熟練工が命令通りに働き、破壊された橋が直り、穀物が損失なく届くわけではない。乱暴に取り上げて土地を疲弊させれば、翌年の取り分は減る。銃剣には徴発を強制する力があっても、収穫を早める能力はなかった。
「それでは、制限だらけではありませんか」
老官僚は、疲れ切った顔で言った。
シャルトは、何故か嬉しそうに両手を広げた。
「そうだとも!やっと本物の制限の話になったではないかァ!」
原料がない。技能が足りない。港が詰まる。輸入先が代金を受け取らない。民間の需要が供給を超え、物価が上がる。そうした問題を解かずに、国債の応募額だけ増やしても、完成する兵器は増えない。
逆に、働ける人間と設備があり、必要な資源を回せる仕事を、支払いの順番だけで止める理由もなかった。
「できんことはないイイィーーーーッ!!この機関車修理は、できる!だから支払う!できない理由があるなら、次は鉄と人間と時間を数えて持ってこいッ!」
シャルトの指が、最初の要求書へ叩きつけられた。
続いてシュパーヤが部材の配分と工程を確認し、アエハルトが支出と生活物資への影響について条件を書き添える。机上で行われたのは、無限の予算を承認する儀式ではなく、止まっていた一つの仕事を、本当に動かすための面倒な確認だった。
そこで、会議の流れを好機と見た別の出席者が、そっと一枚の計画書を差し出した。
「それでは、軍需行政の拡大に伴う新庁舎の建設も、同様に――」
「「「却下だ」」」
三人の声が、驚くほど綺麗に揃った。
新庁舎のために必要な建設労働者は、発電所の改修にも必要だった。鋼材も、セメントも、輸送用の貨車も競合している。何より、既存の建物へ机を詰め込めば当面の業務は回せた。
「資金は用意できるのでは?」
「できるからこそ、貴様の広い執務室のために職人を奪うかどうかを、我々が決めるのだァ!」
新体制の財政は、役人にとって都合よく財布の紐を緩める制度ではなかった。
金がないという理由が使えなくなった分、自分の要求する仕事が、本当に他の仕事より必要なのかを説明しなければならなくなったのである。
会議の終わりに、シャルトは承認済みの書類を高々と掲げた。
「我がライヒの金融は世界一ィィィ!工場も鉄道も、帳簿の穴などで止めさせはせんッ!」
「総裁」
アエハルトが、静かに呼びかけた。
「何だ!」
「その音量に使っている力も、いくらか節約していただけると助かります」
将来的には孫の声を、可能であればひ孫の声まで聞きたいアエハルトにとっては、死活問題であった。
◇
《中央暦1929年1月 帝国戦時経済省》
それから季節が巡り、帝国の工場を動かす帳簿は、以前とは様変わりしていた。
帝国戦時経済省に設けられた合同調整室には、今日も各省庁から持ち込まれた書類が積み上がっていた。戦争の長期化に伴い、三人の責任者が直接顔を合わせて処理しなければならない案件も、珍しいものではなくなっていた。
国債は、相変わらず発行されている。国民も銀行も保有し、ライヒスバンクも政府の支払いを支えていた。帝国が借金をやめたわけでも、借金の名前を消して無かったことにしたわけでもない。
変わったのは、国債の募集結果が出るまで生産計画を椅子に座らせて待たせる、その順序だった。
軍需に必要な支出を認めるための審査には、資源と工程の裏付けが求められた。政府の証券は中央銀行の引き受けと市場での買い支えによって支払いにつながり、もはや金利を吊り上げて購入者の機嫌を取ることに、戦費調達を依存させる必要はなくなった。
同時に、民間の消費を後へ回し、資材の買い占めへ向かう融資を抑え、生活必需品を市場へ残す仕事も強められた。支払う側だけを変え、受け取った金の行き先を放置するような、都合の良い改革ではなかったのである。
その実務を担う部屋では、今日も計算機のハンドルが回り、各地から届く電報が仕分けられていた。書記たちは複写紙の汚れを指先につけ、工場名と材料の量を何度も照合した。訂正された一覧表が届けば、昨日の計算をやり直す。未来の知識が一人の人間の頭に入っていても、今日の貨車がどこで止まっているかまでは、その頭から湧いてこなかった。
「この地区の鋳物工場で、検収不合格が増えています」
報告を受けたシュパーヤは、増産の数字が大きく書かれた欄を飛ばし、その下の備考を読んだ。
「原料ですか?」
「作業班の入れ替えと、補修の延期です。数量達成を優先して、炉の整備を後へ回しています」
「では、その増産分は使える製品ではないですね。炉の整備を優先してください。仕上げ工程を隣の工場へ回せないかも調べて、こちらの工場に補修の時間を作りなさい」
工場に無理をさせれば、月末の報告書だけは立派になる。そのしわ寄せは、次の月の故障か、もっと遠い前線の事故として現れる。
シュパーヤが求めたのは、帝国が勇ましい数字を書けることではなく、帝国軍が受け取った兵器を使えることだった。
別の机では、アエハルトが工業都市の配給実績を調べていた。公定価格は横ばいだったが、実際の入荷量は減り、欠勤が増え始めている。
「このままでは、また給与の引き上げ要求が出ますね」
「買う物がないのに金額だけ増やしても、店先の争いが激しくなるだけです。農産物がどこで滞っているのか、輸送当局へ照会を。必要なら軍の輸送枠と調整します」
軍からは反発が来るだろう。それでも、工員の夕食を運ぶ列車は、前線の弾薬を運ぶ列車と無関係ではなかった。長い目で見れば、同じ工場の、同じ生産を支えているのである。
そしてシャルトは、地方銀行から持ち込まれた資金繰りの申請を見ていた。
軍需企業に材料を納めた小さな工場が、代金回収の遅れで賃金を払えなくなっている。親会社の方には資金があったが、支払いを延ばして自分の手元を厚くしていた。
「取引の実在を確認した分はつなげ。だが、その親会社の担当者も呼べ。帝国の偉大なる信用を、下請けを干上がらせるなどというしょうもない遊びに使わせるな」
その時の声は、珍しく普通だった。
彼が興奮するのは、書類の上の数字が増えるからではない。動かせるはずの仕事が、誰かの都合と、考えることをやめた慣習によって止まっている時だった。
だからといって、この三人体制が、帝国から不足を追い払ったわけではなかった。
合州国のような巨大な生産基盤を、金利の調整で丸ごと手に入れることはできない。失われた熟練工は口座に記帳しても戻らず、遠洋で沈んだ輸送船の積み荷を、国内の紙幣で海底から呼び上げることもできない。占領地の修復は進捗通りには進まず、軍はいつも、先月より多くの物を要求した。
国民生活には我慢が残り、企業にも不満が残った。物価への圧力は消えず、配給の不公平や闇取引を訴える報告は、今日もアエハルトの机へ積み上がっていた。
それでも、同じ鋼材を三つの計画で取り合い、使える機械を資金難で眠らせ、必要な補修を数字の見栄えのために先送りするという無駄は、一つずつ削られていた。
三人がやっていたのは、存在しない国力の発明ではなかった。
帝国がすでに持っている国力を、最後まで実物として使い切るための仕事だった。
午後遅く、西部方面総司令部から、新たな生産・輸送上の要請が届いた。
一月一日に上級大将へ昇進し、十日に西部方面の指揮を任された男は、帝都から姿を消しても、他人の仕事を増やす能力だけは全く衰えていなかった。
書類には、複数の工場へ分けて発注される部品と、一定期間に集中する輸送の要求が記されている。それぞれを眺めれば、帝国各地で日々処理されている軍需品と大差はない。ただ、数量と納入時期を重ねて見ると、その向こうに、極めて趣味の悪い何かが準備されていることだけは分かった。
シュパーヤは、添えられていた私信を一読すると、裏返して机へ伏せた。
「パリースィの食事は、相変わらず大変結構らしい」
「こちらが配給問題に頭を悩ませている時に、なかなか勇気のある内容を送ってきますね」
アエハルトが葉巻をくわえ直す。シャルトだけが、要求書を楽しそうに読み始めたが、程なく、その顔から笑みが消えた。
「この納期を守るなら、別の注文を後へ回さねばならんな」
「そうなるでしょう。資金の問題ではない」
シュパーヤが答え、工場別の工程表を引き寄せた。
「何を止めてでも優先するのか、本人に確認を取ります。こちらだけで決めれば、別の戦線の要求と衝突する」
「では、私からも一文添えよう」
シャルトは万年筆を取り、余白へ勢いよく書き込んだ。
『支払いは可能。ただし、一月を四十日にする能力は、本行にもありません』
アエハルトが、それを読んで僅かに笑った。
この点においてローゼフシルトは三人にとっての敵であった。
「その点は、ぜひ大きな字で」
祖国の勝利を望む者は、前線にも後方にも大勢いた。しかし、望んだだけで増えるのは注文書であって、戦車でも、パンでも、工員の睡眠時間でもない。
国家が自らの通貨を扱う仕組みを組み替えたところで、戦争の代価が消えるわけではなかった。その代価は、今日掘られる石炭と、今日働く人間と、今日誰かが諦める生活によって支払われ続ける。
シャルトが金庫の底を覗く仕事を終わらせた後にも、シュパーヤの炉には燃料が要り、アエハルトの食卓にはパンが必要だった。
帝国の錬金術師たちは、紙を鋼鉄に変えることはできない。
だが、鋼鉄を造れる国が、紙の不足を理由に負けることだけは、断じて許すつもりがなかったのである。
ローゼフシルトの過去話いる?
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前世まで赤裸々に見せろ!おら!!
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転生してからの話あくしろ
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男に興味ねぇからさっさと話進めろや!