西暦2015年。かつての首都東京は海の底に沈み、人々が限られた食料で糊口をしのぎながら新首都の行く末について語り合う今日この頃。神奈川県足柄下郡箱根町仙石原芦ノ湖北岸に作られた第3新東京市にて、特務機関NERV総司令、碇ゲンドウ(48)は本部施設内の指令室にて一人悩んでいた。
『シンジを呼びつけるにはどうしたものか・・・』
彼には息子がいた。名を碇シンジ、14歳。現在「先生」に預けられている。というか、半ば置き去りにするような形で預けたのは彼である。普通なら子供から多少なりとも恨まれている可能性を考慮すべき場面であるが・・・
『私からの知らせを受け取ったら、シンジはきっと喜ぶだろうなあ・・・』
悲しいことに、碇ゲンドウは他者の心の機微に疎かった。「一人の時間が好きだった」とマイナス宇宙で豪語してやまない彼である。空気を読むだとか心配りだとかの日本人にとってのサイレント必修たる技術を、彼は身に着けていなかった。なぜ結婚できたのか本当に疑問である。出会いに恵まれたとしか言いようがないだろう。彼の妻、碇ユイに出会えたことこそ、2015年現在でのゲンドウの最大の幸運と言っても差し支えない。
しかし、彼は策略家であった。息子を呼びつけるにはいかがしたものかと悩むうちに彼はこう思い立った。
『しかし、私の独断で決めてしまっては知らぬ間に大きな間違いを犯してしまうやもしれない。誰かに相談するのが最善か・・・』
賢い。流石京都大学卒である。
彼は手始めに、現時点で自身に最も近い男に相談を持ち掛けてみることにした。
「冬月」
「ん?どうした、碇」
男の名は冬月コウゾウ(60)。彼の大学時代の恩師であり、特務機関NERV副指令である。L結界密度の非常に高い艦橋で、気合でコア化を耐える逸材である。このような老人がスタンダードであるならば、日本の未来は安泰だ。それにしても、指令と副指令という立場の差こそあれど、12歳も年上の人間を呼び捨てできる豪胆な心に脱帽である。いやむしろ、このようにふるまえる豪胆さこそが指令たる器なのかもしれない。
ゲンドウは心中でこう思った。
『私より12年も長く生きている冬月であれば、人を呼ぶことの何たるかを知っているに違いない』
この言い草である。年上を尊敬しているんだか見下しているんだかわかったものではない。
「一つ、質問なんだが」
「珍しいな、なんでもいってみたまえ」
「しばらく会ってない人を呼ぶときは、どのようにすればよいのだろうか」
「」
冬月コウゾウは固まった。まさか人情どころか人間関係すらユイ君以外にあるかどうかわからんような教え子兼上司が、このような相談を持ち掛けてくるなど彼は夢にも思っていなかった。
『ヒト・・・?ヒトという言葉は何かの隠語なのだろうか?いやもしかして人のことか?しかしこのコミュ障がまともな交友関係を築けているなど到底想像できない。やはり隠語か・・・。駄目だ、どう考えても人を呼ぶ話をしているとしか思えない。もうしょうがないからこのグラサン野郎が人を呼ぼうとしていると仮定しよう、どうしたものか?呼びつけるというからには直接会うわけではないだろうから遠隔の手段を用いるしかないだろう。電話か手紙かメールか・・・電話はだめだ。こんな奴の声が電話口から聞こえたら相手が拒絶反応を起こしかねない。ただでさえプレッシャーを与える声なのだからな。メールもだめだ。相手の情報通信環境がわからない以上、勝手にパソコン等の通信機器を持っていると決めつけるのは早い。となると手紙か・・・よし、手紙を勧めよう。流石に文面ならばこいつの不愛想さも包み隠して問題なく呼びつけられるだろう。』
この間、わずか0.3秒である。さすがは元京大教授、頭の回転の速さも凡俗とはけた違いである。
「ふむ、人を呼ぶ際には手紙がいいと思うぞ。時間を気にせず届くし何より手書きの文字にはまごころを込められるからな。『まごころを君に』という映画もあっただろう。あれは現代だと『アルジャーノンに花束を』という傑作小説なのだが・・・」
「分かった、ご苦労」
ゲンドウは「時間を気にせず」の時点で冬月の話を聞くのをやめていた。流石コミュ障、雑談を楽しむ心の余裕すら持ち合わせていない。もう冬月に用はないとでも言わんばかりに、彼は早々と指令室を出た。
『手段はわかった。しかし、手紙に何を書こう?正直、今まで手紙なんぞ書いたことがないから何をつづればよいのか見当がつかん。ん?彼女は・・・』
指令室を出て一人廊下を歩いていた時、彼はなじみ深い一人の女性を見つけた。
特務機関NERV技術開発部技術局第1課所属、赤木リツコ博士である。彼女の母、赤木ナオコ博士の代からNERVに所属しており、優れた頭脳とゲンドウとのただれた関係を持ち合わせたな泣きボクロがチャーミングポイントの天才なのである。ゲンドウは冬月の次に彼女に当たりをつけた。
「赤木君、少し聞きたいことがあるのだが」
「あら、指令。何の御用でしょうか」
赤木リツコは内心浮き足立っていた。やはり、好いている男から話しかけられるというのはどんな状況においてもうれしいものである。彼女はゲンドウが次つむぎだす言葉に細心の注意を払いつつ、恋に夢見る乙女のような心待ちで次の瞬間を待った。
「実はな、今度ある人に手紙を書こうと思っていてな。文面の内容に悩んでいるので君の意見を聞きたいのだ」
リツコは憤慨した。必ず、かの邪知暴虐の髭野郎を打ち破らねばならぬと決意した。彼女は状況がわからぬが、浮気の気配には人一倍敏感であった。
『ヒト・・・?もしかして女ってこと?私というものがありながらよくもまあほかの女に手を出そうと思えるわね。しかも、仮にも関係を持っている本人に面と向かって浮気相手に送る手紙の文面を考えてほしいと頼むなんて・・・どこまで傲慢なのかしら。こんな質問に答える価値は・・・待って、よく考えるのよリツコ。指令は超が付くほどのコミュ障。人間関係についての助言ならどんなものでも聞き入れるに違いないわ。それを逆手にとって、女に嫌われるような文を書くよう、指令にすり込めばいいのよ。嗚呼・・・こんないけない私の助言を馬鹿正直に実行しちゃうなんて・・・フフ、相変わらずかわいい人だわ』
彼女は浮気のショックで少々思考が飛んでいた。これにはMAGIの3つのメインコンピュータもあきれるばかりである。CASPERだけでなくMELCHIORもBALTHASARも全会一致であきれるレベルである。赤木ナオコは天国からこの状況を見て泣いているに違いない。
「そうですね・・・要件を端的に伝えるのがよろしいのでは?言葉遊びなどせずに、指令の思いのたけを一直線に伝えるのが最善だと思いますよ」
「ありがとう、リツコ君。感謝する」
『嗚呼・・・指令にありがとうって言われちゃった・・・うれしいことこの上ないわ』
どこか別のところへトリップしている彼女のことなどつゆ知らず、ゲンドウは喜んでいた。
『よし、これで手紙に何を書くかが決まった。今すぐにでも書き始めよう・・・ん?どのくらいの長さ書けばいいのかわからないぞ。最近の若者は長文を読めないとも聞くし・・・長すぎるとシンジがこんなもの読んでいられるかとキレて読んでくれない可能性も考えられる。最近の10代はよくキレるらしいからな。どのくらい書くのがいいのだろうか・・・』
再び悩み始めたゲンドウは、自分を抱きしめるリツコを廊下に残し、再び自らの疑問に答えてくれる生贄を求めて本部施設内の徘徊を始めた。
「ん?ここは・・・」
歩き続けていつの間にか第一発令所にまで来てしまったゲンドウ。彼はきっと80代以降徘徊老人として隣町までの遠征を敢行するに違いない。とその時、不運にもこの髭面とかかわらねばならない犠牲者が発令所を訪れてしまった。
「ふ~あちいあちい・・・やっぱ屋内は快適よね・・・」
特務機関NERV戦術作戦部作戦局第1課所属、葛城ミサト一尉である。いたいけな少年の初恋キラーランキング不動の一位を誇る彼女であるが、実際は家という名のごみ屋敷に棲息し毎晩ビールをかっ食らう、家庭的という言葉から対局の位置に陣取る女性の一人である。彼女はたまたま遭遇した「私的話しかけづらい人ランキング首位」の総司令を見かけ、「ウゲッ」という思いを噛み殺しつつ作った笑顔を向け、当たり障りのない言葉で会話をスタートさせた。
「こんにちは、総司令。こんなところでどうされたというのでしょうか」
「葛城君、ちょうどよかった。少し君に尋ねたいことがあるのだ」
葛城ミサトは察しの良い女性であった。過去にやらかした問題を0.001秒でリストアップし、指令にばれやすい順に並べた後謝る覚悟と改善策を1秒で用意した。これには使徒も尻尾を撒いて逃げ出すほかないだろう。彼女の父親の葛城博士譲りの頭の回転の速さである。
『やっべえ・・・何がばれたかな?この前の報告書の出し忘れ?それとも先月備品を壊したことかしら?これがきっかけで減給とかになったらシャレにならないわよ・・・晩酌ができなくなっちゃうじゃない・・・』
「はっ。どのような要件でしょうか」
「手紙の適切な長さについて尋ねたい。どれくらい文章をつづればよいと思う?」
ミサトは安堵したが、同時に困惑した。
『ふ~~~~ミス発覚とかじゃなくてよかった・・・しっかし手紙の長さ?なんだってそんなことを今聞いてくるのかしら?ちょっち意図をつかみかねるわね。あ!もしかして誰か女性に贈る手紙かしら?英雄色を好むともいうしね。この髭が英雄足りうるかは置いておいて、立場的にも英雄だし。でも私目線で考えるならあ~、ぐちゃぐちゃと長ったらしく書いてある手紙は読む気が失せるわね。難しい文章は普段の報告書で十分だっつうの・・・うん、やっぱり簡潔な手紙が一番よね。一文目に要件が書いてあるのがベスト。自分の言いたいことを文章の後ろに持ってきて後回しにするのが、日本人の悪いとこなのよ。よし、そうやって言おう、そうしよう』
「そうですね、やはり長い手紙よりも端的にまとめてある手紙の方が好ましいと考えます。個人的には一文目で要件を述べている手紙がベストですね。分かりやすいですし。でもさすがに1文だけでなく、それに沿えて何個か他愛のない話を書いておくのが無難だと思いますよ」
「分かった、感謝する」
ゲンドウは上の発言の2文目で聞くことをやめていた。こいつはまともに人と会話できないのか。というかむしろリツコとの会話で話を最後まで聞けたことが奇跡なのかもしれない。
「ご苦労だった、では」
「はっ」
そう言い残し、ゲンドウは指令室へと帰っていった。まるで帰巣本能を持つ何かの動物のようである。
『ようやく手紙を書くための情報がそろった・・・これでシンジをNERVへ招くことができる』
ゲンドウは若干喜びながら、シンジへの手紙を書くことにした。
『今までの話をまとめると・・・1文で要件を端的に手紙につづればよいのだな』
何ということだろう。冬月、リツコ、ミサトの助言をつなぎ合わせた結果、だれも言っていない助言が完成してしまった。まさしく悪魔合体。メガテンでもペルソナでも作れない邪悪な悪魔が誕生してしまった。これにはイゴールも腰を抜かすだろう。
『来い』
『よし、これでいい。さっそく郵便局に出しに行くか』
嗚呼、ゲンドウよそれでいいのか。10数年会っていない息子に送る言葉がそれでいいのか。
『無事に投函できた。3日もすればシンジの下につくだろう。早く届くといいのだが』
それから3日後。碇シンジの下に珍しく、誰かからの手紙が届いた。
「誰からだろう?名前が書いてあるな、えっと・・・碇、ゲンドウ・・・父さん?」
シンジは困惑した。手紙×父からの連絡というめったにないことのダブルパンチで脳の通信速度が致命的に下がったが、持ち直して中身を見てみることにした。
『来い』
「・・・」
『は?ナニコレ?コイ?来いってこと?まずどこに行けばいいんだよこれ。来いって言っておきながら行先が書いてないじゃないか。父さんの名前といっしょに書いてある住所に行けばいいの?でも第3新東京って結構閉鎖的な土地じゃないの?今の首都長野の第2東京だよ?なんで箱根なんて言うさびれた街に行かなくちゃいけないんだよ。というか・・・なんかむかっ腹が立ってきたぞ・・・なんで僕がわざわざ出向かなくちゃあならないんだ・・・?違うんじゃあないか?普通父親の方から息子に会いに来るもんじゃないのか?いやここまで放置されてたから連絡を取るのは当たり前にしろなんで捨てた側が捨てたやつを呼び出してるんだ?違うんじゃあないか?出向くべきなのは父さん!貴様の方だァーッ!』
碇シンジは激怒した。湧き上がってくる怒りに任せ、手紙を八つ裂きにした。理屈よりも先にそうすべきであるという信念がッ!彼の体を動かしたッ!それはまさに超新星爆発のごとき激情であったッ!今まさに彼の身体は中性子が運動する圧倒的エネルギーの小宇宙ッ!!
「はっ・・・」
一瞬にして彼は正気に戻った。そして曲がりなりにも呼んでくれた父に、一度くらいあっても損はないと、彼の中の母親譲りの両親がささやいた。彼は破れた手紙をつなぎ合わせ、電車に乗って送り元の住所に向かった。
これは、彼がこれから1年間で直面することになる苦悩と苦労の、ほんの序章に過ぎない。