なので殆ど変えません。
《中央暦1924年12月25日 秋津洲皇国 横須賀軍港》
極東の空は、欧州特有の鉛色の雲とは異なる独特の澄み切った青さに包まれていた。だが、海から吹きつける冬風の冷たさは、ここが北大平洋のただなかであることを容赦なく主張している。
横須賀軍港の鎮守府長官執務室。その窓辺に立ち、双眼鏡を構えている一人の男がいた。
短く刈り込んだ白髪交じりの頭髪に、彫りの深い厳格な顔立ち。秋津洲皇国海軍大将、
港外の停泊地に、巨鯨のごとき鉄の城郭群が聳え立っている。
中央暦1924年12月25日。本日は皇国における大正天皇祭であり、同時に西洋における重要な聖人の生誕祭であった。その祝祭の日を狙って、皇国への礼砲を轟かせて寄港したのは、親善訪問の名目を掲げた帝国海軍東洋艦隊であった。
しかし、その実態はあまりにも過剰な武力の誇示に他ならない。
全通飛行甲板を有し、多数の艦載機を格納した大型航空母艦が二隻。それに並ぶ中型空母一隻。さらには、四〇センチ巨砲を備えた超ド級戦艦四隻に、三〇ノット以上の快速を誇る高速戦艦二隻。護衛の巡洋艦や駆逐艦群を伴ったその壮大な陣容は、一国の主力艦隊そのものであった。
「……相変わらず、やることに遠慮というものがないな、あの国は」
山本は双眼鏡を静かに下ろし、苦笑交じりに呟いた。
現在、欧州では協商連合を叩き潰した帝国が、アルビオン連合王国の海軍による陰湿な経済封鎖を無血の航空、潜水艦威嚇によって突っぱね、いよいよ西の宿敵フランソワ共和国への最終決戦へ舵を切ろうとしている。
この多事多難な局面にありながら、これほどの大艦隊を極東の皇国へ寄港させた目的は明白だ。
「太西洋で睨み合う連合王国と合州国に対し、極東にこれだけの余力があることを見せつけるデモンストレーション……いや、それだけではないな」
山本は卓上の煙草に火を点け、紫煙を吐き出した。
今や皇国は、大陸での支那との全面衝突の只中にあり、これを嫌悪したアルビオンや合州国から苛烈な経済制裁を受けている。
その皇国に対し、自国の主要関税圏の一員として、また
煙草の煙が揺れる中、山本の脳裏に、かつて自らが交わした一人の男との記憶が蘇っていた。
その男の名は、フォン・ローゼフシルト。
協商連合を壊滅させ、今や准将の階級にまで駆け上がった帝国参謀本部の鬼才。山本が彼と初めて出会ったのは、今から20年以上前、世界を揺るがしたあの巨大な地殻変動の渦中であった。
◇
《中央暦1899年~1901年》
全ての始まりは、中央暦1899年に発生した帝政ルーシーの革命であった。
当時、帝政ルーシーを自陣営に引き込もうとした帝国とフランソワ共和国の熾烈な投機合戦が、双方の金融危機という最悪の形で破綻。これによりルーシー国内で壊滅的な恐慌が発生し、対処に失敗した政権に対し国民議会を中心とした勢力が一斉に蜂起、皇帝は退位に追い込まれた。
しかし革命政府も恐慌を収息させられず、社会は過激な赤色革命へと雪崩れ込んでいく。帝国はこれを阻止すべく白軍を支援し、帝国の台頭を恐れる周辺諸国が裏で赤軍を支援するという泥沼の代理戦争が勃発したのだった。
この地獄のような情勢下、帝国陸軍の士官候補生として当時一五歳の少年フォン・ローゼフシルトは航空魔導士として戦場を駆け抜けていた。
(史実のロシア革命と同じ構図だ……もし仮に帝国の東方に革命国家が誕生したら、それはナチスドイツとソ連以上に交わらない最悪な仮想敵となる)
現代日本の歴史知識と圧倒的な魔導力を兼ね備えたローゼフシルトは、数々の戦局で絶大な戦果を挙げ、瞬く間に中尉へ特進。
そして中央暦1901年、赤軍の攻勢によって白軍が崩壊の危機に直面した際、当時一六歳のローゼフシルト中尉は冷徹な決断を下した。参謀本部の撤退命令を意図的に無視し、直属の航空魔導中隊を率いて独断専行。幽閉されていた帝政ルーシーの皇帝一家を鮮やかに強襲、救出したのである。
「全員、演算宝珠をオーバーロードさせろ! 皇族の身柄を確保し、シベリアを打通する!」
追撃する赤軍の膨大な弾幕と猛吹雪が吹き荒れる中、ローゼフシルトと彼の航空魔導中隊は、多数の戦死者を出しながらも死力を尽くして皇帝一家を護衛しながら数千キロに及ぶシベリア強行突破を敢行した。
死線を幾度もくぐり抜け、極東の地で反赤軍の警戒任務に就いていた秋津洲皇国軍と奇跡的な合流を果たしたのである。
この死闘により、帝国はルーシー皇帝一家の身柄を全員確保することに成功。行き場を失っていた白軍の残党勢力も、帝国が自国領内や租界地へと丸ごと吸収・傘下におさめるという凄まじい政治的大勝利を収めたのだった。
合流地点で彼らを迎えたのが、当時海軍大佐として現地で情報収集にあたっていた山本五十代であった。山本は
「……よくぞ、生きてここまで辿り着かれた。秋津洲皇国海軍大佐、山本五十代である」
雪原の中でボロボロになった帝国軍の軍服を着て、それでも背筋をピンと伸ばして立っていた一六歳のローゼフシルト中尉に対し、山本は深く敬礼した。
「感謝する、山本大佐。我々を無条件で受け入れてくれたことに」
「礼には及びません。それよりも……中尉、あなた方の戦いぶりは見事というほかない。なぜこれほどの犠牲を払ってまで、ルーシー皇族と旧体制の身柄にこだわったのですか?」
ローゼフシルトは冷え切った手に息を吹きかけ、少年とは思えぬ深謀遠慮に満ちた眼光で答えた。
「大義名分と人命の保全ですよ、山本大佐。ルーシーの正統な皇統と白軍の精鋭を我が帝国が完全に抱え込めば、将来的な東方権益の主導権は全て我が方に渡る。……それに、大義名分というものは後でいくらでも価値を生み出しますから」
その言葉通り、ルーシー亡命政府と白軍残党を完全に自国の傘下に収めたローゼフシルトの功績に対し、秋津洲皇国政府も皇帝一家救援の労をねぎらい、ローゼフシルトと部下たちに外国人としては異例の大勲位菊花章を授与した。
授賞式の夜、横須賀の料亭でふたりきりで酒を汲み交わした際(一六歳のローゼフシルトが堂々と酒を口にする姿に山本は苦笑したが)、山本はローゼフシルトに尋ねた。
「中尉……いや、大勲位殿。単刀直入に聞くが、これからの戦争はどう変わると見る?」
ローゼフシルトは盃を傾け、自らの前世の知識――航空主兵観と現代戦の概念――を元に即座に答えた。
「大艦巨砲の時代は終わります、山本大佐。次に世界を支配するのは空です」
「空、と?」
「ええ。海戦とは要は高威力の砲弾をいかに遠くまで飛ばせるかです。いまの複葉機や我々魔導士の機動性はまだ限定的ですが、技術の加速により、数年のうちに金属製の単葉機が数百キロの爆弾を積んで何千キロも飛ぶようになる。戦艦の分厚い装甲も、上空から落とされる一発の大型爆弾や魚雷の前には無力化されるでしょう。これからの海戦は、大砲の撃ち合いではなく、空母から飛び立つ航空機の決戦になります」
山本の目が鋭くなった。当時、海軍内部では戦艦巨砲主義が絶対の信条とされていた時代である。一人の若い陸軍魔導士が、自分と同じ航空主兵論をこれほどまでに明確に、かつ先見性を持って語ったことに、山本は深い衝撃を受けたのだった。
◇
《中央暦1914年 帝都ベルン》
ふたりの再会は、それから約一三年後のことであった。
中央暦1913年、世界を破滅的な不況へと突き落とした「世界恐慌」が勃発。その翌年である中央暦1914年、大平洋のパワーバランスは劇的な変化を迎えていた。
事の発端は、ローゼフシルトが自ら率いるローゼフシルト財閥の資源調査団が、皇国の勢力圏であった満州の原野を調査したことにある。
前世の記憶から大慶油田の正確な位置を把握していたローゼフシルトは、膨大な埋蔵量を誇る大規模油田をいとも容易く発見してみせた。
石油資源をほぼ一〇〇パーセント輸入に頼っていた皇国にとって、これは天からの恵みであった。
自国の石油依存を自国圏内で完結させたい皇国と、過度な中東・北米依存を回避し、自国の関税圏を拡大したい帝国の利害が完全に一致。皇国は帝国の関税圏へと正式に加入することとなった。
この石油発見と帝国との経済同盟により、皇国はとある世界線以上の国力と工業生産力を獲得することとなったのである。
だが、時代は皇国の飛躍を許さなかった。
この時、太西洋の連合王国、共和国、合州国は急速に増大する帝国海軍の脅威に対抗するため、大平洋に配置していた海軍戦力を太西洋へ回航させたいと考えた。そのために締結を迫ったのがサンフランシスコ大平洋軍縮条約であった。
会議の結果は、露骨なまでに皇国を狙い撃ちにしたものだった。
大平洋の安定を名目に、大平洋における各国の保有艦艇数を制限、一応皇国と関係を切りたくない連合王国が条件緩和を求めたが、合州国と共和国の強い要望、そして差し迫った帝国という脅威を前に取りやめた。この条約の効力は大平洋においてのみで他の大洋に領土を持つ連合王国、共和国、合州国に関しては大した意味を持たず、皇国ばかりが損をするものだった。さらに、この条約で皇国連合王国同盟が解消され大平洋4か国同盟と拡大して締結されたが、この中身は殆どないも同然だった。
失意と憤怒の中で会議を終え、欧州へ帰途の途中で帝都ベルンに立ち寄った山本五十代海軍少将(当時)を出迎えたのは、少佐に昇進していた三〇歳のローゼフシルトであった。
ベルン市内の高級ホテルのスイートルーム。暖炉の火が赤々と燃える室内で、ローゼフシルトは高級なウイスキーをグラスに注ぎ、山本に手渡した。
「……酷い条約交渉だったよ、ローゼフシルト少佐」
山本は苦い顔でグラスを傾けた。
「我が国だけが保有比率を削られ、大平洋の安全を脅かされている。アルビオンも合州国も、我が国を大平洋の都合のいい防波堤としか思っていないのだ」
ローゼフシルトは静かに頷き、暖炉の前に立った。
「帝国人の私が言うのはあれですが……当然の帰結です、山本少将。彼らにとって、皇国は帝国という本土への脅威に比べればどうと言うことは無いのかもしれません。。……ですが、怪我の功名というべきでしょうね」
「怪我の功名?」
「ええ。大平洋には、我が帝国も領土と権益を持っています。しかし今回の軍縮条約において、我々は完全に仲間外れにされた。連合王国たちはおめでたいことに、我が国が典型的な大陸性国家で大平洋に関心がないと思い込んでいる」
ローゼフシルトは不敵な笑みを浮かべ、壁の地図を指さした。
「貴国と我が帝国は、地理的には遠く離れています。ですが帝国は大平洋に広大な植民地を持ち、巨大な艦隊を持っているが、それでも大平洋は遠すぎて守るのが難しい。貴国はその帝国の艦隊も怖いし、他の諸国家も恐ろしい。そして今、双方とも連合王国や合州国という巨大なブロックからの圧迫を受けている。……遠く離れた我が国と貴国ですが、意外にも利害は完全に一致していると思われませんか?」
「我が国と帝国が……手を組むと?」
「ええ。大平洋における両国の権利と航行の自由を守るための大平洋限定の安全保障同盟。これを作成し、連携を深めれば、双方ともによい結果になるとは思いませんか?」
山本の胸が高鳴った。この時の会談が足がかりとなり、のちの皇国・帝国間における大平洋限定の安全保障同盟締結へと結びついていくこととなる。
「――さて、堅苦しい政治の話はここまでにしましょう、山本少将」
ローゼフシルトは急に破顔すると、サイドテーブルから一箱のトランプを取り出した。
「せっかくの再会です。今夜は少しゲームと洒落込みませんか?」
「ポーカーですか? いいですな。……だが少佐、私はギャンブルは強くて欧州ではいくつかのカジノから出禁を食らっているんですよ。手加減はしませんぞ」
山本はニヤリと笑った。実際、山本五十代のポーカーの腕前は恐ろしいものであり、相手の手札を読む洞察力には絶対の自信を持っていた。
「その噂は前から聞いております。何でもカジノ街を潰す勢いでディーラーを負かす東洋人がいるとこちらにも噂はきてましたよ。前々からぜひお手合わせしたいと思っていたんです」
ゲームが始まった。
最初の数手こそ様子見であったが、五手目からローゼフシルトの様子がおかしくなった。
「ふむ……では、私は二枚チェンジで」
「私はそのままスタンドだ」
開かれたカード。山本は整然とした「フルハウス」。対するローゼフシルトは、何とも中途半端な
「ワンペア」。
「……くっ、まあ最初の勝負ですからね」
一時間後。
テーブルの上には、ローゼフシルトのチップの代わりのコインがほとんど残っていなかった。
ローゼフシルトの顔からはいつもの冷徹な笑みが完全に消え去り、額にうっすらと汗を浮かべ、血走った目で手札を見つめている。戦場でどんな爆発や魔導光に晒されても動じなかった男が、紙切れ五枚を前に狼狽していた。前世の知識も確率計算も、山本の直感とブラフの前には何の意味もなさなかった。
「……リレイズだ! 山本少将、ここで勝負です!」
「いいでしょう。私も受けます」
ローゼフシルトが自信満々にカードを叩きつける。
「ストレートだ! これで私の勝ち――」
「失礼、ローゼフシルト少佐。私の手札はフラッシュだ」
静かに提示された山本のカードを見た瞬間、ローゼフシルトは硬直した。
参謀本部で冷酷な戦略を組み立て、魔導士として空を支配するあの天才が、極東の提督の前では見るも無惨なカモであったのだ。
「な……! そんな! バカなっ……!?」
頭を抱えてガックリと机に崩れ落ちるローゼフシルト。
「おかしいだろ一時間やって一度も勝てないなんて確率論的にありえるのか!?」
「ハハハハ! ローゼフシルト少佐、戦術とポーカーは違うのだよ。ポーカーは確率の学問ではない。人間のハフを読む心理戦なんですよ」
山本は大笑いしながら、ウイスキーの瓶を手元に引き寄せた。
「参謀本部や戦場の君は怪物のように見えるが……こうしてカードを握ると、人間らしいところがあって安心したよ」
「ハハハそうですか。一応これでも参謀本部で負けなしだったんですがね……」
悔しそうにウイスキーのグラスを煽るローゼフシルトの姿を、山本は今でも可笑しく思い出すことができるのだった。
◇
回想から覚めた山本五十代長官の視線の先には、横須賀の海に静かに鎮座する帝国東洋艦隊の姿があった。
あのベルンでの会談から一〇年。世界はさらに激動の渦へと飲み込まれている。
皇国は現在、支那との間で泥沼の戦争を継続しており、これに対してアルビオンや合州国は各種の経済制裁や資材の封鎖といった圧力を強めている。
しかし、いまの皇国には満州の大油田が存在する。さらに、ローゼフシルト財閥を通じて導入された帝国の最新技術と跳ね上がった経済力が、皇国の軍制改革と国力を力強く下支えしていた。
「……あいつめ、准将にまで成り上がったと聞くが、今頃は帝都でフランソワ攻略の作戦図と睨めっこしている最中か」
山本は呟き、窓の外の海を見つめた。
欧州では協商連合が消滅し、アルビオンの海軍による嫌がらせも、ローゼフシルトの発案した長距離哨戒機と潜水艦による見えざる圧力によって事実上封じ込められた。
そして今、帝国軍の巨大な軍事機構は、西の宿敵フランソワ共和国を肉挽き機に放り込むべく、全重量を傾けて最後の大攻勢へ向かおうとしている。
そして、この極東大平洋においても――。
皇国と帝国という、かつて既存の秩序から孤立を強制されかけた二つの強権国家が、大平洋安全保障同盟という強固な鎖で結ばれ、合州国やアルビオンという世界の覇権国に対峙している。
「世界は、いまや誰も経験したことのない大海戦の時代、そして空の戦争へと足を踏み入れようとしている……」
山本はポケットから小さな懐中時計を取り出し、カチリと音を立てて開いた。
その文字盤の裏側には、かつてシベリアの地でローゼフシルトから贈られた、帝国の鷲の紋章が刻まれている。
東洋艦隊の巨砲が、大正天皇祭を祝う礼砲の最後の一発を放った。
重々しい腹響きのような咆哮が、横須賀の街並みと冬の海を揺らし、遥か大平洋の彼方へと消えていく。
「見せてやるさ、ローゼフシルト。君が予言した空の時代を、我が秋津洲皇国海軍がどのように結実させたかをな」
山本五十代は静かに軍帽を被り直すと、背筋を伸ばし、嵐の前の静けさを孕んだ大平洋の空を見つめ続けた。
これから訪れるであろう、全世界を巻き込む未曾有の動乱と、二つの帝国が辿る激動の時代を見通すかのように。
この作品の帝国はドイツ帝国、オランダ、ベルギーの植民地をなぜか全部継承しています。きっとビスマルクみたいな化物が5人くらいいたんでしょうね。
ところで、山本五十六の名前の由来の一つに出産時の父親の年齢が56歳だったからというのがあるそうです。
56歳は50代なので山本五十代です。
ですがこの場合アメリカ人の「イソロク ヤマモトのようなパワフルな奴が日本にはあと少なくとも55人もいるのか!!」という勘違いが無くなるのは悲しいですね。