世界に冠たる帝国よ永遠たれ   作:ちんすこー

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イルドア王国の首都の名前ってなんすか?


約束された勝者(自認)

《中央暦1925年1月 イルドア王国 首都ロンドル》

 

欧州北西部の鉛色の空とは対照的に、地中海に面したイルドア王国の首都ロンドルは、冬であっても明るい陽光に包まれていた。だが、ロンドルの宮殿内にある応接室に漂う空気は、その陽光とは裏腹に、張り詰めた緊張感と独特の重苦しさに支配されている。

 

豪華なアラバスターの暖炉の前に置かれた革張りのソファ。そこに腰を下ろしているのは、二組の男たちであった。

 

一方は、イルドア王国陸軍大将イゴール・ガスマンと、その側近であるヴィルジオニ・カランドロ大佐。

もう一方は、帝国外務省から派遣された全権特使フリードリヒ・ローゼン外交官と、その副手として同行したヨアヒム・フォン・ラッペンドリップスであった。

 

室内には、挽きたての高級なエスプレッソの香りが漂っている。

帝国が中央暦1913年の世界恐慌を経て、そして皇国の大油田発見などの好機を掴んで構築した自前の関税圏、イルドア王国もまた、その関税圏の一員として経済的に帝国へ深く組み込まれていた。

殊に、イルドア領内で採掘される大量の石油は、帝国の軍需産業とインフラを支える重要な基盤となっている。しかし、その石油を掘り出している掘削機も、精製施設も、運搬するパイプラインも、その大半は帝国資本の主導によって設立された帝国企業の所有物であった。

 

経済的には事実上の従属関係に近い。しかし、軍事的には両国は極めて緩やかな同盟関係にとどまっていた。

 

「……いやはや、ロンドルの冬は本当に素晴らしいですな、ガスマン大将。帝都ベルンの凍てつくような寒風に比べれば、ここはまるで春のようだ」

 

先に沈黙を破ったのは、ベテラン外交官であるローゼンであった。彼は優雅にカップを持ち上げ、職務通りの滑らかな笑みを浮かべて見せる。

 

「ええ、ローゼン閣下。我が国の気候だけは、神が与えてくださった唯一の恵みでしてね」

 

ガスマン大将は白髪の眉を細め、穏やかな笑みを返した。その隣で直立不動の姿勢を保つカランドロ大佐も、表面上は穏やかな表情を崩さない。

 

「しかし、帝国軍の破竹の進撃ぶりには驚かされるばかりだ。協商連合を降伏させ、アルビオンの海上封鎖さえも巧みな戦術で事実上無力化してみせた。今や全欧州の視線が、西のフランソワ共和国へ向けられている」

「はは、我々の将兵が優秀なのは確かですが、これもひとえに貴国からの安定した石油供給があればこそです。我が国の車輌や航空機が動くのは、イルドアの地から湧き出る黒い黄金のおかげですよ」

 

ローゼンは社交辞令を重ねながら、慎重に話の着地点を探っていた。

ローゼンの目的は明確だ。帝国の現実主義的な外交官として、フランソワ共和国との最終決戦を前に、戦争の規模をこれ以上拡大させたくない。イルドア王国にはこのまま中立を保ってもらい、しかるべきタイミングで平和の仲介者としてフランソワとの講和交渉のテーブルを用意してもらう。それこそが、帝国参謀本部および外務省の穏健派が思い描く最もスマートな終戦シナリオであった。

 

「……さて、ローゼン閣下」

 

ガスマン大将がカップを皿に戻し、わずかに身を乗り出した。その双眸に、熟練の政治家・軍人としての鋭い光が宿る。

 

「挨拶はこのくらいにしましょう。本日、帝国からわざわざ足をお運びいただいた理由……単なる世間話でないことは重々承知しております。単刀直入に伺いたい。貴国が我が国に求めておられるのは我が国による、フランソワ共和国との講和の仲介ということでよろしいですかな?」

 

我が意を得たり、とローゼンは心の中で頷いた。

やはりガスマンは話が早い。このまま「左様でございます。貴国の高潔な中立的立場と地中海での影響力を借りて、我が帝国は優位な条件での講和模索を――」と答えて、外務省が描いた予定調和の路線に乗せれば、この任務は完璧に完了するはずであった。

 

ローゼンが口を開き、「まさに仰る通りで――」と言いかけた、まさにその瞬間であった。

 

「――いいえ! 違いますな、ガスマン大将!!」

 

雷鳴のような、そして無駄に朗々とした通る声が応接室に響き渡った。

 

ローゼンは言葉を詰まらせ、思わず隣を振り返った。

声を上げたのは、副手として同席していたヨアヒム・フォン・ラッペンドロップスであった。

 

ラッペンドロップスは、パリッとした新品同様の仕立ての良い外交官制服に身を包み、背筋を不自然なほどピシッと伸ばして立ち上がっていた。その顔には一切のユーモアも柔軟性も欠落した、氷のように冷徹で、同時に自尊心に満ちあふれた表情が張り付いている。

 

ガスマン大将とカランドロ大佐は、不意を突かれてポカンと目を丸くした。

 

(な……なんだと……!?)

 

ローゼンの脳内で、猛烈な警告音が鳴り響いた。顔から血の気が引いていくのが自分でも分かった。

 

「我々が貴国に求めに来たのは、そのような弱腰な仲介などではない!」

 

ラッペンドロップスは、胸を張り、あたかも大群衆を前にした演説演台に立っているかのように朗々と捲し立て始めた。

 

「我々が求めているのは――貴国の我が陣営での即時参戦です!!」

「「……っ!?」」

 

ガスマンとカランドロの呼吸が止まった。

そしてローゼンの脳内は、瞬時に煮え滾るような殺意と凄まじい怒号で埋め尽くされた。

 

(外交の『が』の字も知らん誇大妄想のいかれ野郎が!!!!!)

 

ローゼンは心の中で、腹の底から湧き上がる怒りを爆発させていた。

 

(何をしている!? 誰が喋っていいと言った!? 貴様のようなワイン商の息子が、何故外交の最前線で勝手に口を開いているんだ!? 貴様は大人しく実家のワインでも売っていればいいのだ! そもそも『フォン』の称号すら金で買い叩いた虚栄心の塊のバカが、参謀本部や外務省の精緻な終戦シナリオをぶち壊す気か!!ていうかこいつをここに連れてきのはどこのバカだ!!)

 

ローゼンの胃が痛みのあまり激しく収縮した。

このヨアヒム・フォン・ラッペンドロップスという男は、頭脳の回転自体は極めて速いものの、性格に致命的かつ破滅的な欠陥を抱えていた。相手と会話をするのではなく、一方的に「演説」を行い、自己の正当性を疑わない。

前々からイルドア王国が帝国とともに参戦しないことに苛立ちを募らせていたこの男は、自身の身をここまで引き上げてくれて、自分が崇拝して止まない帝国政府のとある「天才政治家」の思想を独自に狂信し、勝手にそれを実行に移そうとしていたのだ。

 

ローゼンは冷や汗を流しながら、慌てて取り繕おうと手を伸ばした。

 

「あ、いや……ガスマン閣下、これは彼の個人的な意気込みと言いますか、少々表現が苛烈すぎただけでして――」

 

「黙りなさい、ローゼン閣下!」

 

ラッペンドロップスは上官であるはずのローゼンを冷たく一蹴した。その瞳には、狂信的なまでの信念が宿っている。ローゼンなど彼からしてみれば、崇拝する政治家の壮大な世界戦略を理解できない「古臭いロマン主義の老害」に過ぎなかった。

 

「話の途中で横やりを入れるのは外交官の不徳ですぞ。私は帝国の意思を、真の同盟国たるイルドアに伝えに来たのだ!」

 

ラッペンドロップスはガスマン大将の目前まで歩み寄り、両手を広げて大ぶろしきを広げ始めた。その姿は完全に正気を疑う域に達していたが、発せられる言葉のスケールだけは常軌を逸していた。

軍人でもあるガスマンがたまらず背にするソファーすら忘れて後ずさろうとした程の圧をラッペンドロップスは放っていた。

 

「ガスマン大将! 講和の仲介などという生ぬるい手段で得られる果実など、高が知れている! 我が帝国とともに立ち上がり、フランソワの背後を突く決断を下し給え! そうすれば――」

 

ラッペンドロップスは声を一段高く張り上げた。

 

「――マグレブ*1! イブチ*2! コルス島*3! そしてマルセイエーズ*4から大山脈*5に至る膨大な広域ブロック! これら全てを、参戦の報償として貴国へ引き渡す用意が我が帝国にはある!!」

 

「な……ッ!?」

 

カランドロ大佐の口から、素の驚愕の声が漏れた。

ガスマン大将の目が、見開かれる。

 

マグレブ、イブチ、コルス、そしてフランソワ南部の広大な領土――それはイルドア王国が長年夢見ながらも、現実的には到底手に入らないと諦めていた地中海覇権の極みの果実そのものであった。

 

(何を……何を言っているんだこのキチ〇イはぁぁぁぁっっっ!?)

 

外務省や参謀本部どころか、皇帝陛下すら許可していないような「地球の切り売り」を、この男は平然と外交の場でブチ上げたのだ。あまりの出鱈目さに大量のラッペンドロップスの顔が思い浮かび、ローゼンは失神しそうになった。

 

「我が帝国は間もなくフランソワを粉砕する! その時、貴国が単なる傍観者でいるのか、それとも勝者として地中海の覇権を分かち合うのか! 決断の時は今です!!」

 

ラッペンドロップスは演説を終えると、満足気に胸を張り、ふっと冷笑を浮かべて腰を下ろした。

 

応接室は、完全な静寂に包まれた。

 

ローゼンは顔を蒼白にし、手振りを交えて必死に収拾を図ろうとした。

 

「あ、いや……ガスマン閣下、今のは、その……我が国の情熱のあらわれと言いますか、条件面については今後の詰めで……」

 

だが、もはや遅かった。

場の主導権は、完全にラッペンドロップスの放った突拍子もない「巨大な爆弾」によって支配されてしまっていたのだ。

 

ガスマン大将は静かに目を閉じ、深く息を吐き出した。そしてゆっくりと目を開けると、その瞳には老練な政治家としての深い計算の光が宿っていた。

 

「……ラッペンドロップス特使。大変魅力的な、そして刺激的な提案だ。我が国としても、深く検討せざるを得まい」

「ご理解いただけて光栄です」

 

ラッペンドロップスは事もなげに頷いた。ローゼンは胃を押さえながら、ただただ絶望的な心地で天を仰ぐしかなかった。

 

 

 

 

帝国特使団が去った後。

 

広大な応接室には、ガスマン大将とカランドロ大佐の二人だけが残されていた。

窓の外には、冬の地中海の穏やかな海原が広がっている。

 

沈黙を破ったのは、カランドロであった。

 

「……凄まじい、暴風のような男でしたな。あのように無礼で、且つ正気を疑うような条件を突きつけてくるとは」

「ふ……無礼、か。確かにそうだな」

 

ガスマン大将は手元のエスプレッソを一口飲み、小さく苦笑した。

 

「だがカランドロ、あのラッペンドロップスという男の狂気はともかく……突きつけられた条件の重みだけは本物だ。マグレブ、コルス、南方大陸北部の権益……イルドアが過去百年間、欲しても手に入らなかった地中海の覇権が、皿の上に載せられて差し出されたのだからな」

「しかし閣下、ローゼン外交官の様子を見るに、あれは帝国政府の正式な統一見解ではないのでは?」

「勿論そうだ。あのベテラン外交官の青ざめた顔を見れば分かる。参謀本部や外務省の本命は講和の仲介であり、あの青二才が勝手に暴発したのだろう。だが……一度外交の場で口から出た言葉は、消すことはできん。帝国が追い詰められるか、あるいは完全勝利を目前にすれば、あの条件を飲み込ませるカードとして使える」

 

ガスマンはソファの背もたれに深く体を預け、遠くを見つめた。

 

「実はな、カランドロ。今回の会談の直前……フランソワ共和国の特使からも、極秘裏に接触を受けていたのだ」

 

カランドロは息をのんだ。

 

「フランソワから……ですか?」

「そうだ。彼らの提示した条件もまた、実に甘美なものだったよ。『もしイルドアが我が方について参戦し、帝国の背後を突いてくれるならば……帝国関税圏に囚われているイルドアの石油権益を全て解放し、さらに帝国内に散らばる未回収のイルドア――貴国の悲願である国境沿いの未回収領土の全てを、我が陣営の勝利の暁には貴国へ譲渡しよう』とな」

 

カランドロは驚愕に目を見開いた。

 

「フランソワもまた、我が国を味方に引き入れようと必死なのですな……」

「そうだ。どちらのブロックも、喉から手が出るほど我が国の動向を欲している。一方は地中海の真の覇権をちらつかせ、もう一方は民族の悲願をちらつかせる。……実に魅惑的な果実だ」

「閣下……我々は、どちらにつくべきなのでしょうか?」

 

カランドロの真摯な問いに対し、ガスマン大将は煙草に火をつけ、紫煙をゆったりとくゆらせた。

 

「カランドロ。我がイルドア王国の伝統的な美徳とは何か知っているか?」

「……最小限の犠牲で、最大限の利益を得ること、でしょうか」

「その通りだ」

 

ガスマンはニヤリと笑った。

 

「現時点において、どちらのブロックも魅力的だが、どちらもまだ完全な勝者にはなっていない。情勢は明らかに帝国が優勢だ。協商連合を叩き潰し、空中艦隊と潜水艦でアルビオンを牽制し、極東の石油と秋津洲皇国との同盟によって背後の憂いも絶った。……だが、フランソワの裏には、依然として世界最大の海洋帝国であるアルビオン連合王国が控えている。そして太西洋の向こうには合州国の影もある」

 

ガスマンは黒い水面の向こうに、激動する世界の地図を描き出しているようであった。

 

「我が国は、決してギャンブルをしてはならん。最初に血を流す愚は侵さず、両陣営が疲弊し、どちらが勝者になるかが完全に決したその瞬間……最後の最後の一押しだけを行い、最小限の犠牲で最大限の果実をむしり取るのだ」

「……勝ち馬に乗る、ということですな」

「そうだ。帝国がフランソワの防衛線を突破し、パリースィへ向かって進撃を始めた時か……あるいは、フランソワとアルビオンが意地を見せ、帝国軍が泥沼の消耗戦に引きずり込まれた時か。その『時』が来た時、我がイルドア王国は動く」

 

ガスマン大将は少し乱暴に煙草の火を火皿に押し付け、立ち上がった。

 

「帝国につくか、共和国につくか。それはこれからの戦局で決めればいい。だが一つだけ確かなことがある」

 

ガスマンは窓の外、青く輝く地中海を見つめながら、静かに、しかし力強く言い放った。

 

「この戦争が終わる時……我がイルドア王国は、必ず『勝者』の側に立って参戦している。それだけは間違いのない真実だ」

 

地中海からの冬風が宮殿の窓を揺らし、遥か北の欧州大陸で巻き起ころうとしている嵐の予感を、ロンドルの街へと運んでいた。

*1
チュニジア

*2
ジブチ

*3
コルシカ島

*4
マルセイユ

*5
アルプス山脈




リッペンドロップとか言う嫌われているナチスの中でさらに嫌われている奴。
なんだったら嫌われ者で有名なボルマンよりも嫌われていたという。
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